―――刹那と喧嘩しました。

 


騎士は眠る


 

 天井なんて何処も大体同じ色をしている。そりゃあ勿論、処によって油が滲んでたり雨漏りの後があったり薄ら汚れてたりするんだろうが、天井は天井なんだからあまり大きな違いはないはずだ、なんて、どうでもいいことをベッドに寝転がったままニールは考える。
 胸元に抱き込んだ独立AIがチカチカと目を瞬かせた。
『ゲンキダセ! ゲンキダセ!』
「ありがとうな」
 相棒にまで心配されるとは実に有り難くも情けない。原因が分かりきっているから余計に、だ。
 もはや幾度目かも分からない深い溜息をつきながらハロを抱え込んだ体勢でゴロリと横向きになる。脳裏に思い浮かぶのはつい先頃、出撃が決まった旨を伝えに行った少年の無表情な顔だ。
 最初は普通だった。この上もなく普通だった………と、思う。いつも通りほとんど無視されてたし。
 あれは、数日前の出来事だった。




『よお、刹那! 丁度いいところに。いいニュースがあるんだ』
『………』
 通路で偶々後ろ姿を見かけて、近くにヒトがいないことを確認してから声をかけた。返されたのは相変わらずの沈黙だったが、瞳が「何か用か」と問い掛けているのが分かる。それが分かるのはあなたと彼女と、本能的に理解するあの人物ぐらいですよ、と、アレルヤにはよく呆れられているのだが。
『お前の出撃の日取りが決まったぞ! 一週間後だ。随分と慌しいけど、前から出撃したいっつってたもんな。準備はできてるんだろ?』
『ああ』
『よーしっ、心強い答えだ! きちんと里帰りも済ませておけよ。お姉さん心配してるだろうし。あと、皆でお祝いもするから。誰か呼びたい奴がいたらきちんと都合きいておけ』
 並んで歩いていると、多少の面倒くささと、何故お前がそんなに喜んでいるんだとの疑問を乗せた視線が向けられた。
 あくまでもさり気なく、さり気なく、と言い聞かせながら満面の笑みを浮かべ。
『そりゃー嬉しいさ、教官だった訳だし! 教え子が一人前になるってのに喜ばない奴はいないぞ』
『………』
『あ、それからな、刹那。オレも一緒に出撃するからな』
 黙々と歩き続けていた少年の歩みが面白いぐらい急に止まった。
 一瞬、相手を置いていきそうになり、どうしたんだと首を傾げながら振り返る。途端に出迎えたのは真っ直ぐにこちらを睨みつけている赤い瞳。もとより少年の視線は強すぎるほどに強すぎるのだが、にしたってこれは、その。
『何故だ』
『何故って、そりゃ………誰かとは組む必要があるって言っただろ』
『誰かに命じられたのか』
『いや、まあ、―――って、あまり細かいこと気にすんなよ、オレじゃ不服か?』
『そうか。………わかった』
 きっぱりと、やたら強い語調で刹那は断言した。
『お前が申し出たんだな。オレに同道すると』
『―――』
 確かにそればっかりは事実だったから咄嗟に言い返すこともできなかった。
 どれだけ過保護なんだと、ハレルヤにも苦言を呈されたようなことをこの少年が気にしているとは思わない、のだ、が。
 伝わってくるのは確かな不満と不服だ。
『………刹那?』
 困りきって問い掛けたところで相手が素直に理由を述べるはずもない。
 結局、彼は先を続けることなくこちらを追い越していった。そのまま後を追っていいのかどうか判断しかねた自分は黙ってその背中を見送って。
 ―――いまに至る。




