※リクエストのお題:パラレル設定で明るい感じのお話。

※空軍パロとは別の設定で! と考えてたら何故かトンデモファンタジーに(何故にー)

※刹ニルのつもりなんだけどライルさんがいいとこ取りに(何故にー)

※古今東西のファンタジー設定を拝借しまくりですが、「どうせパラレルだもんね」と

軽く読み流していただければ幸いです………。

 

 

 

 

 遠い遠い未来とも、遥か昔とも分からぬ時代。
 ヒトと精霊が入り乱れていた神話ともオーバーテクノロジーの産物とも判別できない時代。
 世界は変わらず争い、憎みあい、殺し合い、飽くことを知らない戦いの日々を繰り返していた。
 ヒトは稀にエレメントを携えて生まれてくることがあり、エレメントの種類によっては即座にヒトから精霊へと『転生』を果たすことができた。精霊は各々の掌に紋様が刻まれ、誰でもその人物がどのエレメントに属し、どの程度のクラスであるのかを即座に判断することができた。
 この世の理を成す火のエレメント、水のエレメント、風のエレメント、地のエレメント。
 そこから派生した幾つもの複合式エレメント。
 すべてが影響しあい、複雑に絡み合って世界を動かす。
 始まりは等しくクラス『ファースト』。
 年季を積むか知識や知恵を増やすことでクラスが上がり、扱える能力も格段に向上する。時に初めから『ファースト』以上の階級を持って産まれてくる者もいたが、そんな存在は本当に一握りである。
 ヒトがヒトであるように、ヒトから精霊へと『転生』した者は、もともと精霊として産まれた者と比較して争いを好む傾向があった。簡単に堕落し、ヒトに手を貸し、戦乱の道具となる。各国は精霊を味方にすることに躍起になり、エレメントの開発にも精を出した。
 その過程で、希代の魔術師イオリア・シュヘンベルグの手により複数のエレメントの素養を持つ『ヴェーダ』が完成したのは必然だったのかもしれない。
『ヴェーダ』を持つ国こそが世界を支配するに違いないとまで囁かれたが、何を思ったか、イオリアは『ヴェーダ』を何処かへ隠してしまった。捜し出せるものなら捜してみるがいい、しかし、欲に塗れたヒトや精霊には『ヴェーダ』の発動条件すら分からぬだろうよ、との言葉を残して魔術師は忽然と歴史の表舞台から姿を消した。
 それから二百年余りの時が流れ―――世界はほぼユニオン、AEU、人革連と言う三つの大国に纏め上げられていた。
 その只中に、突如として中立を謳うソレスタルビーイングと言う精霊騎士団が現れる。

 これは、その、ほんの少し前の物語。

 


― Elemental Knigfts ―


 

