※リクエストのお題:グラニルで魔術師ネタ。ファンタジーパラレル。

※………の、はずなんだけどこれはむしろ「魔法剣士」(苦)

※ニールがハンター、ハムさんが精霊なファンタジーパラレルとは別設定であるとお考えください。

 

 

 

 鬱蒼と生い茂った木々の中を進む。遠くで鳥がけたたましい鳴き声を上げる。山頂に至る道は険しく果てがない。すっぽりと頭から外套を被り、麻で編まれた袋を担い、腰からはレイピアを提げる。胸の前で外套を留めるブローチには魔道士教会の文様が刻まれていた。この文様を見ても尚、戦いを挑もうとする一般人はほとんどいない。ならば、時に感じる殺気は森に住まう動物のものか、いずこから訪れるとも知れぬモンスターのものか、迷い込んだ盗賊の類か。
「………」
 感じ取った気配に足を止め、腰に下げたレイピアに手をかける。
 何かが駆け寄る気配、殺気、遠くで鳥が鳴く声。

 ザアッ!!

「ジンクスか!」
 木々の合間から飛び出てきた銀色のモンスターに狙いを定める。鋼鉄の肌を持つひとつ目の上位モンスターに通常攻撃は効かない。抜き放ったレイピアに魔力を篭め、襲い掛かってくる牙を掻い潜りながら真一文字に引き裂いた。
『………! ―――!! ―――』
 声なき声が響き渡り、切り落とされた腕が地に落ちる。重々しい音を立てて跳ね返った腕は、次の瞬間には雲散霧消した。
 逃げ去るジンクスを追うことはせず、レイピアを元通り鞘に収める。
 こちらに追うつもりがなくとも向こうが仲間を呼んで再戦を挑んでくる可能性は高い。深く外套を被り、足を速めること約十分、視界の開けた空き地に出てほっと一息ついた。吹き付ける風が心地よい。切り立った崖の淵に立ち、眼下に広がる光景に感嘆の声を上げた。
「素晴らしい………此処がアザディスタンか!」
 流石は古の都だ。
 顔を覆う外套を外し、素顔を晒したグラハムは素直な賞賛の言葉を捧げた。

 


ドラゴンガーディアン


 

 アザディスタンは世界有数の魔道大国である。国民の半分以上が何らかの魔力を有し、王族の守護を司る近衛隊にもなれば他国からモンスター退治を直々に依頼されるほどの凄腕揃いだ。彼らは尊敬の念を篭めて「マイスター」と呼ばれていた。特に、現皇女に仕える五人の近衛兵は歴代随一と言われている。
 斯様な国にわざわざ攻め込む国も少なく、古の契約によりドラゴンの加護を得ていることもあって余所の戦に巻き込まれて荒れることも自然災害に襲われることもなく、穏やかな暮らしを築き上げてきた。
 この国がどうやって神にも等しいと讃えられるドラゴンの加護を得たのかは不明である。もし、ドラゴンの加護がなければアザディスタンはすぐさま極貧国に成り下がっていたはずだ。北と南を険しい山で隔てられた土地はただでさえ他国との流通や国交が途絶えがちである。かろうじて他国との物流を可能にしている東と西のルートは、ドラゴンの力がなければ築かれることはなかったろうと伝わっているのだ。それでも、東の行程は上位モンスターが徘徊する森を抜ける必要があり、西の行程では砂漠とそれに連なる迷いの渓谷を越える必要があった。
 多くの旅人はアザディスタンへ入る際は西ルートを選択する。砂漠と迷いの渓谷は恐ろしかったが、東に住まう上位モンスターを相手にするよりは余程に命の保証がある道だったからだ。
 だが、西回りのルートは『とある理由』により四年ほど前から立ち入り禁止区域となっていた。故に今回はグラハムも東回りのルートを選択している。そして、その理由ゆえに近衛兵たちはアザディスタンを離れられない。優秀な魔道士であるマイスターが遠征できない結果、世界の治安は徐々に悪化しつつあった。いつの時代にも悪さをする魔道士はいるし、暴れるモンスターは後を立たない。そろそろ彼らには自国の問題を解決し、世界に出てきてもらわねばならなかった。
(かつては無茶を承知で西のルートを選択したものだったが………)
 過去の己を思い出してグラハムは苦笑する。
 当時はひどく粋がっていて、誰の手を借りずとも王都に辿り着けると信じ込んでいた。だが現実は厳しく、迷いの渓谷で方角を見失い、ついには怪我までして通りすがりの村人に助けられたのだ。町で休んで行けばいいと言われたものの、実力で訪れた訳ではないからと断って町並みすら見ずに立ち去った。修行時代の苦い思い出である。
 もう一度、グラハムは眼下の景色を眺めやる。
 遠くに霞んで見える白亜の宮殿と、白を基調とした淡色で纏められた簡素な町並み。あらゆるところに植えられた木々が町を緑に彩る。豆粒よりも小さく見える人影は疎らだったが混乱は見られない。
「ふむ………迎えが来ると聞いていたのだが」
 顎に手を当ててしばし考え込む。自分の来訪は魔道士教会から先方へ伝えられているはずである。アザディスタンの一件には古今東西の魔道士が取り組んできたが、結局は解決されぬままに四年が経過していた。このまま捨て置いては教会の沽券に関わると上層部が考えたのかは知らないが、自らが指名されたことをグラハムは素直に喜んだ。いつまで経っても指令が下されないからいい加減、独断で忍び込もうかと思っていた頃合だったので。
 ―――どうしても此処に来たかった。四年前、アザディスタンに許可なく立ち寄ることを禁ずとの布令が出された時には酷く落胆したものである。
 地理に疎いまま先へ進もうかと迷っていると、不意に、空き地に光る方円が現れた。浮かび上がった古代ルーン文字が『扉』を開き、薄緑色の外套を纏った人物の影を浮かび上がらせた。瞬間、風と共に宙に舞い上がった人物は足音すら立てずに地面に足を着け、そのまま丁寧に一礼してみせた。
「失礼! お迎えに上がるのが遅くなりました。魔道士教会よりの使者、グラハム・エーカー殿であるとお見受けしますが、相違ございませんか」
 やわらかく波打つ茶色の髪に白い肌、瞳は澄んだ翡翠色。魔力が編み込まれた衣服を身に纏い、腰には護身用の剣を携えている。外套を胸元で止めるブローチには羽根を広げたドラゴンの意匠。アザディスタンの近衛兵の証だ。すると、彼は。
(マイスターか………!)
 まさかマイスターがわざわざ足を運んでくれるとは。
 意外ではあったが、ほぼ同年代と思しき彼を見た瞬間に閃いたのは別の感想で。
「―――違うな」
「は?」
 不躾な呟きに気の良さそうな青年は間の抜けた声を上げた。しまった、言葉にしていたかと苦笑を零し、謝罪と共に右手を差し出す。
「すまん。こちらの話だ、気にしないでくれたまえ。―――私はグラハム・エーカー。魔道士教会認定の一級魔道士だ」
「アザディスタン近衛兵のライル・ディランディです。お目にかかれて光栄です、グラハム・エーカー殿」
「丁寧な言葉遣いは性に合わんな。どうせ私はこのような態度しか取れん。君ももっと自由に発言してくれると嬉しいのだが」
 握手を交わしながら提案すれば、「そりゃありがたいね」と早速とばかりに相手が乗ってきた。
「実はオレもご丁寧な宮廷言葉ってのとはそりが合わなくてね。あんたが礼儀に喧しい奴じゃなくて良かったよ」
 カラカラと笑う彼は随分と気さくな人物のようだ。
 先程地面に描かれた方円は未だほのかな光を放っている。その上に手招いて、ライルは素早く右手と左手の印を組み合わせた。
「ちっとばかり揺れるぜ。耐えろよ」
「わかっ―――」
 た、と、言い終えるより早く。
 周囲の景色が歪み、次の瞬間には全く別の場所に移動していた。鬱蒼とした森は遥か遠くに臨み、代わりに、すぐ近くに白く高い壁と壮麗な城の門が控えていて、これは確かに先刻崖の上から臨んでいた城であると認識し。
 何気ない風情で紡がれた転移魔法の確かさに素直に感心した。なるほど、マイスターの名前は伊達ではない。
 すいすいと前を進んで行く青年の背中に続いて視界を巡らす。城下町をすっ飛ばして一気に城近くへ転移してしまったため一般市民らしき人影は見当たらなかった。ゆっくりと町を観察してみたかったのだが仕方がない。いまは急を要する。
 ドラゴンの意匠を刻まれた扉の脇には門番として槍を構えた兵士が並んでいた。
 さり気なく視線を上向けて城の天辺を見遣る。何もない、ただの尖塔。
(ドラゴンはいないのだな)
 やはり、『外』で噂されている話は噂ではないのかもしれないと密かに確信を深めた。
 門番はライルに敬礼をし、互いの拳で軽く白い壁を叩く。
「開門―――!!」
 文様が回転し、赤、紫、青、緑の光を放ちながら重厚な音と共に門が開いていく。魔力を根源とした扉の鍵は、魔力の欠片も持たぬ侵入者には天地がひっくり返っても手出しができない仕様だ。
 門の向こうでは通路の両脇にズラリと兵士が並んでふたりの到着を待ち構えていた。同じ角度で槍が上に突き出され、斜めに交錯し、簡易的なアーチを作る。
「グラハム・エーカー殿の到着に、敬礼!!」
「敬礼!!」
 綺麗に揃った声は和音となって辺りに響き渡る。不思議な余韻を残すのは何故かと頭上を振り仰ぎ、ドーム型の天井に刻まれた凹凸が影響しているのだと察する。
 前を進んでいたライルがこちらを振り返り、薄く笑った。
「―――動じないな、あんた。大抵の魔道士はこんだけ歓迎されるとびびったりするんだけどな」
「確かに大仰な出迎えだとは感じる。如何に能力が優れていようとも所詮私は教会に属する一介の魔道士に過ぎん。国を挙げての歓迎に値するかと言われれば聊かの躊躇いを覚えん訳ではない」
 だが。
 真っ直ぐに前を見詰め、グラハムは口元に不敵な笑みを刻む。
「望まれた以上はそれ以上のものを提供するのが私の信条だ。必ずや解いてみせよう、西の封印を!」
 正々堂々と宣言された魔道士の言葉にマイスターはきょとんとした表情を浮かべ、次いで、実に楽しそうに笑ってみせた。
「期待してるぜ、グラハム・エーカー」
 その言葉に、ある種のからかいと皮肉を感じ取ったのは何故なのか。
 続いて口にされた「少し休むか」との言葉には親切を感じ取ったのだが、何かが気になる。休みは不要だと告げて先を促し、疑問を抱いたまま石造りの通路を進んで行くと、次なる扉の前で眼鏡をかけた女性が待ち構えていた。どうやらこの奥が玉座の間らしい。
 理知的な瞳をした女性が深々と頭をさげる。
「ようこそお越しくださいました、グラハム・エーカー様。私の名はシーリン・バフティヤール。皇女付きの侍従長です」
「こちらこそ、お目にかかれて光栄に存じます。シーリン殿。して、私が命を授かるべき姫は何処に」
「この扉の向こうでお待ち申し上げておりますわ。―――ライル、あなたもこのまま」
「了解」
 シーリンに案内役を譲った青年はグラハムの後ろで気楽そうに片手を挙げた。
 先刻の大門と同様に両脇に控えていた兵士が印を結ぶと、精緻な文様の彫り込まれた扉が軋んだ音を奏でながら奥へと開いていった。
 白い、光に満ち溢れた玉座の間。
 大きく切り抜かれた窓からあたたかな光が差し込み、柱に取り付けられた燭台が色とりどりの光を放つ。赤く長いビロードの絨毯が真っ直ぐ続き、沿うように視線を正面へと流せば、白い薄布の隙間から覗く白い玉座に長い黒髪をたたえた女性が座していた。彼女の左手には黒髪の少年が、右手には片目を隠した青年と眼鏡をかけた少年が控えている。一足先に抜け出したライルが黒髪の少年の隣に並び立った。
 間違いない。近衛兵を従えることができる唯一の女性。彼女が、アザディスタンの第一皇女、マリナ・イスマイール姫だ。
 臆すことなく眼前へ進み出たグラハムを見て彼女は穏やかな笑みを浮かべる。
「お越しいただいてありがとうございます、グラハム様。私がこの国を竜主様より与りし者、マリナ・イスマイールです。アザディスタンまでの道中は大変だったことでしょう。感謝いたします」
「こちらこそ、お目にかかれて光栄です。マリナ・イスマイール皇女殿下」
 深々と頭を下げ跪こうとすると、それには及ばないと手で遮られた。青い瞳を憂いに染めた女性は真っ直ぐに正面を見据えている。
「この国の状況は既に魔道士教会の方から伝えられているかと存じます。事態を打開すべく、マイスターも努力はしてくれたのですが………未だ解決の糸口は見えません。いまも尚、近衛長は解決策を求めて他国を旅しています」
 確かに。
 ライルと、黒髪の少年と、片目を隠した青年と、眼鏡をかけた少年と。
 マイスターは五人いるはずなのに四人しか場に控えてはいなかった。国の守護は仲間に任せて、残るひとりの隊長は他国に有力な情報がないかと探しに行っているらしい。
 す、と彼女がてのひらを上向けるとぼんやりとした水晶のような淡い光が浮かんだ。
「願いを叶えてくださった暁には―――アザディスタンの秘宝のひとつ、『ソル・ブレイヴス』を授けましょう」
「御意」
 個人的には、見返りなしに用件を受諾してもよいと思っていた。だが、グラハムは教会に所属する魔道士であり、教会とアザディスタンの間には魔道士の貸し出しについて契約が成されていた。『ソル・ブレイヴス』は現段階では単なる光の球にしか見えないが、きちんと精錬すれば切れ味鋭い剣となる。剣は魔力を外界に伝わらせるための必須アイテムだ。極端な話、杖や棒切れでも魔力を伝わらせてモンスターを斬ることはできるが、それでは威力も殺傷力も劣る。教会は常に優れた武器を求めているのだ、『ソル・ブレイヴス』は何としても手に入れたいところだろう。
(私が『ソル・ブレイヴス』を受け取れるのは上手く行っても数ヶ月先だろうな)
 一旦は魔道士教会に納め、その後、幾度にも渡る複雑な手続きを経た後に漸く「教会付きの魔道士の証」として武器が貸与される。全くもって面倒なシステムであったが、こうでもしなければ魔道士を管理しきれないのだから仕方がない。
「現場の詳しい状況はマイスターにお尋ねください。広間でささやかながら到着の祝宴も準備しております。どうぞ………」
「いや。気遣いは無用」
 不躾と思いながらもきっぱりと誘いを断った。グラハムは自らの能力に多大なる信頼を置いてはいたが、未だ目的を達成し得るかも分からないのに、祝宴だけ開くのは主義に反すると感じたのだ。
 皇女は多少の戸惑いは見せたが、すぐに元通りの笑みを浮かべて「わかりました」と頷いた。
「我慢弱い性格であると自覚しております。できることなら私はすぐにでも現場に向かいたい。許しをいただけるのであれば、いますぐ、この足で」
「構いませんが………案内を頼めるかしら?」
 皇女が困ったように視線を隣に流すと黒髪の少年が心得たように頷いた。途端に安堵の色を浮かべた皇女はグラハムの願いを快く聞き入れてくれた。
「グラハム様、よろしくお願いいたします。どうか、アザディスタンに穏やかな暮らしを」
「ご期待に応えられるよう努力いたしましょう」
 改めて一礼した己に、四方から突き刺さるような視線が向けられているのをグラハムは感じた。