 そりゃあ、確かに自分にも落ち度はあったと思うのだ。
 何も相談してなかったし。
 良かれと思ってやったけど相手の意思は確認してなかったし。
 もしかしたら本当に心底「ウザい」とか思われちゃったんじゃなかろうかと思うと何だかもーもーうわああああああ!
 ゴロゴロとベッド上をのたうち回るのに合わせてハロが『キラワレタ! キラワレタ!』と追い討ちをかけてくれる。そうは思いたくないけどやっぱりそーなんだろうか。そろそろ泣いてもいいだろうか。
「―――ニール」
 近距離からの呼びかけに動きを止める。
「先刻から賑やかだが、そろそろ君の機嫌は良くなったのだろうか」
「………見りゃわかんだろ。落ち込みまくりだっつーの。そっちはどうなんだよ」
「勿論、見てもらえば分かるとも! 君が見ないと言うのなら端から細かく解説していくことさえ吝かではないか、しかし惜しむらくはいま私の両手がこの繊細、かつ大胆な細工のために使われているが故に明確な感情の高ぶりを伝えるには!」
「あー、わかったわかった! いいから黙ってろ!」
 誰も語れとは言ってない! と、来訪者の分際でベッドを占領している己を情けなく思いながらも枕に顔を埋めた。
 面を伏せる直前、部屋の主の机を占拠していた物体の数々を確認して溜息をついた。
「一体どんだけ作れば気が済むんだよ………グラハム」
「フラッグは何体あっても美しいものだ。機動性に富んだ造りとスピードを重視した全体のバランスがなんとも言えず私の胸をときめかせる!」
 目をキラキラと輝かせる彼の前には開発企画段階フラッグ、カスタムフラッグ、ホワイトタイプフラッグ、重火器類搭載型フラッグ、二刀流形態フラッグ等等、とにかく所狭しとフラッグの模型―――要するにプラモ―――が死屍累々、じゃなかった、所狭しと置かれていたのだった。部屋の主が工作に夢中になっているからこそ自分がベッドでゴロ寝できるのだと分かっていても、流石にこの光景はどうかと思う。
 軍では機体の開発を進めたり、新型の武器を搭載するに当たって細部まで再現したプラモを作成して全体のバランスを確認している。おそらくはエイフマン教授やカタギリが実験や理論の確認に使ったであろうそれらを、上手いこと下げ渡してもらってくるのだ、この男は。
 まあ、こんな奴だからこそ連日連夜やって来ては愚痴にもならない愚痴を零したりできるんだけどなと、自分で自分の判断がイヤになってきて片手で顔を覆う。
 ―――だって、仕方ないじゃないか。
 アレルヤはここ最近の任務で疲労困憊だし、ハレルヤは元気だけどスメラギさんの酒宴に付き合わされてるようだし、ティエリアには冷静に切り捨てられて終わりだろうし、セルゲイもパトリックも他基地へ赴任中だし、おやっさんやリヒティやラッセを付き合わせるのもなあ、と、消去法で行ったらグラハムしか残らなかったのである。
 ヒトの愚痴を聞き流せる程度に理解があって、確固たる信念を持っていて、童顔なのはともかくとして社会に出てそれなりの経験を積んでいる「おとな」。フラッグに趣味が傾きすぎてるとか自分を「姫」呼ばわりしてくるとかの難点は、この際、脇に置いておこう。
 年齢の違いこそあれ、揺るがない芯が内面に潜んでいる点は刹那と共通している。ああ、もしかしなくても自分はそういうタイプに弱いのか?
「しかし、今日でもはや三日目だ。私もそろそろ君の悩む理由を直接に尋ねてみたい心持ちになってきた。君が去った後のベッドのぬくもりを感じながら眠るのもロマンチックだが、どうせ抱かれるのであれば君自身のぬくもりを直に感じたい」
「気色の悪いコトいってんじゃねぇっっ!!」
「ならば沈黙を守ることをやめて切なる胸の内を聞かせてはもらえないだろうか。断言しよう。君の迷いも悩みも杞憂に過ぎないと。君の傍には私がいるのだからね」
