※リクエストのお題 → 『陰陽大戦記』、ヤクマサでほのぼの。

※現在連載中のパラレル設定の「もしも全てが大団円に終わったら」ヤクマサENDヴァージョンです。

※つまり、本編で大団円を迎える可能性は限りなく低いです。 ← オイ。

※マサオミさんが予想以上に「乙女」(別人レベル)になりましたのでくれぐれもご注意下さい。

※パラレル設定の更に「IF」話としてお楽しみ頂ければ幸いですv

 

 

 

 グルリと室内を見渡したところで何がある訳でもない。必要最低限の荷物はリュックサックひとつに納まるほどの少なさで、やはり自分にとって此処は「仮の宿」だったんだな、との想いが強くなる。かと言って、七年あまりを過ごしてきた住まいに何の感慨も抱かないかと言ったら嘘になる。
 おんぼろアパートは数年前から住むには危険なほどのレベルに達している。新しい住居が決まればすぐに引き払う。けれど、此処は確かに己にとっての「家」ではあったのだ。
 今度こそ新しい住まいを見つけてこようと軽く笑みを浮かべながら、マサオミはアパートの戸を後ろ手に閉めた。
 新しい「家」を求めて。

 


― 五番目の手段 ―


 

 住まいを変えようと彷徨ったところでなかなか上手くは行かないものだ。常に身一つ、荷物を抱えていつでも何処でも転がり込める準備だけは万事怠りないけれど、肝心の住まいが定まらなければ今日も今日とて出戻りの日々である。
 いい加減、どこを借りるか決めなきゃならんのだがなぁと『住宅情報』を眺めつつハッピーチェーンの特盛り牛丼にパクつくマサオミは眉を顰めた。季節は春、三分咲きの桜、天気もいいしちょっと早めの花見としゃれ込みたいのになんだって自分は頭を抱えているのだろうかとやっぱり頭を抱える。
 受験さえ乗り切ればどうにかなるさと考えていたが甘かった、とっても甘かった。
 いまから一年前と言おうか二年前と言おうか、色々とゴタゴタがあった挙句に結局マサオミはこの地に留まる道を選択した。過去に戻るよりも友人たちと同じ時間を刻んでいくことを決めた。だから残ったこと自体、後悔はしていないし、するはずもない。
 ただ、ちょっと―――その後のヤクモとナナによるスパルタには泣きそうになったけど。
 進路希望に記した通り進学も就職もせずしばらくはプーでいていいよなと、全てが終わった祝いの席でもらしたのが運の尽き。「意味もない浪人なんて許せない」とナナに吹っ飛ばされ、「もしや貴様逃げる気だな」とヤクモに首を絞められて、受験対策なんぞしていなかった己が『勉強』の名の下にしごかれる羽目になったのは思い出したくもない過去である。
 確かに、おかげでイヤでも学力は向上した。
 上昇志向の強かったヤクモと同じ大学に入れるぐらい向上してしまった。
 同じ大学へ進学できるのはちょっぴり嬉しかったが、あの地獄の日々を思い出すとなんかもー考えること自体が面倒になってくる。
(大体、学費がなー)
 箸の先っちょを前歯で噛み潰しながらマサオミは呻く。
 入学金に加えて月々の学費に教科書代、学生はとかくお金がかかる。これまでもバイトはしてきたし今後も続けるつもりであるが、下手したら大学へ通う時間よりもバイトしてる時間の方が長くなりかねない。援助するよ、とモンジュは提案してくれたものの易々と好意に甘える気はなかった。
 もっと学費の安い三流大学にしておくべきだったとヤクモに押し切られて願書を提出してしまったかつての己を恨む。試験代だって最低限しか払いたくなかったからその一校しか受けてなくて、落ちたらそれでヤンピにしようと浮かれてたのに何故か合格していて絶望した。ヤクモと学部まで同じだったからますます絶望した。一日の大半の行動を同じくする高校とは違い、せめて大学では個々の生き方を尊重しようとしたのに、これでは何処まで実行できるのかも不明である。
 合格結果を見たマサオミは胡乱な目つきでヤクモを眺めやったものだ。
「お前、別の学部受けるってゆってたよな………?」
「気が変わったんだ」
 あっさり答える友人は絶対に確信犯。
 ―――と、まあ、そういった過去の事情はともかくとして。
 何にせよ金、金、金だ。タイザンの口座から金をちょろまかしても良かったが多少なりとも悪い気はするし、できる限りひとり立ちしておくことが今期の目標でもあった。そんな訳でここ数日、一所懸命、新しい住まいを捜していたのだが―――。
 どうもいい物件に行き当たらない。大学に近いと土地代が高いし、遠いと通うのが困難になる。バイクを使えば通学は楽だが今日日ガソリン代だってバカに出来ない。幾つかは不動産屋に掛け合って確保はしておいてもらったが契約に至るには決め手に欠けている。
 空になった丼を脇へ追いやってテーブルに突っ伏した。地方出身の大学生、親元から独立する大学生、みな一様に住宅事情に頭を悩まされているのだろうか。
 呻きながらぼんやりと考えたことは。
(………ヤクモの奴は決まったのかな)
 独立への一歩として大学時代はひとり住まいをするのだと言っていた。反抗期を迎え損ねた彼が親離れするにはいい機会だろう。住居に関しては何となく、変につつくと藪蛇以上にヤバいものしか出てこない気がするからやりたくない。
 しかし、突付かなければ蛇すら出ないだろう。
 拳を握り締めて覚悟を決めるとマサオミはおもむろに席を立った。




