026.トイチ


 

 暗がりの中で荒い息遣いが聞こえる。
 それが自分のものなのだと意識するまで多少の時間を要した。らしくもなく疲れきっているな、と洞窟に肩を寄りかからせながらヤクモは自嘲する。
 神流を見かけて追いかけたはいいが、伏魔殿の構造については奴等の方が上手だったらしく、妖怪の巣へと案内されてしまった。おまけに神流闘神士から一斉攻撃を受けた上に、行く先々で密かに仕組まれていた陣におめおめと入り込んでしまった。
 複雑に絡み合う八卦陣が気力を通常の何倍もの速さで失わせていく。急ぎ抜け出した頃にはかなりの力を吸い取られていて、その後は気力の消耗を防ぐために降神はせずに符だけで切り抜けてきた。しかしそれもそろそろ限界だ。
 背後から奇声を発しながら妖怪が襲いかかる。
「くっ!!」
 震える腕を叱咤して闘神符を投げつける。

 < 壁 >

 赤い文様と共に浮かび上がった防御壁が妖怪たちを粉みじんに打ち砕く。後ろに続く一群は恐れをなしたのか一定の距離を置いて近づこうとはしない。あるいはこちらの自滅を狙っているのか。
「くそ………」
 気力の尽きない内に此処を抜け出さなければならない。が、追い回されたおかげで方向感覚も滅茶苦茶で自身の居る場所すら定かではない。このままいけば遠からずヤクモの力は尽きて連中に貪られることになるだろう。
(冗談じゃない)
 覚束ない足取りで薄暗い洞窟内を歩く。後ろからはまるで護衛するかのように妖怪たちが隙を窺いつつ付いて来る。時折り符を構えて牽制しながら、早くどこかへ通じるポイントが見つからないかと目を走らせた。
 その時、僅かに視界の隅を掠めた光に気づく。
 ―――出口だ。
 間違いない。
 後ろの連中に気づかれないよう足音を忍ばせて徐々に体勢を切り替えていく。
(―――いまだ!!)
 駆け出したヤクモから一歩遅れて妖怪たちが宙を舞う。

 オオオオォォォッッッ!!!

「ちっ!」
 気づかれたか!
 悲鳴を上げる足を無理矢理に動かして光の差し込む方向へと走る。現実世界へと戻るための扉が開いて彼を手招く。
 大地を蹴り、光の渦へ飛び込んだ。足元を妖怪の爪先が掠めたのを知る。もんどりうって倒れたヤクモは、激しく咳き込んだその後で周囲が静けさを取り戻していることを知った。背後に迫っていた殺気はもはや感じられない。振り向いた先ではぼんやりと陣が光を放っているだけだ。
(逃げ切れ………たのか………?)
 安堵すると同時に情けない状況に重ねて自嘲するしかない。「伝説の最強闘神士」と謳われても実体はこんなものだ。
 ゆっくりと辺りを見渡して、覚えのある景色だなと思う。どこかの薄暗い木作りの個室の中。外から微かに月明かりが差し込んでいる。立ち上がった瞬間に右足にかなりの痛みを感じたが無視して歩を進め、世界を仕切る格子を開け放った。
 正面の大地を染め上げる月光の眩さに瞬間的に目を細めた。
 少し開けた土地に鳥居とささやかな木々の連なり。灯篭が置かれた先、遠くに町並みが透けて見えている。自分の位置するのはご神体が祭られているはずの社であった。
 ―――そうか、此処は。

(あの子の町だ)

 天神町、と言っただろうか。自分よりも幼い身で天流宗家の宿命を背負う少年のいる町だ。偶然の産物とは言えこの町にたどり着いたことを何だか面白く感じる。
 戸は開け放ったままの状態で階段の踊り場に腰掛けた。右足の裂傷は適当に布を巻いて誤魔化す。ほっといていい類の怪我ではないと分かっていたが、いまはとにかく眠たくてたまらなかった。自宅に戻るだけの体力もない。悪いが今夜一晩だけこの社を貸してもらおう。ズルズルと眠りに引きずられて倒れるが如き勢いで身体を傾がせる。
 柱に頭をもたせかけてぼんやりと天空の月を眺めた。位置からしていまはもう深夜、だろうか。
(明日の朝には帰らないとな………)
 こころの片隅でそう考えたのを最後に、ヤクモは深い眠りの中へと意識を埋没させた。




 ふわふわと視界が上下して身体も一緒に揺れている。鼻先で猫のような白い毛がチラチラと靡いて妙に懐かしい感覚を呼び起こす。ぼんやりと開いた先、肩越しに望む世界、己よりも心持ち高い視点、滑り落ちないようしっかりと支えてくれる両腕。
 背負われるのなんていつ以来だろうと内面が囁く。
(ああ………そうか………)
 かつて『彼』が『アカツキ』と呼ばれていた頃に、幼い自分は随分と懐いていたらしい。カラカラと彼の尻尾の先で鳴る鈴の音を追い回して例の式神をえらく困惑させて、それをいつだって父は穏やかな笑顔と眼差しで見つめていた。ヤクモは本当にアカツキが好きだなぁと笑いながら、でも結局最後は父の背中にしがみついて家路を辿った。
 ゆっくりと布団に下ろされる。やわらかなその感触が嬉しくて自然と笑みが零れる。
 アカツキと父親の背中に交互に世話になって彼らを苦笑させながら、甘えることを許されていた幼い日の自分を懐かしむ。還りたいとは思わない―――でも、きっと、こんな穏やかな日々がなければ自分は大切なものを取り戻すために立ち上がったりしなかったろう。
 ふ、とモンジュが苦笑いした。どうやらヤクモは服の裾を握り締めたままでいたらしい。
『ヤクモ………起きているのかい?』
 優しく、数回、髪の毛を撫ぜられる。
 それが嬉しくてヤクモはまた微笑う。嬉しいついでに父親の首にギュッとしがみついた。

