※リクエストのお題:マサオミさんがものすごーく怒る話。

※―――だったんですけども結局あんまりマサオミさん怒らなかった; パラレル設定準拠です。

※ギャグでもOKですとのお言葉だったのですがシリアスに逃げました☆

 

 

 


「―――お前の母さんって美人だよな」

 ひとり暮らしをしている同級生は時に家を訪れてはしげしげと母の写真に魅入っていた。
 そう言われるのには慣れている。自慢の母だ。既におぼろげになっている自分の記憶の中でも「綺麗な母」との印象が焼き付いている。
 亡き母の遺影は居間に飾られ、いつでも優しく家族を見守ってくれていた。
 基本的に週に一度、友人は夕食の相伴も兼ねて遊びに来る。
 だが、彼はともすれば遊びに来たことも夕食をとることも忘れてじっと写真を見詰めており、こども心にも不思議に思うと共に微妙に神経がささくれ立つ気持ちも覚えたものであった。

 


在りし日の歌


 

 木々に寄れば蝉の鳴き声が喧しく、太陽の下に出れば焼け焦げる。
 むかしはもうちょっと涼しかったはず………と思えば声高に叫ばれる温暖化の影響も如実に感じようというものだ。しかして地球環境の改善を大至急、訴えることもないままにヤクモは縁側でのんびりと扇風機の風を感じながら読書に耽っていた。こどもは大いに勉強し、大いに遊ぶもの。そんな吉川家の家訓を忠実に守る少年は見事に小麦色の肌をしている。
 暑い暑い、中学一年生の夏休みが終わって間もない残暑の厳しい折に。
「じゃーん! これ見てみー!」
 吉川家に顔を出したマサオミがべらりと一枚の写真を押し付けてきた。
 ヤクモとは対照的に、彼はそこまで日焼けはしていなかった。
「見ろ、ヤクモ! すごいだろう!!」
 手元の本から目を離し、頬にぐりぐりと押しつけられる写真に視線を移す。
 コンサートホールで歌っているアイドルの写真。ヤクモは芸能人に疎い。アイドルと判断したのは、写真の人物が着込んだ派手な衣装と、眩いほどのスポットライトと、手にしたマイクのためである。
 ヤクモが眉間に皺よせたまま沈黙しているのでつまらなくなったのか、マサオミがぱしりと縁側の床を叩いた。
「にぶいなあ、お前! その写真みて何も気付かないのか!?」
「芸能人に興味はない」
「被写体あてろなんて誰も言ってねえよ! オレは技術を見ろっつってんの!」
 促されて渋々ヤクモは写真に視線を戻した。
 技術を褒めろと言われても―――被写体の映し方や構図を解説されたとて「すごいんだな」と頷き返すのが精一杯だ。ヤクモが自信を持って語れる技術など陰陽に関することぐらいである。
 と、そこでやっと気付いた。
 マサオミが言っているのはまさしく「それ」なのだと。
 暑さにやられて頭の回転が鈍っていたらしい。一旦目を閉じて深呼吸。再び開かれたヤクモの視線には常の鋭さが宿っていた。注意深く写真をなぞり、不機嫌そうに口をへの字に曲げた。逆に神流は楽しそうに口角を上げる。
「―――こんなことに陰陽の技を使うな」
「面白いだろ?」
 天流の手から取り返した写真を唇に当ててにんまりと笑う。
 マサオミが自信満々に持ってきたモノは「写真」ではなかった。否、素人目には単なる写真としか思えないだろう。だが、実際は。
「念写か? どうやって作った」
「闘神符に念を篭める時の応用な。ちょっとばかり術式を書き込んでやる必要はあるけど意外と分からないもんだな。おもしれー」
 ちなみに「写した」のは写真プリント用の印刷紙。むしろそっちの値が張ることのが驚いた。
 無邪気に笑う神流は本当に単なる好奇心で試してみたに違いない。記憶を頼りに何も写っていない印画紙に映像を「焼きこむ」。なるほど、その点では確かに芸能人は優秀な「被写体」である。ありとあらゆる角度から撮影した画像が世に出回っているから記憶を補うことも容易い。超能力の一種と分類されそうな術だが実際には原本に書き込む「言霊」が重要なのだろう。
「最近の世の中は著作権とかうるさいからなー。もしかして、オレが悪用するとか思ってる?」
「悪用って、どんな風にだ」
 一度は反応してやったのだからもういいだろうとヤクモは読書に戻る。手元のミステリーではいよいよ探偵が犯人の密室トリックを暴く山場に差し掛かっていた。
「どんなって―――色々あるだろ。記憶さえ確かならオエライ大臣様や可愛いアイドルの醜聞、ゴシップ作り放題! ごくごく身近なところに喩えれば、お前がオレにこびへつらってる証拠写真だって作れちゃうんだぞ!」
「お前はしない」
「なんで言い切れんだよ」
「しない。当たり前のことだ」
 何の気なしに答えると、周囲がしばし静寂に包まれた。
 聴こえてくる蝉の鳴き声、扇風機の送る風、ヤクモが本のページを捲る音。密室トリックの解法に夢中になる少年の傍らでごくごく小さな呟きが響いた。