 駐車場に停めてあったバイクに乗り込んでのんびりとエンジンをふかす。春風を受けながらのドライブは快適だ。
 ―――ヤクモとの関係については、「その後どうなった?」と知り合いから尋ねられることも多い。でもって、それに対してマサオミは常にこう答えるのだ。「別に何も」、と。あの頃の自分が何のために戦っていたかをヤクモは知っているし、ヤクモが何を思って自分を呼び止めてくれたのかも多少は分かっているつもりだ。
 だからと言って関係が劇的に変化する筈もなく、所謂『悪友』として高校時代を過ごしてきた。それ以上の何かを望むかと問われれば微妙なところで、このままフツーの友人付き合いを続けていくのも悪くないと感じている。相手がどう考えているかまでは知らないが、敢えて特別な繋がりを求める必要もないと思うのだ。
 現状維持で充分、傍にいられるだけで満足、笑いかけてくれたらそれだけで幸せ。
 いつだったか、モンジュと『今後』の話をした際にもその旨を伝えた気がする。すると相手は「君は欲しがることに慣れるべきだね」と苦笑をもらし、更には「これならウチの息子が空回りしてて丁度いい気もしてくるよ」とまで付け足してくれたので、もしかするともしかするのかもしれないが。
(でもな〜………)
 リクやツクヨミのこともあるし、少なくとも自分は現状に満足してるのだからどうしようもない。
 太白神社裏手の桜並木を避け正面の赤い鳥居をすり抜けて停車する。
 正面玄関の戸を開けようとしたところでピタリと動きが止まった。やって来たはいいものの、当の本人が不在という可能性を失念していたことに今更ながらに気付いたからだ。新居を探しに行くとは常から聞き及んでいたが果たして今日はどうだったろう。
(………いなかったら帰ればいいだけの話か)
 無人だったら寂しいケド。
 相変わらず吉川家は防犯がなっておらず施錠はされていない。苦笑しながら戸に手をかけた瞬間。

 ぐわらっっ!

「―――ん?」
「う゛」

 なんとも言い難い絶妙なタイミングで『向こう』から戸を開かれた。
 上着にしっかりと身を包んだヤクモがきょとんとした表情で突っ立っている。漸う目に前にいる人物が誰だか認識したのか、軽く笑って。
「奇遇だな、マサオミ。こんなところでどうした」
「ああ………いや、別に」
 独活の大木のように佇む友人の横をすり抜けて、ヤクモは解けかけていた靴紐を結び直す。トントン、とつま先で地面を叩いて調節し。
「で? 誰に用なんだ」
 父さんもリクも外出中だぞと答える彼の背は未だ己と大差ないけれど、その内抜かれるんじゃないかとイヤな予感がしている。
「お前に用があったんだ」
「何の」
「そ、の………いい加減、新しく住む場所決まったのかなーと………」
 正直、答えは期待していなかった。が。
「決まったぞ」
 なんの衒いもなく答えが示されて不覚にも言葉に詰まった。
 一歩先を歩き出した友人の背中を慌てて追いかける。
「決まったって―――マジで?」
「そういうお前はどうなんだ?」
「っ、聞くなよ。全然いーとこ見つからねぇんだ」
「だろうな」
 軽く鼻で笑われてムッとする。こちらの機嫌が下降したことなど気付いてないのか素知らぬふりをしてるのか、鳥居の前で振り向いたヤクモが軽く左手でこちらへと招く。
「丁度いい。これから下見に行こうと思ってたんだ。お前も来い」
「―――来いってヤクモさん。それ、オレのバイクなんでスけど」
「他にバイクがあるか」
 いっそ天晴れなほどに悪気も負い目もなくバイクのハンドル握ったヤクモは堂々とのたまった。後部座席から予備のヘルメットを取り出してちゃっかり装着、残るはマサオミが乗るのを待つばかりである。
「そうじゃなくて、どーしてお前が運転すんだオレのバイクなのに」
「仕方ないだろう、オレがバイクを持ってないんだから」
「あのな! お前、免許とったんだからいー加減バイクぐらい買えよ! バイトで金貯まったんだろ!?」
 やってらんねーと嘆きながら渋々とマサオミが後部座席に跨る。
 ヤクモが自動二輪の免許をとったのはかなり前のことだが、一向に彼は自分用のバイクを買う気配がない。遠出の折りにはマサオミのバイクを問答無用で借りてくついでにマサオミ自身も強制的に引っ立てて行く。こちらは愛機を人質にとられたようなものなので何時でも何処でもヤクモの長期出張につき合わされる羽目となる。個人で購入すればそんな手間などかけずに済むのに。
「ったく、何のための免許なんだか………単独行動に制限ありまくりで不便だろが」
「単独行動を制限するためなんだからこれでいいんだ」
「へ?」
「行くぞ。しっかり捕まってろよ」
 僅かな疑問を覚えたのも束の間、急にハンドル切られて慌ててヤクモの服の端に手を引っ掛けた。
 そういえばコイツに運転任せるのは久しぶりかもしれない。流石に受験期間中は乗りっぱなしも控えていたからなと考える。
 普段とは少し異なるバイク上の春の景色が目に眩しかった。




