※リクエスト内容 : マサオミさんが幼稚園児になっちゃったよどうしよう。

※どちらかとゆーとヤクマサです。

※ヤクモさんひとりが四苦八苦してる上に微妙に報われてなくて更にはアホです。ご注意ください。

※一応、アニメ版がベースです。パラレル設定は忘れてください。

 

 

 

 赤く色づいていた木々がその葉を落とせばいよいよ冬の到来を身近に感じる。木枯らしが吹いたのは数日前だったか、以来、寒さは加速度的に増している。
 ヤクモは太白神社の境内を掃除する手を少し休めて大きく伸びをした。
 素手で竹作りの箒を握っているとてのひらがかじかんでくる。かといって手袋しながら掃き掃除をするのもなあと頭をかいて。
「………ん?」
 妙な波動のようなものを感じて奥の院を振り返った。
 マホロバとの戦いも地流とのあれこれもウツホの乱も終えた今ではあるが、まだまだ現役闘神士としての勘は衰えちゃいない。奥の院で管理されているのは様々な争いの種となった<刻渡りの鏡>であり、となれば、使う面子も限られている訳で。
 何かあったのかと箒を木に立てかけて奥へと足を運ぶ。
 封印の扉を押し開けて中へと踏み込めば、穏やかな光と<力>の余韻が辺りに漂っていた。<刻渡りの鏡>の陣から誰かが立ち上がるのが見える。きちんと着こなされた平安装束、短めの髪、眉間に寄せた皺。
 間違いない、タイザンだ。
 目があった途端、彼が安堵の息をつく。
「よかった………誰もいなかったらどうしようかと思っていた」
「お久しぶりです、タイザンさん。今日は一体どうしたんです? またガソリン切れですか」
「いや、そうではなく―――」
 どうもこうもないんだと彼は顔を覆う。
 隠れ里で子供たちを養うには色んなものが必要だと神流の面々は時に現代を訪れることがあった。その度に燃料を持ち帰ったり食料を持ち帰ったり衣類を持ち帰ったり、これって歴史に反することじゃないのかなあと思ったり思わなかったり、まあ色々とあるのだが取り合えず今は置いといて。
「実は、折り入って相談したいことが………」
「相談?」
 よいしょ、とタイザンが背後から何かを拾い上げ。
「………っっ!!?」
 ぱきり、とヤクモは固まった。
「私にも何がどうなったか全く分からないのだが―――って、ちょ! ヤクモ殿!!?」
 深刻な顔して語り始めたタイザンから『それ』を奪い取り一気に外に飛び出した。
 奥の院から境内を駆け抜け靴を脱ぐのもそこそこに玄関から居間へ疾走しすっぱーん! と障子を開け放つ。
「とっ、父さん! イヅナさん! 大変だ!!!」
「ヤクモ?」
「ヤクモ様?」
 お茶を飲もうとしていたモンジュとイヅナが目を瞬かせて振り返る。
 ふたりの眼前にいましがたタイザンから奪ってきたものをグイッ!! と突き出した。
 茶色の髪に緑色の目、突然のことに泣き声をあげるでもないふてぶてしい態度、そう、それこそは正しくあの―――

「マサオミが子供を産んだ―――っっ!!!」

 ………。
 まあ、要するに。

 伝説様も大変に混乱していらっしゃるのであった。

 


― かいなの名残 ―


 

