※リクエストのお題 → 『陰陽大戦記』、マサオミの子孫が出てくる話の続き。

※八卦図の間に置いてある『頼むからもぉほっといて』の続きです。

※詳細は上記の作品をご覧下さい(省くなよ)

 

 

 穏やかでうららかな春の日。おろしたての学生服に身を包み新しい学び舎に訪れる新入生たちの表情は一様に輝いている。校舎沿いの桜がこれでもかと花びらを散らせていて、ああ、花が散りきってなくて良かったなと素直に喜びながらもヤクモの気持ちは新人とは異なりかなりの部分で曇っていた。
 教室で「君らも高三なんだからいい加減しっかりね」と語る担任の有り難くも眠たい訓示に耳を傾けた後で講堂へと向かう。新年度の式典に参加するのは毎年の定例行事である。
 ため息つきつつ廊下を歩いているとヒトハに肩を強く叩かれた。
「こーら、ヤクモっ! 初日からなに落ち込んでんのよっ。テンション低い!」
「―――低くもなる」
「なぁに? オリエンテーションがそんなにめんどくさい?」
 小学生からの腐れ縁であるヒトハは訝しげに首を傾げた。
 確かに、オリエンテーションはめんどくさい。小学校時代ならともかく、今時、学年間の交流を促進するために高三が高一に校内を案内してやるなんてナンセンスだと思うのだ。
 しかし………それ以上に。
「新入生、がな」
 言葉を濁す、が、意外と察しの良い幼馴染はもしかしてと頷いた。
「知り合いでも居るの?」
「居ると言えば居る」
 かなり一方的かつ強引な知り合いが。
 高三に割り当てられた席に座り、眠気を堪えつつ校長やら教頭やらのお言葉に耳を傾ける。式典の時間の都合上いつからか新入生の名前を総て読み上げるイベントは削除されたのだが、そっちより校長と教頭の演説時間をひとり頭5分にしろよとゆーのが大半の生徒の意見であり、未だかつてそれが聞き入れられた験しはない。
 高三の代表が新入生歓迎の言葉を述べる。
 次いで、それを受ける形で高一の代表が祝辞を述べる。
 高三の代表イコール生徒会長、と代々決まっているのであまり話題にのぼることはない。しかし、高一の代表はちょっと違う。入試でトップ通過を果たした者が新入生代表に選ばれるのだ。
 どこの学校にも必ずひとりは一位通過がいるのだから別におかしな話ではない。ただ、入学初日から全校生徒に顔をさらすことになるので肝が小さい人間には務まらない大役である。実際、去年や一昨年の新入生代表は声が震えていてお世辞にもカッコイイとは言えなかった。
 今年はどうかな―――なんて興味をそそられつつも先刻までの訓示やら答辞やら祝辞やら何やらでヤクモは確実に夢の世界に足を踏み入れつつあった。意識の半分と聴覚だけを壇上へと向けて体裁を整える。どうせこの席では壇上など見えやしない。
 新入生代表が壇に上がったのだろう、周囲が微妙にザワめいた。
『―――春の息吹感ずるこの頃―――』
 声と態度だけは堂々としているようだと少し感心する。
 姿勢が良くなければこれだけ朗々と響く声は出せないはずだ。壇上のマイクはタチが悪いので僅かに舌を噛んだだけでも妙にくぐもって汚職を問い詰められた政治家のように歯切れが悪くなる。
 閉じていた目を努力して開けて、少しは新入生代表の姿を見てやろうと考えた。これだけ見事な答辞を述べたのであれば、きっと、今回の代表は校内の有名人になるだろうから。
 間もなく終わるな、と面を上げた瞬間。

『―――以上! 新入生代表、大神マサフミ!」

 ぐわった――――――ん!!!………

 会場中に音が鳴り響き。
「………なにやってるの?」
「………………別に」
 ヒトハの質問にどうにか答えつつ。
 パイプイスごと転倒したヤクモは床に頬をつけた体勢からしばらく復帰できなかった。

 


― 安全第一 ―


 

