穏やかとは言い難い下からの上昇気流を感じながら寝転がって天を見上げる。誰も訪れない甲板の隅、柵の向こう。僅かに生じた段差のおかげで傍まで来なければ足元にヒトがいようなどとは到底思われない。木陰など望みようもないプトレマイオスにおいて何の対策もなしに天を見上げるのはあらゆる意味で無謀と思われた。
 ―――が、だから何だと言うのか。
 熱中症に倒れたくないのか、太陽に焦がされるのが嫌なのか、天にまします『ヴェーダ』の標的になるのが怖いのか。理屈など幾らでも述べられるだろうが好きに行動しているだけだ。そこに意志の高邁や愚昧があるはずもない。此処に居たいから此処に居る。それだけだ。
 移り行く雲の流れに煙草の煙が混ざる。雲の隙間から太陽が覗いて少しばかりハレルヤは目を細めた。まだろくすっぽ味わってもいないのに右手の煙草はチリチリと鈍い赤を燻らせている。
 ふと上から影が落ちた。
 影の形から相手を察すると同時に耳慣れた声が響く。
「ハレルヤ! やっぱり此処に居たんだな」
「………なんだ。ニールか」
 特に喜ぶでも怒るでも呆れるでもなく、ハレルヤは相手の名前を呼んだ。この、やたらお節介で苦労性の同僚はヒトを探し出すのが得意で、お蔭で基地内では人間探索機の如く扱われている。特に某中佐殿と某訓練兵と某問題児―――最後は自分だ―――の探索に優れているとされ、確かに、進んで寄って来るようなどっかの中佐はともかくとして、何度居場所を変えようとも最終的には見つけ出されてしまう現状に、いい加減ハレルヤ自身も逃げるのが面倒になって来たところだ。彼が自分を捜す理由は大体決まっているので、それもまた面倒に感じる原因のひとつではあるのだが。
 鉄製の柵を乗り越えてニールが右隣に音を立てて降り立つ。柵の向こうは僅かな幅しかない。ハレルヤが寝そべっているのだってギリギリの範疇で、来訪者に気付いた瞬間に上体を起こしていなければ彼が着地するだけの足場もなかったに違いない。
 吹き付ける風、遥かに霞み望む地平。高所恐怖症の人間なら泣いて逃げ出すような場所。
 常に彼と行動を共にしているAIは見当たらない。
「ハロは」
「メンテ中」
「何か用か?」
「いーや、別に。単に煙草の煙が見えたから来てみただけだ」
 珍しくも来訪の理由はなかったようだ。皮肉げに笑いながら煙草の火を甲板で揉み消して、基地の外へと投げ捨てる。
「オレはまた、アレルヤのことで説教たれに来たのかと思ったぜ」
「や、それは―――って、おいおい! なに投げ捨ててんだよ、お前さん! まーた上空からゴミが落ちてきたとかって穏健派に叩かれるだろうが!」
「ばぁーか。あの程度のゴミ、トレミーの障壁で消えるに決まってんだろ。心配しすぎなんだよ」
『ヴェーダ』の攻撃に備えて張り巡らされた擬似GN粒子による障壁は、外部からの攻撃を防ぐと同時に内部からの攻撃、もとい衝撃にもある程度の効果を発揮していた。迂闊に足を滑らせたなら地上に叩き付けられる前に障壁で消し飛ばされるかもしれないとはCBのメンバー間で実しやかに囁かれている噂である。
 だからって投げ捨てていいハズないだろうとぼやく彼は身を乗り出して下方を覗き込んでいる。隙だらけの背中をちょっと押すだけで落とせるんだよなあと不穏な考えが頭を擡げるけれど、そんなことしたって意味はないし、アレルヤは悲しむし、ヘンタイ中佐とヘンテツ訓練兵には恨まれるし、ニール自身は全然気にしないだろうからやっぱりやめておこうと思う。
 以前、戯れに「オレが突き落としたらどーすんだよ」と問い掛けたら笑ってかわされた。その笑みが単純に「お前がオレを落とすはずがない」との想いから来ていたのか、「落とせるモンなら落としてみろよ」の意味で浮かべられたものだったのか、流石に確認していないのだが。
 溜息をつきながらニールがやたら安っぽく感じられる鉄製の壁に頭を預けた。
「―――そうそう、そのアレルヤだけどな。あいつならいまソーマと一緒にセルゲイさんとこで戦略について学んでるぞ。行かなくていいのか?」
「あいつらが覚えるんなら、オレが覚える必要はないだろ」