 別に、その日もなんということはないただの一日になるはずだった。
 いつも通りの時刻に目覚めたタイザンは最近寒くなったね、手がかじかむね、なんてことをウスベニと話しながら仲良く洗濯物を干していた。
 その時、突如として母屋から光が溢れ出したのだ。
 一体なにごとかと大変に驚いて、不安がるウスベニを後にタイザンは母屋へと乗り込んだ。
 そこで。
「―――見つけた訳ですか」
「ええ」
 疲れきった表情でタイザンが頷いた。
「しかし、まさかこれがマサオミくんだとは―――」
 どこか呆れた様子で太白神社の主は呟く。話題の中心にいる人物はおとなしくモンジュの膝の上に収まっていた。俄かには信じ難いよと首を振りながらも、幼子のほっぺたをつついている父親は何となく楽しそうでもある。
 幼子。
 そう、今モンジュの膝の上にいるマサオミは『幼子』だった。
 髪や瞳こそ見知った色を湛えてはいるものの、どこもかしこもぷにぷにしてて精悍さの欠片もない。時折り辺りを見回しては首を傾げ、物珍しさに目を瞬かせる。歳の頃はせいぜい四、五歳だろうか。
「マサオミくん、マサオミくん、お菓子たべる?」
 やたら嬉しそうにイヅナが手を差し出す。滅多に用意しないショートケーキを急ぎ足で買ってきて幼稚園児もどきに渡している辺り、上機嫌も上機嫌だ。
 目の前のケーキにきらきらと目を輝かせたマサオミは、しかし、頑として首を横に振った。
「ちがう」
「え?」
「マサオミ、ちがう。ガシン」
 ぷぅ、っと頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。
 可愛らしいと言えば可愛らしいし憎たらしいと言えば憎たらしい。
 イヅナは只管に前者のようで、「やーん、かわいーv」と珍しくもはしゃいだ様子で猫の子よろしくマサオミの頭を撫で付けている。
 しかし、まさかこの反応は、とヤクモがタイザンの方を見遣れば。
「たぶんこれは四歳当時のガシンだ。『マサオミ』としての記憶はない」
 案の定の答えを返されて天を仰いだ。
 姿が幼くなっていようとも記憶と知識がありさえすれば手掛かりを得ることも出来たろうに、当の本人が幼児退行しているとあっては手の打ちようがない。タイザンの疲労もその辺りに起因しているのだろう。数日間、ろくすっぽ眠りもせずに色々と調べていたようだから。
「ウスベニは『イザとなったらもう一度、最初から育て上げましょう。今度は絶対さみしい想いなんてさせないんだから!』と前向きなのだが………それでは、これまで積み上げたものはどうなるのかと」
 ゼロからの再出発だと開き直るには抵抗がある。
「タイザンさん、キバチヨは? キバチヨがいればマサオミが何をしてたのかぐらい、」
「神操機が落ちていたから呼びかけてみたが、無理だった。契約者がこうなると式神は強制的に眠りにつくしかないらしい」
 再び眉間を抑えながらタイザンが首をゆるく横に振った。
 全く、前例のない事態を次々と引き起こしてくれるものだ。
 多くの人間の頭を悩ませている園児はイヅナの膝の上でケーキと格闘している。
 イヅナは幼いマサオミが可愛くて仕方がないようだが、案外ウスベニの感想も「あの可愛かった弟をもう一度!」レベルなのかもしれない。
「いずれにせよ、こちらではもう策がない。モンジュ殿やヤクモ殿なら何か解決の糸口を掴めるやもしれぬと」
「まあ―――調べてはみますが」
 この手の話は聞いたことがないのでね、と父親も少し困ったように眉根を寄せた。
 イヅナがマサオミにかまいきりなので仕方なく自分で茶を淹れ直していると、父親に呼び止められた。
「と言う訳だ。ヤクモ。お前、しばらくマサオミくんの面倒を見ていなさい」
「はっ!!?」
「は、じゃないだろう。友達なんだから少しぐらい世話を焼いてあげなさい」
 神社の手伝いは分担を減らしてあげるから、と暢気な笑顔と共に依頼に見せかけた命令をくだされたものの。
(面倒を見るって―――こいつの!?)
 胡乱な眼差しを送れば口の周りをケーキのくずでぐしゃぐしゃにしたお子様と目が合った。数度の瞬きの後で、にへv と邪気のない笑みを返される。
 あ、なんか、ちょっと。
 かわい―――じゃ、ない。そうじゃなくて。
 慌てて頭を左右に振って咄嗟に浮かんだよく分からん感想を振り払う。
 そりゃあ確かに冬休みだし学校連中と会う予定も特にないし部活動もしてない身ではあるけれど自分にもそれなりに予定があったようななかったようなてゆーか父さんの認識だとオレ達は『トモダチ』なんですかどうしてそうなってるのか問い詰めたい小一時間ほど問い詰めたい。
 などとグダグダ考えていたのがまずかったのか。
「それでは、お手数をおかけしますがガシンのことを宜しくお願い致します」
「とんでもない。むしろ家族がひとり増えたようで嬉しく感じているぐらいですよ」
「父さんっっ!!」
 既にタイザンとモンジュの間で話はついてしまっていた。
 互いに三つ指ついて熨斗でも差し出しそうな雰囲気に別の含みを感じるのは意識のしすぎか。
(くそっ!)
 オレは絶対に面倒なんて見ないぞ、男トモダチには男トモダチの体面てのがあるんだ、友人に世話してもらおうと考える男がいるか、これが原因でマサオミが元の姿に戻った時に仲が険悪になったらどうしてくれる! と、内心であらん限りの文句を並べ立てながらも。
 行動として起こせるのは部屋からこっそり抜け出すことぐらいなのだから、この家での自分の立場など知れたものだとヤクモはちょっとだけ虚しくなった。




 この前、あいつに会ったのはいつだったろう。
 定期的なようでいて不定期にしか訪れない相手だから、いつもいつも先触れがなくて驚かされる。全ては奴の気分次第、牛丼が食いたくなったとかバイクがガス欠になったとか調べ物をしたいとか、そんなことばかりで。
 先日は確か、寒くなってきたからと子供用の綿入り半纏とホッカイロの入手に来たのだった。
『よぉーっし、これで人数分あるな!』
『大丈夫か? 随分と大荷物だが………』
『そんな重いモンじゃないから行けるだろ』
 目の前に堆く積みあがった荷物の山を見て奴が笑う。
 手を貸そうかと提案しても素気無く断られる。必要以上に手を借りるつもりはない、必要以上の関わりを持つ気はない、暗にそう告げられているようで断られる度に少しだけ淋しく感じてしまう。
 以前、言っていた。「こっちの世界も好きだけどさ。やっぱオレの居場所はあっちだろ?」と。
 まあ、―――時間を越えるという禁忌もあるし、彼の生い立ちやら立場やらを考えれば過去にいるのが最も相応しいと思えた。実際、彼は郷の暮らしに必要な人材となっているのだから。
 ここに居ろって引き留めてくれる相手も別にいないし? なんて。
 軽く笑い声をあげている相手は無防備な背中を晒している。そろそろ行きますかね、と伸び上がっていた身体を縮めて荷物を掬い上げ。
 振り向いて。
 奴は、首を傾げた。
『………なにやってんだ? あんた』
『………別に』
 まさか、当の相手に。
 思わず肩に触れようとした手がお前が屈んだ隙に空振って、隣の木に抱きつく羽目になりましたなんて死んでも言えるハズがなかった。




