飲み会は苦手だ。むかしから。 いや、一応表向きには初任務を控えた面々の壮行会ではあるのだが、実際に出される飲み物の大半がアルコールを占めているとなれば飲み会や宴会と称したところでなんら問題はないと思う。 参加するのは吝かではない。賑やかな雰囲気は好きだし―――ただ、どう考えても自分は宴会向きの人間ではないから、参加したところで微妙に暗い空気を撒き散らすばっかりであまりあまり相応しくはないと思うのだ。そうやって愚痴を零すとハレルヤは「馬鹿か?」と罵るし、ソーマは「気にしない方がいいです」と生真面目に返すし、ニールは「ンなことねぇよ」と笑ってくれるけど。 でも、まあ、やっぱり。 (基本的には脇に控えておくべきだよね………) と考えてアレルヤは部屋の隅でちびちびと烏龍茶を飲んでいたりするのである。自分とは違い酒に強い双子の兄弟はスメラギとの酒豪合戦に出向いてしまった。置いて行くなんてひどいよハレルヤ。 それでもみんなが集まって談笑している光景を見るのは好きだったから、アレルヤはほんのりとした笑みを浮かべながら辺りを見渡してみる。 プトレマイオスの大き目のプレゼンルーム。普段は会議や新兵の訓練に使われることが多い部屋を今ばかりは綺麗に飾り立てて、珍しくも豪勢な食材がテーブルの上を所狭しと飾っている。ドレスコードなど存在しないけれど、女のヒトはやっぱり多少はお洒落をしてくるから会場全体が華やかで、司会進行も最初の挨拶以降は何処吹く風だから徐々にまとまりがつかなくなっている。 かわいらしいケーキが幾つも置かれたテーブルの前ではクリスが、ハロを抱え込んだフェルト相手に何か喋っている。フェルトの髪を飾るリボンの位置が気に入らないらしく正面から見詰めて考え深げにしている。妹のように接している少女を可愛くするのに夢中なのはいいけれど、彼女の後ろにいるリヒティがさっきから話したそうにしているのには全然気付いてないようだ。流石にちょっと哀れである。 やや離れた位置ではリヒティを見守るように酒瓶を抱え込んだラッセと試験管を持ったモレノと―――試験管を何に使うのか激しく疑問がわいたが―――チーズを口に運んでいるイアンの姿が見えた。すぐ近くではビリー・カタギリを前にグラハム・エーカーが何やら熱い夢を語っているらしく、フラッグ部隊の取り巻きも交えて結構な人だかりとなっていた。本当に、かのエースパイロットは何処にいてもすぐに所在が知れる。聴衆にソーマが混じっているのが少し気になったが、たぶん問題ないだろう。 セルゲイさんやカティさんやコーラサワーも居ればもっと賑やかだったのになあとほのぼのとしていたら、紫の髪をした少年―――を、ズルズルと引きずってくる青年と目が合った。 「よぉ!」 明るい笑顔を向けてくる彼はいつだって屈託がない。釣られるようにアレルヤ自身もはにかんだ笑みを向けた。 「少し席を外してたみたいですね………何か用事があったんですか?」 「コイツを呼んで来た」 ニールは性質の悪い笑みと共に背後の少年を指差した。左腕を掴まれてズルズルと引きずられていたティエリアは実に腹立たしげに引率者の手を振り払う。本気で振り払いたいならもっと早くにそうすればいいのに、人前に出た途端これなんだから彼がからかいたくなるのも分かるよなあ―――なんてことを面と向かって口にしてはいけないことぐらい流石のアレルヤも理解しつつある。 「どうしてあなたはヒトの話を聞かないんですか! 私は忙しいと言ったはずです!」 「忙しいっつったって、今日、明日を争うような話じゃないだろーが。だったら刹那を優先してやれよ。それにな。ハロに聞いたぞ? まーた無茶しただろ、お前。情報探索は週に一度ぐらいに控えとけってモレノさんにも言われなかったのか」 「私の体調は私が一番よく分かっている」 「お前の自己管理能力の高さは知ってるさ。けど、あんまり過大評価はすんな。過小評価するとも言わねーけど、心配するこっちの身にもなってくれ」 「気にしなければいい」 「だって、オレが注意しなかったら誰が注意するんだよ」 ここの連中はみんな優しいけど、お前に注意できるかっつーとまた別問題だろうしなあ、と。 呆気羅漢と語る彼の言葉は傲慢なのか何なのか判断がつけ難い。さり気なく彼がこちらに視線を流したので、ああ、ここは何か応えるべきなんだなとアレルヤは思った。