夜の森はしんと静まり返っている。上空の月が辺りを照らし出しているが足元は覚束ない。それでも必要以上にランプを灯すことなく、今夜はここで野宿だなと結論付けた。サバイバルには慣れている。いつ背後から撃たれるか分からない戦場で銃を抱えたまま眠った経験と比べれば、草とはいえ柔らかな感触を背に感じられるだけ随分とマシである。
 足として使っていたバイクは過酷な旅路に耐えかねてとうとう音を上げてしまった。徒歩で旅を続けて早数日。明日こそはどうにかして水や食料と共に移動手段を手に入れたいものだ。流石に両足だけで世界を回れるだなんて思ってない。
 平穏無事に惰眠を貪っているように思える世界は、ほんの一本、角を折れるだけで凶暴な牙をむく。
 道端に落ちていたラジオから切れ切れに届く世界情勢。満足行く音は届かない。
 何処かの国の記念式典。首脳同士の協議。軌道エレベーターの更なる開発。まるで別世界だ。
 この、草と木々しかなく、空には皓々と輝く月しかない無人の森とは。
 世界の流れに異議を唱えようとして、粛清された人々のいた町とは。
 手近な木に背を凭せ掛けて深く息をつく。連日の強行軍で身体が重い。途切れながらも聴こえてくるニュースの数々も気分を重くさせる。

 だから、なんとなく。
 ―――来る、気が、していた。

 ラジオはアザディスタンの現状を伝える内容に切り替わっている。そうだ。あの国は、いま。
 脳裏を掠めた面影に思わず言葉が零れる。

「マリナ・イスマイール………」
『―――彼女が心配か?』

 突然響いた声にも慌てることはなかった。この声はいつも自分が落ち込みかけたり、滅入ったり、深く悩んでいる時にばかり現れる。そして取り留めもないことを適当に語り散らして行くのだ。
 微かに細めた赤い瞳の先、置かれたままのランプの向こうにぼんやりと見慣れた影が滲む。
『心配なら、行けばいいじゃないか』
「―――迷惑がかかる」
『顔を見せるだけでもいいと思うがね。少なくとも彼女はお前のことを気に掛けている。生きていることぐらいしっかり面と向かって伝えてやってもいいじゃないか』
 そう諭してくる彼自身は彼女に会ったことなどなかったはずだ。
 だから、こうやってさも彼女の人柄を知っているかのように対面を勧めて来るのは自分の無意識のなせる業に違いない、と考えている。
 あの時も、そうだ。
 戦いを控えた自分の夢の中に彼女が現れた。
 戦わなくていいと告げられて何故か銃を下ろした。

 ―――もう戦いたくない、と、感じるほどに。

 救いを求めているのかと僅かに眉を顰める。
 争いとは異なる道を模索している彼女の立場は思わしくない。面と向かって彼女を罵倒したという他国の官僚に憤りもしたが、それしきで挫けてしまうほど弱い女ではないはずだ。
 周囲のもの全てが熱に浮かされて武器を取る中で、敢えて、武器を捨てる道を選べる人間は強い。

 ………強い。

『何かしろとまでは言わないさ。確かに、向こうはお前がガンダムマイスターだってことを知ってるし、警戒される可能性だってある。でも、お前が行くことで彼女が救われることだってあるんじゃないのか?』
「オレは、戦うことしかできない」
 本当に、こいつは、いつも、五月蝿い。
 影は少し戸惑ったように眉を下げる。見えないはずの表情まで闇の中に思い描けてしまう自分が不思議でならない。最後の記憶とは異なり、両方揃った緑の瞳が胸に痛い。
『そんな淋しいこと言いなさんな。戦う以外にできることもあるだろ』
「何ができると言うんだ」
 右の拳を、きつく握り締めた。
「オレは兵士として育てられた。命令通りに親も殺した。同い年の仲間も時には見捨てた。ガンダムに乗ってもそれは―――戦うための力だ」
 所詮、武器は武器でしかない。
 銃を握っていた両手が、操縦桿を握る両手に代わっただけだ。
 何かを変えたかったから、こんな世の中を変えたかったから、絶望が深すぎて希望すら見えない闇に落ち込みそうだったから、戦う道を選んだ。
 諦めたくはない。歪みたくはない。過ちだ間違いだ矛盾していると他の誰に謗られようとも、血に染まった両手を更なる血に染め上げることになったとしても、争いをなくすための。
 ガンダムになりたい―――なって、みせる。組織の意志ではなく、自らの意志で。
 でも、まだ。
 世界は。
 自分たちは。