『父さん―――大好きだ』

 父親は「ありがとう」と返してヤクモの頭を枕の上へと戻す。
『もうお休み』
『………うん』
 素直に頷いてヤクモはモゾモゾと布団に潜り込んだ。世界は白と黄金のあたたかな光で満たされている。闘いを知る前のひどく穏やかでなまぬるくて泣きたくなるような遠い記憶。
 今日は随分夢見がいいもんだ―――。
 片隅で目覚めているヤクモの自我はそこまで考えて、後はズルズルとまた無意識の中にすべてが引きずり込まれていった。




「………」
 翌朝、ヤクモは窓の外から差し込む日の光と小鳥の鳴き声という、ひどく健康的なオプションによって目を覚まされた。寝起きの働かない頭をゆっくりと動かしてまずは状況を確認する。まず視界に飛び込んできたのは古びた板張りの天井。………少なくとも伏魔殿ではなさそうだ。
(そうか、確か昨夜は―――)
 妖怪連中に追い回されて気力がつきかけた段階でようやく現実に帰り着いたんだったっけ。そして、そのまま社で眠りに就いたつもりだったのだが。
 足元を探ってみれば右足には丁寧に包帯が巻かれている。トレードマークのボロボロ長衣は傍に畳んで置いてあるし、神操機も並んで鎮座している。他に見えるのは襖と障子と窓と勉強机。どうやら害意ある相手に捕まった訳ではないらしい。
「………?」
 いよいよ訳が分からなくなってのっそりと立ち上がる。
 スラリと襖を開け放った奥、テレビの前でカタカタと食器を片付けている少年と目がかち合った。途端、相手は恥ずかしそうに笑みを浮かべる。
「あ………お、おはようございますっ。よく眠れましたか?」
「君は―――」

 確か。
 コゲンタの現契約者の。

 と、思う間もなく件の式神がヒョイッと顔を覗かせる。
『よう、ヤクモ! 元気そうじゃねーか。怪我の具合はどうだ?』
 降神前の彼の姿は半透明で向こうが透けて見えている。慣れない人間からしたら間違いなく幽霊だ。

 カラン。

 彼の尻尾の先で大き目の鈴が揺れる。ああ、そうか、とヤクモは合点が行った。
「怪我は大丈夫だ。………もしかしてふたりがここまで連れてきてくれたのか?」
『ん? ああ、まぁな。妙な気配がするからってんで社に駆けつけてみたらお前がぶっ倒れててよー、全く驚いたぜ』
 リクにお前を背負えってのは酷な話だし、と続けられて、なるほどだからあんな夢を見たのだなとひとり頷く。
 急いで食器を片付けている少年はすっかり学生服を着こんで出かける直前の出で立ちである。どうやら一番忙しい時間帯に起きだしてしまったらしい。
「リク。ありがとう、世話になった」
「え? い、いえ、そんなことありませんよ。で、でもっ、怪我の手当てはちゃんとしといた方が………っ」
「そうだな。悪かった」
 チラリと食卓に目を向ければ焼け焦げた魚と崩壊した玉子焼きと紫色した味噌汁とドロドロに溶けたご飯が用意されていた。突然の来訪者のために作ってくれたのだろう―――とは言え、味の保証はなさそうだが。
 右足を庇いながら座布団に腰を落ち着ける。既に食べ終えたらしい家主は忘れ物がないか学生鞄の中を最終チェック中である。
「今日はリクしかいないのか? 同居人がいなかったっけ?」
「あ………ええと、ソーマくんはお家の方のお見舞いで、ナズナちゃんも………ちょっと京都の太白神社に用事があるとかで」
「太白で? ―――何かあったか」
 本来なら己が守護すべき神社の名を出されてヤクモが視線を鋭くする。
 が、どうも目の前の少年がやたら挙動不審なのに気を取られてしまう。意味なく鞄を開けたり閉めたり、湯飲みを持って洗い場に向かったかと思えば何もしないで戻ってきたり、テレビのリモコンを逆さまの状態で操作しようとしたり、一体何がしたいのか問い詰めたくなる。
 何より、こちらと目を合わせようとしない。何度も会ってないのにもしかして嫌われたのかと思うとショックだったが、それにしては雰囲気がやわらかだ。気のせいか顔も赤い。
「―――リク」
「! は、はいっ、何でしょうっ!?」
 びっくぅ!! とリクが跳ね上がって正座する。カチンコチンに固まった様子はいっそ哀れなほどだ。
 果たして彼は何に怯えているのだろう。
「いや、何でもないんだが………どうかしたのか? 顔が赤い。熱でもあるのか?」
「い、いえ、そんな訳じゃないんです! ホントです!」
 ブンブンと激しくリクが頭を左右に振る。
 おいおい頼むから落ち着いてくれよ、と誰に向けたか分からないため息をつきながらヤクモはそっと手を伸ばす。リクの額に丁寧にてのひらをあてた。………やはりあたたかい。
「やっぱりちょっと熱が―――リク?」
 ガタッ! と急に相手が立ち上がったことでヤクモのてのひらは離れる。呆気に取られているヤクモを他所にリクは鞄を抱え上げ、こちらも見もしないで玄関口まで猛ダッシュした。
「リ………」
「か、鍵! 食卓に置いてありますから! 郵便受けに入れておいてくださいっ!!」
 そのまま足をもつれさせながら飛び出していく。後には開け放たれたままの戸と呆然としたままのヤクモが残された。伸ばしたままの腕がムナシイ。
「一体なんだってんだ………?」
『おい、ヤクモ』
 フワリ、と白虎が姿を現す。契約に縛られた彼はリクについていなければならないのに、珍しくも此処に留まっている。
『お前なんにも覚えてねぇのか?』
「覚えてるって―――何を」
『………………なら、いい』
 ダメだこりゃ、と内心で彼が呟いたのが見て取れた。追求したいところではあるが式神は「元気でやれよ、モンジュにヨロシクな」と言い置いてさっさと姿を消してしまう。きっとリクの後を追ったのだろう。
 完全に放置されたヤクモは未だ間抜けな顔をしながら戸を閉めてぼんやりと朝食に手を伸ばす。崩れかけた玉子焼きを口にする直前、不満そうに眉根を寄せる。
「オレが一体なにしたってんだ?」
 記憶にないことで咎められるのは納得がいかない。
 しかしむかしから自分は寝癖が悪いらしいから強く出るのも難だろう。もしかしたらあの少年に寝ぼけて飛び蹴りくらい食らわせてしまったかもしれないではないか? まあ、そんなことしてたらコゲンタによって家から追放されているだろうが………。
 パクン、と玉子焼きを口に含む。
 味は―――。
 外見から想像した通りのものだった。




