降り注ぐ日の光はやわらかいと言うよりもやや厳しい。地面に濃く焼きついた影が陽炎をまとって揺れている。一年を通して寒いという日はない。よく言えばあたたかく温暖であり、悪く言えば常に乾いている。そんな気候だ。
 乾いた地面を掘り返し、種を蒔き、上から土を重ね、水を与える。同じ行為を何十回と繰り返したところで実る可能性は僅かに過ぎない。

 それでも諦めることなく何百回、何千回。

 皇女自らそのようなことをなさらずともと眉を顰める者たちがいようとも、既に故国は滅んで久しい。他国を侵略した時のように、空からの侵略を受けて敢無く滅んだ。

 ならば今更なにを取り繕う必要があるのかと何千回、何万回。

 この地に眠る数多の血、空で失われる数多の血、それら全てを最後に受け入れられるのは大地だけである。

 故にこそ、いつか皆が眠る地に緑が満ちるようにと何万回、何億回。

 服が汚れても、顔が煤けても、手が荒れても、膝が痛んでも。
 それこそが、国の愚行を止められなかった自らの償いともなる。

「マリナ様」
「シーリン?」
 部下とも友人とも思っている人物の声に、彼女は土に触れていた体勢から身体を起こした。
「弟君がお帰りですよ」
 静かに佇む部下の後ろに、黒髪の少年を見い出して思わず笑みが零れた。
 汚れたスカートの裾を掃って歩み寄る。
「お帰りなさい、刹那」
「………ただいま。マリナ」
 軍に入って二年が経過した少年は、幾らかおとなびた表情で『姉』に応えた。

 


地に根付く


 

 ポットで沸かした湯を注いで茶葉が広がるのをじっくりと待つ。独特の香りがするハーブティーは先日会った政府の高官が届けてくれたものだ。さしたる援助もできずに申し訳ない、マリナ姫。せめてこれだけでも、と手渡された。シーリンは「自分の後ろめたさを隠すための術に過ぎません」と切って捨てた。確かに、あの高官の仕えている国は此処よりもはるかに裕福だったけれど、だからと言って好意を受け取らないのも悪いと思うのだ。
「刹那。帰って来るならもっと早くに教えてくれればよかったのに」
「すまない」
 テーブルの正面に座った少年は透明なティーポットの中で踊る茶葉をじっと見詰めている。
 身につけたカーキ色の軍服は未だ彼の丈にあっていないように思えるが、繕ってあげようとすれば無表情の中にも嫌そうな色を浮かべるので結局、手を出せずにいる。オレはもっと大きくなるんだから丈を詰めてもらう必要はないと主張したいのだろう。
「畑は」
「そうね。今年は大分、順調なの。苗木も育ってきているし………少しは収穫も望めるはずよ」
「援助は」
「―――充分。とは、とても言えないわ。でもね、刹那」
 色々と考えてくれているらしい『弟』の言葉にマリナはやわらかく微笑んだ。
「あなたのお給金を全てこの家に預ける必要はないのよ。あなただって色々と入用でしょうし。心配しなくても、仮にも此処は国が経営する孤児院なのだもの。人々の善意がある限り潰れることはありません」
「………」
 何か言いたそうに少年は赤い瞳を瞬かせた。
 ならば朽ちかけたこの家は人々が善意を失いつつあることの表れなのかと、自分が来る前と居た時と去った後のこの施設にどんな違いがあるのかと、真面目に考えているのかもしれない。寄付に頼った経営はいつだって赤字続きで、刹那の仕送りがなくなっただけでもかなり厳しくなるのは明白だ。此処で育った彼には今更説明するまでもない。
「マリナ」
 充分に茶葉が開ききったことを確認し、ティーポットを手にしたのは少年の方だった。
「国は、滅んだ」
 正しくは、滅ぼされた。
「―――そう、ね」
 彼の問いに応えるように静かに目を閉じた。
 刹那が、『刹那』になる前の話。
 ソラン・イブラヒムという名をもってこの世に生をなして僅か数年後。
 彼の国クルジスは、マリナの国アザディスタンに滅ぼされた。地下に眠る鉱物資源を狙われたと専らの噂であるが、単に疲弊した国を統合して土地を増やそうとした愚かな戦略の一環だったのだろう。当時のマリナは未だ子供でしかなかったが、赤く染まる空をひどく恐ろしく感じたことを覚えている。
 そして。
 アザディスタンもまた、滅ぼされた。
 他でもない―――『ヴェーダ』の手によって。
 アザディスタンは鉱物資源を軍事国家に転売して富をなそうとした。その行為を咎められたかの如く施設も、王宮も、町並みも、すべてが破壊し尽くされたのだ。『ヴェーダ』が去った後のアザディスタンに復興する気力の残っていようはずもなかった。
 いまは中東の都市国家軍の一員として細々と命脈を繋いではいるものの、実質『国』としては滅んだと言えよう。
 王が死に、他の王族が去り、政府高官でさえも命惜しさにこの国から逃げ出した。
 そんな中、敢えて国に留まって戦災孤児を保護するための孤児院を建てた第一皇女の行動は、いまでこそ持て囃されもするけれど、とどのつまりは単なる自己満足に過ぎないのだと自戒してもいる。かつて滅ぼした国の子供、いま滅ぼされた国の子供、おとなの都合に振り回されるのはいつだって力ない、弱い存在ばかりである。
 丁寧な手つきで刹那がハーブティーを注ぐ。こころを安らげるような香りに少しだけ笑みを浮かべて、さして綺麗とも言えないカップに口をつけた。擦り切れたカーテンの合間から差し込む強い日差し。薄汚れた壁と天井。それでも、遠くから子供たちの笑い声が聞こえてくる限り、自分はまだやっていける。やっていける、と思うのだ。
「………あなたが来たのは八年前だったかしら? もう、随分経ってしまったのね」
「ああ」
 アザディスタンが滅んでから、かなりの時間が経った頃。
 刹那は、銃を手に歩いているところを保護された。痩せこけて瞳ばかりがギラギラと輝いている小さな子供が、ひとりで『ヴェーダ』を倒しに行くつもりだったと後から知ってぞっとしたものだ。
「お友達には会えたの?」
「まだだ」
 オレはまだ、名のある軍人ではないからと彼は呟く。
 刹那が『刹那』を名乗る理由。
 自分より先にこの孤児院に保護されて、他へ養子に出されてしまった友人と、再び会えるようにとの願いを篭めて。戦後直ぐの記録はやたら混乱していて、その子が真実養い親のもとへ辿り着けたのかさえ定かではないけれど、刹那はそれでも、いつか彼に会えると信じている。自分が名を上げれば気付いてもらえるのではないかと思っている。
 他愛無い子供同士の遊び。
 偶に遊び場で会うぐらいで、家も本名も知らなくて。