「………変わっていない」

 知りたかった。自分たちの行動の結果が何処に結びついたのかを知りたかった。世界をひとつにするという思想においては、ある程度、目的は達せられたはずだった。
 なのに。
 ―――歪んでいる。
 終わったはずの戦いが、また、別の争いの引き金になっている。表面に出てこないだけで、取り沙汰されないだけで、裏ではこれまでと変わらぬ闘争が続いている。
 滅びの道だと知っていた。
 滅びの果てに、人類があらたな段階に至るのだと思っていたかった。
 存在することに意味があると言われた。異論はない。事を荒立てる存在として居続けるのか諦めるのか、戦うのか戦わないのかと、問われれば答えはひとつだ。
 戦う。
 意志が、力が、ある限り。
 だが。

 何故―――変わらない。

『焦っても仕方ないだろ。ソレスタルビーイングは200年も前から準備を進めていた。実際の行動を開始してほんの数年で事を成せるだなんて誰も思っちゃいないさ』
 相手はいつも適当な軽口を叩いて逃げる。確かにそれは真実だが、どうにも誤魔化されている気がしてならない。
 けれども、彼の言動は己の深層心理の現れに過ぎないはずで、曖昧な答えしか示してくれないのは自らの考えが揺らいでいることの証で、そんなにも誰かの意見に縋りたがっているのかと歯噛みする。
 唇を噛み締める自分を見た相手はやわらかな苦笑を零す。
 まるで、本当に、その場に居るかのように。
『疲れてるんなら、偶には皆に連絡とって、少し休めよ。もう随分長いこと音信不通なんだろ? ティエリアもあれで結構仲間思いなんだし、アレルヤだってきっと―――』
「お前はいない」
 ひた、と見据えると、彼は答えに詰まったのか僅かに瞼を伏せた。
「お前はいない。そこに帰れと言うんだな?」
『………おかえりぐらいは言ってやるよ』
「聴こえない」
 きこえない。きっと、誰の耳にも届きやしない。こんな透明な姿なのに、ひとが落ち込んでる時にしか出てきてくれないのに、できるはずもない。決して自分の思い込みによる産物でないと言うのなら、この世に未練があると言うのなら、いっそ誰の目にも明らかな形で現れればいいものを。
 あるいは、こうして彼がちょくちょく姿を現すのは、それだけ自分が彼に対して後悔の念を抱いているということなのだろうか。
 救えなかった、間に合わなかった、助けることができなかった。だからこうして繰り返し繰り返し思い出し、なのに赦しを請う訳でもなく、ただただ淋しさや苦しみを紛らわすための話し相手として呼び出しているのだろうか。
 愚かだとは分かっている。
 なのに。

 ………幻でも、傍に、居てくれることが。

「―――」
 軽く口を開いて、何も言わずにまた閉じる。
 付けっぱなしだったランプを消して訪れた暗闇に身を潜めた。瞳を閉じれば誰もいない。何も見えない。当たり前だ。
 ―――明日は。明日こそは。前へ進むために、ゆっくり休まないと。
 既にラジオは沈黙している。時折り思い出したように響く耳障りなノイズは意味を成さない。
 彼との会話はこうやっていつも前触れもなく始まり、何の結論も出ないままに終わってしまう。いつまで経っても堂々巡りで答えに行き着かない。
 あの時の答えを見つけることができたんだ、と。
 まだ。告げることができない。
 気配が遠のくのを感じると同時に穏やかな風が頬を掠めていく。この瞬間だけは、自らの思い込みだとしても、嫌じゃない。

『おやすみ―――刹那』
「………おやすみ。ロックオン」

 命絶えたものが真実「眠る」のは、残されたものたちが想いを叶えた時になるのだろうかと考えながら。

 


寄り添えるものへ


 


戻ることのない、懐かしい姿を胸に抱く。

 


 

これをホンモノの幽霊と取るも自由、単なる妄想の産物と取るも自由(後者の場合

「どんだけ想像力豊かなのよ!?」となりますが)

モレノさんやクリスやリヒティのことに触れないのは単に彼らの死を知らないからですよ

………と、なんとなくフォロー。

 

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