 まさしく死にそうになりながら割り当て分の朝食をやっとの思いでたいらげた。残すなんて勿体無いことはしない。食べ物を残したら作った人に悪い、勿体無いオバケが出てきて騒ぐ、幼い頃からそう指導されて育った彼である。しかし本日の試練はなかなか酷であった。
 おまけに家路につこうかと食卓の鍵を玄関口に差し込んでみれば、
「………………合わない」
 見事に鍵穴が一致しなくて途方に暮れた。どうやらここ、太刀花荘の管理人である少年は別の鍵を間違って残してしまったらしい。開け放して帰るのは気が引ける。学校まで取りに行くのも迷惑だ。
 仕方ないので帰宅は早々に諦めて屋内の整理に取り掛かった。一宿一飯の恩義というものである。
 と、いう訳で。

「式神、降神!!」

 こういう時、使えるモンは使わないと損である。
 いきなり呼びつけられた面々は嫌な予感にそれぞれ顔を見合わせている。
『ヤクモ殿………我らを呼んだのは一体………』
 敵だっていないのに、と言い出す前に。

「手伝ってもらおうと思って」

 ニッコリ笑って相手の反論を封じた。ブーブーと文句を垂れていた式神たちもヤクモの笑顔に秘められた無言の圧力に恐れをなして黙り込む。
「サネマロは庭の剪定。ブリュネは風呂掃除と窓拭き。タンカムイは床の雑巾がけ。リクドウは居間に掃除機をかけろ。タカマルは屋根瓦の点検だ!」
『その間ヤクモ殿はどうするのでおじゃるか………?』
 オズオズとサネマロが問い掛ける。まさか式神たちだけに働かせるほどヤクモも鬼ではない。
「オレは食器洗いと洗濯担当だ。いいな、皆。手を抜くんじゃないぞ!」
 合点でい! と式神五体の声が唱和される。
 それぞれがやる気を出して掃除にとりかかる。片付けながらふと「どうしてこんな大掃除まがいのことをやってるんだ………?」と我に返らないでもないが、どうせいつもモンジュに手伝わされていたことだ。あまり深くは考えるまい。
 掃除洗濯も粗方おわり、疲労困憊の式神たちを神操機の中へ戻してやる。暮れてきた陽の光にさて、夕食はどうするかと台所へ歩を向けた。何を作るにも材料が足りないようだと冷蔵庫を覗き込み、けれど買い出しに行くには己の財布が寒すぎる、と形のいい顎に手を当ててしばし考え込んだ。
 悩むヤクモの耳に誰かの呼び声が届く。リクが帰ってきたのかもしれない。
 ガラリ、と戸を開ければ、予想と違ってツンツン頭の少年が驚いた表情をして立っていた。どこかで見たような気もするがハッキリ覚えていない。たぶん、リクの学友だろう。背中にネギしょってる辺り妙な少年だが、おそらく向こうにしてみればヤクモの方が不審人物に見えるに違いない。
 にっこりと人好きのする笑みをヤクモは浮かべた。
「ああ、いらっしゃい。リクならいま出かけてるけど、何か用かい?」
「え? あ、い、いえ………」
 幾分頬を赤らめながら少年が目を逸らす。彼の両腕にはスーパーの袋がしっかと握られていた。
「その―――あいつ、今日、ちょっと学校で様子がおかしかったんで。い、いないんなら、いいんです」
「様子が?」
 やっぱり熱でもあったんだろうか。朝、引き止めておかなかったことをヤクモは後悔した。
 同学年らしいこの少年が帰途についているならばリクだってとっくに下校していてもいいはずだ。なのに帰ってこないということは―――何処かの闘神士に闘いでも挑まれたか。コゲンタがついていれば滅多なことはないと思うがそれでも不安は募る。
「上の空っつーか何つーか、オマケにボート部の練習もほっといて先に帰っちまうし………あ、あの、これ、差し入れです」
「………ありがとう」
 どっかと両腕一杯のスーパーの袋を手渡されて戸惑う。中身は白菜、ニンジン、きゅうりなどの野菜でほとんどが埋め尽くされていた。
「じゃあ、あいつにヨロシク言っといてください」
「え? いいのかい? 多分もうすぐリクは帰ってくるだろうし………この材料」
「いいです。野菜たべるように言っといてください」
 ザッザッと潔く背を向けて歩き出した少年は、しかし、戸口を渡る直前でこちらを振り向いた。

