辺りは妙な沈黙に支配されていた。これがいっそのこと妖怪が出現したとか敵が復活したとか天変地異が起こったとか、やんごとない事情のためなら良かったのに、あくまでもこれはものすごく局地的かつ特異な事情なのだから頭が痛い。
その原因たるふたりはいま、並んで吉川家の居間に鎮座している。
彼らの正面にはマサオミにソーマにイヅナ。第一発見者たるナズナはショックが強すぎたのか未だ額に濡れタオルをのせて後ろで臥せっている。あのタオルがもーちょい下にずれたらきっと窒息死しちゃうよなあ、と暢気ながらもさり気に黒いことをリクは考えた。
うへぇ、とマサオミは興味津々といった体でふたりを交互に眺めている。
「なんかすっげー珍しい光景だよな………あ、記念写真とっとこーかな」
「そんなことより」
いそいそとデジカメを用意するマサオミを見事に無視して、ソーマがこれ以上はないくらいのしかめっ面で改めてふたりに向き直る。
「リクも、ヤクモさんも、どーしてそうなったか心当たりは本当にないんだ?」
「………ない」
「ないな」
問い掛けられた当事者達は揃って首を振った。リクは深刻そうに。ヤクモは暢気そうに。
そう。
何故かは知らないが―――。 リクは高校生ぐらいの外見に。
ヤクモは小学生当時の外見に。
何故かいきなり年齢が逆転してしまっているのだった。
目覚めてみればこの状態で、当人たちも己を鏡で確認してようやく事態を把握した次第である。道理で動きづらかったはずだとリクは納得し、長すぎる服の裾にヤクモは足を取られてひっくり返った。とにもかくにもイヅナの手で互いの服装が整えられ―――「むかしの服もとっておくものですね」と彼女は語った―――それがなければヤクモはソーマの服を借りるしかなかったのだと知って、天流最強闘神士さまが心底彼女に感謝したかどうかは分からない。
そんなこんなで、いまに至っているのだが。
昨日より明らかにおおきくなっている自らの手をリクはまじまじと見つめる。鏡を見た時にも思ったことだが、なんか、背丈は伸びたけど他は大して変わっていないというか………顔つきだって驚くほど大人びたワケでもなし。ヤクモだって、外見こそ幼くなったけれど全体の雰囲気はまったく変わっていない。
(ほっぺたとかすっごくカワイイんだけどなぁ)
突付いたらやっぱ怒られるかなぁなどと考えているリクは、多分かなりの処で思考を放棄している。
未だ目を回しているナズナのタオルを交換してからイヅナは深くため息をついた。
「全く―――モンジュさまが不在の折りにこのような事態に陥るとは情けないことです。早く原因を究明して解決を計らなければ………」
「あ、そのことだけど」
ヤクモが手を上げて言葉を遮った。
「さっきは心当たりないっつったけど、たぶん、予測はついた」
「―――は?」
イヅナが眉を顰める。何処からか発掘したデジカメで皆を激写しながら、マサオミも興味深そうに耳を傾けている。本当に? と不審がるソーマを他所に彼は隣に座すリクに視線を寄越した。
「なあリク、昨日の話を覚えてるか?」
「昨日?」
「闘神符の使い方が知りたいとか何とか―――」
ああ、と合点がいって頷いた。
昨日は、境内の掃除をしていた彼を捕まえて教えを乞うたのだ。リクたちは契約満了の報告と観光を兼ねて京都を訪れたのだが、案内人の方が忙しくて社から離れられないでいる内に何故かそんな話になってしまったのだ。
「ヤクモさんの符を借りて闘い方を教えてもらってたんでしたっけ」
「でもって、話したよな? 基本の考え方は力の循環。放出と、贈与と、あとひとつは何だった?」
「―――交換?」
設問に答える生徒の素直さでリクは記憶をたどる。
うん、その調子、と外見が幼いくせに妙におとなびた微笑みをヤクモは浮かべて。
「だから、そういうことだろう」
「―――そーゆーことって」
「だから」
ピ、とリクを指差して、次いで自分を指差して。
