※劇場版の盛大なネタバレを含みます。ネタバレいやんな方は恐れ入りますが回避してください。

※映画本編にちらりと出て来たキャラを流用していますが、ほぼオリキャラ独壇場です。

オリキャラ苦手な方も申し訳ありませんが回避してください。

※内容的には不朽の名作『○人いる!』です。もうこれだけで分かるひとには展開バレバレ………;

※以上、よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遥か彼方から「それ」を望む者がいて、尚且つ「それ」を解するこころを有していたならば不思議な感覚に囚われたかもしれない。
 広大無辺な漆黒の闇の中に大きな花が浮かんでいる。背後に青い惑星を従えた姿は見る者が見れば美しさに感嘆すると共にある種の郷愁を抱いたかもしれない。静かに留まり続ける花はとある生物が形を変えた姿であり、いまは、「人類」と呼ばれる存在が周辺に様々な施設を築いて外宇宙へ進出するための足がかりとしている。
 人類―――彼らの故郷、青い惑星、地球。
 花は惑星上からでも視認できるほどの大きさを有し、戦いの名残として、「人類」と「それ以外」の存在が初めて分かり合えた記念碑として、五十年も前から宇宙の法則に従い朽ちることなく咲き誇っている。

(―――懐かしい)

 再びこの光景を見ることができた。
 いつか目的を果たすまではと思い続け、こんなにも時間がかかってしまった。
 戦いの墓標、希望の礎、過去の思い出、未来への希望。

(………見えているか)

 胸に手を当てて、唇を噛み締めて、呼びかける。
 見ているか。
 人類の新たなる一歩を。華々しき門出を。変わり行く世界を。

 お前は、そこで。

 見ているか。




 歩くたびにカツカツと靴が澄んだ音を立てる。金属で出来た床と靴が反発しあっているようでもあり共鳴しているようでもあり、はるかむかしの学生時代にはテスト中に教師が奏でるこの音が嫌いだったことを思い出して懐かしくなる。
 体調は良好、精神状態も問題なし、むしろやや高揚気味。それはいまこの外宇宙航行艦『スメラギ』に乗り込んでいるメンバーすべてに言えることであった。いよいよ出発を十日後に控えて一様に活気付いているのだ。人類初の外宇宙への進出、新たなる門出、未知なる旅への第一歩。興奮するなと言うのが無理な話である。
「………ょう」
 手元の書類に目を通す。館内設備の状態、水、食料の供給に問題なし。空気正常化システムも常時問題なく稼動中。イザという時のための防護服や船外活動用の宇宙服も人数分そろっていることは実際にこの目で確認して来た。
「………艦長!」
 残る問題は娯楽設備か。幾ら乗組員たちが高い向上心とやる気に満ち溢れたイノベイターで構成されているとは言え、気晴らしは必要だ。個人的にはハリー・カタギリ著の『古今東西MS名鑑〜ガンダムもあるヨ!』があれば満足だが他のメンバーにとっては―――。
「アーミア・リー艦長!」
「うわっ!? は、ははははい!!?」
 突然耳元で名前を呼ばれてアーミアは飛び上がった。いけない、いけない。うっかり考え事に没頭していた。イノベイターとして目覚めてかなりの月日が経つのにどうにも抜けたところは治りきらない。
 こほん、とわざとらしく咳払いしてからにっこりと微笑みかける。
「あら、イケダさんじゃない。艦長としてのコメントをご希望かしら?」
「別に仕事からみで声をかけた訳じゃないですよ。でもまあ、ちょっと頼みたいことがありまして」
 そう言って、外宇宙航行艦への同行を許された唯一の専従特派員は笑った。彼は祖父の代から記者を務めている根っからのジャーナリスト一家だ。今回の計画には多くのマスコミが同行を申し出たが、数多いた候補の中で見事に勝ち残ったのが彼である。各分野の専門知識を有する乗組員には勝てぬとも宇宙に対する充分な知識を持ち、かつ、体力や精神力のテスト等、メンバーを決めるための選考は非常に厳しいものだったらしい。
 しかして、そんな激戦を勝ち抜いてきたとは思えぬほどに普段の彼は暢気な好青年である。尤も、彼に言わせればアーミアも「艦長らしくないすっ呆けた人物」だそうなので、どっちもどっちということか。一応、自分は機密事項も知る政府高官なのだけど。
 艦内には未だ擬似的な重力が設けてあるために身体が当て所なく浮かび上がることはない。並んで艦内のブリーフィングルームへと向かう。
「それで? 頼みたいことって何かしら」
「実は先程、特別なシュミレーションを開始すると小耳に挟みまして。出発間際のこの時期にやるとは気になりますね」
「最近、物忘れが激しいのよね〜。そんなミッションなんてあったかしらー」
「あからさまに誤魔化さないでくださいよ」
「あははっ。でも、そんなに込み入ったものじゃないのよ。ジャーナリストさんのネタには向かないでしょうね」
 最高責任者であるクラウス・グラードや他代表メンバーと協議して、艦内設備の最終試験を行おうと決定したのはつい先刻のことだ。それからまだ幾らも経ってないのに、本当に彼の情報収集能力には舌を巻く。
「主要メンバーだけ艦内に残って、数日間、外界との接触を経つって訊きました。なぜ今更そんなことを、この忙しい時期に? どのような意図があるのですか」
「イケダさーん、インタビュー口調になってるわよ。………むしろこんな時だからこそ、ね。艦の設備にしろ、人間関係にしろ、問題があるなら今のうちに片付けといてくれって話。確かに私たちは生活の基盤を共にして理解を深めては来たけれど、地球から遠く離れてしまえばどうなるか分からないもの。擬似的なものでもいいから孤立無援の缶詰になることで、本当に余裕を持って行動できるか確認しておきたいの」
 イザとなれば緊急回線が開く訳ですし、あまり意味がないのでは? との彼の疑問には首を横に振った。回線はすべて遮断して一定の時間が過ぎるまでは『地球』、もとい外部とは完全に連絡が取れないようにするのだ。同時に、外部からも艦内の様子は分からない。推理小説で言うところのクローズド・サークル。おまけにメンバーが身に着けているのは脳量子波を遮断するスーツと来たものだ。
 万が一にでも何らかの問題が起きた場合、最悪、外宇宙へ進出する計画自体が遅延しかねない。だが、やっておいて損はない。クラウスの代わりに実質的に艦を預かることになる身としては極限に近い状態に置かれたメンバーがどのような心理になるのかを把握しておきたくもあった。これは自分自身への挑戦でもある。他の乗組員が平静を保つ中、自分ひとりが取り乱す結果になったりしたら目も当てられない。
「そこで、折り入っての頼みなんですが………僕も参加させてくれませんか?」
「本気?」
「勿論! 僕だって皆さんと一緒に旅に出るんですよ。専門知識に関しては劣りますが、やる気だけは満ち溢れているつもりです!」
 連れて行って損はないですよと必死にアピールしてくる青年に少しばかり考え込んだ。シュミレーションに参加するのは自分も含めて十名の乗組員だ。ひとりぐらいなら増えたとしても水や食料にも問題はない。問題となるのは上層部だが、と迷っていると、「既に上の方へ陳情しておきました!」とタイミングよく声がかかった。根回しは確実と言うことか。呆れて肩を竦める。
「じゃあ最初から私に頼む必要なんてないじゃないの」
「そうはいきませんよ。幾ら管制官から許可をもらえたとしても、現場のリーダーたる艦長のお許しがいただけなければ諦めるつもりでいましたし」
 こうまで言われては引き受けるより他はない。気持ちよく乗せられることにして、手元の資料にさらりと彼の名前を付け足した。イケダが表情を輝かせる。
「ありがとうございます! よおし、特ダネ………!」
「言っとくけど、記事にするのはなしね」
「え………」
「極秘任務なんだから当然でしょー? 外部メディアに情報が洩れたら一番にイケダさんのこと疑っちゃうから」
 にんまり笑って歩く速度を速める。そりゃないですよ、と後ろから追い縋る声に「もう間もなく集合時間だから」と返す。参加したければこの足でミーティングに顔を出せということだ。事前にメンバーに顔合わせをする機会は他にはない。ぶつぶつと文句を少しだけ呟いたのちにイケダが早足で追いついてきた。
「まったく、アーミアさんはヒトが悪い」
「イケダさんがお人好し過ぎるのよ」
 自動扉が音を立てて開く。
 正面にセッション用の大きなモニターを備えたブリーフィングルームには、既に他のメンバーが勢揃いしていた。
「遅いですよ、艦長!」
「ごめんなさい」
 手元の時計を確認する。間もなく、ミッション前の地上との最後の通信時間だ。
 アーミアに続いて入ってきたイケダの姿に「あれ?」とパスカルが首を傾げる。
「どうしてマスコミ関係者が………」
「イケダさんは特別枠でご参加なさるそうよ。上層部にも許可は取ってあるから問題ないわ」
「そうですか。なら、いいですけど」
 笑いながら青年はイケダと握手を交わした。モニターの状態を確認していたエイミーが合図を送る。
「アーミアさん、地上と回線繋がりますです!」
「了解。モニターに出して」
 アーミアが前に進み出れば残りのメンバーも心得たように後ろに一列に並んだ。地上と通信が繋がり、画面に見慣れた人物が映し出される。イノベイターに目覚めてから幾度も困難な目に遭って来たが、色々と助けの手を差し伸べてもらった上司だ。彼には感謝してもしきれない。
 自然と笑みを零しながら敬礼する。
「クラウスさん、お疲れ様です」
「畏まらないでくれたまえ、アーミア・リー艦長。こと、外宇宙への進出に関しては私よりも君の方が重役なのだから」
 クラウスが穏やかな口調で語る。
「諸君らにはこれから重大なミッションをこなして貰うことになる。出発を間近に控えたこの時期に大変だとは思うが、頑張ってくれたまえ」
「はい!!」
 全員が揃って頷き返す。ふと、クラウスの視線がアーミアの後ろへと移った。
「飛び入り参加もあったようだが―――君たちならば問題なく切り抜けることができると信じている」
「ありがとうございます!」
 クラウスの視線を受けたイケダの緊張した気配が伝わってきて密かにアーミアは笑みを零した。たぶん、イケダが「話をつけてきた上官」とはクラウスのことなのだ。
 更に幾つかの報告を行った後で、敬礼する。
「それでは―――アーミア・リー、以下十名。これよりミッションを開始します!」
 きらきらと瞳を輝かせながら彼女は高らかに宣言した。
 そして、クラウスとの通信を終えてから数時間後、身体チェックを完了した全員が艦内のブリーフィングルームに再集合した。全員が揃っている状態で通信を閉ざし、外部と繋がっているハッチをすべて封鎖する。
 改めてアーミアが前に進み出た。
「準備はいいかしら? 今回の任務は出立前の最終確認よ。どんな不測の事態が起きても対応できるようにとの念押しのようなものね。じゃあ、右端から時計回りに自己紹介をお願い」
「とっくに顔見知りだってのに?」
「礼儀のようなものよ」
 苦笑するメンバーに笑顔で先を促した。モニターの前に突っ立つアーミアから見て右端から順に名乗りを上げていく。
「ウィリアムだ」
「カイです。よろしくお願いします」
「ミリアよ」
「エイミーですう」
「………リズ」
「ニールだ。みんな、よろしくな」
「―――刹那」
「パスカルっす」
「ムーアだ」
「ライラ」
「皆ご存知、マイク様だ!!」
「イ、イケダです! 飛び入りですが頑張ります!」
「でもって。私がこの船を預かる艦長のアーミアよ。以上、総勢十一名! 無事に地球へ帰りましょうね!」
「了解!!」
 ―――この時。
 誰もがミッションは滞りなく終了すると思っていた。外部と一切通信ができない環境ではあったが、自分たちはイノベイターであり、かつての大戦であったという脳量子波の大拡散までには至らぬまでも、その気になればどこまでもこころの声を届けることができると考えていたからだ。
 イノベイターといえども万能ではない。万能ではないけれども、ELSという生命体と「分かり合う」ことを経験した身からすればどのような苦難でも乗り越えられると。
 思っていた、のだ。




 外宇宙航行艦『スメラギ』との通信を終えた管制室で、クラウスは無言のまま考え込んでいた。有能な女性艦長の意気軒昂な言葉を聞いた割には深刻な気配を孕んでいるように見えて、背後に控えていた秘書がおずおずと呼びかける。
「あの………如何なさったのですか?」
「ああ」
 呼びかけられて漸く我に返ったのか、クラウスが何度か目を瞬かせる。
 顎に手を当てて思案深げに首を傾けた後に、自らを納得させるように何度か頷いた。
「先程の映像には、アーミアくんを含めてすべてのミッション参加者が映っていたな。すまないが映像を再生してくれないか」
「はい」
 何を疑問に思っているのかと不思議に感じながら秘書は録画映像を再生した。艦長の後ろに控えているメンバーを気にしているようだが、十人―――イケダを含めれば十一人―――が礼儀正しく並んでいるだけで、取り立てて問題があるようには思われない。
 じっと映像を見詰めていたクラウスは「やはり残っていないか」と呟いた。
「どうなさったのです? この映像に何か問題でも?」
 クラウスは妙に寂しそうで残念そうな笑みを頬に浮かべた。
「いや、………何でもない。映像に何も残っていない以上、私の見間違いか勘違いだったのだろう」
 深い溜息を吐きながらクラウスは革張りの椅子にゆっくりと背中を預けた。




