※リクエストのお題:兄貴のもてもてパラダイスおかん風味ハムさん絡み。

※もてもてにしようと思ってたのに単なる苦労性になりました。なんでやねん(訊くな)

※世界観だけ『七都市物語』(by田中○樹)に借りた空軍パロです。

※細かいところは突っ込まないでいただきたいんですぜ☆

 

 

 タクラマカン砂漠の赤い夕日を背景に黒い機影が走る。地上から見上げたならば優雅とも思える軌跡を描きながら幾つもの線が交錯する。
 轟音を響かせながら空を横切っていた機影が、更に上空からの鮮明に過ぎる光線に貫かれた。黒煙と炎を上げながら墜落したそれは砂地に激突して紅蓮の炎を巻き上げる。
 吹き上げられた機体の破片と上昇気流に煽られたパイロットのひとりが罵りと共に自機のコンソールを叩く。高速で過ぎ行く景色とは裏腹に上空には微動だにしない白い巨影が浮かんでいた。
 唇を噛み締めながら必死に交信を試みる。
「ハワード! ダリル! 応答しろ! ………くそっ、妨害電波が強すぎるか!」
 睨み上げた先では複数の浮遊センサーが舞い踊っている。内蔵したレーザーを使い、表面に施された鏡面システムを使用して四方から攻撃を繰り出してくる様は見事ですらあった。
「確かに、普通のパイロットなら絶望して天を呪うだろう―――だが!」
 操縦桿を握りギリギリの状態で笑ってみせる。
「私はフラッグファイターだ! そう簡単に機械に後れを取る訳には行かんのだよ!!」
 右側に急速旋回して迎撃体制に入る。浮遊センサー間を乱反射するエネルギー弾を紙一重でかわしながらレーザーを叩き込む。鏡面システムの一部に亀裂が入りセンサーのひとつが地に舞った。だが、ひとつが堕ちると同時にふたつが飛来する。いよいよ『ヴェーダ』が本腰を入れてきたということか。
 全身に圧し掛かる重力に耐えながら攻撃を避け続ける。視界がブレたとて攻撃目標は過たない。途切れ途切れの通信は己を呼ぶ部下たちの声だ。彼らを助けずして隊長を名乗れるものか、おめおめと基地に戻れるものか、共に帰ると決めた以上は。
「己が無力を嘆く敗者となるより先に、太陽に挑む愚者となろう!!」
 残り少ないエネルギーの全てを眼前の浮遊センサーに叩き込む。いや、叩き込もうとした。
 直前。
 突如として割り込んだ光線にセンサーが撃墜されて目を見開いた。呆気に取られている内に次々と正確無比な攻撃がうろたえる敵機を破壊して行く。
 レーダーでギリギリ確認できるほど遠方からの射撃。我に返り自身も攻撃を再開したが、むしろ新たなる友軍の腕前に惚れ惚れとなった。現場に居る誰よりも早く敵の動きを予測し撃ち落とす。浮遊センサーは「破壊」されれば「補充」されるが、「故障」であれば「修復」に回される。「修復」対象機として『ヴェーダ』に回収される程度の外観を残しつつ、こちらへ攻撃する余力は残らない程度のダメージを負わせる。見事なピンポイント攻撃にもはや溜息しか零れない。
『………ら………応答せよ………』
 ノイズ混じりながらも音声が届くようになったのは、遥か後方の機影がセンサーを撃墜したからか。
 即座に回線をオープンにして呼びかける。
「こちらフラッグ、こちらフラッグ! ―――応答せよ」
『………よぉ。生きてたかー? 軍隊で一番我慢弱い隊長さん』
 笑う声は若い男のものだ。雑音が多くともそのくらいは聞き取れる。
「まさかとは思うが、君は私の演説を聞いてついて来てくれたのかね?」
『他に何があるってんだ? しかしまあ、まさか共に行かんと思う者は我に続け、三十分後に出撃する! って演説ぶちまけた当人が十五分後には出撃してるなんて思いもしなかったけど、な!』
 セリフの最後にまたしても手近な敵機を撃ち落とす。遠く、小さかった機影は徐々に姿を明らかにしつつある。翼に施された白と緑の羽根の意匠が夕日の名残を受けて真紅に染められていた。
 眼前のレーダーが部下たちの無事を告げている。敵も粗方は消え去ったことを確認してほんの少しだけ安堵の息をついた。かろうじて最悪の事態だけは免れたらしい。
 ああ、まったく。本当に。この不意の救援には感謝しなければなるまい。
「礼を言う―――君の名前を聞かせてもらえるかな」
『ニール・ディランディ』
 彼は母国で「勝利者」を意味する名前を軽やかに告げた。
『ソレスタルビーイング第二遊撃部隊所属。ニール・ディランディ軍曹だ。以後よろしく頼むぜ、グラハム・エーカー中尉殿』