「オレの時間がリクに奪われた。その分だけリクが成長した。たぶん、そーゆーことだ」
―――「そーゆーこと」って。
おい。
とは、誰もが抱いた正直な感想だったろう。
「RPGで言うところの『ライフドレイン』とか『マジックドレイン』。もしくは『吸収』のアビリティ」
いや、その喩えもなんかアレだから。
しばし誰も動くことが出来ずに場が固まる。一番早くフリーズ状態から解放されたのは過去から遊びに来ている暢気な神流であった。
「ははっ、マジックドレインか! じゃあ喩えとしてはタイムふろしきでもいいワケだな? おもしれーっ」
「―――面白くなどありません!」
ガバッ! といきなりナズナが復活した。飛び起きて平気なのかという周囲の声を無視して、すっかり目が据わった彼女はじぃぃっと眼前のふたりを睨みつける。
「おふたりとも落ち着いてらっしゃいますけど、とんでもない事態なのですよ! 人間が簡単に若返ったり成長したりしていいわけありません。必ず何処かでしっぺ返しがきます!」
「うーん、そうだろうなぁ。やっぱ困るよなぁ」
言葉とは裏腹に腕を組んで考え込むヤクモはあまり深刻そうには見えない。
ポケットから闘神符を取り出してひらひらと揺らしながら、淡々とした口調で告げる。
「自力で解決策を探りたいところではあるんだが―――どうも、いまのオレには何の力もないみたいなんだよな。目覚めてから少し試してみたけど、式神も呼べないし、符も上手く発動しないんだ」
「マジ?」
「マジ」
少しだけ深刻そうなマサオミの問い掛けに素直に頷いて。
「だからコトの収拾はリクに頼むしかないんだが………上手いこと力を制御して、そっちに渡った時間をこっちに戻してもらわないと。出来るか?」
「え、ええ?」
いきなりそんなこと言われてもっ、とリクは慌てふためく。
「オレが貸したままだった符を介して時間の逆流が起こったんだろうが、無意識の内にも成功させたんだし、リクなら出来るはずだ」
「………本当にボクが原因なんでしょうか?」
「オレじゃあ人間の時間を数年分移動させるには実力が不足してるよ。やっぱり、リクの潜在能力はすごいというべきなのかな?」
暢気に笑っているが、ヤクモで「実力不足」ならば他の誰が実践できるのかと悩んでしまう。どちらかというと、ヤクモの力が篭められた符を自分が勝手に暴走させただけなんじゃないかとリクは思った。
じっとてのひらを見つめてみたところで天啓のように制御方法が浮かぶはずもなく。
そもそもからして、発動させた状況も理由も不明なので再現しようがない。
「―――無理です」
「そっか」
ため息混じりに答えればごくごくあっさりとヤクモは肯定を返した。
「無理しなくていいぞ。落ち着いて考えればきっと出来るし―――オレの読みが外れてて本当はもっと他の原因があるかもしれないからな」
でも、多分、ボクが原因なんだろうな。
何故かそんな確信だけは胸の中に残っていて、リクはもう一度ため息を零すのだった。
―――かくして。
皆して物置部屋に顔つっこんで古文書と角つきあわせるという状況が出来上がったのだった。
一番いいのは原因である(らしい)リクに『時間』を返してもらうことだったが、自覚もないのにホイホイと発動できれば苦労はない。ならば周囲の協力で、とは誰もが考え付くけれど、じゃあどんな方法があるのかとなると闘神巫女の経験が長いイヅナでさえとんと見当がつかなかった。さいわいにして吉川家にはその手の類の書物が山とあったから散策に困ることだけはなかったが。
ちなみに、マサオミは意気揚々とデジカメの現像に出かけたために不在である。
(捜すってゆっても、何を捜せばいいんだろう?)
読めも書けもしないみみずののたくったような文字を見ながらリクは困り果てた。イヅナやナズナ、ソーマは難なく読んでいるようなのに、これじゃ役に立ちたくても立てない。
どうしようか、とふと上げた視線の先。
(………?)