『刹那ってのは、僕の国の言葉でとても短い時間のことをあらわすんだ。なんかカッコイイよね。君にあうと………思う、よ?』

 躊躇いながらも笑顔を見せてくれた同い年の子供。知り合うための取っ掛かりとして刹那を『刹那』と呼んだ子供。保護された時には瀕死の重傷を負っていた子供。通りすがりの兵士が応急手当をしてくれなければ本気で危なかったのだ。
 沙慈・クロスロード。
 偶々他の子供たちと共に旅行に来ていて戦いに巻き込まれ、唯一の肉親をも失った彼は、以後、日系の養い親に引き取られたという記録を最後に行方は杳として知れない。
 刹那の場合は、何回か養い親に引き取られたのだが、その度に自主的に孤児院に戻ってきてしまうので結局はこの歳になっても居座りが続いている。別に困る訳ではないけれど、他のひとと触れ合うための機会を自ら潰しているような少年の態度が少しばかり悲しい。
「刹那。あなたの気持ちも分かるけれど、此処に戻ってくる気はないの?」
 友人に自らの存在を知らせたいのなら、名乗り出るよう訴えかけたいのなら、何も戦う道を選ぶ必要はないはずだ。地上で勉強を続けて技術者になったっていい、生産者になったっていい、いっそ、芸術の道を志すのだって。
 彼が帰宅する度に行っている問い掛け。
 返される答えもほぼおんなじだから、意味があるのかないのかすら分からないけれど、やはり尋ねずにはいられないのだ。
 今回も予想に違わず、赤い瞳を僅かにも揺らすことなく少年は答えた。
 ない、と。
 あまりの意志の強さに溜息しか出て来ない。
「………戦うことで誰が得をすると言うの。『ヴェーダ』を敬おうとは思わない。でも、倒さなければならないとも思えないのよ。だってそうでしょう? もしも『ヴェーダ』がそのつもりなら、疾うに人類は滅ぼされているわ」
「<聖典の使徒>のように、『ヴェーダ』を神として受け入れるのか」
「いいえ。ただ………誰かが死ぬことで、誰かが悲しむのがつらいだけ」
 空に出て行かなくとも生きることはできる。
 いつ『ヴェーダ』が気紛れを起こして人類の殲滅に移るかは分からない。だが、確証も得られないそんな仮定だけで戦いを挑む軍隊に存在意義はあるのかと、どうしても疑問を感じてしまうのだ。
 刹那もその考え自体は理解しているに違いない。だからこそマリナの言葉を否定せず、それでも自説を曲げることはしないために会話はいつだって堂々巡りのまま決着を見ることがない。
「誰かが死ねば、誰かが悲しむ。家族や友人が悲しむ。それは分かっている」
 幼い日の空爆はもとより、訓練兵の頃から軍の前線で誰かが死んでいくのを見てきた。その度に誰かが悲しむ様を目の当たりにしてきた。なのにどうして得る意味があるのかも分からない自由を求めるのかと、疑問を抱く人間がいることも理解しているのだ。
 だが、たとえそうだとしても、尚。
「オレは―――必要最低限の人々と繋がりをもてればそれでいい」
「刹那?」
「マリナ・イスマイール。オレの家族はあんただけだ。オレが居なくなった時、あんたが『家族』として悲しんでくれればそれでいい」
 他に悲しむ『存在』は作らない。
「刹那!」
 なんてことを! と、マリナは珍しくも声を鋭くした。
 戦う道しか選べないから、自分が亡くなった時に悲しむひとの数は減らしておきたいから、だからいつもこの家へ帰ってきたというのか。幾つもの養子縁組を断って。
 幼い頃から、只管。
 空を見上げて。
 戦う未来だけを思って。
「どうしてそんなことを言うの………! あなたが居なくなって悲しむのは私だけではないのよ?」
「マリナ。オレはあんたと―――あとひとりだけでも悲しんでくれれば、それでいい」
 ムキになるでも怒るでも迷うでもなく。
 これは揺るぎのない決定事項なのだと何よりも瞳が訴えている。カップからあがっていた湯気はいつの間にか消えていて、そういえば、彼は一口も飲んでいなかったと今更のように気が付いた。
「出撃が決まった。三日後だ」
「………戦うのね」
「敵が居れば戦う。居なければ戦わない」
 どちらとも取れる答えを返して刹那は口を噤んだ。
 僅かばかりの沈黙の後に彼は目の前のカップに手を伸ばし。少しだけ喉を潤して、言葉を続けた。
「マリナ」
 向けられる視線は揺るがない。
「あんたは此処に居てくれ。あんたが―――地上に、居るから。オレは安心して空を飛べる。空を、願うことができる」
「刹―――」
「いつかあんたが、何を恐れることもなく空を見上げることができればいいと思う」