 薄っすらと目の前を漂うのはゆらゆらと揺れる紫煙。必要最低限の照明に限られた薄暗い部屋。それでも辺りの様子が窺えるのは遠目に置いてあるランプか蝋燭の光故だろう。
「―――あれ?」
 自分の置かれている状況が咄嗟に思い出せなくて、ニールはなんとも間の抜けた声を上げた。
 横たわる身体の下には白いシーツの敷かれたベッド、上には天井と紫煙。この香りは精神を安定させる効果があったはず、とそこまで思い出して、もしかしたらまたやってしまったのかと思考が繋がり始める。眼前に掲げた己の掌は変わらず黒い手袋に包まれているが。
「起きましたか」
「ティエリア?」
 案の定、のタイミングで呼びかけられて僅かに首を動かす。
 先刻から其処に控えていたのだろう。暗い中、蝋燭の灯りを頼りに書物を読んでいた少年が実に気難しげな表情を向けた。傍らの卓上では香炉が紫煙を吐き出している。気がついたならもう不要でしょうと彼が香炉を片付けるから、きっと、彼が用意してくれたに違いない。
「えーっと、その………」
 なんと言えばいいか分からない、が。
 繰り返しであろうとも口にする必要がある会話は存在する。
「もしかして、オレ、またやっちまったか?」
「ええ。見事に倒れましたね。道のど真ん中で。前触れもなく。つんのめるように真っ直ぐ顔の正面から」
 鼻が痛いんじゃないですかと真顔で問われて何となくおかしくなった。
「はははっ」
「笑っている場合ではありません!」
 すぱん! とティエリアが勢いよく書物をテーブルに叩きつける。
「まったく、どうしてあなたはいつもいつもいつもいつも………! 体調が悪いならそう言ってくださいと、あれほど、何度も、全員で、頼んだはずですが!?」
「別に体調は悪くなかったぜ? 急に意識が途絶えただけで」
「それを注意しろと言っているのです!」
 激昂しているティエリアを宥めながら部屋の様子を確かめる。
 たぶん、ここは目指していた町の宿屋だ。奥には空のベッドがもうひとつ見えるからふたり部屋か四人部屋で取ったのだろう。部屋の端から端までが結構広いことを考えると四人ひとまとめで宿代を安くあげる魂胆かもしれない。刹那とアレルヤの姿は見えなかった。
 ニールの視線が彷徨っているのに気付いたのか、几帳面なところもある少年は溜息と共に眼鏡をかけ直した。
「刹那は出かけていますよ。アレルヤはいま、台所を借りてスープを作っています」
「そうか」
 服の袖から僅かに覗いた少年の左掌に光る紫色の紋様。
 地のエレメント、クラス『ファースト』。
 彼はまだ若い。イオリアの遺産を追っていた彼が自分と刹那に会ったのは必然だったようであり、単なる偶然だったような気もする。「あなたの役目は僕が担うはずだったのに」と初対面でいきなり攻撃されたのも懐かしい思い出だ。
 コンコンと弱々しく扉を叩く音が響き、次いで、片目を前髪で隠した青年が顔を覗かせた。
「ただいま。ニールは―――って、よかった。起きたんだね。スープ作ってきたから食べてください」
 ありがとうと応えながらニールは寝転がったままだった上体を起こす。多少の眩暈を感じたがこの程度なら大したことはない。支えになるようにとティエリアが背中に枕を挟んでくれたのが有り難かった。
「はい。熱いから気をつけてね」
 そっとスープ皿を差し出すアレルヤの左掌には真紅の紋様。
 火のエレメント、クラス『ファースト』。
 順調に行けばそろそろ『セカンド』に上がる年齢だが、彼は彼の事情により倍の年季を積まなければ階級を上がることができない。
 彼と出会ったのは旅の途中。偶々同じ宿に泊まった際に盗賊に襲われたり謎の刺客に襲われたりしている間に何となく連帯感が芽生え、しまいには刹那とティエリアが「火のエレメントが不足している」と勝手にパーティに入れてしまった。
 おいおいアレルヤの意志はどうなるんだと慌てたが、当人までもが「いいの? 楽しそうだなあ、僕ってあんまり他のひとと旅したことないんだよね」とにこやかに受け入れてしまっては常識人ぶったニールの言葉が届くはずもない。
 スープを口に運びながらここにいない今ひとりのことを考える。
 刹那。
 水のエレメント、クラス『ファースト』。
 年齢はティエリアと同じぐらいだし、実力もまだまだではあるが、アザディスタン王国の守護を担う精霊のひとりだ。
 つまり、このパーティの中で生粋のヒトは自分ひとりと言う訳だ。あとの三人はヒトとして生まれ落ちた際にエレメントを宿しており、精霊として無事『転生』を果たしている。このまま成長すればいずれは大精霊の跡を継げるかもしれないってのに、オレなんかの都合で引き摺り回しちゃって悪いなあ、なんてことをこっそり思う。
 本当に―――まさか、あんな馬鹿げた出来事がこんな大事に発展するだなんて。
 粗方飲み終わったスープ皿を脇へと除ける。
「ご馳走さん。ふたりは食べたのか?」
「僕たちは先にすませましたから」
「そっか。ところで、どうしてこんなに部屋を暗くしてるんだ。灯りぐらいつけりゃいいじゃねーか」
 と、言った瞬間。
 眼を見開いたアレルヤの表情と息を呑んだティエリアの態度に、何か、自分が致命的な誤りを犯したことを知った。
 まずい。失言があったか。あったとすれば―――。
 深刻そうに顔を見合わせた後にアレルヤは苦笑し、ティエリアは苛立たしげに舌打ちをした。
「ニール」
「………おう」
「あなたは暗いと言いますが―――この部屋は、さっきからずっと、『明るい』ですよ」
「―――」
 僅かにニールは肩を震わせた。