 グラハムの無理な願いを聞き届け、マイスターはすぐに出立の準備をしてくれた。現場へは四人全員が付き合ってくれるらしい。実力の乏しい者を連れて行けば返って被害が大きくなるとの真っ当な判断ゆえであったろうが、普段は知らない実力者たちの腕前を間近で見れると思うと不謹慎ながらも胸が躍った。
 黒髪の少年の名は刹那、眼鏡の少年はティエリア、片目を隠した青年はアレルヤと言うらしい。少し話してみたところ、刹那は無口で、ティエリアはつっけんどんで、アレルヤは穏やかだが何処かずれていて、結局一番まともな会話ができるのはライルだけらしいと自らを棚に上げてグラハムは判じた。マイスターが揃いも揃ってこんな感じだからシーリンもライルを迎えに寄越したのだろう。この分では、現在旅に出ているという残り一名のマイスターにも悪い意味で期待がかかる。
 兵士たちに見送られて向かう先は迷いの渓谷―――この国の西に位置するところである。
 先頭を刹那が突き進み、すぐ後ろをティエリアがついて行く。背後を振り返ろうともしない彼らの後ろを三人で並んで歩く。
「グラハムさんは、今回のことをどの程度聞かされているんですか?」
「通り一辺倒のことは聞き及んでいる」
 アレルヤの問いに、グラハムは事の経緯を脳内で思い返した。
 事件の発端は四年前。突如としてアザディスタンの西、迷いの渓谷にモンスターが出現した。そのモンスターがどのような外見や能力をしていたのか、どうして急に出現したのか、細かな部分は何年も経過したいまでも不明である。教会はアザディスタンが情報を隠匿しているのではと疑っているが、とりあえず、その問題は後に回しておいて。
 正体不明のモンスターは非常に強力で国に残っていた兵士たちが束になっても叶わず、他国に貸し出されていたマイスターたちも急遽呼び戻された。下手をすればマイスターが戻る前に国が滅ぼされてしまう可能性さえ秘めていたのだ。いま現在、アザディスタンがさしたる被害もなく存続しているのは守護者たるドラゴンと、偶々ひとりだけ国に留まっていたマイスター ―――近衛長らしい―――のお陰であると言う。彼らの力を持って一時的にモンスターを撃退したが、退治することはできず、いまでも迷いの渓谷に件のモンスターは潜んでいるらしい。
 よって、アザディスタンの西ルートは封鎖される運びとなった。もしかしたらドラゴンと同レベルかもしれない高位モンスターが降臨したとあっては無茶などできない。魔道士としてトップクラスの、モンスター退治のスペシャリストであるアザディスタンのマイスターたちが責めあぐねている敵である。他国は救援策として東ルートでの物資の輸送と、教会からの魔道士派遣ぐらいしか提案できなかった。
 これが根本の解決に至っていないのは現状を見れば一目瞭然である。物資の輸送は細々と続けられてはいるものの派遣した魔道士は悉く返り討ちにされ、良くて大怪我、悪くて死亡という結果を教会に突きつけた。最初こそ勢い込んでいた魔道士たちも結果が捗々しくないとなれば立候補者も減る。グラハムのように「指名されるのを待ち望んでいた!」と堂々とのたまう者が稀少なのだ。
「なるほど………ま、徐々にアザディスタンの一件が腫れ物扱いになるのは仕方ねえな」
「解決しない紛争なんて邪魔以外のなにものでもないしね」
 ライルとアレルヤはのんびり語っているが、グラハムには問い質したいことがあってウズウズしていた。
 そう。『外』の世界にはアザディスタンを襲った高位モンスターの情報は全く流れて来ていない。教会から派遣した魔道士は戻ってきても怪我のショックで戦いの記憶を失っているか、物言わぬ遺体と成り果てていた。少しの情報も持ち帰られないために、もしかしたらアザディスタンは教会の魔道士に忘却の術でもかけているのではないか………と語られ始めるのに時間はかからなかった。そして、それが真実であるならば、彼らはどうして頑なに情報が洩れるのを拒むのか。
 理由は、ひとつしか考えられなかった。
「私は隠し事をするのが好きではない。だから、正直に問おう」
 グラハムの声に感じる部分があったのか、刹那とティエリアが揃って振り返る。ライルは興味深そうに、アレルヤは不思議そうに視線を投げかける。
「君たちの国を襲った高位モンスターというのは、即ち、ドラゴンではないのかね。ドラゴンに護られた国がドラゴンの襲撃を受ける―――これほどに『国』にとって手痛いダメージはあるまい」
 アザディスタンが他国の襲撃を免れ、あまつさえ一定の敬意を得られていたのはドラゴンの加護があるからだ。勿論、数多くの魔道士を輩出し、マイスターを他国の救援活動に充てることで勝ち取った尊敬とてあるが、ヒトよりも高位の存在に認められた国である、という点が何よりも強かったのだ。
 そのドラゴンに裏切られたとなれば、どうなるか。
 アザディスタンに寄せられていた信頼と敬慕の念は薄れ、侵略と侵攻が始まるだろう。いつだって世界は搾取する対象に飢えている。
 ドラゴンこそが倒すべき敵であるのなら、アザディスタンが頑なにモンスターの情報を秘匿するのも頷けた。その証拠に常にドラゴンが座していると伝えられている城の尖塔には何も存在しなかったではないか。
 一瞬、場に沈黙が下りる。
 次に口を開いたのは刹那であった。赤茶色の瞳をじっとグラハムに注ぎ、年齢にそぐわぬ落ち着いた雰囲気で彼は告げる。
「ドラゴンは、裏切らない」
 他に話すべきことは何もない。
 一言告げただけで彼は再び歩き出す。刹那の反応を見たティエリアが冷たい眼差しをグラハムに注ぐ。
「外の世界で流れている噂はその程度のものか。参考になった、礼を言おう」
 褒めているのか貶しているのか嫌味なのか正直なだけなのか、聊か判断に困る言葉を残してティエリアもまた踵を返す。どうにも年少者たちの反応は難しい。グラハムとて最初から「その通りだ」と肯定してもらえるとは思っていなかったが、激昂するでも慌てふためくでもなく、淡々とした彼らの反応は少々肩透かしでもあった。
 考えるまでもなくグラハムの発言は失礼極まりないものだ。国の根幹に関わる部分を否定したのだから本来なら即座に斬りつけられてもおかしくはない。しかし、彼らはせいぜい肩を竦めたぐらいで再び歩き始めている。もし、刹那の言う通りに「ドラゴンは裏切っていない」ことが真実で、故に他の者たちも慌てふためかずにいるのだとしたら。
(より深い事情があるということか………)
 教会からはアザディスタンの事情を探ってくるよう通達が成されている。彼らもまた、グラハムが情報を探しているのを察しているだろう。互いに腹を探り合っている状況ではあるが、何となく、彼らは『外』の連中が拘っている部分にはさして気を配っていないように思えた。
 周囲の木々が疎らになり、険しい渓谷が眼前に迫ってきた。空の色はあくまでも青く、雲は白く、流れてくる風は冷たい。然程寒い時期でものに外套を手放すことができない。無論、アザディスタンに生まれ育った訳ではないグラハムにはこの気候が通常のものなのか判断はつかなかった。
 立ち木の類がなくなり、地面に生える草のみが視界に映る緑色となった頃。
 不意に、前を行くライルが歩を止めた。
「―――そろそろか」
「そうだね」
 アレルヤも笑いながら答える。
 何かあるのか、と数秒遅れて立ち止まったグラハムは。
「………っ!!」
 眼前に突き出された剣先を間一髪でかわした。振り向き様に本気の一撃を叩き込んできたライルはにこやかに笑う。
「あれ、外したか」
「何をする!」
「何でしょうね」
 アレルヤの拳が衝撃となって腹を襲う。
「ぐっ………!!」
 辛うじて両腕でガードしたが、勢いに押されて数歩、後ろに飛び退る。
「きちんと避けろよ!!」
 蹈鞴を踏んだところに斬りつけて来たライルの剣をレイピアで受け止める。二合、三合と撃ちかわし、彼の剣の腕前が並大抵のものではないことを察する。軽くいなすなど無理な話だ。
 視界の隅で、微笑んだままのアレルヤが地面に手をつけた。
 両手が光り、伝わる力が大地を盛り上げて迫る。
「―――フラッグ!!」
 レイピアの『名』を呼び、力を篭める。輝く剣を地面に突き立てて圧し掛かってきた地面を強引に押し返した。へえ、と感嘆の声を上げるアレルヤの背後にライルが着地し、これで正面からの攻撃のみに集中できるかと思いきや、前触れなく飛来した短刀に急ぎ身を沈める羽目になる。
 何本もの短剣を手に構えたティエリアが不遜な表情でこちらを眺めていた。
 空から襲ってきた殺気に逆らうようにレイピアを掲げれば甲高い音を立てて剣と剣が悲鳴を上げる。中空から斬りかかって来た刹那は身軽にその場で一回転し、グラハムを挟んでティエリアと反対側に着地した。
「流石に一級となればこの程度の攻撃は防げて当然か」
「これまでの奴らよりは期待できるかもな」
「久しぶりに楽しめそうだよね、ハレルヤ」
「―――行く」
 グ、と腰を低く落とした刹那が踏み込んでくる。魔力を帯びた剣が赤く輝く。フラッグで少年の攻撃を受け止め、魔力の篭もる左手を振ることでライルの叩き出した衝撃波を防ぐ。抑え切れなかった風が周囲の塵を巻き上げ視界を狭める。
 力任せに刹那の剣を押しやり、四方から襲い来る短剣を片っ端から叩き落した。しかし、魔力の篭もった短剣は地に落ちてもすぐに宙に浮かび上がり、予期せぬ方向から襲撃してくるのだ。タチが悪い。
「っ………! 何を考えている、マイスター! もしや高位モンスターの正体は君たちだったとでも言う心算ではあるまいな!?」
「そう思ってくれても別に構わない、ぜ!!」
 ガキン!!
 咄嗟に左手の甲に魔力を集めてライルの剣を防ぐ。逸らしきれなかった衝撃が手の甲と腕の節々に朱線を走らせた。
 右側から刹那に、左側からライルに攻撃され、一撃一撃を捌くことだけで精一杯だ。しかし。
(何だ………!?)
 彼らは本気を出していない。もとより四対一でこちらが不利、ましてや相手はマイスターの名を冠する程の実力の持ち主。如何にグラハムが己の実力に自信があろうとも多勢に無勢、とっくに地に這い蹲っていてもおかしくない頃なのに。
 手加減されている。グラハムのために。あるいは、それ以外の何らかの要素のために。
「ひゃっは―――! ハレルヤ様のお出ましだぜえ!!!」
 けたたましい声と共に上空から影が降って来た。巻き添えを恐れてか、刹那とライルが即座に場を退く。叩き込まれたのは剣でも短剣でもなく、拳。次いで、蹴り。
(肉弾戦が得意なタイプか!)
 剣に魔力を乗せて戦うスタイルが主流の中、珍しい。
 蹴りが来ると思えばフェイントで拳を繰り出し、右からの攻撃と思わせて左から拳が飛んでくる。一歩ずつ後ろへ下がることで致命傷は避けているものの正直に言って攻撃の筋が見えない。教会で修行を積んだ時もこれほどに体術に優れた人間などいなかった。
 グラハムの瞳が輝きを増す。
「面白い………!」
 事情は知らない、理由も説明されない。
 だが、降りかかる火の粉を払うことに躊躇はない。強い相手と戦うことは純粋に楽しい。目的も事情も見えずとも相手が戦いを望むのならば。
「はっ! やる気ンなったかあ!?」
「攻撃を仕掛けてきたのは君たちだ! 私からは退かんぞ!!」
 気合一閃、全身に魔力を纏わせると全身が宙に浮かび上がった。剣を握り締めた右手と左手の拳に等しく魔法円を描き、隅々まで精神を行き渡らせる。
 若干の警戒を乗せて片目を隠した青年―――瞳の色が銀ではなく金に変わっている―――が、不敵な笑みと共に軽やかに宙で一回転し、奥に控えていた三人と合流した。
 本気で戦うべくグラハムがレイピアを握る手に力を篭めた瞬間。

 ピシッ………!