「………」
 どーしてそんな自信満々に訳の分からんセリフを吐くことができるんだ、と。
 数えるのも馬鹿らしくなる程に抱いた経験のある感情を、適当にその辺にうっちゃることにした。
 考えてみれば自分はここ数日、ふらりと訪れては適当に愚図愚図と落ち込んで、理由もろくすっぽ説明しないままに立ち去るという実に不誠実な真似を仕出かしていたのだ。消去法で選んだはずの相手に何を望んでいるのやら。
 何にせよ迷惑はかけている。それだけは確かだ。
 溜息と共に俯いたままポツポツと事情を説明する。話すごとに枕詞の如く「オレも悪かったけどさ」とか、「心配だったからな」とか、何処の保護者だと問い掛けたくなるようなセリフがくっついているのは大目に見て欲しい。
 不敵な笑みはそのままに珍しくも相槌を打つぐらいで余計な口を挟んでこなかったグラハムは、事の顛末を聞き終えた段階でなるほど、と頷いた。
「それならば、あの少年が不機嫌になるのも理解できると言うものだ」
「………何が分かったってんだよ」
「私には彼の想いが分かる。君には分からない。いや、分からないで当然だ。それだけの話だよ」
「だからぁ」
 どうしてお前の方が刹那の気持ちが分かるなんて主張になるんだと唇を尖がらせる。状況を又聞きしただけの彼に理解できて、当事者たる自分には見当もつかないだなんて非常に、その―――。
 悔しい。
 ではないか。
「悔しがる必要などない。君が理解できないのは尤もで、理解できないことをあの少年は理解しているからこそ何も告げることもできずに立ち去ったのだ」
「もっと分かりやすく言えよっっ」
「彼が君を選んだのではなく、君が彼を選んだからだ」
「はあ?」
 なんだそりゃ。
 確かに刹那もお前がどうこうと言っていた気がするが、立場上、新兵である刹那に選択権がないのは事実なのだから仕方がないではないか。ひょっとして、何か。他の者が同行者として選ばれていたら刹那は素直に喜んでくれたというのか。それは非常に淋しい。
「………ミス・スメラギに進言しなけりゃよかったってのか?」
「ある意味ではそうだし、そうではないとも言える。だが、彼が君以外の者と出撃するつもりなどなかったことだけは保証しよう」
「マジで訳わかんねえ」
「分からないままでいいのだ。分かりやすい言葉で説明することも可能ではあるが、それでは敢えて説明しなかった少年の矜持に反するだろうし、何より彼は私の好敵手でもあるのだ。君が悪いのではなく、君に責任の全てがあるのではなく、落ち込む必要もないのだと主張する以外に敵にドレスを贈るような真似をしたくはない」
「………贈るのは塩だろ」
 どうして肝心要の部分を間違えて教えるのだ、あの技術顧問は。
 考えるのも面倒になってきてベッドに完全に身体を預けた。グッタリと脱力すると思いのほか疲れていたらしく、急速に眠気が襲ってきた。ろくに眠れていなかったのだから当たり前かもしれない。休める時に休んでおかないなんて軍人失格だなと自嘲しつつ、先刻から場を弁えて無言を貫いているハロをあらためて胸元に抱き寄せた。
 幾ら深夜になれば自室に戻るとは言え、当人が休むべき時間帯にまで自分の侵入を許しているこの男はやっぱり間抜けなんじゃないかとあらためて思う。そして、間抜けなはずなのに、こんな時ばかり彼は自分を「姫」と呼んだりしないのだ。ツッコミ入れて逃げる隙は与えないとでも言うかの如く。
「―――やってらんねー………」
 それでいいのかよ、と、思う。
 あんたは、それでいいのかよ、と。
 結局のところは頼っているに違いない現状に眩暈がして、深い溜息と共に意識を深く沈めた。