 ―――さて。………結論から言おう。
 甘く見すぎていた。
 何がって、それは勿論―――ヤクモの運転技術を、である。
 マイバイクを持っていないヤクモはそもそも運転する機会が少ない。にしてはハンドル捌きもコーナリングもなかなかどうして見事なもので、ついでに速度の調節が絶妙で、赤信号で引っ掛かることがない。距離と速度と青赤の切り替え時間を測定しているのか、必ず赤信号になる前に交差点を通過する。無駄な急ブレーキ、急発進がない分、本来なら同乗者は非常に心地よいはずなのだ。
 はず、とゆーのはつまり。
 現実がそうではなかった、とゆー裏返しの表現であって。
 ヤクモは「ブレーキをかけない」のではなく「ブレーキなど存在しない」腕前を披露してくれるのだ。前述の交差点にしたって要は黄信号の時に全力で駆け抜けるから引っ掛からずに済んでるだけで、「ここの法定速度が時速何キロか知ってるか」と問い質したくなるほど鮮やかな疾走ぶり。警察に見つかればスピード違反の現行犯逮捕は確実だ。
 左折、右折を繰り返す複雑な辻においても直線と変わりない速さで角を曲がり、その際の遠心力でマサオミは何度飛ばされそうになったか分からない。車がすし詰めの現場では車間を縫って走り、鳴らされるクラクションにも耳を貸さないし、礼儀正しかった吉川少年は一体どこへ消えてしまったのかと泣きたい。かなり嘆きたい。
 そんなこんなで他人の運転に振り回されたマサオミは目的地についた時、既にK.O寸前だった。蒼い顔してふらふらとコンクリ壁に手をついたところに追い討ちをかけるように。
「なんだ、あの程度のスピードで。情けない」
 と告げられてやっぱり一度泣いておこうかとマサオミは思った。
 あまりのドリフト走行に恐れ入ってヤクモの腰にしがみつかざるを得なかったことも屈辱的だった。
(―――やっぱ、あいつに白蓮は貸せねぇ)
 愛機『白蓮』を守るためには面倒でも自らが運転手を勤めねばなるまい。単独でレンタルして大破させられたら大変だ。そう考えるマサオミはたぶんにヤクモの策にはまっているのだが気付いてない。
 気を取り直して改めて周囲を見渡せば、鬱蒼と生い茂る竹林の風情に感じ入った。近くに住居も少なくポツリと竹林の中に竹を組み合わせた戸が作られている。
 その戸を引き開けて中へバイクを停めると、ヤクモが少しだけ自慢そうにマサオミを中に招いた。
「かなり広いな? どーやって見つけたんだ、こんなとこ」
「父さんの知り合いの知り合いの知り合いから紹介してもらった」
 そりゃまた随分遠い伝手だこと、と笑いながら足を踏み出す。
 靴の下に敷き詰められた竹の葉がカサカサと懐かしい音を奏で出した。出入り口から数メートルで竹林に佇む旧家に至る。木造の平屋、静かで空虚な佇まいは人が住まなくなって久しいことを示していた。
 鍵はかけられていなかったのか、ヤクモの動きに合わせて戸はカラリと横に開かれた。薄暗い室内の気配は旧式の日本家屋を思い起こさせる。出身地が出身地であるためか、マサオミはこういった雰囲気がことのほか好きだった。
「おじゃましまーっす、と」
 軽く声をあげて上がりこむ。今時珍しく、しっかりとした土間が備え付けられた家だ。ここまで重厚な造りとなると明治時代にもそうは存在してなかったんじゃないかと思う。
「廊下の突き当りが物置だ。―――風呂場、洗面所、手洗い。で、ここが居間。こっちとあっちが和室」
「詳しいな。今日が初めてじゃなかったのか?」
「この前、間取りの確認だけしに来てたんだ。今日が最終確認てとこだな」
「おお、しっかり畳敷き! 床の間! 書院造みてえっ。欄間もあんじゃん!」
 掻い摘んだ説明だったけれど居るだけで楽しい家屋なんて滅多にあるもんじゃない。捜せば隠し通路のひとつやふたつ出てきそうだと口元に手をやってニンマリほくそ笑む。此処ならいつ遊びに来ても退屈せずに済みそうだ。
「なかなかいい家だな♪ やっぱモンジュさんの伝手はすげぇや」
「オレの苦労も認めてもらいたいな。―――お前、こういうの好きだろ?」
「? そーだな、アパートやらマンションやら近代的な造りよりはよっぽど心ひかれるな」
 彼からの問い掛けに他意なく答えて、けど、それがどうかしたかといつの間にか追い越していた相手を振り向けば。
 ―――何だかビックリするくらい穏やかな微笑に出くわした。
「そうか。………良かった」
「………おう」
 答えるまで間があいてしまったのは、笑顔に一瞬見惚れてしまったから、ではない。断じてない。