 ―――それは思い出したくもない春休み終了間近なある日の事。
 神社に参拝しに来ていた少年に声をかけたのが全ての過ちの始まりであった。出会った少年は確実に誰かの面影を受け継いでいて、観光に訪れていたリクと言い合う様は軽く眩暈を感じさせた。
 以来、リクが京都に滞在している間は張り合うように神社を意味なく訪れて無意味なバトルを繰り広げてくれた。ここ数日はなりを潜めていたけれど、自分と同じ制服を纏っていた以上、嫌でも接点がある訳で。立ち去り際のリクは「何かあったら僕を呼んでください。すぐに駆けつけますから」と真摯に訴えてきたが、素直に好意を受け取るのも微妙に憚られる昨今である。
 まあ、そんなことまで同級生たちに語ることもないが。
「悪い子には見えなかったけど?」
「性根が悪くなかろーと何だろーと他人に迷惑をかける人間は確実に存在する」
「掃除当番をしょっちゅうさぼるヤクモみたいに?」
「レベルが違う」
 入学式典から戻ってきたばかりの教室はザワめいている。机に突っ伏したヤクモは訥々とくだんの『知り合い』について話したがヒトハは同情してくれる気配もない。尤も、「男に告白されました」なんて憤死しそうな展開をヒタ隠しに隠した上で説明したものだから、最初から無理があったのだが。
 ヒトハは入学案内の用紙を捲る。
「もうオリエンテーリングだよ。一年の教室まで行かなきゃならないんだからそろそろシャキッとしなよ」
「………分かってる」
 深いため息をついて面を上げた。
 手元のプリントには高一と高三の対応表が綴られている。基本的には出席番号順で組み合わせが決まるのだが、新年度早々に休んでいる面子がいたり人数の関係で出席番号がズレ込んだりと少しずつ訂正が加えられている。誰が自分の担当になるのか、案内される側の一年生は当日ようやく知らされるという。
 タチの悪い生徒の中には、適当に辺りをぶらつくだけで校内案内を終了したり、教室に迎えに行かないで一年生に待ち惚けを食らわせたりする者もいる。「高校生にもなってこんなんやってやれるかよ」とゆーことらしく、確かに同意したくもなるのだが、後輩に意地悪をするのも大人気ないと思うのだ。
 でもやっぱり、一年の教室に出向けば高確率で遭遇するだろう人物を思うと頭を抱えたくなってくる。クラスメートたちはゾロゾロと散会しつつあるが以前としてヤクモの腰は重い。
 グズグズと机に顔を突っ伏していたところ。