 西暦二千三百年代において軍事関係者、特に空軍在籍者の日課は決定されていた。それは、起床時刻がいつであるかに関わらず、グリニッジ標準時間で三時間ごとに更新される『ヴェーダ高度予報』に耳を傾けることであった。
 予報の的中率は月平均で五割程度。思わず天を仰ぎたくなるような数値ではあるが、以前は三割を下回っていたことを考えれば随分と改善されたのだ。これはひとえに専属の気象予報士として招聘されたスメラギ・李・ノリエガの尽力によるところが大きいと言えよう。
 彼女が、いや、彼女たちが死力を尽くして割り出した情報から得られた内容は、往々にしてこのような感じで放送される。
『………零時零分現在の予報です。ヴェーダは大西洋地域において高度25キロから35キロ付近に停滞中。太平洋地域において高度40キロから50キロにて停滞中―――』
 何とも間抜けに聞こえる内容ではあるが、これが実際の生き死にに関わってくるのだ。
 何故このような事態に陥ったのかを語ろうと思うと軽く歴史を二百年ほど遡らなければならない。
 当時、世界は極端な軍事産業の興隆により一触即発の事態にあった。第何次か数えるのも嫌になるほどの戦争を繰り返し、疲弊し、大地と空と海とを汚し、少しばかり回復の兆しを見せたかと思えばまたくだらないことで相争う。人間だけが固執する土地の線引き、海底に眠る資源、領空侵犯、人種の違い、宗教の違い、利害の不一致、およそ地球上に存在するありとあらゆるものを争いの原因に仕立て上げてきた。
 そして、いつまで経っても進歩しない人類の現状に憂えるひとりの天才科学者がいた。
 名をイオリア・シュヘンベルグと言う。
 彼は世界の平和を願う清廉潔白な人物であったとも、「平和」に取り付かれた狂信者であったとも当時の文献は伝えている。無論、記録はただの記録だ。それ以上でもそれ以下でもない。ましてや公文書など当時の権力者たちに都合のいいように後から捏造が加えられていることが想像に難くない。現実には世界征服を試みた野心家だったかもしれないし、第三者に脅されていた脆弱な科学者に過ぎなかったかもしれない。いずれにせよイオリア・シュヘンベルグの人物像に関しては二百年を経たいまになっても推論の域を出ていないのだ。
 彼はあらゆるシンポジウムで合法的に平和を訴えた。国連に直訴した。己が国から反乱分子として追われても尚、彼はありとあらゆる活動を惜しまなかったが、彼の発言はあまりにも理想的すぎると激昂した急進派によって親族がひとり残らず殺害されるや否や、姿を消した。
 以後、潜伏すること十数年。
 彼は再び現れた―――空に浮かぶ長大な高機能演算処理システム『ヴェーダ』と共に。
 聖典の名を冠したそれをいつ、何処から打ち上げ、組み立てたのかは分からない。人々が気付いた時、遥かなる成層圏は九十六個の無人軍事衛星と、それらによって制御される四万八千個の浮遊センサーに占拠されていた。
 激昂する権力者たちに彼は呼びかけた。くだらない戦争など止めるべきだ。頼むから止めて欲しい。この忠告が聞き届けられない場合、『ヴェーダ』の監視システムが発動するだろう、と。
 当時の地上の支配者たちは愚かにも―――あるいは至極当然にも―――彼の要求を拒絶した。幾ら戦闘において上空を制した者が有利とはいえ、管理する人間はひとりきり。後は無防備な姿を晒す巨大な機械だけではないか。
 どうせならあの馬鹿な人間の乗る機械を撃ち落として開戦の狼煙としてやろうと考えたのはどの陣営か。たかがひとりの人間を殺すには豪勢に過ぎると思えるほどの核を搭載した弾頭があらゆる国から発射された。
 そして。
 等しく死の灰は自国に返って来た。
『ヴェーダ』の報復システムが発動したのである。
 中央に組み込まれた太陽炉から放たれた光は核弾頭を積んだ戦闘機を撃墜し、周囲に散らばった浮遊センサーが核を内包したそのままに戦闘機を自国へ送り返す。かくして地上にあった百以上のメガロポリスは一瞬にして灰燼と化した。後年、辛うじて生き残った人物がこう語っている。「あれはまさしく、旧約聖書にある『ソドムとゴモラの落日』であった」と。
 ひとたび目覚めた『ヴェーダ』の怒りは凄まじく、空を埋め尽くした浮遊センサーに施された鏡面壁はレーザーをあらゆる方向へ反射し、各国エースパイロットの技術を赤子同然にした。
『ヴェーダ』は一定質量と一定速度以上の物体が対流圏界面に到達すると即座に破壊に走る。これでは資源衛星はもとより軍事衛星も飛ばせないしジェット機の運用もままならない。滞空迎撃ミサイルも宇宙ステーションからの正射も出来ない。イオリア・シュヘンベルグは孤独な戦いを挑むに当たって先に各国の衛星軌道システムを破壊しつくしていたのだ。
 幾度かの反発と挑戦と攻撃。その回数がニ桁を超える頃から徐々に地上側の勢いは静まっていった。成層圏内に踏み込まなければ『ヴェーダ』は報復してこない。ならば、それより低い領域で暮らしていけばいい。争いがしたいなら地上と海が残されている。イオリア・シュヘンベルグとて永遠の命を有している訳ではない。メンテナンスをする者がいなくなれば『ヴェーダ』も沈黙するだろう。指導者たちはそう考えた。
 だが、その考えは甘かった。
 十年経っても、二十年経っても、百年経っても『ヴェーダ』は自らの位置を変えようとしなかった。
 そればかりではない。内部に搭載された優秀なレーダーを使って各国の軍事基地を発見、浮遊センサーを使って破壊活動を始めた。国連軍の反撃で破壊されたセンサーを『ヴェーダ』は回収し、修復し、改良を重ねた。
『ヴェーダ』はそれ自体が生きたプログラムだった。
 主がいなくなろうとも動き続ける監視システムだった。
 いまは成層圏内に留まっている浮遊センサーが、いつ、監視対象高度を引き下げるか分からない。ここに至って漸く各国は互いに軍事協定を結び、共同で事に当たることにした。
 天空の主、『ヴェーダ』の中核、生死不明の天才科学者イオリア・シュヘンベルグ。
 彼に対抗し得る組織を。空中浮遊基地を。ソレスタルビーイングと名付けた、その組織を。
 かくて各国空軍のエースパイロットは揃ってソレスタルビーイングに軍籍を置くこととなり、以後、『ヴェーダ』の高度予測に神経をすり減らしながらいつ果てるとも知れない機械との戦いに身を投じることとなった。
 そして、いま。
 世界は西暦二千三百七年を迎えたばかりである―――。