 艦長の仕事は存外地味で、重要なものが多い。乗組員たちの体調や心理状態に気を配ったり、船に異常がないか確かめたり、報告書をまとめたりする。食事や休憩の時間は各自に任せてはいるものの、会議の有無や時間帯、議題を決めるのはアーミアに一任されているため、特に話すこともなさそうな日にはネタ探しに苦労する。
 鏡に映る顔の半分は鈍い銀色。最近では意識することも少なくなったが、自分の身体には常に「ELS」という名の他人が巣食っている。それを悲しく感じていたのは遠いむかしの出来事だと、顔を洗って気合を入れた。
 リズと一緒に朝食を終えたアーミアは、コーヒー入りのボトルを何本か胸に抱えてカーゴへ向かった。船外では『サキブレ』と名付けられた作業用MSが活動しているとの想定で行動している。今日の担当はエイミーとムーアだったはずだ。ひょい、と顔を覗かせるとふたりが揃って振り向いた。エイミーの長い茶色の髪がふわりと揺れる。
「アーミアさん、おはようございますです!!」
「いま起きたのか? 寝坊だな!」
「やあだ。ふたりが早いだけよ。特にムーアさんなんてもう若くないですしー?」
「若くないとか言うな! わしとてなあ、もっと早くにイノベイター因子が目覚めていれば!!」
 拳を強く握り締めながらムーアが眉間に皺を寄せる。イノベイターになれば寿命も倍に伸びるが、できればもっと早くに目覚めたかったというのがメカニックたる彼の些細な憂いである。このトシになってから寿命が伸びたり基礎体力が向上したところで有り難味がないらしい。あくまでもおふざけ半分の愚痴に過ぎないから、アーミアたちもからかい半分に返すのだ。
「完全に腰が曲がりきってから目覚めたんじゃなくて良かったじゃない!」
「そうですう。ムーアさんはいまでも充分カッコイイおじいちゃんですう」
「せめておっさんと呼べ!」
 でなければお前らを孫娘と呼ぶ! と、仕返しになってるのか分からない台詞にカラカラと笑いながら、ふたりの腕にコーヒー入りのボトルを押し付けた。
 次いで訪れたのは船の中枢を成す管制室だ。そこではニールと刹那がじっとモニターと睨めっこをしていた。
「本当に完全に外部とは通信できなくなってるんだな。けど、もし、いま他の知的生命体が接触をはかってきたらどうする。話が進まんだろう」
「相手の出方にもよるが、焦りは禁物だ。待つしかない」
「―――辛抱強くなったなあ」
 茶色の髪をした青年がキーボードの隅に頬杖ついて感慨深げに呟いた。翡翠の瞳はひどく柔らかな色をしている。もしこの視線を向けられたのが年頃の女性だったなら色んな意味で勘違いしそうだったが、幸か不幸か受け止めたのは無愛想にも程がある青年であった。視線も態度も揺るぎもしない刹那が、しかし、僅かに嬉しそうな空気を纏わせたことを感じて微笑ましくなってしまう。
「ふたりとも、おはよう! なーに話してんの?」
「おはようございます、ミス・アーミア」
「おはよう」
「ちょっと、ニール。何だかその呼び方ってすっごい他人行儀。呼び捨てでいいわよ」
「あなたの方が上官じゃないですか」
 気に入らないったら気に入らないのよ、皆にも呼び方は徹底させてくつもり! と決意を語りながらふたりにもボトルを押し付ける。
「メインモニターは真っ暗だけど、システムは動いてるのよね?」
「ああ」
「映しますか。見れたとしても『サキブレ』が見張りをしてる『映像』だけでしょうが」
 実際の「生」の映像ではないのだと匂わせる言葉に、きちんと演技してよねと苦笑して。
「お願いするわ。いつ何処で未知との遭遇が果たせるか分からないんだから」
「了解しました、ミス・アーミア」
「呼、び、捨、て、で! でないとあなたのことを『ニールちゃん』と呼ぶわよ」
「………勘弁してください」
 げんなりした青年の態度に「してやったり」とガッツポーズをする。刹那が無表情ながらも呆れた視線を送ってきたがあまり深くは考えるまい。
 確認を終えた後にもう一度だけ管制室を振り返ると、モニターに映し出された擬似的な宇宙空間の映像を楽しそうに眺めているニールと、そんな彼を直向に見詰める刹那の姿が目に入った。彼らの間に流れる空気はひどく親密であたたかく、同時に、僅かな郷愁を感じさせる。あのふたりはいつから一緒にいるのだろうかと考えて、もともと同じ場所に勤めていたんだと「思い出す」。
 胸の中でチリチリとELSが『声』を奏でたことに気付かぬまま、アーミアは巡回を続けた。
 トレーニングルームに足を向けると、カイとマイクとライラが談笑しているところだった。宇宙空間では体力が低下しがちだ。イノベイターとは言え油断は禁物だから運動に励むことは全く問題ない、のだ、が―――。
「ライラ、よかったらこの後一緒にお茶でも飲みに行かない?」
「あと二時間ぐらいは終わらない予定だが」
「待ってるから、それで、その、僕―――」
「なんだなんだあ? ふたりでお茶すんのか! オレも混ぜてくれよ!!」
 ………非常に微妙な空気が流れていたので割り込むのはやめておいた。一度、ライラにどちらが本命なのかと尋ねてみたかったが、たぶん彼女は全く気付いていないだろう。どれほどに精神感応力が優れていようとも鈍い部分は鈍いままなのである。
 今度はブリーフィングルームに顔を出してみると、イケダが熱心にウィリアムとパスカルとリズにインタビューをしていた。ミッションに関わることは記事にしないと言い含められてはいるものの、話し相手がいれば思わず質問せずには居られないのが彼の性分らしい。そういう、仕事熱心なところは嫌いではなかった。
「精が出るわね、イケダさん」
「アーミアさん! いやあ、本当にこの船は興味深いことばかりですね。乗せてもらって感謝しています!」
「イケダさんはあまり艦内探索したことなかったのよね。迷子になったりしなかった?」
「実は………」
 記者が照れ笑いを浮かべる。彼の背後でパスカルが肩を竦めて見せた。
「イケダさん、食堂に行けずに迷子になってたんスよ! なので、これから一緒に改めて艦内を回る予定なんす」
「あら、そうなの?」
「丁度いい。オレも砲台の状態を確認したかったからな」
 使わずに済めば一番いいが、ありとあらゆる事態に備えておかないとな、と語るウィリアムは複雑そうだ。リズはリズで空調設備や医療器具の状態を点検する予定らしい。自分たちは船に「閉じ込められた」設定であるためか、各々が普段自らに割り当てられた仕事を確認したり、談笑することでしか時間を潰せないようだ。
 アーミアとしては折角だから皆で鬼ごっこでもして遊びましょう! ―――なんて提案をしてみたかったのだが、告げたが最後、呆れた目で見られてしまうに違いない。お酒ならたくさんあるんだし、酒盛りしたっていいんじゃないかなあとも思うのだが、グッと堪えている。
「アーミアさんは、これからどうするんです?」
「報告書を纏めるにはまだ早すぎるし、菜園の様子でも見て来ようかと思って」
「土いじりが趣味なんですか?」
「イノベイターになってからはね」
『覚醒』した時、自分はまだ高校生だった。ショッピングが好きで、友達と遊ぶのが好きで、彼もいて、宿題やるのが面倒くさいとか思っていて、何も知らず、急に再検査を言い渡されて戸惑っていた。
 自宅の玄関を開けようとドアノブに手を伸ばし―――………。
「―――じゃあ、またね。よかったら昼食は一緒に食べましょ!」
 浮かびかかった暗い想いを打ち消すように笑い、アーミアは踵を返した。
 正直、あの頃のことは思い出したくない。進んで選び取った道であっても、ELSとの対話に成功したからこそ『覚醒』したのだとしても。
(初日っからナイーブになってるのかしら)
 苦笑しながら艦内中枢に設置された小さな家庭菜園に向かう。植物たちとの語らいは、きっと、自分のこころを落ち着けてくれるだろう。
 こんな風に、ミッションが開始されてから数日間は何事も滞りなく進んで行った。
 昼食にはいつも五人ほどが相席し、夜には全員が揃って楽しい一時を過ごした。多少の言い争いはあっても軽い冗談に収まるものだったため取り立てて問題になることもなく。
 順調に過ぎるほどに順調な旅路になりそうだと、アーミアは上機嫌で夜には自室で報告書を纏めていたのだった。




 金属の鳴る甲高い音がする。
(………誰?)
 強弱をつけながら鳴り響くそれは何かを伝えようとしているようでもあり、戸惑っているようでもあり。
(………どうしたの?)
 久しく聴いていなかった声なき『声』は、かつて、日がな一日聞こえていた音でもある。
 ヒトの言語に訳すことのできない『声』を聞き取れなければいまの自分はなかった。
(………何が言いたいの?)
 問い掛けても答えは返らない。
 闇の中でELSのキラキラとした金属片が宙を漂っている。ELSの真の姿は誰も知らない。これはあくまでも自分の心象における『彼ら』の姿だ。雪の結晶の如き発光体はくるくると回転しながらしきりに音を奏でている。
 不安や非難や敵意を伝える際には甲高い頭が割れそうな音を立てる『彼ら』だが、いまは穏やかで何処か懐かしいメロディを紡いでいる。歌、ではない。歌、ではないが歌、に思える音階、流れ、響き。秘められた想いは困惑であり控えめな喜びであり僅かな不安。
 胸がざわめく。
 何か、が気にかかる。内に眠るELSが進んで語りかけてくるなんて、数年来なかったことだ。世界規模での大戦が起こった際に『彼ら』の叫びを耳にした記憶はあるけれど―――どうして、いま。何の危険もない、宙に浮かんで出発を待つばかりの船の中で。外部と連絡は取れずとも身内しか居ない安全な場所において。
 違和感が強くなる。
 ああ、何か、だ。何かに自分は気付いていない。自分が気付いていないことをELSは察知して警告、か、忠告、か、申告、を、してくれているのだ。
 だが、それが何を意味するのかは―――。
 現実の自分が見い出さなければならなかった。




「う〜ん………」
 朝早くからアーミアは食堂で一枚の紙を前に低く唸り続けていた。宇宙には昼夜の別など存在しないが、軽く「朝食」を終えてコーヒーを淹れた。湯気を立てるマグカップは黒い水面をなだらかに揺らしている。
「おはようございまー………あれっ、アーミアさん? 珍しいですね、あなたが早起きするなんて」
「おはよう、イケダさん」
「どうしたんです? 何か新しい作戦でも考えてるんですか」
 ちらりと紙に視線を落としたイケダが首を傾げた。さもありなん。紙には文字のひとつも書かれていなかったのだから。
 尋ねてみても「あー」とか「うー」しか答えないので、専従特派員はマイペースに朝食を採ることにしたようだ。アーミアとしてもその方が有り難かった。未だほんの些細な疑問にしか過ぎないものを言葉にするのは憚られる。妙な発言をして皆に不安を与えたくはなかった。
 しかして、自分ひとりの内に留めるのは聊か難しく。
「………イケダさん」
「なんです?」
「私ね、何かが気になってるの。喉に小骨が引っかかってるような、忘れちゃいけないことを忘れてるような、三日後にテストが控えてることを忘れて遊園地に遊びに行っちゃったみたいな」
「ンなこと言われたってよく分かりませんよ。まさか何か書類の提出期限が迫ってるとか、このミッションを遂行している間に同時進行でやらなきゃいけない実験があるのを忘れてたとか?」
「流石にその点は私も気になったからチェックしてみたのよ。でも、それについては問題なかったのよね」
 とんとんと右手に握り締めていたペンで真っ白な紙を叩いて眉間に皺を寄せる。
 気になる点があったら書き出してみようと思った。
 しかし、「これはどうだろうか」と思いついても、思いついた先から「でも、それは」と反証が浮かぶから全然進まない。物凄く簡単な事実を見落としている気がしてならないのに。
「無視するって選択肢はないんですか」
「―――夢に、ELSが出てきたから」
 イケダが僅かに動きを止めた。興味深そうに瞬きを繰り返し、「僕の夢には出てきませんでしたねえ」と呟く。
「アーミアさんの方がイノベイターとしての能力は上ですからね。ELSが何かお告げでも?」
「何かをすっごく気にしてた。警鐘ではなかったから危険が迫ってる可能性は低いけど………」
 悩むアーミアを余所に食堂には次々とメンバーが訪れる。誰もが艦長が早起きしていることに驚いて、一言、二言、声をかけていくけれどもアーミアは正直それどころではない。ELSの反応が気になって気になって、これでは全く他の仕事が手につかない。
「さぼる口実ですか?」
「違いますうー」
 悪気のないままに聞こえの悪い言葉を吐いてくれるカイを睨み付けた。
 がやがやとしていたのは乗組員が点々に訪れていた数時間ほどで、やがて食堂には再びアーミアとイケダのふたりだけが残された。また各員インタビューでもしてくればいいのにと呟けば、いまはあなたの疑問の方が気になりますと返された。特ダネの匂いがするのかもしれない。まあ、ひとり寂しく食堂で座り込んでいるよりは、言葉を交わさないまでも誰かが傍に居てくれる方が嬉しかった。
(最初から全部資料を探ってみようかしら………)
 傍らに置いていた携帯モニターを起動して今回のミッションに関わる書類に目を通していく。期間、目的、開始時刻、終了予定時刻、参加メンバー、ミッションに伴う各種動作チェック、水や食料の備蓄状況、自給自足体制の過負荷、菜園の定期チェック、サキブレの動作状況―――………。
(―――ん?)
 微かに。
 ELSがきらりと光を発した。同時、アーミア自身も何か引っ掛かるものを覚えて。
 もう一度、最初から書類に目を通していく。何処だ。何処でELSは反応した。違和感を覚えた。きっとそれは本当に些細な、ふとした瞬間の、無意識の狭間に紛れ込んでいるようなものに違いない。イノベイターしかいないこの空間で、現時点で差異を感じているのは己ひとりきりだし。
 のんびりとコーヒーを淹れ直しながらイケダが陽気に告げる。
「ホント波風のない穏やかな航海ですよねえ。あ、皆からいま何してるのかって通信来ましたよ。読み上げてみます?」
「………」
「聞いてないですね………ま、いいや。ええっと、エイミーさんとミリアさんが廊下で談笑中、ウィリアムさんとニールさんと刹那さんがトレーニングルームで訓練中、カイさんとパスカルさんが菜園の様子を見ていて、マイクさんとリズさんがサキブレの操作訓練、ムーアさんとライラさんがそれの指導に当たってますね。これで全員かな?」
 ―――ふと。
 胸中のELSがざりざりと嫌な音を奏でた。
 ペン先でテーブルを叩く動作を止めて、正面の白紙を睨んだままに鋭い声で言い放つ。
「イケダさん。ごめん、いまのもう一度」
「いまのって―――皆さんの現在の状況ですか?」
「そう。私とイケダさんのことは除外して」
 目を瞬かせながらも彼は自分に割り当てられた専用端末に浮かぶ連絡文を改めて読み上げる。
 一度読み終わったらもう一度、それが終わったら更にもう一度、できるだけゆっくりとした口調で繰り返してもらう。彼に迷惑をかけていると思ったが、確かに『何か』を掴みかけたのだ。僅かな取っ掛かりではあるものの、いま逃してしまえば再び見つけ出すことは困難を極めるだろう。
「エイミーさんとミリアさんが談笑中………ウィリアムさんとニールさんと刹那さんが訓練中………カイさんとパスカルさんは菜園に………」
 澱みなく続く言葉の内容には勿論全く何の問題もない。
 しかし、じっと耳を傾けている内に、どこに引っ掛かったのかが分かってきた。おそらく、名前と各自の行動を伝えられただけならば何も反応しないままだった。唯一己と、己の中のELSが違和感を覚えたのは。

