軍の食堂は基本的に二十四時間営業だ。おおまかな食事時間こそ定められてはいるけれど、もとより任務についてしまえば昼夜などないに等しい。ましてやプトレマイオスは常に空を移動していて日付変更線だってしょっちゅう乗り越える。艦内にはグリニッジ標準時間にあわせた時計が各所に設置されてはいるものの、自らの体内時計を元に行動しないと感覚が狂ってしまう。 刹那が食事に向かったのは、だから、標準と比べれば聊か遅い時間だった。それでも食堂はやや混雑していて、何処へ座ろうかと考えるより先に部屋の角っこで黒い手袋がひらめいた。 「せーつな! ここだ、ここ!」 当然のように声をかけてくる年上の同僚もとい今回の任務の相方もとい元教官―――ニールの姿に何とはなしに小さな溜息が零れた。 素直に近寄ってくのも癪ではあるが、呼ばれなくても行くつもりだったのだから結果は同じだ。並んでいた料理を適当にトレイに乗せて歩み寄る。青年の正面にはハロを抱えたフェルト、その隣には不機嫌面を隠そうともしないティエリア。暢気に笑いながら青年は当たり前のように自分の左隣を叩く。 「お疲れ。準備はすんだか?」 「ああ」 「なんだ刹那、野菜はどうした? 栄養バランス考えろっていつも言ってるだろ」 やれやれと彼は自分の皿に残っていたじゃがいもとかジャガイモとかじゃが芋とかをこちらの皿にほいほいと放ってくる。………他に野菜はなかったのか。 自らの皿に堆くつまれた丸い物体を前に刹那は少しだけ不満を零した。 「フェルト・グレイスのトレイにも野菜は乗っていない」 彼女のトレイに乗っているのはホットココアと可愛らしいプチケーキがふたつだけ。 「フェルトはいーの。もう夕食おわってんだから。いまは小腹がすいたからお菓子と飲み物を貰いにきただけ。な?」 「………うん」 正面席の青年の言葉に、明るい髪の色をした少女は恥ずかしそうに頷いた。 「クリスには………内緒に………」 「ああ。夜遅くに食べると太っちゃうでしょってクリスは怒るんだよな」 笑いながらニールは少女の頭を撫でる。ある意味では自分とためを張るほどに無表情と評されることの多い彼女が微かに頬を赤らめた、のは、見間違いではないだろう。 我関せずとばかりに食事を終えたティエリアが立ち上がった。 「失礼します」 「あ、ティエリア」 「なんですか」 物凄く面倒くさそうに彼はこちらを振り向いた。美形なだけに視線を強められると異常な迫力があるのだが、慣れている人間には寡ほども影響を与えない。 「家に寄ってきた。すっごく綺麗になってたな。ありがとう」 「………当然のことをしたまでです。それでは」 今度こそ、と完全に背中を見せて。 スタスタとティエリアは立ち去ってしまった。途中途中ですれ違った面々がギョッとしていたから、彼は何かとてつもなく奇異な表情を浮かべていたのかもしれない。 「―――アイルランド」 「ん?」 「寄ってきたのか」 「お前ンとこ行く前にな」 答えながらパンを頬張る彼に屈託はない。 彼は基本的に色々な部分が自分勝手だ。今朝だってそうだ、いつもより早い時刻に叩き起こされたと思ったら「里帰りしろ!」の言葉と共に前触れもなくアザディスタン行きの飛行機に乗せられた。 里帰りに戦闘機を使用することは許されない。だから兵士たちはプトレマイオスに離着陸する輸送船に便乗するのが常なのだが、彼曰く、今朝の便を逃すと次にアザディスタンに行けるのは半月後になってしまうとのことだった。オレはオレで寄るとこがあるから一緒は無理だ、でも迎えには行ってやるからと一方的に待ち合わせの時刻を告げられて、花でも買って行ってやれと助言されて、「アザディスタンに花があると思っているのか」と言い返すより先に輸送船の扉が閉じられた。 もしかしたら彼も後からそれを思い出してマリナに花を届けたのかもしれない。確かにポートの傍に花畑はある。子供たちに捕まったのも、子供たちが花冠を作ったのも事実だろう。でも本当に本当に小さな花畑だったから、幾らマリナのためとは言え彼が花を摘めたとも思えず―――つまりは結局、あの花も彼が何処かでわざわざ用意してきたものなのだ。そう、例えばアイルランドで。 「恩返しとかって、ティエリアも律儀だよなあ。別に掃除なんてしてくれなくてもいーってのに」 最初の内は皿は割るわカーテンは破くわで何しに来たのかよくわかんなかったけどさ、と困ったように、くすぐったそうに笑う。 詳しい事情は知らないが彼とティエリアは一時期、寝食を共にしていたらしい。故にティエリアはニールの家の鍵が何処にあるかを知っている。