「………ほんと伝説様は曲がらないお方で………」

 後に残るのは妙に満ち足りた沈黙。
 一方は視線を本に落としたままで、一方はぼんやりと夏の空を眺めたままで。
 エピローグまで読み終えるのを待ってひとりが問い掛ける。
「今日の夕食って誰が担当?」
「父さんだな。確か冷しゃぶって言ってた」
「おお、肉の日!!」
「もともと八割がた牛肉の日のくせに」
 偶には野菜を食え、野菜を。
 溜息と共に天流が座敷へ引っ込む。縁側で靴を脱いだ神流が笑いながら彼の背に続いた。




 ―――マサオミが吉川家にくだんの写真を持ち込んでから数日後。
「おい………まだ終わらないのか」
 ヤクモは冷房の効いた図書館で苛々と友人の用事が済むのを待っていた。
「………もう少し」
 週刊誌のグラビアにじっと見入ったまま神流の少年は動こうともしない。
 図書館には定期的に雑誌が搬入される。常に最新版が揃っている訳ではないが、週刊誌の類だって読めるのだ。だからかは知らないが、さっきから手当たり次第に雑誌をとっかえひっかえ、真剣な眼差しで見詰めているのは所謂アイドルばかり。いまをときめくトップアーティストともなれば同時に何誌ものカラーグラビアを飾ることも稀ではないらしい。
 あの日の夕方以来、何を思ったか、マサオミは足しげく図書館に通っている。図書館にいない日は本屋を練り歩いている。そうしてやはり、アイドル写真のたくさん掲載されているファッション雑誌やらスポーツ新聞やらにせっせと目を通しているのだ。
 だから、いまのマサオミは付き合いが悪い。プールに誘ってみれば図書館へ行く、カブトムシ探しを提案すれば本屋巡りをすると言う、いつもは不真面目なくせにマサオミらしくないではないか。
 しかも呆れたことに、理由を聞いてみれば「念写してみたいから」と悪気の欠片もない顔で言う。こんなことになるなら肖像権でも持ち出してしっかりはっきり否定しておくんだった。
「マサオミ。今度の土曜日はオレと一緒に道場で特訓だからな。折角父さんが時間を作ってくれたんだから絶対来いよ」
「お前………ほんとモンジュさんのこと好きなのな」
「父さんはオレの目標だからな」
「………そうか」
 ほんの僅か、マサオミがこちらを見て笑った。
 だが、笑ったと思った瞬間には視線が手元の写真に戻ってしまい。
「―――マサオミ」
「んー」
「図書館はともかく、そろそろ書店巡りはやめておけ。立ち読みばかりしてると目をつけられるぞ」
「おー」
 幾ら呼びかけても応えない相手にとうとうヤクモは愛想を尽かし、ひとりで図書館を後にした。だからヤクモは、結局マサオミが閉館時間までそこにいたかを知らない。
 彼がいなくてもこちらの日常に変わりはないので、リクが出かけるのに付き添ったり、他の友人達とサッカーに興じたり、日々やることはたくさんあった。
 ただ、その間、マサオミは一度も尋ねて来なかった。どうせ週末には来ると分かっていても何となく落ち着かないのは、学校でも奴が図書室に入り浸っていて付き合いが悪いからなのかもしれない。
 そうこうする内に土曜日になった。
 今日はマサオミがやって来る。モンジュの特訓に付き合った後は夕食までいるのが通例で、頑なに泊まってこうとしないのも常のことで、取り敢えず今日はどの辺りから説得を始めようか、なんてことまで考えていた。
 しかし。