 手元の器材が気になって少し視線を外した隙にベッドから微かな寝息が聴こえてきた。振り向いた先では、ここ数日の常連客である青年がすよすよと眠りを貪っている。誰が見ても分かるほど目の下にはっきりと隈を作っていたので、漸く眠りに就いてくれたことにグラハムは深く安堵した。
 立ち寄って近付くと彼に抱え込まれた独立AIが警戒するように目を点滅させた。
『ガード! ガード!!』
 あくまでも持ち主は起こさぬよう控えめの音量で、頭部付近の開閉する耳の部分から手を出してこちらを牽制しようとする。全く、防御機能がオートで施されているとは実に心強い。相手が機械であろうとプログラムの塊であろうとも愛情を注げば応えてくれるとグラハムは信じている。だからこれはつまり、ニールが如何にこのマスコット・ロボを愛しているかの証でもあるのだろう。
「安心したまえ。君が心配しているような真似はしないと他ならぬ彼に誓おう」
 更に幾度か目を瞬かせた後に独立AIは上げかけていた腕を下ろした。跳ね除けられていた上掛けを丁寧にニールに重ね、随分と幼く見える寝顔をまじまじと見詰める。頭の中でポニーテールの悪魔が「据え膳! 据え膳!」と囁きかけてくるが、眠っている相手に手を出すのは流石によろしくない。相手が起きているならばそれが自室だろうが彼の部屋だろうが廊下だろうが艦橋だろうが何処だろうが何時でも挑んで憚ることないが、彼が眠りを望むならばそれを破ろうとまでは思わない。
 例え訪れた理由が消去法だろうと年齢の問題だろうと偶々手が空いていたからであろうと、いずれにせよ彼は自分をこそ愚痴を零し、甘える対象として選んでくれたのだ。その無意識の信頼に報いねばなるまい。少なくとも、いまは。
 クルクルと落ち着きのない彼の前髪に視線を動かす。自分の髪も大概だが、彼も相当な癖っ毛だ。湿気の多い日は鬱陶しいんだといつだったかぼやいていた。
 あどけなささえ感じられる、おとなになり切れていない青年だ。こんな空の上ではなく、地上の一般的な企業に勤め、友人たちと酒を酌み交わし、綺麗な女性と恋に落ちて、たくさんの子供に囲まれて過ごすのが相応しいと思える性格をしている。
 そんな彼がどうして此処にいるのかと疑問を抱かない訳ではない。未だ彼が軍職を選んだ理由を面と向かって教えてもらったことはないが、何となく事情は察している。彼は覚えていないだろう。だが、あの日。珍しくも泥酔した彼はこちらの肩を借りて自室へ戻る道すがら、か細く呟いてたのだ。
『ライル』、と。
 きっと、それこそが彼をこんな戦場へと飛び込ませた理由であり、戦い続ける目的の全てだ。
 自分の勘に間違いはない。
 悪いとは思ったが軍の目録を探って、『ライル』なる人物が在籍していないかを調べたことがある。名前を呟いた時の口調や表情からして、身内と当たりをつけての行動だ。特異な名前ではないが然程多い名前でもない。在籍していたなら某かの記録は残っていると思ったのだ、が。