にんまりと笑ったヤクモが引き戸の傍で手招きしていた。声をかけようとすれば口元に人差し指を当てる仕草で止められる。首を傾げて立ち上がり、傍へ行けば「はい」、と上着を手渡された。
「ヤクモさん?」
「いいから、こっち」
袖を引っ張られてズルズルと歩く。気付けば、ヤクモも上着を着こんでいる。
「こんなとこに篭もってたって解決するワケないって。それよりさ、折角こっちまで来たんだから少しは観光でもしよう」
「え………? だって、みんなは?」
「言ったら反対されるし。だから、内緒だ」
いまならコッソリ抜け出してもバレない、と悪戯っ子そのものの表情で笑われる。逆らう気も起きなくて渡された上着を素直に着込み、これまた用意されていた靴を履いて外に出る。しかし、用意された靴は少し窮屈だった。
「あっれー? おかしいなあ、オレの靴でぴったりかと思ったのに」
ム、と眉根を寄せたヤクモがじぃっとリクを睨みつける。
「もしかして、リク―――十七歳のオレより背がでかいのか?」
「ヤクモさんは十二歳のボクよりもちょっと小さいみたいですね」
「………オレは中学に入ってから背が伸びたんだよ」
僅かに目を逸らした彼が大人用の革靴を取り出す。あまり使われた形跡のないそれは、ひょっとしたらモンジュのものなのかもしれない。
外は快晴で、吹き付ける風の冷たさに身を震わせた。寒さの「さ」の字も感じていないらしい年下の外見をした年上は無邪気に木枯らしが吹く中を走り回っている。子供って体温高いからなー、と昨日までは自分も「子供」だったことを忘れて考える。
ヤクモが振り返って先を指差した。
「さ、行こうぜ!」
「はいっ」
どこへ行くかなんて知らなかったけど。
彼が案内してくれるところなら、行き先はどこだって構わなかった。
いずれ修学旅行で来るんだからと言い切って、ヤクモは近場の寺院仏閣を全て素通りし、港方面の電車へとリクを押し込んだ。幾つかの路線を乗り継いで移り変わる景色を楽しみながら店を散策し、立ち並ぶビル群を巡って自由気ままに練り歩く。
昼食も終え、次に到着した場所で。
「はい、これ。リクの分」
「………これは?」
「スケート靴。折角リンク場の傍まで来たんだし、スケートは冬の風物詩なんだぞ? 滑らなくっちゃ損だろう!」
きらきらと目を輝かせて語るヤクモを前にリクは冷や汗を流した。冬の風物詩なら他にスキーやスノボや何やらもあるだろうに、どうしてスケートになってしまうのか。
―――答えは簡単。スケートリンク場しか近くになかったからである。
とっとと靴を履き替えて鼻歌まじりにリンクへ進んでいたヤクモは、その場で硬直しているリクを見て、あれ? と首を傾げた。
「もしかして―――滑ったこと、ないのか?」
「………はい」
ガックリと項垂れる。
自慢じゃないが運動は不得手だ。かけっこだって何だってドベに近かった方で―――いつも集団の先頭きって走っていたようなヤクモとは違うのだ。そりゃあ悪いことしたなぁ、と全然悪びれない様子で彼は駆け戻るとリクをベンチに座らせた。サイズはぴったりなんだから、と紐をといて器用にも靴を履かせていく。
「やったことないんなら丁度いい。試しとけよ。滑れると気持ちいいんだぞ?」
「むっ………無理です! ボク、運動音痴ですから、外で見学してます!」
「大丈夫、大丈夫! オレが教えるから」
「ダメですよ! ヤクモさんだって他人の運動神経まではコントロール出来ないでしょ!?」
傍から見れば駄々をこねる高校生と笑顔で諭す小学生という不可思議コンビの完成だ。
結局リクは泣く泣くリンク上へと連れ出され、見事ひっくり返って己の言葉を証明することとなった。ドゴッ! と激しい音を立てて手すりに頭を激突させた連れにさすがのヤクモも一瞬言葉を失う。
「………平気か?」
「だから言ったのに〜………!」
出てくるのは恨み言ばかりだ。