 ただ、全てを焦がす強い太陽の光を嘆くためではなく。
 そして彼はようやく、微かに和らいだ表情を浮かべた。
 ああ、そうか。
 彼は彼で緊張していたのだ。きっと、此処に来てから―――ずっと、先程の言葉を伝えるために。
 話すことは話し終えたとばかりに刹那が壁にかかった時計を見上げた。
 と、思った次の瞬間には「時間が過ぎている」と告げて席を立つ。余韻も何もあったものではない。この少年は帰省を本当に単なる報告会と捉えている節があって、少しはゆっくり休むだとか、地元の人たちと触れ合うだとか、そういったことのために費やしてもよさそうなものだのに。
 お陰で軍で定められている「必要最低限の有休」も消費されないまま日数だけが加算されていき、終には仮病でも何でもいいから時にわざとコイツを呼び出してみちゃくれませんかねと、軍内での世話係らしい青年に頼まれたこともあるほどだ。少年がこの家に進んで帰って来た回数と、青年が少年を引きずってきた回数を比べたら、いい勝負になるかもしれない。
「もう少しゆっくりしてはいけないの?」
「出撃の準備が整っていない」
 あっさりと返す弟の言葉を多少なりとも恨めしく思ってしまう。
 見送りがてら外に出ると、丁度、こちらに向かって歩いてくる人物が視界に映った。左腕に大きい紙袋をひとつと、小さい紙袋をひとつ。胸元に幾つかの花冠を抱えた茶髪の青年はふたりの存在に気付くとにっこりと微笑んで敬礼した。
「お久しぶりです、マリナ姫。………ためしに十五分ばかり遅刻してみたんですが」
 少しは長く話せましたかね? と耳打ちしてくる青年は、疾うに刹那の淡白な性質を理解している。
 彼の抱えた花冠が放つ芳香に自然と頬が緩んだ。
 刹那はと言うと、施設の裏手にあった苗木を探し出して勝手に畑に埋めていた。彼が帰省する度に行っていることだから自分も青年も意に介さない。
 地に、触れて。
 いつか、実りを得られるようにと苗木を植えることこそが。
 刹那にとっては大切なことなのだ―――間違いなく。
「………花」
「え?」
「この辺りに咲いている花ですね。ご自身で作ったんですか?」
「あ、いや。ポートの傍に小さな花畑があるでしょう? そこで暇潰ししてたら、偶々遊びに来たガキどもに捕まっちまって」
 全く子供ってのは容赦がない。追いかけっこだのアームレスリングだの、こっちはのんびりしてたいってのに休む暇もない、と彼は瞳に優しい色を宿して笑う。
「受け取ってください、マリナ姫」
「―――私、が?」
「子供たちからの贈り物です。姫様はいつも花や木々を大切にしていて、そのままにしておいてって言うけれど、姫様が綺麗なお花に囲まれてるとこも見てみたいから、ってね」
「………」
「さあ、どうぞ。でないとオレがあの子たちに怒られちまう」
 助けてください、と。
 差し出された幾重もの花冠をそっと胸に抱き締めた。誰かは分からない。彼の告げた言葉が真実かも分からない。それでも。
 目元を少しだけ指先で拭ってマリナは顔を上げた。
「―――ありがとう。子供たちに御礼を言っておいてくださいますか」
「喜んで」
 お人好しの青年が嬉しそうに笑った。
 苗木を植え終えた刹那が戻ってくる。交互にふたりの顔を見比べて「話は終わったのか?」と無言で問い掛ける。既に習慣と化しているのだろう、後ででいいから手ぇ洗っておけよと告げる青年が刹那の頭を軽く撫ぜた。
 自らの無意識の所業に気付かない人物が、くるりとこちらを振り返る。
「そろそろ行きますが―――なぁに、心配ないですよ。今回の任務は規定空路を時間内に戻ってくるだけですから。初心者をいきなり実戦投入するほどソレスタルビーイングも切羽詰まっちゃいないし、ちゃんと補佐もつきます」
「そう、なんですか?」
「なんですかって―――おい、刹那。ちゃんと任務内容は説明したんだろうな?」
 驚きの表情を浮かべた青年が、少年の顔を覗きこむようにしながら僅かに口調を厳しくする。こちらも習慣なのだろう、視線を合わせないままに少年は堂々と言い放った。
「守秘義務がある」
「おまっ………家族なら少しぐらい大丈夫だっつったろ? お姉さんを無駄に心配させてどーする!」
「何処で誰が聞いているか分からない」
「や、そりゃそうだけど、そうだけどお前なあ―――」
 少しは融通きかせろってーのと困り果てている青年と、無表情ながらも青年との会話を楽しんでいる少年の姿に微笑ましくなってしまった。