『―――これで全員かな?』

 この台詞だ。
 この言葉に違和感の正体がある。
 イケダの言葉を聞きながら紙に乗組員の名前と居場所、行動を書き連ねて行く。居場所には何も感じなかった。除外。行動も普通の内容だ。やはり除外。
 残るは名前しかない。
 けれども皆の名前なんて数年単位で付き合ってきているので今更間違えようもないし、最近になって加わったメンバーだって数ヶ月前には顔合わせをすませているのだ。この船に乗り込んでいる面子の中で一番アーミアと付き合いが浅いのはイケダであるが、彼とて旅に同行するとの理由から折りにつけ会ってはいたのだ。
(私、イケダさん、エイミー、ミリア、ウィリアム、ニール、刹那………)
 それぞれの顔を思い出しながらじっと紙に刻まれた名前を睨みつける。
 制止しないものだから正直にもずっと音声ガイダンスの如く名前を読み上げ続けていたイケダがとうとう音を上げた。「すいません」と一言断ってから彼はすっかり冷え切ってしまったコーヒーを煽る。
「はあ〜………一体どうしたってんですか、アーミアさん」
「―――」
「アーミアさ〜ん。少しは答えてくださいよー」
 彼の嘆きを聞くともなしに聞いていた、直後。
(………っ!!)
 アーミアは椅子を蹴倒して立ち上がった。彼女の視界には隣の青年すら映っていない。
 ―――もしかして。
 もしかしてもしかしてもしかして。
 嗚呼、本当に、ただ「それだけ」の、「それだけ」だからこそ余計に面倒な。
 ぐしゃりと紙を握り潰して歩き出す。
「ア、アーミアさん!?」
「イケダさん、協力してくれてありがとう。………ごめんなさい、少し考えたいことがあるから。今日の食事は要らない。食べたくなったら適当に携帯食料つまむから心配しないでって皆に伝えておいて」
「それは構いませんが、何か分かったんじゃあ」
「―――本当にごめんなさい、また後で」
 動揺も露に言い置いて、只管に首を傾げる協力者を尻目に自室へと逃げ込んだ。歯を食い縛る。必死に考え続ける。考え続けていなければ「忘れてしまう」。すぐに記憶から「消えて」しまう。なんて恐ろしい。こんな単純な事実に気付かずにいたなんて。自分ひとりの妄想や勘違いであればいい。だからこそ今一度、ひとりでじっくり考えてみたいのだ。
 ベッドにダイブして、ぐしゃぐしゃになった紙を広げ直す。歪んだスペル。大切な仲間たちの名前。
 胸の中のELSが甲高い音を奏で、アーミアも共に表情を歪めた。




 ひとりで悩んでいたところで何も解決はしないし、黙っていると自分と自分の中にいるELSに喩えようのない気持ち悪さが残る。納得できる答えが欲しいだけなのだ。勘違いなら勘違いだと誰かに断言してほしい。そうすれば安心してミッションを続行できるから。
 夜の内に、参加メンバー全員に翌朝ブリーフィングルームに集合するようメールを送った。上手く行くかは分からない。混乱させるだけかもしれないが、これ以上、ひとりで頭を抱えていてもどうしようもないのだから。
 ほとんど眠らぬままにまんじりと部屋で待っていると、全員が集合時間の五分前には顔を揃えた。
 ニールが気遣わしげに眉を顰める。
「艦長、ちゃんと寝たのか? すっげぇ隈だぜ」
「ん………大丈夫よ」
 どうにか笑みを返しながら手元の紙を握り締める。たぶん、これから告げる内容は非常に馬鹿げたものだ。是非とも笑い飛ばしてほしい。
 改めて全員の顔を見渡したところでアーミアは深く息を吐いた。
「―――皆、朝早くから集まってもらってありがとう。ちょっと確認したいことがあって」
「別に大丈夫ですう」
「問題ないっすよ。でも、確認したいって何をですか?」
「あのね」
 深呼吸してから、問い掛けた。

「このミッションの参加者は、全部で何人だったかしら?」

「………十人、ですよ」
 今更なにを、と言いたそうにカイが小首を傾げる。他の乗組員たちも同様の反応だ。もしかして引っ掛けなのか、とウィリアムが手を挙げる。
「厳密に言えば十人じゃねえな。イケダさんを入れれば十一人だ」
「あ、そうです、そうです。僕がいます」
 存在を主張するように慌ててイケダが己の胸を叩いた。
 昨日散々付き合わせた挙句に詳しい事情も話さないままに済ませてしまった記者にこころの中で詫びながら、アーミアは問いを繰り返す。
「本当に、十人かしら?」
「何を言っているの、アーミア。だからイケダさんを入れて十一人………」
 呆れた口調で紡がれていたリズの声が段々と尻すぼみになる。彼女も気付いたのかもしれない。些細な違和感に。
 綺麗な眉を顰めて顎に手を当てて考え込む。
「十一人………イケダさんを入れて十一人だわ………間違いない。ないのだけれど………」
 彼女に釣られるようにニールと刹那が視線を交わし、ムーアが腕組みをし、エイミーとミリアが顔を見合わせた。カイとパスカルとライラは沈黙を保っているが徐々にアーミアが何を言いたいのかに気付き始めたのだろう。おそらく、未だ何も感じていないのはマイクとイケダぐらいのものだ。
「………おかしいですぅ」
 指折り数えていたエイミーが呟いた。
「何回頭ン中で数えても人数は十一人ですう。でも、」
 微妙に、震える声音で。

「―――指を折ってくと十三人、です」

 例えば、それが。
 ただの勘違いならば良かった。しかし、全員が全員、本来の参加者が十三人なのに、「ミッションに加わっているのは十一人だ」と誤解し続ける可能性がどのぐらいあると言うのか。
 問題となるのは各自の「認識」だ。互いが互いを見知っていて間違いようがない。けれども「現実」は「十三」を示して「脳の認識」は「十一」だと主張し続ける。
 ………何故、「認識」がずれなければならない。イノベイターが揃いも揃って!
 エイミーの言葉を契機に各人がカウントを始める。ある者は声に出して名前を読み上げ、ある者は佇むメンバーを端から順に数えていく。
 けれども、誰もがいつの間にかずれているのだ。
 誰を飛ばした訳でも抜かした訳でもないのに、必ずカウントは「十一」で終わる。
「や………やっぱり、おかしいよね」
「そうだな」
 カイがやや表情を青褪めて、ライラが横で不機嫌そうに眉根を寄せていた。
 会話に遅れがちだったイケダが神妙な表情でこちらを見遣る。
「アーミアさんが気にしてたのはこれだったんですね?」
「ええ。イケダさんが名前を読み上げてくれたお陰で気がついたわ」
 昨日食堂で使っていた紙を広げる。記されたのは乗務員全員の名前と割り当て番号。非常にアナログな方式だが、それが却って幸いしたと考えている。もしこれをパソコンに打ち込んだり誰かと数えあっていただけならば、未だに違和感の正体に気付かずにいたかもしれない。
 深刻そうな顔をするメンバーの中でマイクだけが気楽に口を開いた。
「簡単なことです! きっと誰かふたりはスパイなんですよ、スパイ! オレらがきちっと任務をこなしてるかっつー地上からのね!」
 不審者が居るかも知れないと思わせて混乱を誘おうとしているに違いありません! と胸を張る。
 ビシッ! と彼は端から順番にメンバーを指差して。
「さあさあさあ、こーんなふざけた真似をしてるのは何処のどいつだ!? 今ならグーパンチ一発で許してやるぞ。潔く名乗り出ろ!!」
「………マイク」
 ライラが深い溜息を吐く。
「何故、そんなに考えが浅いんだ。お前自身が不審者として疑われる可能性があるとは思わないのか?」
「オレが不審者じゃないことはオレがよく知ってます!!」
 勿論、ライラさんも! と自信満々に宣言する様は非常に頼もしくもあり微笑ましくもあるのだが、本当の問題はそんなことではないのだとライラが声を尖らせる。
「確かに日頃からメンバーが何人いるのかなど逐一数えたりはしない。だが、私達はいま宇宙に居るのだ。宇宙では水や食料、酸素供給の関係から人員管理は非常に厳しく行われている。イケダが参加できたこととて特例に近い。なのに、イケダに加えてふたりだぞ? ふたりも『予期せぬ来訪者』が居たのに、誰ひとり意識していなかったというのか!?」
 最後の呟きには悔しさが滲んでいた。全員の「認識」と「現実」がずれているとアーミアに言われるまで気付けなかったことが情けないのかもしれない。
 更にアーミアは続けた。
「―――間違っているのが私たちの認識だけならまだいいのだけれど」
「他にもあるってのか?」
 眉を顰めたニールの問いに頷きを返す。
 騙されているのが人間だけならば、まだ、分からないでもない。人間の脳は案外曖昧でいい加減だ。記憶だってすぐに摩り替わるし大切なことだって忘れてしまう。だからこそヒトは忘れたくないものをメモに残したり写真にしたり、他の記憶媒体に刻んでおくのだ。
「………ミッションを開始したら外部と連絡とっちゃいけないから、きちんと何人が船に搭乗したのかとか各部屋の入退室の状況とかは記録を取ってるの。でもね、」
 ふ、と一度だけ息を吐いて。
 まるで出来の悪いホラーのようだとどうしようもない苦笑を浮かべる。
「記録に残っているのは何回数えても『十一人分』でしかないのよ。つまり、謎の二名の存在は、機械ですら認識できてないってワケ」
「コンピュータ自体に手が加えられてるって可能性は?」
「私たちが乗り込むことは随分前から決まってたでしょ。記録を一ヶ月ぐらい前まで遡ってみたけど別段問題なし。システム本体に原因があったなら流石に誰かが気付くでしょうし………ミッション開始と同時に狂いが生じたってんなら、それこそ、天才レベルのハッカーの手が回ったか、本部が介入してると疑わなければならなくなるわ」
 アーミアの答えにムーアが押し黙る。『スメラギ』のシステムを担当している彼としては、誰かに機能を乗っ取られたなどと考えたくもないのだろう。それほどに自らの技術に自信と誇りを抱いている。
 だが、実際に『狂い』は生じた。モニターに映し出された情報の一覧に皆が目を通してアーミアの発言にズレがないことを確認する。
 しばし場に沈黙が満ちた。
 だが、いつまでも手を拱いている訳にも行かない。一度「認識」と「現実」の違いを把握してしまえば、以降は惑わされることもないはずだ。先ずは確かめてみようと各自の部屋を回る。コンピュータ上では「十一部屋」しか使われていないが、実際に確認すれば「十三部屋」になるはずだ。デジタルは信用できないらしいからアナログで行けばいいのだと指折り数えて行くことにする。
 だが、ここでも期待は裏切られた。何度回っても、何度数え直しても、変わらずに各自の指が示す数字は「十一」のままであった。
 刹那が低い声で呟く。
「脳量子波の混乱が続いているということか………」
「ったく、どっちが正しいのか分からなくなってきたぜ。十三人いると認識しているオレたちが間違えているのか、十一人しかいないと記録してるコンピュータが正しいのか。幽霊でも紛れ込んでるってかあ?」
 ガリガリとウィリアムが頭を掻きながら唸りを上げる。
 列の一番後方を着いて来ていたイケダが進言した。
「どうでしょう、アーミアさん。一度、地上の管制室に連絡を取ってみては。ミッションは失敗扱いされてしまうかもしれませんが、こちらの認識が間違っているにせよ、コンピュータの設定が狂っているにせよ、明らかにおかしいですよ」
「確かに、連絡を取ってしまうのが一番早いんでしょうけれど―――………」
 アーミアは迷っていた。他の誰が反対しようとも艦長権限を発動すれば自分の独断で地上に連絡を取ることはできる。もとより急病人が出たらそうするつもりでいたし、本当の本当に非常事態が起きたならば連絡せずにいる方がより問題だ。
 そう、分かっているのに。
「なんか、違う気がするのよね」
 ミッション失敗による自らの評価の低下などはどうでもいい。
 ただ。
「誰かが怪我したとか病気が蔓延したとかだったら迷うことないんだけど………侵入者の目的も分からない内から早々に排斥するのはおかしい気がして」
 内心でチリチリとELSがざわめく。
 否定ではない、同意を示して。
「だがなあ、これじゃどうにも落ち着かんだろーが」
 騙されているのかもしれないと思いながら日々を過ごすってのはつらいもんだぞとムーアが真顔で語る。尤もな話だ。
 全員揃って廊下に立ち竦むこと数分。カイがぽつりと呟いた。
「………イノベイターの能力を解放すれば、分かるのかな」
 現在、自分たちは不用意に他者のプライベートに踏み込まないよう脳量子波を遮断するスーツを身に着けている。これを着ていない状態でイノベイターの『対話』する能力を解放すれば、確かに、各人の考えや想いは一発で理解できるだろう。
 少なくとも―――誰が『嘘』をついているのか、もしくは、誰がコンピュータの設定を変更したのか、くらいは。
「オレは反対だ」
 不意にニールが声を発した。もともと温和な彼が厳しい口調をすることは非常に珍しい。
「おやっさんやカイの気持ちも分かる。確かに、この状況は落ち着かねえ。でも、誰が『侵入者』なのか突き止めることはそんなに重要なのか?」
 実際、あまり取りたくない手段ではある。できればイノベイターの能力を使うことなく状況を把握したい。同時に、取るべき手段であるとも言えた。アーミアより先に赤茶色の瞳をした青年が口を開く。
「オレは賛成だ」
「刹那?」
「オレたちの認識自体が第三者の手によってずらされていると仮定した場合、今後、更なるずれを生じる可能性も否定できない。例えば、いまのオレたちは十三人いると認識し直した。だが、もとが十二人だった可能性は? 十四人に増える可能性は?」
「それは―――」
「更に言えば、それが何らかの悪意あるものの婉曲な示唆だったとすればどうする。オレたちはこの船には誰もアクセスできないと考えているが、違うのかもしれない。誰かを疑うことを躊躇っている間に状況が更に悪化しないとも限らない」
 日に日に人数が増えていくことだけは分かっているのに『誰』が『いつ』増えたのかわからないなんて事態になってみろ。確実に何人かはノイローゼになるぞ。
 揺ぎ無い瞳で刹那は隣に佇む青年を見詰めた。
「お前の考えは甘すぎる」
 翡翠色の目をした青年がきつく唇を噛み締めた。
 他のメンバーは発言こそしないが、おそらく、ニールと刹那のどちらかの考えに寄っているのだろう。ひとつの船を預かる艦長として結論を出さねばならなかった。
「―――遮断スーツを脱ぎましょう」
「アーミアさん!?」
「大丈夫よ、イケダさん。別に素っ裸になるって意味じゃないから」
 いえ、そういうことではなく。と、イケダがボケに付き合ってくれている間に他のメンバーに指示をくだす。要はノーマルスーツに着替えるだけの話だ。その上で脳量子波を解放すれば大概のことは理解できる。後ろめたい部分がないのなら素のこころを晒したところで何ら問題はない。
 各自が部屋で着替えた後にブリーフィングルームに再集合する。戸惑い顔、開き直った顔、いつもと変わらぬ無表情、疲れた顔、それぞれだ。自らの考えを述べなければ彼らを無駄に悩ませることもなかったのだと思えば申し訳なさが募る。だが、不安だったのだ。刹那が口にしたのと同じような理由で。知らぬ間にコトが進行して自らの手に負えなくなる事態をこそ恐れたのだ。
「それじゃ、皆、準備はいいわね」
「はい」
「問題ないです」
 全員が頷き返し、精神を集中する。
 ELSの襲来によりイノベイターとして目覚めた者と、それ以降に目覚めた者とでは僅かに脳量子波の動きに違いがある。アーミアのように体内にELSを住まわせているタイプは個人の波長に併せてELS独特の金属音―――と、アーミアは認識している―――が聴こえてくるのだ。
 目を閉じて、ゆっくりと耳を澄ます。
 けれども。
 ほんの少しの間を置いて誰もが驚愕に目を見開くこととなった。
「―――どういうこと?」
 リズの呟きが全員の心情を表していた。誰も、何も言わない。凍りついたかのように動かない。
 ただひとり、状況を把握できずにいるイケダが恐々と口を開いた。
「皆さん、どうなさったんですか?」
「………ない」
「え?」
「嘘、ついて、ないの」
 零れ落ちたアーミアの声には抑揚がなかった。
 そう。誰も。
 誰ひとり『嘘』など吐いていなかったし、機械に手も加えていなかった。この場に居る十三人「全員」がシロである、と。
 他でもない自分たちの能力こそが伝えていた。
 隠し事をしている人物が判明したら人間関係が悪くなるかもしれないと案じてはいたけれど、まさか、「誰も嘘をついていない」のに「現実」だけが異なるだなんて―――流石に予想していなかった。
 アーミアはしばし艦長としての言葉すらも紡げずにいたのだった。




