世界の軍事は微妙なバランスの上に成り立っている。『ヴェーダ』に対抗するための組織、ソレスタルビーイングを補佐するように三国が各々に独自の軍事基地を擁している。
 ユニオンはガリレオを、人革連は渾天を、AEUはアポロニウスを。
 担当分野が多少異なってはいるが、「軍事力」を有しているという点に置いては何の違いもない。だからこそいずれの基地も『ヴェーダ』に攻撃される可能性があり、それを恐れて首都ではなく僻地に建設されている。
 空中浮遊基地プトレマイオスは三国の基地をなぞる様に周回を続けている。いざ攻撃を受けた際に地上に与えるかもしれない被害を考慮していることに加えて、敵を睨みながらの移動であるために航路はランダムだ。いまは渾天からアポロニウスへ向かいつつあるが、いつ、航路を変更するとも知れない。基地間を移動する兵たちから所在地を把握しにくいとの不平が聞かれようとも常に『ヴェーダ』の様子を窺いながら行動するしかないのだ。




 重々しい音を立てて扉が開く。静かに計器類が瞬きを繰り返し、微かな駆動音が辺りに響いている。人影らしい人影も見当たらない格納庫。
 誰かが残っているべきなのだが時にこうした空隙が生じることがある。後でシフトを見直すかと考えながら自機のコクピットに乗り込んだところで、隣の戦闘機が微妙な呻きを上げた。開きっぱなしのメインハッチから覗く二点の発光ダイオード。パタパタと動く丸い耳。
 なんだ。
「お前がいたのか、ハロ」
 ならば『無人』ではなかったのだな、とティエリアは呟いた。

 


捨てられマシノイド


 

 コクピットに座ってシステムを起動することで漸く人心地がつける。ソレスタルビーイングは巨大な組織だ。自然、接する人間の量も増えることになり、それがティエリアとしては煩わしかった。
 情報の漏洩を恐れるのなら中枢に関わる人間は最小限にしておくべきだ。兵を増やさなければならないのは分かる。技術者を補わなければいけないことも分かる。それでも今のように、三国間で際限なく徴兵を行っている様はどうかと思うのだ。
 瞬時に起動したメインパネルに視線を移し、映し出された世界地図に素早く眼を走らせる。トレミーの現在地と『ヴェーダ』の現在地。ガリレオ、渾天、アポロニウス。各軍事基地の位置関係に問題ないことを確認する。打ち上げた衛星は悉く『ヴェーダ』に破壊されてしまうため、敵の所在地の把握は畢竟、視認が主となる。なんとも頼りない話ではあるが現状では手の打ちようもなかった。
(この後は北上すべきか………いや、エクシアの投入先を考慮するなら―――)
 凄まじい速さで組織内メンバーのリストと各メンバーの所在地がスクロールされる。誰がトレミーに居て、誰がどの基地へ出向中で、誰が地上へ降りているのか。常に全てを把握していなければ作戦を下すときにタイムロスが生じる。
 立案されている作戦に目を通して、しばらくヴァーチェに出番は回って来なさそうだと考えた。索敵を得意とする機体である分、機動性には欠けている。援護もなしに出撃すればどうなるのかはティエリア自身が一番よく承知していた。
『ティエリア! ティエリア!』
「なんだ」
 オートメンテ中のハロはデータの整理に全能力を投入しているため口を利かない。言葉を発したということは即ち、メンテが終了したことを意味しているのだ、が。
 デュナメスのコクピットから器用にも飛び出たハロは、そのままヴァーチェのコクピットに乗り込んだ。
「何をする!」
『ハロ、テツダウ! ハロ、テツダウ!』
「手伝うだと? システムチェックぐらい誰の手を借りずとも―――」
『ティエリア、ダイヴスル! ハロ、テツダウ!』
 考えていたことを言い当てられて、不本意ながらも押し黙った。
 そうだ。自分は何よりも先ず「自分」をこそ調べなければならない。
「………わかった。サポートを頼む」
『マカサレテ! マカサレテ!』
 事情を知る数少ない存在である独立AIに珍しくもやわらかな視線を向けてから、ゆっくりと瞳を閉じた。自身の内部に潜む「記憶」の残骸を探り出すために。
「―――ファースト・フェイズ。探査開始」