『何か』が割れる音がした。
 ハッとなったティエリアが宙を睨み、叫ぶ。
「来るぞ!!」
 彼に倣い上空に視線を転じたグラハムは、目を疑った。
 ―――空が、裂けて行く。
 青い空に一筋の亀裂が走り、ガラガラと崩れ落ちる。ぽっかり開いた黒い『洞』から銀色の手が覗き、顔が覗き、全身が覗く。それは、森の中で見かけた。
「ジンクス………!?」
 モンスターが、何故、空から。
 亀裂から飛び出したジンクスはマイスターに攻撃を仕掛ける。
「ちっ!! ―――あっちが先だぜ、キュリオス!!」
 舌打ちしたハレルヤがグラハムへ向けていた構えを解いてジンクスの撃墜へと向かう。
 ジンクスだけではない。未だ開いたままの亀裂から『灰色の狼』リアルドが、『鉄のゴーレム』ティエレンが、『愚鈍なる蜂』アンフが、『翡翠の礫』イナクトが、次々と姿を現した。名立たる上位モンスターが群れを成して亀裂から訪れる。まるで悪夢の如く。
「エクシア!!」
 刹那が叫び、七対に変化した剣と共に手近なモンスターに斬りかかる。
「ケルディム!」
 ライルが剣を横に薙ぎ、周囲に防御結界を巡らす。
「………ヴァーチェ!!」
 用意された結界の中でティエリアが両手を打ち鳴らす。彼の投げた短剣が亀裂の周囲、『空』に突き刺さり、パリパリと激しい電撃を散らした。亀裂を閉じようとしているのだ。
 グラハムとて事態を静観している訳には行かなくなった。モンスターは誰彼構わず攻撃を仕掛けてくる。アンフの突撃をかわし、イナクトの鋭い刃を避け、マイスターに向けて放つ筈だった一撃をモンスターへ叩き込む。その間もアレルヤが蹴りと拳でジンクスを倒し、刹那が七本の剣を変幻自在に使い分けながらリアルドを追い詰め、ライルがティエレンを衝撃波で押し退ける。
 仲間の援護を受けたティエリアが叫んだ。
「力を解き放て―――<ナドレ>!!」

 ギシッ………

 重い、扉が軋むような音を立てて亀裂が閉ざされる。
 覗き見ることの叶わない向こう側で、這い出て来ようとしていたモンスターの手が蠢いている。半ば強引に、溢れ出そうとした水を無理矢理に器に納めるように、ティエリアが強く両の拳を握り締めた。
 耳障りな音と共に亀裂が塞がり、何事もなかったような『空』に戻る。
 周囲のモンスターは既に倒され、さらさらと霧状のモノに変化して行く途中であった。
 レイピアを鞘へと戻し、グラハムは考える。さっきまでは戦う気に満ち溢れていたのだが思わぬ横槍で戦意が削がれてしまった。彼らとて同じだろう。各々が自らの武器を鞘へと納め、少し迷った風に互いの顔色を窺っている。
 深い溜息と共に、ライルが片手を挙げた。
「あー………予想したよりも、襲来が早かったな」
「そのようだな」
「で? どうするよ。オレは別に、構わねーけど?」
 ライルの言葉を受けて、ティエリアがそれとなく視線をアレルヤへと投げかけて。
 再び銀色に戻った瞳を穏やかに緩めて青年が頷く。
「僕も、彼はかなり使えると思うよ。優秀な人材はひとりでも欲しいところだしね。刹那は、どうかな?」
「構わない」
 黒髪の少年は抑揚のない答えを返し、そのまま押し黙る。
 彼らの方針は決定したようではあるが、誰も説明してくれないので反応に困る。予想していたよりも随分とややこしい事情がこの国、もとい、彼らにはあるようなので。
 結局オレかよとぼやきながらライルが近付いて来る。
 初対面の時のように深く一礼した彼は、悪びれない態度と声でのたまうた。
「改めて、非礼を詫びよう。そして、できれば協力してもらいたい」
「協力することは吝かではないが―――」
 もとからそのつもりでアザディスタンに来たのだ、と頷きつつ、最初の疑問をグラハムは口にした。
「結局、君たちは国のため、引いては世界のために戦っているとの認識で良いのだな? 流石に私とてその辺を読み違えたくはない」
「ご期待に添えなくて悪いが、オレたちは国のためとか、世界のために戦ってる訳じゃない」
 結果的にそう見えているだけで本当の本当は物凄く単純明快な事実しかないのだと不機嫌そうに青年は語る。
「オレたちが助けたいのはドラゴンと―――それと、とんでもない馬鹿ひとりだけさ」
 損な役割だとぼやく彼に、他のマイスターも同意していることは顔を見るまでもなく感じられた。