 ―――イノベイターの能力を持ってしても問題が解決に至らないと判明してから数日が経過した。
 その際に他の方法を考えてみると伝えて全員持ち場に戻るようにと伝えたアーミアではあったが、正直、良い手が思いつかない。脳量子波は万能ではないと知っていたはずなのに、こころの何処かで頼りにしていたようだ。己の内面の弱さに歯噛みするが此処で足踏みしている訳には行かなかった。
 状況は少しずつではあるが悪化している。先ず、皆があまり言葉を交わさなくなった。食事の時間もずらすようになったし、自然と全員が食堂に顔を揃えることもない。与えられた仕事をこなしてはいるが会話が弾んでいないことは見回りをしていればよく分かる。余所余所しい空気が流れ、ふとした瞬間に言葉が途絶え、以降は戻ることがない。僅か十三人のメンバーだというのに、更に小規模な二、三名のグループに分かれて行動するようになってしまっている。例えばエイミーはムーアと、リズはライラと、ウィリアムはパスカルと。幼少時からご近所付き合いがあったとか、士官学校時代からの友人であるとの事実関係が互いを「安心できる相手」と認識しているのだろう。
 内なる世界へ閉じこもりかけていると頭が警告を発しても、彼らの心境が痛いほどに分かってしまう。だからこそアーミアも強く出ることができないのだ。第一、「もっと全員で行動するように」と告げたところで、会話が弾まないならば一層に気まずくなるだけではないか。
「駄目だなあ………」
 自分は、イノベイターとして覚醒した頃から全然成長していない。
 ベッドに寝転がってモニターを見詰める。深く沈んだ気分は大好きなコーヒーの香りでさえも救ってくれない。むしろここはアルコールに頼るしかないのだろうか。
 気分転換でもしようと部屋を抜け出した。時刻は地上時間に直せば深夜一時。通路に灯された照明が淡い青色に世界を染め上げていて、微かに伝わってくるメンバーのこころが不安に怯えていて、物悲しくなった。ミッションを開始した当初は誰もが前向きでいたと言うのに。ほんのちょっとの不確定要素でこんなに容易く揺れてしまう。理解できないものを前にすると戸惑ってしまうのは仕方ないが、だとしても、仮にも「対話」を志すイノベイターが―――………。
「………あら?」
「よう。珍しいな、こんな時刻に」
「あなたこそ」
 船内きっての大きな窓が広がる展望室。船の向きを調節して、地球が見えるようにしてある其処は密かにアーミアお気に入りの場所だったのだが。
 今日は先客がいたらしい。
「刹那は一緒じゃないの? ニール」
「四六時中一緒にいる訳じゃないさ」
 笑う視線はそのまま窓へと戻されて、再び彼は青い星を見下ろす。
 小さく呟いた。
「綺麗だな」
「え?」
「地球が、さ。もう一度この目で見ることができるとは思ってなかったぜ。………あいつには感謝しないとな」
 最後の方は上手く聞き取れなかったが、『あいつ』というのは刹那のことだろう。確かニールは右目が義眼だったのだと「思い出し」て、刹那に絡んで色々あったのかもしれないと想像する。
 隣に並ぶ彼の横顔を見上げてみた。
 翡翠の瞳に青い惑星が映り込む。揺らぐ色彩はいつまでも見詰めていたくなるような懐かしさと儚さを滲ませていた。姿形はしっかりとした青年なのに彼を覆う空気は哀切を感じさせる、が、刹那と共にいる彼からは全く感じ取れない要素だと気付いて戸惑った。
 振り向いた青年が首を傾げる。
「オレの顔に何かついてるか?」
「ううん。ただ、おっとこまえだなーって思って」
「褒めてもなんも出ねえぞ」
 クスクスと笑う表情は穏やかなものだ。傍に居るだけで落ち込みかけていた気持ちが浮上してくるのを感じて、ああ、彼の傍にいるのはすごく楽なことなんだと今更のように感じた。イケダと話している時も肩の力を抜いていられたけれど、少し違う。遠いむかしに喪った家族に見守られているような気持ちになれるのだ。
 ふ、と息を吐いて緊張を解いた。部屋に篭もりきりで鬱になりかけていたのかもしれない。いつも通りの明朗な笑みを浮かべてアーミアが傍らの青年の顔を覗き込む。
「ニールは落ち着いてるわよねー。皆がこんなに不安がってるってのに」
「まだ誰も危害は加えられてないだろ? もし誰かが怪我したり病気になったってんならオレだって慌ててるさ。けど、いまこの船の皆が陥ってる危機はそんなモノじゃない」
「危機………」
「原因が何であれオレは皆を信頼してるし、疑うなんてしたくない。あんただって知ってるはずだ。閉鎖された空間で最も心配されるのは互いの中に生まれる相互不信の根が―――」
 突如。
 大きな物音と怒号が辺りを切り裂いた。咄嗟に顔を見合わせて、急ぎ足で展望室を後にする。
 幾度か角を折れて同様に物音に気付いたらしい他の面々と合流した。五、六人の塊となって最後の角を曲がると隅っこで揉み合っているカイとマイクが目に入った。
「お前、なにしてたんだよ!!」
「僕は何もしていない!」
「ちょっと、ふたりともやめなさい!」
 止めようとしてもふたりとも興奮していて割り込みようがない。
 マイクが大きく手を振り払うと、弾き飛ばされたカイが壁に背をぶつけて低く呻いた。殴りかからんばかりのマイクの腕を慌ててウィリアムが止める。
「おいおい、どうしたってんだ。いきなり暴力を振るうなんて大人気ないぜ」
「カイの奴が全然答えないのが悪い!!」
 通路の反対側からバラバラと残る面子も集まってくる。合計十三人。これで全員が揃ったことになる。
 憤懣やる方ないといった体でマイクは顔を俯けたままのカイを指差した。
「小型艇の傍でウロウロしてたから、ここはてめえの持ち場じゃねえって言ったんですよ! そしたら急に目を逸らしてブツブツ言うし、不満があるならはっきり言えばいいじゃねえか!」
「ぼ、僕はただ、こんなところにカイが来るなんて何の用事があるのかって………!」
「そりゃあこっちの台詞だ!!」
 彼らが争っていたすぐ傍の扉の奥には脱出用の小型艇が潜んでいる。偶々ふたりが扉の前でかち合っただけなのか、カイがぼんやりしていたところにマイクが突っかかっていったのか、何気ない質問にすらカイが答えようとしなかったのか、あるいはそれら全てなのか。
 いい加減にしろとか僕は悪くないとか、どっちもどっちとしか思えない言葉の応酬が繰り広げられる。苛立ちが多分に含まれた彼らの声はキリキリと胸を痛めつける。嗚呼、つらい。きつい。ELSが泣いている。こんな場面など見たくなかったと泣いている。止めなければならないと思いながらも手出しができずにいる内に。
「っ、の―――!!」
 ウィリアムの腕を振り切ってマイクが拳を上げた。
 カイが目を瞑って両手で頭を防御する。誰もが殴り飛ばされるカイの姿を予想した。
 が。

 ダン!!