「ところで―――どなたですか?」

 ………聞く順番が違う、と思うのだが。
 リクがああだから友達も変わった奴が多いんだなぁとヤクモは妙な納得の仕方をした。
「ああ、オレは知り合いの知り合い。偶々用事があって今日はここにいるけどね」
 少なくとも嘘は言っていない。
 相手は複雑そうな顔で「そうですか」と言って、そのまま立ち去っていった。果たして彼が何者だったのかヤクモこそ聞いておきたかったのだが、あまりにも潔い立ち去りっぷりに呼び止めるのも憚られた。まあ何にしてもこの陣中見舞いはありがたい。野菜ばかりではあるがこれを今日の食材とさせて頂こう。
 中身を確認して夕食の献立を考えながら、そういえばあの子は鞄にさしたネギだけは置いてかなかったな、と思い出す。もしかしたらネギは彼のトレードマークなのかもしれない。そんな中学生いたって嬉しくも何ともないのだが、リクに伝えるには丁度いい目印だと合点しておいた。




 グツグツと鍋が湯だっていい香りが漂いだす。冷蔵庫から探し出した賞味期限切れ寸前の魚やら肉やらを使ってどうにか食事らしい食事を整えた。もしかしなくてもこの家の備えはいつもあんなものなのだろうか。例の少年が差し入れしたくなるのも頷ける。
(おっと、そろそろ雨戸を閉めておかないとな)
 ガスの火を止めて廊下に向かう。ガタガタと立て付けの悪い納戸を閉めている最中に、聞き覚えのある声が玄関口から響いてきた。無論、天流宗家とその式神である。
 大分暗くなっての帰宅だから一戦かましてきただろうことは想像に難くないが、にしては、随分と喧しい。険悪一歩手前のムード、と言うべきか。

「―――だから関係ないって言ってるだろ!! 君にはボクの気持ちなんてわかんないよ!」
『おい、リク。そうじゃなくてだなぁ………』
「うるさい! しばらく黙ってて!!」

 バタン! と何かを閉める音。次いで封じの音色が聞こえた。こっそり顔を覗かせてみれば家主が冷蔵庫の前でハァハァと息を切らせている。<封>の闘神符がびったりと張られた冷凍庫の中からは『おい、リク! 出せってば!』という前契約者のなんとも情けない声が響いていた。
(………喧嘩したのか?)
 実に割り込みにくい空気だ。しかし、いつまでも柱の影に潜んでいる訳にも行くまい。
 観念したヤクモは何気ない風を装ってリクに声をかけた。
「お帰り、リク。随分遅かったんだな」
「―――っ!! えっ、ヤ、ヤクモさんっっ!?」
 飛び上がって驚いたリクが慌てて振り返る。可哀想なぐらいに取り乱していた。
「ど、どうして此処にいるんです!?」
「一宿一飯の恩義を返そうかと思ってね」
 さり気なく冷凍庫に視線を移す。
「―――喧嘩でもした?」
「う………あ、いえ、その………」
 答えに詰まってリクが俯く。ヤクモには追求する気なんて更々なかったから励ますように肩を軽く叩いて終わりにする。
「まあ、程ほどにな」
 ニッコリ笑い返したところで、彼は周囲があたたかな料理の匂いに包まれていることに気付いたらしい。次いで床や窓を見回すのは朝とあまりにも違う様子に驚いているためだろうか。物凄く申し訳なさそうな、泣きそうな顔をしてこっちを見上げてくる。
「あ………りがとう、ございます。そんな気遣いしなくても………」
「借りたモノはちゃんと返すのがウチの家訓なんでね」
 すっと彼の横をすり抜けて料理の続きを始める。まだリクは戸惑っているようだった。
「あの―――その、別に、鍵さえかけといてくだされば………」
「でも、帰ってきた時に誰もいないのはさびしいだろう?」
 少なくともオレはさびしいから、と笑って答えておく。
 答えを受けた少年は何とも複雑そうに首を傾げながら荷物を置くために自室へと戻る。その途中、食卓に置かれたままの鍵を見て、どうやら自身の過ちに気がついたらしい。これ以上ないくらい顔を真っ赤に染めて逃げていった。
(………しくじったかなぁ)
 味噌汁の味を確認しながら僅かに眉間に皺を寄せる。
 自分はモンジュほど大人じゃないから、こういう場合にどうすればいいのか分からない。鍵だって、いまの喧嘩だって、父ならばもっと上手く応えてやることが出来たかもしれないのに。

 ―――まだまだだな。

 ふぅ、と軽く彼は息をついた。




 夕食を終えてリクはほけっと食器を洗っているヤクモを見つめていた。一方のヤクモは朝食と違いどうにかまともな夕食にありつけたことに内心で胸を撫で下ろしていた。
「………ヤクモさんって何でもできるんですね」
 ぼんやりとした口調でリクが呟く。
 食器を片付けながらヤクモは苦笑した。
「そんなことはない」
「だって料理も上手だし………それに、掃除や洗濯までしてもらっちゃって………」
「式神に手助けを頼んだしな。第一、オレだって最初から全て出来た訳じゃない。最初は親の見よう見まねさ」
「親―――」
 ふ、とリクの表情が翳った。
 遅れて自分の口走った内容が至らぬものであったとヤクモが気付く。そうだ、確か、リクには両親がいない。親代わりに育ててくれた祖父も現在行方が知れないという。教わりたくても教われない環境にいたのだ―――彼は。
 哀れな、と、同情することは簡単だけど。
 下手な気遣いは却って彼を傷つけてしまうだろう。
「そういえばリク、言い忘れてたが今日の材料のほとんどは差し入れだったんだ」
「え?」
「夕方頃にネギ持った子が差し入れに来てくれたんだよ。同じ制服着てたしリクの同級生なんじゃないか?」
「リュージくんだ………! 来てくれてたんだ………」
 ネギ持った子、だけで分かるとは何ともはや。やっぱりあのネギはトレードマークだったらしい。
 俯き加減だった少年の表情がやわらかい笑みに変わるのを見てほっとする。
 さて、後は未だに冷凍庫に封じられた式神の処遇であるが―――こればっかりは第三者には如何ともし難かった。前契約者としては素っ気無い態度であっても、契約を満了した側としては『彼』の今後にとやかく言うことは出来ない。
(頑張れよ、コゲンタ)
 内心で役に立たない声援を送っておいて、いまひとつの差し入れ袋から果物を取り出す。
「リク、デザートは食べるかい?」
「はい、頂きます!」
 僅かに頬を染めながら少年が嬉しそうに笑う。
 思い出す彼の表情がいつだってこれだったらいいのに、とヤクモは思った。