「ああ、やっぱり此処に居た!!」

 不幸にも聞き覚えのある声に跳ね起きた。
 突然に鳴り響いた声に動揺した周囲と共に音の発信源を辿れば視線は自然と窓へ向く。
 果たして、そこには。
 ………ヤツが、いた。
 へらへらとご先祖様譲りの笑みを浮かべながらご先祖様より幾分サイズのちっさい身体を窓枠にぶら下げている。つまり、奴は高三の教室―――三階―――まで外壁をよじ登ってきたらしい。
「お前………!」
「あらためておはよーございますヤクモさん! なかなか迎えに来ないからオレの方から来ちゃったヨ♪ シャイなのもいいけど人間もっと積極的に生きないとね!」
「何の話だ、何の! 上級生の教室を訪れるならきちんと扉をくぐれ!」
「オレってば校内の構造まだよく知らないしー? 窓際でヤクモさんが誰かと話しこんでるのが見えたからさ、だったらよじ登った方が早いじゃん?」
 こう見えてもロッククライミングは得意だから! 落ちない自信があるから! と胸を張るマサフミ少年をいますぐ窓から突き落としたくなったのは秘密である。
 驚きに固まっていたヒトハが我に返って問い掛ける。
「あなた、確か新入生代表の―――」
「大神マサフミです、はじめまして」
 窓枠にしがみ付いたまま深い一礼をしてヒトハと握手する。
「ヤクモの知り合いなの?」
「恋人です」
「え?」
「ち、が―――うっっ!!」
 スッパーン!! と、思わず手近な教科書でマサフミの頭を叩き込んだ。途端、「きゅっ」と被害者は呻き声を上げ、逆にヤクモが同級生たちから非難の眼差しを浴びることとなる。
「ちょっとヤクモ! 新入生に何してんのよ!!」
「ち、違うんだヒトハ! こいつは確かに新入生だけど単なる新入生ではなく!」
「運命の赤い糸で結ばれた新入生です♪」
「復活が早いんだよお前は!!」
 こめかみに怒筋を浮かべたヤクモはここが高三の教室であることも忘れてマサフミ少年の肩をグイグイと外へ追いやった。
「いいからお前は帰れ! すぐに帰れ一年の教室に! むしろ落ちろ! 天然スパイダーマンの貴様なら超高層ビル地上300メートルから落ちても傷一つ負わないとオレが保証してやろう!!」
「ヤクモさんが庇ってくれるから?」
「何故そんな理屈が出てくる!!」
「ほら、愛ってすれ違うものだし」
「貴様との間には友情すら成立していない!」
 照れなくてもいいのになあと勝手なことをほざいた彼はニンマリ笑ってポケットから紙を取り出した。
「ふっふっふv これは何でしょう?」
「紙」
「ただの紙じゃないんだな、これが。やっぱ運命かな?」
 突き落とそうとしていた腕を一時的に止めて、眉を顰めながらもヤクモは再度、紙の表面を見詰め直す。冒頭には「オリエーテーションの案内」の記載があり、その下にはクラスメートの一覧と対応する高三の名前が―――。
 出席簿の一番目から十番にも辿り着かない段階で見る見るヤクモの顔は青褪めていった。
「いっやー、ほんとまさかねー? ヤクモさんに校内を案内してもらえるなんてオレは果報者だね!」
「嘘つけぇぇっ!! オレの名前の横に薄っすらと別の奴の名前が………っっ!!」
「譲ってもらったの♪ オレってば人見知り激しいから、見ず知らずの先輩と並んで歩けなんて言われたらショック死しちゃうかもしんないv」
「シナを作るな気色悪い!! って、明らかに改竄されてるぞこのリスト!!」
 マサフミ少年の横に来るはずの人物名が黒の油性ペンで塗り潰されて、コンバートされたことを意味する←→マークだけが見事な放物線を描いていた。当人は合意の上とあくまでも主張するのだろうがとてもそうは思えない。笑顔の裏にどす黒い空気が醸し出されている。
「オレだって苦労してるんだよ………ヤクモさんに悪い虫がつかないようクラスでメンチ切ってみたら野郎ズは予想以上にヘナチョコでパシリにも使えないような有り様でさー。京都は義理とヤクザと任侠が幅きかせてると思ってたのにちょっとした肩透かしだったよ。後でオレが直々に学年をシメるけどね。女の子はみんな可愛かったから問題ナシ!」
 さり気なく黒いことゆってるのは気のせいですか。
 それ以前に京都を何だと思ってるんですか。
 クルリ、と彼は打って変わって人懐こい笑みをヒトハに向けて。
「先輩。すいませんけどこの子の面倒みてやってくれますか?」
「え? あたし?」
 キョトン、とヒトハは目を瞬かせる。
 どうやらヤクモとコンバートされたのはヒトハだったらしい(油性ペンがあまりにも濃すぎて判別がつかなかった)。奴はリストの下の方を指差してひどく穏やかな声音で告げる。
「この女の子、むかし男子に苛められたことがあるらしくって未だ男性恐怖症の気があるんですよ。ヤクモさんが駄目って訳じゃないですけど、いきなり一対一で校内巡れってのはキツいと思って」
「別にいいよ? 女の子同士で楽しくやれそうだし!」
 あっさり受け入れたヒトハはそっとヤクモに耳打ちする。
「………いいコじゃない?」
 なんでそんなに警戒してるの? と不思議がる彼女は気付いてない。全然気付いてない。先日の太白神社における少年の暴走っぷりを知らないからそんな抹香クサイ判断が出来るのだ。
 ヒトハからは見えない位置でマサフミ少年がたちの悪い笑みを浮かべる。
「さーって、ヤクモさん。いい加減に案内してくれません? 時間は待っちゃくれないんですよ♪」
 頼むから誰かコイツを窓から突き落としてくれ、と。
 珍しくもかなり真剣にヤクモは願った。