 どうしてそう天邪鬼かなあと同僚は右手で顔を覆ってみせた。それがポーズに過ぎないなんてことは、てのひらの隙間から垣間見えた苦笑を確認するまでもなく分かっている。
「憎まれ役を買ってでるのもいいけど、程々にしておかないとアレルヤが本気で落ち込むぞ。あいつ、分かってないようでお前の考えが分かってるからな」
 顔を覗きこまれて、どうしてこいつはこうも好意的な解釈しかしないのかとあらゆる意味で呆れた。
「アレルヤは出世が早すぎるからなあ。とんでもなく扱いにくい部下を押し付けられてる可哀想な奴なんだって印象を周囲に与えとかないと妬みや嫉みの対象になりかねない。でも、結局のところお前さんだって充分以上に優秀なんだし、能ある鷹は爪を隠すのもいい加減にしておかないと却ってやっかみを買うぞ?」
「ちげーよ」
 ―――等と否定したところで「照れるなよ」と返されるのは分かりきっていたので、敢えて沈黙を選ぶハレルヤである。
 出世の速度で言えばこいつだってトントンだと思うのだが、いつまで経ってもAI以外に部下を持たず、単独行動を主としているから世間的には別カウントになるのだろうか。
 アレルヤといいこいつといい、永年軍隊に所属してる割りにはどっかノーミソ沸いてるんじゃないかといつも思う。彼らが周囲の人間を好意的に捉えるのは勝手だし、その感覚を強要してくる訳でもないからウザったく感じる自分が神経過敏なのかもしれない、と「逃げ」の体勢に入っている自分も存外お人好しなのかもしれない。とは、最近になってハレルヤが己自身にくだした評価だったりする。
 ………アレルヤが、彼を慕っていることを知っている。
 恋愛みたいな生々しい感情じゃなくて、もっと幼い、尊敬してるとか憧れてるとかそんな類の。問答無用で恩義を感じているセルゲイよりも年齢が近いから敬愛よりも友愛の側面が強くなっているけれど。
 一緒にお酒を飲めたらなあとか一緒の作戦に参加できたらなあとか、お前は何処の就学児童だよ? と突っ込みたくなるようなことを夢見ていることを知っている。
 アレルヤ自身は口にしない。口にしないからこそ非常にむず痒くなってくる。首根っこ引っ掴んで当人の前に突き出して「いますぐこいつに向かって大好きですと三百回宣言しろ!!」と断罪する勢いで罵りたくもなる。無論、後が怖いからそんな真似はしない。「オレも好きだよ」、「じゃあ両思いですね」、「そうだなあ、ははははは」なんて会話が続く予感がものすごーくするから、絶対、絶対、絶対しないけれど。
 甘っちょろい考えの人間同士お似合いだねえ、とっととくっついちまえよ。オレは御免だからな。エースパイロットと黒髪のガキの不満の矢面に立たされるのは。なんてことをいつも思う。常に思う。
 そうしていると、傍らでのんびりと今日の昼食はハロと刹那と一緒に食べたとか、グラハムが相変わらずフラッグにベッタリだとか、どーでもいいことをのらりくらりと語っている相手をやっぱり問答無用で蹴り倒したい衝動が襲ってきて、でも最近は何となくその衝動の原因に察しがついて来ているから特に言い返すでもなく「ああ」とか「へえ」とか生返事をするに留めていたりする。
「なんだよ、ハレルヤ。反応鈍いなあ。聞いてんのか?」
「てめえの話はいっつも同じだからなあ。ボケでも始まったんじゃねーの」
「なっ………! 二十代を捕まえてそう言うかあ!?」
「オレより五つ年上なのは確かだよなあ。ニール先輩?」
 口の端を歪めて笑ってやれば、ぐうの音も出ないのか相手が歯噛みしつつ引き下がった。
「ちっくしょー、可愛くねぇなあ、ハレルヤは!」
 意味を成さない呻き声をあげてニールが膝に顔を埋める。
 なんでえ、打たれ弱いな等と横目で見つめていた視線の先を、何か黒い物体が落下した。
「―――、っと」
 隣人の頭にぶつかりそうになったそれを反射的に右手で受け止めて。遅れて振り向いた緑色の瞳が視界を掠める。咄嗟に握り締めたそれがよりにもよってビールの空き缶であることに気付いて、ひとつ、舌打ち。
 数メートル上からカラカラと陽気な笑い声が降って来た。
「ふたりともー、こんなところで何やってるの?」
 ふわふわと流れる長髪が赤い頬をくすぐり、大きく手を振る様は妙に幼い。独特の匂いが漂ってくるのを確認するまでもなく空き缶が落ちてきた時点でこれは確実に。