 思わぬ襲撃で予定が狂ってしまったとぼやきながらティエリアが先陣を切る。無言で後に続く刹那と言い、のんびりと歩き始めたアレルヤと言い、彼らの中で説明役は専らライルだと決まっているらしい。当人には非常に忌々しいであろう事実を溜息と共に受け止めて、結局はぽつぽつと語り出す青年はとんだお人好しだ。
 さっきは本当にすまなかったな、でも、生半な実力じゃ返って足手纏いになるからな、と彼は改めて謝罪した。
「それはつまり、先程のように上位モンスターが前触れもなく襲ってくるからかね?」
「端的に言えばそうなんだが、それだけじゃないっつーか………何処から説明するのかは難しいとこなんだが」
 面倒くさそうに前髪をかき上げて煩わしそうに目を細めた。視線の先には薄っすらと霧のかかり始めた渓谷が待ち受けている。足元の草花も愈々少なく、荒れた大地を晒し始めていた。
 一級魔道士に尋ねるのもふざけた話だが、と、更なる前置きひとつ。
「モンスターは何処から来るのか、知ってるか?」
「我々の与り知らぬ世界より訪れるのだと伝承では語られているな。確かに彼らの正体は杳として掴めず、魔力を持たぬ人間では抗う術すらないのが実情だ。だが、思えらくは―――」
 今し方、目の前で繰り広げられた光景を思い出す。
 初めてみた。上位モンスターが空の『亀裂』から訪れる場面なんて。
「彼らは『其処』からやって来る。だが、『亀裂』の向こうに何があるのかまでは未だ知られていない。そんなところか」
「ご推察の通り。アディスタンはモンスターに対する研究がかなり進んでいる国家だが、それでも、奴らが元いた世界や環境がどうなっているのかは全く分からない。いっそモンスターが話してくれれば楽なんだけどよ」
 大きな岩を乗り越える。
 不意にティエリアが歩みを止めた。またしても敵襲かと身構えだが、彼はクルリと背後を振り返ると仲間に呼びかけた。
「アレルヤ。君の結界だ」
「了解」
 ひょいひょいと身軽に岩を飛び越えた青年が先頭に立ち、印を結ぶ。
 両手を打ち合わせ、押し開くように、両の腕を横へと伸ばした。薄く、僅かに張られていた魔力の幕が一部分だけ解除されたのが目視できる。
 通れと促す声に従って彼が常時張り続けていたらしい結界を潜り抜けた。………空気が僅かに重くなった気がする。
 ふるりと頭を振ると、傍らの青年と目があった。
 銀色の目と、いまは前髪に隠されている金色の目。
「そういえば―――マイスターは本来五人いるのだったな。もしかすると隊長が出かけているというのは偽りで、本当は君がふたり分の席次を持っていたりするのか」
「違いますよ」
 両手の甲に光るナックルを閃かせてアレルヤが笑った。
「僕はハレルヤであり、ハレルヤは僕です。僕らの席次はあくまでもひとつ分ですよ。でも、隊長が出かけているのが偽り―――ってのはいい着眼点です」
「何?」
 疑問に応えることなく、アレルヤはとっとと歩き出す。足場の悪いこの場所では考え込んでいる間にすぐ置いて行かれてしまう。小柄な少年たちはそれを知っているのか会話に入る気配すら窺わせずに黙々と足を運んでいる。
 アレルヤが答えなかったのは、つまり、ライルがこれから話すからだろうと当たりをつければ、想像通りの苦笑いが返された。
「あいつら、オレを解説役か何かかと思ってやがる」
「違うのかね」
「違うっつーの! 性分じゃねえよ、こんな役回り」
 何処まで話したっけかな、と呟きながら目の前の岩壁に揃って手をかける。
「まあ………さっきあんたが目にした通り、連中は『亀裂』を通ってやってくる。でもって、勝手な推測だが、たぶんドラゴンも似たような存在なのさ」
「ドラゴンも『亀裂』から生まれるのかね?」
「さあな。流石に『はじまり』のドラゴンが何処から来たのかは分からん。ただ、少なくともドラゴンはひとつの時代に一種のみが存在し、こどもを産むのではなく自らが『生まれ変わる』ことで世代を越えていく。かなり特殊な生体だと思うぜ」
 地上に存在するどのような生物とも、ましてやモンスターとも異なる特殊な生命体。彼らが何のために「此処」にいるのか理解し難いと言うのは、マイスターとしてドラゴンを身近に見続けた者なりの正直な感想なのだろう。
 ドラゴンとモンスターの出自が同じじゃないかってのは何の根拠もない妄言じゃないんだぜとライルは笑う。聊か不機嫌そうにティエリアがこちらを振り向いたが、お喋り気質らしいマイスターが口を慎む気配はなかった。
「なんせ、ドラゴンはモンスターを『食う』」
「………どうやって」
「そりゃあもう、頭でも腕でも足でもバリバリと」
「それは―――壮観だろうな」
 ドラゴンが「しぎゃー」と間抜けな声を上げながらモンスターにぱくつく光景が脳裏に思い浮かんだが、何だか非常に緊張感に欠ける構図になってしまい、グラハムは己が想像力の貧困さに幻滅した。大体ドラゴンだって遠くから透かし見るぐらいが精々で、間近で観察したことなどないのだ。生まれた時からドラゴンと共に育ってきた彼らとは着眼点も距離感も何もかもが違う。
 不機嫌そうに歩んでいたティエリアがぴたりと立ち止まる。
 先刻のアレルヤのように両手を打ち合わせ、グッと両脇に押し退ける動作をした。今度は彼の結界が張ってあったのだろう。厳重なことだ。
 不可視の透明な幕をすり抜ける際に眼鏡の少年がライルに「余計なことを言うな」と注意したが、青年は肩を竦めるのみだった。眼鏡の青年とお人好しな青年の間には幾らか意見の相違があるようではあるが、戦闘中はきちんと協力していたので決して不仲ではないはずだ。
 再びライルがグラハムの隣に並んで話を続ける。
「本題は此処からだな。つまるところ、アザディスタンに上位モンスターが現れたって『外』で語られていることは決して間違いじゃない。実際には上位モンスターどころじゃない、モンスターが幾らでも湧いてくる『亀裂』ができたって話さ」
「ならば素直にそう伝えればいい」
 素直にモンスターの湧いてくる源泉ができてしまったのだと世界に向けて発信すればよい。そうすれば少なくとも、ドラゴンが国を離れたなどと不名誉な噂を立てられることもなかったろうに。事実と異なる内容をあたかも真実であるかのように語られることは彼らにとっても、国にとっても、当のドラゴンにとっても不名誉なことではありはすまいか。
 思うままを告げれば、否定はしないとライルは僅かに眉根を寄せて遠くを見据えた。周囲を覆う霧が少しずつ色濃さを増している。
「確かに、上位モンスターに始終狙われてるんだって救援を求めれば各国はこぞって助けに来てくれるだろうさ。それでも結局、『ドラゴンの力をもってしても国は護られなかった』って、ある種の不名誉は避けられない。何よりオレたちが恐れたのは―――」
 急に青年が言い淀む。相手が身内ではないことに今更のように思い至ったのか、ティエリアの苦言を思い出したのかは知らないが、しばし口を噤んで。
 だが、次の一歩を踏み出した時には何事もなかったように淡々とした口調で語り始めた。
「………いままでアザディスタンは他国の侵入を許したことはない。護られていたからだ。だが、そのドラゴンの力をもってしても太刀打ちできない敵が現れた。周辺の国々は果たしてそんなところにわざわざ派兵してくれるのか。いや、静観しているだけならまだいい。積極的にアザディスタンに加担して恩を売ろうとする連中や、脅威を追い払った瞬間を狙って襲撃をしかけてくる国がないと何故言える」
「なるほど。事後を心配している訳か」
 ドラゴンですら歯向かえない脅威がやってきたと国ごと封鎖されてしまう事態もまずければ、協力してくれた国に後から様々な権利を主張される事態も恐ろしいという訳だ。そんな疑心暗鬼に陥らずとも………と呆れることができないのは、グラハムはグラハムなりに、各国を旅して様々な事情を見聞きしているからに他ならない。
 アザディスタンは世界有数の魔道大国で鉱物資源も豊富に眠っている。「物」だけではない。「者」とても上手く捕虜にできたならこれほどに使い勝手の良い魔道戦士もあるまい。実際に魔道士協会を通じて他国に助けを求めがために、長期的に見て植民地化されてしまった国とて幾つもあるのだ。彼らの危惧は決して杞憂とは言い切れなかった。
「君たちが魔道士の実力を試す真似をするのは、上位モンスターに抗する力があるかを確認する以上に、性根を見極める側面が強いのだな。だとすれば私は心身ともに君たちに認めてもらえたということになる! 実に光栄だ!!」
「マイスターからの評価なんて自慢するようなもんじゃないぜ」
「私は何事も前向きに考えることにしている」
 だが、魔道士仲間が悉く彼らに撃退されたのが事実ならば非常に情けないことである。マイスターの試練に合格せず、その場でお帰りいただいた魔道士もいるし、事態を外部へ伝えた方がよいと断りもなく国を出て行った魔道士もいたらしい。試しに名前を確認してみれば、いずれも魔道士協会へ記憶を失って帰ってきたか、物言わぬ遺体となって帰還した魔道士のものばかりであった。
「我々は、アザディスタンが情報の漏洩を恐れているのだとばかり思っていたが」
「恐れちゃあいるさ。さっき言った通りの理由でな。でも、外に漏れたら漏れたで仕方がないとも思っていた。実力不足だからって追い返した奴とか、外部の助けを借りるべきだって義憤にかられて出てった奴まで追えるほど暇でもなかったし」
 ライルが嘘を言っているようには見えない。だが、そうなるとますます疑問が残る。アザディスタンを出てから魔道士協会に帰り着くまでの間に、彼らの身に何が起きたのだろう。無傷で帰したはずの魔道士が何故か被害に遭っている―――例え彼らが使者に「これ以上の手出しは無用」との伝言を頼んだところで結果は同じだったのだろう。
 誰も知らぬままに魔道士協会は人員を派遣し続け、アザディスタンの真実が外に知れ渡ることはなく、疑惑だけが深まっていく。
 しかしながら、現時点で最大の問題はそこではなかった。彼らの国のことは彼らが何とかするだろう。姫つきの侍従であるシーリンはひどく優秀そうに見えたし、今回の一件が片付けばマイスターとて各国に情報収集に行けるに違いない。
「マリナ皇女は何も言わないのかね。彼女ならば国の名誉よりも、派遣された魔道士が傷つく事態をこそ憂えると思えるのだが」
「皇女は何も知らない」
 ライルが振り返り、吹き抜ける風が白い霧を揺らめかせた。
「彼女は何も知らないし、知ることができないし、知ったところで何もしないし、できない」
「………どういう意味だ」
「ライル・ディランディ!」
 とうとうティエリアから叱責が飛んだ。小柄な少年が苛立ちも露にこちらを睨みつけている。
 相変わらず悪びれる気配のない青年は軽く笑いを零した。
「だったらお前が説明しろよ、ティエリア」
「言われるまでもない!」
 ティエリアがズカズカと岩を乗り越えやって来たが、影でライルがにんまり笑ったので、たぶん、まあ、―――乗せられてしまったのだろう、この生真面目な少年は。自分ばかりが説明役を務めるのは面倒くさくなったというところか。
 ライルと歩く位置を交代した少年は非常に不機嫌な顔をしながらつっけんどんな声で答えた。
「………数多ある国の中で、アザディスタンだけがドラゴンとの契約を可能にしているのは、改めて話す必要もない事実だ」
「うむ」
「初代国王がどのようにしてドラゴンと話し、契約を結んだのかは伝承にすら残されていない。だが、事実として一部のアザディスタン国民は、そして何よりも王家の人間は―――」
 少しだけ迷う雰囲気を微かに纏わせはした。だが、あくまでも冷静な声と口調で少年は告げる。
「確実に、一部の感情を『喰』われて生まれてくる」
「感情?」
「要は、喜怒哀楽の感情表現のうちのひとつが最初から存在しないのだ。国民の誰でもそうなる可能性があるが、王家では事の外確率が高い。マリナ皇女とて例外ではない」
 優しく微笑んでいた皇女の顔を思い出す。少なくとも、彼女から喜びや悲しみの感情が消え失せているとは受け取れなかった。
「皇女は怒ることができない。何があっても、何が起きても、目の前で国民が殺されようと、親友であるシーリンが誰かに撃たれようと、悲しみこそすれ怒ったり憎んだり恨んだりすることはできない。どのような意味であれ決して動じることがない。それがこの国の皇女というものだ」
「つまり―――………」
 常に優しく穏やかな人格者ではあるものの、国家存亡の危機にあっても解決策を必死に探すことがなく、誰が亡くなろうとも何を失おうとも打ちひしがれ、やがては忘れ去るばかりということなのか。
 国の主に求められる素晴らしい資質を持つ、その一方で、これ以上ないくらいに国の主に向いていない。いや、それ以前の問題だ。感情が欠けていることを彼女は自覚しているのだろうか。自らの境遇を憂えることはあるのだろうか。違う。そんな想いを抱くはずもない。彼女は「怒」らないのだから。
 考えれば考えるほどに理不尽な気がしてしまう。だが、それが彼女の祖先が国を護るためにドラゴンとの契約に持ち出した代償なのだとすれば、部外者たるグラハムがとやかく言えたものではなかった。感情を奪わないでくれ、返してくれと願い、結果として異界からの使者の守護が失われたならば困窮するのは国民である。
「一部のアザディスタン国民も同じだと言ったな。失礼だが、もしや君や、少年も感情の一部を『喰』われていたりするのか」
「僕も、刹那も、『喰』われたとは思っていない。しかし、感情表現が下手なタイプだとは自覚している」
 かなり失礼な質問に、彼は片眉を上げながらも冷静に返した。少し先を歩いていた黒髪の少年が振り向き、すぐにまた視線を正面へと戻す。あくまでも勝手な予測に過ぎないが、きっと、彼らは同じような質問を何度も部外者から向けられてきたのだろう。
 感情を奪われた身でないのなら、彼らの無愛想さや鉄面皮や仏頂面はすべて自前ということか。まあ、それならそれで構わないのだけれど。
 やや前方を歩んでいたアレルヤがにっこりと笑う。
「でも、刹那もティエリアも随分マシになったよね。やっぱりロックオンと一緒にいたからかな」
「ロックオン?」
 初めて耳にする名だ。
 人名とは思いにくい名称を聞いた途端にティエリアが明確な笑みを口元に刻んだ。
「ふん。それは君とて同じことだろう、アレルヤ・ハプティズム、ハレルヤ・ハプティズム。精神の統合が上手く行かずに悩んでいたところを手助けしてもらったと聞くぞ」
「否定はしないよ。でも、まあ、一番助けてもらったのは刹那なんじゃないかなあ」
 つられて視線を黒髪の少年に流すと、彼はちょっとだけ振り返って。
「命を助けてもらったのはティエリアだ。オレは助けてもらった訳じゃない―――救われはしたが」
 何が違うんだとの突っ込みは、あまりにも穏やかな少年の微笑に口にすることが叶わなかった。
 急に話題にのぼった人物が彼らとどのような関係にあるのか分からなかったが、慕われていることは確からしい。少なくとも、マイスター三人に共通の知り合いであるならば。
「もしかして、そのロックオン………というのが、隊長なのかね」
 三人が揃って頷いた。
 ひとりだけ頑なに前を向いて渋面を作ったライルがぼそぼそと呟いている。
「ったく、皆していつまでも………あれがそんな大した人物なもんか。単なる我侭自己中偽善者野郎じゃねえか、ひとりで突っ走るし暴走するし勝手な真似ばっかするし―――」
「君は隊長が嫌いなのか、ライル・ディランディ」
 何気ない問い掛けは。
 ものすごーく嫌そうな表情で返された。
 急に歩調を上げて先頭の刹那を追い越し、一段高い岩に登ったところで青年はこちらを振り返った。幼いこどものように、拗ねていることがありありと分かる態度で。
「ああ! だ―――いっっっ、嫌い! なんだよ!! オレの前であのひとの話をするな!!」
 いっそ天晴なほどに堂々と宣言し、他の四人に背を向けて、彼が張っていた結界を解いた。
 振り返ることも説明もなしにズンズンと進んで行ってしまう背中にアレルヤが「素直じゃないなあ」と呟いた。片目を隠した青年の言葉が真実であることはグラハムにも察せられた。捻くれているくせにやたらと分かりやすい人物なのだ、彼は。
 新しく開かれた結界を潜ると視界はもはや白一色に埋め尽くされていた。ほんの数歩先を行くマイスターの背中がかろうじて見て取れるほど。何の案内もなしに迷い込んだら二度と抜け出せなくなること請け合いだ。彼らは何度も此処に来ているから迷わずに済んでいるのだろうか。少し訊いてみたい気がした。
 ライルの暴言に聊か気分を害したように見えたティエリアではあったが、慣れっこになっているのか怒鳴り散らすことはなかった。眼鏡をかけ直し、つんとした態度で前を向く。
「―――説明が長くなったが、凡その事情は察してもらえただろう。四年前の戦いでドラゴンと、マイスターの長であるロックオンは『亀裂』から現れたモンスターと戦った。結果、モンスターを追い払うことはできたが、こちらも手痛いダメージを負ってしまったのだ」
「それこそが城の天辺にドラゴンが座していない理由か」
「結論はそうなる。だが、ドラゴン―――先代の名はプトレマイオスと言うのだが―――彼が本調子であったならモンスターに押されることなどなかったはずだ」
「つまり?」
「ここから先は、直に現場を見てもらった方が早いだろう」
 素っ気無く告げると歩調を速め、ティエリアは先へ行ってしまった。歩く速度を変えないグラハムばかりが置いて行かれ、話にも付いて行けずに首を傾げることとなる。
 しかし、まあ、後は直に見れば分かることなのだろう。取り敢えず彼らは自分を信用してくれたようであるし、そうである以上、グラハムも全力をもって答えなければならなかった。穿った見方をすれば彼らが揃って嘘を吐いている可能性とてある。『亀裂』から現れるモンスターもまやかしに過ぎず、本当にドラゴンに見捨てられたのだとも、逆にドラゴンの存在を秘匿することで虎視眈々と他国へ軍事侵攻する機会を窺っているとも考えられる。母国にいる研究好きの友人ならばあらゆる可能性を思い憂えたに違いない。
(だが、それはない)
 マイスターに限ってそのような嘘は存在しないと自分でも不思議なほどにグラハムは確信していた。
 黒髪の少年が立ち止まり、これまでと同じように両手を打ち合わせ、押し開くような動作を示す。手招きされ、素直に薄い幕のような結界を潜ったグラハムは驚嘆の声を上げた。
 霧が、晴れている。
 それだけではない。何処までも澄んだ青空と穏やかな風が吹きぬけ、渓谷をなす岩壁は苔を始めとした緑に覆われ、花まで咲いている。正面には深く揺らめく湖が存在していた。湖は風が揺らぐ度に色彩を青から緑へ、緑から薄い黄色へ、黄色から赤へ、赤から紫へと、留まることなく緩やかに姿を変え続ける。まさか、こんな渓谷に、こんなに素晴らしい景色が広がっていたとは。
 結界を張って護るだけの価値はあると、本来の目的を忘れて魅入っている背後に刹那が立った。
「今日は、オレの番だ」
「そうだな。行って来い」
「了解した」
 未だ不機嫌さを残したライルの声に刹那は頷きを返し。
 ―――グラハムを湖に突き落とした。
「うわっ!?」
 咄嗟のことに浮遊の術すら使えずに頭から湖に落下した。しまった、空気さえ充分に吸い込んでいない。慌てて水中で口元を抑えるグラハムの隣に、同じように崖から飛び込んできた刹那が姿を現した。ゆらゆらと短い黒髪が揺れている。
 ちらり、と視線をこちらに流し。
「息を我慢する必要はない。此処は普通の『湖』じゃないからな」
 と、『言った』。
 恐る恐る口から手を離してみた、なるほど、呼吸ができる。身体はふわふわと落ち着かなく浮いており、ともすれば水中にいるのか空中にいるのか分からなくなりそうだ。手を伸ばしても何も掴めるものはないが。
「そうか………水のようではあるが、要は魔力が溢れている状態なのだな。だからこそ息もできるし身体も浮く。しかし、これは人体にとって有害だろう。あまり長居することは推奨できんな、少年」
 黒髪の少年も首肯することで同意を示した。湖に見えたものが魔力が可視化したものであることも、人体にとって有害であることも事実なのだろう。
 大きく腕をかいて少年が更に深く沈んでいく。水中でも、空中でもないのに移動する際の姿勢は泳ぎと同じだ。いまのところ、自由に空を飛ぶための魔法は開発されていない。いつかは自由に空を飛んでみたいと誰もが思えども叶えられたことのない願い。擬似的に空を飛んでいるような感覚に自然とグラハムの頬が緩んだ。
 刹那に続いて奥へと潜っていく。何処まで進んでも澄み切った透明な世界だ。普通の水ならば潜るほどに太陽光が届かなくなり、暗くなるのだが、もとが魔力となれば常識は通用しないようだ。いっそ魚や珊瑚の類がないことが惜しいとすら感じられるほどの。
(あれは………)
 湖の底、即ち渓谷の一角に、ぼんやりと白く淡い光を放つものが見えた。最初は岩かと思ったが、岩があんなに綺麗な楕円形をしているとは思えない。それに、でかい。大のおとなが七、八名ほど両腕を広げて漸く一周できるだろう、やたら大きな白い『卵』だ。ぼんやりと光り輝く内側に何かの『影』が透けている。
 近くで見てみようとグラハムが水を掻く腕に力を入れた瞬間。