 幾ら相手が相手でも無視する訳には行かない。仮にも自分は上級生。故に、出来る限り素早く校内を回ってとっとと教室に帰ろうと思ったのに―――相手は、そうは考えていないようで。
 同じようなふたり組みが右往左往している廊下の殊更に混んでいる部分に突っ込んで行く。
「ヤクモさん、ヤクモさん。あの人だかりは?」
「購買。パンやおにぎりも売ってるから昼間はかなり混むぞ」
「隣は?」
「学食。半地下構造になってるから外に回りこむことも出来る」
「じゃ、その隣」
「展示室」
「隣」
「男子トイレ」
「隣」
「―――しつこいぞ、お前!!」
 舌打ちして振り返る、と、満面の笑みに出迎えられた。
 しまった。先刻から意識して相手を置き去りにしようとしていたのに振り返ってしまっては意味がない。しくじったと思うより先に、前を進んでいたヤクモの傍にマサフミは並び立ち。
「だーって、ヤクモさんの説明ってすっげぇ御座なりだしー? 相手がオレだからよかったようなものの、他の新入生相手にこれやってたら確実にクレームだよ?」
 相手がお前じゃなかったらもっときちんと案内してたんだ、と告げてやりたい。
 しかし告げたが最後、「オレが特別ってことだね!」とか「やっぱオレがリードしなきゃ駄目かな!」とか物凄く一方的な思い込みによる発言をされそうな予感がする。出会って僅か数回で相手の傾向が読めてしまうのは彼のご先祖様のおかげ―――だなんて死んでも思いたくはない。
 彼は高一の割りに有名人だったのか、すれ違うヒトのほとんどが自分たちを振り返っていく。確かに奴は壇上にあがったし、クラスで『メンチきった』らしいし、高三の教室の壁に取り付く天然スパイダーマンだし、とかく話題には事欠かない。社長の息子ってことも影響してるのかな、と考えるヤクモは、自分も充分に『目立つ』人間だということに全く気付いていない。
 でも、流石に素っ気無さ過ぎたかと。
 それこそがちょっかい出される原因になっていると気づきもせずにヤクモは少しばかり自らの振る舞いを反省した。
 行き過ぎる教室や施設をやや丁寧に指差してやる。
「………ここが図書館。入館には生徒手帳が必要だ。貸し出しチェックを受けずに本を持ち出そうとすると警報ベルが鳴るから気をつけろよ」
「セキュリティ高すぎねぇ?」
「以前、実際に高価な本を盗まれたらしくってな。仕方ないだろう」
 ちょっとだけマサフミが考え深そうに顎に手を当てる。
 眉間に皺よせて考え込む様子はご先祖様を髣髴とさせないでもない。だから、たぶん、少しずつ自分も彼は『こーゆー人物』なんだと受け入れつつあった。
 た、はずなのだが。
「ヤクモさん。オレ、思ったんだけど」
「なんだ?」
 階段を下りる途中で振り返る。段差の分だけ身長差が縮まって常よりも顔が近い。
 その状態で彼は割りと真剣にのたまった。

「学校って何気にエロスポットが多くね?」

 ゴッッッ!!!!

 右拳が必殺の一撃をカマしていた。
「〜〜〜っ! なにも殴らなくったってぇ!!」
「黙れ、この歩く放送禁止用語男!!」
「オレは思ったことを疑問として口にしただけでっ。ほら、学校って薄暗い場所が多いし! 男子トイレも図書館もそこらの教室の影も考えようによっちゃすげぇ隠れポイントよ!? 青少年としては燃えなきゃ駄目じゃね!? その気になれば人目を忍んだ恋愛逃避行にランデブーだよ!!」
「貴様の頭はそればっかりか!」
「やだなー、この年代の男子学生のノーミソの程度なんて高が知れてるって! なんかこう、常にショッキングピンクとセルリアンブルーとどす黒さと白さが同居したような感じの」
「ワケの分からん喩えをするなっっ!!」
 こちらを見物している人波を掻き分け押し退け、転がりこむようにテラスにまろび出る。人気のないテラスに一息ついて、いかんいかん、冷静にならなければ。コイツの馬鹿な発言に付き合っていたら身が持たない。
 強引に気を取り直したところで律儀にも改めて施設の説明を始める。眼下のグラウンド伝いに見える建物を順に指差して。
「………右手が体育館だ。隣が屋外プールで、その下に見えてる出入り口を抜けると室内プールに行くことが出来る」
「結構でかいんだ」
「室内プールは最近できたばっかりだ。体育館は―――結構ガタが来てるぞ」
 でもって、左手にあるのが本日、全校集会を行った講堂となるワケである。
 手すりから身を乗り出していた道連れがふと眉を顰める。またぞろアホな発言をする気かと拳を握り締めて待機していたが。
「ヤクモさん。あの、右手の奥にある施設は?」
「―――目がいいな。あれがどうかしたのか」
 普通の質問だったので拍子抜けした。
 彼が示したのは各施設の連なりからやや離れた場所に位置する四角い灰色の建物だ。窓はあるけれども鬱蒼とした佇まいは不気味そのもので、グラウンド上を移動しているグループにもあの建物へ向かう面子は見受けられない。
「や、人払いでもしたかのよーにあそこだけ閑散としてるなーって」
「あれは薬品倉庫だ」
「薬品?」
 マサフミ少年が目をしばたかせる。
「取り扱い要注意の薬品とか劇薬とか刺激物とかがまとめて保管されてる。生徒は立ち寄り厳禁だ。まあ、どうせ鍵がかかってて入れないし」
「え?」
 虚をつかれた声。
 訝しげに見詰めればあたふたと相手はそっぽを向いた。
「そ、っか。鍵―――かかってるのか」
「当たり前だ。薬品の持ち出しや持ち込みでもしてみろ、一発で停学だぞ」
「そーりゃ厳しいや」
 クスクスと彼は邪気のない笑みを浮かべる。
 ………先刻の違和感のようなものは何だったのだろう。首を傾げても理由に思い至らない。もとより付き合いが長いなんて冗談でも言えないほど浅い関係なのだ、即座に解しようとしたところで無理がある。
 考えたところで答えは出ないさ、と割り切って踵を返す。
「ほら、次へ行くぞ」
「他に何があんの?」
「そうだな、あとは音楽ホールとか保健室とか―――」
 他にまわるべき施設を指折り数え始めた直後。

 ―――ッ!!