「………は?」

 ヤクモは、特訓の見学に来たリクの言葉を聞いて目が点になった。無邪気な弟はあっさりと先程の言葉を繰り返す。
「マサオミさんならさっき来ました。でもって、アルバム借りてすぐに帰りました」
 ―――意味が分からない。
 ヤクモやモンジュに挨拶もせず帰るとか、特訓には参加しないとか、なんでアルバムを―――これはひょっとしたら「書店巡りはやめろ」との忠告を受け入れた結果かもしれないが―――とにかく。
 なんだってそんな失礼なことを。
 見る見るうちに眉間に皺を寄せる我が子を見てモンジュが笑った。
「マサオミくんは相変わらず忙しそうだね」
「父さんは怒らないんですか!? 前から約束してたのに!」
「彼からはきちんと今朝、連絡があったよ。用事があるのでご一緒できそうにありません、あと、アルバム借りてもよろしいですかって」
 お前にも朝食の席で伝えたはずだよ、と穏やかに微笑まれ、必死に記憶を探る。
 ………言っていた、ような、気もしないではないが。マサオミを引き止める策を考えるのに夢中になっていたから―――。
 その後、マサオミ抜きで特訓が始まったけれど、結果は散々だったことは言うまでもない。




 翌日。
 ヤクモは早速、友人へ文句を言いに行くことを決めた。決して、決して、親に託された野菜の煮つけを届けに行くためではない。
「マサオミのとこに行って来る」
「いってらっしゃい」
「あまり遅くならないようにな」
 親子それぞれの言葉に見送られ、ヤクモは一路マサオミ宅を目指した。
 友人の住むボロアパートはクーラーも扇風機もない。うだるような暑さの中に容赦なく西日が射し込む。普段、闘神士の能力を日常生活に使うことに躊躇いを覚えるヤクモではあるが、さすがにこんな環境では、マサオミが闘神符で部屋を冷やしにかかっても仕方がないと諦めている。
 アパートの階段は相変わらず埃が積もり、歩く度にギシギシと音がする。衛生状態に問題ありすぎだろうと来る毎に思う。
「マサオミ! いるか?」
 木製のドアをノックしても返事がない。
 試しにドアノブを回してみるとゆっくりと開いた。施錠する癖がないらしい。これはひとつ、文句を言ってやらなければならんと正義感にかられたヤクモは、部屋を覗いてすぐに呆れ返ることとなった。
「………マサオミ!?」
「ん?」
 事、ここにきて漸く部屋の主は客人の訪れに気付いたようだ。
 だが、立って出迎える様子も、座布団を差し出すこともない。そもそも彼自身が身動き取れない状況になっていた。
 何処から集めてきたのか、畳の上に延々と並べられた切抜き写真。写る人物は老若男女の区切りなく、著名な政治家だったりスポーツ選手だったり、見覚えのある学友のものであったり、果ては犬や猫などの動物に至るまで。紙や写真の合間から見える朱線は祝詞を表しているようであった。
 マサオミは畳一面に術式を書いて「念写」に没頭しているのだ。
 おまけに部屋が暑い。
 ものすごく暑い。
 術に集中するあまり、部屋を「冷やす」ことすら忘れているらしい。できる限り空いている場所を探して、取り敢えず、野菜の煮付けを空っぽの冷蔵庫に押し込んで。
「………なにしてるんだ」
「んー………」
 僅かに答えたのみで、再びマサオミは目の前の写真に視線を戻す。
 彼の膝には一冊の古びたアルバムが抱え込まれていた。見覚えのあるそれは間違いなく吉川家のものである。そういえば先日、リクが何か言っていたような気がする。
 他人の家の思い出を勝手に拝借して訓練の道具にするなと、ヤクモの中で苛立ちが募る。
「―――まだこんなことやってたのか。いい加減にしろ。確かにお前は悪用はしないだろうが、お前の能力が何処かからもれたら誰が悪用しないとも限らない」
「んー………」
「こんなにたくさん作ってどうするんだ。誰かに配るのか? 処分はどうするんだ」
「んー………」
 マサオミは一向に振り返らない。
 苛々する。普段はやめろと言っても際限なく喋りかけてくる癖に、目の前の写真もどきがそんなに大切か。
 瞬きを繰り返す緑色の瞳。
 暑苦しい部屋の中で愚痴も零さず、流れる汗を拭うでもなく、一心に目の前の「作られた映像」を見詰めている。
 不意に、瞳が優しく煙る。口許がごくごく僅かな微笑を浮かべた。
「マサオミ」
「………」
「こっちを見ろ。ひとの話を聞く時はきちんと相手の目を見ろって父さんに教わらなかったのか」
「………」
「―――マサオミ!」
 舌打ちと共に足を踏み出す。空気の流れに乗って何枚ものニセ写真がふわりと翻った。
 手が、伸びて。
 彼の握り締めていた写真を奪い去った。