「って………!」
 代わりに聞こえたのは別の人物の声だった。アーミアの後ろから飛び出した影がすぐさま駆け寄り、叫ぶ。
「ニール!!」
「い、ててて………くっそ、動体視力が落ちてんなあ。しっかり避けたつもりだったのに」
 尻餅ついた体勢でニールがぼやく。壁にぶつけた後頭部を擦ってはいるものの他に傷らしい傷は見当たらない。本当にマイクの拳が頬を掠めただけなのだろう。に、したって。
「無茶をするな!!」
 今回ばかりは刹那の叫びに同調しておきたい。喧嘩の現場に割り込むなんて危険極まりない。今回は予期せぬ結果になったマイクがあわあわと口を意味なく開閉し、押し退けられたカイが呆然と目を見開いているからいいようなものの、一歩間違えば火に油を注ぐところだ。
 我に返ったマイクが傍らに膝をつく。
「わ、わりぃ! 大丈夫だったか!?」
「ああ。かすっただけだしな。カイも怪我してないよな。突き飛ばしちまって悪かったなあ」
「そ、そんなことないです」
 慌ててカイが首を振る。
 予期せぬ事態にうろたえているのは喧嘩していた当人たちで、終始俯いたまま一声叫んだのちは不気味な沈黙を称えているのが刹那で、暢気に笑っているのが巻き添えくらったニールという何とも微妙な光景だ。
 やや呆れた感じでアーミアは溜息を吐いた。
「もう。無茶しないでよ、驚くじゃない。なに考えてるの?」
「無意味だよなあって思ってさ」
 座り込んだままのニールが肩を竦める。
「落ち着いて話せばすぐに解決しそうな問題に見えたし、だったら、殴ったり殴られたりして体力消費したり刺々しい雰囲気になるのもアホらしいだろ」
 至極真っ当な言い分ではある。あのまま喧嘩が続いていたらますます船内の空気は悪化していたに違いない。故にこそ彼女は艦長として彼に感謝しなければならなかったのだが、褒めるどころか詰りたい心境になるのは何故なのか。上手く言葉にできない。「確かにそうなんだけどそうじゃないのよ」という感じだ。
「―――ニール」
「刹那、心配かけて悪かったな。ちょっとばかり目算誤ったがこのくらいなら」
「医務室に行くぞ」
「へ? タンコブぐらいしか出来てないってのに貴重な医薬品を使うつもりか?」
「………」
「お、おい! おま、ひとの話きけよなあ!?」
 黒髪の青年に腕を取られて茶髪の青年がグイグイと引きずられていく。半ば連行に近い。年下の青年の方が遥かに力が強いらしく、ニールは情けなくも引きずられる羽目になっている。
 追い討ちをかけるべくアーミアは口を開いた。
「ニール! 言っとくけど、きちんと手当てしなかったら明日の朝食抜きだからね!」
「はあ!?」
「わかったら行きなさい! 刹那、よろしくね」
 ちらりとこちらを見た赤茶色の瞳が了解の意を篭めて瞬いた。あちらはあれで問題あるまい。
 残された問題は自分がきちんと処理しなければ、と、改めて当事者たちに向き直った。ひとりは廊下で正座をし、ひとりは壁際で直立している。頭が冷えてきたようだ。表情を見ただけでも反省の念が窺えるが艦長としては「私闘」を行ったふたりを罰さない訳には行かない。
「―――喧嘩の原因は聞かないわ。大体のところは途中の会話で理解できたし。お互い、頭に血が昇ってたってことは分かってるわよね?」
「はい………」
「―――分かっています」
「では、ふたりに処罰を下します」
 周囲が緊張するのが分かった。当事者たちだけではない。治療に赴いたニールと刹那以外の全員の目が注がれている。これまでの訓練でもアーミアは「艦長」としての能力を示しては来たが、誰かを処罰することは殆どなかった。それは、船の構成員がイノベイターばかりだったために争い自体が少なかったことも理由に挙げられる。
 なのに、ほんの少しの不確定要素が混ざりこんだだけで、これだ。今後も似たようなことは起こるだろう。だからこそ。
 すう、と息を吸い込んで。
「―――ふたりとも、艦内の廊下すべてを雑巾がけしなさい! 強制スリープ中のハロを起こすなんて裏技を使うことも禁じます。いいわね?」
「は?」
「え………」
「自室に篭もってチマチマ端末ばっかいじってるから苛々するのよ。体力使い果たすまで動いて爆睡すればもう喧嘩しようなんて元気もなくなるでしょ」
 にんまりと笑いかければ周囲の呆れた表情に出迎えられた。なんだ、その学級会みたいな結論はと言いたいのかもしれない。でも、アーミアはふたりを「罰したい」訳ではないのだ。あくまでも反省し、後腐れなくやっていけるようになってほしいだけなのだ。勿論、ふたりきりにしたら肉体労働に対する不満からまた喧嘩するかもしれなかったので、
「ライラ。リズ。悪いけど、時々でいいからふたりの様子をチェックしてくれる? ふたりがさぼったりツマミ食いしたりしてないかも確認してね!」
「―――分かりました」
「気の長い話………」
 女性ふたりは僅かに苦笑した。あからさま過ぎたかもしれない。つまるところ、ライラとリズがふたりに差し入れをすることは咎められても、ふたりが「置いていった」ものを彼らが「片付ける」ことは問題ではない。詭弁ではあるが。
 この話はこれでおしまいとばかりに残るメンバーを振り返る。
「ついでだからウィリアムとパスカルとミリアは小型艇のチェックをしていって。エイミーとムーアはハロのシステム更新をよろしく」
「わかりました」
「了解ですう!」
 各自がばらけていく中、手持ち無沙汰にしているイケダに声をかけた。
「イケダさん、私と一緒に来てくれる?」
「え? 何処へ?」
「一応は怪我の具合を確かめておかないとね」
 廊下の奥を指差せば「喜んでお供します」とイケダが頷いた。妙に楽しそうだが、別に、医務室に行ったところで特ダネは待ってないと思う。
 真っ直ぐ続く廊下の突き当りを折れれば目的地はすぐだ。扉が僅かに開いて明かりが零れている。
 部屋の中から声も聞こえてきた。
「刹那………大丈夫だっつってるだろ。避け切れなかったオレも悪いけどさ、ンな微に入り細に入り確認する必要ねえんだって」
「………」
「タンコブひとつでCTスキャンかける気かよ?」
 椅子に腰掛けた青年の溜息交じりの声に応じることもなく、突っ立ったまま黒髪の青年は彼の頭を撫で回す。両のてのひらを額の辺りにつけて耳の裏側をなぞり、項を包んで後頭部を辿る。指先でゆっくりと即頭部を覆い、右手で後頭部を支えながら左手で茶色い前髪をかき上げる。
 壊れ物を扱うかの如く、静かに、丁寧に。
 いとおしむ動きに小言を零しつつも逆らわず、茶色い髪の青年は翡翠の瞳を細めた。彼の顔から首周り、頭の形まで隈なく点検し終えた黒髪の青年が僅かに赤茶色の瞳を揺らす。
 両頬を包んでいたてのひらをそのまま首の後ろへと回し、強く、抱き締める。
 しがみつかれた青年は僅かな溜息を零してから自由な右手を彼の腕に、左手を背中へと回した。ぽん、ぽん、と軽く叩くリズムは親がこどもをあやす時のもので。
「せーつーなー。だからさあ、そんな心配するほどのもんじゃないって―――」
「お前は心配ばかりしていた」
「そりゃ………お前らは無茶してばっかだったからさ」
「なら、お前も無茶をするな」
 泣きそうな声で囁かれては敵わないと思ったのか。
 茶色い髪の青年は力を抜いて相手の自由にさせつつ、それでも此処だけは如何にかしてほしいとばかりに困りきった表情を浮かべた。
「つうか、気付いてるよな? さっきからお客様が二名ほど扉付近で凍り付いてらっしゃるんだが―――」
「………」
「せめて腕をほどこうとか取り繕おうとか挨拶しようとか、そういう思考が働かないのか、お前さんは」
「………」
「くっそ、梃子でも動かねえ気か」
 おとーさんはそんな子に育てた覚えはありません! と、嘘か本当か分からない言葉の後でニールがしっかとこちらを見詰めた。
 最初からアーミアたちの訪れには気付いていたらしい。ぎこちなく笑う。
「そ、その、ふたりとも様子見に来てくれたんだな。ありがとな」
 イケダと揃って視線を逸らす。正直、色々と目のやり場に困っていた。
「いいのよ、遠慮しないで………私たち本当に様子を見に来ただけだから。ねえ、イケダさん」
「そうですね、アーミアさん。日本には古来よりヒトのなんたらを邪魔する奴は馬に蹴られて地獄行きという言い回しもあるくらいですし」
 まあ、恋人同士の抱擁と言うよりは、兄弟とか親子に似た空気の方が強かったけど。
「話を飛躍させんな!!? 刹那ぁ、お前の所為だろが! カンペキ誤解されてっぞ、あれ!」
「………」
「聞けっつーの!!」
 いい加減に離せ、とニールが頑張ってみても刹那は動かない。意地になっているのかもしれない。これはもうこちらが退散した方が早そうだとアーミアが踵を返すと、今度こそ慌てた声が上がった。
「ア、アーミア! そういや、カイとマイクは!? まさか独房入りとかンなってないよな?」
「大丈夫よ〜」
 大雑把に「処分」の内容を伝えると、ニールが安堵の息を吐いた。自らが割り込んだ結果、更に状況が悪化した可能性を憂えていたのだろう。穏やかな笑みを向けられると泣きそうになる。
「流石だな、艦長」
「ありがと。でも、所詮は問題を先延ばしにしただけだわ」
 せめて、声が震えていなければいい。
 喧嘩両成敗を示したところでその場しのぎの苦しい言い訳だ。根本的解決には至らない。今回はニールが介入したことで不穏な空気は霧散したけれど、また、時が経てば各人の些細な不安や不満の種が新たな諍いを生むだろう。その度に適当に場を濁して逃げればいいと言うのか。ふざけ半分の裁定を下すことはいずれ艦長であるアーミア自身の信頼の失墜にも繋がりかねない。まともにひとを罰することも出来ない、覚悟の足りない艦長だと。
 そんなに自分を卑下することもないと思うんだがと呟きながらニールが刹那の背中を叩く。
「お前さんも何か言ってやれ」
「………」
「刹那?」
 先程までとはちょっと趣の異なる沈黙に面を上げた青年が、呆れた声を上げた。
「―――寝てやがる」
「器用ですねえ………」
 この状況とこの会話の最中に立ったまま眠れるとはどんな根性だ。真面目な話をしていたはずなのにと若干の不満を覚える一方で、聞き流せる程度の「軽い」話題に過ぎないのだと安堵もした。それに、刹那も夜通し色々と考えていたのかもしれない。ここ数日は誰もが眠れぬ夜を過ごしているはずだ。少し気を抜いたら眠りの淵に誘われてしまう程度には。
 苦笑を零したニールが刹那の腕の位置を変えて、青年の身体を自身の背にもたせかける。動かしづらい両腕を頑張って伸ばせば、歪なおんぶの完成だ。どっちが怪我人だか分かりゃしないとぼやく彼は嬉しそうにも見える。
「すまんが、オレたちはこれで失礼するぜ。見舞いに来てくれてありがとな」
「ううん。………ふたりの仕事は免除してあげるから。ゆっくり休んで頂戴」
「了解、艦長」
 からからと笑って医務室から出て行くふたり分の背中を見送る。
 自然と溜息が零れた。
 今日は如何にかなったけれども明日以降は分からない。
 でも、此処にいる彼らも、此処にいない皆も。それこそ誰が嘘をついているとか騙しているとかも関係なく。
(皆、私の仲間なのよ―――………)
 胸の中でELSが泣き続けていた。




 ―――結局。
 その後も事態は好転しなかった。カイとマイクは仲直りした上で改めてニールに謝罪に行ったようだったが、「侵入者」の存在は明らかになっていないのだからギクシャクした雰囲気が抜けきらない。食堂でちらほらと食事を共にする姿が見られるようになっても打ち解けることはなかった。実に気まずい。
 誰もいない深夜の食堂でアルコールを傾けながらアーミアはまんじりと考える。
 このままでいいのかと問われれば答えは「否」に決まっている。だが、侵入者たちの目的もいまいち不鮮明だ。そもそも侵入者なんていない―――との可能性は一先ず置いておいて、わざわざ潜入して来たならばそれなりの理由があってしかるべきだろうに。
 上層部の極秘ミッション、メンバー間の空気を悪くして計画の頓挫を企んでいる、実は単なる愉快犯、などなど理由は幾つか考えられる。危害を加えられていない現状のまま終わるのかもしれないし、密かに船の爆破計画とかが進められているのかもしれない。反対派テロリストの可能性を憂えて船体チェックは強化しているけれど機械も信用できないとなると手詰まりを感じる。
(………いいのかな)
 案外、何事もなくミッションを終えて、地上に帰れるのかもしれない。
 侵入者の存在なんてなかったように話は進められるのかもしれない。
(本当に、いいのかな)
 妙な出来事があったんです、なんて、報告を上げなければそれっきりだ。なにせ船内システムは搭乗員が「十一人」と認識し、その通りに記録を続けている。認識の相違のことなんて全員が口裏をあわせれば隠し通せる範囲のものでしかない。
(波風立たせずにすませたいのはホント。でも………)
 最初に、皆に事情を打ち明けた時から本音は他にあったはずだ。
 チリチリと微かにELSが音を奏でる。両手で瞼を覆えば片方は肌のぬくもりを、片方はELSの冷たさを伝えてきた。
 目を閉じれば闇が広がる。
 少しずつ意識が沈んでいくのが分かった。眠りに引き込まれている。掴みきれない、取り止めもない事象が現れては浮かんで消えていく。大地、空、家、ブランコ、アクセサリー、笑い声、怒声、テレビの雑音、ラジオの政府声明、コマーシャル、腕時計、階段、ベンチ、ボール、コンサート、筆記試験、イヤホン、メール、嗚呼、本当に何の繋がりもない。高校生の自分が道を歩いている。友達と話している。先日の検査で引っ掛かってしまったと話しながら自宅手前の角で分かれて、玄関のドアノブを掴む―――手を何かが貫いた。痛い。ドアの奥に見知らぬ人物。怖い。取り込まれる、潰される、乗っ取られる。
 怖い、怖い、怖い、でもきっと相手も怖い。何がそんなに怖いのか、何故そんなに必死なのか、一生懸命に耳を澄ましてキリキリと鳴り続ける『彼ら』の声を聞く。落ち着いて、泣かないで、傍に居るから、私は最後まで話を聞くから、お願いだから痛いことはやめて、無理に同化なんてしないで、『人類』はそんな真似をされたら死んでしまうのよ………。
 目が覚めたら大勢の科学者が周りに居た、政府の幹部もいた、両親は泣いて喜んだ、クラウスと初めて会った、君はイノベイターだと告げられた、眠っている内に身体も世界も激変したことを知った、謎の生命体の到来が予定より早い段階で起こったのだと普通の高校生として生活していただけの身にいきなり聞かされてもよく分からなかったけれど。
 家族は無事を喜んだ、友達も会いに来てくれた、彼氏だって。
 でも。
 聞こえる。聴こえてくる。
 隠されたこころの内が、笑顔の裏側が。
『覚醒者? 人間と異なる存在? 遺伝子レベルで変化したと言うなら、もう血の繋がりなんて―――』
 ………待って。
『銀色の肌って気持ち悪い。冷たいし。歳も取らないの? やだ。バケモノみたい』
 待って。お願い。
『気色悪ぃ。なんでえ、後から出てきたくせに上位種気取りかよ!』
 私は私、何も変わってなんかいないの。
 だからお願い、置いていかないで、嫌いにならないで、仲間はずれにしないで―――………!!

