刃は砕け散った。暗い宇宙に舞い散る破片は降り注ぐ雪のようだ。
正面で相対していた機体が、敵の乗る機体が、同様に砕けて地上に堕ちて行くのを見た。
同時に、自身の乗る機体も砕けて地に落ちる星になるのだと悟った。
操縦桿を握り締めても、これまで共に戦ってきた愛機は沈黙を守っている。
寂寥を覚えはしても焦燥を抱くことはない。自らの道を信じ、成し遂げた満足感がこの身を包んでいる。たとえひとが己を、理想の体現にとり憑かれた愚か者だと哂うとしても。
先程まで刃を交わしていた相手にさえ、いまは怒りは沸かなかった。「………エクシア」
呟く。
力の象徴を。
世界に一石を投じるための手段を。
夢に、意志に、最後まで付き添ってくれた存在の名を。
遥か宇宙から地球の引力圏内に突入したことを悟る。揺れる機体、ひび割れた箇所からの熱の侵入、もう、熱さも感じない。
妙にゆっくりと感じる時間の流れの中、様々なことを思い出した。
銃を握った日。ひとを殺した日。神を信じた日。
神はいないと知った日。絶望を感じた日。救いを与えられた日。
力を得た日。仲間に迎えられた日。世界に戦いを挑んだ日。
額に傷を負いながらも先を見届けて見せると決意を固めた灰色の目の青年。
人間も捨てたものではないと穏やかに笑った少女のような少年。
遺志を継ぎ、途中から参戦した懐かしい面影を抱く青年。
犯した過ちから逃げることはしないと決意した女性、必ず生き延びると強い眼差しを浮かべた少女、出来る限りのことをするだけだと胸を張った技術者。
宙で再会するだなんて考えてもみなかったかつての隣人とその恋人も、変わらない世界に苛立ちだけを抱いていた少女も、国を違え、意志を違え、世界の歪みを認めながらも敵対することをやめなかった敵のことさえも。
いまは懐かしくいとおしい。
目の前を過ぎる、美しく、長い黒髪。
(………マリナ)
同じ想いを抱きながらも異なる方法を探し続ける存在。優しく、あたたかな、儚いようでありながらも強さを抱えたひと。
必ず生きて戻ってほしい、世界を見守り続けてほしいと、決して苦しみを吐露することのなかった彼女の最後の望みを叶えることはできそうにないけれど。
きっと、彼女なら。
彼女なら、あの荒れ果てた野に花を咲かすことができるだろう。
だから自分はいける。
何処までも。
指先の感覚は遠く、視界は白く塗り潰され、意識は浮遊しつつある。かろうじて目を瞬けば映し出されるのは朱から青へと変化する切ないまでに美しい空の色だ。
ゆっくりと、手を、伸ばして。
(―――)
呟く、名前が。
(………)
届かないことは分かっている。
分かっているのだ、もう、ずっと前から。
ぬくもりとか優しさとか気遣いとか、頭を撫でてもらう感触とか「おかえり」と迎えてもらえる喜びとか「ただいま」と返せる嬉しさとか、そういった、忘れていた全ての感情を取り戻してくれた相手は、疾うに姿を消してしまった。
理念を忘れてはいけないと告げたくせに、理念よりも自らのエゴを優先して、ひとりでいってしまった。
置いて行くなと叫んでいたくせに誰よりも早く皆を置いて行った。
『―――刹那』
誰よりも優しい声でこの名を呼んだくせに。
ずるくて、弱くて、ひどい男だ。
なのに、どうしようもなく。
戦っている最中は思い出さなかった相手を、夢に出てくることさえなかった相手を、いまになって目の前にありありと思い描けるだなんて。
眦から零れ落ちた雫が頬を伝い、大気圏に突入した熱さですぐに消え失せた。何年ぶりかで呟くその名を聞く人間もなく、機体が風切る轟音に紛れて消えていく。
「………ック、オン………」
オレ、は。
お前の願いをかなえることが―――。
揺らぐ指先は虚空を掴むばかりだ。
それでも。
目の前を歩く、やわらかな眼差しをした男が振り向いて。
微笑みかけるのを確かに感じて、刹那はこころの底から満足の笑みを浮かべた。
「ん………?」
夕暮れの迫る空を見上げて青年はふと歩みを止めた。誰かに呼ばれた気がしたが、現時点で、この道端に佇んでいるのは自分ひとりだけだ。
首を傾げながら光を捉えるのがやっとの右目で雲の流れを追いかける。
流れ星が見えた。
美しい緑色の軌跡を描きながら、堕ちていく星を見た。
「あれは―――」
その、色に。
胸を突かれて目を細める。ゆるやかに吹き付ける風が青年の栗色の巻き毛を揺らして通り過ぎた。
遠くで響いていた足音と歓声が近づいてきて、わぁっと騒ぐ子供の姿で彼にしがみ付く。勢いよく飛びつかれて倒れそうになったがかろうじて受け止めることができた。全く、幼い子供は容赦がない。幾ら注意したってあらためることがないのだからとやわらかな微笑を浮かべる。
先生、先生、と無邪気に問いを繰り返す。
「ライルせーんせ! なにみてたのー!」
「なにみてたのー?」
「ん? 流れ星」
見たままを答えて再び空へ顔を向ける。
あの美しい流星は疾うに消えてしまっていたけれど、まだ名残が見えるようで胸が締め付けられる。
彼の右腕にそっと触れた女の子が笑う。
「しってるよ! ながれぼしにねがいごとすると、ねがいがかなうんだよね!」
「せんせー。せんせーはなんてたのむのー?」
もう片方の腕を引っ張る男の子の頭を撫でながら、彼は、そうだなあと考える素振りを見せた。お前らだったら何を願う? と尋ねてみれば。
「うんとね! 背がね、のびたらいいなって思うの!」
「オレ、おもちゃがほしいっ。すっげーたかいの!」
「あたし………そばかすが………」
「ばぁーか、おもちゃより食いモンだろっ!」
口々に喚き立てる子らに取り囲まれた彼は笑うばかり。
深い傷を負ったままの右腕を揺らしながら、片側と異なる色合いを浮かべた右目を空へ向けながら、静かに笑う。
「ねえねえ、せんせ。せんせは、なにをねがうの?」
「そうだなあ、オレは―――」
す、と目を細めて。
もしも何かを願うなら。何かが叶うとするならば。
いつだってそれはただひとつだけなのだ。
周囲の子供たちが僅かな驚きに目を見開いた。
たどたどしいてのひらで彼の顔に触れようと背を伸ばす。宙をかくばかりのそれを、精一杯に差し伸べて、戸惑いといたわりを滲ませて。
「―――せんせー………」
「うん?」
「なんで、ないてるの?」
ハラハラと。
途絶えることなく流れ落ちるものは。
確かに『涙』と呼べるものではあったろう。
「まだ、きずがいたむ?」
「―――いいや」
大丈夫だよと説得力のない言葉を呟いて、未だ思うように動かない手で己の右頬を拭った。乾いたままの左目と対照的に先刻の光をおぼろげに捉えただけの右目は透明な雫を零し続けている。
理由なんて知らない。
それでも。
記憶をなくした自分でも、泣く権利すらないと思える己でも、かつての『何か』を覚えている右目が泣きたいと告げるなら。
溢れる涙はそのままに、傷ついた右腕と、傷ついていない左腕を子供たちの頭に乗せて。
何処か痛みを抱えた表情で彼は笑みを深くした。
そうだ、オレは。『オレたち』は。
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