 飛んだところに落とし穴があったもんだと苦虫を噛み潰したような表情と共に視線を横へずらす。
 自分にとってこの部屋は暗いが彼らにとっては明るい。考えるまでもなく、己の視神経が何らかの異常を来たしていると証明してしまった訳だ。
 ベッド脇の椅子に腰掛けたティエリアが視線を鋭くする。
「アレルヤ、灯りを」
「了解」
 隻眼の青年が右手を回転させると掌の上にぼんやりとした光球が浮かび上がった。精霊の持つ魔力を根源とした灯火だけはいまの自分にも視認することができる。
「失礼します」
「………ああ」
 ティエリアが両手でこめかみに触れてくるのをおとなしく受け入れた。逆らったところでどうしようもない。至近距離でこれだけの美貌に睨みつけられるとなかなかに居心地が悪い―――と、言うよりは。相手の瞳の奥底に潜む心配と不安の念に申し訳なくて堪らなくなる。
「―――まずいな、融合が予想以上に進んでいる」
「持ちそうにない?」
「いや、持たせる。少なくとも今度の満月の晩までは」
 失礼します、の宣言と共にこめかみに鈍い痛みが走った。
 承諾する前に強制的に『力』を使わないでもらいたい。文句をつけようとしたが、幾度かの瞬きの後に視界がもとの状態を取り戻していることに気付いて口を噤んだ。もう、暗くない。普通の明るさを持った普通の部屋だ。確かに、これだけ明るい室内で急に「暗い」とか言い出したら誰だって心配するだろう。
「………ありがとな、ティエリア。もう大丈夫だ」
「あなたはもっと自身の体調を気遣うべきだ」
「けどなあ。お前さん方は過保護なんだよ。オレだってそこそこ名の知られたハンターなんだし深窓の令嬢みたく扱われるのは―――」
「心配されたくないのなら心配をかけないでいただきたい」
「あなたは無頓着すぎるから、僕たちが心配するぐらいで丁度いいと思います」
 異口同音に同様の発言をされて微妙にへこんだ。
 一応パーティでは最年長のはずなのにこの舐められっぷりは何だろう。出会った当初はまだ自分が戦闘や技術面でサポートすることが多かったってのに、ここ最近ですっかり立場は入れ替わってしまったらしい。
 これは分が悪いと早々に見切りをつけて、あからさまな咳払いと共に強制的に話題を転換する。
「そ、そーいや、刹那は出かけてるっつったな。何処へ行ったんだ?」
 またそうやって誤魔化そうとする、とふたり揃って睨んできたが、何を言ったところで堂々巡りにしかならないことは理解しているのだろう。
 これまたわざとらしい溜息と共にティエリアが口を開いた。
「彼ならば風のエレメントの勧誘に向かっています」
「え?」
「あなたが倒れるのを目の当たりにして一刻の猶予もならないと判断したのでしょう。一足先に風の谷へ向かいました」
「マジかよ………」
 最悪だ。
 ニールは己の両膝の間に顔を埋めた。
 青年の落ち込む理由が分からないと、一歩後ろに控えていたアレルヤが首を傾げた。
「何かまずいことでも? 風のエレメントはあなたの弟なんでしょう?」
「だからだよ」
 家族なら協力してくれるに違いありません、とのアレルヤの考えは正しい。ごく『普通』の兄弟であるならば全くもって正しい。
 しかして自分と弟はある意味ではアレルヤたち以上にややこしくも下らない問題を抱えていて、自分は全然気にしてないのだが相手が気にしている以上は本当に手の打ちようがなくて、弟を説得できるとしたら初っ端から自分が会いに行くしかなかったのに。
 今更「谷の手前まで来たら別行動とるつもりでした」なんて言えない。言えるはずない。
「………刹那じゃ駄目だ」
「何故です? ああ見えても彼は優秀な精霊ですが」
「じゃなくて。オレ以外の誰が行っても駄目なんだよ、こればっかりはな」
 不満を口にのぼらせたティエリアを嗜めるように苦笑を零す。いつもいつも、説明不足のまま受け流してきたツケがこんなところで回ってきたらしい。
 刹那がどれほどに優れていようと努力しようと弟が来ることはない。
 いっそ、「じゃあ協力してやるよ」と話に乗ってくれる性格なら良かったのだが、微妙に肉親の情も残っているが故に弟は賛同してくれないだろう。まあ、賛同しなくとも刹那に真実を告げることはない、はずだ。それだけは知っている。
 枕元に置かれていた自身のザックを探り、現金代わりに持ち歩いていた水晶を取り出した。
「アレルヤ。すまないが、これで何か風属性を宿した魔道具を入手してきてくれないか。闇マーケットならそこそこのものが手に入るはずだ」
「いいの? これ、かなりの値打ち物なんじゃ―――」
「いいんだ」
 刹那が戻って来るまでに次の手を打っておきたい。
 つまり、あなたのこの行動は刹那の『失敗』を前提としていて、実際に彼が帰還した訳でもないのに転ばぬ先の杖のように準備しておくなんて彼を信頼してないの? と。
 アレルヤの表情はありありと語っていたが殊更に無視した。
「気をつけろよ。いざとなったらハレルヤに鑑定してもらえ」
『言われるまでもねーよ』
 姿なき第三者の声が響いた。
 多少の冷たい視線は寄越したものの、それが必要だって言うなら仕方ないね、と最終的にアレルヤは外套を手にした。
 彼が出て行った扉が閉まるのを確認した後で再び身体をベッドへと横たえる。
 思った以上に体力を消耗していたらしい。せめて次の満月までは持たせなければ、本当に、何もかも意味がなくなってしまう。
 そうとも。
 刹那に『ヴェーダ』を返すと言う、必要最低限の目標でさえも。
「………何を考えているのですか?」
 何処か気遣わしげなティエリアの問い掛けに、なんでもないさと笑い返した。