 その夜、ヤクモは微かな呻き声で目を覚ました。
(………何だ?)
 ムクリと起き上がり布団を脇へ退ける。結局、食事を終えた頃には随分夜も更けてしまっていて、リクも心細そうにしているのでもう一晩宿を借りることになったのだ。
 そっと襖を開けて音の発生源をたどる。深夜の屋内は昼間の喧騒がないために一層不気味だ。ひたひたと極力足音を殺しながら廊下をたどる。
 泣いているのは―――彼でしか有り得なかった。頑なに閉じられた襖を前にしてしばし躊躇う。
「………リク?」
 返事はない。もう少し強めに呼びかける。
「リク―――起きているのか?」
 入るぞ、と前置きして静かに襖を少しだけこじ開けた。窓から差し込む月明かりが廊下に佇むヤクモの影を作り出し、その影は更に暗い室内へ姿を紛れ込ませている。部屋の中、少年がいるであろう布団だけが丸っこく盛り上がっていた。
 呻き声とも泣き声とも判断のつかない声は明らかにそこからしていた。
 多少の迷いの後で一歩、足を踏み入れた。布団の中で縮こまっている彼の背中に手をかける。
「………リク?」
 布団の端から覗く小さな手が震えている。瞳は硬く閉じており眠っていることは明らかだったが、唇が慄いて何事かを呟いている。言葉を聞き取ろうと耳を寄せれば弱々しい声が耳朶を打った。

「………さい………めんな、さい―――父さ、―――母さ………っ」

「―――おい」
 顔色が悪い。汗が頬を伝い彼の寝巻きをしっとりと濡らしている。かなり乱暴にヤクモは相手の肩をガクガクと揺さぶった。
「リク、起きろ」
「………行か………で―――ボクは………ただ………」
「起きるんだ。泣くために夢を見るんじゃない」
「ボクは―――………」
「リク!! 起きろ!!」
「―――っ」
 ビクリ、とリクの肩が震えた。数回、瞬きを繰り返して硬直していた体の力を徐々に緩めていく。中空を彷徨っていた瞳がヤクモの姿を捉え、恐る恐る伸ばされた指先がヤクモのてのひらに触れる。
 触れた指先のあたたかさにようやく安心したのかリクが大きなため息をつく。
「………ヤ、ク、モ、さん………?」
「ひどく魘されていたぞ。嫌な夢でも見たのか?」
「嫌な夢―――そうですね、何だかひどく、嫌な………夢でした………」
 未だ半分は夢の世界に足を突っ込んでいるのかリクの答えは頼りない。視線は定まらずにぼんやりと暗い天井を見上げている。第一関節分ぐらいしか絡まっていない指先にヤクモは力を込めた。
「でも―――思い出せないや。悲しかったことだけは、わかるのに………」
「そうか」
「何でだろ………本当は、覚えてるはずなのに。どうして何も覚えていないんだろう。思い出したくて、思い出したくなくて、たまらないのにっ………」
「焦る必要はない。それに―――無理をする必要もない」
「………?」
 訳がわからないという表情でリクが年長者の顔を見上げてくる。
 なるほど、これじゃああの式神が心配性になるはずだ、と同意を篭めた微笑を口の端に乗せた。
「オレは小さい頃、嫌な夢を見るたびに父親のところへ行っていたよ。嫌な夢は誰かに話せばちょっとだけ気が楽になる。夢の内容を覚えてなくて不安になる時も、誰かが傍にいてくれるだけで救われた」
「………」
「リク。意地をはっちゃいけない。いつもはコゲンタがいたんだろう? 君たちの間に何があったかは知らない。でも、君には頼れる式神がいるんだから―――こんな風にひとりで泣く必要はないんだ」
「………!」
「彼の封印を解いておいで。さすがにあれじゃあ式神でも風邪をひくんじゃないかと心配になる」
 リクはこれ以上ないくらいに顔を真っ赤にして固まっていた。図星、といったところだろう。
 事ここに至ってようやく自分がヤクモの手を握りっぱなしだったことに気付き、慌てて振りほどく。次いで上体を起こして照れたようにそっぽを向いた。
「ヤ………ヤクモさんは、意地が悪いですっ」
「うん。時々言われる」
「自覚してるんなら治してください! それに、その、あんまり誰にでも優しいのも問題だと思いますっ」
「それは誤解だ」
「何処が!?」
 普段は礼儀正しい少年が礼節も忘れて憤慨している。かなりの部分は寝起きの情けないところを見られたという恥ずかしさに起因しているのだろうが、ここで少しばかりからかいに走るのがヤクモが「意地が悪い」と言われる所以であった。もっとも、契約中の式神たちに言わせれば彼は「腹黒い」ということになるらしいのだが―――。
「本当に優しいのは君だろう。オレは自分が優しくしたいと思う相手にしか優しくしない」
「そっ………」
 それって、どういう意味ですか。
 おそらくリクはそういった類の言葉を口にしたかったのだろう。だが、実際は何も言い出せずに真っ赤な顔のまま口をパクパクと開閉させ、やがて居た堪れなくなったのか立ち上がって台所目掛けて走っていった。きっと式神の封印を解きに行ったのだろう。
 やれやれ、これで問題解決かな?
 クスクスとヤクモが笑いを零した時だった。