「………………」
 嫌な夢を見た。
 実に嫌な夢を見た。
 不貞腐れて寝転がった布団の上でヤクモは深いため息をついた。実際に会っている時は意識すらしていないのに、夢の中の自分は随分と素直で分かり易い。
 ゴロゴロと布団の上を転がっているとテンポよく自室の扉を叩かれた。
 答えるのも億劫だったから布団を目深に被ってやり過ごすことにする。モンジュもイヅナも小さいマサオミがいたく気に入ったようだったし、もう、三人で仲良くやってりゃいいじゃないか。
「やーくもーぉ! やくもやくも―――っ! おひる! ひるめし! おきろ―――っ!!」
 ………覚えがあるようでない声が響いて来たので、ますますもって布団を深く被った。なんだって先刻、夢で会ったばかりの人間の成れの果てに呼び出されなくちゃならんのだ。午前中の労働の対価として身体は空腹を訴え始めているが、このまま意地を張り通してことんまで不貞寝をすることにしよう。
 しかし、敵も然る者。
 鈍い音に戸が開いたと認識したのも束の間、腹の上にドン! と何かが落っこちた。
「ぐぇ!」
 予期せぬ攻撃に呻き声がもれた。なんの用意もしてない腹筋に、これはかなり響く。
 べしべしと布団の上から頭やら肩やらを叩かれて。
「めしっ! いづなさんよんでる! やーくーもーはーねーぼーすーけーぐーたらプー」
「誰がプーだ!!」
 このクソガキ! と跳ね起きたところで。
 ヤクモは朝の一件よろしく、再び停止することとなった。
「………………」
「やくも?」
 マサオミは不思議そうに小首を傾げる。ひらひらと目の前で手を振ってこちらの正気を確認する点に、かつてとの共通項を見い出して懐かしいなあ、なんて―――。
「―――思ってる場合かぁぁぁっっ!!!」
「みゃ!?」
 いきなりヤクモが立ち上がり、ころりとマサオミが転がり落ちる。
 いたい、と不満を訴える小柄な身体を横抱きにして部屋を飛び出した。あっという間に辿り着いた居間の襖をスターン! と開ける。
「イヅナさんっっ!!!」
「起きたのですね、ヤクモ様」
「起きたのですねじゃありません! 何ですかこの格好は! これ着せたのイヅナさんですよね!?」
 お盆に湯飲みを乗せたまま幾度か瞬きをしたイヅナは、次いで、物凄く嬉しそうに笑った。
「ええ、そうです。可愛いでしょ?」
「かわいくありませんっっ!!」
 鳴り響く悲鳴もとい絶叫。なんだってこんな―――こんな、フリフリの白いワンピースとか。
 ふわふわ綿毛で作られた髪飾りとか。
 ひらひらで細かな刺繍がしてある真っ白い靴下とか。
 誂えたようにハマりまくってるお嬢様っぽいやわらかレースの帽子とか。
 オプションでつけられてる大きなふかふかクマさんのぬいぐるみとか。
 今のマサオミを着飾っているものの端から端まで全てが大問題だ。まるで生きたフランス人形、とてもじゃないけどあの憎たらしい神流の子供時代とは思えない。
「ナズナに着せようと思って買ってあったんですけど、あの子ときたら和服の方が好きだなんて言うんですもの。それはそれで振袖とかで着飾れたから楽しかったですけど、折角マサオミ様が小さくなったのですからここは着せておかねばと」
「分かりません。そこで着せようという発想が出てくる辺りが分かりません」
 ヤクモに抱え上げられたマサオミは居心地が悪いのか腕の中でモゾモゾと動いている。
 第一これはよそ行きの服でしょう、こんなカッコでメシを食わせる気ですか、子供は汚すに決まってます、汚れを落とすのがどんなに大変か分かってるんですか!? と問い詰めればイヅナは少し考え込んだ。
 お盆を机の上に置いてマサオミを手招きする。ほんの少し腕の力を緩めただけで、床に下りたマサオミはイヅナに駆け寄ってしがみついた。無意識に伸ばされた両腕をごくごく自然にイヅナが受け取って抱き上げれば、マサオミはぽやぽやの笑みを浮かべる。
 なんだその笑顔は。無駄に幸せそうな笑い方は。
 そーかそーか、そんなに女が好きかこの女たらしめ。この歳でこれでは先が思い遣られる。
 歳の離れた弟を見守る目つきでイヅナはマサオミを抱え直す。
「ヤクモ様のお言葉にも一理ありますね。着替えをさせてきますのでモンジュ様をお呼びしておいてくださいますか」
「わかりました」
「さ、行きましょうねー、ガシンちゃん。ほんとこのお兄ちゃんはワケがわかんなくて怖いですね〜」
「こわいですねーv」
「ちょっ………!」
 すれ違い様にさらりと告げられて、何でも真似する子供の声で追い討ちかけられて、ヤクモは床に突っ伏したくなった。遠ざかる背中に恨めしそうな視線を送る。一応、マサオミの面倒を父親に命じられたのは自分のはずだったのだけれど。
(………イヅナさんが全部、みちゃってるじゃないか)
 寝てしまった自分が悪いと言えば悪いのだが。
 そして、父を呼びに行くついでに食器ぐらい運んでおくかと台所を覗いた彼は、用意された食事がお子様ランチだったことに今度こそ膝を折ったのだった。