『―――見かけない顔だな』

 水中に響き渡った声に動きを止めた。
「誰かいるのか!」
「オレだ」
 警戒を強めるグラハムを余所に少年がしれっと顔で応じる。何処から発せられているのかも分からない声に呆れの色が滲む。
『ああ………今日はお前の番だったな、刹那。けど、オレが言ったのはそっちの金髪の魔道士さんのことだよ。初めて来る客だよな?』
「ああ」
『やっぱりな。きちんと説明してから此処に呼んだのか? すごく吃驚した顔してるじゃないか』
「ライルやティエリアが色々と説明していた。だから問題ない」
 確かに色々と説明は受けたが、百聞は一見に如かずとばかりに肝心なところは流されてしまったのだが………そうグラハムが考えると、思考を読み取ったかのようなタイミングで笑い声が響いた。
『皆が色々と迷惑かけたみたいですまなかった。近衛隊を代表して非礼を詫びよう』
「別に無礼なことはしていない」
『せーつーなー。外の世界じゃ実力を試すとか言って一斉攻撃しかけたりしないんだよ』
 頼むから覚えてくれよ、と、呆れが含まれた声音は何処までも優しい。
『でもって、ええっと、あんたは―――』
「グラハム・エーカー。魔道士教会認定一級だ」
『実力は折り紙つきってこったな。オレの名前はロックオン・ストラトス。こんなんでも一応は近衛隊長をやってる。面倒に巻き込んじまってすまないが、よろしく頼む』
「勿論―――と答えたいところではあるが、生憎と私は未だ事態を理解しきれていない。四年前にモンスターの襲撃があったがためにドラゴンが窮地に陥ったであろうことと、君が戦ったであろうことしか知らん」
 かなり大雑把なグラハムの台詞に対して、ロックオンが「やっぱりお前ら説明してないじゃねえか」と溜息つくことはなかった。さもありなんと頷く気配を滲ませたのみである。
「そもそも、何処を見て話せばいいのか分からん。適当に正面を見据えて話せばいいのかね」
『ああ………こりゃあ失礼した。刹那、案内してやってくれ』
「―――わかった」
 相変わらず抑揚のない声で少年は頷くと、軽くグラハムを手招きした。澄み切った七色の世界を横切り、巨大な『卵』の裏側へと回る。ゆっくりと底に足をつけた。如何な魔力の湖とは言え、もとは渓谷の一部なのだろう。地面はきちんと存在しているという訳だ。
 此処だ。
 刹那が指差した光景を何気なく見遣り、
「………!」
 純粋な驚きをもってグラハムは目を瞠った。
 青年が、そこに居た。
『卵』によりかかって座り込み、剣を抱え、長袖と長ズボンの上に薄緑色の外套を纏う姿はまさしくマイスター。
 瞳は固く閉ざされ、雪が降り積もったかの如く全身が薄く白い膜で覆われている。膜の表面には薄い葉脈とも血管ともつかぬ筋が浮かび上がり、彼の背を支える『卵』へと繋がっていた。
 同化、している。
 身体が溶け合った訳でも、血が交わった訳でもなく、表面を伝う葉脈から魔力の遣り取りがなされている。彼の魔力は『卵』の中へ滾々と注ぎ込まれているのだ。
 ふ、と笑う気配が満ち溢れる。無論、目の前の「青年」の坐像が動くことは決してなかったが。
 古の彫像のような姿をまじまじと見つめたグラハムは、はっと思い立って振り仰いだ。ゆらゆらと揺らめく水面ではない水面が色彩を変える先には。
「ライルの双子の兄弟だ」
「………の、ようだな」
 刹那の言葉に静かに頷いた。何処からどう見ても瓜二つ、間違いようもなく同じ血が流れていると分かる。それでも受ける印象が異なるのは、短時間とは言え、ライルと話したからだろうか。外見や声が似通っていても魂まで同一とは限らない。
『見苦しい姿を晒すことを許してもらいたい。本来ならあんたにはきちんと礼をすべきなんだが―――」
「構わない。このような場で礼儀を持ち出すほど石頭ではないつもりだ」
 そっと視線を隣へと流すが、黒髪の少年は静観してくれるようだ。用心深く、寡ほどの影響も与えぬように注意しながら、一歩ずつ青年のもとへ近づいた。下手に衝撃を起こしてみろ、『卵』も青年も崩れてしまうかもしれない。非常に精神に悪い想像を頭の端っこにちらつかせつつ、グラハムは彼の前に片膝ついて座り込んだ。
 正面から見詰めても、当然の如く彼の目が開くことも、表情が変わることもなかった。
『………亀裂ができた時、丁度、プトレマイオスは生まれ変わるところだった』
 静かな声で彼は語る。
『ドラゴンの生涯で最も無防備になると伝えられる瞬間だ。連中がそれを知ってやって来たのであれば流石と言わざるを得ない。実際、刹那たちはいなかったし、結構危なかったんだよな』
「しかし、勝ったのだろう? でなければアザディスタンは存続していない」
『勝ったさ。けど、力が極端に落ちた状態じゃ敵を追い返すのが精一杯で、亀裂を塞ぐまでには至らなかった。おまけに魔力を使い果たして、危うく転生すら失敗するところだった』
「故に、君が代わりの魔力を提供したのか」
『あの場にはオレしかいなかったしな。ま、提供っつーよりは繋ぎ目の役割を果たしただけだがな』
 あまりにも呆気羅漢と応じられて頭が痛くなった。
 彼らも散々言っていたようにドラゴンは特殊な生態系をしている。人間とは成り立ちからして次元レベルで異なるのだ。その、次元が異なるドラゴンの「転生」は人間の脳では理解しきれない複雑な分解・再構成を行っていたはずで、如何に優れた魔道士であろうとも巻き込まれればただではすまないと思われる。グラハムはドラゴンのことはあくまでも書物や噂で学んだ程度の知識しか持ち合わせてはいなかったが、それでも、眼前の青年が曲がりなりにも「身体」を維持し、ましてや言葉を交わすことができるのは奇跡的だと思われた。
「………既に君の仲間が何度も問うているであろうことだが、敢えて私も問おう。君はそこから離れることはできないのか。どう考えてもこの魔力の湖は人体にとって有害だ」
『ドラゴンの魔力だからな、相応の覚悟はしてる。でも仕方がない。うっかり転生の現場に踏み込んじまったお陰で、いまオレが身体を離したらドラゴンが壊れるか、オレが壊れるか、ふたつにひとつだ』
 どっちも御免被りたいとぼやく彼は一応事態の解決策を探っているのか否か。
 心配してもらう必要はない、そろそろ決着がつくからと密やかな笑いが続けて起こる。
『近日中にドラゴンは目覚める。だが、おそらくはそれを狙って連中も異界から訪れる。人間がもぎたて野菜とか獲れたての魚を美味いと感じるように、あいつらも生まれたてのドラゴンが何よりもお気に入りなんだろう』
「非常に分かりやすい例えではあるが、その場合、君もモンスターの標的になるのかね」
『メインディッシュの前のオードブルぐらいにはなるかもな』
 暢気な台詞を聞いて背後の少年が眉を顰めた。道中、マイスターが彼の話題で花を咲かせていたことを思い出す。現実に話してみると確かにロックオンは気持ちのよい青年であった。物凄く―――物凄く、何処か一部分で、大事なものが欠けているようではあったけれど。
(これもドラゴンの呪いによるものと考えれば皮肉なものだ)
『ところでさ。あんたに頼みたいことがあるんだ』
「何だね」
 自らの思考に没頭しかかっていたグラハムは脳内に呼びかけてきた声に面を上げる。困ったように笑う青年の姿が動かぬ坐像に重なって見えた。
『外のことを教えてくれないか。刹那たちも色々教えてはくれるが、やっぱり、全く異なる立場から世界を見てみたい』
「君の暇つぶしになるのであれば付き合うのも吝かではない。しかし、何処から話せばよいのか」
『手間は取らせないさ。何処でもいい、オレに触れてくれないか』
 身動き取れない相手の提案に多少の迷いを覚える。何となく傍らの少年を伺い見てしまったが、態度にも表情にも変化はない。つまりこれは青年の「いつも」、ということか。
 青年と向かい合う態勢で屈み込み、僅かな躊躇の後に額と額を触れ合わせた。至近距離で見つめる肌は生きているものとは思えぬ白さを湛えている。陶器のようになだらかな額は、しかし、触れている内にじんわりとした熱を伝えてきた。ああ、生きている。『目を閉じてくれ』との頼みに従って素直に瞼を下ろした。
 腕を掴まれ、水底に沈むような感覚を得た直後。
(これは………!)
 脳裏に広がった壮大な光景に息を呑んだ。
 空だ。
 空を、飛んでいる。ドラゴンの優雅な白い翼が風を切る。赤く輝く瞳、輝く鱗、長い尾っぽと両手足の鋭い鉤爪。道行く人々がこちらを見上げて笑っている。城の一画では皇女と侍女が並んで談笑し、中庭ではマイスター達が鍛錬に励んでいる。翼持つ者の来訪に気付いた魔道士たちが振り返り、手を振った。刹那も、ティエリアも、アレルヤも、ライルも。
 穏やかに微笑んでいる。何の不安もないと言うように。
 いま、目にできる限り、世界は輝いていた。
『―――なるほどな。いま、外はそんなことになってんのか』
「………っ」
 やたら近くで響いた声に反射的に目を開けた。当然のことながら先刻までの風切る感覚も微笑む人々の映像も遠のいてしまい、グラハムは素直にそのことを「惜しい」と感じた。
 くっつけていた額を離してまじまじと目の前の青年を見遣る。
『ありがとう。お陰で色々と分かったよ』
「―――あの映像は」
『折角だから、お返しにオレの記憶の一部を見せたんだ。どうだ? ドラゴンは雄大でかっこよかっただろ? あんな姿を見ちゃったら、何が何でも護らなきゃと思うよな』
 彼の声が誇らしげに響く。
 記憶の一部を垣間見せたのは純粋な彼の好意だろう。一方的に記憶を拝借するだけでは悪いと感じたのか、いや、そもそもグラハムは「どの」記憶を見られたのか察知できていないし、何を見られたところで恐れることはないと開き直ってもいるのだが、もしも不満があるとするならば。
 ぐ、と両手で彼の肩を掴んだ。
「君が見せてくれる記憶は一部だけか。できれば私は、君の笑顔が見てみたい」
『………は?』
「さっきの映像に他の近衛兵の姿はあったが君の姿は見当たらなかった。私からどのような記憶や知識を搾取しても構わんから、君が笑っている姿を再生してもらいたい」
『そう言われても………二十歳すぎた男が鏡みてニンマリ笑ってる記憶なんてそうそうねぇよ。顔だけならライルと同じなんだから想像で、』
「想像では足りないから頼んでいるのだ! さあ、早く!』
『ちょ、待て、おいっ!』
 グイグイと容赦なく額に額を押し付けると相手の困惑が深まった。両肩を握り締め、額をくっつけるだけに飽き足らず、いっそ抱き締めてしまえば手っ取り早いのかと身を乗り出したところで。
 首根っこを掴まれて強制的に引き剥がされた。
 無論、犯人は刹那である。さっきまで静観していたはずの少年は瞳に不満の色を滲ませて、淡々としながらもちょっとした緊張を孕んだ台詞を吐いた。
「行くぞ。―――長居するのはよくない」
『刹那ぁ! 助かったぜ』
 強引に押したのは事実だがそう言われると落ち込むではないか。
 むすったれたグラハムに構うことなく刹那が首根っこ掴んで浮上していく。彼が腕をかく毎に遠ざかって行く坐像に、ひらひらと暢気に手を振る青年の幻影が重なった。
「理不尽だ! 私は納得していないぞ!!」
「あいつに負担をかけるな」
 ピシャリと我侭を封じられて流石に黙り込む。仕方がない、今回は諦めよう―――あくまでも今回は。
 それでも尚、未練たらしく、グラハムは最後までずっと湖の底に視線を向けていた。