 自分の「記憶」は数年前から始まっている。それ以前のものは見事にボロボロだ。「廃棄」される際に徹底的に破壊されたのだと、それだけは何となく認識していた。そこに至った経緯も事情も何も覚えていないが、おそらく自分は不完全だったかミスを犯すかして、文字通り天空の城から捨てられた。
 無駄に頑強なボディは地に落下して尚、形状を留めていた。そのままであればいずれ砂に埋もれて機能停止していたものを、何の因果か偶然か、通りかかったパイロットが要救助者と勘違いして助け出してしまったのだ―――愚かにも。
 灰色のノイズが混ざる視界が捉えたのは慌てて駆け寄ってくる何かの影。ゴーグルの奥に覗く緑の瞳と茶色の髪を見て、なんだ、「あなた」かと理解した。同時に回線がイカれて視界がブラックアウトした。
 ………次に目覚めたのは白いシーツが敷かれたベッドの上で。
 多く残されたとは言えない知識を総動員して、此処が「家」と呼ばれる場所であることを遅ればせながらも理解した。
 枕もとの人物が微笑む。

『起きたのか? よかった。意識が戻らないから心配してたんだ』

 だったら「病院」に連れて行くのが普通だろうに、個人宅に保護する辺り、何かを察しているのかもしれないと少々警戒を強めた。
 その「ニンゲン」は自己紹介をした後で、こちらの名前を尋ねてきた。
 僅かに残された記憶域から問い掛けに該当する単語を探し出す。

『………ティエリア・アーデ』
『そうか。綺麗な響きの名前だな』

 聞き慣れた言葉だったが、その表情を見ている限りは社交辞令とも思えなかった。
 現在地や保護してからの経過日数など基本的な情報を伝えた後で、彼は自分にどうしたいかを問うてきた。地上に残りたいなら里親を探すし、他の人間と関わるのが嫌なら自分の家を貸すし、行きたい場所があるのなら戦闘機で運んでやると言う。
 さしてニンゲンに興味を持たず、特に関わることもなく過ごしてきた己ではあるが、流石にこれはお人好しにも程があるのではないかと感じた。何か魂胆があるのかと疑った。この男はこちらの正体に気付いているのだろうか。見た目こそニンゲンと同じだが、中身が明らかに違う「これ」の正体を。
 相手は穏やかに笑い、大丈夫、お前が人間だってことはよく分かっていると、まるで分かっていない答えを返した。

『何故、そう言い切れるのですか。私は―――』
『お前は人間だよ。オレがそう思ってるんだ。だったらそれでいいだろ?』
『傲慢な』
『だってお前、捨てられたって言った時さみしそうだったじゃないか』

 そんな表情を浮かべるのは命ある存在だけだ。無機物なんかじゃない。感情があって言葉も交わせる以上、オレにとってお前は人間なんだと愚かな主張を繰り返した。どれほどに鏡を見たところで能面に近い色しか浮かべないこの顔の、何処に「感情」を見い出したのかひどく不思議に思った。

『とやかく言ったけど、焦る必要はないからな。傷もまだ癒えてないだろ? ゆっくり考えるといい』

 それからも彼は何くれとなく世話を焼いた。初めの内こそ『ヴェーダ』の情報を有しているかもしれない自分に探りを入れているのではないかと、売り捌く心算でいるのだろうと会話すら拒んでいたのだが、付き合っている内にどうやら彼は愚かを装っているのではなく、本当に「愚か」なのだと分かってきた。
 戦いによって生み出される悲劇を激しく嫌悪しているくせに自ら戦火へ飛び込んで行く矛盾。傷つけられた過去を持つなら誰も傷つけないようひっそり生きていけばいいものを好んで鞭打たれに行く不可解さ。
 少なくとも身体的・精神的な危機は訪れないと漸く肩の力を抜いて眠ることができたのは一週間ほど経った夜のこと。
 彼の軍服の裾を掴まえて、あなたの所属する軍に自分も入れて欲しいと頼んだのは、保護されてから約一ヵ月後のことである。