 どうにかこうにか服装を自分のおさがりの一般男児服に変更してもらって、食事も終えて、さてこれからどうしようかと考える。
 モンジュはマサオミを元の姿に戻す術がないか調べなければいけなかったし、イヅナはもとより手伝いに来ているだけなので、自身の預かる社に戻ってあれこれとやらねばならないことがある。
 しかし、役目を割り振られたはいいものの微妙に付き合い方が分からなくて戸惑ってしまう。
 目の前にいる子供は記憶はなくてもマサオミで、マサオミだけど記憶がないから単なる子供で、要はモンジュやイヅナのように自然体で接せればいいんだと数時間は室内で色々と頑張った。
 頑張ったのだ、が。
 元気の有り余るお子様はそこら中を走り回り、追い駆けるのがやっとの有り様。まこと、子供の体力は侮れない。襖を蹴倒し障子を破き壷に足を引っ掛け転倒し押入れに入り込んで布団をしっちゃかめっちゃかにし―――お前、そんなにウチがキライだったのかと勘繰りたくなるような暴れっぷりである。
 ちくしょう、元に戻ったら仕返ししてやるからなと了見の狭いことを考えてる合間にも、ひとつを片付けている内にもうひとつを壊す暴君ぶりに全てを投げ出したくなる。世間の母親が育児ノイローゼになるのも当然だ。
 抱え上げて日用雑貨の類から遠ざけると「やーん」と愚図られた。なんだコイツは。あのふたりならいいのに自分はイヤだと言うのか。なんたる我侭。抱え上げた際の予想外の重さと軽さにちょっとだけ感動してたのに台無しだ。幼児でもこれぐらいの重さなら、成長したら抱え上げるのにもっと腕力が必要になるんだろうなあなんて考えてたのに。先刻のふりふりドレスも含めて格好や言動をビデオか何かに収め、後で強請りのネタにしてやろうか。
 通りすがり様、見るに見かねた父親が苦笑まじりに提案する。
「大変だったら外で遊んできたらどうだ? 公園ならマサオミくんと同年代の子もいるだろうし、きっと、すぐに仲良くなれるさ」
 確かにいい手かもしれない、と暴れ回るマサオミを抱え込んだままヤクモは考え込む。
 車やらバイクやらチャリンコやら不審人物やら不審人物やら不審人物やらの危険には抜かりなく自分が目を光らせるとしても、公園で出会うであろう子供たちにまでガンつける訳にもいかない。
 幼児期は微妙に性別が曖昧なため女の子と間違われる可能性もある。「あら可愛いv」なんて興味津々のおばさま方に取り囲まれたらどうするか。特別に飾り立てずとも可愛いものは可愛いんだから素直に愛でればよいものを、何だって女性陣はわいわい騒ぐのだろう。実際、ふりふりスカートで身を固めた奴はビスクドールも真っ青な生きたお人形、この分なら和服だってイケるはず、文金高島田をつけたらタイザンが泣くに違いない。
 そうだ、着せるなら今しかない。いつものマサオミに振袖やドレスを着てくれと頼んだところで受け入れてくれる可能性は低い。ノリと突っ込みで人生渡ってるよーな奴だから軽くOKしてくれるかもしれないが理由を求められることは明白で、「なんとなく」だの「似合うと思うから」だのと語れば不気味がられるのがオチである。挙句に「伝説様が狂った!」と叫ばれた日には立ち直れな―――って、待て、なんでこんな話になってるんだ? との考えは一先ず置いといて。
 廻らせていた思考の果てで『あること』に気付いたヤクモはひくっ、と表情を引き攣らせた。
 物凄い勢いで首を横に振って全力で「お出かけ」を否定する。
「とっ、父さん! ダメです! 外で遊ばせちゃダメです!! 危険だ!!」
「お前が車とかに気をつけてあげればいい話じゃないのかな」
「じゃなくて! その………っ、小さくなった原因が分からないんだから、いつ大きくなるかも分からないじゃないですか!? いきなり公衆の面前で大きくなったりしたら庇いきれませんよ!!」
 はて、と首を捻った後で。
 息子の意図を正しく理解した父親は実に爽やかに微笑んだ。
「ああ、そうか。流石に服は大きくなってくれないから、このまま元の大きさに戻ったらすっぽんぽんになっちゃうな! バニーフラッシュだったっけ?」
「ハニーです、父さん」
 あっはっは! と朗らかに笑う父親の姿に頭を抱えた。
 幾らなんでも友人が猥褻物陳列罪で現行犯逮捕される現場に居合わせたくはない。そんな出来事があったが最後、マサオミは「もう二度と現代には来ない」と言い出すかもしれなくて、それは、何だかとっても困るのだ。
 もとより野郎のハダカを見て喜ぶ人種などごくごく少数に限られているのだから進んで見せる危険を冒す必要もあるまい。大体そんな、いきなりご開帳されたりしたら有り難味に欠けるとゆーか恥じらう様子がなくてつまらないとゆーかこっちにだって色々と覚悟がいるんだとか、そんな感じの。
 一頻り笑った父親は、ヤクモが抱え込んでいる子供の頭を我が子のように愛おしんで撫でながら、「それじゃあ、庭で遊んでおいで」と促した。
「ヤクモもそれなら安心だろう?」
 全てを理解しているように微笑まれれば、元より家族に弱い伝説様が逆らえるはずもなかった。




 境内の裏手で遊ばせようと手招きすれば気楽にほいほいとついてくる。カルガモの親子じゃあるまいし、なんの考えもなしにくっついてくる様は―――面白いけど。歩き方もおとなに比べれば随分と頼りないから、つい「ヨチヨチ」とか「もたもた」などの情けない擬音で表現したくなる。
「マサオミ」
「ガシン!」
 名前だけは律儀に訂正してくるので少し腹が立つ。
 遊んでる奴はそのままにヤクモは植木の手入れをすることにした。こないのかな? と、期待と不安を篭めた目を向けられたのは敢えて無視。
 ちょっとだけ気落ちしたらしい相手はトボトボと壁の方へ歩いていった。
 視線でそれとなくその姿を追いながら考える。
(………もしも)
 このままマサオミが幼いまま時を過ごすとして。
 過去へ戻すのとこちらで過ごすのとどちらがより良いことなのだろう。
 平安のむかしに妙な薬品などあろうはずもないから、マサオミが取った手段はおそらく何らかの術である。せめて使われた道具の一端でも分かれば探りようもあるのに、見事なまでに状況証拠は掻き消えていたとタイザンは言っていた。腕の立つ術者である彼がそう断言している以上、お先真っ暗だ。
 過去には奴の家族がいるが、生活も苦しいし疫病に苦しむ可能性もある。一方、現代に来れば自然環境は乏しいものの衣食住に事欠くことはない。当人がそれを良しとするならば現代にいた方が便利に決まっている。
 だが、奴はあの時、過去へ帰る道を選んだのだ。現代に留まる神流の仲間もいる中で、自分は過去へ戻って子供たちの面倒を見るときっぱり宣言したのだ。今のナリが幼いとて根底にある奴の根性までもが覆されたとは思えない。
 何も考えてないようなあのお子様だって、尋ねれば「ねえさんとタイザンと一緒にいるー!」と笑顔で宣言するのだろう。それを淋しく感じる者がいるだなんて思いもしないで。

 プシ―――ッッ!!!