 ―――ン………

「!」
 突如として重くなった空気に息を止める。ビリビリと肌に感じる震動と伝わる寒気。これは………。
「ヤ、ヤクモさん」
 冷蔵庫前のリクが不安げに呼びかける。彼も何が来たかを悟ったのだろう。
(まさか追いかけて来るとはな)
 どうやら裏で糸を引いている者たちがいると考えて間違いなさそうだ。軽く舌打ちするとヤクモはすっくと立ち上がった。寝間に戻り神操機を確認する。呆然と佇んだままのリクに呼びかけた。
「オレが行く。君は休んでた方がいい」
「え? そ、そんな………ヤクモさんこそ怪我してるのに!」
「追ってくるならちゃんと式神を起こして、ちゃんと着替えてから来ること。いいね?」
 笑って指差せば相手は若干照れを含みながらも、心配そうな面持ちで見上げてくる。怪我してたって大したハンデにはならないよ、と笑みを深くして、靴を履くのももどかしく太刀花荘から飛び出した。
 行き先は太刀花の社。昨晩、ヤクモがたどり着いた場所。
(今度は………!)
 今度は、決して。
 決して引きはすまいと思いながら闇夜を駆け抜けた。




 社を中心として邪気が渦巻いている。案の定、社の内側から続々と妖怪どもが湧き出していた。何者かが故意に此処との<道>を開き、連中を嗾けているに相違ない。このままでは一般人にまで被害が及んでしまう。繁華街へ向かおうとした影を符の一閃で薙ぎ払った。
「町へは行かせん! 貴様らにはここに留まってもらうぞ!」
 胸元から取り出した四枚の札を東西南北に切り、印を結ぶ。

「<結>!!」

 キンッ! と同調した符が光を放ち四方に紡がれた線が結界を構成する。折悪しく激突した妖怪はそれだけで胡散霧消した。これでしばらくは持ちこたえるだろうが内側から這い出てくる妖怪の数が減った訳ではない。符だけで焼き払うにも無理がある。
(全く、面倒な真似を………!!)
 伏魔殿では後れを取ったが、現実世界において気力の使用を躊躇する理由はない。式神さえ呼び出せれば有象無象の妖怪程度に押されることなど有り得なかった。
 遅ればせながらヤクモの存在に気付いた妖怪たちが唸り声を上げて襲い掛かってくる。

(ぬばたまの紅玉に蓬莱山の玉之枝! 属性は<金>!)

 正体を見抜いて焦らず眼前に神操機を掲げる。片手に構えた符に精神を集中し、自らの気力を神操機を媒介として<彼ら>の世界に叩き込んだ。

「式神―――降神!」

 陰陽五行を司る中の<火>の印が一際強く輝く。
 力を受けて呼び出された式神が稲光と共に舞い降りる。

『雷火のタカマル、見参!!』

 鷹の羽根を授かった火の眷族が稲妻王を片手に見得を切った。軽く振り払った槍の一撃で妖怪の何体かが消し飛ぶ。
「一気に行くぞ! 震・坎・離・坎!!」
 ほのかな光沢を放つ神操機に沿って招聘文字が空間に光跡を描く。式神の槍に力が篭もる。

『必殺!! 稲妻王烈火覇道!!』

 高速で振り下ろされた槍が近辺の妖怪を一気に薙ぎ払った。しかし、社から吹き出る妖怪の数は増える一方だ。
(入り口を封じねば意味はない!)
「タカマル、援護を頼む!!」
『承知!』
 相方が敵の攻撃を防いでくれる合間をすり抜けて社へと向かう。途中途中で印を切りながらもたどり着くと即座に戸を開け放ち、中で煌々と光り輝く陣に闘神符を翳した。

「<封>!!」

 緑の光を上書きするように赤い闘神符の光がなぞる。一際強く脈打った後に光は収束していった。先ほどまで目映いほどに放たれていた光は青く清浄な色へ変じて静かに陣を浮き立たせている。自ら封を解いて中に飛び込んだなら、彼奴らを嗾けた張本人―――おそらくは神流―――と、対面できるだろうが、いまは流れ出てしまった妖怪を倒す方が先決だ。
 粗方の敵は倒した。残りを薙ぎ払えばそれで終わる。
『危ない、避けろ!』
「!?」
 式神の声に社から出たばかりの身を慌てて伏せた。直後、紙一重の差で巨大な黒い物体が頭上を通過する。
 狙いを外した一撃は社の欄干を粉と成さしめた。
「なっ………?」
 振り仰いだ先の姿に呆気にとられる。
 先刻までバラバラに飛び回っていた影たちはこのままではやられると察したか、互いに融合して巨大なひとつの妖怪へと変じつつあった。此処に招聘された妖怪たちはもともと同系統の出身であったが故に統合すらも容易いのか、徐々に形作られていく外見は見上げるほどの大鬼へと変貌していた。
 はばたきひとつ、タカマルがヤクモの隣に舞い降りる。
『さすがにあの大きさでは………』
「何を言っている。大きければ勝てるというものでもないさ」
 不適な笑みを浮かべて再度、数枚の闘神符を掲げた。そっちがそのつもりならこちらも<強化>させてもらおうじゃないか。八方に符を散らせて念を篭める。

「フィールド属性<火>!! 湧き上がれ、炎と雷の清流よ!!」

 応じるように社の敷地内に真紅の陣が出現し浮かび上がった火の波動が式神に力を与える。
「タカマル! 念を凝らせ!!」
『御意!!』
 地を蹴り、鷹が空に舞い上がる。力が神操機に収束するのを感じる。