うん、だから悪かったって、と苦笑しながら差し伸べられた手を頼りに立ち上がり、フラフラと氷上で危ないワルツを刻む。自分の少し前を滑るヤクモの肩が手すり代わりで、かなりの負担をかけているだろうに、当の人物はなんてことはない態度で速度を調節してくれている。
「リク、腰が引けてる」
「は、はいっ」
「そんなカチコチじゃ滑るもんも滑れないぞ? 最初はオレに頼ってもいいから、もう少し重心を―――」
「はいっ!」
「いや、それだとオレが動けないんだが………」
ガッシリと頭を抱きこまれてヤクモが笑う。兄らしき少年が弟らしき子供にしがみ付いている様はどこからどう見ても情けないことこの上なくて、やっぱりこーゆー風にしかならないんだなぁとちょっぴりリクは泣きたくなった。
ヤクモに手を引かれてゆるゆると壁沿いに伝っていく。しかしそれでもリクの根性の賜物か、ヤクモの教え方が上手かったのか、そうこうする内にどうにかひとりで立てる程度にはなっていた。無論、まだまだ速度は出ないし、膝は曲がってるし、不安定に過ぎたけれど。
「ほらみろ。やれば出来るじゃないか」
「こ、この程度の達成度でも出来たって言うんでしょうか?」
「ああ! 零歳児が三歳児になったぐらいの成長速度だ、存分に誇るがいいっ!」
(………)
それは、本当に誇れることなのか―――甚だしく疑問である。
恐る恐る周囲の流れに乗って氷上を巡る。季節柄もあってかスケート場はなかなかの盛況だ。やたらカップルばかりが目に付くのは、この際、無視しておこう。
(偶々ヤクモさんの知り合いが来てたらどうするのかなー)
あんなにソックリな他人などそうはいまい。親戚ですと言い逃れするつもりなのだろうか? あるいは、もともと彼はそれを考慮して地元駅から離れたのかもしれない。こうして背後から窺う限りでは彼の考えまでは読みきれないが。
付かず離れずの距離でゆったりと前方を滑っていたヤクモがふ、と速度を緩める。訝しげに眉を潜めたまま停止した彼の背にぶつかって、自然とリクも立ち止まる。
「ヤクモさん?」
「………」
じっと彼が見つめる先を追ってみれば、高校生ぐらいの女の子たちが数名、きゃいきゃいと騒ぎながら滑っていた。後ろに黙って続いていた無関係らしき男性がスーッと前に出て―――そのまま、すれ違いざまに追い越して。
ちょっと見、どうということはないリンク上のよくある光景だ。
何故かヤクモは不機嫌そうに眉をしかめたまま、ポツリと宣言した。
「悪い。リク、ちょっとここで待っててくれ」
「え? は、はい………?」
戸惑いを他所にヤクモはすいすいと人波を掻き分けて、件の男性に追いついた。悠然と滑っている相手の背中を軽くつついて呼びかける。
振り向いた男性の返事までは聞こえないが、不審がられているだろうことはその表情からも窺える。しかし、二言、三言と話す内にみるみると男性が青褪めて―――。
振り切るように駆け出した。近くの女性客を跳ね飛ばし、謝る素振りもなしに疾走する。
「―――待てよ!」
ヤクモの舌打ちが聞こえた。先の男性に負けぬ速さで追いかけ、ついでに倒れた一般客を助け起こしながら肉薄していく。ふたりを避けるように悲鳴と怒号が広がり、秩序だっていたリンク上の輪が乱れていく。
「待てっつってんだろ、人の話はちゃんと聞くもんだぜ!?」
あまりにも近い呼び声驚いた男性が思わず振り向いたのが運のつき。
「どりゃ―――っ! アイススライディングタックル!!」
「うわぁぁっ!!?」
ザシュ―――ッ! と氷を削りながらの攻撃に足元をすくわれて、男性は派手に転倒し、クルクルと回転しながら壁に激突した。リクのまん前まで顔面滑走してきた男性の背に膝を乗せ、ヤクモは得意そうにふんぞり返る。
「はん! 小学校時代に氷上のゴレンジャーと呼ばれたオレから逃げようだなんて、考えが甘いね!」
笑いながら男性のズボンのポケットに手を突っ込むとやたら愛らしいピンクのサイフを取り出した。