彼の他に誰がティエリアに注意するなんて勇敢かつ愚かな振る舞いをするのかと問われたならば。 「そうだね。少なくとも僕は君に注意できないし、したくない」 「………違うだろ」 ガックリと肩を落とされた。 「及ばずながら自分がやりますとか、任せてくださいとか、もちっと前向きに行こうぜ? アレルヤ」 「でも、僕には無理ってことは僕が一番よく分かってますし」 「だーかーらぁぁぁ!!」 年長者たちの実に頼りない会話を眼前にしながらも少しは思うところがあったのか、ティエリアはひとつ舌打ちをした。 「誰が来ようと私にとっては同じことです」 「拗ねんなよ、ティエリア。心配しなくてもみんなお前のこと好きだって」 「っ! ………失礼します!!」 即座に踵を返して歩み去る。 「あーあ、怒らせちまったか?」 「あなたが悪いんだと思いますが」 「そうか?」 困ったなあなんてぼやきながらもくすくすと笑いを零している。 あのまま会場を出て行ってしまったんじゃないかと案じたけれど、少し見回しただけで不貞腐れたように料理を突付くティエリアの姿が確認できた。進んで会場に来ることはないが呼ばれれば足を運ぶし留まりもする。つまりは迎えに来て欲しかったのかな、と考えてなんだ、と苦笑した。 青年を前にすると連想ゲーム的にとある少年のことを思い出して、アレルヤは今度は左手に視線を転じた。メインディッシュが置かれているテーブルの前では壮行会の主役のひとりである刹那が、女性隊員や相部屋の面々に囲まれながらモクモクと食事を口に運んでいた。 ふと、疑問が生じる。 今日の刹那の服装はやたらかっちりしたブレザーだ。チェック柄のズボンも赤いネクタイも深緑の上着も彼の趣味とは思えない。 「どうして刹那はあんなかっこ―――」 「可愛いだろ!?」 マッハで振り向いた同僚の反応に僅かにびびった。瞳がこれ以上ないくらいに輝いている。 刹那・F・セイエイはエクシアの名前を出すと食いつく。 グラハム・エーカーはフラッグの名前を出すと飛びつく。 ニール・ディランディは刹那の名前を出すと超反応を示す。 元教官と元訓練兵というだけではない、それよりも前にちょっとした出会いがあったとかなかったとか聞いたことがあるような気もするけれど、過去の出来事を知ったところで現在のこのひとの過保護が治る訳もないよねハレルヤ、等と視線をお空の彼方に飛ばしたくなってくる。 「あなたがプレゼントしたんですか?」 「ああ。壮行会なんて滅多にあるもんじゃないし、偶には着飾んないとな」 上機嫌で肉やらポテトサラダやらをよそっていく同僚は完全に浮かれ調子である。似合ってるだろ? 可愛いだろ? カッコイイだろ? いやー、買ってきて良かった! とはしゃぐ様はどこからどう見ても幸せそのものだった。 「でもあれ、制服っぽく見えますけど」 「ご名答! オレが通ってたジュニア・ハイの制服だ」 「………シニアではなく?」 「ジュニア」 「刹那にもジュニア・ハイの制服だと言ったんですか?」 「どうだったかな。単純に学校の制服だっつった気もするが」 それが何か、と首を傾げる彼に悪意はないし他意もないのだろうけれど。 自分が十代前半で着ていた制服を十代後半の刹那に着せることに何の疑問も抱かないんですかとか、幼く見える外見やなかなか伸びない身長を気にしている刹那が自分の着ている服が『年下』のものと知ったらどう感じるか分かってるんですかとか思えども、たぶんに青年の頭は「刹那に似合うに違いない!」で占められていてンなことまで気を回している余裕がないのだろう。 それに、まあ。 刹那もなんだかんだ言いつつも彼に頼み込まれたらイヤとは言えないのだろうし。 ほくほくとサラダを頬張る年上の同僚は悪気もへったくれもなく上機嫌に笑っている。 「以前オレが珍しくもスーツ着たらすっげぇ驚いた顔されちゃってさー。そんなにスーツが珍しかったのかって思ったんだけど、流石に刹那にはまだ早いと思って制服にしておいた!」 「………そうですか」 それは「スーツ」に驚いたのではなく、「スーツを着たニール」に驚いたンじゃないですかね、と。 過保護な青年よりも余程、少年の心情を的確に捉えたアレルヤではあったが、おそらくこれは言わぬが花、知らぬが仏。少年を猫かわいがりしている青年は周囲から向けられる思慕の情には溜息つきたくなるほどに鈍い。 