 年代を感じさせる床板とか、手に感じる木特有の冷たさと香りとか、晒したままにしてある天井の梁とか。冬場に居間のど真ん中に炬燵を設置したら永久に離れられなくなりそうな印象がある。夏場は縁側に寝転がって涼をとるのもいいだろう。
 木枠にはめ込まれた擦りガラスの戸を開けてヤクモが庭に下りる。
 後に続いたマサオミは、咲き誇る見事な桜に目を奪われた。
 天流遺跡に存在していたのと同じだけの齢を感じさせる幹は色が濃く、未だ三分咲きの枝は満開になればどれほど美しいだろうかとため息をつかせるに充分な威厳を備えていた。
「これ………」
「すごいだろ?」
 もう少ししたら皆で花見でもしようとヤクモは無邪気に笑う。
 どうも意識が俗物に向いてしまう己に嫌気がさしながらも、尋ねたくて仕方なかった言葉を口にした。
「………なあ、ヤクモ」
「ああ」
「ここってやたら広いし環境よさそうなんだけど―――借家なんだろ? 家賃、幾らだ?」
 ひとりで住んだら孤独を感じそうな程に広い家。室内も庭も折りにつけ人の手が入っていたようだし、たとえその後の整理整頓を全てこちらが担うとしても、とんでもない値がつけられているだろうと思ったのだ。
 並んで桜を見上げていたヤクモはあっさり言い放つ。
「月、二万」
「にっ………!!?」
 それ、は―――。
 破格、にも程があり過ぎやしないだろうか。
「二万て!! どんな姑息な手を使えばンな殺生な値段がまかり通る! 家の維持費! 敷地面積! ガス水電気全般光熱費はこっち持ちだとしてもアレだけでかい風呂と床の間つきでその価格なんてありえねぇ! もしやモンジュさんが裏闘神士会のドンだってのは本当だったのか!?」
「………父さんに対する暴言はスルーしてやろう。それに、別に無条件で安くなってる訳じゃない」
 ヤクモが手招きするのでつっかけ引きずりながら追いかける。彼が促したのは桜の木の裏側で、周囲が竹林から一般の雑木林に変化しただけと思われる場所だった。
 のだ、が。
「―――!」
 眉をひそめ、唇を引き結んだ。
 昼でも尚薄暗い木の『裏』に静かな闇が蟠っている。それは深く穏やかに凪いで、けれども少しでも加減を誤ったならば途端に暴発しそうな危険を孕んで。
 桜、は。
 この国の民族に好まれ美しく咲き誇り、魔性を宿し、ヒトならざるモノたちまで引き寄せ翳りを帯び、それ故にまた一層儚さと荘厳さを増すのだと。
 教えてくれたのは誰だったか。
「見ての通り、いつ<禁域>に通じてもおかしくない状態だ。『陰』の気で満たされているから妖も溜まり易いしな」
 いまの<禁域>はかつてほど危険な場所ではなくなっている。しかしそれでも、『此処』とは異なる場所への直通回路が開けば王都の守護に関わる。東西南北に張り巡らされた<封印の塚>を新たに設ける必要が出てくるかもしれない。
「なるほど」
 だからか、とマサオミは頷いた。
「要はこれの見張りといざって時の封印役も兼ねてるんだな? で、お前に対する月々の支払い分が家賃から差っぴかれてるってー感じか」
「学生気分にかまけて闘神士の任を降りる心算は毛頭なかったからな。願ったり叶ったりだ」
 その物言いがあまりに『らしく』て笑った。
「………ここで花見するってか? 急に<道>が開いたらどーするよ」
「問題ない。その場で封印するだけだ」
 さらりと言い置いたヤクモがくるりといま来た道を引き返す。
 笑いが抑え切れなくて、くすくすと笑みを零しながら彼の背中を見送る。僅かに視線を上げれば色づき始めた花びらが目に入って、そうか、こういう方法もあったんだなと思った。日々を修行の一環と捉えるならば、常に『非日常』と向き合っているようなヤクモの選択肢は存外正しいのかもしれない。
「ヤクモ」
 気分よく声をかければ既に相手は縁側に上がる寸前で、つっかけを脱ぐ直前の体制で律儀にも首だけ振り返る。
「この家の所有者とか、あるいは似たよーな立場にいる誰かと連絡ってつけられるのか?」
「大丈夫だが―――気になることでもあったか?」
「そーじゃなくてさ。見張り役と兼任だとしてもこんだけ家賃が安いんなら一考に価すんじゃないかと」
「………つまり?」
 物凄く訝しげに身体ごと振り向いた彼に頼んでみる。
「オレにもどっか紹介してくれよ。交渉は自力でするからさ」
 最初からこうしていれば良かったのかもしれない。太白神社や闘神士の関係者は全国に散らばっている。どれだけ細かろうとも頼りなかろうとも使えるコネは使えるだけ使う。苦学生が生き残る道はそれしかない。
 晴れ晴れと宣言したマサオミを珍妙な動物でも見るような目つきでしばし見遣ったヤクモはやがて、物凄く意外そうな声で物凄く意外なセリフを発した。
 曰く、なに言ってんだ、と。