「いい加減にしろと言ってるんだ!」
「っ!」

 それは。
 偶然か、必然か、当然の結果か。
 マサオミの右手とヤクモの右手に引っ張られた紙は双方の力に根負けし―――引き裂かれた。

「あっ………」

 零れた声がどちらのものだったのかは定かではない。
 ただ、あまりにも呆気なくそれは破れた。
 切り裂かれてしまえば術式も何も関係なく、浮かんでいた虚像は宙に散る。残されたのは真っ白に戻ったただの印画紙だ。
 ヤクモは焦った。苛立ったのは事実だが破ろうだなんて思ってなかった。
「す、すまない! すぐ繋いで―――」
 繋いでも直るはずがない。術で描いた画像なのだから。ましてやヤクモ自身は術の詳細を知らないし、友人が何を思い描いていたのかも分からない。
 彼は手元に残った半分の印画紙を食い入るように見詰めている。
 反応の薄さは驚くほどだ。いつもなら「何するんだよ!」とか「ひでえ!」とか反射的に言葉を返してくるのに、それすらないなんて。
 痛いほどの沈黙の後、ぽつりと少年が呟いた。

「―――帰れ」

 畳みの上に座り込んでいた友人がゆっくり視線をこちらへ向ける。
 普段の陽気さは微塵もなく、笑みや怒りといった感情さえも浮かべることなく。
 ただ、淡々と。

「帰れ」

 繰り返されるセリフに反論すらできず―――ヤクモは黙って友人の望みに従った。
 アパートを出てから友人の部屋を振り返る。二階の角が神流に割り当てられた部屋だが、窓からこちらを見送ってくれる様子もない。
 ―――謝ったじゃないか。
 やや頬を膨らませてそんな不満を抱く。
 こっちはちゃんと謝ったじゃないか。大体、急に約束を反故にしたり、声をかけてもきちんと返事をしなかったのは向こうではないか。一方的に追い返されるなんて納得できない。
 できないけれど………明日、学校で会えばいつも通りだろうと気楽に思っていた。
 だが。