 今日は、城に戻らずにこのまま野宿することになった。彼らの夢に現れたロックオン曰く、ドラゴンの目覚めは間もなくらしい。泊り込みになるが構わないかと刹那に問われたがもとよりグラハムもその心算であった。『亀裂』から現れるモンスターの実力も数も未知数である以上、戦力を分断することも危険だ。
 アレルヤが持ってきた荷物から食材を並べ、ライルが火を起こし、ティエリアと刹那が雨曝しを防ぐために作られた掘っ立て小屋の様子を確認する。グラハムも手伝おうとしたが、客人にそこまでさせられないとやんわり断られた。
 周囲の地形を確認し、食事の準備を整えている間に日が暮れる。結界のお陰もあって周囲は充分にあたたかく、小さめの岩に座れば後は焚き火のみで事足りた。
「―――そういや、あんたはここに何しに来たんだ」
 夕食のスープに口をつけながらライルが問いを発する。グラハムの右手にはライルが、左手にはアレルヤが、正面には刹那とティエリアが並んで腰掛けている。
「何、とは何だね。私は教会の要請を受けて訪れたのだ」
「オレを見て違うとか何とか言ってたろ、今更、誤魔化すな。こっちだってほとんど手の内を晒してんだから」
 ふぅむ、と顎に手を当てて考え込んだ。
 彼らに話すには聊か私事過ぎると控えていたのだが、話したところで困るものでもない。抱えていたスープの椀を膝へ落ち着けた。
「君の言うことも尤もだ。だが、特に深い理由はない。私はひとを探していただけだ」
「探し人? この国にいるんですか?」
 アレルヤの問いに肯定を返す。
「十年以上も前の話になるが、この西の渓谷でモンスターに襲われた際に、私を助けてくれた少女がいるのだ。残念ながら名前すら聞いていないのだが、あの実力からしてアザディスタンの民であることに間違いはない」
 傷つき倒れたグラハムを庇うようにジンクスの前に飛び出し、剣を一閃させただけであっさり撃退してみせた。軽やかな身のこなしは自らが負った傷の痛みを忘れ去るほどに鮮やかで。
「十年前か。じゃあ、外見も随分変わってるかもしれねぇな。シーリンもあれで結構な使い手なんだが」
「ついてねえなあ、あんた。探す余裕もなくこんな修羅場に借り出されてよ」
 にんまりと柄の悪い声を挟んできたのはハレルヤだ。急に人格を交代するのはやめてもらいたいが、彼らの癖ならば致し方あるまい。
「戻るか?」
「町に戻ればそれなりに情報収集ができるでしょう。マリナ皇女もあなたへの助力は惜しまぬはずです」
 少年たちの気遣いの言葉に、それには及ばないと笑う。やはりと言うか意外にもと言うべきか、結局みんなお人好しなのだ。
「ご厚意感謝する。しかし、私は私自身の手で見つけ出したい。無論、ドラゴンと彼を護りきった後でな」
「大層な自信家だ」
 呆れたようなライルの苦笑混じりの声に、それが私だと堂々とのたまった。
 食事を終え、見張りの順番を決めて残りのメンバーは適当にごろ寝することになった。一応、掘っ立て小屋はあるのだが、マイスター達も大抵は小屋を使わずに外で眠っていると言う。
 きっと、落ち着かないのだ。湖でドラゴンと共に眠る青年は全く気付いていないようだったが、彼はたぶんにマイスターからドラゴンよりも慕われている。聞くところによると、隊長の来訪を諸外国から要請された際にはなんやかんやと理由をつけて断るか、どうしても断りきれない場合には他のマイスターが赴くことで取り繕ってきたらしい。四年もの間、隊長の不在に気付かれぬよう裏工作をしてきたのも、全ては彼が戻ってきた時のために違いない。不在を理由に近衛隊から除籍された場合、彼は「仕方ない」の一言を置いて出奔してしまいそうな印象があった。
 適度な仮眠の後に周囲を見回すと、湖を正面から望める岩に刹那が腰掛けているのが見えた。空は深く、濃い黒の中に宝石のような星と月を散りばめて周囲の険しい岩山を仄かに浮かび上がらせている。ゆっくり背後から近づくと「お前の番はまだ先だ」と切り捨てられた。「目が覚めてしまったのだよ」と言い返し、清涼な空気で胸を満たした。
 適度な距離を置いて並んで岩に腰掛けるが、視線が交わることはない。少年は只管に正面の湖を見詰めている。
「………君たちは本当にドラゴンが好きなのだな」
 返事を期待せずに語り出す。
「諸外国を練り歩いていてもアザディスタンほどの信仰に出会うことはない。無論、ドラゴンが希少生物ということもあろう。生まれた時から城の天辺に座すドラゴンを見てきた君たちとは異なり、我々は下手すれば一度もドラゴンを目にすることなく生涯を終えるのだ。書物や伝承で幾ら姿を見聞きしようとも目の当たりにしなければ実感には程遠い」
 平穏な地域に住んでいる者になるとモンスターの存在さえもよく知らぬことが多い。それでも、モンスターはレベルの差こそあれ各地に点在していたし、旅をしようとなればモンスターに抗する術を持たねばならぬ。故にこそ魔道士教会という聊か胡散臭い組織も出来上がったのだが―――いずれにせよ、現時点で存在を確認されているドラゴンはアザディスタンの一体のみだ。その一体こそが、いまの問題の根源なのだけれど。
 ロックオンが見せてくれた過去の映像を思い返す。空を舞う雄大な翼。毎日のようにあの凛々しくも美しい光景を目の当たりにしていたならば自然と信仰心も育てられよう。
「………ドラゴンは、オレたちにとって特別な存在だ」
 期待していなかった答えが細々と返ってきた。相変わらず視線は真っ直ぐに前を向き、他を見ることはない。未だ幼さを残す少年の面が湖の光を受けてぼんやりと浮かび上がる。
「外でどう言われているかは知らない。ドラゴンの残虐性を伝える伝承があることも知っている。だが、奴は常にオレたちを護ってくれた。オレだけじゃない。ロックオンもだ。あいつがまだ小さかった頃、プトレマイオスが奴の家族を護ってくれたらしい。だから、アザディスタンに住むことを決めたのだと」
 あの双子はアザディスタンの民ではない。ずっと前に移住してきた異国の人間だ。何処から来たのか、此処へ来る前は何処にいたのか、決して語ろうとしない。ライルに至っては幼い頃のことはほとんど記憶していないと言う。以前ふざけて話していた「兄さんがオレの記憶を消したんだ」との言は真実なのかもしれず。
 刹那の言葉に意外の念を禁じ得なかった。ならばあの青年は、異国の民でありながらドラゴンに心酔したのか。雄大なる姿と、家族を救ってくれたとの恩義からアザディスタンに仕えることをよしとしたのか。そしていま、家族を救われた恩を返すべく我が身を投げ打ったのか。
 彼の行動を偽善的な行為とも独善的な行為とも謗ることは容易い。だが、おそらくは、実際には。
「ロックオンは―――何も考えていない」
 何度同じ選択肢を示されても、常に同じ行動を取る。
 悔いるような責めるような色を乗せて少年は抱え込んだ膝に僅かに面を伏せた。
「………オレたちが戻ってきた時、谷はひどい有様だった。モンスターと戦った痕跡と、転生の準備に入ったドラゴンと、取り込まれかけたあいつだけが居て、すぐに魔力が満ちて辺りを湖へ変えてしまった。奴が『声』で無事を知らせてくるまでオレたちは一睡もできなかった。なのにあいつは、ひとの気も知らないで、」
 ―――お前たちはできるだけ此処に近づくな。ドラゴンの魔力に浸りすぎるとまずいだろ。
「初めて………オレは………憎い、と、思ったんだ」
 歯を食い縛るようにして零された言の葉を、グラハムは黙って聞いていた。
 彼らが部外者である自分に色々と教えてくれるのは、親切だからとも、お人好しだからと思っていた。だが、そうではなかったのかもしれない。
 限界が近いのだ。
 仲間たちと苦しみを分かち合っても、肝心な人物は一番大切なことを理解しない。身内で慰めあっても、互いに互いがつらいと分かっていれば愚痴さえ零せなくなっていく。偶々訪れた旅の魔道士―――ある程度は信用できる―――に現状を知らず知らずに訴えてしまうのは、彼らの中に鬱積したものがあるからに他ならなかった。
 東の空が微かに白んできている。もう、朝が近いのだ。
 だが、憎んだ対象がドラゴンであれ、彼であれ、自分自身であれ、君たちがいるからこそ彼も我侭を言えるのだと。
 告げようとした言葉は紡がれることはなかった。
 甲高い音を立てて、空に『亀裂』が現れたからである。
「―――!」
 明らかな異変に眠っていたマイスターたちも飛び起きた。空が裂け、伝わる振動で地面が揺れる。湖が激しく波打ち身体にまでビリビリと痺れが走る。

 バリッ………!!

 鈍い音と共に中空から巨大な『腕』が出現した。先端に鋭い鉤爪を備えた四本の指が、きりきりと関節ごと回転しながら突っ込んでくる。
 腕だけで何メートルあるか分からぬ『大物』は狭い穴を潜り抜けるように次いで『頭』を覗かせた。カシカシカシカシカシカシと小刻みな痙攣で歯を震わせながら赤い三つ目が方々を向く。頭上に頂く八本の角には古のルーン文字が刻まれていた。

 バン!!

 周囲に張られていた結界と『大物』の腕が衝突する。途端、アレルヤが苦悶の声を上げた。
「っ………! 駄目だ、もたない………!!」
「堪えろ、アレルヤ!」
 ティエリアが叫び、刹那が剣を構える。間際をライルが駆け抜け、抜き放った剣を湖の波打ち際に突き立てた。途端、湖の上に結界が張り巡らされる。守りを強化したのだ。
 一拍置いて最初の結界が破れ、アレルヤが片膝をついた。即座に天を振り仰いだ彼の瞳は金色に塗り換わっている。不敵に笑いつつも顔色の悪さだけは隠しようもなく。
「野郎―――余程の大物らしいな!」
「次が来るぞ!」
 衝撃に備えてティエリアが剣を大地に突き立てた。
 鈍く、重い音を立てて『大物』は右手を結界外の渓谷に打ち当てた。重みに耐え切れず崩れた岩石が散らばり、それでも尚、全身が現れきってはいない。図体と比較して明らかに狭い『亀裂』に左手の先端を捻じ込ませ、強引に左腕が這い出てきた。
 再び結界とぶつかり、激しい衝撃音が響き渡る。今度はティエリアの結界とぶつかったのだ。眼鏡をかけた少年がきつく唇を噛み締め、寸でのところで持ち堪える。結界とぶつかることで敵もダメージは受けている。証拠に、肉が焼け焦げる嫌な匂いと、ぶつかり合いによる激しい光が周囲を真昼のように照らし出していた。だが、痛覚が存在しないのか、結界すらも足がかりとして『大物』は愈々上半身を『亀裂』から抜き出そうとしている。
 結界の強化に余念がないライルがモンスターを忌々しげに睨み付けた。
「ソレスタル・ビーイング………!」
「あれが、『異界の天上人』ソレスタル・ビーイングか!?」
 驚きと共にグラハムは宙を見上げた。ドラゴンと同じく伝承にのみ語られるモンスター。まさかこの目で見ることができるとは―――状況が状況でなかったら魔道士の探究心を擽られただろうに。
「行くぞ!」
「了解した!」
 刹那の合図にあわせ、グラハムも剣を鞘から解き放った。ハレルヤが両の拳を打ち合わせる。ドラゴンの護りはティエリアとライルに任せよう。未だ敵の全長は定かではないが、待ってやる義理はない。
 フラッグに力が満ちるのを待ち、結界から飛び出した。刹那が右側に、自分が左側に回りこむ。切り立つ岩を駆け上がり、跳躍。いま正に結界と触れ合っている腕に着地すると一気に駆け上がった。敵は未だ狭い『亀裂』を潜り抜けられずに苦しんでいる。狭間から覗いた肩口に斬り付けた、が。
「っ………流石に、硬いな!!」
 渾身の力で斬り付けたにも関わらず、僅かに食い込ませることが精一杯。同様に右の肩に駆け上がった刹那が勢いよく剣を突き立てる。
「斬るのは無意味だ! 突き刺せ!」
「―――ならば私の剣の意味はあまりないと言うことだな!」
 もとよりグラハムの剣は『斬る』ことを一義としている。突き立てる機能に特化してはいない。
「セブン・ソード!!」
 刹那の声に応じ、『エクシア』が七対の剣へと変化する。各々がソレスタル・ビーイングの肌に突き立ち、その中央で少年は手を組み合わせた。そのまま両腕を肌に叩き込むと剣を通じて魔力が敵の体内へ直接注がれる。

 ヴァアオオオオオ………ッッ!!

 モンスターが『鳴いた』。激しく両腕を振り回され、慌てて退避する。刹那は未だ肩にしがみ付いたまま踏ん張っているが長くはもつまい。手近な岩場に着地したグラハムは剣を鞘へ戻すと改めて両手を打ち合わせた。剣が使えぬ以上、純粋な魔力で戦うしかない。
 右手と左手の拳に等しく魔法円を描き、隅々まで力を漲らせる。全身に魔力が行き渡るのを感じた。だが、あの大物相手ではこれでも不十分だ。更に精神を集中すべく古の言霊を紡ぎだす。
「カイザード・アルザード・キ・スク・ハンセ・グロス・シルク!」

 バギィッ………!!

 虚ろな音と共に『亀裂』が更なる広がりを見せ、下で耐え忍ぶティエリアが苦悶の表情を浮かべた。高く舞い上がったハレルヤが拳を敵の頭部に叩き込む。
「てめぇは引っ込んでろ!!」

 ヴィイイイイイイ………ッッ!!

 赤い三つ目から緑色の涙が流れる。零れ落ちた等身大ほどもある雫は、ジュッ! と音を立てて触れたものを溶かす。強烈な酸だ。滴り落ちる涙は度重なる衝撃でできたティエリアの、ライルの、刹那の結界の綻びをすり抜け、流れ着いた地面を深く抉る。涙の一部が湖と混ざり合い、激しく明滅した。大半はライルの張り直した結界で防がれていても多量の酸が流れ込めばどうなるか分からない。
「ハレルヤ! おそらくこいつは―――!!」
「血にも同じ効果があるってんだろ! ったく、めんどくせぇ!!」
 ライルの叫びにハレルヤが答える。と、なれば、ますますもって剣で切ることは難しい。刹那のように相手の体内から攻撃するのは有効だが、
「………っ!!」
 大暴れする腕から振り落とされた刹那が岩場にもんどりうって倒れ込んだ。すぐさま起き上がった彼の額には血が滲んでいる。やはり、あの大物にしがみ付いたままでいるなど至難の業だ。
 そうとも。斬り捨てるにも難く、近づくことさえ容易でないと言うならば。
 血液ごと蒸発させてしまえばいい。
「灰塵と化せ冥界の賢者! 七つの鍵を持て、開け地獄の門!」
 組み合わせていた手を解き、突き出したてのひらの間で狙いを定める。気配を察した刹那とハレルヤが場を退いた。
 キョロリとした三つ目がこちらを捉えるより早く。

「<七鍵守護神(ハーロ・イーン)>―――!!」

 放たれた光弾がモンスターの頭部を吹き飛ばす。本体から切り離された右腕が宙に浮かび、即座に塵と化す。『亀裂』から這い出しかけていた上半身と左腕が白んできた空に不気味に影を残す。血さえも流さぬ虚ろな断面が風に晒されて。
「………やったか?」
 誰もが動きを止めて事態を見守る。動かなければいい。動かなければ。上半身の半ばを喪失してまで生きているモノがいるとは思えない。
 だが。

 ボゴッ………

 泥濘から沸き起こる濁流の如く。

 ボゴッ………ボゴボゴボゴゴゴ………!