キョロキョロと辺りを見回して、遠巻きにしていた女性陣のひとりに手を振って笑いかける。先ほど男性とすれ違った女子高生のひとりだ。
「おーい、これ!」
「………え?」
わたし? と指差す彼女にそうだよ、と頷き返しながら。
「あんたのサイフで間違いない? 気をつけた方がいーよ。リンク上も結構スリが多いからさっ」
コソコソと脱走を図る男の眼前3cmにスケートのエッヂをめり込ませて、ヤクモは爽やかに宣うた。
―――結局。
先ほどの男性がスリの現行犯として連行されたのはいいが、同時に、リクたちもスケート場から逃げ出す羽目になってしまった。無理もない、逮捕に協力したのはいいが氷上でスライディングタックルなんぞかましたのだ、危険行為だと説教されるくらいは覚悟しなければならなかったのに。
「ちょーっとやりすぎたかもな?」
ケタケタとヤクモは上機嫌に笑う。現場から逃げ切れたのが楽しくてならないらしい。補導されるのも説教くらうのも金一封を差し出されるのも御免だよ、オレたちはいま『いない』人間なんだからと笑みを深めて。
「それにしても、よく分かりましたね。いつスリだって気付いたんです?」
「ああ………なーんか動きが怪しいっつーか態度がおかしいっつーか。実を言うと、知り合いが同じ手でスられかけた経験があるんだよ」
口調は普段よりもずっと砕けたものになっている。自身の外見が幼くなっているがゆえだろうが、それでも、注意力や着眼点にはなんら変化はないのだから、妙な悔しさまで感じてしまうではないか。
「―――頼りがいありますよね。ヤクモさんて」
「そんなことはないぞ? まだまだ至らぬ点が多いしな………おとなになると見栄や体裁ってのが最初に来て、わかりにくくなってるだけさ」
などと、やたらおとなびた子供の外見で語らないで頂きたい。
駅に舞い戻ったところでヤクモは自宅と逆方面の切符をふたり分購入した。書かれた駅名に不思議がるリクへあっけらかんと説明する。
「時間ギリギリだけど、いまから神戸港に行けば遊覧船に乗れると思うんだ。寒いから空いてて意外と狙い目だぞ? リクは船酔いする方か?」
「いえ、平気です」
「あ、そうだよな。ボート部だったもんな」
時刻表を確認し、何の疑問もなく付いていくと、いまどき珍しい公衆電話が見つかった。「最近は携帯が主流だから見つけるの大変なんだよな」とヤクモは苦笑い、チャリチャリと小銭を入れてダイヤルを回す。覚えのある番号は吉川家のものだ。
(そういえば………)
市内を渡り歩く中でも時折りヤクモは席を外していた。数分とかからずに戻ってきたから気にしなかったが、もしかして彼は今日ずっと、こうして連絡を取っていたのだろうか? 自分は振り回されるばかりで何も考えていなかったのに。
(なんか、やっぱり―――)
不満、というか。
敗北感? みたいなものが。
呼び出し音が数回、受話器の向こう側で誰かが文句を言っているのが分かる。適当にそれらの単語を受け流しながら、ヤクモがちょいちょいと指先で合図した。
「リク! 代わってくれ。お前の声も聞きたいらしい」
「ボクの?」
首を傾げて受話器を耳にすれば、凄まじい剣幕のナズナの声が飛び込んできた。
『リクさま! 一体いままで何処で何をしていらしたのです!?』
「う、うわっ………ナズナちゃん!?」
『ヤクモさまは連絡してきても町の真ん中とかビル街の何処かとか要領を得ないことばかり………おふたりが一緒なら何も危険なことはないと信じておりましたけど、リクさまがきちんと電話口で説明してくださればよかったのにっ』
「は―――はい。ごめんなさい」
何故か敬語になってしまう。
きっとナズナは、ヤクモが独断で自宅に連絡を取っていたことを知らない。電話口にリクが出なかったのは単なる偶然と考えているはずで、「定時連絡してたなんて知りませんでした」とほざいたところで共犯者の謗りは免れ得ないだろう。
自分だって、ナズナがこんなに心配してると分かってれば早く帰ろうと進言ぐらい………。
―――って。
あれ?