 ああ、そうか。
 だから―――『あとひとりだけ』なのか。

「安心しました。………補佐は、あなたが勤めてくださるのね」
「へ?」
「刹那のこと、よろしくお願いします」
 なんでオレが補佐だってバレたんだろう、と間の抜けた顔をしていたのは一瞬のこと。
 すぐに『軍人』の顔に戻った青年は、笑みでは誤魔化しきれないほどの強い意志を綺麗な緑色の瞳に篭めた。右手を挙げての最敬礼。

「身命を賭して」

 ―――と。
「っ、てぇぇぇ―――っっ!!?」
 カッコよく決めていたはずの青年が突如、左足の脛を抱えて飛び上がった。確かあそこは極東の島国で『弁慶の泣き所』と呼ぶ箇所―――ではなくて。問題はそこではなくて。
 抱えていた袋が落ちるのはかろうじて免れたものの、折角の見せ場を壊されてしまった青年が涙目で叫んだ。
「刹那ぁ! いきなり何なんだよ、お前は!? 文句があるなら先ずは言葉にしなさい、言葉に!!」
「時刻が迫っている。先にポートに戻る」
「ちょっ、お前せめて謝罪っ………!?」
 オタオタしている青年を余所に少年はあっさりと背を向けてしまった。
 行って来るとも、また会おうとも、さようならとも。
 言葉ひとつ残していかない辺りが実に寡黙な少年らしいと思うのだ。時に言葉は意味を成さない。言葉よりも行動がより重要な意味を持つことがある。まあ、だからといってあんな風に暴力に訴えていいとも思わないけれど。
 置いていかれそうな雰囲気に慌てた青年が忙しない別れの言葉を残して踵を返す。少年を追いかける左足が僅かに地を引き摺っているのに何とも言えない苦笑が零れた。
 手にした花冠の香りを心地よく感じながら、ふたりの姿が通りの向こうに消えるまで見送る。
 いつかまたこの場所で、あの少年と、青年と共に。
 同じように笑いあえることを願いながら。

 

 


 

「マリナさんは貧乏で苦労性!」と思いながら書いたら何故かこんな話に………

そこかしこに『木を植えた男』のイメージが強く出ている気がしないでもない。

当方の中ではせっちゃんとマリナさんの関係は母子もとい姉弟であります。大切な存在だけど

恋愛対象ではない、みたいな。だからかは知らないけど、この流れで行くと下手したら

兄貴とマリナさんがくっつきそうですよね(ちょっと待て)

沙慈くんの立ち位置は書き手にもよくわかりません。てへ☆

 

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