 例えばもし時間を戻すことが出来るならどうするか。
 やり直したい過去なら山のようにあるけれど、もしそう尋ねられたなら咄嗟に自分は三年前のタクラマカン砂漠に駆けつけようとしている己に向かって叫ぶだろう。
「おい、ニール! 悪いことは言わないからやめておけ! 助けるなとは言わないが、あいつとは必要以上に口を利くな。名前を名乗るのも禁止だ。極力関わらないようにして切り抜けろ!」
 ―――が、いずれにせよ所属を名乗らない訳には行かないし、名乗ったが最後、どうあってもあの男は自分の所在を突き止めただろう。だから所詮はどれもが無駄な足掻きに過ぎないのである。
 管制室の指示通りに着陸体勢に入りながらもニールは先を思ってやや憂鬱になった。確かに奴と組んだ任務でしくじった験しはない。頼りになる相方だとも思っている。
 でも、まあ、うん、その。
 要するにアレは非常にアレだから………。
『チャクリク、セイコウ! チャクリク、セイコウ!』
 操縦桿の隣に据え付けられた席上で相棒がパタパタと耳を振る。オレンジの球体の頭と思しき部分を撫でてやるとAI特有の赤い瞳がチカチカと瞬いた。
「ありがとうな、ハロ。悪いんだが機体の整備も頼むぜ」
『マカサレテ! マカサレテ!』
 もう一回、独立AIの頭を撫でてゆっくりと滑走路を進む機体から飛び降りた。整備用の機材を抱えてきたイアンとハイタッチを交わす。ゴーグルを外せば甲板上の風が乱暴に頬を叩いていった。
「おやっさん。ごくろーさん」
「おう、そっちこそな。任務は順調だったんだろ?」
「空路の確認だけだからな。別に『ヴェーダ』や浮遊センサーと遣り合う訳じゃない」
 必要とあらばそれも行った訳だけど、と苦笑をかわす。
「で、ハロは?」
「デュナメスん中。オートメンテも頼まれてくれたら嬉しい」
「分かった」
 後は整備士に任せてパイロットは休んどけ、と軽く肩を叩かれる。ついでのようにイアンはあまり性質のよくない笑みを浮かべた。
「ああ、そういやあニール。お前の相方だが」
「………なんだよ」
「さっき、第二艦橋に歩いていくのを見たぞ。どうせ用事があるんだろ? フラッグにかかり切りになる前に呼び止めた方がいいんじゃないのか」
 どうせ、と言われることに抵抗を覚えたが、フラッグにかかり切りになると苦労するのは事実だったので渋々ながらも頷き返しておいた。全く、あのフラッグ馬鹿の思考ばかりは如何ともし難い。刹那もそうだが、優秀なパイロットってぇのは必要以上に自らの戦闘機に愛着を抱くものなのだろうか。
 鋼鉄の扉を潜り抜けて屋外から屋内へと足を踏み込む。すれ違う仲間たちと軽い挨拶を交わす間にも「彼ならあっちへ行きましたよ」だの「また指令伝達ですか、ご苦労様です」だのと声を掛けられるのは何故なのか。畜生、別にオレはつるみたくてつるんでるんじゃないんだぞ、と愚痴ったところで現状は変えられない。
 角を幾度か折れたところで目的の人物を見つけた。真っ直ぐ振り返らずに歩いて行く背中はいつだって忌々しい程に潔い。
 僅かに眉を顰めながら意を決して声を上げた。
「グラハム!」
 途端に相手は勢いよく振り返り、満面の笑みでこちらを出迎える。
「ああ、姫! 無事に帰艦したようで何よりだ」
「誰が姫だ!」
「君だ!」
 姫と呼ばれるのが嫌ならばその根拠を披露してもらいたいものだ、と胸を張る相方兼上司兼同僚にだからやってられないんだよ、とニールは片手で顔を覆った。根拠も何もオレは男なんだよと懇切丁寧に繰り返したところで聞き入れられるはずもないことはこの三年でそれこそイヤと言うほど実感している。
 結局のところ全ては『タクラマカンの奇蹟』と呼ばれる三年前の事件が原因だ。ソレスタルビーイングの予測システムに重大な欠陥が判明し、誤った予測をもとに出陣した第一航空部隊―――いまでは「フラッグ部隊」と名を変えている―――が危機に陥った。
 それを知るや否や「助けに行かなければ!」と会議場で演説を行い、単機で特攻してしまったのがグラハム・エーカーだ。
 死にに行くようなものだ。助けたい気持ちは同じだがミイラ取りになると分かっていて特攻を仕掛ける馬鹿が何処に居る? 誰ひとり動こうとしない部屋の中、隅っこで彼の演説に耳を傾けていたニールは、こいつ、本当に馬鹿なんだな、と思った。
 そして。
 馬鹿は嫌いじゃないな、とも思った。
 だからこそ後を追いかけたのだけれど―――こんな結果が待ってるなんて思いもよらなかったのだ、本当に。そもそも基地に戻った時の最初の会話からして
「ありがとう! 君のおかげで我々は助かった。君は我々の勝利の女神だ!」
「大袈裟だな。単なる友軍だろ」
「女神では傲慢すぎて不服かね? 奥ゆかしいな。ならば姫と呼べばいいだろうか」
 だったりしたのだからもはや頭を抱えて唸るしかない。
 過去のグラハムにゲンナリとしつつ現在のグラハムの頭を手にしたマイクロチップでぺしりと叩く。この妙なところですっぽ抜けた男がきちんと伝令を受け取ってさえいればわざわざ追いかける羽目にならずに済んだものを。
「カティ大佐からの作戦指示。お前、受け取らずにアポロニウスを出てきただろ? おまけに回線遮断海域を通りやがって」
「ありがたい! これがなければ我々はアリアドネの糸もなしに迷宮に挑むテセウスになるところだ」
「じゃなくて。連絡手段は残しとけよ。なんだってお前宛ての命令がオレ経由で届く羽目になるんだ?」
「君も同じ作戦に加わるのだから全く持って問題はない」
 それとこれとは別問題デス。
 なんて突っ込みをあらためて行うほどニールは親切な男ではなかった。並んで歩きながらやれやれと肩をすくめるに留める。
「姫はこれからしばし休養なのだろう? 一緒にフラッグを見に行くつもりはないか」
「誰が姫だ。………生憎とこの時間なら間に合っちまう。行かない訳にはいかないだろ」
「なるほど、あの少年か。幾ら教官時代の縁があるとは言え君も付き合いがいい」
 ふふん、と何処か誇らしげに笑う彼の態度の根拠が分からない。
「ところで、君はもう昼食は終えたのかね。少年の出迎えもさして時間を取るものではないだろう。それが終わったら一緒に―――」
「ドックに戻ってハロと食う」
「なんと言うことだ! 君は相方である私よりもあの独立AIを取ると言うのか!」
「独立AIじゃない。ハロだ」
 大声だすんじゃない、と舌打ちと共に辺りを見回す。すれ違う連中が「またやってんなぁあいつら」的な生ぬるい視線で見送ってくれるのが何とも居た堪れない。自分とグラハムの遣り取りがソレスタルビーイング内の名物のひとつに数えられていると知った時の絶望感を教えてやりたい。