「アーミア!!」

「―――っっ………!!」
 目を見開くと、心配そうに覗き込む翡翠の瞳が間近にあった。
 強張った表情のまま返事もできずにいると、更に優しい声が響いた。
「大丈夫か? こんなところで寝てるから魘されるんだぜ。眠るならせめて部屋に帰ってからにしろ」
「え………あ………」
 むくりと上体を起こして辺りを見回す。代わり映えしない船内の食堂。テーブルの上には飲み散らかしたアルコールの山。卓上のデジタル時計はほんの数分だけ時が経過したことを示していて、僅かな間だけ夢に遊んでいたようだと深い息を吐いて椅子に沈み込む。
 隣の椅子にニールが腰掛けた。
「ったく。幾らなんでも飲みすぎじゃないのか、この量は」
「そういうニールは何しに此処に来たのよ………」
「喉が渇いてさ」
 悪びれずに笑った彼の右手にはギネスの缶が握られている。地上から持ち込んだ有名どころビールのうちのひとつ。「同じじゃないの」とぼやけば「まあな」と開き直られた。
 懐かしいプッシュ式のフタを彼が開ける。倣うように残り僅かなウィスキーの瓶を近づけて乾杯した。
「何に対しての乾杯だ?」
「懐かしい夢を見ちゃったことに対して?」
 普段なら話そうとも思わない言葉が零れ落ちるのは酔いと時間帯の所為だろうか。
 弱音を零しても彼なら笑い飛ばしたりはしないだろうとの無意識の信頼も影響していたのかもしれない。微笑んだままに瓶を傾けるのをじっと彼は見詰めている。
「やっぱりちょっと思考が後ろ向きになってるのよね。イノベイターとして目覚めた頃のこと思い出しちゃった」
「五十年前のことを?」
「うん。私、イノベイターとしては目覚めが早い方だったから。当時はインフラも何も整備されてなかったし、正直いって色々と嫌な思いもしたわよ」
 最初は無事を喜んでくれた家族も金属と半ば同化した娘を気味悪がるようになり、「イノベイターは勝手に他人の心理を読む」との吹聴に流されて友人は疎遠になり、恋人は「オレはイノベイターになれない」と勝手に劣等感を抱いて離れてしまった。
 知らぬ間にイノベイターとして覚醒した者も多いし、ELSと同化しても、腕や足ならば服で隠すことができる。だが、アーミアがELSと同化したことは誰の目にも明らかだった。顔の半分が銀色に変色していれば嫌でも分かってしまう。
「皆の気持ちも分かったし、虐げられたんだーって不幸ぶるつもりもないのよ。ただ、―――後悔は、してるかな」
「なんでだ?」
 席を立ったニールが食堂備え付けの電気ポットのスイッチを入れる。ほんの数十秒でお湯を沸かしてくれるレトロ製品はアーミアの趣味で取り寄せたものだった。
 カタカタと音を立てて青年は戸棚からグラスを取り出す。
「当時の私はイタイケな女子高生だったから、色々………急に見えるようになったら怖くなっちゃって。引き篭もりってやつ? 胸の中のELSとだけ語らう暗い青春よね」
「青春を失ったことが後悔か?」
「うーん。上手く言えないけど、もっと何かできたんじゃないかなあって」
 醒めて来た目を瞬かせて想いを馳せる。あの頃は只管に怖くて、誰も信じられなくて、運命共同体となったELSを頼りながらも嫌悪して、自らの行動や生き方に希望や誇りを見い出せるようになるまでにかなりの時間がかかった。それらすべてが必要なことだったのだとしても。
「私が自分のことだけに拘ってた間も外ではイノベイターの扱いについて争いが起きてた。いじめや迫害も溢れ返ってたし、世界は不穏になってイノベイターの能力が戦争に転用されたりした。だから」
 もっと、世界を見て。
 もっと、広い視野を持って。
 もっと、声を上げるべきだったのではないかと。
「それが一番の後悔かな………」
「でも、あんたはこうして艦長になってるじゃないか」
 過去の自分を反省して変わろうと努力した結果がいまなんだろう。だったら、少しは誇ってもいいんじゃないか? と、ニールが穏やかに笑う。
 その一方で、用意したお湯でコーヒーや紅茶ではなくウィスキーのお湯割りを作っているのだから何ともおかしい。一杯要求すれば「勿論ですとも、お嬢様」とふざけた口調で返された。
 こんな風に誰かと腹を割って話すのは久しぶりのことだった。イノベイターなら言葉を交わさずに脳量子波で感情を理解できるけれど、だからこそより一層にプライバシーを侵害しないよう注意深くなってしまった。イノベイターの率が増えてきた現在において最も問題視されている点でもある。互いを「理解したい」という思いと「知られたくない」との想いは両立しづらい。
「ニールは、なんかすっごく後悔したことってあるの?」
「数え切れないぐらいあるさ」
 うっすらとお湯に溶け込むウィスキーの色合いに青年は目を細める。
「例えば、オレには双子の弟がいたんだが―――両親を早くに亡くしたもんでね。頑張らなきゃって肩肘はって、弟に理想の人生押し付けちまった。なのにオレ自身は好き勝手に生きてたんだからどうしようもねえよ。家族の葬式で会って以来、メールや電話の遣り取りすらなくなっちまって」
「そっか」
「オレは弟を大切に思っていたが、向こうがどう感じてたかは分からずじまいだったな。天邪鬼でも根は素直な奴だったから許してくれただろうとは思ってるよ。だが、それだって結局はオレの希望的観測に過ぎないし、確かめようもない」
「どうして?」
「あいつは、イノベイターにはならなかった」
 淡く微笑んだ彼が琥珀の面を眺めた。
 ―――ああ、そうか。
 ニールがイノベイターになったのは五十年ほど前だったと「思い出し」て、双子の弟はイノベイターにならなかったのだとしたら、彼の弟は、もう、この世には。
 確かにそれは、どれほどに人類が進化しようとも確認しようのない領域だ。
「あれ? おふたりともこんな時間にどうしたんです?」
 不意に、イケダが食堂に顔を出した。ふたりは揃ってグラスを上げて乾杯のポーズをする。
「よう、イケダさん」
「反省会の真っ最中よ〜。イケダさんも飲む?」
「ははは………お言葉に甘えましょうかね」
 部屋に篭もってると気が滅入るばかりでとイケダは棚から自分のグラスを持ってくる。お湯割りですか、いいですねえとウィスキーを注いでいく手つきは実に慣れたものだ。
「それで? 反省会をしてたそうですが、新たな意見は出ましたか?」
「イケダさーん、こんな時までインタビューはやめましょうよ〜」
「癖なんで諦めてください。まあ、先に個人的な意見を述べさせてもらうとですね、やっぱりこれは艦長適正を見るための最終試験ではないかと!」
 きらりと眼鏡を光らせてイケダが自信有り気に宣言した。地上の管制室が何も気付かないはずがない、気付いて黙っているのならばやはりミッションの一部と考えられる、アーミアも知らされていないなら、アーミアの艦長としての器を見る側面が強いのではないかと。
 だったら楽なんだけど、とアーミアは濃い目のウィスキーを口に含む。
「イケダさんの説も一理あるわ。でも、違うかもしれない。それにね、極端な話、今後本当に地球から遠く離れた場所に行ってからも、何かある度に私は『関係者の仕組んだ罠だ』と疑わなければならないのかしら」
「それとこれとは話が別ですよ。いま、この場で起きている問題だからこそテストの可能性が強いんです!」
「でもねえ………」
 たぶんにイケダはアーミアの気を楽にしてやろうとの思いが強いのだろうが、同意できないのは内心に燻る僅かな疑問ゆえかもしれない。不満とも言える。不平不満が向けられる対象は管制室でもなければ同行メンバーでもない、己自身だ。
「妖精の仕業だったりしてな」
 酔い始めたのか頬を赤くしたニールがくすくすと声を漏らす。笑い上戸なのか。
「よーせー? なあに、それ〜」
 アーミアの声もかなりグラグラだ。当然か、途中で少し眠りこけたとは言えずっと飲みっぱなしなのだから。
「オレの故郷には妖精が一杯いてさ。悪戯好きなヤツもいるし、タチの悪いヤツもいる。中でもプーカってのは色んなものに化けて出てきて、気分を害する言葉を吐く人間がいたらひどい目に遭わせる」
「名前は可愛いのに行動は怖いんだー」
「聞いたことありますよ。物凄いむかしの伝承に出てきますよね」
「こいつを飢えさせないために余分に作物を農場に残しておくこともあるんだ。でないとプーカが暴れて柵が壊されたり家畜が攫われたりする」
「すっごく迷惑」
「豊穣の神の一例なんですってば! それこそバチが当たっちゃいますよ、アーミアさん!!」
 カミサマってすっごい迷惑う、と、久しぶりに声を上げて笑った。ほんの数日間、気持ちよく笑えなかっただけで頬が強張っていたようだ。笑い終えた後の頬が痛くて、痛くて、酔いに任せてアーミアはちょっとだけ涙目になった。
 お湯割りなんてまだるっこしい、原液でやれ、原液で。スコッチでもウォッカでもテキーラでも持って来て、なんでそんなに酒の品揃えがいいんですか、私が趣味で持ち込みました、オレも密かに持ち込みました、バドワイザーや日本酒なんかもお勧めです、あんたらなに考えてんですか、飲んだら同罪、諦めなさいと、テーブルにずらりとアルコールを並べて僅か三名の馬鹿騒ぎ。
 仕舞いには何を話してるんだか何に悩んでいたんだか曖昧になってきたけれど、飲み比べで最初に脱落したのはニールだった。イケダはもともとあまり飲まなかったから、実質、アーミアとニールの一騎打ちだったのだが。
 テーブルに突っ伏して寝息を立てている青年の肩をやや乱暴に叩く。
「こぉら〜っ! なに潰れてんのよう! 私より年上のくせにーっ!!」
「うー………」
「ちょ、アーミアさん。起こしたら可哀想ですよ!!」
 ごちゃごちゃ騒いでいると、四人目の人物が扉の奥から顔を覗かせた。
「………賑やかだな」
「あ、刹那さん!」
「刹那あ! こら、そこ! 相方の代わりに私の相手を務めなさい!」
「アーミアさん、幾らなんでも飲みすぎですよ!!」
 抱え込んでいたウィスキー瓶をイケダに取り上げられてアーミアが口を尖がらせる。テーブルの惨状や酔い潰れたニール、赤ら顔の艦長を見て大方の事情を察したのだろう。黒髪の青年は珍しくも呆れの色を滲ませた。
「………コーヒーでも飲むか?」
「お願いします」
「コーヒーカクテル? モスコミュール? あら、なんだったかしら。度数が高いヤツ………カルーアは然程でもないしぃ。やっぱ焼酎………」
 酔っ払いの言動を余所に刹那が無言で電気ポットのスイッチを入れた。その姿が先刻のニールと重なって、くすくすと笑い通しのアーミアを見て隣のイケダは深い溜息をつく。
 刹那はテーブルにうつ伏せたままのニールの横に陣取ると、そっと、彼の髪を撫でた。自然と浮かぶ穏やかな笑みは見ている側が照れ臭くなってしまうほどだ。むずむずと口角が上がりそうになるのを必死の思いで堪える。皆は酔ってるって言うけども実はそんなに酔ってないんだからね、と、説得力のないことを呟きつつ。
 しかして、そんな彼の態度を見てむず痒くなったのはアーミアだけではなかったらしく。
「刹那さんて過保護ですよねえ」
 イケダが素直すぎる感想を口にした。彼もまた酔ってないようで酔っていたのかもしれない。自らの行動を指摘された刹那が幾度か目を瞬かせる。その間もニールの頭を撫でる手は止まらないのだから大したものだ。
「そうだろうか」
「いまだって、ニールさんのこと探しに来たんですよね?」
「ああ。だが………酔った姿を見たのは初めてだ」
 意外ですね、とのイケダの言葉にアーミアも口を開かないままに同意する。
「一緒に飲んだことないんですか」
「こいつはいつまで経ってもオレのことをこども扱いするからな。どんな店に入ってもこいつがオレのために注文する飲み物はミルクだった」
「何年前の話ですか!」
 イノベイターの寿命は長い。覚醒した瞬間から老化も緩やかなものになるため現代社会において外見から実年齢を推し量ることは難しくなっていたが、刹那もニールも青年の外見をしていたし、付き合いは相当長いと思われた。
 今度は刹那が問いを発する。
「お前たちは、此処で何の話をしていたんだ?」
「妖精よ―――!!」
 アーミアががばりと上体を起こした。
「?」
「今回のゴタゴタはぜーんぶ妖精が原因なのよう………もうそれでいいって決めたんらからああ………」
 瞼が重くなってきた。まだ眠りたくないのに。
 ぐぐっと拳を強く握って「妖精、妖精」と繰り返すと刹那は何の話だと首を傾げた。
「伝承に出てくるプーカって妖精について話してたんですよ。色んなモノに化けることができる怖い精霊なんです」
「初耳だ」
 刹那はしきりに首をかしげているが、一緒に飲んだことがないとか、妖精について話したことがないとか、そっちの方がアーミアにとっては初耳だ。刹那とニールはいつも一緒にいるのに、あまり私的な関わりはなかったのだろうか。
 トボトボと彼が人数分のコーヒーをカップに注ぐのを眺めながら口を尖らせる。
「わっかんなーい」
「アーミア?」
「過保護なくせにぃ。飲んだことないとかあ。何がそんなに不安なのー?」
 傍らでイケダが「絡み酒………」とか何とか呟いているのは置いといて。
 どうして、どうして、お互いにいいトシしたおとなじゃないの、喧嘩に割り込んだ時もそうだったけど、そこまで心配することないんじゃないの、別に居なくなったりしないんだし、何が心配なの………。駄々っ子のような問い掛けに刹那は困ったように瞼を閉じた。
 再び開いた視線は変わらずに隣の青年に注がれている。
「オレは―――こいつに助けられた。つらい時に背中を押してもらった。進む道を認めてくれた。いつでも傍にいると思っていた。失くすなんて考えたこともなかった。そんなの、少し考えれば分かることだったのに」
 低い声は決して大きなものではない。
 だが、深く、こころに響いた。胸中でELSがサラサラと鳴いている。
 己が右手を見詰めて刹那は続けた。

「………自らの無力さをあれほどに嘆いたのは、後にも先にも、あれきりだ」

 開いた右手を通り越して彼は遠い眼差しをする。ひたひたと寄り添う寂しさに胸が締め付けられるようだ。
 ああ、―――そうか。
 きっと、彼も、また。
 ゆっくりと上体を起こしたアーミアは静かな笑みを浮かべた。
「なら………今日は、もう、おやすみなさい。刹那。ニールと一緒に」
「………」
「また明日、此処で会いましょう」
「―――わかった」
 ぺこりと頭を下げて、刹那がニールを担ぎ上げる。先日、医務室でニールが刹那を背負ったのと逆の体勢だ。いずれにせよ彼らは互いを頼りとし、且つ、頼り切ることをよしとしていない。なんとももどかしいではないか。
 淹れたきり飲まれることのなかったコーヒーカップに手を伸ばす。イケダが何処か唖然としていた。
「………酔ってたんじゃないんですか、アーミアさん」
「酔ってたわよ〜。五分ぐらい前まではね。ま、あの程度のアルコールぐらい即座に分解できなきゃ酒豪なんてやってられないし!」
 よし、決めたと膝を叩いて立ち上がる。
「明日は頑張るわよ。協力してね、イケダさん!」
「それより先にこの部屋片付けませんか」
「………頑張ってね、イケダさん!!」
「誤魔化さないでください!!」




 ―――翌朝。
 アーミアは食堂に居た。より正確に言えば、食堂の奥に設えられた滅多に使われることのない台所に、である。
「………アーミア、さん?」
「おはよー、皆!」
 比較的早起きなエイミーとリズが目を丸くしてこちらを凝視している。エプロン姿が似合わないとでも言いたいのか。失礼な。
 第三者の視線を余所に鼻歌交じりに菜園から取ってきた野菜を洗う。肉や魚は合成品だが食感や香りはホンモノに近いのだから我慢してもらおう。パンはどうやって作るんだっけ、などとかなり怪しげなことを呟きつつ小麦粉と格闘する。
「おは………うおっ、なんだあ、この惨状は!?」
「美味そうな匂いっすね」
 ぞろぞろと全員が台所に顔を覗かせる。流石にまだイケダは起きて来ない。昨日は後片付けを全部押し付けてしまった、後でお礼を言おうと考えながらフライパンに油を引く。
「ふっふっふ! 見てなさい。今晩は腕によりをかけて豪勢な食事つくっちゃうから! お昼には間に合いそうにないけどねっ。皆はいつもどおり仕事でもしてなさいな」
「それはいいけれど、アーミア」
 幾分眠たそうな目でライラが突っ込む。
「あなた、料理をするのはいつ以来?」
「十年ぐらい前、かな? 大丈夫よ、人間の食べれるものにはなると思うから!」
「不吉なこと言わないで」
 ヒクリと頬を引き攣らせた彼女は近くのクローゼットから新しいエプロンを取り出して装着する。
「魚料理は私に任せなさい。あなたの手つきは危なっかしくて見てられません」
「手伝ってくれるの?」
「………見るに見かねただけよ」
 プイッとそっぽを向く頬は僅かに赤くなっていた。
 エイミーはパン作りを手伝うですう! ともうひとり参戦し、引きずられるようにリズとミリアも連れて来られて台所は一気にヒトで埋まってしまった。あたたかな料理の匂いに自然と頬が綻ぶ。ムーア、ウィリアム、カイとマイクとかパスカルとか、遅れて起きてきたイケダやニール、刹那までもが台所のどたばた具合に目を瞠る。くすぐったそうに笑いを漏らす。携帯食料が普及したいまとなっては手料理なんて過去の遺物だ。「おふくろの味はなんですか」と問われても答えられない者の方が大いに違いない。それでもやはり、あたたかな食事はそれだけでこころを癒してくれるのだ。
 見物客は要らんと男連中を「仕事をしてきなさい」と追い出した。夜になれば豪勢な食事が待っている、だから昼間は粗食ですませなさいと有無を言わせずに命令して。
「なに考えてるの? アーミア」
「なーんにもー」
 じゃがいもの皮剥き真っ最中のミリアに訝しげに問われたが、本当に深い意味はない。ここ数日間の胸に燻る想いを解放する手を考えたらコレに行き着いてしまっただけの話だ。ただ、皆が楽しんでくれることだけを願う。
 昼は携帯食料で我慢してもらって、ツマミ食いの要求はすべて却下した。急な思いつきではあったが早くから取り組んだお陰で夕食の時間には間に合いそうである。各自が思いつく限りの料理を好き勝手に作ったために和食とか中華とかフレンチとかイタリアンとかロシア料理とか訳のわからない多国籍料理となってしまったが、美味ければいいのだ、美味ければ。アルコールだって昨日に負けず劣らず量も種類も用意してある。様子を見に来たイケダが迎え酒の気配にあからさまに青褪めていたが気にしない。
 料理の香りに釣られて全員がほぼ同時刻に食堂に顔を揃えた。満足そうに頷くアーミアの隣でライラが溜息を吐く。
「………それで?」
「うん」
「結局、何がしたかったのかしら。全員が揃う場を設けたかったのは分かるけれど………」
 穏やかとはいい難い現状で何故と問われれば「だからこそだ」と答えるより他はない。するりとほどいたエプロンを近くの椅子にかけ、アーミアは咳払いをした。
「えーっと。飲み物は全員に行き渡ったかしら? ん。オーケーね。先ずは、集まってくれてありがと! 料理も手伝ってくれてほんと嬉しかった!」
 右手には並々とビールが注がれたグラス。各人が聊かついていけない感じでこちらを見ている。呆れられるのは予想の範囲内だ。相手にされない可能性も高い。でも、やっぱり何度頭を捻ってみても自分はこうしなければ納得できないと気付いてしまったから。
「ミッションを開始してからこっち、皆、機械の調整とかデータ収集とかで忙しかったと思うの。だから、今夜のこれは慰労会ね。まだ任務完了まで数日あるけど、少しぐらい先に祝ったっていいじゃない! それに、」
 ―――後は、突っ走るのみ。
「気付いちゃったのよね、大切なこと忘れてたって」
「大切なことですか?」
 きょとりと小首を傾げたエイミーに笑いかける。
 夢の中の自分が悔いていたこと。もっと声を上げればよかった、何かすればよかった、他者から拒絶されることを恐れる余りに自分から殻に閉じこもっていた、だから、次こそは。
 ―――進んで扉を開こう。