 何かの破裂音が響いた。足元に感じる震動、咄嗟に手すりを握り締め。
 右手を見れば連れも真剣な表情でこちらを見返した。
「ヤクモさん、いまの、」
「―――あれだ!」
 目を惹いたのは先の薬品倉庫。遠目にも分かる黒煙を上げ窓の中に揺らめく炎。ワンテンポ遅れて聴覚が捉えたのはグラウンド上で動けずにいる生徒たちのざわめき、職員室から駆け出す教師たちの声。
 なんで薬品倉庫が? 管理されているはずなのに? と。
 ほんの一瞬。
 本当に一瞬―――ヤクモの意識が他へ逸れた時。

 学ランの裾を翻し。
 マサフミが手すりを乗り越えた。

「………!!」
 押し留めようとした手は空を掴む。
 慌てて眼下を覗き込む、ダンッ!! と鈍い音を立てて彼は犬走りの天井に着地した。半透明の屋根の下、突然の音に驚いた生徒たちのざわめきが此処まで届く。
 本当に三階から突き落としても大丈夫だったかもしれない、なんて舌打ちすると同時に腹が立って。
「お前、いきなり何を!!」
「ごめんヤクモさん、急用思い出したから教室戻ってて!」
 こちらへの謝罪もそこそこに犬走りから更にグラウンドへと身を転じる。上空から降ってきた生徒に呆気に取られる周囲を余所に全力で駆け出す。未だ黒煙を上げ続ける倉庫へ向かって。
「………の、馬鹿!」
 どうして先祖も子孫も行動が極端なんだ! と力いっぱい罵った後にヤクモもまた手すりの向こうへ身を躍らせた。犬走りの天井を中間地点としてグラウンドへ。着地した際の衝撃に歯を食いしばることもなく先行する影を追いかけた。かけっこで自分に勝とうなど十年早い。
「単独行動するな!!」
「だいじょーぶだいじょーぶ! オレの行き先は万人の目に晒されている!!」
「そういう問題じゃない!!」
 揃いも揃ってこいつらはと悪態をつく。これと思い込んだら最後、他に思考を向ける余裕がないらしい。嗚呼、これは間違いなく奴の血筋だ、瓜二つだ、先祖と子孫というよりむしろ転生体とでも言われた方がしっくり来る。
 現場にはやや遠巻きにしながらも黒山の人だかり。黒煙を上げ続ける倉庫から薬品が反応しただろう異臭と熱気を感じる。多くの危険物が仕舞われている場所だ、下手したら爆発するかもしれない。馳せ参じた教師達が慌てて生徒たちが近づかぬようロープを張る。近寄れば近寄るほどに炎の勢いを如実に感じて唇を引き結ぶ。
 熱気を孕んだ黒煙で制服の裾が煽られる距離で立ち止まり、舌打ちと共に横を振り向いた。
「火事場見物でもしたかったのか!?」
 ―――が。
 そこには誰もいなくて。
 代わりに見つけたのは、少し離れた水道で学生服の上着を水浸しにしている人物で。
「おいっ!?」
 疑問を投げかける暇もあらばこそ、頭から水を被り尚且つびしょ濡れの上着を抱きかかえた少年は気楽に胸を張った。
「ヤクモさんはそこで待っててくれる? ちょっと行ってくっから」
「ちょっとって、おい!」
 問い詰めるより先に彼は黒煙を吐き続ける倉庫の中に飛び込んだ。
 周囲の生徒と教師から悲鳴と怒号が上がる。
 さほど大きくもない背中はすぐに煙と炎に巻かれて見えなくなった。
(………っの、………!!)
 呆れて物も言えない。
 自殺行為だ。無謀にも炎の中に飛び込むなんて、もう知らん。知らんぞオレは!
 手近なバケツに水を注いで頭から引っ被る。校内では闘神士の力は使うまいと決めていた、その決意を破らせるあんな馬鹿とはもう金輪際関わりたくない。
「おいっ、吉川………!!?」
 救急車、いや、それより消防車を! と混乱著しい教師の言葉は快く無視して。
 やめろとかもう間に合わないとか否定的な叫びを全て背後に追いやって、ヤクモもまた燃え盛る建造物に飛び込んだ。
 途端に襲い来る煙と目に染みる刺激臭、炎熱、身に纏った水分がすぐに蒸発して消え行く。
 右手に握り締めた闘神符に力を篭める。