「君と私が一緒に食事を取ったのはいつ以来だと思っている」
「朝食と夕食はほとんど一緒じゃねーか。まあ今回は任務が入ったから三日前ぐらい………」
「三日ではない! 正しくは三日と八時間五十七分二十八秒―――」
「も、お前っ………! いーかげん黙れってぇの!」
 流石にこれには参ってしまい、無自覚に頬を若干赤らめながらグラハムの口を手で覆う。当然向こうはそれを嫌って通路のど真ん中でもみ合いとなる。
「私は私の正当なる権利を主張しているだけだ!」
「だったらオレはオレの自由を主張させてもらう!」
「一緒にいる時間が長いほど戦闘時のシンクロ率が高いことは君も承知しているはずだ!」
「それまでに相手を嫌いにならなけりゃな!」
「君が私を嫌うはずがない!」
「どっから来るんだよその自信は!?」
 口を塞ごうとした右手を左手で跳ね除けられて、ならばと動かした左手は彼の右手に掴まれる。ああもういい加減にしろよ、データを渡した時点でとっとと立ち去っとくべきだったと後悔した瞬間に足がもつれてふたり揃って倒れ込む。
「わっ!」
「っ!」
 ドサリ、と重い音と共に後ろへ倒れこんだ割りに痛くなかったのは。
「大丈夫か、姫!」
「………姫じゃねえ………」
 一緒に倒れながらもこちらの後頭部に腕を回してくれたグラハムのおかげ、になるのだろう。たぶん。
 何にせよ助かった、と礼の言葉と共に相手の二の腕を叩いたのだが何だか微妙に反応が鈍い。上から圧し掛かられている体勢は素直に息苦しいんだけどな、と眉を潜めると。
「この間、カタギリからこんな諺を聞いた」
「………なんだ?」
 やたら神妙な面持ちをした相手にイヤな予感をひしひしと感じながらも、問い返してしまうのがお人好しと呼ばれる所以か。
「据え膳食わぬは男の恥であると!」
「武士は食わねど高楊枝っつー諺もあんだろーがっっ!?」
 なんて言葉を教えてくれるんだあの技術顧問!
 と、この場にいない天然ポニーテール成人男子を罵っても虚しいばかり。常にヤる気に満ち溢れた男の顔を「重い、重い!」と押し返すことに全力を注ぐ。笑いながら去ってくんじゃない、リヒティ! 今度お前が「クリスをデートに誘いたいんです」とかゆってきても相談のってやんないぞ!!
 共にハタチを過ぎた青年のあまりにも子供じみた戦いはいましばらく続くかと思われた、が。
「何をやっているんですか、あなた方は」
「あ」
「む」
 突然あらわれた細身の少年の声によって中断された。
 逆さまになったニールの視界に、モバイルを手にした冷徹な美貌が映りこむ。
 流石に年下の少年に見咎められては申し訳ない気持ちが先に立つのだろうか。「これは失敬」の言葉と共にグラハムが先に立ち上がる。次いでグラハムが差し伸べた手を借りて、ニールもまた逆転した視界とおさらばした。
「どうかしたのか、ティエリア」
 裾についた埃を手で払いながら呼びかけるも、年下の仲間の視線はすぐに隣人へと逸らされてしまった。
「グラハム・エーカー中佐殿。先刻からダリル曹長たちが展望室で貴殿を探しておられましたよ。急がなくてよろしいのですか」
「そうだ! 彼らを待たせていたのだったな」
 ポム、と何処か暢気に見える態度でグラハムが己が手を叩く。
「また皆そろってフラッグの品評会か?」
「ああ、今度はすごいぞ。両翼に追尾用ロケットを搭載する」
「………きちんとバランス考えて積めよ」
「問題ない。その辺りも検証済みだ」
 お前がそうやって無茶な要求ばかりするからあの技術顧問が連日貫徹を繰り返す羽目になるんだよと、先刻罵ったばかりの相手に今度はこころから同情した。
 グラハムがフラッグに対して様々な改善点を挙げるのも、開発を担当しているカタギリの実力を信頼しているが故なのだろう。それだけだと完全にカタギリが貧乏くじを引いている印象だが、無茶な要求に答えようとすることによって開発が進み、カタギリの意欲も増す側面があるのだから一概に悪とは言い切れない。まっこと、科学の進歩とは微妙なバランスのもとに成り立っているものである。
「よし、それでは早速―――」
「あ、ちょっと待て」
 文字通り浮き足立った調子で駆け出そうとした同僚を呼び止める。
 倒れた際に乱れた髪の毛を整え、絡んでいた服の裾を直し、襟を正してやる。フラッグ隊の連中は皆この上官殿が大好きなのだから、少しはその憧れに応えてカッコつけてやれよと思うのだ。
「カタギリさんとこ行くなら差し入れも持って行けよ」
「問題ない。カタギリの趣味なら先刻承知している」
「なら良かった」
 クツクツと笑いを零してから顔を上げると何故か満面の笑みに出迎えられた。
 首もとのスカーフに触れていた指先を所在なく宙に浮かせて、どうしたんだ? と首を傾げれば。
「やはり、君こそが姫と呼ぶに相応しい存在だ!」
「………は?」
 よく分からない賞賛が返って来た。
「では、行ってくる! 昼食の件は後であらためて話し合うとしよう!」
「別に話し合う余地もな―――………って、なんだぁ、あいつ?」
 訳わからんなぁとぼやきながら意気揚々と歩み去っていく後ろ姿を何とはなしに見送った。傍らのティエリアがぽつりと呟く。
「流されている………」
「あん?」
「そんなことより。あなたにも頼みがあるんです」
 さっきまでの微妙な遣り取りを全て脇へ投げやって少年は手元の端末を開いて見せた。映し出されたのは戦闘を終えて帰艦したばかりの小隊の記録、だったのだが。
「あー………」
 内容を確認してやれやれと溜息をついた。どこの部隊にもトラブルはつきものだが、この部隊はトラブルの発生率が高すぎる。
 呼び止めた理由が分かっただろうとティエリアはさっさと端末を仕舞いこむ。
「第三艦橋に向かいがてらアレルヤ・ハプティズムをフォローしてもらいたい」
「それは構わないんだが、ティエリア。あいつのことが心配ならお前が声を掛けてやればいいじゃないか」
「私の励ましが彼の救いになると思いますか」
 すいません、オレの考えが甘かったです、とニールは僅かばかり視線を逸らした。
 ティエリアは悪い奴ではないし、冷徹そうな外見からは想像もつかないが、実はかなりの仲間思いである。しかし、それを言葉や態度で表現するのが苦手なためにいつも周囲の誤解を招いてばかりいるのだ。落ち込んでいるところにこの顔とこの声で「不甲斐ない」だの「君はパイロットとして相応しくない」だの「私ならばもっと完璧にこなしてみせる」だのと告げられれば、一体どこが励ましてるつもりなんだヨと文句を垂れたくなっても仕方が無い。
 後は任せたと言い置いて立ち去る年下の同僚の背中に、またしてもニールは止め処ない溜息をつくのだった。