「むきゃ―――っ!!?」
 妙な破裂音と共にやたら高音の悲鳴が響いた。
 はっとなって顔を上げれば、マサオミがホースと共にワタワタと庭を駆けずり回っている最中で。
「この、バカっ!」
 慌てて水道の蛇口を捻ったものの、降り注いだホースの雨によって既に地面もマサオミもびしょ濡れになっていた。当人は気を取り直したように笑っているが笑い事ではない。
「なにやってたんだ!?」
「みず! みずできたらみんなのむのふってきたらねぇおいしいからってくちあーんって!!」
「………」
 幼児言語は、英検1級のヒアリングよりも難解だった。
 眉間に手を当てて混沌とした思考を振り払う。
「と、とにかく! 風邪ひいちまうだろ? 早く風呂に入れ」
「ふろ?」
 はてな、と首を傾げる相手を抱え上げて室内に戻ると脱衣所に叩き込んだ。
 傍にあったタオルで先に頭だけ軽く拭いてやるとくすぐったいのかケラケラと意味のない笑いを零した。成長した奴もよく笑う人間だと思っていたが、子供時代は更に輪をかけて笑い上戸のようだ。
 無駄に嬉しそうな姿にタオルを押し付ける。
「う?」
「ここが脱衣所、あっちが風呂場。わかるだろ? さっき確認したら湯は沸いてたから」
「おふろ!」
「そーだ、風呂だ。だからとっとと入って来い。オレは服を持って来る。いいな?」
 じっと相手の目を見て言い聞かせれば曖昧ながらも頷きが返された。奴の記憶がどの段階で留まっているかは知らないが、流石に風呂に入った経験ぐらいあるだろう。
 一旦、脱衣所を後にしたヤクモは自室に引き返すとタンスの中を探り始めた。
 しかし、手頃な服が見当たらない。イヅナが何処から服を持ってきたのか訊いておけばよかったと悔いながら下の段から上の段まで開けていく。自分は高校生なのだからおとなサイズの服しか入ってないのは当然で、ならばいっそ自分の服を着せておけばいいのかもしれないが、なんかその、色んな意味でそれはヤバい気がする。
 まったく、今日はマサオミひとりに振り回されてばかりだ。あいつがもとの姿に戻ったらメシでも奢らせてやろう、なんて考えながら家の中を歩き回る。
 が、捜せば捜すほど見つからない物もあるらしく。
 子供用の服が何処にも見当たらなくてヤクモはやや途方に暮れた。時計を見るまでもなくかなりの時間が経過していることは明らかで、こんなに彷徨うぐらいなら脱いだ服をその場で乾燥機にかけて急場を凌いだ方がなんぼかマシだったかもしれない。
 やれやれと頭をかきながら風呂場に戻ったところで、何故か父親に遭遇した。
 ………別に、おかしくはない。風呂場は洗面台も兼ねているからいること自体はおかしくない。ただ。
「ああ、ヤクモ。丁度よかった、こっちに来なさい」
 と、笑みを浮かべたモンジュの背景に黒雲が見えることと、何故か風呂上りに見えることと、更にはその腕の中に同じく風呂上りらしくほこほこしているマサオミがいることがおかしくて。
 もしかしてマサオミが風呂場でも壊したのだろうかとイヤな予感を抱きつつしおしおと後に続いた。
 居間よりやや離れた場所に位置する奥の間はモンジュの私室であると同時に家族会議の場でもあり、幼い頃からの説教部屋でもあった。この部屋に来ると緊張してしまうのはきっとその所為だろう。
 向かい合って座布団に腰を下ろしたところでおもむろに切り出された。
「ヤクモ。どうして風呂場にマサオミくんを置いていったのかな?」
「………風呂ならひとりでも入れると思って。着替えを捜してたんです」
「着替えなら脱衣所の籠の中にあったぞ?」
 叱責よりも先に苦笑が返された。
 どうもお前はまだ、今のマサオミくんの姿に納得がいってないようだねと。
「ちっちゃい子にはもっと親身になってあげないと駄目じゃないか。風呂の何たるかは知っているとしても、彼の時代の風呂と現代の風呂が同じだと思うかい? シャワーもなければシャンプーも石鹸もないし、うちの風呂には檜製の大きなふたがしてある。四歳児に自力でどけろだなんて酷な話だ」
「え………じゃあ、父さんは」
「マサオミくんが適当にシャワーのコックを捻って着衣のまま頭から冷水を被り逃げ惑って浴槽の角に頭をぶつけ辛うじて涙は堪えたもののふたが重くて動かせず漸くふたをどかしたと思ったら石鹸で足を滑らせて頭から浴槽に突っ込み風呂の栓に服が引っ掛かって危うく溺死しかかっているところに通りがかったが?」
「う゛」
 怖い。
 父親の笑顔が怖い。
 ついでだから一緒に入っちゃったよと続ける父に、先ずは何よりも、と素直に「すいません」と謝ってはみたものの。
 じっとこちらを見ていたマサオミにはそっぽを向かれてしまった。可愛くない上に嬉しくない。
「嫌われたなあ、ヤクモ」
 苦虫噛み潰したような顔してるこちらを余所に表情を和らげた父親が優しく頭を撫ぜると、一層にマサオミがモンジュにしがみついた。風呂場で溺れかかるなんて笑い話もいいところだが本人はかなり怖かったのかもしれない。
「よしよし。すまなかったね。どうだ? ガシンくん。今日は一緒に寝るかい?」
「ねるー!」
 全身で喜びを表現する幼児にしがみ付かれた父親が物凄く羨ましかったなんて、天地が引っくり返っても認めたりはしないけれど。