 平らな断面が歪に盛り上がり、葡萄の実の如くせり上がった部分が幾つもの塊を成しながら分裂を繰り返す。長く伸びた部分がギュルリと回転して腕に、分厚く伸びた塊が先端から赤い舌を出し、白い骨を創り、三つ目をなし、筋肉と化して面を覆う。閉じられた瞼を開くと瞳が赤光を放った。

 ヴァオオオオオ―――………ン………

「―――とんだ再生能力だ………っ」
 強く、グラハムは拳を握り締めた。手加減はしなかった。周囲のマイスターさえ消し飛ばしかねない危険を冒してまで繰り出した術だと言うのに、簡単に復活されては立つ瀬がない。より攻撃力の高い術とてあるにはあるが、やれば確実にマイスターどころかアザディスタン全土を巻き込んでの自爆技にしかならなかった。
 くるくるくると喉を鳴らしながらソレスタル・ビーイングが重たい身体を前へと倒す。一番太い部分は両肩だったのか、逆三角形の腰までがぼっかりと暗い『亀裂』の中に覗いている。
 振り上げられた巨大な腕が凄まじい速さと勢いで結界に叩きつけられた。
 か弱い音を立てて薄く透明な幕が飛び散る。
「ぐっ!!」
 衝撃を堪え切れなかったティエリアが胸元を抑えて膝をつく。残っていたライルの結界と刹那の結界も軽く腕を振り回すことで打ち破り、ゆっくりと、しかし確実に、モンスターの腕は湖へ伸びる。残されたのは、ライルが新しく張り直した結界のみだ。
 衝突はすぐに訪れた。
 視界を焼き尽くすような閃光と轟音が辺りを席巻する。
「ライル!!」
 刹那の叫びが遠くに聞こえた。
 青年はかろうじて堪えている。敵がソレスタル・ビーイングと見て取ってから即座に守りを固めたのだ、すぐに破られることはない。だが、長くは持たないであろうことも彼が大地に突き刺した剣が震える様からも見て取れた。
 強く眉間に皺を寄せた青年が叫び返す。
「こっ………こっちは問題ねえ! だから早く、そいつを追い返せ! 攻撃が効いてねえ訳じゃねえ、怯んだ隙に向こうに押し込んで『亀裂』を閉じろ!!」
 ライルの言葉は正論だ。正論だが、どうすればいい。
 上半身を『亀裂』から乗り出したモンスターは長く伸びた赤い舌から毒性の唾を吐き散らし、痛みも感じていないのか、両腕を結界に叩きつけて苦悶とも歓喜ともつかぬ叫びを上げ続けている。刹那が斬りつける、ハレルヤが殴りつける、立ち直ったティエリアが術で攻撃し、グラハムとて技を繰り出している。その都度、敵にある程度のダメージは与えているのだが、すぐさま復活してしまう。奴の力の源は何処か、『亀裂』の向こうか、完全に力の供給を経つためには誰かが『亀裂』に飛び込まなければならないのか。誰がいるのか、何が控えているのか分からぬ処へ。
 荒い足音を立てて近くに着地したハレルヤが皮肉げに頬を歪めた。
「見たくもねえもんが見えちまったぜ………!」
「どうしたのかね」
「『亀裂』の向こうでジンクスやリアルド達がいまかいまかと待ち構えてやがる。連中、オレらを排除したら一気にこの世界の侵攻に取り掛かる予定らしいぜ」
 熱心でたまんねえよなあ! と吐き捨てる彼が苛立っているのが分かる。
 方々に散っていたマイスターも自然と同じ場所に集結しつつあった。
「………仕方があるまい!」
 グラハムは意を決し、剣を鞘へと収めた。三対の視線が注がれる。ライルの様子を気にかけながら、グラハムは己が胸を叩いた。
「私が『亀裂』の中へ行こう! そこで術を使う、その隙に君たちは『亀裂』を閉じて………」
「はあ!?」
「何を馬鹿なことを」
「下手すればお前まで『亀裂』に取り残されるぞ」
 そうしたら誰も助けてやれない、そもそも何だって一番関係性の薄いお前が命を張らなければならないのかと口々に言い立てられる。
 命を賭けて戦う理由なら幾つかある。だが、一番は、
「負けたくないからに決まっている!!」
 堂々と宣言すると、呆れたような視線が返された。
 別に呆れようと何だろうと構わないので、とにかく自分を『亀裂』まで運んでくれないか―――その、グラハムの提案は、実行されることがなかった。
 勢いよく振り下ろされた『異界の天上人』の腕が、とうとうライルの結界を突破したからである。
「しまっ………!!」
 腕が湖に触れる。肉が焼ける匂い、モンスターの悲鳴、融ける身体すらも気にせずに腕はズブズブと水中深くへ沈む。七色に煌いていた湖は発光を止め、暗く、深い蒼へ、やがてヘドロのような緑とくすんだ赤へと変化していった。

 ザザバザバッ!!

 道端の小石を摘む如く無造作に、肉が落ち、骨だけと貸したソレスタル・ビーイングの手が白い繭を拾い上げた。水中で見た時は大きいと思えたそれさえもモンスターの手にあるいまは何と小さく感じられることか。
「兄さん!」
「いかん!!」
 各々が武器を携えて阻止すべく動いた、時。
 定まらなかった三つ目の視線が真っ直ぐにマイスターを見詰め、煌いた。
 咄嗟に飛び退き、直後に激しい衝撃が辺りを襲う。ジュウジュウと焼け爛れる岩壁が、モンスターの目から放たれた熱線の威力を示していた。直撃は回避したものの全員が余波をくらって地面や岩に叩きつけられた。いままでは手加減していたのか、なんと憎たらしい。
 幼子が大好物のお菓子を食べる時のように、ぽっかりと開いたソレスタル・ビーイングの口が繭を飲み込もうとする。だが、その牙は、繭から放たれた一筋の光によって阻まれた。
『デュナメス!!』
 聞き覚えのある声、おそらくそれは、グラハムよりもマイスターの方が余程に。
 極短詠唱の呪文が紡がれ、疎らに降り注ぐ光の矢がモンスターの顔に突き刺さる。決して致命傷にならないそれは、けれどもモンスターにとっては煩わしいものらしく、赤ん坊の泣くような軋んだ声を導き出した。
 多少の痛みは我慢することにしたのか、今一度、ソレスタル・ビーイングが大口を開ける。
 攻撃で一時的に敵の動きが止まれども威力はグラハムの呪文には劣る。頭部の大半を消し去っても相変わらず繭はモンスターの掌中にある。ゴボゴボと不快な音を立てて甦るモンスターの頭部。
「………兄さん!」
 痛む身体を押して立ち上がる、巻き上がった砂埃のお陰で何処に誰が居るとも知れぬ世界で、ライルの声、が、
「頼む兄さん、もうやめてくれ!! これ以上魔力を使ったら―――『あんた』が消えちまうっっ!!」
 響いて。

『七つの鍵を持て、開け地獄の門! ―――<七鍵守護神>!!』

 留まることなく紡がれた呪文が僅か、モンスターの頭部を繭から遠ざける。立ち上がった両足は疲労と痛みから震えている。そして、グラハムは確かに、モンスターの顎と白い繭を遮るように佇む、青年の姿を捉えたのだ。眠っていた時と同様に白い蔦を面に這わせたまま、彼はこちらを振り向いた。
 ―――『喰われた』ことを示す、「何もない右目」を晒して。
「やられたままでいる気か、お前ら!! ………もうすぐだ! もうすぐなんだよ!!」
 抜き放った剣で復活しかかった頭部をもう一度吹き飛ばし、叫ぶ。
「時間を稼ぐ!! 刹那! ハレルヤ!」
 途端、離れた場所に居たふたりが弾かれたように駆け出し、揃って繭を掴んでいた腕に斬り付ける。苦悶の声。重力に従い落下し始めた繭を、
「ティエリア!」
「わかっています!!」
 素早く印を組み替えた少年がやわらかな結界で受け止めた。傍に着地した青年、ロックオンこそが痛みを与えた張本人であると認識したのか、空いている片腕をモンスターが振り下ろしてきた。激突の寸前、割り込んできた薄緑色の外套が剣で攻撃を受け止める。
「………あんたはいつも勝手すぎる!!」
「ライル!」
 双子の弟の加勢に青年が笑顔を浮かべた。咄嗟に駆け出したグラハムもふたりの傍らに馳せ参じた。至近距離で、グラハムとロックオンの視線が絡み合う。
(―――………)
 ふわり、と。
 胸に飛来した感情をなんと呼ぼう。
 すぐさま視線はそらされて、感情の正体を掴むより先に、背にした白い繭が眩い光と熱を放ち出したことに気付く。
「グラハム!」
「承知した!」
 何をしろと頼まれた訳でも、具体的な行動を命じられた訳でもない、なのに何故か、ロックオンの考えが読める。たぶんにそれはマイスターにおいても例外ではない。確かな言葉として綴られずとも名前を呼ばれただけで理解してしまえる時があるのだ。
 片目を失くした青年が印を組む横で、全く同じ呪文をグラハムも唱える。
 刹那がソレスタル・ビーイングの右腕を切り落とし、ハレルヤが左腕を叩き潰す。聞くに堪えない苦悶の声を余所にティエリアが『亀裂』の傍にナドレによる結界を広げ、ライルが詠唱を助けるべく弾け飛んでくる岩石を叩き落す。
 詠唱が、終わった。

「―――<七鍵守護神>―――!!!」

 二重の光が敵に突き刺さり、両腕を失くした上半身を『亀裂』ギリギリまで追いやる。ボコボコと不気味な胎動を続ける肉体が懲りずに再生しようと細かな痙攣を繰り返し。
 直後。
 背後であたたかな光が漏れ出す。朝日と被さるように、白く、透明な、清浄な空気が一瞬にして広がり。

 パキィ………ン………!

 はらはらと降り注ぐ硝子のような繭の欠片たち。身体が風に吹かれて浮かぶ、地面に影が刻まれる、未だかつての姿には程遠くとも、力強い爪と牙と翼を携えた真白き存在が高々と鳴いた。
 振り仰げば、一際高く首を仰け反らせたドラゴンの幼生の口元に眩い光が集中し。
 あれは、かの有名な―――!

 ―――『ゴッド・ブレス』!!

 放たれた一撃が跡形もなくソレスタル・ビーイングの上半身を消し去る。『こちら』に残された身体がなくなったと見てティエリアが即座に叫んだ。
「ナドレ!!」
 宙を舞った剣が『亀裂』を狭めるべく突き刺さる。
「<ケルディム>!」
「<エクシア>―――セブン・ソード!!」
「行け、<キュリオス>!!」
 ライルが、刹那が、そしてハレルヤと入れ替わったアレルヤが、各々の武器に力を篭めて『亀裂』を封じる。ギチギチと嫌な音を立てながら閉じていく世界の向こう、再生しかかったソレスタル・ビーイングの恨めしげな瞳が確かにこちらを睨んだ。
 しかし、それ以上のことはなく。
 太陽の光が差し込む渓谷に静けさが戻った。結局は孵り立てのドラゴンが最後を締めたなと、納得できるような自力で解決したかったような複雑な心境を抱えつつ隣を見遣ると、これまた復活したての青年と目が合った。もう、彼の面は何にも覆われてはいない。ただ、ドラゴンに自らの魔力を与え続けた結果として喪われた、空虚な右の眼窩を除いては。
「一段落ついたな」
 にっこりと笑う。その表情に、知らず見蕩れた。
 すぐさま彼の視線は久方ぶりに生身で対面するであろうマイスターへと逸らされた。刹那は憮然とした表情で、ティエリアは泣きそうな顔で、アレルヤは笑顔で、ライルはそっぽを向いて。
 ロックオンは伸ばした腕で刹那とティエリアの頭を同時に撫ぜる。
「よう。こうして会うのは久しぶりだな。やっぱりお前ら、かなり背が伸びたんだな」
「………まだ、お前の方が高い」
「ロックオン、あな、あなたというひとは、本当にいつもなんて無茶を………!!」
 ギュムウと年少組が青年にしがみ付いた。両脇からがっちり抱きつかれて身動き取れぬまま、青年はアレルヤに笑いかける。
「アレルヤ、ハレルヤ、助けてくれてありがとな」
「気にしないでください。僕たちが好きでやったことですから」
「それでも有り難かったよ、オレは。あと―――ライル」
「………なんだよ」
 あらぬ方を向いていた青年が忌々しげな表情と共に振り向いた。一番彼から離れた場所に立っているのはライルなりの照れと意地の表れだろうか。尤も、何をどう繕ったところで、彼の本心は先程の戦いの中でばれてしまっているのだけれど。
 手がもう一本あったらお前の頭も撫でてやるんだけどなあ、とやっぱり暢気なことをロックオンは呟いて。
「そんなに怒らないでくれよ、ライル。オレが悪かった」
「何が悪かったか分かって言ってるのかよ。自覚してないくせに謝罪されたって嬉しくねーんだよ」
「うん。だからさ、お前たちに心配かけて悪かったって」
「―――やっぱり分かってないだろ!」
 きつく眉根を寄せたライルがつかつかと歩み寄る。両腕を刹那とティエリアに取られて反撃できない兄の頬を思い切り抓り上げた。
「いっ、いひゃい! いひゃいぞ、ライル!」
「黙れ鈍感、阿呆、馬鹿、間抜け、頓珍漢!」
「おま、それが、あひにたひして………」
「治らないじゃねえか………これっ………!」
 泣きそうな顔をして、彼は、兄の右目を手で擦った。きょとんとしていた兄は、少ししてから困った顔をして、「やっぱりごめん」と呟いた。
 何とも言えない沈黙が満ちかけた場に空から優しい風が送られる。地に刻まれた影に揃って顔を上げると、やや離れた上空でのんびりとこちらを見詰めているドラゴンが居た。
「ああ―――そうだ。あいつにもちゃんとお礼を言わないとな」
 ロックオンが左手を差し伸べると、誘われたように白いドラゴンが舞い降りた。緩やかに流れる風が各人の髪と外套を靡かせる。先日見せてもらった記憶の中のドラゴンより小さいのは、即ち、「成体」ではなく「幼生」だからだろう。
 赤い対の瞳を瞬かせてゴロゴロと甘えた声を出す。伸ばされたロックオンの手に己が頬を擦り付けて。