「お前も此処に住むのにか?」

 ………。
 ………。
「………………はい?」
 ごめん。
 いま、何かものすごーくおそろしーい幻聴が聞こえた気がする。
「お前―――って」
「お前だ、お前。大神マサオミ」
「何処に」
「此処に」
「………………誰と」
「オレと」
 笑うでも怒るでも企むでもない表情で当然のように告げられて。
 真っ白に塗り潰された思考回路が遅まきながらにグルグルと回転を始める。結論など考えるまでもなく最初から導き出されていたけれどどーしても認めたくなかったっつーか出来れば間違いであってほしかったっつーか何つーか。
 じゃ、なくて。
「………待て待て待て待て、一体いつの間にそーゆー話になったんだ? オレは聞いてないぞ」
「お前の趣味に合わなかったらどうしようかと思ってたが、気に入ったみたいだし問題ないな」
「聞けよ、ヒトの話!!」
 カンペキ我が道行っちゃってる伝説様は悪びれる様子も謝る気配もない。
 どれだけ頑張って記憶を遡ってみても該当するセリフに思い当たらない。祝いの席だろーと酔った弾みだろーと自分が承諾するはずもない話題がある。ヤクモとの関係なんてその最たるもので、到底、こんな突然の申し出なんて受け入れられるはずもない。
「大体、お前の選んだ家はどれもこれも狭すぎるんだ。あんな環境でふたりも住めると思うなよ」
 もとよりマサオミはひとり暮らしのつもりだったので選択基準が異なるのは当たり前なのだが。
「という訳で。お前が仮契約してたとこは全部解約しておいてやったぞ、感謝しろ」
「―――は?」
 いま、なんと仰いましタカ。
「ちょ、ま、か、かかか解約って解約!? オレが苦労して探し出したそれなりにイケてる物件全部!?」
「無論だ。ここと比べてみろ、何処も高いし狭いし」
「比較対照が間違ってるっつーの! じゃなくて、なに勝手にヒトの契約反故にしてんの!? 幾らなんでも前触れなさすぎだろ!! 大体ワークシェアリングなんて想定外で!!」
「ルームシェアもしくはルームメイトと言いたかったのか?」
「マッシュルームでもムーンフェイスでも何でもいい! とにかく、お前の無謀には―――」
「月、二万」
「う゛」
 悪魔の囁きにピタリとマサオミが動きを止める。
「折半すれば、頭で一万」
「う゛」
「大学まで徒歩十五分、バイクで五分、近くにコンビニ・スーパーあり。閑静な住宅街、自然に溢れているが十分も歩けば繁華街。ついでにハッピーチェーンもある。何が不服だ」
「う゛う゛う゛―――………」
 何が不服って、そりゃー勿論。
 同居せざるを得ない誰かさんの存在が一番問題なのだが―――確かに他の条件はどれもこれも素晴らしいものばかりだ。他所の不動産屋ではどんなに頑張ったところで月三、四万の家賃は免れない。
 目が眩みまくったマサオミはその場に蹲って考え込む。
 ………高校時代のあの一件以来、なんだかんだ言いつつ一緒にいる時間は長かったと思う。受験勉強を名目によく吉川家に遊びに行ったし、試験が終わってからも今度は羽を伸ばすべく一緒に色んなトコに出かけたりもした。
 ただ、それらは基本『日帰り』で、出会った頃から一貫してマサオミは彼の家に『泊まり』はしなかった。それでも前より関係は密になってた気がするから、少し離れてもいいんじゃないかなーと思った矢先にこの仕打ち。
 なんだ、これ。
 何か恨みでもあるってのか。
「か、考えさせてくれ………」
 やっとの思いで搾り出したのはそんな情けない一言で、男らしくないなあと思いつつも思考回路が逃避を訴えるのだからどうしよーもないではないか。
 たぶん、喜んで承諾すればいいだけの話だ。誘い手はあんなにあっさりしてるのだから動揺してる自分が変なのだ。折半すれば安くなるとか、学友の苦しい台所事情とか、そーゆーのを考慮したに過ぎないヤクモからの有り難いだけの申し出なのだから。
 ふらふらと立ち上がりよろよろと歩き壁についたてのひらは哀れにもカクカクと震えている。
 呆れたように微笑ましそうにじっと瞬きもせずにこちらを見詰めていた学友は、やがて堪え切れないように笑い出す。穏やかであたたかいのに、妙に揺ぎ無い微笑みを。
「―――マサオミ」
「ん?」
「オレは、幸せだな」
 あまりにも堂々と、迷いなく、真っ直ぐこちらを見詰めながらそう言い切ってくれるから。
 洒落たセリフも小粋な言葉も返せるはずもなくマサオミはそっぽを向くことでそれに答えた。
「………………ヤな奴」
「そりゃどーも」
 貶してみても堪えない相手にマサオミはそっとため息ついた。




 ―――さて。
 どーすればいいのやら。
 ぼろアパートに戻ってきたマサオミの思考はそこで停止したまま微動だにしなかった。
 ヤクモを自宅まで送り届けて(流石に帰りは運転させてもらった)、夕食の誘いを断って代わりに弁当屋で弁当を購入し(牛丼は一日一回までとナナにきつく約束させられた)、これらの作業をほぼ無意識の内にこなして帰宅したのだ、が。何弁当を買ったのかどんな味がしたのかも記憶にない。ひたすら眉間にしわ寄せながら食されては食材も堪ったもんじゃなかっただろう。
 風呂に入って着替えて髪を乾かして布団を敷いて電気を消す段階になって漸く精神が若干の回復傾向を見せる。しかしそれだけと言えばそれだけで、電気を消して窓から差し込む月明かりと正面から向き合ってみても明確な答えが浮かぶ訳でもなく状況的にはまったく進歩が見られない。
 嫌―――な、訳じゃ、ない。
 一緒に暮らしたら楽しいだろう。確実に。面倒が多くとも、誰かと共に暮らすのは基本的に愉快なことなのだと高二の時点で己は体験している(誰と同居した際の体験と比較しているのかバレたらヤクモが怒りそうだ)
 嫌―――な、ことも確かで。
 この時代に残ると決めてから、彼らにおんぶに抱っこな己に自尊心が僅かに疼いている。手を貸してもらわなければ浮き草に過ぎない自分が生活できないのは明らかで、でも、全て預けてしまうのは主義じゃない。
 高校時代より大学時代のがベッタリって、なんだか目も当てられなくないか?
「………頭でも冷やしてくるか」
 折角着替えた寝巻きからもう一度普段着に着替えて、常の癖でリュックサックを背負って部屋を出た。
 埃っぽい、傾いだ階段。体重をかけるたびにギシギシと限界を訴える家屋。立て付けの悪い戸を押し開ければ真っ向から白銀の月明かりと対峙する。目を細め、静まり返った夜闇の中、付き合いの長い愛機に腰掛けた。
 一度だけ、瞬き。
 やや視線を俯けてヘルメットを被り、キーを差し込む。
 刹那。
「―――へ?」
 ぐるっ!! と視界が180度反転。
 浮遊感、眩暈、無重力空間に投げ出されたような不安定さ、世界が暗転。
 次の瞬間。

 ―――どさっっ!!