 夕刻、再び神社を訪れたイヅナは「小さな子が好きなメニューと言ったらこれでしょう?」と主張し食卓をカレーライスで飾った。
 マサオミはモンジュとイヅナの膝の上を行ったり来たりしながら食事を口に運ぶ。こちらには時に視線を寄越すぐらいで近付きもしない、あからさまな態度の違いに腹が立つ。が、面倒を見るよう言われたくせに、結果的に任を果たせていなかった己が何を言えるはずもない。
 テレビを見て談笑し、あやとりやお手玉で遊んだ後に、「今日はもう帰りますね」と惜しみながらイヅナが帰宅の途についたのは二十時頃だったろうか。
 また明日ねv と指きりゲンマンをするイヅナが最後にマサオミに着せて行ったのはこれまたナズナのお下がりの猫の着ぐるみで、ヤクモは「どれだけナズナで遊ぼうとしてたんですか」と問いたくなる衝動を堪えるのに苦労した。
 テレビのニュースを聞きながら食器を洗う。父親は新聞を読み、マサオミはクマのぬいぐるみを抱き締めてウトウトと船を漕いでいる。
 穏やかで、和やかな時間。
 だが、それは一本の電話のベルで壊された。濡れた手を拭って電話に出ようとしたヤクモを押し留め、モンジュ自身が受話器を取る。
「はい、吉川です。………ああ! はい………はい………そうですか」
 受け答えするモンジュがやや困ったように眉根を寄せる。よくない兆候だ。幼い頃から度々目にしていた、揉め事や厄介ごとばかり運んでくる面倒な電話。
 案の定、微かな音と共に受話器を置いたモンジュがすまなそうに口を開いた。
「悪いな、ヤクモ。急用が入った。戻りは明日の朝になると思う」
「分かった」
 またぞろ何処かで問題が持ち上がったのだろう。闘神士の仕事に関わらず、顔の広い父は事あるごとに呼び出される。小さい頃は淋しくなったものだが、もう子供ではないのだから大丈夫だ。
 ただ。
 いま現在進行形で「子供」である人物をどうするのかとの問題は残る訳で。
 少し後ろであくびをしているマサオミに事の次第が飲み込めているとはとても思えない。密かにヤクモは耳打ちした。
「父さん、マサオミはどうする? 一緒に寝てやるとか言ってたじゃないか」
「代わりに一緒に寝てやったらいい。名誉挽回のチャンスだぞ?」
「無理」
 ちらりと背後を見れば視線が合う前にぷいっと顔を背けられる。これでどうやって同じ布団に入れとゆーのだ。
 苦笑混じりのモンジュは「まあ、頑張れ」と息子の肩を叩くだけで助言のひとつも与えはしなかった。
「いてらっしゃあーい!」
 ズルズルとぬいぐるみを引き摺ったまま玄関口で臨時の居候がモンジュを見送る。
 戸が閉まった後、僅かに躊躇した。
 幼児が完全に寝付くまで傍にいてやるか、布団に押し込んで自分もとっとと部屋に引き上げるか。
 理想的なのは前者だと思いながら、マサオミの首根っこを引き摺って奥の部屋に用意してあった布団に強引に押し込んだ。
「うぇあ?」
「とっとと寝ろ。もう、眠いんだろ」
「ねむいー」
 へろへろと力のない笑みを浮かべる様が、何故だか「勘弁してくれよ」と情けない気分にしてくれる。
 つくづく自分は子育てに向いていないらしい。特に、こいつが相手となると。
 深いため息と共に顔を覆ったヤクモは、悩むのも疲れてきたので今日ばかりは早寝をしようとかたくこころに誓ったのだった。




 目の前にぼんやりとした光景が浮かぶ。
 はたきを脇に置いて縁側でのんびり日向ぼっこをしている。虫干しを兼ねた書物の整理を手伝いに来てくれたはずなのに先刻から助っ人は全く動く様子を見せない。
『おい! さっきから何やってるんだ?』
『んー? いや、お前さんにもこんな時代があったんだと思ってさ』
 奴が膝から持ち上げたのは一冊のアルバム。
 亡き母も写っている写真を収めたそれに思わず表情が和んだ。本の山を押し退けて隣に腰掛ける。
『それは―――幼稚園の入園式だな』
『幼稚園? 学校みたいなもんか』
『ああ』
『色々コメントが書いてあって面白いな。ヒトハちゃんと一緒に、とか。運動会で一等賞! とかさ』
 くすくすと笑う相手は心底面白がっているらしい。お前の写真も見せてみろよと言いそうになって、奴の時代に写真技術が発明されているはずもないと思い返した。
 未だに、こちらの住人だと勘違いしそうになる。いつだって過去へ帰って行く相手なのに。
『お! 面白いの発見!』
 ぱらぱらと頁をめくっていた奴がタチの悪い笑みを浮かべた。
『初めての海に驚いて半泣きになる、だってさ! 今の姿からは想像もつかないね!』
『なっ………!』
 慌てて腕を伸ばすと身体を捻ってかわされる。
『返せ!』
『やだね、こんな楽しいモン! 弱味を握って一生強請るネタにしちゃる!!』
『あほなこと言うな!!』
 一生、なんて単語にドキマギしつつも必死になって手を伸ばす。本に囲まれた状態での遣り取りじゃあ逃げる範囲も追い駆ける範囲も限られていて、
『………っと、』
 崩れそうになった本の山を支える代わりに体勢を崩した相手を支えようとして、共倒れになった。
 襲い掛かる本の洪水に揃って悲鳴を上げて、それでも相手がアルバムから手を離そうとしないから感心する以上に呆れてしまって。
 ―――胸にかかる重みが心地いい。
 くつくつと低く笑う声が喉元ちかくで響いている。さらさらと流れる茶色の髪が顔を掠めて、ああ、いま手を伸ばせば軽く抱き締めることが出来るな、なんて。
 掲げた腕を。
『………』
 どうすることも出来なくて、元通り床に下ろした。
 だって、そんな真似したら。
 そんな真似したら、きっとこいつは。
『―――ばぁーか』
『え?』
『なんでもねぇよ』
 アルバムを抱き締めていた右手で軽く胸を叩く。
 上体を起こした相手は、笑いながらも少しだけ怒っているように感じられた。