(酔ってるな)
(間違いない)
 神妙な面持ちでふたりは頷きあった。
『ヴェーダ』の動きを読むことに関しては右に出る者がいない優秀な予報士である彼女が、その実並び立つ者がいないほど飲兵衛であることもまた事実であった。
 スメラギ・李・ノリエガを捜すなら先ず酒蔵に行け。それがCBの基本である。
「ねぇねぇ、ふたりでダベってるくらいなら付き合ってくれない? あ、でも、ハレルヤはお酒は苦手だったかしら?」
「ちげーよ」
 今度は否定の言葉がすんなりと出てきた。
 苦手なのはアレルヤだ、と元からあまりいいとは言えない目つきを更に鋭くするとすまなそうにスメラギが肩を竦めた。
「ごめんなさい。ちょっと混乱してたみたいね」
「どんだけ飲んだんですか、ミス・スメラギ」
 溜息をつきながらニールが降りてきたばかりの鉄柵をよじ登る。これ以上、此処に居ても意味はないかとハレルヤも後に続いた。受け止めた空き缶を背後に投げ捨てる―――のは、質量的にヤバい気がしたから握り潰すに留めておく。
「少し気分転換をしようと思って」
「気分転換なのに本気で酔っ払ってたら意味がないじゃないですか」
「失礼ねえ。だからこうして外の空気を吸いに来たんでしょ」
 だったら片手にビールを握り締めてたのはどういうことなんですか、等と当然すぎる台詞を告げることはふたりともしなかった。
 もともとアルコールに強いのだろう。酒の匂いの割りには落ち着いた表情で気象予報士は軍隊きっての狙撃手に視線を向けた。
「でも、丁度良かったわ。ニール」
「何がです?」
「刹那の初陣が決まったの。さっき、会議で提出して正式に受理されたわ。近日中に連絡が行くと思う」
「っ、そうです、か」
 一瞬、驚きに目を見開いた後に複雑そうに彼は微笑む。
 刹那―――、刹那・F・セイエイ。
 入隊僅かニ年にして『ガンダム』シリーズの名を冠する戦闘機を与えられた少年。潜在的な能力値は群を抜いているものの未だ経験が足らず、エクシアより先に通常の戦闘機で訓練した方がいいのではないかと幾度も議論に上げられて、その影響もあって実戦投入を見送られていた。
「でも、もうそんなことは言ってられない。『ヴェーダ』はいつ動き出すか分からないのだから経験を積める内に積んでおくべきなのよ。実際の動きを見れば、本当にあの子がエクシアを操れるのか疑っている人たちだって文句は言わないわ」
「―――ええ」
 受け答えしながらもニールの態度は曖昧だ。少年が入隊した折りの教官だったからかそれ以外の理由があるからかは知らないが、とかく、彼は少年に対して過保護になりがちである。たぶん今だって戦いに出たら危険だよなあとか戦って欲しくなかったなあとか、丸っきり無力な子供を保護する気持ちでいるに違いないのだ、この男は。
(ばっかじゃねーの)
 此処は戦場だ。年端の行かない子供だって、戦って死ぬ覚悟ぐらい出来ている。
 第一、いつまでも彼の庇護下にいることをあの子供こそが望んでいない。分かった上で尚、心配が拭えないのだとしても。
「それでミス・スメラギ、もうひとつの………」
「ああ、あれね」
 ちょっとだけ困ったように彼女は苦笑を零した。
「どうにか受理してもらったわ。他のパイロットは手が空いてなかったし………でも本当に異例中の異例なんだから。次回以降もこうだとは思わないで。刹那にもよく言って聞かせてね」
「ありがとうございます」
 晴れやかな表情でニールが敬礼する。
 彼が何を頼んだのか、彼女が何を許可したのか、刹那がどう関わってくるのか。明確な言葉はなかったけれども、ニールが心配性であるという一点のみからハレルヤは真相に思い至った。
「おい―――まさかとは思うが、刹那の初陣に付き合う心算か?」
「え? よく分かったな」
 あっけらかんと肯定されて、何処かで何かの紐が「ぷちっ」と切れた。
「アホか、てめえは! どんだけ過保護なんだよ!?」
「うわっ!? み、耳元で叫ぶなっっ!」
「あんのガキが背中を預ける相手を選ぶのは確かだが、よりにもよってこれか!」
「や、それはよく分かってるんだが主にオレの心労を慮っての結果と言うかその」