何かこころに引っかかってリクは首をひねった。
つまり、自分が電話に出れば早く帰ろうと言い出すのは目に見えていたからこそヤクモはリクに何も知らせなかったのであって、単に遊びの道連れが欲しかったのか共犯が欲しかったのか、もしくはリクを振り回しているように見せかけて市内観光ぐらいさせてやろうとゆーとっても分かりにくい彼なりの深謀遠慮が存在―――。
などと取り留めのない思考に陥りかけたところを電話の奥の能天気な声が打ち砕いた。
『やっほー、リク。いま何処にいるんだー?』
『ちょっ………! あなたは急に出てこないでください!』
『いーじゃん。ちょっとぐらい。な、リク。何処にいるんだ?』
「マサオミさん?」
確認するまでもなくこの底抜けに陽気な声は押しかけ神流のものだろう。あいつ、何用だ? と十円玉を補給しながらヤクモも受話器に耳を欹てる。
『早く帰って来いよ、写真すっげー面白ぇから! 特にな、お前とヤクモが座布団に並んで………』
『そのような無駄話はおふたりが帰ってからにしてください!』
『いいじゃん、別に。いやー、デジタル機器ってすごいよな! 合成だって思いのままだぜ? 傑作なのは並んで座ってるお前らの背後に―――』
『ですから! そういう話は後回しにしてくださいと言っているのです!』
受話器の向こう側で謎の言い争いが延々続けられる。困りきって隣を見やれば苦笑交じりに対応を交代された。
「すまん、オレだけど。いま受話器もってんのはナズナか? ―――そうか。………神戸港に寄ってから帰る。ああ―――じゃあ、また。何かあったら連絡するから」
チン、と受話器を置けば使われなかった硬貨がチャリチャリと戻ってきた。やたら枚数の嵩んだそれをヤクモは丁寧にサイフに戻す。
「ヤクモさん」
「ん?」
「もしかして、その―――今日、出かけてからずっと自宅に連絡とってたんですか?」
「ああ………イヅナさんやナズナに無駄な心配はさせたくなかったからな」
だったら自宅待機が一番いい手だと思うのだが、どうやらヤクモの中ではそれよりも外出したい思いの方が強かったらしい。あのまま家にいたらマサオミにいいようにからかわれるのが目に見えてたから脱出計画を立てた彼に否やはないけれど。
(たぶん七五三の衣装や小学校の制服を着せられたりランドセル持たされたりしたんだろうな………)
無駄に物持ちのいい吉川家には小学校時代のヤクモの遺産が未だ保存されていることをリクは知っている。そう考える一方で、背丈だけは伸びた自身も紋付袴や学ランの着用を迫られる危険性があったことにはとんと考えが及んでいない。
「教えてくれればボクも安心して遊べたのに………」
「そうか? すまなかったな、逃避行気分の方が面白いかと思ったんだが」
実際、オレは楽しかった! とこれまた無邪気に宣言されて、そんな素直に喜ばれては反論のしようもなくなる。気配りや着眼点はいつも通りなのに浮かべる表情のひとつひとつは幼いなんて、ほんと、反則だと思う。
電車がホームに入ってくる。その風を身に受けながら今日だけで何度目になるか分からないため息を零した。
中途半端な時間帯のためか車内はがらすきで、座ろうと思えば座れたけれど、その気も起きなくて車両の一番隅でぼんやりと外を眺めた。ヤクモはほんの少し困った様子で隣に佇むと、同じように車両の連結部分に背中をもたせかけた。
「リク」
「何ですか」
「その………悪かった、な。勝手に連れ回して―――家でじっとしてたかったか? すまなかった」
まさか謝られるとは思ってなくて、リクは目を瞬かせた。次いで、慌てて首を横に振る。確かにいいように引きずられてはいたが、決して嫌ではなかったのだ。本当に嫌だったら幾ら相手が尊敬する人物だとて意見のひとつやふたつは言っている。それをしなかったのだから、やっぱり、自分も一緒に遊べて嬉しかったのだ。