『ライル』という名前の人物は何名か在籍していた。
 しかし。
『ライル・ディランディ』という名前の人物は過去十年以上に遡っても見当たらなかった。

 名前だけが一致する人物のパーソナル・データも見たが、人種も血液型も骨格も顔つきも各々異なり、『ニール・ディランディ』との共通項を持つ者は確認できなかった。となると、血縁は血縁でも物凄い遠縁だったのか、軍とは全くの無関係で彼が地上に置いて来た縁者の名前だったのか、そもそも血縁と判じた己の勘が間違っていたのか、あるいは。

 誰かが。
 例えば軍の上層部が―――『ライル・ディランディ』の情報を消したのか。

 流石にその考えは突飛に過ぎる、たかが一軍人の情報を消去してどんな得があるのだ、それよりは「ライル」が名前や戸籍を偽っていた可能性の方が余程高いと考えながらも、何故か否定しきれない自分がいる。
「………どうしたものか」
 ベッドの縁に腰掛けてしばし考え込む。仕事は終わっているし、趣味のフラッグ作りもほとんど終わった。時間も時間だしそろそろ消灯すべきだが生憎とベッドは占拠されていて、隣で眠るにも狭すぎる。
 考えていた時間はごく短い。真っ直ぐにグラハムは軍の式典等に用いるサーベルを壁から取り上げた。鞘は装飾重視で、刀身を抜き放ったところで紙切れ一枚斬ることはできない。それでも武器らしい武器を身につけたがる己が性癖に知らず自嘲の笑みを刻んだ。
 床に腰を下ろして背中だけをベッドの縁にもたせかける。目を閉じれば聞こえて来るのは旧式の壁時計が時を刻む音と、自室前の通路を行き交う人々の足音と、深く寝入っているであろう彼の呼吸音だけだ。
 眠っている人物の近くにいると自分まで眠くなってくるとの説を聞いたことがある。細かな理由など知ったことではないが、確かに、一理ある。事実、然程の眠気を覚えていなかった自分も徐々に瞼を閉じつつあった。
 そろそろと意識自身が目を閉じようとした直前。
 部屋の前で誰かが立ち止まった気配に、視線を前へと戻した。いま、此処を訪れる可能性のある人物などほんの数名しかいない。
「ようやく来たか」
 不敵な笑みを浮かべてサーベルを壁に立てかけ襟を整えると、向こうから呼びかけられるより先に扉を開けた。相手は多少、意表を突かれた表情こそ浮かべたものの、声を上げるでも飛び退くでもない。やはり肝が座っているなと感心しつつ、するりと自らの身を向こう側へ送り込むと、静かに扉を閉めた。
 通路に他の人影は見えない。
「どうかしたかね、少年。君が私の部屋へ来るとは珍しいではないか」
 いつも通りの態度で、グラハムは刹那に問い掛けた。
 じっと揺るがない視線でこちらを見上げた少年は抑揚のない声で答える。
「………部屋に、いなかった」
 ニールの部屋に、ニール本人がいなかった。
「だから、―――此処に来た」
 だから、余所へ行っているのだろうと判断して此処に来た。
 他の者にも分かりやすいよう少年の発言を懇切丁寧に噛み砕けば以上のようになるのだが、グラハムの場合、事細かに確認せずとも直感で話が成り立った。
「そうか。果たして何番目に此処を訪れたのかは分からないがこの部屋に辿り着いたことは素晴らしい。私もつい先程、彼から事情を聞いたばかりだが、このまま彼を気落ちさせておくのは心苦しいからと和解を申し出に来たとの解釈でよいだろうか」
「………ああ」
「その意気をよしとする! 彼も喜ぶに違いない。大切な存在が表情を曇らせているとあらば是が非でも助けたくなるのが人情というものだ。ところで、これは私の個人的な関心ゆえの質問となるのだが、私は君が不機嫌になった理由は君が君自身の意志で同伴者を選べなかったことに由来していると考えているが、その考えに違いはないだろうか」
「………」
「尋ねる理由が気になるかね? 簡単だ! 私は君を好敵手だと考えている。同じ陣営でさえなければ空で一戦交えてみたいと考えるくらいにはね。訓練兵時代の君の一撃はいまでも覚えている。あれから更に腕が上がったはずだと考えれば純粋な空の騎士としては心も躍ろうというものだ」
「―――お前は」
 相対している者の饒舌さとは逆に、寡黙な印象を与える少年は訥々と言葉を紡ぐ。上官に向けるには、不躾だと思えるほどの、それを。
「お前は、捧げる剣を持っている」
 だが。
「オレは、持っていない」
 その違いだ、と。
 分かるような分からないような答えに、得心がいったらしきグラハムは大きく頷いた。
「それ故のガンダムだ」
 少年に動じる気配はない。言葉ではない、感覚的な部分で理解し合える関係は清々しいものだ。
 晴れやかな笑みと共に片手で己が胸元を叩く。
「君の覚悟のほどは理解した。だが、しばし猶予をくれはしまいか。確かに君の求める相手は私の部屋にいるが、そう、一時間だけでもいい。待ってもらいたいのだ」
 首を傾げる相手を見ながら、室内に居る人物を思って笑みを刻んだ。
 自分の唇に人差し指を当てるのは古今東西万国共通のジェスチャーだ。

「彼が眠っている」

「―――」
「どうやって謝ろうかと酷く悩んでいた。彼自身も、目の下に隈がある状態で君と話すことをよしとはしないだろう。私の意志ではなく、彼の自尊心のために幾許かの時間を与えてもらいたい」
「………」
 やはり、無言のままで。
 眼前の少年は僅かに首を上下に振ると、踵を返して歩き出した。迷いのない後ろ姿に、きっちり一時間後に再来する姿を思って自然と笑みが浮かんだ。あの少年との会話はいつだって飽きることがない。
 通路に出た時と同じぐらい静かに扉を開き、自室に舞い戻る。ベッドに横たわる人物を窺い見て、どうやら眠りを妨げることはなかったようだと僅かばかり安堵の息をついた。
 立てかけておいたサーベルを抱えて元通りの位置に座り込む。
 きっちり、一時間後。
 その時の自分は眠っているかもしれないと思いながら、それもまた良しとばかりに目を閉じた。