「って………!!」
 勢いよく地面に叩きつけられて思わず呻いた。ヘルメットを被ってなかったら頭だって打ってたかもしれない。柔道の投げ技をくらったような見事な360度回転及び眩暈及び転倒。奪われた自由の片隅で認識したのは何らかの術が発動したらしき気配。
 何だってこのタイミングで、と痛む体の節々を抑えつつ。
 アパート手前のコンクリとは異なるやわらかな黒土に手をついて、起こした上体の先で出迎えたのは。
「れ?」
 今日の昼間に眺めたばかりの桜の樹。
 月と暗闇を背後に従えて夜の暗さにおいても鮮やかな彩り。
 何だっていきなり自宅からここまで飛ばされてるのかと混乱する。立ち上がってズボンについた埃を払い、やや呆然としつつ目の前の巨木を見上げれば。
「やっぱり来たか」
 諦観を含めた微妙な声音が静寂を打ち破った。
 瞬きと共に振り向けば、締め切ることを忘れた雨戸に肩を寄せ、首にタオルを引っ掛けた人物と目が合った。
 まあ、何だ。
 もう彼は此処に住むと決めているのだからいたっておかしくないのだけれど。
「―――ヤクモ?」
 呟きには答えず家主は中に身体を引っ込める。小走りに駆け寄って靴を脱ぎ捨て縁側によじ登った。
 廊下から障子を隔てて続く居間には簡素な卓袱台がぽつねんと置かれている。必要最低限の家具しか運び込まれていない室内は、旧式の黒電話や白茶けた冷蔵庫と相まっていまが何時の時代なのかを忘れさせそうだった。
 印象的には昭和初期とか、その頃の。
 冷蔵庫から取り出した飲み物―――未成年のくせに風呂上りのビール―――に、口をつけてヤクモは柱にゆっくりと背中を預ける。
 ………微妙に相手が怒ってる気がするのは何故だろう?
「なあ、ヤクモ」
「なんだ」
「やっぱり、つったな? オレを呼び出したのはお前か?」
「ああ」
 素直に彼は容疑を認めた。
 種は簡単だ、マサオミがバイクのキーを回すのを合図に『転送』の意を篭めた符が発動するようにしておけばいい。そんな細工をする暇があったのも、する必要がありそうなのも、目の前でのうのうと酒を飲んでいる人物しか該当しない。
「用があったんなら明日でもいーだろ。もしくは闘神符を使え、闘神符を」
 一先ず当たり前の内容で文句をつけてみると、何処か冷え切った態度でヤクモがこちらを見据える。
「罠を仕掛けたことは認める。が、発動するかどうかはお前次第だった」
「意味がわからん」
「お前が『逃』げようとしたら、その気配を察して発動するようにしておいたんだ」
 微かに、マサオミは眉根を寄せた。
 そんな器用な真似できる訳ないと考える一方で、コイツならやりかねないとの思いもある。
「誤解だ。単に夜風に当たろーと思ってキーを入れたら途端にだな」
「じゃあ、背中にしょったそれは何だ」
「じょ―――条件反射だって。ほら、やっぱ手ぶらだとなんかさみしーからさっ」
 そそくさとリュックサックを下ろしてヘルメットと共に足で部屋の脇へ追いやる。
 表情の変化を全く見せないヤクモは何を考えてるんだかわかりゃしない。前はもう少し分かりやすい性格をしてたのに、最近は鉄面皮を身に着けて随分とカワイクない性格に成長して下さったものだ。どちらかといえば近頃は自分ばかりが彼に振り回されている。不公平だ。
 何故か後ろめたくてあらぬ方向を見詰めていると、
「まあいい」
 柱に預けていた身体を起こし、卓袱台の上にタン! とヤクモが空き缶を置く。
「やはり人間、相互理解が大切だ。お前とは一度膝を割って話したいと思っていたところだ」
 空いた手ですぐ傍にあったマサオミの右手首を捕まえてズルズルと引っ張っていく。あまりに自然な動きだったから咄嗟に振り払うことすら出来なくて。
「バーカ、それを言うなら腹を割って話し―――」
 軽く笑い飛ばそうとしていたマサオミは。
 ガラリと引き開けられた襖の向こうに待ち構えていたものを確認して固まった。一歩遅れで通過しかかった敷居の上を柱に手をかけることで食い止めて。
「―――ちょっと待て」
「文句でもあるのか」
「話し合うこと自体に文句はない。むしろ最初からそうすべきだったとすら思う。………だが、話し合いは冷静に行うべきものであってそれは別にそっちの部屋ではなく卓袱台のあるこちらの部屋でも構わないのではあるまいか」
 マサオミの口調は微妙におかしくなっている。
「具体的に言おう。………何も寝室で話す必要はないんじゃないか? 布団が座布団がわりか?」
 ―――そう。
 連れ込まれかけた部屋にはしっかり布団が敷いてあった。ただそれだけのはずなのに妙な拒絶反応が、どっかの誰かが緊急避難命令を発している気がするのだ。しかも、かなり切実に。
 心なしか手首を引っ張る力が増していて、少しずつ引きずられた両足は間もなく敷居を越えそうな域まで到達している。
「確かに、話し合うだけならどこの部屋でも構わないな。―――でも」
 ヤクモがにっこりと微笑んで。
 マサオミは無意識の内に左腕で柱を抱え込む。