 ………なんだ、今の夢は。
 ぱっちりと目を開けてヤクモは布団の中で軽く首を振った。
 当人が現代に来ているためか、やたらと夢にあいつが出てきてしまう。夢に逃避することも出来ないのかと聊か情けなくなるけれど。
 目が覚めたついでに飲み物でも飲んでおこうと起き上がれば痺れるような寒さが身を刺した。
 時刻は深夜。時を刻む音だけが室内に響いている。
 部屋の襖を開いて、庭に面した窓から入り込む予想以上の明るさに首を傾げた。月明かりにしても目映すぎる。廊下を進む内に原因が判明し、今年は随分早いなとかじかむてのひらを握り締めた。
 はらはらと空から舞い落ちる雪が僅かな音と共に地面に染み込んで。
 木々の梢に、屋根の瓦に、敷石の上に、融けかかった結晶の上に白を被せて形を成す。ミシミシと自らの体重を乗せて響く床板の軋みさえ今は耳障りだ。疾うに闇に閉ざされているはずの廊下も聡明な白さで照らし出されている。
 外へ向けていた視線を中へと戻して。
「………」
 少し、驚いた。
 窓にべったりと貼り付いている猫の着ぐるみに。
 足音に気付いてか、振り向いた幼児はオズオズと右手に抱えたままの枕を自身へ引き寄せた。「………起きてたのか」
 寝ろよ。お子様なんだし、と意味なく首を左右に振るヤクモを余所にマサオミがほんわりと微笑む。
 額を窓に押し付けて、自らの息で曇る窓をてのひらで拭いながら舞い散る雪に魅入っている。いつから降りだしたのかは知らないが、この分だと明日の朝にはかなり積もっているかもしれない。
「雪、好きなのか?」
「すき!」
 平安のむかしにも雪はあるだろうに、視線を外に向けたまま彼は答えた。
 どこもかしこも小さいてのひらで窓の向こうの雪の欠片を追い駆けて。
「したい、みえなくなるの。………だいすき!」
「―――」
 胸を、つかれて。
 足元をみおろす。
 いつの間にか、服の裾をこっそりと物凄く控えめに、けれども確かな強さで握られていた。小さくて白い指が雪の反射と夜の暗がりでいっそ青褪めて見える。
 怖々と腰を下ろしててのひらを握り返し、あまりの冷たさに絶句した。
「っ、お前! いつから此処にいるんだ!?」
「いつ?」
「こんなに冷えて! 本当に風邪ひくぞ、バカじゃないのか!!」
 窓にへばりついていたそうな相手を無理矢理かかえあげて自室に運んだ。この分だと奥の部屋の布団も冷え切っているに違いない。それよりは先刻まで自分が篭もってた布団の方がまだあたたかいはずだと内心で誰とも知れない誰かに弁解しつつ。
 きょとんとしたままの着ぐるみを布団に転がして上から毛布を被せる。
 よじよじと這い出ようとするところを頭を抑えて引っ込めて。
「じっとしてろ。いま、あったかい飲み物もってきてやるから」
 この歳の子供に飲ませるに相応しい飲み物なんて牛乳かココアぐらいしか思い浮かばないが、果たして日本茶中心の吉川家にそんなシロモノがあったろうか。
 立ち上がろうとした瞬間、またしても足首に妙な引っ掛かりを感じて振り返る。
 布団から右手だけ伸ばしたマサオミが、ヤクモの寝巻きの裾にかろうじて指を引っ掛けていた。下から見上げてくる表情は、困り果てているような、淋しそうな、微妙なもので。
「ねない?」
「………お前が寝たら、余所で寝る。それでいいだろ」
「………ねない?」
 同じ言葉を繰り返す。
 裾を握り締める手に力を篭めて、また、誘いをかける。
「いっしょ、ねない? ヤクモ、ねない? ………いっしょ、がいい」
「―――」
「いっしょが、いい。いっしょ、ねたい。だめ?」
 ―――この、セリフを。
 おとなの姿で言われたら大問題だったな、なんて。
 繰り返しの要求に折れた形で布団に入り込めば実に無邪気にしがみ付かれた。もともとモンジュと一緒に寝たがっていたし、この頃のマサオミは誰かの寝床に入り込むのが常だったのかもしれない。幼いとか甘えてるとか淋しがりだとか、そういった理由以外に―――たぶん、先刻のような。
「あったかぁーい」
 嬉しそうに胸元に頬を摺り寄せてくるマサオミは頭の天辺から爪先まで氷のように冷え切っていた。
 自分が起きてこなかったらあのまま朝までずっとああしていて、完全に冷え切って、熱を取り戻すこともなかったんじゃないかと考えると身体が震える。
 強く抱き寄せればお返しのようにしがみ付かれた。腹を蹴るな、痛い、と苦笑すると意味を成さない笑いを返される。両腕で抱きかかえるのが躊躇われるほど小さな肩は想像以上に華奢で、たぶん、大きくなっても基本的な造りはそんなに変わらないのだろうなと考える。
「………雪、そんなに好きか」
「すきー」
 首筋にてのひらを当てられて、おいおい、お前はあったかいだろうがオレは冷たいぞと眉を顰める。仕返しとばかりに耳元に頬を寄せればやっぱり吃驚するほど冷たくて、カイロでも持ってくればよかったとちょっとだけ後悔する。
 とろとろと眠そうな声が胸元で響いた。
「………ゆき。だいすき」
「………そうか」
「っとね………も………のが………」
 へにゃり、と力の抜けきった安心しきった顔を見て。
 自分も笑い返しているのを感じながら、ヤクモも静かに目を閉じた。




 ―――翌朝。

 バン! ………バンっ!!

「………?」
 窓を叩く激しい音に目を開けた。少しずつ意識を目覚めの縁まで引き上げたヤクモは、手元のぬくもりがない事実に一気に覚醒する。
 がばり! と布団を跳ね飛ばし。
(いない………!!?)
 マサオミが、いない。
 ぬくもりは失われて久しい。見渡せば荒らされた感のあるタンスときちんと折り畳まれた着ぐるみばかりが目に付いて。
 その間も窓を叩く音は絶え間なく続いている。一体、何の音だと焦りながら窓を開け。
「うわっ!!?」
 危うく直撃するところだった雪玉をかろうじて避けた。
 聞き慣れた笑い声が響く。

「なぁーに寝ぼけ面してんだよ! もう朝だぜ!!」

 右手には音の正体である雪の玉。足元に山のようにこしらえて、隙あらば狙い撃ちしようと投手の如き臨戦態勢を気取っている。
 適当に見繕ったらしい長ズボンに長袖のシャツ、ジャケット。
 微妙にばさけた髪はそのままに。
 日の光を照り返す雪の明るさに負ける形で目を細め、訳の分からない悔しさに歯噛みした。
「………、お前っ!」
「よう。目ぇ覚めたか? あ、これ、お前の服。借りたからよろしくなー♪」
 境内一面の雪を踏み荒らして、大小とりそろえた自作の雪だるまに囲まれて。
 十七歳の姿でマサオミが悪びれもせずに笑った。