「謎の侵入者様二名の歓迎会を開くって重大事をね!」

 あっけらかんと宣言すれば、一瞬、場に不気味な沈黙が落ちた。
 ゆっくりとアーミアの発言の趣旨が伝わるにつれて全員が引き攣った笑みを浮かべ始める。最初に声を上げたのはカイで、
「歓迎………って、正体も分かっていないのに?」
 反論されるのも想定内だ。ち、ち、ち、と指を振って否定する。
「確かに正体っつーか実体が分かってた方が祝いやすいけどねっ。でも、もう拘らないって決めたから」
「はい?」
「騙されてるとか嘘ついてるとか裏があるとか極秘ミッションかもしれないとか偶発的な事故に過ぎないとか、色々と考え方はあるし負の側面を見詰めるのは重要なことよ。でもね、実際、いまの段階まで来ても私達は明確な敵意も向けられていなければ傷つけられてもいない訳だし!」
 誰も怪我をしなかったし病気にもならなかった。そんなの希望的観測に過ぎないと言われても、長期的に物事を考えるべきだと詰られても、平和ボケだと罵られても、結局、自分は悲観的にはなれないから。
 唐突にテーブルの一角で笑い声が上がる。茶色い髪の青年が腹を抱えて笑っていた。涙の滲んだ翡翠色の瞳で自らの右手を高く掲げる。
「ははっ………! いい考えだ! すごくいい考えだと思うぜ、オレは。なあ、刹那!」
「―――ニール」
「オレは艦長の案に乗った! 今夜は無礼講と行こうじゃないか」
 にやりと口角を歪めてニールが立ち上がる。若干離れた座席で高々とグラスを掲げられ、同じく悪戯っ子のような笑みを浮かべたアーミアも乾杯のジェスチャーをした。ほんの一度だけ目を伏せた後に刹那が立ち上がり、ニールと同じようにグラスを掲げる。「ずるいですよ!」と臨席のイケダも立ち上がる。
「僕だって騒げるなら騒ぎたいですよ! いい加減、ウズウズしてたんです!」
「エイミーも参加しますですぅ! 皆さんのぶっちゃけ話をぶっちゃけ聞きたいですう」
「若い連中はこれだからいかん。後先考えて行動せんのだからな」
 はしゃいだ口調でエイミーが、ブツブツ言いながらもムーアが立ち上がる。リズは静かな笑みを頬に刻んだままに、ライラはマイクの腕を取って起立する。ウィリアム、パスカル、ミリアがそれに続き、憂鬱そうに皆の様子を見守っていたカイも苦笑と共に重い腰を上げた。
「………どうなっても知りませんから」
「責任は私が取ります。よーし、皆っっ。自分のグラスは確保したわね? それじゃ………ミッションの成功と、新しい仲間の訪れを祝して! かんぱーい!!」
「乾杯!!」
 全員の声と共に打ち合わされたグラスが美しい和音を奏でた。
 飲み始めれば自制心が崩れるのも早く、これでも優秀なイノベイターの集まりじゃなかったのかなんて自嘲が零れても、楽しいことは楽しいのだから仕方がない。ほろ酔い気分で女同士が肩を組んで歌を歌う。ムーアが「わしの若い頃の歌はもっと情緒があった」と愚痴を零す横でウィリアムがウィスキーを喇叭飲みし、パスカルが必死に料理を口に詰め込む。
 最初は渋っていたカイも酒を飲んだ途端に態度が豹変し、「あんまし舐めてんじゃねえぞ!」と周囲に絡み始めた。捕まったのはすぐ傍に居た刹那で、「大体てめえらは」とか「オレがどんなに心配してるか分かってんのか」と有り難くもない八つ当たりを受ける羽目になる。もしかして酒に弱い自覚があったから「どうなっても知りません」とか言ったのか。だったら最初からそう言えばいいのに、口下手め。
 ちょっとの酒で酔っ払ってしまったエイミーがニールの腕にしがみついて「ニールさんはお兄さんみたいれす〜」と頬を擦り付ける。ああ、ここにも絡み酒が………纏わりつかれるニールの方は適当にいなしながらもエイミーに水を飲ませたり口に料理を運んでやったり甲斐甲斐しい。まるで本当の兄妹のようだ。
 テーブルの反対側ではマイクが「ライラさん、好きですぅぅぅう!」と告白を繰り返し、酔っ払いの告白を聞かされる羽目になったライラが物凄い仏頂面で相手の顔に正拳を叩きこむ。流石に連日のアルコールは無理があるからと皿に乗せた料理を突付いていたイケダが不意にこちらを覗き込んで。
「―――アーミアさん、楽しいですか?」
「とってもー」
 へらりと笑ってグラスに残ったアルコールを飲み干す。ああ、本当に、本当に楽しい宴だ。皆が乗ってくれるかどうかは賭けに近かったけれど、心配する必要なんてなかった。だって、自分たちは「話し合う」ために宇宙へ行くのだもの。「対話」だけは常に心がけている者たちなのだもの。むしろ、信用できていなかったのは自分の方だ。
「しあわせ………」
 うっとりと呟いてアーミアは目を閉じた。こころの底から楽しいと、しあわせだと、皆と知り合いになれて良かったと思えた。
 たとえ、『全員』で飲めるのはこれが最後なのだとしても。




 薄暗い廊下をゆっくりと歩く。
 足音はひとり分。背中に負った人物の身体は本来ならば支えるのに非常に苦労しているに違いない。
 だが、『いま』の自分たちには関係ない。
 ほの青い光に照らされた廊下の突き当たり、扉を開けた向こうに広がる光景に目を細める。
 ―――地球。
 青く輝く美しい星。
「お前が最期に見た地球も………こんな風に美しかったのか………?」
 背負っていた身体をゆっくりと床に下ろす。壁に背中を持たせ掛けたけれど起きる気配はない。
 よく、眠っている。
 眠ったままの方がいいのかもしれない。もう、目覚めない方が。
「どう、思う」
 お前の意見を聞かせてもらおうか。
「―――アーミア」
 そして、刹那は背後を振り返る。




「………気付いてたんなら最初から言ってよ。意地悪ね」
 苦笑しつつアーミアは扉の影から姿を覗かせた。もとより隠れるつもりなどなかった。部屋を抜け出した彼らの向かう先を確認したくて付いて来てしまったのは余計な好奇心に違いない。変わらぬ無表情で佇んでいる刹那と、彼の足元でぐっすりと寝込んでいるニールを交互に見詰める。
 ふたりを―――いや、「彼」を責めるつもりはない。

「刹那」

 それでも、艦長として確認しておかなければならなかった。

「『あなた』だったのね?」

 刹那とニールの「ふたり」ではない。「単独犯」であったのかと尋ねれば、あっさりと彼は頷いた。
「そうだ。こいつは………ニール・ディランディは。オレが創り上げた『幻』に過ぎない」
 関係ないのだと囁いて、僅かに瞳を伏せて伸ばした指先で、眠る青年の髪に触れる。
 大切な、大切な。
 二度と触れ得ない、大切な。
「いつ、気付いた」
「明確じゃないけど―――なんとなくおかしいって感じ始めたのは、あなたたちについて『思い出す』ことが多かったからよ」
 結構いい加減な性格してるから、思い出そうとしても思い出せないことの方が多いのよ、私って。なのに、刹那やニールに関することだけは必ず思い出すことができた。それは、つまり。
「私を始めとした他のメンバーがふたりに関して疑問を抱く度に、あなたが直接『答え』を与えていたのよね? 疑われないように………脳量子波を使って」
 とん、と自らのこめかみを指先で叩く。
 そんな無理が罷り通るものか、十一人の脳に干渉しつつ、既にいない人物を「投影」するなんて並の人間にできるはずがない。
 だが、常識に囚われることはやめた。そういったことも可能なのかもしれないと思いついた瞬間から「真犯人」の選択肢は狭まっていった。これでも自分は艦長を務めているのだ。乗員の脳量子波の数値データや特徴ぐらいきちんと管理している。
「それに、上手く言えないけど………一緒に飲んだ夜に、あなたがニールについて少しだけ語ったでしょ? その時の口調や感情が―――寂しすぎたから」
 ELSが共鳴して打ち震えるほどに。
 あの時の会話はなかなかの示唆に富んでいた。盲点、もしくは、気付かないようにそれとなく意識を逸らされていた事柄。改めて確認してみれば『スメラギ』艦内の総積載量はミッション開始時から増えていなかった―――人間ふたり分の重量は増えていても良さそうなものなのに。そしてまた、「減らなさすぎた」。水や食料、空気の減り方は十一人分に合致していて余分に減ることはなかった。
 すべてはコンピュータの故障だと疑うこともできたけれど。
「あなたとニールの身体は、この『船』で出来ているのね?」
 外宇宙へ向かうために、多くのELSを使用しているこの船自体で。
 少しだけ表情を緩めた刹那がまた頷き返す。ひたりと己が胸に手を当てた。
「オレの本体は、この船から少し離れた場所に『置いて』ある。意識だけ飛ばして、この船のELSの力を借りて『オレ』と『ニール』の身体を作った。だから、船の重量もなにひとつ変わっていないはずだ」
「『姿を変える妖精』、ね………」
 本当にあれはよいヒントになったのだと思い返しながらじっと相手を見詰める。
 いよいよ肝心なことを訊かなければならなかった。
「―――どうしてこんな真似をしたの? 危害も加えられなかったし、怒るつもりもないけど、理由ぐらい聞かせてくれてもいいんじゃないかしら」
「賛成です。我々には、訊く権利がありますね」
「っ、イケダさん!?」
 驚いたことに、イケダを先頭に全員が背後の廊下にひしめいていた。「我慢しきれずに来ちゃいました」と照れ臭そうにイケダが頬をかく。
「い、いつから?」
「三人も立て続けに部屋から出て行ったら、特派員として後を追わない訳にはいかんでしょう」
「全員巻き込まれたんだからな。同じ酒を飲んだ中だ、話を聞かせてもらってもバチは当たらん」
「そうっすよ、まったく刹那も水臭いンすから!」
「黙っていなくなろうだなんて、そうは問屋が卸さんぞ?」
 ウィリアムが、パスカルが、ムーアが不敵に笑う。
 やや眠たそうなエイミーがミリアに寄りかかり、ライラとリズ、カイとマイクも黙って真摯な瞳を向けている。彼らの視線を受けて正面に向き直れば、変わらぬ抑揚のない声で黒髪の青年は呟いた。
「何も説明せずに去ろうとしたことは謝罪する。オレは………少し、試してみたかったんだ」
「何を?」
「これから宇宙へ出て行くお前たちの、精神を」
 揺ぎ無い強さを湛えた赤茶色の瞳が真っ直ぐに向けられる。生半可な覚悟しか持たない人間では耐え切れず俯いてしまいそうなほどの真剣さを帯びて。
 宇宙は広い。いつ何時、どんなことが起こるかも分からない。知的生命体と認識した上で接触することもあれば、ELSのように認識までに時間がかかる場合もあるだろう。和解に至ることも、物別れに終わることもあるだろう。ありとあらゆる事態を想定しつつも、自分たちが、一番最初に示すべき「姿」は何なのか。
 理解か、拒絶か、困惑か、受容か、否定か、無視か、逃亡か。
「かつて」の人類を知るからこそ、「いま」の人類の姿を知っておきたかったのだと。
 端々から伝わるささやかな感情の波が刹那の心情を伝えていた。侵入者が居ると判明して困惑する皆に後ろめたさを覚えたこと、仲違いする姿に無念さと諦観を覚えたこと、開き直り、宴を催すに至ったことに安堵したことを―――。
 でも。
「本当に、それだけ?」
 できる限り丁寧に、言葉を紡いだ。
 「本当」に、私たちを「試す」ことだけが目的だったのかと。
 未だ眠り続ける人物を視界に映しながら問い掛ける。
「―――オレは………」
 ふ、と。
 刹那が視線を下げた。傍らに眠る人物に。彼にとっての、疾うに「喪われた」人物に。
「オレは―――………」
 直後。

(っ………!?)

 世界が白く埋め尽くされた。
 ELSが叫ぶ。
 視界が焼き尽くされた訳ではない、感情の、奔流。誰の? 決まっている。「刹那」の。

(記憶―――………?)