「<涼>!!」

 瞬間、辺りの炎が勢いを減じた。
 室内にどんな化学薬品があるのかなんて知らない。下手な術をかけて誘爆するのは避けたかった。
 辺りを見回せど簡素なテーブルや古めかしい薬品棚の周囲に求める影は見当たらない。
 隣室へと続く開いたままの扉をすり抜けると、部屋の隅っこに制服の上着を抱えて蹲っている姿が見えた。苛立ちを隠さずに大股で近寄って罵倒する。
「馬鹿! 早く来い!」
「へっ? ヤクモさん?」
 どうして此処に、と目を瞬かせるマサフミの腕を引っ掴んで道を引き返す。相手のよろめく足取りには躊躇せず右手に掲げた闘神符で炎を避けながら出来る限り急ぎ足で、しかし、慎重に。
 不思議そうに首を傾げながら付き従う下級生は本気でヤクモが来た理由を計りかねているらしい。来ないって頼んだのにどうしてかなあ、という感じだ。全くもってこの血筋は先祖も子孫も手間がかかることこの上ない。本当にもう付き合ってられないしやってられないから早く如何にかしてほしい。
 出入り口は完全に炎で塞がれていた。四方も煙と炎で囲まれて熱いし目は開かないし匂いはキツイしありとあらゆる災厄が一気に訪れたような印象すら受ける。
 けど、引き下がる訳には行かない。
 相手の腕を掴んだ左腕にいままで以上の力を篭めて。
「目、閉じてろ」
「へ?」
「いいから!!」
「は、はいっ!!」
 びっくぅ! と飛び上がったマサフミが急いで両目を閉じる。
 それを確認してから右手の符に溜め込んでおいた力を一気に解放する。

「―――<爆>!!」

 ゴォッ!!!

 炎が消し飛び、刹那の空隙が生じる。
 ほんの一時だけ生じた抜け道に即座に飛び込んだ。
 両足が外壁へ出ると同時、背後の扉が再び炎に飲み込まれる。
 熱気から逃れるように走り抜け、目を見開いた同級生や教師たちの列を突っ切って、炎の熱が「そよ」とも届かないグラウンドの果てまで駆け抜ける。
 息が荒い。
 当たり前だ、あんな炎の中では息をすることさえ辛い。手足も制服もすっかり煤ぼけてところどころ焦げ目まで出来ている。鏡は手元にないけれど、きっと、顔も真っ黒に煤けているに違いない。それは、傍らに立つ少年を見れば分かることだ。
 未だパチクリと目をしばたかせている相手を。

「………っの!」

 力任せに引っ叩いた。拳でなかっただけ有り難く思え。ふたりとも低度の火傷を負ってはいるものの五体満足だが、それは、単なる僥倖に過ぎない。
 叩かれた頬を手で抑えることも忘れて呆然と佇む奴の襟首を思い切り締め上げた。
「なに考えてるんだ!」
「え―――」
「下手したら死ぬとこだったんだぞ! 分かっているのか!?」
 相手は物凄く困ったように眉を顰めたけれど、それはあくまでも『困った』のレベルに留まるもので、ぶたれたり首を絞められたりしている原因について反省している様子は見られない。
 離れたところから消防車のサイレンが聞こえてくる。
 間もなく消火活動が始まるだろう、これだけの騒ぎになったのだ、新聞社やテレビ局も取材に訪れるだろうと頭の隅っこで考えながら。
「理由がなかった訳じゃ………」
「オレを納得させられる理由か?」
「―――」
「言えないんだな?」
 更に強く首を締め上げた直後。

「へっへっへ」

 ………妙な声が聞こえた。
「貴様―――この状況で笑うとはいい根性じゃないか………! そこへ直れ!!」
「え? ち、違う! 流石にいまのはオレじゃない!」
「なら、誰だ! この状況で間の抜けた笑い声を上げる人間がお前以外にいるとでも言うつもりか!?」
「だあっっ! だから、これはオレじゃなくて!!」
 マサフミが抗議の意も露に腕を振り上げると、しつこく胸元に抱えられていた上着がバサリと落ちて。