 ソレスタルビーイングの空中浮遊基地プトレマイオスは地上10キロメートル近辺を回遊する軍事基地である。これだけ巨大な施設をよく宙に浮かべておくものだ。各国の知恵を集めればどんなに馬鹿げたことでも実現できるという証明かもしれない。
 地上に巨大な影を投げ掛ける軍事施設は『ヴェーダ』に対抗するための柱であると共に、『ヴェーダ』が対象高度を下げてきた場合にはいの一番にやられる可能性がある危険地帯でもある。
 主な構成員は『ヴェーダ』が現れる前の三大勢力だったユニオン、人革連、AEUのエースパイロットたちだ。そして、ごく少数のソレスタルビーイング生え抜きのパイロット。出自があやふやであろうとも戦いに役立つ者であれば迎え入れる。犯罪者や脛に傷もつ者たちの巣窟に成り果てていると陰口たたく連中もいるが、戦果をあげている以上、文句のつけようもないだろう。ただ、唯一どうかなあと思っているのは。
(名称がなあ)
 ソレスタルビーイング―――『天上人』。
 確かに地上から見れば「上」に位置しているだろうが、だったら、此処よりも遥か高みに存在する『ヴェーダ』は何なんだよと思ってしまう。
 第一艦橋から第三艦橋までを見渡せる甲板に到着し、太陽の眩しさに目を細める。然程労せずにほんの少しだけ側面から突出している見張り台に求める姿を見い出した。何かに落ち込んだ時は只管に艦橋を出入りする戦闘機の数々を眺めている―――それがキュリオス部隊の新米指揮官であるアレルヤ・ハプティズムの癖だった。
「アレルヤ!」
 声をかけると、俯いていた青年が漸くといった感じで面を上げた。いささかぎこちないながらも笑みを浮かべるのを見てまだ大丈夫そうだなと胸を撫で下ろす。
「ああ………お久しぶりです。あなたも帰艦してたんですね」
「まあな」
 横に並んで同じように鉄製の柵に腕をかけて寄り掛かる。さして身長の変わらぬ相手を下から見上げるようにして敢えて笑ってやった。
「報告書を見たぞ。相変わらずみたいだな、あいつらは」
「ええ―――毎度のことなんですけど」
 対するアレルヤの表情は本当にもう笑うしかない感じの笑い方である。無理もない。毎回毎回、出撃する度にあれだけの目に遭わされていれば精神的疲労も極地に達するというものだ。
 キュリオス部隊は一撃離脱に特化した戦闘機で構成された編隊である。先月まではセルゲイが指揮を執っていたのだが、彼が昇進するに当たり、アレルヤがその後を継いだ。
 理由は簡単。
 アレルヤが隊の中ではセルゲイに次ぐ一番の年長者だったからと、他のふたりがどうにも素直に上の命令を聞くようなタマではなかったからである。ソーマはセルゲイの言うことしか聞かないし、ハレルヤは誰の言うことも聞かない。
「ふたりとも僕の命令を無視して攻撃を開始するし、敵陣まで深追いするし、止めようとすると僕まで撃ち落とそうとしてくるし………」
 全然いうこと聞いてくれないんですよ。やっぱりセルゲイさんに戻ってきてもらった方がいいんじゃないかな、ふたりの悪意が聞こえるようだよ、と呟くアレルヤは遠くを眺めたままぼんやりとしている。
 うん。
 かなり、ヤバい。
「けどな、アレルヤ。あのふたりが曲がりなりにも従うのはお前だけなんだ。もう少し自信もてよ。セルゲイさんが現場にいない以上、お前が頑張るしかないんだぜ」
「分かってます」
「あのふたりはあのふたりなりにお前を信用してると思うんだがなあ。他の誰と隊を組んでも並んで帰艦なんざした験しがないくせに、お前になら付いて来るんだろ?」
 二十歳になる双子の兄弟と、十代後半の少女を指して言うならば反抗期になるだろうとニールは踏んでいる。より分かりやすく言うならば「好きな子ほどいじめたい」、みたいな。天邪鬼な感情。
 微妙に俯いたままのアレルヤの肩を軽く叩いてやる。
「大丈夫だって! あいつらが我侭いうのも無茶すんのもお前に甘えてるんだと思っとけよ」
「甘えている―――!」
 僅かにアレルヤが灰色の瞳を揺らした。
 そうか、甘えていたのか。戦闘機の背後からミサイル撃って来たのも、峡谷をすり抜ける際にわざと翼を引っ掛けて上から岩を落として来たのも、
「甘えている………」
 戦闘中にトロいだの甘いだの鈍いだの罵詈雑言ばっかり投げつけてくるのも、命令に違反して戦線を離脱した責任を「アレルヤが悪いんです」の一言で片付けたのも、
「甘え………」
 罰金や飲み屋のツケを全部払わされたのも、基地内の掃除当番をアレルヤひとりに押し付けて遊び呆けてたのも、
「あま………」
 楽しみにしていた夕食のデザートを横取りしたのも、甲板で居眠りしてたら顔に落書きされてたのも全部―――………。
「………」
「………あ、あの、な、アレルヤ?」
 顔を上向けるどころかますます下を向いてしまった同僚に流石に慌てた。
 あーとかうーとか意味を成さない声を上げて相手の肩に手を置いた固まっていると、大丈夫ですよと苦笑が返された。
 深く息をついて空を見上げた彼に倣い、ニールもまた空を見つめる。
 遥か上空にぽつりと白い光点が浮かんでいた。
「―――今日は、随分と下まで降りてきてるんですね」
「あと少し降りてきたら警戒体制に入らないとな」
 かろうじて視認できるほどの距離に浮かび、人類の進出を阻み続ける『ヴェーダ』の姿。遠目には優雅とすら思える動きでも、ひとたび冷酷な計算が行われたならば途端に破壊の権化となる。
 ほんの少しだけアレルヤが目を細める。
「いつか、『ヴェーダ』が堕ちる日なんて来るのかな」
「そん時は落とす場所を考えないとな。街に落ちたら被害がでかすぎらあ」
「はは、確かにそうですね」
 この基地にしろ『ヴェーダ』にしろ何にしろ、空を舞う者が堕ちたならば地上の者にとってはそれだけで脅威となる。だから、おとなしく『ヴェーダ』の支配を受け入れればいい、空を支配することを諦めればいい、地上で暮らしていければそれでいいと主張する人間の気持ちも分からない訳ではないのだ。
 だらしなく柵に上体を預けたニールの傍で、空を見上げたままアレルヤが呟く。
「超高高度砲なんて―――いつになったら完成するんだろう」
「………さあ、な」
 鉄面皮の空の支配者に反撃するにはまだまだ時間が必要だ。ソレスタルビーイング設立当初からあたためられている『ヴェーダ』本体への直接攻撃の手段は、未だ実行される兆しがない。
 目を閉じて髪をくすぐる風の動きを感じていると、その中に隣人の動く気配もまた感じ取れた。
「僕、もう行きますね。報告がありますから」
「ああ。気をつけてな」
「刹那にもよろしく言っておいてください」
 彼にもニールが此処に来た理由は悟られていたらしい。隠すような話でもないが、少しむずがゆい。
「アレルヤ!」
 立ち去ろうとする背中に再度、呼びかける。
「今度、一緒に飲もうぜ。とことんまで付き合ってやるからさ!」
「ありがとうございます」
 お酒はあんまり得意じゃないですけど、と断りを入れる彼は、それでもはにかんだ笑みを見せてくれた。