「闇へと還れ、伏魔殿より来たりし怨霊どもよ! 震・兌・離・震!!」

 天に光跡が描かれた。
 式神の身体全体が黄金の光で包まれる。

『必殺!! 天魔焼尽撃!!』

 中空に槍で同様の印を描く。光の流れと共に切り裂かれた空間より召喚された無数の雷が地上を打ちつくす。

 ギュォォォォォ―――ン………

 光の渦に巻かれて巨大だった黒い影が飛散する。白い閃光に埋め尽くされた辺りがもとの暗闇と静けさを取り戻した時、そこにはもはや何者も存在してはいなかった。
 軽く一息ついて、手元の神操機を掲げる。
「ご苦労だったな、タカマル。もう戻ってもいいぞ」
 頷き返した式神がその姿を神操機の中へと戻した。
 そういえば結界を張ったままだったな、と思い出し、新たな符を構えて封を解く。同時に流れ込んだ外界の空気が闘いの熱で満たされていた空間を急速に冷やしていった。
「―――ヤクモさん!」
「ああ、リク」
 駆け寄ってくる同派の少年にニッコリと笑いかける。ちゃんと後ろに式神を従えているところからすると、どうやら仲直りできたらしい。よかったよかった、妖怪どもも偶には役に立つじゃないか、とひとり頷いたヤクモは、そこで初めて相手が何か怒っているらしいことに気がついた。いつもならやわらかな曲線を描いている眉が極端にしかめられている。
 はてな、と首を傾げた彼はかつての相棒に問い掛けた。
「………どうかしたのか?」
『どうかしたのか、じゃねぇだろ、お前』
 コゲンタは呆れたように息をついた。
『妖怪が現れたっつーから急いで来てみれば社に結界が張ってあって入れねぇし! てめぇひとりが戦ってんのを指くわえて見てなきゃならなかったんだぞ!?』
 オレはお前が強いって知ってるからいいようなものの、と言いかけたところで式神は口を噤む。
 遅ればせながら事態を察した天流最強闘神士は「なるほど」と暢気に頷いた。妖怪を外界に逃さぬために張った結界だったが、どうやら外からの立ち入りも禁じてしまったらしい。道理で彼らの到着が遅れた訳である。
 悪いことをした、と思うヤクモはあくまで「締め出した」からリクが拗ねているのだと考えていて、もしかしたら眼前の少年が彼の身を案じたが故に怒っているなどとは露ほどにも考えないのであった。
 実は、かなり、鈍い。
「すまなかったな、リク」
「………いいえ」
 それでも素直に謝ればようやく天流宗家は愁眉を解いた。
 リクが手にしていた己の長衣を礼を言って受け取ると、慣れた手つきで身に纏った。
 睨んだ先にあるのは妖怪どもの出入り口となった社。いまは沈静化しているが陣の奥底に敵がいるならば安心するにはまだ早い。符を仕舞い直して少年へと向き直る。
「リク。オレはこのまま行くよ」
「ヤクモさん………?」
「あの妖怪たちは自然発生したものなんかじゃない、ここへ差し向けた誰かがいるはずなんだ」
「追いかけるつもりですか?」
 また、微妙にリクは表情を曇らせる。
「叩ける内に叩いておかないとな。神流は謎が多すぎる」
「………そうですか」
 何となくその場にしんみりとした空気が流れる。実に割り込みにくい空気を感じながらも、先ほどから気になってならない一言を口にしたのは彼等に共通の式神だった。
 コゲンタがすっと社の―――正確に言えば社の端の方―――を、指差して告げる。

「ところであれ………どうするんだ?」

 あれとはつまり、アレである。
 先の妖怪の激突により砕かれた社の欄干である。
「あ」、とヤクモの動きが止まった。壊したのは自分ではないが、油断してたが故に出来た痕跡とも言える。社全体を見渡せば大した損害ではないが、正面から向き合ったときに左手の欄干が欠けているのは何処となく落ち着きがない。砕かれた木片は散乱し壁についた傷跡も痛々しい。
「リ………リク、すまない。オレが避け損ねた」
「え? あ、いえ、そんな、いいですよ。不可抗力ですもんね」
 そういって苦笑してくるものだからなけなしの良心がズキリと痛む。
「仕方ないですよ。どうしようもなかったんですから。まあ、ちょっと修繕費用がかかっちゃうかもしれない上にウチの現金収入なんて雀の涙に等しいですけど、きっと馴染みの大工さんに頼めば幾許かの心積もりは―――ね?」
「リ………リク?」
 怖い。
 何だかとっても怖い。
 ふふふ、と微笑むリクの顔は笑っているが目が笑ってない。考えてみればこういった建築様式はやたら手間と費用がかかるのであった。
 ヤクモの背中を冷や汗が流れる。背後で『コイツは怒らせると怖いんだよ』と呟いている式神に「だったらそう忠告しといてくれよ」と今更ながらのツッコミを入れた。
「べ―――弁償、するか?」
「出来るんですか?」
 ズバリ言い返されてグウの音も出なくなる。が、ここで引き下がっては男がすたる(ような気がする)。誰と何のために勝負してるんだか分からないが、ここで引き下がったらとにかく負けなのだ。
「で、出来る出来ないの問題ではなく―――責任の所在は明確に、だな」
「そうですか? えっと、じゃあ費用は軽く見積もって………」
 チラリと視線を行き渡らせたリクはこれ以上ないくらい慈愛に満ちた笑みを浮かべて見せた。