「オレが膝を割ってお前が膝を割られる以上、背中が痛くない方がいいだろう?」

 ―――かみさまほとけさまもんじゅさま。
 じゅーはちねんてしおにかけてそだてあげたおたくのむすこさんは。

 ………なんだかまちがったそだちかたをしてしまったようです。

「せっ―――背中、ってなにかなーっ。ヤクモさん?」
 全身からダラダラと冷や汗が流れ落ちる。
 冗談だ。冗談に決まっている。ヤクモはちょっとばかりこの手の情報に疎いからどっかで誤った知識を仕入れちゃっただけで決してそんな意味で先刻の言葉を発した訳―――。
「だから、オレがお前を抱く時に床では冷たいし痛」
「だぁぁぁ―――っっ!!? ストップストップスト―――ップっっっ!!」
 無理矢理の大音響で先の言葉をかき消した。
「これまでお前には何度も驚かされてきたけど今日が一番だよ!! なにトチ狂ったことゆってんの!? 発言内容理解してんのか! わかってんのか! 並んで添い寝レベルならいいけどなっっ!!」
「折角夜更けにお前が尋ねてきてくれたんだ。ひとはこの状況を据え膳食わぬは男の恥と言」
「言わない! 言わない言わない! 言うとしても異性相手だぞその言葉っっ!!」
「オレの辞書の中ではお前相手でも適応される」
「捨てろ、そんな辞書! つか乱丁だよ! 落丁だよ! 返品しろそんな物!! あっ、そーだっ。お前さっき酒飲んでたよな? きっと酔っ払って冷静な判断が―――」
「アルコールを摂取すると感度がよくなると聞いたことが………ああ、その場合はお前に飲ませるべきだったのか。仕方ない、それは次回、」
「次があってたまるか!! って、なにその三流AVなみの設定!!」
 もはや敷居を挟んで互いに意地とプライドをかけての綱引き大会だ。既に片足踏み込んでしまってるマサオミは非常に分が悪い。
 しかしここで踏ん張らなければ色々と大切なものをなくしそうな気がする。
「いいか? オレたちってばまだ十八だぞ? 若人だぞ!? どっちかっつーとグラビアアイドルの写真集を見てウハウハしたり親の目盗んでヤバい本買って深夜にひとりでマスかくのがセオリーじゃね!? 何がかなしゅーて同年代の男相手に初体験を失わねばならんのかね!!?」
「じゃあいま現在お前は夜の始末をそこらの書店のエロほ」
「エロ言うな―――っっ!! 禁句! それ、お前は禁句!! 変な単語を覚えてくるなっっ、泣くぞオレは!! 冗談にしてもタチ悪っっ!」
「安心しろ。本気だ。それに、どうせ泣くならオレのしたで鳴」
「やめろっつってんだろ!!?」
 ことごとくセリフを遮ってくれるマサオミの態度にいい加減腹が立ったのか、ヤクモが物凄く不機嫌そうに眉を顰める。本当の意味で怒ったり拗ねたりすることの少ない彼がひとたびそうなってしまうと機嫌が治るまで非常に苦労することは経験上知っている。
 でも、ここで譲るのが得策とは思われない。
 譲ったが最後、泣く羽目になるのはマサオミなのだ(色んな意味で)
「………面倒だな」
「へっ?」
 ぼそりと不穏な呟きが聞こえた次の瞬間。
 体重を支えていた左足を払われて転倒する。柱に捕まっていた腕まで外れて「ヤバい」と思うより先に転送された際と同じように視界が反転。
 痛みにほんの一瞬瞳を閉じたが、襲い掛かる殺気(?)に慌てて両手で顔面をカバーする。
 敵の右手首を左手で、左手首を右手で受け止めて、背中に感じる布団の柔らかさに投げ技の正確さを思い知る。ギリギリと僅かな空間を挟んでの鬩ぎ合いに房事の色っぽさなど望むべくもなく、これは既にプロレスか耐久レースだ。
 上から圧し掛かってくるヤクモは忌々しげに舌打ち。
「こ、の………っ、往生際が悪い………!!」
「悪くて悪かったな―――っ!! あのな、万が一こうなるとしたらこれまでの話の流れからしてオレが上なんだよ! やんないけど!! 逆の立場ならお前は素直に頷いたかっっ!?」
「お前がそうしたいならオレは構わん! しかしいまのお前がオレを見て勃つとは到底おもえな」
「ぎゃ―――っっ!? なに放送禁止用語カマしてんだお前っっ!! バカ! このバカ! おとーさんとおかーさんに謝れっっ!!」
 どれだけ頑張ったところで全体重+重力を味方につけているヤクモが圧倒的に有利だ。足で蹴飛ばそうにも、ヤクモはこちらの腹の上に座っているのだから懸命に両足を動かしたところで蹴るのは空気ばかりである。
 冷静だ! こんな時ほど冷静になるんだオレ! と叱咤激励してみても相手は妖怪よりも厄介な男である。
 現実は無情だ。
(どーする! どーするオレ!? ってCMが昔あったな―――って、そんな連想してる暇ないんだっつの! いかん、このまま流された場合ふたり揃って『初体験の相手は親友ですv』な何ともしょっぱい事態に………!!)
 ヤクモは酔っ払っている(と、マサオミは頑なに信じている)のだから決して斯様な過ちを犯す訳には行かないのだ。
 ぐるぐると思考を巡らせていると、ふと腕にかかる力が弱くなった。
 不思議に思い、逃れがちだった目を改めて相手に向ければ、先刻まで不機嫌全開だったはずのヤクモが何故か悲しそうな表情になっていて。
 静かな、落ち着いた瞳で問い掛ける。

「―――そんなに、イヤなのか」
「………」

 そしてマサオミはヤクモのそんな態度に滅法弱かった。
 ヒト、それを『惚れた弱み』と呼ぶ。
「あ〜………別に、お前がキライとかではなく………」
 僅かに視線を逸らして語るがどうにも歯切れが悪い。
 ヤクモのことは惜しみなく大好きで文字通り命をかけても惜しくない相手だと思っている。けれど、一線を越えたいかと訊かれれば確実に首を横に振る。あくまでも付かず離れず、遠くから見守っていたい心境なのだ。
「―――まあ、その、なんだ。ぶっちゃけお前に惚れてるとゆー事実は認めよう? しかしオレとお前はもともと敵同士から始まって紆余曲折を経てよーやくおともだちレベルに至った訳で、その次のステップがこれって何かおかしくね? とゆー話をオレはしてるんであって」
「段階を踏めということか?」
「第一、オレはお前に告白してないしお前もオレになんも言ってないだろ」
 先刻の『お前に惚れてる』発言はノーカウントである。
 落ち込んでたヤクモが少しだけ不満そうな色に表情を変える。
 おそらく、ではあるが。彼の中では疾うに『告白』は済んでいたのだろう。この天然な伝説様の性格から考えて、例えば「同じ大学に行くぞ」宣言=プロポーズと捉えていた可能性も充分以上に有り得るので侮れない。
「なら、どこから始めればいい」
「どこからって―――」
 返答に窮して口ごもる。
 始めるも何も始める必要がない、なんて口が裂けても言えない。
 まず、現在陥っている状況は論外。抱き合ったりキスしたりも自分が卒倒しそうだから問題外。要はボディタッチ全面禁止。布団を二組並べて眠るのはギリギリセーフ。手を繋ぐのも人前じゃなければ耐えられそうだが恥ずかしさに憤死しそうなのでやっぱりやりたくない。
 あれもダメ、これもダメ、と片端から「X」で消していって残された結論ともなれば。