 吹き抜ける風はひどく穏やかでこころが安らぐ。訪れた者たちを慰め、手厚く保護し、受け入れてくれる『風の谷』。ここに住まう精霊やヒトは時に激しい側面を見せるものの、基本的には「いい奴」であるらしい。
 オレの故郷なんだけどな、と、語った彼の照れくさそうな笑みをいまでも覚えている。
 ならば何故、そんな住み慣れた土地を離れて『堕落』した精霊を狩るハンターになったのかと、抱いた疑問を口にできなかった理由は自分でも分からない。
 赤いストールを首に巻き直して刹那は目を閉じた。
 水のエレメントと風のエレメントは基本的に相性がいい。こうして静かに佇んでいるだけで空っぽの器が満たされていくのを感じる。ニールの傍にいる時に覚える感覚と似通っているようでもあり、微妙に異なっているようでもある。
 谷の入り口にある小川の前で刹那はヒトを―――精霊を待っていた。水の傍は心地がよい。風のエレメントの中でも特にこの谷の住人はお人好しの集団であるらしく、気さくな住人は案内を申し出てくれたが、異なるエレメント持ちの己がいきなり内部まで踏み込むのは躊躇われた。彼らを見ているとニールが此処の出身であることがイヤでも納得できてしまう。知らず、溜息が零れた。
 じゃり、と足元の砂を踏みしめる音に面を上げた。谷の入り口に当たる、切り立った崖を背後に従えながらひとりの青年が佇んでいる。
 茶色の髪に緑の瞳。
 何よりもその面立ちが。
「オレに用があるってのは、お前か?」
 首を傾げる様まで似通っている。
 間違いない。彼が、ニールの双子の弟―――『ライル・ディランディ』だ。
 左掌から覗く緑の紋様はクラス『セカンド』。
 ニールが「弟はオレより優秀なんだ」と言っていた意味が分かった。
 双子でありながら一方は精霊に『転生』するエレメントを有し、もう一方は何も持たない只人として産まれた。即ち、ニールは「成り損ない」だ。双子でもそんなことが有り得るのかと疑問を覚えると同時に、双子でありながら異なる種族となってしまった彼らと言う存在に僅かな寂寞を感じる。
「兄さんについて話があるって聞いたけど、一体どんな―――」
「ライル・ディランディ。お前を迎えに来た」
「………は?」
「お前は風のエレメントとしてオレたちと共に満月の晩に儀式を行う」
「………へ?」
「儀式には四大エレメントの力が必要不可欠だ。オレたちは既に火、土、水のエレメントを―――」
「ちょっ………と待て! 待て待て待て待てぇ! なんのことだか全然さっぱりだ!」
 相手の慌てた態度に漸く口を噤む。
 焦ったつもりはなかったが結論を急ぎすぎたかもしれない。順序だてて話してくれよと頼む彼の言葉に従って、手近な岩に腰掛けた。
 正面の岩に同じように腰掛けた相手があらためて先を促す。
「あー………その、なんだ。要するにお前は兄さんの知り合いで? 兄さんの紹介で此処に来た、と」
「そうだ」
「だからオレの名前を知ってたんだな。で? 名乗るより先に勧誘を始めた理由は何だってんだ」
「初めに名乗らなかった非礼は詫びよう。オレの名は刹那・F・セイエイ。水のエレメント、クラス『ファースト』だ」
 ファーストね、とライルは呟いた。
「どうしてお前が? 用があるなら兄さんが直接来ればいい」
「奴はいま来たくても来れない。その状況を打破するためにはお前の力が必要だ」
「来たくても来れない理由はなんだ」
「倒れている」
「………倒れた?」
「オレが移動中に『ヴェーダ』を落とした先にあいつがいて融合した」
 さらりととんでもないことを告げる刹那に流石にライルも目を見張った。
 それはそうだろう。『ヴェーダ』は度々昔話に登場するものの存在を確認されたことはなく、ほとんど御伽噺に出てくるお宝と同等の扱いをされていたのだ。
 それがいきなり。
 なんで。
 融合とかって。
 意味わかんねえ、と咄嗟にライルが呆れた声を上げたのも無理からぬ話か。
 その後もしばらく断片的にしか話さない刹那と疑問ばかりが沸いて出るライルの間で細かな遣り取りがなされたのだが、事の顛末を簡単に纏めると次のようになる。
 刹那はアザディスタン王国に仕える精霊だ。
 アザディスタンはユニオン、AEU、人革連の何処にも属していない歴史の古い国で、イオリア・シュヘンベルグの出身地でもあった。
 王宮にはイオリアの創り出した『ヴェーダ』が保管されていたのだが、何者かがそれを盗み出したのが数ヶ月前の出来事。当然、アザディスタンは慌てて契約済みの精霊たちを国外に派遣した。至急『ヴェーダ』を奪還せよ、争いの道具にされそうになった場合は最悪、破壊することも認めるとの旨をつけて。
 国を出た刹那はどうにか『ヴェーダ』を取り戻したものの、帰還時に敵兵に追いつかれて激しい空中戦を行う羽目になった。多勢に無勢、もはやこれまでかと諦めかかった時に地上から援護射撃があった。それが、ニールだったのだ。
 ―――後にニールは手助けした理由を問われて、「おとなが寄って集って子供を追い掛け回してたら、先ずは子供の味方をするもんだろ?」と答えている。子供扱いされていたと知った刹那は物凄くショックを受けたのだがそれはまた別の話だ。
 彼の助けもあってどうにか難局を切り抜けたものの、連戦に次ぐ連戦で疲れ切っていた刹那は敢無く落下した。
 彼の、真上に。
『ヴェーダ』と共に。
 落ちた『ヴェーダ』は奇しくも彼の右目に当たり、通常であれば青痣ができるか気絶するぐらいですんでいただろうに、何故かそのまま彼自身に『吸収』されてしまった。
「兄さんは無属性だからな。属性なしの『ヴェーダ』と同調しちまったのか………」
「おそらく、そうだろう」
 顔を俯けて頭を抱え込んでいるライルの言葉に同意を示した。
 例えばぶつかったのが刹那のような水のエレメントなら、あるいはライルのような風のエレメントなら。いや、この際ティエリアでもアレルヤでも誰だっていい。要は何らかの属性を持つ精霊か、あるいは真実なんの力も持たない普通のヒトであれば良かったのだ。
 けれどもその場に居たのは精霊に『転生』した双子の弟を持ち、更にはこれと言った属性を帯びていない「成り損ない」のニールだった。
 双子の弟が精霊であると言うことは即ち、彼もまた何らかのエレメントを持って産まれてくる可能性を秘めていたことを意味する。「只人」にしては微妙な「資質」を有していて、つまりは受け入れだけは常に準備万端な「器」だったと言っても過言ではあるまい。
 刹那には『ヴェーダ』を国に持ち帰る使命がある。
 だから、可能な限り早く『ヴェーダ』を摘出しなければならなかったが、そう簡単に行くものではない。
 アザディスタンに向かいがてら仲間を募り、魔力の高まる満月の晩に『ヴェーダ』の融合を解くための儀式を執り行おうとの結論に至ったのはただの妥協だ。
「刹那………、だったか。お前はクラス『ファースト』だったな。他の連中もそうなのか?」
「そうだ」
「そうか―――だから………」
 俯いたまま零される問い掛け。彼が何を気にしているのか分からない。クラス『ファースト』では年季が不足していると言いたいのか。これでもそこそこ経験は積んでいるのだが。
 空を見上げる。
 月がゆるゆると天頂に至ろうとしている。急に倒れこんだ彼も目覚めているだろうか。アレルヤとティエリアに後を任せてきたが不安がない訳ではない。
 腰掛けていた岩から立ち上がって先を促す。
「時間がない。行くぞ、ライル・ディランディ」
 声をかけられた相手は、見慣れているのに見慣れない緑色の瞳を細めると強い口調で言い切った。