「ざっと五十万ってところですね」

「ごっ」
 ごごごゴジュウマンエ―――ン!! と頭の中で絶叫が響き渡った。
 そんな金額をポンと用意できるほど吉川家は裕福ではない。小遣い前借したって果たして何ヶ月分になるのやら………バイトで稼ぐ? ただでさえ出席日数ギリギリの自分には酷な話だ。
(こ、これは無理だろうっ。かなり無理だろうっ。猶予期間を貰わないと絶対に無理だろうっ。今日明日中に用意しろなんて言われちゃったら父さんにどうやって弁解すればいいのか………!)
 思わずフラリと足元をよろめかせたヤクモの背を軽くコゲンタが支える。
 どうにかこうにか気を取り直し、未だ冷や汗をかきながら意味もなくてのひらを振ってみる。
「そ、そうか。それぐらいするのか。その―――リク、悪いんだが、いま持ち合わせがなくて………少し時間が………」
「ええ、勿論です。いつまでもお待ちしますよ。―――利息をつけて」
「り、利息っ?」
 声が裏返る。
 そんな彼を無邪気な笑みで見つめたままリクはあっさりと宣言した。

「はい。トイチでいいですから♪」

 トイチ。

 ―――十日で、一割。
 どこの悪徳金融業者だ、これは。

 おまけに「借りたものは返すのが家訓なんですよね?」なんて自分の言葉の揚げ足まで取られて、真白に燃えつきかけたヤクモの背中をコゲンタがどやしつける。
『だ―――っ! もう、イチイチ動揺してんじゃねぇ! 払えないんなら払えないって男らしくいいやがれ! リクだって鬼じゃねぇんだから!』
「し、しかし、壊したのはオレなんだし」
『壊したのは妖怪だろが―――っ!!』
 ヤクモはかなりうろたえてソワソワと辺りを動き回っている。挙動不審な吉川ヤクモなんて滅多に見られるモンじゃない。相変わらず笑みを浮かべたままのリクはおっとりと付け足した。
「そうですね、ボクだって鬼じゃないし。伝説の最強闘神士様が借金したって修理代金踏み倒したって壊すだけ壊して帰っちゃったってどうとも思いませんけど」
 グサリ、とヤクモの胸に見えない刃が深々と突き刺さる。淡々とした口調でかなりキビシイことを言ってくれる。
「―――払えないなら払えないでいいんです。でも、その代わり」
「………代わりに?」
 未だ冷や汗を流したままのヤクモがごくりと唾を飲み込んだ。一体何を条件に出されるのか戦々恐々している。そんな前契約者の姿を情けないなぁという面持ちでコゲンタは見つめているが、しかし、彼もやっぱりリクには随所で頭が上がっていないのであった。
 浮かべていた笑みの質を少しだけ変えてどこか切なそうにリクは呟く。

「その代わりに―――十日に一回ぐらいは、顔を見せに来てくださいね」

 気を張っていたヤクモの表情がキョトンとしたものに変わる。
「………リク」
「はい」
「本当にそれでいいのか?」
「はい。きっと、ナズナちゃんも喜ぶと思いますし」
 相手の瞳を見たヤクモは自分がからかわれていたらしいことを知った。最初からこの少年は修繕費用など問題にしていなかったのだ。ただ、おそらくは昨日からずっと言いたくても言えなかった言葉をこの機会を借りて口にしたに過ぎないのだ。

 ―――ああ、やっぱり。
 自分はまだまだだな。
 口元に刻むのは若干の自嘲を含んだ笑み。

「………わかった。努力する」
「努力する、じゃなくて絶対、ですよ」
 そして互いに微笑みあった。
 ―――今度は、できるだけ早く訪れよう。その際は謝礼の意味も込めて何らかの手土産を持参して。
 何でぇコイツら、やっぱ人間ってワケわかんねぇと傍でやたら考え込んでいるコゲンタと、コゲンタを式神にした少々意地っ張りで寂しがりやなこの子に会いに来よう。




 ヤクモの姿が陣の光に包み込まれて消えるまで、ずっと手を振ってリクは見送りをしてくれた。
 多少の時間のロスにより伏魔殿内の敵には追いつけなくなってしまったかもしれない。
 けれど、それ以上に大切な何かを見つけることが出来た気がするから、再び暗い妖怪の住処に赴くのだとしてもヤクモの足取りは軽かった。
「また会おう、リク」
「はい! ヤクモさん!」
 いつも何処か無理をしているように見えるこの少年が、次に会う時も笑顔でいることを願う。
 彼を助けるために『信頼』を司る式神がいつも傍で見守っている。それに倣い、自分も遠からず彼のために闘うことになるだろう。

(………強く、なろう)

 できるだけ多くのものを守りきるために。
 人々が悲しむことを厭うあの少年が笑顔でいられるように。

 穏やかな笑みを浮かべながらヤクモは闇に覆われた伏魔殿に次なる一歩を踏み出した。

 

 


 

でもってこの十日後に「悪魔が………復活した」とかいってヤクモさんが社に転がりこむのですヨ☆ ← 嘘

 

時系列がかなり謎………果たしてこれは本編で言えばどの辺りに位置する話なのやら(汗)。ネットで得た

半端な知識が創作の糧となっておりますので、色々と誤った設定とか展開とか名前とかあったら

「ハハ、暢気だね♪」と笑うかコッソリWEB拍手ででもツッコミお願いします〜(平伏)

 

そもそも、リっくんに「トイチでいいですよv」と言わせたかっただけの話なのに、何故こんなに長くなっているのでせう(汗)。

タカマルの口調もよく分からないしフィールド属性や召喚や陰陽五行の観念も

かなり大雑把です。危険です。ものすごく危険な状態です(なら直せよ)

 

少しでもお楽しみ頂けてたらいいナと思います。それではっっ(脱兎)

 

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