「………文通、とか?」
「………………」

 がっっっくり、とヤクモが項垂れた。
 幾ら何でもそれはないだろう、この現代社会において! と無言の訴えが聞こえてくる。しかも今更「文通」って、『友人』よりもレベルが下がってるように思えるのは気のせいですか。
「そうか。―――よく分かった」
「………ヤ、ヤクモさん??」
「ナナの言ってた通りだ。どうやら、お前の意見を聞き入れてたら何一つ進展は望めないどころか後退する一方らしい」
「はい?」
「決めた。やっぱり今日はこのまま押し切らせてもらう。何の準備もしていないが己の不運を嘆くがいい」
「はいぃぃ―――っっ!!?」
 押し切らせてもらうって何だ、不運を嘆くって何だ、まるで悪役のようなその口ぶりは何だ。
 ナナに何を吹き込まれたんだか知らない、が、いずれにせよ説得に失敗してしまったようだ。いつまで経っても基本的にはすれ違い、互いのためを思っての行動がことごとく裏目に出るのが神流と天流の関係である。
 腕に先刻以上の力が加えられて危うくそのまま押し潰されそうになる。
 ピンチだ。
 とてつもなくピンチだ。
 無理に浮かせた両腕と枕との隙間はもう何センチもない。
「あ、ああああのさあヤクモっっ。やっぱ無理強いはよくないと思うんだよな、オレ! こーゆーのって合意の上に行うモンだろ!? メンドくさいからって途中の手続きを省くのはさー!!」
「まあ、あれだ。実はウチで先日『言うことを聞かない相手に言うことを聞かせる有効な手段は何か』という家族会議を開いたんだが、結論としては一に説得、二に懐柔、三、四がなくて五に実力行使(※既成事実)と」
「あほか―――っっ!! なんつー実りのない家族会議ひらいてんの!? 終わりだ! 終わりだよ吉川家!! 大体お前がいつオレを懐柔したよ!?」
「しただろう。月、二万だと」
「あれが懐柔か――――――っっ!!?」
 いかん。ヤクモの目が据わっている。
 限界を訴えている両腕が力尽きた瞬間に今後の力関係(主にそっち方面)は確実に決定されてしまう。ヤクモが譲歩しそうだった時に布団の上から逃げ出しておかなかった判断の甘さを呪った。
「お前はオレに幸せでいてもらいたいんだろう? だったらその前提条件をまずクリアさせろ」
「前提条件を改めろ! 拒否! 断固、拒否!! 幸せとは外に求めるものではなく内に求めるものであってましてや他人の肉体にあるはずは―――」
「安心しろ。とりあえずこーしておかないとお前に逃げられそうな予感がするから手を打っておくだけで、実際にオレが欲しいのは精神的なものだからな」
「逆に逃げるわ、ボケ! 言ってることとやってることが食い違いまくってんだよ!! 人生ヤっていいこととヤって良くないことが―――って、へ? え?? ふ、ふぎゃ―――っっっ!!? ………」




 ―――その日の夜に。
 果たして彼らの間に何があったのか、詳しく語ることはしないけれど。
 少なくとも日常生活における上下関係が決定し、マサオミがヤクモと同居せざるを得なくなったことだけは確かなのであった。

 

 


………ほのぼの?(疑問形)

作中に出てきた「白蓮」の使用許可はちゃんとご本人様にとってありますのでご安心を〜(笑)

「膝を割って話そう」のネタは『っポイ!』から勝手に拝借。失礼☆

 

でもこのふたり、結局、最後まで行きません(笑)。この直後にマサオミさんが土下座+シーツに包まって

全身みのむし化+部屋の隅に蹲るの三連コンボをかまし、ヤクモさんの意欲を削ぎました。

神流が原作よりも純情一直線で非常に申し訳なく―――とてもじゃないけどこの話で(目的は違えども)ヤクモさんを

押し倒したヒトとは思えませんネ!! でも、パラレル本編の彼も実際はこんなもんだと思います(………)。

文通オチを自分の他作品でもやった気がするんですが思い出せません。 ← 調べろよ。

マサオミさんのノーミソが平安人レベルと考えると、「文通」は決して後退じゃないんだけどな〜。

 

ちなみに、今回の話をヤクモさん視点で読み解くと「シャイな彼女(?)のために影で奔走する彼氏」っつー話に

なるから何ともはや。ほら、あれですよ、彼女(誤)がひとり住まいを始めちゃう前に親まで動員して

彼女好みの家を探し出して、彼女が本契約しそうになったら捏造した『代理委任状』で解約して(違法です)、

頃合を見て家へ連れ込んで、気に入ったのを確認してから同棲の件を切り出すのですよ。

………すいません、なんだかストーカーにしか見えな(強制終了)

 

本編ルートではこんな明るい(?)未来は訪れそうにないので書いててとても楽しかったですv

こんな作品ですが少しでも喜んで頂けたら幸いです。リクエストありがとうございました♪

 

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