 ゆっくりと目を開けて視界に入ったのはやや煤けた印象のある天井。自分の部屋のそれとも医務室のそれとも異なるようだとイマイチ働かない思考をはっきりさせるべく手元を探れば、オレンジ色の球体が腕の中でクルリと回転した。
『オハヨウ! オハヨウ!』
「ああ………おはよう、ハロ」
 でもいまは「おはよう」って時間じゃないだろうと、グルリと辺りを見回して時刻を確認する。微かな音を響かせる壁の時計は、記憶していた時刻から短針が更に進んだことを示していた。
 もぞもぞと上体を起こす。ぼんやりしたまま何気なくベッドサイドを見下ろして、ニールは声を上げた。
「う、わ………っ」
 グラハム、だ。
 この金髪は間違いなくグラハムだ。
 って、そもそもこいつの部屋に転がり込んでたんじゃないかどうして忘れてンだよオレの馬鹿!
 動揺しかけたが、自分が起きたと言うのにあまりにも反応がない。それ以前にサーベル腕に抱えて座り込んでる理由が分からない。お前は戦場の傭兵か貴人を警護する騎士かと考えて、常日頃、己が彼にどう呼ばれているのかを思い出して眉を顰めた。
 そぉっと傍らから盗み見た横顔はすーすーと軽い寝息を立てている。
(なんか、………物凄く、悪いことした気分)
 自分がベッドを占領してしまったから、彼はこうして床で眠る羽目になったに違いない。勝手にやって来て無意味に愚痴を零して何も言わず立ち去ることを三日間繰り返し、締めは他人のベッドの上で爆睡と来た。どんだけ迷惑かけてんだと両手で顔を覆う。こんなにも罪悪感めいたものを抱くのは、幾度か見てはいるけれども見慣れたと言い切るには難しいグラハムの寝顔が、いつだってこちらの想像以上に幼く感じられるからなのだろう。
 本当にこいつオレより年上なのかねえと頭を撫でそうになって、直前で引っ込めた。流石にそれはマズい。うん。マズいよな。
 ハロに喋るなよ、と瞬きだけで合図して、極力音を立てないようにしながら足を床に下ろした。
「………どーすっかなぁ」
 起きた以上は自室に戻るべきだが、無言で立ち去るのも、熟睡しているグラハムを起こすのも悪い気がする。眠ったままの奴を抱え上げてベッドに寝かせてやるのも体格的にできないことはないと思うが、途中で起こしてしまう可能性が高い。右手で軽く頭を掻いた。
「―――ん?」
 ふと、扉の前に気配を感じて顔を上げる。誰か部屋の主に用でもあるのだろうか。だが、事前に約束していたならば例え雷雨になろうと『ヴェーダ』が降ってこようと起きている男だ、グラハムは。ならば、十中八九は不意の来客。せめて代わりに対応するのが礼儀かとあまり軽いとは言えない腰を上げた。
「誰かそこにいるの、か、っ―――!?」
 声をかけながら扉を開けた瞬間。
 やや下方からじっとこちらを見上げる真っ赤な目と克ち合って、冗談ではなく息が止まった。
 え?
 なんで?
 なんで此処に刹那が??
 と、扉を半開きにした体勢のまま固まっていたのはどれぐらいか。あたふたと意味もなく右手を宙に彷徨わせた後に、かろうじてニールは引き攣った笑みを浮かべた。
「せっ………刹那じゃないか! こんな時間にどうした? グラハムに用事でも?」
 微妙に上擦った言葉に少年は「違う」と首を振る。
「お前に会いに来た」
「へ? オレ? ………あー………まあ、その、なんだ………」
 もしかして。
 先の件を一向に謝りにも弁解にも行かなかったからとうとう彼の堪忍袋の緒が切れてしまったのか。オマケに自分はここ数日、夜間に結構な割合で部屋にいなかったし、ひょっとしたら探し回らせてしまったのかもしれない。ああ、いよいよ本格的に幻滅されたかも。
「っと………悪かったな。色々と勝手に決めちまって。でも、新兵にだってちゃんと拒否権はあるからさ。なんなら今からでもミス・スメラギに掛け合って同伴者を―――」
「出撃時のフォーメーションを確認したいと司令部に行ったら、相方に全て説明済みだと言われた」
「は?」
「オレは何処を飛べばいい」
「―――」
「教えろ、ニール・ディランディ」
 その言葉に、ニールは何度か瞬きを繰り返した。
 ええっと、つまり。
 これは。
 出撃時のフォーメーションが云々で、その説明を自分に求めるってことは―――。
「………刹那ぁ」
 無意識の内にゆるゆると頬がゆるむ。へらり、と実に情けない笑みを浮かべて、嫌がられるのを承知で少年の頭を撫ぜた。
「そっか。そうだな。うん。ちゃんと説明してやるよ!」
 髪の毛をガシガシとかき混ぜてくる相手に少しばかり不満げな表情を見せて、刹那は自分の頭の上にある手をやわらかく押し退けた。
 早くしろ、とばかりに踵を返した背中に続こうとして、思い止まる。
 フォーメーションの話ともなれば機密事項扱いになるのだから廊下で立ち話をする訳には行かない。一番近い個室は勿論ここ、グラハムの部屋ではあるが、原則として任務外の人間の前で作戦に関する細かな話をすることは禁じられている。ならば行くべきは任務に関する資料も整っている自分の部屋、となるのだ、が。
 ついて来るはずの相手が追いかけてこないのを怪訝に感じたのだろう。数歩先で刹那がこちらを振り返り、無表情の端に疑問を覗かせている。
 たぶん、彼を随分待たせてしまった。すぐに謝罪の言葉と共に彼のもとを訪れなかったのは自分の落ち度だ。それでもやはり、黙ってここを立ち去ることには抵抗を覚える。
 唇に己が人差し指を押し当てた。
「その………悪いな、刹那。一時間でいいから待っててくれないか?」
 何故、と言葉の代わりに少年が目を瞬かせる。