「進んであいつを鍛えてるくせに戦場に出すのは渋る。その上、いざ出陣となればお目付け役に早代わりだあ? 戦いに巻き込みたいのか遠ざけたいのか、いーかげん覚悟決めやがれ! これから先、常にコンビ組めるって訳でもないのに初っ端から甘やかしてどうすんだよ」
「………分かってるさ」
 ズケズケと言い放つと多少は堪えたのかニールが辛そうに目を細めた。
 勿論、いまハレルヤが告げたようなことなど彼自身とっくに何度も何度も反芻していたに違いない。それでも同じ道を選択してしまう辺りが彼の愚かさであり、優しさでもあるのだろうけれど。
 とんだ性悪だ。付き合わされる連中が哀れに思えてくる。
 傍らのスメラギにじっと見詰められて少しだけ肩の力を抜いた。頭ごなしに批判はしたものの、彼と刹那のコンビ自体に問題がある訳ではない。新兵の補助役として上官が付き添うことはよくあったし、なに考えてるんだかよく分からない少年の感情を汲み取ってやれるのは、彼を除けば後は地上に居るという少年の姉ぐらいしか思い浮かばない。ハレルヤとソーマの上役を勤められるのが、アレルヤかセルゲイでしか有り得ないのと同様に。
 ―――だが。それを言葉にしてやるのも癪である。
 わざとらしく視線を逸らしてつっけんどんに言い放った。
「第一、そっちの相方は文句ないのかよ。コンビ解消の危機だとか言って騒ぐんじゃねーの?」
 それとなく矛先を逸らしてやると僅かにほっとした表情を浮かべた。
「ああ、それならたぶん大丈夫だろ」
「なんでだよ」
「あれで刹那のこと結構認めてるみたいだし。オレが他の誰かと同じ任務についただけで今更どうこういうほどガキじゃないはずだ」
 あいつ、今年で何歳になったと思ってるんだよ。童顔のくせにオレよか年上なんだぞ! と語る彼は心底本気なのだろうが、なんとなくハレルヤとスメラギは揃ってうっそりとした目を向けてしまう。確かにあの人物はおとなではあるが、あれをおとなとするならば世の人間の大半は実に素晴らしきおとなってことになるよね、とかそんな感じの。
「訓練兵時代から注目してたし、あいつ相手なら全力で戦ってみたいとか言ってたしな。問題ないさ」
「ンなこと言ってたのか?」
 初耳だ。
 普段のグラハムは刹那を「少年」としか呼ばず、ぞんざいに扱っている訳ではないにしても、からかっている気配が濃厚だったのに。
 フラッグとガンダムのどちらが優れているかとか、戦略がどうだとか、戦う際に優先すべきことは何かとか、偶に食堂でかち合ったなら途端に喧々囂々侃々諤々の大騒ぎだ。話し手は主に年長者だが普段は無口な少年さえも引き込まれたように鋭い単語を零す。互いに互いの戦闘機に並々ならぬ執着と愛情を抱いているのが丸分かりだ。
「エクシアのが綺麗だのフラッグのがかっこいいだの、本気で言い合ってるしなあ。そんな必死にならなくってもいいのにさ、刹那みたくまだ成人してないってなら分かるけど、あいつ、数年後は三十路に突入だぞ? なのに上機嫌で好きなものの話題に興じてるなんて馬鹿っぽくてホントかわ―――」
 と。
 笑みを零していたニールがピシリと固まった。
「おい!?」
 グラリとよろめいた身体を咄嗟に支える。なんだか物凄く衝撃を受けたらしく、表情がすっかり青褪めていた。果たして彼が何を言いかけたのか、何をもってショックを受けたのか、ハレルヤはもとより予報士たるスメラギにもあまりよく分からなかったのだけれども。
 ありがとなと呟いて立ち直った彼は妙に感じ入った様子で呟いた。
「………ハレルヤ」
「なんだよ」
「無意識って―――怖いもんだな」
「………」
 その言葉に頷くことはしなかったけれど。
 彼からもスメラギからも見えない位置で、嗚呼、確かにこればっかりはどうしようもないな、と。
 ハレルヤは彼を支えていた己の右拳を握り締めた。

 


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たぶん私はハレルヤを誤解している。

 

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