「あれ? どうしたんだ、フェルト」 聊かぼんやりとしていたアレルヤは、彼の声にちょっと遅れて視線を戻した。ハロを抱え込んだフェルトの頭には、先刻、クリスがいじっていた可愛らしいリボンがちょこんと乗っている。 相手の視線に合わせるように、少しばかり腰を折り曲げて正面から覗き込むのはこの青年の癖のようなものだ。 「ハロを返しに来てくれたのか? でも、オレが出撃したらしばらく会えなくなるからな。今日はずっとフェルトと一緒にいていいんだぞ」 「あの………ニール………」 「うん?」 話すのが上手とは言えない少女の言葉を辛抱強く待つ。やわらかな視線も、笑顔も、彼女に対してだけ向けられるものではないけれど、少し羨ましい。親の愛情や友人の信頼を独り占めしたがるようなものだよねと愚痴ったら、何故か金色の目をした半身には鼻で笑われてしまったが。 じぃっと青年の顔を見詰めていた少女が意を決す。 「気をつけて………いってらっしゃい………無理、しないでね」 「え?」 「帰って来てくれないと………さみしい、から」 だから絶対、生きて帰って来てね、と。 戦ってばかりの組織では忘れられがちな言葉を真っ直ぐに告げてくる。正面から受け止めたニールはもとより、端から覗いていたアレルヤでさえやや気圧されるほど真摯な眼差しだった。 幾度かの瞬きの後で、ニールは大切で大切でたまらないという色を瞳に滲ませた。 「―――ああ。勿論だ。だからフェルトも、必ず生き残るんだぞ。帰って来た時にフェルトが出迎えてくれなかったらすごく悲しいからな」 「悲しいの?」 「当たり前だろ。この年齢で言うことでもないが、もしかしたら泣くかもしれない」 やたら真面目くさった態度で断言する青年の言葉に、少女が表情をほころばせた。次いで顔がこちらへと向けられる。 「アレルヤも」 「え?」 「アレルヤも。任務、気をつけて」 「………うん。ありがとう」 まさか自分にまで労わりの言葉をかけられるとは思ってもみなかったから、随分と素っ気無い返事になってしまった。 気にした素振りもなく少女はささやかな笑みと共に踵を返す。 「後で、ハロを返すから」 「明日でいいよ」 小さくてのひらを振ってトコトコと走り去る彼女の先では、にこやかな笑みを浮かべたクリスが待っている。どう? ちゃんと言いたいことは言えた? と、クリスが問い掛けてくるのが聞こえるかのようだ。 「―――ああいう風に言われちゃうと、どうにも嘘はつけないよな」 「全くです」 なんとなく困ったような表情で視線を合わせ、堪えきれなくなったように揃って笑みを零した。 ニールはテーブルの上に乱雑に置かれていたギネスを取り上げる。 「そっか。お前たちも任務だったな」 「はい」 キュリオス部隊には『ヴェーダ』に奪われたプラントを潰す指令がくだされている。他にもフラッグ部隊はユニオンに戻って新兵たちの指導と共に武器の調整を行うことになっているし、プトレマイオスの戦力がこんなに減るなんて随分と久しぶりかもしれない。 でも、平気だろ、とニールは笑うのだ。 ティエリアがいるんだからトレミーは大丈夫だろ、と。 グラハムがいるんならフラッグ部隊によもやはないだろ、と。 キュリオス部隊がやられるなんて思いもしないよ、と。 この世に『絶対』なんてものはないと知っているはずなのに、いつだってそれが当然の未来のように語る。それは彼自身が意志を強く持つために自らに言い聞かせているのかもしれなかったけれど。 「………僕は、不安です」 ぽつりと零す。 言おうかどうしようか迷っていたことを、告げる。いまばかりは周囲の喧騒も遠く感じられた。 じっと隣に立つ青年の深い青と緑を湛えた瞳を見つめる。 「嫌な予感がするんです。確かにこれまでもトレミーが手薄になったことはあります。ただ、………何かが狂いそうな気がして」 「それは、お前の意見か?」 「ハレルヤも同意見です」 淡々と告げられた言葉にニールは僅かに眉を顰めた。迷いを生じたらしい彼を促すように、更に明確なひとつの事実をアレルヤは言葉にした。 「『マリー』も僕たちに忠告してくれました。気をつけろ、と」 「『マリー』が?」 僅かに目を見開いたあと、揃って振り向いた視線の先にはソーマ・ピーリスがいる。 かつて、自分たちは人体実験を施されていた。