彼の家に入る権利を与えられている。 眉間に皺がよった。 「せーつーな。ンな顔しても無理なもんは無理。仕方ないだろ、アザディスタンからアイルランド経由してたら任務に間に合わねぇんだから」 苦笑しながら青年は額を小突いてくるけれど。 辞令が下ってからの三日間を無駄に過ごす羽目になったのは誰の所為なんだと言いたい。物凄く言いたい。確かに自分の所為でもあるが―――三日もあればいつもみたいに、孤児院の様子を見てからアイルランドの家に泊まるというお決まりのコースだって取れたはずなのに。 「拗ねるなって。また今度つれてってやるから。………フェルトも機会があったら来てくれよ。なんもないトコロだけどな」 ハロを抱えてじっとしていた少女は突然の呼びかけにちょっとだけ目を開くと、壊れた人形のように何度かカクカクと頷きを返した。ぎこちない返事をいぶかしんだ青年が首を傾げながら彼女の頭を撫でるとようやく動きが止まる。 ―――無意識とは、タチが悪い。 刹那は無言で席を立った。食堂の出入り口にラッセとリヒティが居る。きっとあのふたりもここに来るのだろう。 「刹那」 ちゃんとご馳走様って言え! と怒られるのかと思ったら何故か含み笑いを返された。 「あとでオレの部屋こいよ」 理由は告げられなかったが、逆らう理由もなかったので素直に頷き返しておいた。 プトレマイオスには多くの人間が住み込みで働いている。居住層はユニオン、人革連、AEU、ソレスタルビーイングの所属に応じて大まかな振り分けがなされている。 広さには制限があるため、個室が与えられるのは正式な辞令と共に下された初任務に成功してからと定められていた。それまでは数名単位の大部屋での寝泊りが原則だ。エースになれば広い個室が与えられる。優秀な能力を持った者には相応の報酬を。衛生管理の面から言っても、功名心を煽るためにも、軍内の規律を保つためにも、階級を上がる毎に特権が与えられることは必要だった。 ニール・ディランディの部屋は一般的な個室よりも広くはあったが、『中尉』という階級から考えると狭くもあった。部屋替えを頑なに拒む彼の真意は分からないが、移動したらグラハム・エーカーの部屋の近くになってしまうのが嫌なのではないか、と専らの噂である。 入っていいぞ、の返事を待って刹那は扉を開けた。 他の部屋と天井や壁の色が異なる訳でもないのに居心地がいいのは、其処彼処に置かれた本の山や観葉植物や壁に飾られた風景写真の類が彼の人となりを感じさせるからだろう。フェルトに預けたままなのか、ハロの姿は見当たらない。 同僚を出迎えたニールは座れよと椅子を指差した。備え付けの小さな冷蔵庫を覗き込んで「なに飲む?」と尋ねてくるが、どう返そうとミルクは入ってくるのだろうと考えると答える意義を見い出せなかった。室内にある飲み物はミルクにコーヒー、紅茶、緑茶、ビール、ウイスキー、ブランデーと幅広いが、何でも、訪れる客人にあわせて飲み物を揃えていたらこうなってしまったらしい。 「呼び出しちまって悪かったな。部屋の皆はもう寝るとか言ってたか?」 「問題ない」 「そっか。初任務に成功したら個室がもらえるから、もう少しの辛抱な」 「まだ成功するとは決まってない」 「大丈夫だって」 任務中に何が起こるかは誰にも分からないのに、それを一番知っているはずの青年こそが根拠もなしに笑うのだ。 素直に椅子に腰掛けて視線を向けた。部屋に来いと言ったからには何か用事があるはずだが既に任務の内容は確認してある。まだ他に確認することがあったろうかと疑問を抱く刹那の前で、ニールは大き目の紙袋からゴソゴソと何かの箱を取り出した。 「どーだ刹那っ! これが何だか分かるか!?」 知るか。 「初任務達成祝いだ! おめでとう!!」 ドサリ、とこちらの膝に箱を落としたニールが満面の笑みで笑う。 「………」 「まだ任務は始まってもないってか? じゃあ出撃決定祝いでもいいぞ」 つまり、何が何でも贈り付けたかった訳か。一般家庭ではよく子供に入学祝いだの進学祝いだのを贈ると聞くが、彼もそれに倣ったのかもしれない。いや、自分がそうされた経験があるからこそ刹那にも同じ対応をしてくるのだろう。プレゼントをくれるのは素直に嬉しい。嬉しいが―――彼の態度は丸っきり『弟』に向けたそれなのでどうにも頂けない。 開けろ、開けろと無言のうちにも嬉しそうな眼差しが訴えてくるものだから、微妙にたどたどしい手つきで包装を解いた。 出てきたのは紺を基調としたチェック柄のズボン、と白い長袖シャツ、と深緑の上着、と赤いネクタイ。