「断る」

 あまりにも迷いなく言い切られて咄嗟に返す言葉を失った。
「………何故だ?」
「何故だも何もねえよ。オレと兄さんが会わなくなってどれぐらい経つと思ってるんだ。十年だぞ? なのに、自分の身が危なくなったから今更助けを求めるってどんだけ恥知らずなんだよ。手を貸してやる義理はないね」
「お前がいなければ儀式は行えない」
「オレ以外の誰かを雇えばいいだけの話だ。クラス『ファースト』同士でパーティ組んでるんだろ? ギルドに行けば手の空いてる奴のひとりやふたり、楽に会えるさ」
 肩を竦めて立ち上がり、青年は「実にくだらないことを聞かされた」とばかりに踵を返した。
 ニールが弟を気に掛けていた様子と比べて彼の態度はあまりにも素っ気無い。胸が軋むのを感じたが、いまは些細なことに頓着している場合ではない。時間がないのは本当なのだ。
「満月は明日だ。他を雇っている暇はない。お前はあいつを助けるつもりはないのか」
「ないね」
「『ヴェーダ』に侵蝕されれば遅かれ早かれ死に至る。あいつが死んでも構わないのか」
「死んでくれとは思わないが死なないで欲しいとも思わないんでね。―――ひとつだけ忠告してやる。あんまり兄さんを信用するな。あのひとほど傲慢で自分勝手な偽善者は見たことがない。いつか、裏切られるぞ」
「ライル・ディランディッッ!!」
 立ち去りかけていた腕を掴む。
 直後、視界が反転して周囲が闇に包まれる。かろうじて見て取れたのは実に嫌そうに、ひどく哀しそうに眉を顰めた青年の表情だった。
 左掌の風のエレメントが鈍い光を放つ。
 間違いない、魔法を発動された。
 真っ暗に閉ざされた視界の中に相手の声だけが虚ろに響く。

『―――オレには関係ない話だ』

 関係がないのなら。
 本当に関係ないならどうしてそんなに哀しそうな表情をする。
 悔しそうに唇を噛み締める。
 何が気に掛かっている、お前ならば気付けてオレたちでは気付けない理由があるのなら何故それを語ろうとしない。
「ライルッ………!!」
 伸ばした掌は宙を掴み、背中に強い衝撃を感じた。
 痛みに呻き声を上げる。
 飛び起きようとしたその時、手に触れる感触がやたらやわらかいことに気付いた。幾度か瞬きを繰り返すことで視界が明瞭になる。
 そうだ。周囲はとっくに明るい。
 固まったままの刹那を青年が覗き込んでいる。目を見開いていた彼は、やがてやんわりと微笑んで。
「おかえり」
「………ただいま」
 彼と過ごすうちにすっかり慣れてしまった遣り取りを反射的に繰り返す。
 答えた後で我に返った。
 おかしい。自分はさっきまで風の谷の近くにいたのにどうしてニールが此処にいる? いや、違う。どうして『自分』は『此処』にいる。
 上体を撥ね起こすと自身がベッドの上にまっ逆さまに落ちてきたことが分かった。見覚えのある宿屋の一室。やや離れた場所では本を片手に椅子に腰掛けたティエリアとアレルヤが呆れた表情でこちらを見詰めている。
「―――随分と乱暴な帰還だな、刹那・F・セイエイ。しかもひとりきりとはどういうことだ」
「………」
 ティエリアの言葉を聞きながら両足を床の上に下ろす。体調不良の人間の上に転送してくれるとは、本当にあの男は厄介だ。「すまない」と呟いた声はごくごく小さなものだったがニールが笑みを濃くしたので聞き取ってもらうことはできたのだろう。
 読みかけの本を閉じたティエリアが立ち上がる。
「君は風のエレメントをスカウトに行っていたはずだ。しかし、わざわざ転移魔法を使って空間ねじ切ってまで登場したのは君ひとりだ。どういうことなのか説明してもらおうか」
「………」
「おいおいティエリア、言葉が過ぎるぞ」
 文字通り空中から降ってわいた刹那に潰されたのに身体は痛くないのか、あるいは痛くても表に出さないだけなのか。
 よいしょ、と起き上がった青年が苦笑いを浮かべる。
「本人もすまなく思ってることをあげつらってやるなよ。ま、お前さんも嫌味が言えるぐらいは打ち解けてきたってことで嬉しくはあるけどな」
「あなたは何を言っているんですか」
 苛立ちの中に僅かな動揺を滲ませてティエリアが視線を鋭くする。
 特に応じるでもなかった刹那は、彼に向けていた視線をそのまま背後の青年へと流した。
「………ニール」
「ん? ああ、わかってるよ。あいつは来ない。そうだな?」
「………」
「あいつ、結構難しいところがあるからなあ。繊細っつーか神経質っつーか妙に可愛い性格してるっつーか、そんなところが見てて飽きないっつーか」
「お前の感想は訊いていない」
「ははっ、そーだな」
 笑う彼の顔色は悪くない。寝たことで回復したのだろうが、倒れた時は本当に気が気ではなかった。青褪めて蹲ったかと思いきや転倒し、脈は乱れるし冷や汗は流すし呼吸は荒いし、本当にこのままどうにかなってしまうんじゃないかと不安でならなかった。
 アレルヤによるとあの時の自分は至極冷静に宿の手配をしていたらしいが全く記憶にない。結局は一人旅をしていた経験が役立ったに過ぎないのだ。
 ぽん、と頭にてのひらを置かれる。
「心配すんな。アレルヤたちがきちんと風属性の魔道具を持ってきてくれたから」
 壁に背を預けたアレルヤが穏やかに笑い、脳裏には『どうってことねえよ』とガラの悪いハレルヤの声が響く。交渉事ならハレルヤに任せるに限る。きっと彼ならばその場で入手できる最高級品を仕入れてくれたのだろう。だが、代償として支払ったものはなんだ。タダではないことぐらい子供だって分かる。
 なのに、心配すんな、と青年は笑いながらこちらの髪の毛をかき混ぜる。
 労わるような誤魔化すような態度に苛ついて手を振り払えば、ほんの少しだけ残念そうに微笑まれた。
「………満月は明日だからな。今日はゆっくり休んでおけ」
「ニール」
 お前はそれでいいのか。
 弟に会えないままでいいのか。
 風のエレメントが必要だからと言う以上に、ただただ弟の現状が気になって此処まで来たのではないのか。ひょっとしたらこのまま終わるのかもしれないと考えた時に、最初に思い浮かんだのが肉親の姿だったのではないのか。
 責めるような刹那の視線も物ともせずに、微笑むニールは「おやすみ」と一声残して身体をベッドへと沈めた。