 誰もいなくなった見張り台に転がって正面から空を見詰める。両手の親指と人差し指で空を四角く切り取って、狭いフレームに白い絶対者を捕らえる。遥か上空に位置する存在すらもニールの優れた視力は違えることなく捕らえていた。
 僅かに目を細める。
(―――イオリア、シュヘン、ベルグ)
 ………彼の絶望が。分かる気がする。
 いまでこそ世界は纏まっている。彼の創り上げた『ヴェーダ』の存在ゆえに纏まっている。それ以前は協力も同盟も所詮は裏切りの前段階、互いが互いを搾取するために動くだけの世界だった。そしてたぶん、いまも本質的には何一つ変わっていない。
 例えば。
 例えば、の話。
 いつか『ヴェーダ』が堕ちたなら、さして時を置かぬ内にソレスタルビーイングは瓦解し軍事国家が乱立することになるのだろう。昨日までは共に笑い、共に戦い、苦楽を共にした仲間たちに銃を突きつけろと命じられることになるのだろう。
 かつて、本当にただ一度きりだけど。
『ヴェーダ』のごく付近を通り過ぎたことを思い出す。迎撃されなかったのが奇跡だと思える程の至近距離を。
 あの時のことはいまでも覚えている。
 自分たちの機体に積み込まれた擬似太陽炉の毒々しい朱とは異なる、『ヴェーダ』に搭載された太陽炉の、澄んだ、あたたかな緑色の光を。
 そこに立つ、小さな人影を。
 あれがイオリア・シュヘンベルグ当人だなんてことは思わないけれど。
 ただ、確かに誰かがあそこに居るのだ。イオリア・シュヘンベルグの意志を継いで、人類に孤独な戦いを挑み続ける誰かが居るのだ。遠目には性別も年齢も定かではなかったけれど、ひたすらに地上を見詰めていた様は、まるで―――。
(殺す、のか。オレが)
 静かに目を閉じる。
 自分たちが躊躇いなく戦えているのは相手が「機械」だからだ。血を流さない存在だからだ。壊すことの罪に対する自覚も薄く、ただ只管に家族や仲間を奪った「無機物」を恨むことを許されているからだ。自身の正義を疑わずにいられるからだ。
 戦う相手が同じ血肉の通う人間であったなら、同じ隊に所属していた仲間なら、見知った誰かであったなら、同じように武器を手にすることが出来るのだろうか。
『ヴェーダ』が堕ちる審判の日。
 より重要なのは、その翌日以降。
 ならばこれからは心置きなくと機械の廃棄場と為さしめた空を新たな血に染めるのか、戦を命じられた末端の兵隊たちがこれ以上は御免だと反旗を翻し争いを放棄するのか。
 自分には何も言えない。
 何も言うことが出来ない。先のことなんて。
(何も知らない。―――知らないんだよ、アレルヤ)
 静かに目を閉じて背中から伝わる太陽の熱に身を委ねる。
 そう。誰も知らない。アレルヤも、ハレルヤも、ティエリアも、刹那も。
 超高高度砲は半ば以上完成していることを。
 秘密が漏れてはならないから本当にごく一部の限られた人間だけで情報が管理されている。いつ『ヴェーダ』にその存在を悟られるかと怯えながら改良を重ねた砲台の完成が近付いている。
 そして、超高高度砲を撃つための、おそらくは最後の対『ヴェーダ』戦となるだろう作戦の中核を成す狙撃手は疾うに決定されていた。