いずれも光沢を抑えて渋めの色合いにしてあるので意外と統一感がある。さらさらとした感触から上質の生地で作ったことが察せられ、かなり値が張るのではないかと眉根を寄せると。 「着てみてくれよ」 「………」 そう来ると思った。 こんな服を着て何の意味があるのかと疑問に思うが、少なくとも目の前のこの男は喜ぶのだろう。よくクリスがフェルトを着せ替え人形にして遊んでいるが、それに近い。 気付かれないように僅かな溜息を零してとっとと着替えにかかる。 「国に帰った理由はこれか?」 「いっつも軍服しか着てないだろ。壮行会の主役だってのに淋しいじゃないか」 「壮行会にドレスコードなど―――」 「ネクタイの色が悩んだんだよなー。基本は赤なんだが青もいいし」 「………」 聞いてない。 ネクタイが結べずに四苦八苦していると軽い笑い声と共に背後から両手が伸びてきた。刹那の手を捕らえて、導くように手袋越しにてのひらを重ねる。 「いいか? 右手がこう。左手がこう。で、上から重ねるようにして………」 「………」 「ほい、完了っと。わかったか?」 首を横に振る。 「じゃあもっかいな。ネクタイの結び方は覚えといて損はないぞ。出世すると色々めんどい会合にも顔を出さなきゃならんしな」 「会合?」 「うん、まあ、な。そういや国連大使も今度こっち来るとか言ってたか………」 次は自分でやってみろと肩を叩かれる。 背中から離れていくぬくもりを残念に思いながら素早くネクタイを結んだ。やり方ならちゃんと一回で覚えていた。繰り返しを願った理由など本当に些細なものでしかない。 上着を着たところで姿見の前に引き摺られる。全然似合ってない。以前に潜入操作の訓練として異なる人格を演じたことはあったが―――『そっち』の人格向けの衣装だ、これは。 胸元には十字をあしらった様なワッペンが取り付けられている。 「これは?」 「オレの通ってた学校の校章」 「―――じゃあ」 「そ。これは制服。時期外れだから心配してたんだけど、まだ売ってて安心したよ」 似合うと思ってたんだよなあ、刹那に。 笑って背中から両手を首に回して、頭に頬を擦り付けてくる様は大きな犬か猫と大差ない。あまりにも無防備な態度に鏡の中の少年が不満げな色を浮かべている。 どう見たって良家の子息が着るとしか思えない制服が自分に似合ってるとは到底思えなかったが、少年時代のニールにはよく似合っただろうし、彼と同じ仕立ての服に袖を通していると考えることは僅かに気分を高揚させた。 「少し、袖が長い」 「いいんだよ。背が伸びるから」 「………そうか」 「良かったよ、ズボンとかのサイズはピッタリでさ。刹那ぁ。ほんとこの格好すっげぇカワ―――カッコいいから絶対に着てこいよな。きっと皆が褒めてくれるぞ!」 「誰が喜ぶんだ」 「オレ?」 どういう理屈だ、それは。 無言のまま正面の鏡を睨みつける。こちらの頭に懐いている青年は離れる気配を見せないが、緑色の瞳に微かな寂しさが滲んでいる気がして頭を上げた。 「ん? どうした」 逆さまの視界に映りこむ青年は変わらぬ穏やかな笑みを浮かべている。こうして真っ向から見詰める彼よりも、鏡像の方が内心を如実に現している気がしてくるのは何故だろう。この男は、表向きの笑顔とは裏腹に実はかなりの自己完結型で、嘘つきで、肝心な部分が子供で、我侭だ。誰にでも手を差し伸べるくせに、差し伸べられる手には気付かない。誰彼構わず優しくするくせに、本当はずっと、誰かの影を追い求めている。 そう。 この場に居ない『誰か』を。 「………刹那?」 ゆっくりと右手を伸ばして彼の頬に触れる。首をそったままの体勢は少し苦しかったが、戸惑いを濃くしていく彼の瞳が見れたので満足した。 「刹―――」 何事かを言い募ろうとした青年の声は、扉をノックする音に阻まれた。 誰だろうと首を傾げてニールは呆気なく刹那の手を解く。それを不満と思う、ことはない、けれど。 壁の時計を見上げて本当に誰だと彼はドアノブに手を伸ばした。 「いま開けるから少し待っ―――」 バンッッ!! 「姫! 夜分遅くに失礼する! 実は先刻そ」 バンッッ!! ………開いた時以上の速度で扉が閉じられた。 「姫、酷いではないか! 何故私を締め出すのだ!!」 |
未成年の飲酒は法律で禁じられています
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※WEB拍手再録
幕間っつーよりカンペキ本編じゃね??
(読まなくても話が通じるようにはするつもりですが)