「そんなことないです。ただ………やっぱそうなんだなあ、って実感しちゃっただけで」
「何を?」
「―――外見だけ大きくなっても何の意味もないんだって。ちゃんと中身が伴わないと、ダメですよね」
微妙に照れ笑いを浮かべながら視線を車内へと戻す。背中から伝わる振動が心地よかった。
いまなら自分の仕出かしたことも、その原因も簡単に分かる。
つまり自分は、彼に―――あるいは、彼の傍にいる誰かに、追いつきたくてならなかったのだ。どうしようもない『時間』という壁の存在が無性に腹立たしくてならなかったから、せめて姿だけでも長じたならばと無意味な現象を引き起こした。
術の対象が何故にこの人だったのかなんて、きっと、言うまでもないことだ。
視線を車窓の外へ向けたままヤクモはのんびりと返す。
「そうでもないぞ? オレだってまだまだ子供だし」
「うーん。でもやっぱり、イザって時の行動がヤクモさんの方が上な気がするんですよね」
おとなの余裕と言うべきか。
そりゃあ勿論、ヤクモ自身の尊敬の対象たるモンジュと比べれば「子供」に相違ないけれど、あくまでもそれは比較対照が問題なだけであって。
「早く追いつきたいです。周りは焦る必要なんてないって言いますけど、どうせいつかはおとなになるのなら少しぐらい駆け足したっていいと思いませんか?」
「水掛け論になってきたな………オレはどっちでも構わないんだが」
「ほんと余裕ですね」
「そりゃあ、天地が引っくり返ってもオレとリクの年齢差は引っくり返らないし?」
「いまは外見が逆転してますけど?」
「経験値では負けてない」
と、彼は笑った。
車内アナウンスが目的地への到着を告げる。重々しい機械音を立てて開いたドアをまばらな人影に紛れてすり抜ければ、夕闇の迫ったホームがともすれば互いの表情さえも見失いがちにさせた。
先に降りた彼の半歩後ろへ付きながら、かじかんだ手を素っ気無く上着のポケットに詰め込んで。
「―――ヤクモさん」
「うん?」
人波に逆らって彼は立ち止まる。
いまは幼い瞳の向こうに、本来の彼の姿が透けて見えた。
「たぶん、いまはどう頑張っても無理だと思うんです。ボクがあなたより年下という事実に変わりはありませんし、経験だって何だって足りてない」
足掻いても我武者羅に頑張ってもどうにもならないものがある。例えばそれの代表格が『時間』なんだとして。
けれど、それ以外のものなら結構―――どうにかなるんじゃないかと。
そう考えるのはかなり楽観的にすぎるだろうか。
「でも、ボクも、いつかはきちんと釣り合うぐらいのおとなになりますから」
―――そうしたら。
「その時には、あなたのパートナーとして認めてくれますか?」
少しばかりヤクモは目を見開いて。
だが、その後すぐに嬉しそうに口元を綻ばせた。
「―――どうかな? リクがおとなになるのにどれぐらいかかるんだ?」
あまり長くは待てないぞ、と言外に含ませて。
「え………えっと、十年―――じゃなくて五年でっ。そしたら高校だって卒業してますから、闘神士としてコンビだって幾らでも!」
「大学には行かないつもりか? オレは専攻まで決めてあるのに」
どの分野に進むのか尋ねたくもあったが、そう簡単に口を割ってはくれないだろうと想像もついた。
困ったなぁと眉根を寄せたリクを許すように声を上げて笑うと、わざとらしく肩をすくめるジェスチャーを添えて相手は首肯した。
「うん。待ってるさ―――五年後のオレは、リクのために予約しとくから」
「………!」
伏せていた顔をリクはぱっと輝かせる。
即座に背を向けてしまった彼の肩に指先だけを引っ掛けて。
「ヤクモさんっ」
「んー?」
「神戸港の遊覧船、チケットはボクが買いますからっ」
「え? 別に代金なら―――」
連れ回してるのはオレなんだし、と打ち消そうとする彼の言葉を首を振る仕草で更に打ち消して。