 ロックオン・ストラトス。
 成層圏を狙い撃つ者。
 それが、ニール・ディランディに与えられたコードネームだった。

 どうしても行わなければならない必要最低限の連絡の中で堂々と「ニール」の名を出す訳には行かない。『ヴェーダ』にハッキングされる危険性を常に考慮しなければならない。
 もし『ヴェーダ』がロックオン・ストラトスの正体を知ったなら、すぐにでも有りっ丈の武力を持って「ニール」を殺しにかかるだろう。いつかはバレるとしても戦闘は避けられるだけ避けるべきだった。
 超高高度砲の完成が近付くにつれ自身に課せられる任務も徐々に簡易的なものへと変動している。狙撃手が死んでしまっては元も子もないからだ。だからきっと、グラハムは薄々ながらもニールに課された極秘任務に察しがついているはずだ。
 超高高度砲を放った瞬間に『ヴェーダ』の報復システムによって焼き払われることが確定していても、実際に焼き払われるその日まで、『ヴェーダ』と刺し違えるその日まで、「ロックオン・ストラトス」が死ぬ訳にはいかない。
 静かに、息をつく。

(―――ライル)

 オレは。
 お前を追って、ここまで来たんだ。

 瞼の裏を過ぎる高速の影に目を開く。太陽と『ヴェーダ』を遮り飛来した白い機体に知らず頬が綻んだ。ゆっくりと上体を起こして背伸びをする。
 やっと到着したらしい。
 純白に青のラインが走る戦闘機―――エクシアの姿に安堵の息をついた。
 見張り台から飛び降りると着地の衝撃で金属板が甲高い音を奏でた。
 大きく旗を振る誘導員と誘導灯に従って白の戦闘機が着陸を果たす。元からの風と到着により吹き付けてくる熱風の両方に煽られながら一歩、一歩進んでいく。彼のことだから自分が此処に居ることは上空で待機している折りから気付いているだろう。心配しなくても任務が入っていない限りは極力来ると決めているのにと苦笑したが、それを言葉にしたことがあるかと問われると首を捻らざるを得ないので、結局はどっちもどっちである。
 待ち構えていた整備員に後を任せてパイロットが操縦席から飛び降りる。が、それでもしばらくの間は場を立ち去ることをせずにじっと機体の様子を眺めている。これもまた見慣れた光景だ。
 少年の視界を遮らないよう注意しながら声だけを掛ける。
「お疲れさん。今回の任務はどうだった?」
「問題ない」
 返事は常に簡潔だ。彼の視線は対象に注がれたまま逸れることがない。しかし、さり気なくこちらの声にも耳を傾けていたりするので侮れない。いまもまた、視線を寄越さずに唐突とも思える言葉を投げてくる。
「いつだ」
 とかくこの少年は言葉が足りない。いつだと言われてもいつと答えればいいのやら。が、こんなぶっきら棒な態度にも慣れはあるもので。
「まだだよ、刹那。お前さんが出撃するにはまだ早い」
「他の連中は出ている」
「まだ子供だろ」
 途端、物凄い勢いで睨まれて、しまったこれは失言だったなと苦笑した。刹那が子供に属する年齢であることは事実だが、それを理由に何かを否定すれば声にしないままに不機嫌だけを募らせていく。「おとな」としては「子供」には安全圏に居てほしいんだよなと自覚のない保護者意識が少年の矜持を傷つけるとしても譲れないものは譲れない。
 感情論だけでは片付かないので繰り返しの理論を提示する。
「お前はまだ相棒すら決まってないじゃないか。一騎駆けなんて早々許されるモンじゃない」
 大尉クラスだって二機か三機の編隊が常識だ。自分とグラハムやアレルヤたちのように実力が近く、かつ、互いの欠点を補い合えるような相手を見つけるのが理想的なのだが―――。
 如何せん、いい意味でも悪い意味でも刹那に釣り合う相手は未だ見つかっていなかった。戦況が切羽詰ってきたならば適当な隊に押し込んで出陣させることも有り得るが、幸いにして急を要さない現状であれば、コンビが決まるまで少年の本格的な初陣は先送りされるのだろう。
 赤茶色の瞳に有り余る不満を滲ませて刹那は宣言する。
「相棒ならもう決まっている」
「おお!」
「エクシアだ」
「………おお!」
 ―――って、違う。違うぞ刹那。
 お前がエクシア大好きっ子ってことは知ってるけど、生憎とエクシアは人間じゃありまセン。
 自分のようにハロを「相棒」と主張するのもある意味問題だとは思うが、少なくとも自分は人間とコンビを組むことを異とはしていない。
「刹那、頼むからせめてそこは人名を挙げてくれ。確かに主だった面子はもうコンビ組んじまってるけど、ええと、そうだな。例えばパトリッ」
「却下だ」
 言い切る前に遮られた。
 何が不服だ。どんな状況になっても必ず帰ってくる不死身の男だぞパトリック・コーラサワーは。
 彼はその不気味な程の不死身っぷりと頭が痛くなる程の能天気っぷりで単機での行動を許可されている。相手が決まらなくて困っている刹那の初陣の相方としては、「ラッキーマン」としての位置づけでも充分意味ありだと思ったのだが。
「お前はオレが奴よりも劣ると考えているのか」
「劣るとか劣らないとかじゃなくてさ。誰かと組まなきゃやってけないのは事実だろ」
 事実を伝えてやると何処か不貞腐れたようにそっぽを向かれた。その間も変わらず意識だけはエクシアに向けられていて、ほんとどんだけ戦闘機が好きなんだよ、グラハムとタメを張るぞと、当人同士が知ったなら強烈に否定するだろうことを考えた。
 風で煽られる前髪がやや鬱陶しいのか刹那は目を細める。