「よっ、ヤクモ! おはようさん。そうそう、昨日は悪かったな」
「―――マサオミ?」
「ちょっとばかり取り込んでてさあ。すまなかったな。あ、これ、借りてたアルバムと煮付けが入ってたパック。美味かったってお礼ゆっといて」
 学校で会うなり友人がアルバムと空のパックを押し付けてくる。
 飄々と笑う姿は見慣れたものだ。周囲もふたりの遣り取りをいつものことだと受け流している。
 確かにマサオミの反応はヤクモが想像していたものでもあった。出会い頭に軽く謝って、他愛もない話をして済し崩し。もとより他流派、敵同士。必要以上の馴れ合いなんて望んじゃいないし、進んで仲良くしようとも思わない。
 なのに。
「………マサオミ」
「うん?」
「………おはよう」
「反応遅えよ」
 こちらの頭を小突いてくるマサオミの目が、笑っていない。
 一度そう思ってしまうともう駄目で、廊下ですれ違っても、合同授業でも、翡翠の瞳がひどく冷めているように感じられてならない。
 親しみではなく拒絶を、親愛ではなく諦観を、信頼ではなく嘲笑を。
 瞳の奥に勝手に覗いてしまうのは罪悪感故なのか。
 謝ったのに許さないあいつが悪いんだと思いながら、無遠慮に奴の陣地に踏み込んだのはこちらなので強気に出れない。
 学校でふたりの遣り取りを見守っていたナナが呆れて溜息をついた。
「あんたたち、また喧嘩したの?」
「してない」
「嘘つきなさいよ。お昼だって一緒に食べてないし、あいつ、最近あんたン家にも行ってないみたいじゃない」
 どうしてそんなことまで知ってるんだと友人の情報収集能力に突っ込みを入れるのは今更過ぎる。
 これは喧嘩じゃないと自信を持って反論したかった。マサオミが一方的に冷戦を仕掛けてきているだけだ。殴り合いや罵りあいではなく、係わり合いすら拒否する一番最低な、一番―――胸に堪える喧嘩を。
 あんな奴どうでもいい。敵だし。謝った相手を許さないようなこころの狭い人間なんか知るものか。
 と、繰り返し自分に言い聞かせてはみるものの。
 持ち帰ったアルバムを自宅の居間で捲れば若い両親と幼かりし頃の自分に笑顔で出迎えられて微妙に表情が緩んだ。
 実際、写真はありがたいものだ。ヤクモには母親の記憶がほとんどない。薄っすらと覚えてはいるが幼稚園児の記憶などあってなきが如しだ。記録映像として残された写真がなければ母親の面影さえも思い出せなくなっていたかもしれない。
 ―――彼もまた、誰かの姿を写真に留めたかったのだろうか。
 家族や友人、もしくは好きな誰か。吉川家のアルバムをもとに作り上げた『誰か』。
 写真を見詰めている際に奴が浮かべた微笑を思い出す。
 懐かしい、いとおしいものを見る眼差しをしていた。漸く取り戻した、思い描いたものを突然に取り上げられたなら―――。
(………)
 やっぱり、もう一度謝ってこよう。
 何を悪いと思ったのか正直にきちんと伝えよう。それに、あまり認めたくない事実ではあるが、ヤクモは、マサオミにもっと笑ってもらいたいのだ。表面だけ取り繕った薄っぺらい笑顔ではなく、冷えた硝子玉のような目ではなく、心底楽しそうで、信頼に満ちた目をしていてもらいたいのだ。
 敵であっても、同じ学校にいる間は仲間でもあるはずなのだから。
 ヤクモは重たい腰を上げると父親と弟に一声かけて家を出た。




 空が茜色に染まりつつある。
 携帯電話は持ち合わせていないので術で捜すことにした。精神を集中して相手の居場所を探る。主にリクのために培われた能力ではあるが、神出鬼没な神流を捜すのにも存外役立っている。
 彼が学校帰りに何をしているのかをヤクモはよく知らない。吉川家に遊びに来る日以外は、神流の集いにでも参加しているのだろうか。地流と戦っているのだろうか。アパートでゴロゴロしているのだろうか。よく分からない。
 神流の気配を追い、通い慣れた商店街へ進む。
 夕方の目抜き通りは大勢のひとと車、自転車で溢れかえっている。ともすれば見失いそうになる気配を必死にたどり、目を配り、注意する。
「あ………」
 居た。
 通りの反対側。
 ショーウィンドウを覗き込む学生服。
 追いかけようとして赤信号に阻まれる。横断歩道の前で足踏みしている間に相手はふらふらと歩き出す。