「違うんです。今回は見るだけで乗らないでほしいから、ボクに払わせてほしいんです」
「それじゃ勿体無いだろう?」
「いいえ」
自分にとっては今日という日の思い出の品。
ただ、そこに含ませた意味はひとつだけじゃなくて。
「今回じゃなくて―――五年後に、また。此処に付き合ってください」
その時に。
いまと同じように、いまとは違う形で、肩を並べていられるように。
こちらの真意を汲み取った外見だけ年下の知人は照れたような困ったような妙な微笑を浮かべる。
「先行投資か? でも、そんな未来がくるとは限らないぞ」
「そんな未来がくるようにすればいいんです」
きっぱりと言い切れば、最初ヤクモはきょとんとした表情を浮かべ、次いで。
ああ、確かに。
「―――将来有望だよな、リクって」
見ているこっちがしあわせになりそうな穏やかな笑みを零した。
―――そして。
すっかり辺りが暗くなってから帰宅したふたりはイヅナとナズナから揃って小言をくらいながらもヘラヘラと笑っていた。
反省の色が見られないと更に説教を食らう前にリクが符を翳し、それだけで騒動の原因だった彼らの年齢逆転は元に戻ったのだった。
驚きの数瞬後、いつ元に戻る手段を見つけたのかと問い詰める面々には何も答えず、リクとヤクモは共に含み笑いを浮かべて、「約束したから」という謎の説明だけで全て有耶無耶にしてしまった。
更に、その後。
「―――何だぁ、これ?」
「返せ」
机の上に放置されていた遊覧船チケットを手にとってしげしげと眺めていたマサオミは、ヤクモに奪い返されてもうひとつ首を傾げた。
「なぁ、いまのチケット有効期限が切れてなかったか? 何かの記念チケット?」
「秘密だ」
ツンとそっぽを向いたままヤクモはそれを大切そうに胸元に仕舞いこむ。
大切なら置き去りにするんじゃないと突っ込むより先に、このところの友人の振る舞いが気になる神流の視線は自然と相手の手元へと流れてしまう。
「にしてもお前、また牛乳? 朝食も小魚ばっか喰ってたよな。カルシウム摂取に意味はあるのか?」
「黙れ、マサオミ。いまのオレには身長を伸ばすことが急務なんだ。五年で10センチ―――いや、せめて5センチは伸びておかないと立場が危うい」
「なんの立場だよ」
ブツブツ言ってるヤクモに呆れたような目線を向けた。
答えるように、素っ気無い視線をヤクモは投げ返しながら。
「ああ、そういえばな、マサオミ」
「ん?」
「オレとお前の仕事のコンビ、たぶん五年後には解消されるからそのつもりでよろしく」
「はぁっ!?」
突然告げられた内容に当然ながらマサオミは驚く。
「おいおい、一体なんの話だよ。てゆーか五年後に限定? なにゆえ?」
「だってリクとの約束が五年後だし」
「どんな約束したんだよ!?」
「しかし身長は勝っていないと示しが付かない」
「人の話を聞け」
「お前の身長をオレに10センチほどくれたら話してやらんでもない」
「聞いてないフリしてしっかり聞いてるじゃないか! じゃなくて、身長なんて右から左へとホイホイ渡せるかネコの子じゃあるまいし」
「この際5センチでもいい!」
「できるか!」
「ならば3センチ!」
「だから出来ないって―――ああもう、それよりっ。五年後のお前が予約済みなら十年後のお前はオレのために空けておけ!」
「十年経っても現代に居座ってるつもりか、貴様は。オレに身長を預けてとっとと帰れ!」
「いーかげん身長から話題を逸らさんかい生きた伝説!」
………などと取り留めの付かない会話を交わしながらも止め処なく時間は流れているので。
五年経った時点でヤクモが誰とコンビを組むのか定かではないにしろ。
あの時の日付を刻んだチケットだけは、変わらずにふたりの手元に残されている。
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