『マリー』はその時に生じたソーマのもうひとつの人格だ。いや、順番通りに言えばソーマが『マリー』のもうひとつの人格ということになるのだが、どちらも『彼女』であるから大した問題ではない。大した問題なのかもしれないが、少なくとも、いまの問題点はそこではない。 困ったように青年が前髪をかきあげた。 「お前らの勘はよく当たるからな………『マリー』もかよ」 幼少時の実験が影響している、などと考えたくはないのだけれど。 自分たちの悪い勘はやたらよく当たった。しかも、双子のそれは漠然とした全体を示す『何か』だが、『マリー』の示すそれは局地的なものだった。誰が危ない、何処が危ない、予言と称しても良さそうな的中率は、だからこそ『マリー』を内に閉じ込める要因のひとつともなっている。 だが、それをニールが確認することはない。アレルヤか、ハレルヤか、『マリー』当人が口を開かない限りは無理に尋ねようとはしない。訊いてもどうしようもないと知っているからだ。どれだけ不吉な予感を抱かれていたところで軍人に逃げ場などないのだから。 ―――ただ。 辺りを彷徨っていた彼の視線が一箇所で止まる。 視線の先には、少年。 慣れない服装に窮屈そうにしている黒髪の少年。青年の、任務の相方。未だ幼い、ようやくこれが初陣であるところの。 やわらかく凪いでいた瞳が鋭さと冷たさを内包する。 少年ではなく、少年を襲うであろう過酷な運命をこそ射抜こうとするかのように。 (ああ―――ハレルヤ) 失敗、したのかもしれない。自分は。 不安を抱いていることなど告げなければ良かったのかもしれない。告げたことで逆にその未来を手繰り寄せてしまったのかもしれない。だって、彼は、きっと決めてしまった。以前から抱いていた想いを更に強固なものにしてしまった。 即ち、少年を。 例え何があろうともあの少年だけは守り抜くのだという、強い意志を。 だが、言えない。これ以上は言える訳がない。『マリー』の予言だって絶対じゃない。絶対じゃないと信じたいのだ、いつだって。望まぬ未来を見てしまう彼女のためにも、彼の身を案じる者たちのためにも、何より彼自身のためにも。 脳裏に浮かぶのは白い長髪を風に靡かせた少女の憂いを帯びた声と瞳だ。 『―――彼の傍にいる、赤い、正義の番人に気をつけて』 それは<死>と<破壊>の風を運んでくる。 彼、がニール・ディランディのことだなんて。 やや視線を俯けたところで肩を叩かれた。隣にいるニールは刹那を見詰めたままだったから、じゃあこれは、と振り仰げば不機嫌そうな金色の瞳と視線がかちあった。ウダウダと悩みがちな自分とは異なって双子の弟は本当に随分と潔い。 「上官殺しに語ってもらいたい夢などない!!」 「なっ………!」 「オレの奢りだ」 「………ぶはっ!!」 |
滅びの道
― side N―
言葉の最後は風に紛れて上手く聞き取れなかった。 ニールは軽く首を振ると変なこと喋っちまったな、ごめん、と困りきった笑みを浮かべた。いつも通りの微笑みは安堵と同時に妙な苛立ちも胸に飛来させた。 躊躇いなく伸ばされた腕が行儀悪く跳ねた黒髪を撫で付ける。 「………髪。伸びたな。今度切るか」 「任せた」 「ははっ、了解」 他の奴に頼んだっていいのになと笑う彼は気付いていない。地上に居た頃の自分が、自分で髪を切っていたことを。姉にすら頼らなかったことを。彼が右手に鋏という名の凶器を携えていると知って尚、触れてくる手を心地よく思うぐらいには、その行為を気に入っている事を。 遠くで誰かが彼を呼んでいる。 頭の上から離れていく掌のぬくもりに多少の淋しさを感じながらも、刹那は指折り数えて考えた。 護りたいもの。大切にしたいもの。失いたくないものを。 孤児院のみんな、プトレマイオスの仲間、力の象徴であるエクシア。 それから。 それから―――。 「刹那ぁ。行くぞ―――!」 こちらを振り返る、やわらかな声をした青年のこと。 ―――護るために『此処』に来たのだから。 刹那は、拳を強く握り締めた。 |
兄貴があちこちに謎のフラグを立ててますが深く考えてはいけません(………)
旅先で出会った老人云々は当方の実体験だったりします。
ホントなんだったんだあの爺さん。
老人のお話の詳細については、いずれ書けたらいいなーと思ったり思わなかったり。