「―――マサオミ!」

 呼んだ。
 だが、この喧騒では聞こえない。青信号になるのももどかしく走って渡ったが、またしても姿を見失う。気配だけは途切れながらも続いているのに肝心の相手が捕まらない。
 行き交う色とりどりの服の中に浮かび上がる黒の制服。追いかけて、人波に行く手を阻まれて、何をそんなに焦っているんだと自問自答しつつ距離を詰める。
 やっとの思いで、肩に手が届くほどの距離まで近付いた。

「マサオミ!!」

 ゆっくりと相手が振り向いた。色も感情もない、綺麗に透き通っただけの瞳。
 笑うでも驚くでも声をかけるでもなく沈黙を貫いているのは、つまるところヤクモの尾行がバレバレだったのだろう。
 呼吸を落ち着けて、ヤクモは改めて友人を見た。周囲にひとは溢れているけど往来の激しい場所だ。何を告げても頓着されまい。
「その………すまなかった。この間のこと、まだ、ちゃんと謝ってなかった気がしたから」
「………」
「でもオレは、お前も悪いと思う。何度も呼んだのに返事しないなんて失礼にも程がある」
「………」
「けど、お前が―――つくってたものが、とても大切なモノだったなら。もう一度きちんと謝りたい」

 何を作っていた?
 何を描いていた。
 そこに描かれるものは虚構に過ぎないのに。

 ヤクモの言葉に耳を傾けていたマサオミが不意に視線を逸らす。信号が再び青に変わっていた。
 ひとの流れに乗って彼が歩き出す。必然的に、ヤクモも追いかけることになった。
 ふらふら、ふらふらと。
 いつもなら追い越したり、隣に並んだり、問答無用で腕や首根っこ引っ掴んだりするのだけれど。
 微妙に声をかけるのが憚られる雰囲気に、一定の距離を保ったまま後ろからついて行く。
 こちらの考えを伝えた以上は相手の反応を待つしかない。無視される、との選択肢は思い浮かばなかった。もし神流が無視や逃亡を決め込んだなら人目も気にせず<道>を開いて掻き消えていたはずである。
 商店街の中でもやたら賑やかな一画にやって来た。
 ヤクモはあまり来たことがない場所である。なんの用があるのかと疑問に思いつつマサオミに続いて店内に足を踏み込んだ。所狭しと並べられた機械類、わぁわぁと叫ぶ同年代の子供達、こびりついて離れない煙草の匂い、薄暗い照明と明るいショーケース。
 ゲームセンターだ。
 音の洪水に気圧されたようにポカンと突っ立っているとマサオミに手を引かれた。
「―――おい?」
 無言、無表情、無愛想のままゲーム機の合間をすり抜けて、センター片隅のややうらびれたボックスの前に立つ。
 ポケットから取り出した小銭を神流が台にセットした。機械のセリフに従い、実に適当な態度で画面の指示に従って取捨選択していく。
 ひたすらに疑問符を飛ばしている内に肩を叩かれた。