「グラハムが眠ってんだ」

「………」
「熟睡してるみてーだし。勝手に押しかけといて勝手に立ち去るってのも失礼だろ?」
 愚痴も聞いてもらったし、との言葉は飲み込んで。
 だから先に部屋で待っててくれないか。一時間たったら、グラハムが起きていようと眠っていようと必ずそっちに向かうから、と。
 告げる先から少年の眼光が鋭くなっていくように感じるのは何故なのか。
 いかん。なんだかこれでは元の木阿弥になる気がする。
 焦ってズボンのポケットを探り、掌に当たった金属の感触をこれ幸いとばかりに突き出した。
「ほら! 部屋の鍵。先はいって、ミルクでもカフェオレでもコーヒーでも好きに飲んでていいぞ。暗証番号は知ってるよな」
「………知っている」
「なら問題ないな。ハロも連れてくか?」
「大丈夫だ」
 掌に落とされた銀色の鍵をマジマジと見詰めている少年の態度に、再度の怒りは招かずに済んだようだと冷や汗を拭う。刹那のことは教官時代から幾度となく自室に招いている。暗証番号を知られているのはセキュリティ上問題がありすぎると、ティエリア辺りが知ったなら目を吊り上げて非難してくるのだろうが、何故かこの少年に対しては警戒心が沸かなかった。
 スタスタと立ち去る後ろ姿にほっと胸を撫で下ろす。
 中途半端に開いたままの扉に背を預け、ふぅ、と深い息を吐いて。
(―――グラハムに、礼を言わないとな)
 ちっぽけな悩みに律儀にも付き合ってくれた同僚兼上司兼相方に、礼がわりとして今度メシでも奢ってやるかと考えて。
 それよりは酒の方が喜ぶのかもしれないとニールは小さく笑った。

 

 


 

扉を閉めた瞬間に「聞いていたぞ姫! 私を選んでくれたのだな!!」といつの間にか覚醒していた

ハムさんに抱きつかれ、殴り飛ばした足で兄貴がソッコー部屋を出て行くに100デュナメス。 ← 単位??

「喧嘩」とゆーワリには全然喧嘩してなかったですな。はっはっは。

文章が無駄に長いのはハムさんが饒舌だから、とゆーことにしておいてください………。

 

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