 ―――精霊は時に儀式を執り行う。
 ひとまとめに「儀式」と言っても内容は様々だ。怪我や病の治癒を願うものもあれば土地の守護を願うものもあり、敵を撃ち払う結界を張ることもあれば、逆に敵をおびき寄せる罠として呪文を編み上げることもある。勝利を願うこと、相手を呪うこと、挙げていったらきりがない。
 刹那たちが行おうとしているものは「治癒」や「浄化」に近い。呪いを祓うための儀式をアレンジしてニールから『ヴェーダ』を切り離す。理論上は可能だ。姿なき悪意や敵意を遠ざけることができるのならば、ほぼ同化しているとはいえ精霊そのものに近い『ヴェーダ』だって浄化の対象となり得るはず。尤も、通常の浄化と異なり『ヴェーダ』本体を消してはならないのでややこしかったが。
 ニールはただの人間だし補佐は全員クラス『ファースト』だ。儀式では四大元素の力をバランスよく配合することが必要で、そういった意味では初級者レベルの精霊ばかりでは不安もあったが、実力不足を嘆くばかりでは始まらない。
 場所は町外れの静かな森の中。執り行う儀式の内容に関わらず基本的には風と、水と、大地と、火の―――要は参加する各エレメントの気配を感じ取れる場所がいいとされている。
 午後一杯かけて地面に魔方陣を描き、東西南北にあわせてエレメントの配置を決定する。
 魔方陣の中央には施術の対象たる青年が座る。四方を囲むのは見慣れた面子ではあるが、うち、ひとつだけは「風」のエレメントを埋め込まれたに過ぎない魔法具であることが妙な不安を誘う。本来ならあそこには彼の弟が座るはずだったのに。
 刹那は暮れ行く太陽を見詰める長身の影に視線を投げ掛けた。
「本当によかったのか」
「今更だろ」
 特に堪えた様子でもないニールの態度がやたら気に掛かる。おそらくそれは、スカウトに失敗した青年の言い分に思うところがあったからだ。