「へっへっへ………へぅーん♪」

 きゅぅーいv と、何とも愛らしい鼻声を上げながら。
 胸元で茶色い毛の子犬が気の抜ける笑い声を発した。

「………」
 ―――どうしよう。
 頭を撫ぜるとスリスリと擦り寄ってくる。うん、やはり、ぬいぐるみとか精巧な機械とかア○ボとかではなく、れっきとした『なまもの』だ。
「………これは、何だ」
「………犬」
「何故、ここにいる」
「………あの倉庫に匿ってたから」
「何故」
「通学路で運命的な出会いを果たしたから」
「………」
「教室に持ってくのはヤバそうだし家に戻ってたら入学式の挨拶に遅れるし仕方ないから一時的に隠しとこうって。鍵は開いてたからンな危険な倉庫だなんて思わなかったし―――」
 ―――なるほど。
 先刻の会話の違和感はそのためか。
 彼にしてみれば『鍵があいてるんだから危険なモノはないだろう』と判断したのに、危険な場所だとヤクモに告げられてひどく驚いたのだろう。尤も、それだと「何で薬品倉庫の鍵があいてたんだ?」と根本的な疑問に行き着くのだが。
「コイツを連れて来たのはオレなんだから、助けに行くのが筋ってモンでしょ?」
 違う? と苦笑されて、不本意ながらも………違わない、と首を振り返した。
 怒りが収まった訳ではない、けど、相手にもそれなりの理由はあったのだと一応納得できたから。
 いずれにせよ自分たちが教師から大目玉を食らうことは確実である。マサフミに至っては薬品倉庫の鍵の在り処について根掘り葉掘り訊かれるはずだ。入学早々ご苦労なことである。
「でも―――こいつを危険な目にあわせたことと、ヤクモさんを巻き込んだことだけは謝るよ」
「お前自身の無茶については?」
「それは大丈夫! オレは死なないことになってんの♪」
 妙な自信を込めて少年は断言した。
 彼の脳内にどんな屁理屈が存在しているかは知らないが、一先ず―――こいつに免じて許してやろうかな、と。マサフミの腕に抱かれたままの茶色い子犬の頭に手を乗せる。
 今更ながらのように少年が笑みを零す。
「しかし―――まさか殴るたぁね」
「うるさい」
 殴ったこと自体は悪いと思っていない、と睨み返せば何がおかしいのかより一層の明るさで笑い飛ばされた。
「いやいやいや! イザって時は殴ってでも相手を諌める! やっぱ日本男児はこうでなくちゃね〜。良妻賢母になる資質あるよヤクモさん♪」
「もっかい殴っていいか」




 ―――そして。
 大騒ぎの内に新年度の初日は終了し、何事もなかったかのように一夜が明けた。
 翌日、吉川家に朝一番でかかってきた電話はリクからのもので、何でも、地元新聞に例の事故が取り上げられていたので心配になったらしい。
『怪我とかしてませんよね? ヤクモさん、すぐ無茶するから………』
「オレは大丈夫だよ」
 無茶を仕出かしたのはあの馬鹿である。しかし、それをリクに伝えると色々とややこしくなりそうなので黙っていた。
 少しばかり昨日のことを思い出してみる。

 ―――あの後、消防車やら警察やらが出動してかなりややこしい事になったが、それに反してテレビ報道も新聞報道もごく簡単に済まされていた。内容に至っては「ボヤがありました」的なもので当たらずとも遠からずな内容も此処まで来ると見事だな、とゆー感じである。
 救急車を呼ぶまでもないと保健室で手当てを受けていた際に、子犬にミルクをやりながら当然のようにマサフミ少年は語った。
「今回のは学校の不手際じゃなくて多分ウチの関係だから大事にならないよう内々に処理するよ」
「どういうことだ?」
「通学路に子犬が捨ててあったのも倉庫の鍵が壊されてたのも、目的は『こっち』だった気がすんだ」
 確かに。
 倉庫の鍵は壊されていた。近くの草叢に投げ捨てられていた。かなり頑丈な鍵だったのに万力で捻じ曲げたように酷く歪んでいた。素手の人間に出来る所業ではないし道具なんぞ持ってないことは立証済みだということで、マサフミは鍵の件に関しては無罪放免となったのだ、が。
 つまるところ。
 鍵を開けた者と子犬を捨てた者がイコールで結ばれるとするならば、その人物の目的は眼前の少年をあの倉庫に誘い込むことにあったと考えられはしないか。何らかの仕掛けを倉庫に施しておいて、彼がやって来た際に爆発してくれれば万々歳、不在の折りに爆発したとて、子犬がいる限り彼は中に飛び込んで来るだろう。何とも大雑把な策ではあるが、事実、マサフミはその通りに行動しているのだから何とも言えない。
「行動パターン読まれきってるじゃないか」
 皮肉げな態度を保ったはずなのに「きっと身内だから」と返されて不覚にも声を失った。
 ミルクを飲み終えた子犬を抱き上げて彼はケタケタと笑う。
「社長の後継ぎにも色々あっからね。でも、慣れてるからだいじょーぶっ! 罠だろーと何だろーと弱者は助けるってのがウチの家訓だし?」
「へっへっへv」
「よーしよーしお前もそう思うんだな♪ かわいいぞヘイゾウ!」
「―――へいぞう?」
 なんだ、その時代劇にでも出て来そうな名前は。
 尻尾を千切れんばかりに振ってる柴犬っぽい雑種犬の名前としては微妙な印象が。
「お前が飼う以上、呼び名に文句はつけないが―――」
「じゃ、キバチヨで」
「おい!」
 そんなあっさり変更していいのか!
 ってゆーかなんだ、その聞き覚えのあり過ぎる名前は!
「タケチヨにしようかとも思ったけど、やっぱ、キバチヨのが強そうだ」
 理屈が分からん。
 煙で汚れた制服は弁償します♪ と上機嫌で話しかけてくる相手を軽く両手で振り払った。
 ―――以上、長めの回想終了。