『―――ナマエヲ』

 脳裏に響いた声にちょっとだけ驚いた。刹那も、ティエリアも、アレルヤも、ライルも驚いたように互いを見回していて、吃驚していないのはロックオンだけだった。
 ひょっとして、いまのは。
「………ドラゴンの声、か」
「ああ」
 オレは毎日聞いてたんだけどなとロックオンが笑う。男とも女とも、おとなともこどもともつかない不思議な声だ。でも、決して不快なものではない。
 ナマエヲ、と繰り返されて青年は迷いを浮かべる。
「代替わりしたから新しい名前がほしいってのは分かるけどよ。そんならマリナ皇女に頼んだ方がいいんじゃないか? オレは近衛隊長に過ぎない訳だし」
「―――いいのではないですか」
 少し落ち着いたのか、眼鏡をかけ直したティエリアが肯定の言葉を投げかける。
「他でもないドラゴン自身があなたを名付け親にと選んだのです。あなたとて、四年の間に名前ぐらい考えていたのではないですか」
「まあ………そうなんだが………」
 本当にオレでいいのか?
 重ねて問い掛ける青年に応えるようにドラゴンは喉を鳴らした。にこやかに微笑んだ青年は、じゃあ、とっておきの名前にしてやろうな! と頷いて、高らかに宣言した。
「お前の名前は―――ハイランダー・ロードストーンだ!」
「………だっさ!!」
 即座に否定の声を上げたのは双子の弟だ。無造作に兄の襟首掴んで引き寄せる。
「なんであんたはそうなんだ! ドラゴンだぞ!? この先、何百年もその名前で通すんだぞ!? もっとこう、ジークフリートとか、シーザーとか、それっぽいのをさあ!」
「そうか? まあ、確かにちょっとアレだったかな」
 ふむ、と考え込んだロックオンは、さっきより更に明るい表情でドラゴンに呼びかけた。
「ハイランダー・ロードストーンじゃ長すぎるからな。お前のあだ名はハロだ!!」
「ちがあああああうっっ!!!」
 ゆっさゆっさとライルが兄の身体を揺さぶる。
「いいから、今すぐ考え直せ! でないと歴史書に残る名前もハロ! 後世で創作小説に使われる名前もハロ! シリアスな場面でもハロ! 臨終の場でもハロ! 雰囲気ぶち壊しだろーがあ!?」
「ハロかあ。可愛い名前だよね」
「よろしく頼む、ハロ」
 どうにかしようと焦るライルの傍でアレルヤは暢気な感想を零し、刹那は既にあだ名を採用していた。ティエリアは何も言わないが、懐から抜き出したメモ帳に名前を記しているところを見るに、決して反対ではないのだろう。
 あんたは何も文句はないのか! と唐突に話題を振られたグラハムは、
「私は『スリーピング・ビューティ』と名付けたい」
「すまん、却下で」
 ライルの更なる拒絶を導き出すに終わった。

 コォォ―――ン………

 新しい名を喜びと共に受け止めたドラゴンが高らかに鳴く。
 不意に身体が浮かび上がった。少しだけ慌てたが、全員が空に浮いているところを見ると、ドラゴンがその魔力を行使しているのだろう。
 楽しそうにロックオンが笑う。
「いまから城まで送ってくれるってよ! よかったな、帰る手間が省けて!!」
 偶々隣で彼の笑顔を見ることになったグラハムは、出会った瞬間から抱いていた予感を確信に変えていた。
 ああ、やはり。
 そうに違いない。
 頬に浮かぶ笑みは満ち足りたものだ。朝日に溶け込むドラゴンの白い翼、騒ぎながらも清々しい表情をしたマイスター達、そして何よりも、見たいと願った彼自身の笑顔がそこにある。
 行くべき道が定まった心地よさに、グラハムは大きく息を吸い込んだのだった。




 所在不明だったドラゴンと近衛隊長が戻ったことで、城と町はちょっとしたお祭騒ぎになっていた。グラハム自身も戦いの労をねぎらわれ、たっぷりの風呂とあたたかな食事とやわらかなベッドが与えられた。疲れきっていた身には非常に有り難い処置であった。
 そしていま、グラハムは玉座の間に来ていた。
 先日と同様に玉座には皇女が座り、傍らにはシーリンを始めとした部下と近衛兵が控えている。違いがあるとすれば、シーリンと対を成すように、皇女の傍らにロックオンの姿が加わったことだろうか。彼の半面は痛々しくも白い包帯で覆われている。ドラゴンの魔力を肩代わりした結果として失われた彼の右目を元に戻す方法はない。だが、何らかの措置は施せないかと、アザディスタンの魔道士たちが研究を進めているらしい。当人は全く気にしていないようだったが、やはり、綺麗な翡翠の瞳が揃っていないと残念に感じてしまうのだ。
 赤いビロードの上を進んで優雅に一礼する。皇女が微笑んだ。
 ―――決めたことがある。それを、きちんとこの場で口にしなければならなかった。
「グラハム・エーカー様、この度はアザディスタンをお救いいただきましてありがとうございます」
「私の力など誠に微々たるもの。しかし、僅かなりとも御身とアザディスタンの役に立てたのであれば光栄です」
「どうぞ、これを。お約束の『ソル・ブレイヴス』です」
 たおやかな白い手に浮かび上がる秘宝。
 グラハムの目的はそこにあった。いまでも欲しくはあった。だが。
「恐れながらマリナ皇女。私は他に欲しいものがあります」
 ………「いま」欲しいものはそれではなかった。
 予期せぬ断りの言葉に皇女が美しい顔に憂いを浮かべる。
「ですが―――グラハム様に相応しい宝など、他には」
「差し出がましいながらもマリナ皇女。できれば報酬は私自身に選ばせていただきたい。それは『ソル・ブレイヴス』よりも確かな宝であり、私が欲しいものなど他には存在しない」
 皇女を見詰めるグラハムの表情は真剣そのものだ。
 戸惑う皇女やシーリン、ロックオンを余所に、ライルがこっそりと呟いた。
「なーんか、嫌な予感………」
「オレもだ」
 刹那に至っては腰にかけた剣にさり気なく手までかけて。
 跪いていた体勢からすっくと立ち上がったグラハムは、輝かんばかりの笑みと共に右手を大きく差し出した。

「私の欲しいもの―――それは即ち君だ、姫よ!!!」

 爽やかな宣誓の音が広間にこだまし、沈黙が満ちる。
 いっそ、その手が皇女に差し伸べられていたならば、まあまだ分からないでもなかった。外からやってきた魔道士が美しい姫君に惚れたのだろうと。
 だが、現実は。
「ん………?」
 ぱちくり、とロックオンは目を瞬かせ。
 後ろを向いて。
 後ろに壁しかないのを確認して。
 グラハムの手がどう見ても、どう頑張っても、どう取り繕おうとしてみても、自分に向けられているので首を傾げた。
 意味なく右往左往と辺りの様子を窺った後に、気を取り直して笑みを浮かべて。
「あー………グラハム。すまんが、マリナ皇女は王家の巫女として婚礼の儀は執り行えないことになっている。救国の英雄の希望に応えられなくてすまないが、代わりに他の」
「私が欲しいのは君だ、姫よ!」
「オレは姫じゃねえし」
「何を言う、君は私の姫だ! ここ数日で決めたことではない。もうはるか昔から、そうとも、君が私を助けてくれたその時から、君こそが私の唯一絶対の姫だったのだ!!」
 ―――静寂。
 誰もが静止したまま時間の中で、いち早く我を取り戻したのはライルだった。
「はあ!? なに言ってんだ! 二十歳すぎた野郎の何処が姫に見えるんだよ!?」
 弟の絶叫も気にせずにとっとと間を詰めたグラハムがちゃっかりロックオンの手を握りこむ。状況についていけない青年は目を白黒させるばかりだ。
「え、えーっと、え? 姫? はい?」
「十年以上前の出来事だ。うむ、もしかしたら君は忘れているのかもしれない。だが、私は一時たりとも忘れたことはなかった! 茶色い髪と翡翠の瞳を持ち、白いワンピースを靡かせながら軽やかに剣と共に舞い踊る………!」
「や、オレが着てたワンピースは緑だし」
「何故それを知っているのかね?」
 う、と答えに詰まったロックオンが視線を右左へ彷徨わせる。
「それは、その―――あ、あれだ。あんたの記憶を見せてもらったろ? そしたらなんか珍しい記憶が紛れ込んでたから覚えてたっつーか」
「実に嬉しいことだ。君と私はあの場所で二世を誓い合ったのだったな」
「誓ってねーよ!!?」
 裏返ったロックオンの声が、なんか、もう。グラハムの言葉が真実だと証言しているようなもので。
 突然の出来事にライルの方が泣きそうになりながら兄の肩を引っ張る。
「どういうことだよ、兄さん! あんたまさか女装癖でもあったのか!?」
「あってたまるか! だからほら、あの時はお前が『オレは兄さんより姉さんが欲しかった』とか言い出すから頑張っちゃったって言うかなんて言うか」
「よりにもよってあの時か! 結局オレには見せてくれなかったくせに、兄さんの馬鹿野郎おおおおお!!」
「うぉーい、ライルぅぅ! 何処へ行く!?」
「姫! 是非とも答えを!!」
「それどころじゃないんだよ!!」
 泣いて走り去った弟と、がっしりと抱きついて答えを迫るグラハムと、弟を追いかけたいロックオンとで折角の式典が台無しである。まあ、残された他のマイスターと言えば当然の如く。
「緊急事態だ、刹那。アレルヤ。我々は早急にあの上位モンスターを排除しなければならない」
「特一級指令か。楽しみだねえ、ハレルヤ」
「………任務、了解」
 玉座の場であることも忘れて刹那が剣を抜き放つ。
 三人を振り返ったグラハムが実に爽やかな表情でついでの如く付け足した。
「私をモンスター扱いするのはやめてくれたまえ! なにしろ私はこれからアザディスタンに帰化し、近衛隊の一員となるのだからな!!」
「さっきから何いってんだ、グラハム!」
「私の実力に不服があるかね?」
「実力は問題なくても他の問題が山積しすぎだろーが!!」
「君に実力を認めてもらえて嬉しいよ、姫………」
「酔うな! 照れるな! 顔を近づけるなああああ!!!」
「刹那! アレルヤ! 行くぞ、ロックオンの貞操を護るのだ!!」
「了解」
「楽しいよな、アレルヤああああ!!」
 沸き起こる騒動を前にオロオロと手を拱いていたマリナは、縋るように傍らの友人兼侍従長に呼びかけた。
「シ、シーリン………私たち、これからどうしたら………」
「放っとけばいいんじゃないかしら。優秀な魔道士が帰化してくれるのを拒む必要はないし」
 涼やかに断言する彼女の言葉に、マリナもまた「そういうものかしら」とあっさり頷くのであった。




 城の天辺では目覚めたばかりのドラゴンが日の光を浴びてのんびり転寝をしている。彼にとって城の住人たちの騒動は微笑ましくも好ましいものであった。歴代のドラゴンが、生まれ変わる前の『自分』がそうであったように、己もまた彼らのために死力を尽くして戦うのであろうと。
 穏やかな光の向こうに明るい未来を思い描き、異世界の王は穏やかな思考と共に目を閉じた。
 長く、安らかな眠りを得るために。



 

 


 

今回の話だけでは回収しきれてない伏線もどきがあるのですが、まあ深くは考えるまい(オイ)

拙宅のファンタジー系作品にやたらとドラゴンが登場するのは、単純に当方が好きなモチーフだからです(笑)

今回のドラゴンの生態イメージは『F.S.S』がモデルっぽいなあと思ったり思わなかったり。

あと、作中の呪文は『BASTARD』から拝借しました。やっぱかっこいいよなあ、中二用語満載スペル………

原作はいつの間にかじゅーはっちきん☆ になっちゃったけど………。

 

こんな話ですが、少しでも楽しんでいただければ嬉しく思います〜。

リクエストありがとうございました♪

 

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