「正面」
「―――正面?」

 久しぶりに。
 本当に物凄く久しぶりに、声をかけられた。笑いかけられた。瞳の色が、いつもの、前の通りの、明るい奴の。

 ピロリ〜ン♪

 間抜けな声と共にシャッター音が響いた。
 程なくして足下から何かが出てくる。薄っぺらくて安っぽい、如何にもな出来。
 紙の真ん中で折り目をつけてマサオミが綺麗にそれをふたつに割いた。片方をヤクモの胸に押し付けて笑う。
「半分お前のな。ま、今回はオレが奢ってやろうじゃないの!」
「は?」
 無理矢理押し付けられたもの。
 きょとんとした表情の自分と、笑顔全開でピースまでしているマサオミ。
「………プリクラってやつか?」
「さーって! ゲーセン来るのなんて久しぶりだなー。ヤクモ、格ゲーとかできる?」
「それを聞くのか」
「だよなあ。聞くだけ野暮だったな。でもアーケードならできんじゃね?」
 出来ないんだなと挑発的に笑われて、ムッと眉間に皺が寄る。
「馬鹿にするな! こんなのは運動神経さえよければそこそこできるんだよ!」
「経験がものを言うのがゲームだぜ? あ、でもオレあんまり金もってねえや。軍資金いくら?」
「………三百円」
「オレも。こうなったら三本勝負で行くしかねえな!」
 カーレースで勝負して、音ゲーで競り合って、シューティングで戦って。
 白熱した戦いを繰り広げた覚えはあるのだが、勝敗の行方だけはすっぽりと抜け落ちている。ただ、その日、マサオミは吉川家を訪れていつも通りに夕食を共にした。
 ヤクモはそれだけで不思議と満足してしまって―――だから結局。
 あの時のマサオミが何を「念写」しようとしていたか確認し忘れてしまったのだ。




 広い縁側で風に吹かれながら手元の色あせたプリクラに目を落とすと、何年も前の自分たちがそこには刻まれていた。
 中学に入った時は随分とおとなになった気がしたものだ。でも、大学生のいまの自分から見ると記憶にあるものよりも幼く感じられる。数年も経てば、大学時代の自分を振り返って同じ感想を抱くのだろうか。
 畳が軋む音。次いで、左肩に控えめな重さが加わった。寝惚けているのだとしても進んで触れ合うようになってくれたと思うと感慨深い。
「なーに見てんだ………?」
「懐かしくなって持ってきた」
 自宅の整理中に発見したアルバム。
 途中のページの片隅に貼られていたのは、中学一年生当時のふたりのプリクラ。ヤクモの左肩に頭を預けたマサオミが視線をやわらげる。
 ヤクモが口を開いた。
「………結局なんのために念写してたんだ?」
「今更きくかあ? 理由なんてどうだってよくね」
「あの時は上手いこと誤魔化されたからな。それに、あれ以降は全然念写をする様子もなかったし、ずっと不思議に思っていたんだぞ」
 数年経ったから時効だろ、と不機嫌になる相手に、時効なら尚更教えたっていいじゃないかと食い下がる。
 しばしの沈黙のあと、観念したようにマサオミが、

「―――アカネさん」

 天を、指差して。

「アカネさんの姿を写真に焼いてさ、その、………吉川家の家族団欒な風景を再現できないかと思ってたんだよな」
 そのために、わざわざ出来栄えをヤクモに聞いて、アルバム借りて、他の被写体でも色々試して。
 自分の母とマサオミが顔見知りであったことをいまのヤクモは知っている。
 だが、当時は知らなかったから、もしあの時おなじ内容を聞かされていたら却って悩みが深まっていたかもしれない。
「どうしてそんなものを………」
「―――近かったろ、お前の誕生日。結局、無駄な努力は諦めて自転車でツーリングになったけどさ! 実行しなくてよかったわ、いやホント」
「オレは喜んだと思うぞ?」
「どう頑張ったってニセモノはニセモノだ」
 お前の誕生日ってことを言い訳に、アカネさんの写真を一番に欲しがっていたのは自分だと気付いてしまったらもう駄目だったと神流は重ねて笑う。
 ヤクモは、開いていたアルバムを手近な荷物の山に積み分けて。

 ―――明日。
 ゲームセンターに立ち寄って、写真を撮ろう。

 お前が此処にいるのは「夢」ではなく確かな「現実」で、「ニセモノ」ではなく「ホンモノ」なのだと―――疑り深い大切な人間に言い聞かせてやるために。

 

 


 

どうにか怒ってもらおうとしたものの、本シリーズのマサオミさんは悟りの境地まで達していたので無理でした(苦)

プリンやケーキの取り合いにした方がまだ楽だったのかなー。うーん。

この話はもう一本の『陰陽』リク話と微妙にリンクしてます。本当に微妙ですけど(笑)

 

こんな話ですが、少しでも楽しんでいただければ嬉しく思います。

リクエストありがとうございましたー♪

 

BACK    TOP

 


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理