 今度の連休に遊びに行きますね、と妙に意気込んでいるリクに「無理はするなよ」とだけ告げて電話を終えた。
 取り急ぎご飯だけかきこんで傍らの鞄を引っ掴む。
「行ってきます、父さん」
「行ってらっしゃい」
 居間でのんびりと茶を飲んでいるモンジュに見守られてヤクモは玄関の戸を開けた。
 境内を潜り抜けて幾らも経たない内に、
「………?」
 誰かがいるのを認めて自然と歩みが遅くなる。
 それが誰かは分かっていたが、流石に昨日の今日だとどんな態度を取ればいいのか迷ってしまう。なのに、不意の来訪者は全く気付かぬ顔で自転車に寄り掛かったままのんびりと手を振ってくれるのだ。
「お、っはよーございます、ヤクモさん! 今日もお美しいですねv」
「黙れ、歩く有害物質」
 ズパン! ともはや条件反射で鞄を相手の頭にブチかます。が、向こうも馴れたもので、左手でガードして何もなかったように笑っていた。
「朝っぱらから何をやってるんだ?」
「そりゃー、これから毎朝一番にオレの愛をヤクモさんへデリバリーですよ! 貢げば貢ぐほどにオレの心が豊かになるナイス仕様!!」
「オレの平穏な朝はどうしてくれる」
「人生には僅かなスパイス刺激が必要―――恋愛とは人生における光と闇、孤独と運命、悲しみと喜びが同居した一時のセレナーデ」
「黙れ、似非詩人」
 切り捨てながらも視線を自転車の後部座席へ投げかけて、深く嘆息した後に運転手の頭を小突いた。
 遅刻したらお前の所為だからな、と。
「―――安全運転で行け。事故るのは御免だ」
「へ?」
「お前の体力が途中で尽きたら容赦なく置いて行くからな」
 叩かれた頭を抑えてマサフミが目を瞬かせた。
「不満か?」
「え、や、別に―――」
 慌てて自転車のハンドル握ってペダルに足をかける。
 ヤクモが後部座席に横向きにふんぞり返ったのを確認して彼はそっと呟いた。
「………断られると思ってたんだけどな」
「何か言ったか?」
「いーえっ! なんも言ってませーん!」
 振り向かないままにマサフミが自転車を漕ぎ出す。
 ゆっくり移動していく目の前の景色を眺めながら、コイツはこれから毎朝、迎えに来るつもりなんだろうかとため息を零した。自分が乗っても乗らなくても、彼が朝早くから太白神社に訪れた時点で同級生連中にとやかく言われるのは確実だったから―――昨日の一件もあることだし―――乗せてもらった方がナンボかマシだろうと考えた己の判断が誤りだと思いたくはない。
「あ、そーだヤクモさん、よかったら今度ウチ来ない? キバチヨも出迎えちゃうヨ!!」
「………いいから前を向け」
「太刀花の奴がいたって受け入れるからさ〜。うっわ、すっげー! オレってばこころが広い!」
「いいって言ってるだろう! 前を向けと言ってるんだ!」
 一発殴り飛ばした後に、すり抜ける風が心地よくて静かに目を閉じた。
 空は青く、風は穏やかで、行き違う同校の生徒たちが様々な噂を囃し立てる未来がまざまざと思い描けても。

 並べて、世は、事もなし。

 

 


 

たぶん世間様が抱いてる『マサヤク』のイメージに近いと思われる本作です。

ヤクモさん絆されちゃってるけどね………あれ? マサオミさんがヤクモさんに振り回されてなくちゃ

マサヤクとは言えないのかな??

(それ以前にこの作品にマサオミさんは登場していない)

ギャグ一辺倒の予定が微妙にシリアスはいっちゃったのは自分でも謎であります。

 

こんな作品ですが少しでも喜んで頂けたら幸いです。リクエストありがとうございました♪

 

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