『いつか、裏切られるぞ』

 あれ、は。
 本当に言葉どおりの意味だったのだろうか。
 わからない。そんなに長い時間を共にした訳ではないけれど、他国からの刺客に追われる生活の中、ニールは何度となく背中を護ってくれた。その事実以上に何故か自分は、彼ならば大丈夫だと根拠のない信頼を置いている。信じるとか信じないとかですらなく、ただ、彼は「そう」なのだと知っている。
 なのに、ライルのセリフが気になって仕方ないのは。
「どうした、刹那」
「―――」
 傍らの青年からの問い掛けに答えることなく、自身の持ち場へと向かった。
 納得し難い何かを感じていても引き下がることはできない。「儀式」さえ終えれば、彼の体調を気にせずに問い質すこともできるだろう。
「何をしている。そろそろ刻限だぞ」
「こっちは準備オーケーだよ」
 ティエリアが南に陣取り、北に座したアレルヤが穏やかに手を振る。月は間もなく中天にさしかかろうと言う頃合いだ。風のエレメントを宿したランプ型の魔道具を西に配置し、刹那自身は東の方円に足を踏み入れた。
 中央の青年は静かに胡坐をかいている。薄ぼんやりと彼の右目が発光しているのは、魔方陣から徐々に流れ込む魔力と彼の体内に宿る『ヴェーダ』が反応しているためだ。
 精霊ならともかく、ただの人間が魔力に晒され続けて無事で済むはずがない。
 進んで魔力を受け入れる奇特な者も時にいると聞くが、そういう人間の多くは天寿を全うすることなく短命に終わる。
 そんな事態を避けるべく自分たちは動いているのだ。
「では―――始める」
 眼鏡を外したティエリアが厳かに告げる。他の面子も応えるように頷きを返した。
 各自が持ち場で印を結ぶ。
 魔法を使うのは簡単だ。精霊はヒトのように『力』ある言葉を紡ぐ必要も面倒な手順を踏む必要もない。ただ其処に『ある』だけで世界と繋がり、宙に広がる魔力の恩恵を受けている。小さな動植物であっても日頃から魔力の波動を感じながら生きている。特殊な能力を持つか、手を労さない限り魔力の片鱗すら嗅ぎ取ることのできない人間こそが異端なのだと思えるほどに。
 手を組み合わせたまま刹那は瞳を閉じる。
 現実の眼を閉じれば瞼の裏に覗くのは精霊の眼で見る世界だ。
 夜だ。周囲は暗い。それでも其処彼処に魔力はぼんやりとした緑の粒子となって満ち溢れ、動植物に宿るエレメントが各々の光を放つ。全ての生き物はいずれかの属性に分類されている―――ヒトも、また、例外でなく。
 だが、明らかな輝きを放つ自分たちとは異なり、ニールの光は本当に本当に儚いものだった。彼に宿る『ヴェーダ』から強い波動を感じ取ることができても、受け入れている器たる彼には何もない。「成り損ない」は僅かばかりのエレメントも宿してはいないのだ。
 魔方陣に四大元素の力が満ちていく。呪いを祓うのと同様に、外部から圧力をかけることで『ヴェーダ』の融合を解除する。クラス『ファースト』であってもそれぐらいのことはできる。
 できる、と思っているのに。
 ―――妙な不安が根差している。
 開く必要のない瞳を薄っすらと開く。誰もが精神を集中している静謐な空間に淡い光が満ちている。中央に座す青年だけは眼を閉じるでもなく真っ直ぐに中天にかかる月を見上げて。
 微笑う。
 その、姿に。
「………っ!」
 背筋が冷えた瞬間、彼方から飛来する黒い気配に思わず叫んだ。
「伏せろ!! 誰かが―――!!」
 空が翳る、魔方陣の光がかき消される、生ぬるい風と血の匂いと背筋が総毛立つが如き殺気に覆われる。
 咄嗟に両腕を顔の前で交差させた。
 直後。

 ――――――ッッ!!

「うわっ!!?」
「なんだ!!」
 甲高い音と共に漆黒の炎が天から降り注いだ。突風に巻き込まれ、手近な木に叩きつけられる寸前でかろうじて持ち堪える。風のエレメントを宿す魔法具が砕け散り魔方陣の淡い光が四散する。描かれていた陣は粉々に崩された。
 地面を覆い尽くした黒い炎の中央に―――青年の、傍らに。
 漆黒の衣を纏った影が舞い降りた。
 誰だ、あれは。
(オレは―――あいつを知っている………!?)
 ビリビリと肌が震える。漆黒の人物の左掌に光る紋様は『フォース』。背格好からして男。
 いまの己では到底太刀打ちできないレベルと言うことは、奴が投げつけた一撃で分かった。ほんの他愛もないだろう攻撃ひとつで組み上げた魔方陣は吹き飛ばされた。地面を伝い燃え盛る黒い炎は木々を焼き、ジリジリとした熱さを間近に感じさせる。
 同じように吹き飛ばされていたアレルヤとティエリアも、互いに信じられないような表情でよろよろと立ち上がった。
「ったく―――手間かけさせやがって」
 黒衣の男が舌打ちしながら右腕を振り上げた。
 その手に、は。

「ニール!!」

 三名同時の叫びにうざったそうに男がこちらを一瞥した。顔を覆う包帯の隙間から覗く視線は驚くほどに冷たい。
 男は乱暴にニールの頭部を掴み、顔を上向かせている。無属性であるが故に黒い炎にすら反応を示すのか。当人が気絶しているにも関わらず、彼の右目に納められた『ヴェーダ』はほんのりと淡い光を零していた。
 微動だにしない青年の姿に背筋が凍る。
「―――っ!!」
「刹那!?」
「待て、危険だ!!」
 仲間の声も省みず、抜き放った短剣で切りかかった。
 男が左手を閃かせる。指先から生じた黒い炎が勢いを増す。その手には乗らない、自分は水のエレメントだ、この程度の炎ならどれだけ階級の違いがあろうとも―――!!