『わざわざ戦いの場に戻らなくったって―――傷が、塞がらなくなっちまうだろうが』

 自分こそ未だ精神的な傷が癒えていないくせに、そう、呟かれた。




「サード・フェイズ終了………フォース・フェイズに以降………」
 只管、只管、残された記憶を拾い集めて繋ぎ合せる気が遠くなるような単調な作業。記録の断片を並べただけでは意味を成す『映像』になるはずもなく、それが正しい記憶なのか偽りの記憶なのかを判じる方法もなく、掴んでも掴んでも指の隙間から抜け落ちていく砂のような記憶の数々に聊かの苛立ちを感じないでもない。
 自らの精神を第一階層から第七階層まで分割してはみたが、階層が深くなるほど記憶の探索も難くなるのは仕方ないことだ。
 消去された記憶を『ヴェーダ』から取り戻すこと。
 自分の願いは「それ」にあると彼は考えているに違いない。だが実のところ、ティエリア自身は失われた過去に然程の価値を見い出していなかった。
 ただ、戦い続ける「ニンゲン」の営みに興味があった。
 実用的であるかは別にして、ソレスタルビーイングにとっても自分の存在は興味深いだろうと考えた。
 自分もまた、ある種の監視対象となることをよしとした。
 だからこれは一応は受け入れてくれた組織への義務感と、それからほんのちょっとぐらいは―――拾ってくれた彼のための。
「フィフス・フェイズ………終了………!」
 眉間に皺が寄り、操縦桿を握り締めた手に汗が滲む。
 如何に戦闘機内の特殊OSの力を借りようとも、独立AIが苦痛を和らげてくれようとも、脳みそを引っ掻き回されているような感覚が完全に消える訳ではない。
 だからこそ、事情を知る者の中にはこの行為に眉を顰める者もいる。
 それでも。まだ。
「―――っ!」
 突如、襲ってきた割れるような頭痛に思わず鈍い呻き声を上げた
『ティエリア! ティエリア!』
「っ………大丈夫だ。問題ない。それより早く、いまの映像を出力してくれ」
 脳裏を過ぎったノイズ。
 捉えきれない記憶の欠片。
 深く潜れば潜るほど、念入りに「消された」痕跡のある記憶域。おそらく最深部では「消された」痕跡すら残さず綺麗に消え失せているのだろう。
 リョーカイ! リョーカイ! と耳を忙しなく動かしながらハロが目を瞬かせる。
 ヴァーチェのメインモニタにパズルを組み合わせるように映像が再構成されていく。
 埋まるピースと、埋まらないピース。
 暗い室内に佇む小柄な人影。あまりにも遠く、不鮮明で、表情を読み取ることすらできない。傍らに誰かいるようにも思えるのに判然としない。
 くすんだ黄色―――いや―――黄緑―――の、短い髪をした。

「子供………?」
『リボンズ! リボンズ!』

 ティエリアの無意識に蓄積されていたらしい情報を掬い上げたハロが答えを返す。まったく聞き覚えのない名前だ。その名前を聞いた途端、失った「メモリー」が復活するなんて劇的な効果もなく、ただティエリアは静かに視線を強めた。
 顔が埋まらない。
 外見がよく分からない。
 それは、殊更に『ヴェーダ』がこの情報を消したことの証なのか。
 痛む頭を抑えて溜息をついた。長時間に渡ってダイヴすることはモレノに禁止されている。脳にかかる負担が大きすぎると言うのだ。そんなことで壊れるほど柔な造りはしていない、普通の「ニンゲン」と思ってくれなくて結構だ―――と、言い放つことは簡単なのだが。
 実際にその通りに行動すると、やたら口喧しい人物が約一名、ここに所属しているので。
 来た時と同じぐらい唐突にぽーんと音を立ててハロがコクピットから逃げ出した。流石になんの補助もなしにこれ以上の探索を続けようとは自分だって考えない。そして、もしかしたら「ティエリアが無茶をしようとしたら止めろ」と言い付かっているのかもしれないと夢想してしまうぐらいには、彼とこの独立AIの繋がりは深かった。

 ああ、まったく、本当に。
 無機物にまで愛情を注いで何がしたいのか。

『ハロ、ニールノトコヘイク! ニールノトコヘイク! ティエリア、イッショ! ティエリア、イッショ!』
「私は行かない。好きにしろ」
『シャーネーナ! シャーネーナ!』
「………」
 何処かから拾ってきたらしき単語を繰り返しながらハロが出て行く。自己学習を続けるAIの優秀さに感心したが、ガラの悪い言葉ばっかり覚えてきたら持ち主が泣くだろうとも思った。
 戻した視線の先には半ば以上が砕けてしまった継ぎ接ぎだらけの人物の画像。
 これが果たして自分の敵なのか味方なのか、ソレスタルビーイングにとって脅威となるのか救いとなるのか、そんなことは分からない。だが、この人物の居る場所が『ヴェーダ』の中であり、いまもまだ其処に居るのだと仮定すれば、いずれにせよ面白い結果にはならないだろう。

「―――私を捨てたのは、あなたなのか………?」

 ぽつり、と呟いたその後に。
 他の誰にも見られぬよう、再構築したばかりの画像を完全消去した。

 

 


 

伏線を考えているように見えて、その実なにも考えてはいない。

それが当方のクオリティ(待て)

 

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