「………エースになれば。組む相手ぐらい自分で決められるのだろう?」
「あ? まあ―――当人の希望と実力と都合がつけばなあ」
 エースパイロットともなれば任務外でも多少は融通がつくようになる。例えば部屋割りとか食事の献立とか誰と組むのかとか。新米と組みたい等と申請しても容赦なく却下されるが、ある程度の実力を伴った相手ならどうにかならないこともない。自分が度々グラハムと組む羽目になっているのも、機動性に優れるフラッグと長距離支援型のデュナメスの相性もさることながら、エースパイロットであるグラハムの希望によるところが大きかったりする。
 だから刹那の言い分は正しいのだが。
 でも、エースになるためには戦果をあげなきゃならなくて、そのためにはやっぱり最初に誰かと組んで任務をこなさなけりゃならないんだぜ、と。
 イザとなったら刹那の初陣には自分が付き合うことも検討しているのだが、流石にまだ当人には秘密にしている。ただでさえ刹那には甘すぎると言われているのだ。教官と訓練生の関係を終えてもまだベッタリだなんて、いーかげん心配性にも程がある。
「けど、そうだな」
 エースになった刹那の姿を思い描いて結構サマになるじゃないかと笑みが零れた。
「お前がエースんなったら、たぶんグラハムとのツートップになるんだろうな」
「グラハム・エーカーと?」
 何故そこで奴の名前が出て来るんだと、無表情な中にも深い疑問を滲ませて年下の同僚が振り返る。
「当たり前だろ。実力が釣り合ってんならコンビを組む率も高くなる」
「フラッグもエクシアも近接戦重視だ。支援はどうする」
「んー、だからさ。お前とグラハムがツートップで、支援する形でキュリオス部隊を配置する。両翼をパトリックとフラッグ隊でカバーして、ティエリアは待機させてさ」
 あごに手を当てて考えを巡らせる。ニール自身は予報士の資格なんて持っていなかったけれど、こうして隊の配列などを検討するのは面白かった。グラハムやカタギリと共に航空戦術について熱く語り合うこともしばしばだ。
 現段階ではエースたるグラハムの負担が大きいのだが刹那ひとりが入るだけで戦術の幅が大きく広がる。戦術の幅が広がるということは即ち、生き残るための方法も増えるということだった。
「うん。いいなあ、エースパイロット」
 ひとり笑って肩を揺らす。
 刹那の身が危険にさらされることだけが心配でならないけれど、そんなことを言い出したら『ヴェーダ』との戦いにおいて本当の安全圏など存在しないのだ。
「頑張ろうぜ、刹那」
 ゆったりと伸ばした右手で頭を撫ぜてやると、何故だか物凄く不満そうな瞳で見上げられた。
「―――その時」
「うん?」
「その時、お前は何処にいるんだ」
 お前はエースと組んでいるんじゃないのかと。
 真っ直ぐに問い掛けられて瞬間的に答えに詰まったことは否めない。それでも一応、笑みだけは失わずに当たり障りのない言葉を返すことに成功した。
「オレは後方支援だな。中段からお前らをサポートさせてもらうよ」
 そう、答えはしたけれど。
 もしもそんな理想的な編隊が組めたならスメラギは最後の作戦を始動させるだろう。ソレスタルビーイングの全戦力を注ぐ最後の戦い。
 その時、自分は、皆から離れてひとりで『ヴェーダ』と対峙しているはずだ。
 この話はここでオシマイ、と言う様に更に何度か刹那の頭を撫ぜてから手を放した。
「昼飯まだなんだろ? これからドックに戻ってハロと食べるからお前も来いよ」
「………分かった」
 未だ納得し難い雰囲気を滲ませながらも刹那はこっくりと首を縦に振った。
 整備員に頼んでおきたいことがあったと踵を返す姿に、先に行ってるからなと声をかける。食料調達を彼に任せたら必要最低限の飲食物しか持ってこないに決まっている。一足早く食堂に立ち寄って栄養バランスのよいものを用意しておくことにしておこう。
「ニール」
 歩き始めたところを呼び止められて振り向いた。
 真っ直ぐな強い光を湛えた瞳をそのままに、刹那は右手を高く掲げて、空を指差す。
「いつか、行くぞ。―――空に」
 いつの頃からかソレスタルビーイングで行われるようになった、それ。
 天を指差し、『ヴェーダ』を指差し、更なる高みを指差して。
 強い風に吹かれた身体が飛んでいきそうな錯覚を覚えながらニールもまた、右手の人差し指を伸ばして高々と天を貫いた。
 ああ、そうだ。

「そうだ。刹那―――お前は、空へ行け!」

 多くの者の想いを背負って、散っていった者たちの願いを乗せて、遠く、遠く。
 鋼鉄の破壊者も暗雲も蒼穹も全てのものを突き抜けて。

 


022.成層圏離脱領域


 

 
遥か、空へ。

 

 


 

ラストで兄貴たちがとったポーズ。上井草のガンダムも同じ格好してるそうですね(※未確認)

書き終えてから「しまった本編でも『限界離脱領域』ってタイトルがあるんだよ」と

思い出したんですが、今更変更する雰囲気でもなかったのでそのままGO☆

 

今回のネタは某素敵サイト様で「苦虫噛み潰したような表情の兄貴と誇らしげなハムさんの空軍パロ」

イラストを見た時に思いついたのですが、なんかもーインスピレーション受けた時の面影は何処へやら(哀)

 

こんな内容になってしまいましたが、少しでも楽しんでいただけたなら嬉しく思いますv

 

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