「うおおおおおっっ!!!」

 ありったけの魔力を込めて短剣を横に薙ぎ払う。
 水の魔力と相殺しあった炎が吹き飛ぶ。真っ直ぐ突き立てた刃は、しかし、左手の人差し指と中指で敢え無く止められた。
「………っ!!」
「ちったぁやるみてえだが―――甘いんだよ!」
 階級の違いから生じる圧倒的な魔力の差。
 男の左手に強大な魔力が集中するのを感じ、防御すら間に合わないと覚悟を決めた瞬間。
「刹那、離れろ!!」
 思いきり誰かに突き飛ばされ、傍らを黒炎が掠め去った。
 背後で一際強い轟音と炎熱が生じ、自身が間一髪で敵の攻撃を避けたことを知る。避けられた理由など考えるまでもない。目覚めた青年が苦しげに頬を歪めながらも精一杯、腕を伸ばしていた。ニールが突き飛ばさなかったら今頃刹那の身体は極炎に包まれていたに違いない。
「一時撤退しろ! オレのことはほっとけ!!」
「起きやがったか」
 忌々しげに舌打ちして男がニールの顔を己の正面まで引き上げる。青年は必死に逃れようと両手を動かすが然したる影響も与えられない。
 低い笑いを男が零す。
「どーも。始めましてだな、守り人さんよ。『ヴェーダ』とてめぇを迎えに来た。ま、おとなしくついてくれば悪いようにはしないぜ」
「………待て!!」
 男の声に記憶の底を刺激されながら刹那は必死に立ち上がった。よろめく身体を、いつの間にか駆け寄っていたティエリアが支える。アレルヤはアレルヤで武器を片手に慎重に間合いを取ろうとしている。
「貴様の目的は『ヴェーダ』か! ………そいつは殺させない!!」
「殺させない、だあ? 寝惚けてんじゃねーよ。てめぇらのお蔭でこちとらこんなに急ぐ羽目に―――」
 そこまで語って急に男は口を噤んだ。
 刹那は刹那で、妙な違和感を覚えて動きを止める。
 いまの会話自体はおかしなものではない。のに、何か、根本的な部分で食い違いが生じている気がする。胸が高鳴り、手が汗ばむ。絶大なる魔力の差から生じる恐怖に因るものではなく、もっと、根源的な何かだ。アレルヤもティエリアも答えない。彼らもまた同じような疑問を抱いている。
 脳裏をとある言葉が過ぎった。

『―――ひとつだけ忠告してやる。あんまり兄さんを信用するな』

 まさか、そんな。
 そんなはずはないのに―――。
 黒衣の男が全てを察したように笑みを深める。捕らえたままのニールを下から覗き込んで嘲った。
「なるほど。こいつらはクラス『ファースト』だからなあ? 精霊としての知識も技術も覚束ねえ連中だ。そりゃあ、騙すのも楽だったろーよ」
「黙れ………っ」
「騙す方向性が意外と言えば意外だけどな。自殺願望があるなら素直にそう言っとけよ、それがせめてもの親切ってやつだ」
「黙れっつってんだろ!!」
 叫びと共にニールが右手で男を殴りつける。
 が、呆気なく防がれた拳は、逆に手首を男に握り潰されて苦悶の声を上げさせることとなる。
 理解できない。
 理解などしたくない。
 だが、こころの何処かで納得しそうになっている自分がいる。

「どういう………ことだ」

 刹那の、小さな呟きに。
 背景に燃え盛る炎と黒煙を従えた男は不吉な笑みを浮かべ、青年は傷ついたような色を浮かべた。男は心底面白くてならないと言うように高笑いする。
「階級の低い連中はこれだからたまんねえよなあ! 騙されたって利用されたって気付きやしねえ。いいか? もう、こいつから『ヴェーダ』を切り離すなんて到底不可能なんだよ」
「三人とも耳を貸すんじゃねえ! こいつの言うことは出鱈目だっ!!」
「もっと早い時期なら如何にかなったんだろーが、ここまで融合が進んじまった以上、引き剥がすならこいつの『精神』ごとやらなきゃなんねえ。物理的に分離させる必要があるってことさ」
「違う! 嘘だ! きちんと分離させる方法はあるんだ!!」
「そう―――『魂』ごと、『物理的』に、だ。精神を抜き去られた肉体が如何なるかなんて、流石にそこまで説明する必要はないよなあ?」
 くつくつと炎の熱気の中に男の笑い声が響く。
 精神を抜き去られる。
 それは、即ち。
 誰ともなく呟きが零れた。

「肉体の死………」

 ヒトの命は肉体と精神の均衡のもとに成り立っている。精神がなくとも肉体はしばらくは生き続けることはできるだろう。だが、『心』を失った状態で永く存在し続けられるはずもなく、精神が他の魔道具―――『ヴェーダ』のような―――に囚われたままであるならば、もはや肉体的な死と精神的な死の明確な違いは生じなくなる。
 奴の言葉が真実であるとは限らない。
 ニールがあれだけ否定するのだ、嘘だと突っ撥ねてやりたい。でも、それが出来ないのは偏に、自らの知識不足に起因する恐怖が存在するからだ。
「依頼主は奇特なことにコイツ自身の命もお望みでね。お陰でオレはてめーらがコイツを殺す前に止めなきゃならなかったって訳だ。ったく、面倒な真似をしてくれたもんだぜ」
「違う!!」
 咄嗟に刹那は叫んだ。
 違う。
 殺すだなんて―――そんなことは、絶対に、違うのだ。
「オレたちは、そいつを殺したりしない!」
「だから騙されてたっつってんだろ? てめえらの実力如きで『ヴェーダ』をどうこうできるとでも思ってたのかよ。はっ! めでてぇ奴らだ」
 けど、まあ。
 詰まらなそうに男は呟いて。
 ニールの頭を鷲掴みにしていた掌を一瞬だけ緩め、地面に叩きつけられた彼の背を片足で踏みつけた。苦悶の声こそ上がらなかったがゴキリと響いた鈍い音が耳に届いた。
「逐一解説してやるほどオレも暇じゃねえ。そろそろ消えてもらおうか………!」

 

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