 元の姿に戻れた理由は分からないが、なるに至った経緯なら語ることが出来る。
 本当にお世話になりました、お借りした服はきちんとお返しします、とお辞儀をしたマサオミ曰く。
「実はさあ、姉上がこうも寒いとお肌の手入れが大変なのよねーって零してるのを聞いちゃってさ。化粧品でも買って帰ろうかと思ったんだけど、とにかく高いんだよな! 牛丼が何杯くえると思ってやがる!」
「………で? 化粧品を自作しようと思い立ったのか?」
 並んで壁に背をもたせかけたヤクモは顔を覆う。
 話のあほらしさに脱力しかかってるのも事実だが、何だか、マサオミが自分の服を身に着けているのが気になって仕方が無い。サイズはほとんど同じハズなのに奴が着るとやたら肩幅が小さく見えるのは何故なのだ。すべては己の希望的観測か。
「自作っつーかさー。ほら、なんつったっけ。ランチ・バイキングとかビデオ・メイキングとか」
「―――アンチ・エイジング?」
「そうそう、それ! あれって年齢若返りの秘儀のことなんだろ? どうにかして実現できないかと色々やってたら、なーんかヘンに作用してああなっちまったみたいなんだよな。ある意味じゃ成功だけど」
 数日で戻れてよかったぜ。流石のオレももっかい人生やり直すのは御免だとマサオミは笑う。
「まったく、お前は迷惑ばかりかけて………皆さんに謝れ!」
 迎えに来たタイザンはマサオミの頭を容赦なくグリグリと拳で押した。
 流石に今回ばかりは己の失態と心得ているのか、奴も素直に謝罪の言葉を口にするばかりである。
「まあまあタイザン殿、もとに戻れたのですから―――」
「そうですよ」
「いえ、モンジュ殿にイヅナ殿。こちらから押しかけておきながらなんとも申し訳なく………」
 おとなの会話に突入してしまったタイザンたちを余所に、なんとなくふたり揃って庭をぶらつく。
 色々と文句もあったはずなのに現時点では何も思い浮かばない。だから、次の機会に回しておこうとヤクモは考える。ついでとばかりにマサオミは大量の米や野菜を買い込んでいて、ともなればいずれまた何らかの燃料補給にこちらを訪れることは明白だった。
「なあ」
「あん?」
「戻った理由、本当に分からないのか」
「そうだなあ」
 前髪をかきあげながらマサオミがちょっとだけ困ったように笑う。
「ひょっとしたら、甘えたかったんじゃね? オレって素直じゃなかったもんなあ」
「なるほど」
「………納得するなよ」
 彼が親に甘えられた期間などごく僅かに過ぎず、ようやく平穏な暮らしを迎えた今になってから、当時を懐かしむようになっても無理はない。きっと幼いマサオミにはモンジュとイヅナが両親のように見えていたのだろう。自分は―――歳の離れた兄弟、と言ったところか。
 そこまで考えてから自らの想像に虚しくなった。
 兄弟。
 兄弟って、お前。なんだってそれ以上の発展性もなさそうな関係に。
「第一、素直じゃないのはお前も一緒だろ」
「え?」
 前方を歩くマサオミは心持ち歩調を速めている。
「まっさか、お前がショタコンだとは思わなかったよな〜。第三者から見たらカンペキ犯罪だぞ、あの構図。家族でもない人間があそこまでくっつくか?」
「………! お、前! 覚えてっっ!!」
 小さくなってた時のことは忘れてたと思ってたのに! と声が裏返る。
 疚しいことはしてない。してないはずだ。
 でも確かに昨夜は必要以上に力を篭めて抱き締めてしまった気がしないでもないでもないでもない。だって普段のこいつはそんなマネ死んでもさせてくれないし触れてみたらやわらかくて気持ちよかったしお前だって抵抗しなかったし! とありとあらゆる弁明が脳内を駆け巡り。
 振り向いたマサオミが不敵に笑った。
「実は、どうやれば小さくなれるのかきちっと覚えてんだ。もっかいなってやろうか?」
「やーめーろっ! はた迷惑な! 大体、小さくなってイヅナさんにいいようにされるのはお前なんだぞ! それでいいのか!?」
 着せ替え人形にされたりご飯を口に運ばれたりいちいち抱っこされたり。そんなに甘えたりないのかお前は! オレには全然甘えなかったくせに! と、もはや自覚するしかない理不尽な感情に地団駄ふみそうになった瞬間。
 物凄く不満そうにマサオミがそっぽを向いた。
 だって、お前。

「お前、あのカッコのオレでなきゃ抱き締められないんだろ」

 ………。
 ………。

「………………え?」

 ぴたり、と時が静止して。
「ガシン! そろそろ帰るぞ―――っ!!」
「あいよー」
 タイザンの呼び掛けにあっさりとマサオミが踵を返す。
 しばしその場に固まったまま、今の言葉を繰り返し繰り返し吟味して。
 まさかそんなはずはないと否定して。否定した後に甘えたかっただのショタコン呼ばわりだの素直じゃないだののセリフを思い返して。
 思い返した後にもっかい吟味して。
 ―――頬が。
 熱くなった。

「………マサオミ!!」

 嗚呼、一体どうしてくれようか。
 誤解だとかお前だからしたんだとか素直じゃないのはお互い様だとか、文句なら山のように浮かぶし異論も反論も尽きはしない。
 だが、それよりも今は遠ざかりつつある相手に駆け寄って。




 ―――抱き締めてしまうのが手っ取り早い。




 

 


 

「服の裾を摘んだりしてくれると嬉しいですv」と頼まれたのですが、それに相当する

シーンを入れようと四苦八苦していたら何故かこんなことに()。

 

ヤクモさん視点だと分かりづらいですが、マサオミさんは結構まえから「コイツ、オレのこと

好きなんじゃね?」と気付いてたようです。でもって、いつ手を出してくるのかなあと色々

仕掛けてはみたものの、性根がヘタレであるヤクモさんは何もしてこなかった、と(苦笑)。

 

他にも色々とお子様マサオミに振り回される伝説様を書いてたんですが長くなりすぎたので

割愛しました。どうせ伝説様はヘタレなんだし、別にいいよね? ← なんの話だ。

 

こんな作品ではございますが少しでもお楽しみ頂ければ幸いです〜っ。

リクエスト、ありがとうございました♪

 

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