 純白の世界に歌が響く。優しくて柔らかな女性の声に、こどもたちの声が重なり響き合う。耳に覚えのあるメロディ。五十年ほどもむかしにラジオで流れていたのを聴いたことがある。
 ぼんやりと目の前に映像が浮かび上がる。黄色い花の咲き乱れる丘。中東に咲く花。こどもたちに囲まれて、花の冠を作りながら黒髪の女性が歌っている。やさしい微笑が胸に染みる。姿こそ異なるけれど、知っている。「彼女」は平和の象徴として、すべての者の「母」として、いまも生き続けている。
 ぼんやりと世界が姿を変える。南の島の浜辺。何名かの男女が集まって談笑している。背景に物騒なモビルスーツを従えながらも漂う空気は和やかで。頭の中に流れ込んでくる情報は、きっと、「彼ら」の名前。スメラギ、イアン、リンダ、モレノ、クリス、リヒティ、ラッセ、フェルト、ミレイナ、アニュー、沙慈、ルイス、マリー、アレルヤ、ティエリア、ハロ、―――ライル。
 不意に、「ライル」が振り返る。ニールと同じ顔で、ニールと異なる表情で。
 ―――笑う。
(………ああ)
 そうか。「彼」が、双子の弟か。理解し合えないままに別れてしまったと悔いていた。
 刹那の記憶ごしに「彼」を見ながらやわらかくアーミアは微笑む。大丈夫。大丈夫だ、と。伝えたい。ニールは心配していたけれど、「彼」はちゃんと生きている。つらいことや悲しいことを乗り越えて、その上で、「兄」を慕っていたのだと垣間見た己にすら分かるから。
 視界がぼやけて、記憶は新たな映像を繋ぐ。
 朝焼けに佇む姿。見覚えのある顔に見慣れない眼帯をつけて。そうだ、右目は義眼なんかじゃない。治さぬまま終ってしまった。両手に黒い手袋。「弟」と同じ顔で、「弟」と異なる表情で。
 ―――「ニール・ディランディ」が笑った。

『………刹那』

 胸が、―――震える。
 涙が零れる。
 なんとあたたかな、なんと優しくて寂しげな、呼ばれた瞬間に愛されていると、許されていると揺さぶる、声で、口調で、感情で。沸き起こる慕わしさと切なさは誰の抱く感情なのか。

『刹那』

 ただ、大切で。
 いとおしくて、苦しくて、手放したくなくて。

『刹那………』

 喪われて。
 喪って尚、こころを占めて。取り戻したくて。

 微笑を浮かべた彼が手を伸ばし、知らぬ間にこちらの頬を伝っていた涙を拭い取る。大きくてあたたかな掌。喪ったものが帰って来たから嬉しいのか、二度と戻らないと痛感させられて悲しいのか、泣いている理由なんて分からない。
「オレは、ただ―――」
 響く刹那の声が視界を「現実」へ引き戻す。
 遠ざかる在りし日の「ニール」に手を伸ばしかけて、ぐっと堪える。あれは、あの記憶は、刹那のものだ。
 それでも涙だけは堪えようがなく、必死になってアーミアは目元を擦った。隣に立つイケダも、他のメンバーも、泣き顔とも笑い顔ともつかない表情になっている。
「こいつに見せたかった。地球を。人類を。世界が―――変わったところを」
 自らの記憶と感情を脳量子波経由で伝えたことにも気付かぬままに、彼は目を閉じる。
 すべては自己満足。
 もういない人間に縋る自分の弱さの表れなのだと。

「―――本当にそう思うのか?」

 突如として響いた声に、より驚いたのはどちらだったか分からない。
 唖然としたままのアーミアたちと、目を瞠って声の主を見詰める刹那と。
 眠っていたはずのニールがいつの間にか翡翠の眼差しをじっと黒髪の青年に注いでいた。「記憶」と異なり、いまの彼に眼帯はないけれど。黒い手袋もしていないけれど。
 瞳に宿る光だけは変わらない。
「本当に、オレが、お前の自己満足だけで形作られてると思ってんのか?」
「………しかし………」
「―――ニセモノのはずないじゃない」
 グズグズと鼻を鳴らしながら、涙に濡れる瞳でアーミアは彼を睨み付けた。イノベイターだって万能じゃない。だから、分からない部分は「言葉」で、「行動」で伝えなければならないのだ。
「だって、刹那はプーカを知らなかったじゃない。私とイケダさんに妖精のこと教えたのはニールなのに。妖精を例え話に使って、それとなく解決の糸口をくれたのもニールなのに。『彼』を作ったあなたが知らないものを、どうして『ニール』が知っているの?」
「………」
「疑うの? ずっと傍にいたのに? 確かに、あなたの記憶やこころの中に住まう『ニール』は幻に過ぎないのかもしれない。でも、本当に『ニセモノ』だと言い切れる? あなたの知ってる『ニール』は―――あなたの望む言葉を、与えてくれるヒトではなかったの?」
 あなたが彼を理解し、彼の遺志を継いでいるからこそ、『ニール』はそんなにも確かな存在として其処に「居る」のに。
 ひどく幼い顔つきで刹那が目を瞠る。動揺のあまりに言葉すら返せなくなっている姿に苦笑を返して、茶色い髪の青年が身体を起こした。
 並んだ背丈は、それでもまだ彼の方が高い。
「ライルの言葉を借りるなら―――『鈍いんだよ、イノベイターのくせに』、ってとこか」
「………ロックオン・ストラトス………」
「その名前で呼ばれるのは久しぶりだな」
 青年が手を伸ばし、ぐしゃりと刹那の髪をかき混ぜる。
 穏やかな笑みに、強さと儚さを添えて。

「―――行こうぜ、刹那」

 呼びかける。
「頑張って、頑張って、漸く此処まで来たんだ。あと少しじゃないか。大切なひとたちに挨拶して、お礼を言って、それが終わったら少し休もう。落ち着いたら皆と夜通し語ろう。話の種だけは尽きないぜ? なんせ五十年分だからなあ」
 ぐりぐりと頭をかき混ぜるのをやめて、固まったままの青年の頬をひたひたと叩く。
 翡翠の瞳がやわらかく滲んだ。

「帰ろう、刹那。此処が―――この星が。お前の命を紡いだ場所だ」
「………!」

 泣きそうに顔を歪ませて、刹那がニールにしがみ付いた。
 ぎゅうぎゅうと腕に力を篭めて、まるで、いままで与えられなかった分を、我慢していた分を取り戻すかのように。
 素直になるのに何年かかってんだよと笑いながらニールが彼の背を軽く叩く。

「………帰ろう」

 刹那の声は震えていた。
「帰ろう。一緒に。オレの故郷は、お前の故郷だ」
「―――ああ」
「帰りを待ってくれているヒトたちがいる。伝えたいことがたくさんある。だから、帰ろう。オレは、お前に、もう一度………『世界』を見せたい。見て欲しい。お前が望んだ『世界』を」
「そうだな。刹那」
 はらはらと。
 零れ落ちる雪のように「ニール」の姿が淡くほどけて行く。
 ELSの、船の一部に戻るのだ。刹那の想いが、ニールの想いが伝わることで、仮の姿から解き放たれて行く。
 ちりちりと胸の中でELSが泣いた。
 優しい微笑と共に「彼」が消え去るまで、刹那は動かずに居た。しがみついた腕の形のままで、じっと、黙って。
 彼の傍らにぼんやりとホログラムのようなものが浮かぶ。
『気はすんだか、刹那』
 前触れもなく「それ」は喋りだした。実体を結ぶのは難しいらしく、外見は単なる球形の発光体のように見えた。チカチカと点滅を繰り返す球体から響く声は少年のものだ。ひどく淡々としているようであり、妙に人間くさいようでもあり。
『寄り道は此処までだ。君の探していた人物の居場所も確認してある。これ以上、彼らの出航に水をさすこともあるまい』
「………了解した、ティエリア」
 ぶわり
 展望室に巨大な影が落ちる。窓の向こうに広がる地球と昇りつつある太陽、その光を遮るように一体の輝ける機体が両腕を広げて待っていた。
「モビルスーツ!? 全身、ELSと同化した………っ」
 接近に気付かない訳だと背後で誰かが呻いた。
 目元を一度だけ擦ってから刹那が向き直る。変わらずに強い眼差し、強い視線。いまはそこに満たされた感情を確かに読み取ることができた。
「―――世話になった」
「どういたしまして」
「アーミア。お前はきっといい艦長になる。イケダ、あんたの前向きさには助けられた。カイとパスカル、お前達は仲がいいな。エイミー、あまり酒は飲むなよ。ムーア、腰痛には気をつけろ。ウィリアム、パスカルを筋力強化合宿につき合わせるのはやめておけ。ミリア、ライラ、リズ、研究に没頭して徹夜するのは程ほどにな」
 余計なお世話よ! とか、誰と誰が仲いいって!? などの怒声が上がるが、問題発言をした当人はさっさと背中を向けてしまう。
 くすくすと一頻り笑ってから、アーミアは声を張り上げた。
「―――全員、整列!!」
「え、ええ!?」
「なんですか急に!」
 全員が戸惑いながらもそこは訓練の賜物、すぐに横一列に並び立つ。小首を傾げている刹那ににこやかに笑いかけた。

「―――世界最初のイノベイター、刹那・F・セイエイ殿の無事の帰還に………敬礼!!」
「け、敬礼!!!」

 今度こそ純粋な驚きを目に浮かべる青年の姿に、してやったりとアーミアは笑った。
 ヒントなら充分もらったでしょ、記憶を色々と見せてくれたじゃないの、そこから推測できる程度には政府の要職についてるのよ………。
 一度だけ、こちらを見詰めて。
 刹那は微笑んだ。
 上手い笑い方が分からないと言う様に曖昧に眉根を寄せて、それでも、こころの底からの笑顔で。
 彼の姿が空気に溶け込んで見えなくなる。少しの間を置いて船から離れ始めたモビルスーツの姿に、彼が本当の「帰還」を果たすことを知った。
 機体が豆粒のようになって見えなくなるまで、誰もその場を動こうとはせず。

(―――おかえりなさい)

 おかえりなさい、イノベイター。
 孤独なる先駆者、自分たちの先駆け。
 流浪の旅からの無事の帰還をこころより祝おう。

 刹那がニールを始めとした仲間達の意志を受け継いでいたように、これから先は、彼の意志を受け継いだ自分たちが道を切り拓く番なのだ。
 誇らしげに胸を張る視界に太陽の光が眩しく輝いた。




 出航を間近に控えた艦内は大勢の人間で賑わっている。取材する側、取材される側、見物人も溢れかえってちょっとした騒ぎだ。
 すいすいとヒトの波を掻き分けて無重力空間を泳げば、見慣れた人物が隅の方でぶつぶつ言っている姿が目に入る。
「皆さん、ご覧になられているでしょうか! ………違うな。ご覧ください、地球連邦が誇る外宇宙航行艦『スメラギ』は、いま―――いや、これも違う」
「あら、イケダさん。なに悩んでるの?」
「アーミアさん!」
「調子はどう? イケダさんのインタビューが全世界に放送されちゃうんだから頑張ってよね」
「これ以上プレッシャーかけないでくださいよ………」
 やれやれと溜息を吐いたイケダと並んで歩き出す。目的地はブリーフィングルームだ。アーミアに近づいたイケダがこっそりと耳打ちする。
「ところで、どうなったんですか」
「何が?」
「とぼけないでくださいよ! 例のミッションの件です。正直に報告したんでしょう? 処分はどうなりましたか」
 決着はどうなったのかと深刻そうに問い掛けてくる彼に「お咎めなし」とアーミアは笑い返した。何故か相手は愕然とした表情になる。
「本当ですか!?」
「………なんで残念そうなのよ」
「いや、だって、その。お咎めなしってことはつまりは闇に葬っちゃえってことでしょ。人類初のイノベイターが外宇宙から無事に帰還したなんて大ニュースじゃないですか、出航の餞に相応しいのに」
 アーミアさんの責任が追求されなかったのはいいですけれど、公式発表の予定もないんじゃ、特ダネとしてデスクに持ち込んでも信じてもらえないんだろうなあと根っからの記者は溜息を吐く。
 散々、騒動に付き合わされた挙句に何のネタも得られなかった彼には同情しないでもないが、そもそも情報隠蔽を決定したのはクラウスなので諦めてもらいたい。報告した上司は顔を綻ばせて「やはり見間違いではなかったのだな」と喜んでいた。なんでも、ミッション直前の挨拶の段階で彼はアーミアの背後に刹那たち―――クラウスと「ライル」が知り合いだなんて初めて聞いた―――の姿を認めていたらしい。だが、記録は残っていなかったから見間違いと思っていたのだと。
「彼らの帰還が本当ならいずれ顔を出してくれるかもしれないな。気長に待つことにしよう」
 そのとき浮かべたクラウスの表情はまるでこどものようだった。
「いいじゃないの! 同行してればこの先いくらでも特ダネを掴むチャンスはあるんだから」
「だといいんですが」
 溜息を零したイケダが、不意に顔を上げて真面目な表情をする。
「しかし―――ネタになる、ならない関係なく、貴重な体験をさせてもらいましたよ。正直、出鼻を挫かれたって気もしたんですけどね」
「あら」
「でも―――あんなにあたたかな想いを抱いたのも初めてでした」
 僅かにイケダが目を細めて懐かしむ。隣を進むアーミアも数日前の記憶を改めてなぞる。途端に胸に湧き上がる高揚、喜び、充実感。
「なんと言いますかね。陳腐な喩えになってしまうんですけど………『彼ら』の愛はとても深くて、広くて、あたたかかったじゃないですか」
 人類愛だの世界愛だの言われても実感できないし、困ってしまう。
 けれど、あの時の感情は確かに誰にも負けない、そして、誰もが持ち得る素晴らしい情動のすべてだった。
 船の中で零れ落ちた『彼ら』の想い。傍にいるだけで身体が震えそうになるほどの歓喜、深い情愛、喜び、光、いとおしさ。
「この航海は長くてつらいものになるに違いありません。でも、恥ずかしながら僕は『彼ら』と、『彼ら』の抱く感情を思い出すだけで乗り越えていけそうなんです」
「恥ずかしがることなんてないわ」
 床を強くひと蹴り。イケダより数メートル先に飛んでからくるりと振り返る。
 ―――愛されている。
 見守られている。
 自分たちは想いを等しくしているのだと―――『彼ら』を通じて体感したことが何よりも心強いのは。

「私も一緒だもの!」

 笑いながら更に勢いよく宙を飛べば、後ろから慌ててイケダが追い縋って来た。
 旅路は長くつらいことだろう。
 苦しいことも悲しいことも、喧嘩も諍いも争いも、楽なことよりも大変なことの方が多いだろうし、何より、生きて帰れるかも分からない任務だけれど。
 それでも自分は。
 自分たちは。
 ―――もう怖くない、何も怖くはない。
 アーミアは高らかに謳った。

 

 

 


― A returning of the Trailblazer ―


 

 

 




「………And、life goes on!」

宇宙は、こんなにも愛と希望に満ちている。



 

 

 

 

 


 

「アーミア・リー」と「イケダさん」は実際に映画にも出ています。

特に前者は『スメラギ』の艦長になったと公式に補足があった………ような(曖昧)

一応、他のキャラも既存キャラのイメージを重ねてたりします。

 

『00』という作品と、ニールを始めとしたキャラたちに最大限の愛と敬意を篭めて。

ありがとうございました。

 

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