耳に届くのは低い駆動音。無機質なまでに静かに思えるこの船だって僅かな音は存在している。それを聞き逃すことがない程度には男の聴覚は優れていた。如何に優れた科学力で作られようとも所詮『ヴェーダ』は機械の塊。鈍い震動のすべてを抑えられるはずもない。白亜の宮殿の中身は黒と灰色が主体の味気ない空間だ。いや、最上階だけは綺麗に飾り立てられていたろうか。
 眼前に並んだ四機の戦闘機を眺めながら手元の酒を一気に煽る。グラスなんてものは使わない。この程度の量なら一本まるごと飲み干すぐらい容易いことだ。
 自機を整備していた青年がこちらを振り返る。浅黒い肌と目の下にあるほくろが特徴的だ。
 また酒を飲んでいるのかと疎んじているのかもしれない。尤も、出撃までまだ時間はある。それまでに酔いを醒ます自信もある。だからいちいち突っ掛かってくんじゃねえぞ、鬱陶しいからな、と男は考えた。
 低いコール音に青年が端末を取り上げる。
 二言、三言、言葉をかわしたのみで会話を終了した彼の周囲に青い髪の青年と赤い髪の少女が身を寄せた。足元で跳ねる丸い影。
「ねえねえ、誰からだったの?」
「王留美とアレハンドロ・コーナーから個々に連絡が入った。予定に変更はないそうだ」
「へっ! なんでえ、イレギュラーはないのかよ。つまんねーの!」
『ツマンネーナ! ツマンネーナ!』
 淡々とした青年と悪態をついている青年とはしゃいでいる少女と紫色の独立AI。
 外見はどうであれ、ここに居る連中は『子供』ばかりだ。
 幼い『子供』こそが世界を回す。
 たとえそれが真実だとしても、男は、『子供』が心底鬱陶しかった。
 <聖典の使徒>として武器に仕立て上げることや道具として扱うことは勿論愉快だったが、なんだかんだと文句はつける。泣く。喚く。弱い。脆い。馬鹿で浅はかで愚かですぐに壊れる。力もないくせに権利だけ主張する。煩わしくて仕方が無い。
 目の前の青年たちはこちらに必要以上に関わってこないし、こちらも関わるつもりはない。自分たちは同じ命令に従うただの同業者であり、仲間でも同士でもなく、ましてや歳の離れた友人になど成り得るはずもなかった。
 だから男は彼らの名前を覚えていない。彼らが駆る機体に則って『アイン』、『ツヴァイ』、『ドライ』と呼んでいた。まとめて呼びたきゃ『トリニティ』だ。要は戦闘の最中に見分けさえつけばいいのである。彼らもまた、男のことを戦闘機の名をとって『ゼロ』と呼んでいる。彼らは彼らなりに男を忌避していて、だからこそ無機質な名前で呼ぶのだが、そんなのは瑣末なことだった。
 酒が底をつきそうだ。壁に預けていた背中を起こして、部屋を出る。
 広い廊下には驚くほど人気がなく、ヒトの暮らしている気配がなく、不気味な沈黙が落ちていた。時に白い服をまとった小さな影が行き交うことこそあれど、互いに興味を抱くことがないために立ち止まって言葉を交わすこともない。
 ああ、本当に妙な連中だ、と。
 酒で聊か鈍った頭で男は哂う。
 先刻の『アイン』たちはともかくとして、ここのガキどもは一向に歳を取る気配がない。外見がもともと青年だったなら若作りだと笑ってやったものを、どう見ても十代半ばの者が何年経っても身長・体重ともに変化がないとあらば認めざるを得なくなる。揃いも揃って綺麗な顔をしているが、その面に感情を乗せることはまず有り得ない。歳経た『モノ』ほど感情らしきものを浮かべるけれど結局は擬似的で胡散臭さが増すばかりだ。
 確か連中は自分たちのことを―――何と言っていたか。『イノベイター』、だったか? 『アイン』たちとはまた別の役どころだと。
 しかしそれすらも男は曖昧にしか覚えていなかった。覚える必要を感じなかったからだ。
 男にとっては戦うことがすべてで、戦いを楽しめることが第一で、誰かを捻り潰したり、裏切ったり、踏み躙ったりできる環境を与えてくれるなら、それが人間だろうと人間でなかろうと意には介さない。男はここに居る連中とほとんど話をしなかったから、従って、紛争の根絶を願ったというイオリア・シュヘンベルグの思想に最も遠い位置にいるのが男であり、その男が『ヴェーダ』に加担しているという皮肉を指摘されることもなかった。
 新しい酒を取りに行くその途中、遠くから流れてきた風に男は足を止めた。いつもなら感じるはずのない風が吹き込んでいる。つまり、誰かが扉を開けている。
 ふらふらと歩を向けて開け放たれた扉から甲板に踏み出した。案の定、遠目の柵の上に突っ立っている姿が見える。
「―――何か見えんのかよ」
 残り少ない酒に口をつけながら男は歪んだ笑みを浮かべた。
 そうだ。
 もしも男がこの白い箱の中で多少なりとも興味を抱いている相手がいるとすれば―――それは、目の前でのんびりと地上を眺めている青年に他ならなかった。
 青年は両手の親指と人差し指で空を四角く切り取って、狭いフレームに何かを捕らえる。
「ここからは、プトレマイオスがよく見える」
「………ああ?」
 青年に倣って地上を見下ろして、すぐ止めた。時刻は深夜。幾ら月が出ていようと星が並んでいようと、『ヴェーダ』が雲よりも上に位置していようと、遥か彼方にある敵の本拠地が黒点以上のサイズで見えるはずもない。
 が、青年の左目がほのかに金色の光を放っているのを見て取って、<視>ていたのかと納得した。
「緑頭のガキはどうした」
「さあな。悪巧みの真っ最中じゃないのか?」
 応える青年の声は抑揚があるようで感情があまりない。
 妙に淡白に見える性質も、何年経っても歳を取らないのもここの連中と同じだが、それでも、この青年は少し『違う』。青年型だからではないし、連中のような白いビラビラした服ではなくカーキ色の軍服を身につけているからでもない。
 おそらく彼は、地上から連れて来られた部外者だ。部外者だが、ガキどもにとってはそれなりに大切な存在らしく、男などよりはずっと丁寧に、大切に、真綿で首を絞めるようなしつこさで拘束されている。
 いつだったか。
 まだ、男が『ヴェーダ』に来て間もない頃。
 少年型に混じってひとりだけ青年型がいることがおかしくて、ヒトを殺した経験もあるだろうに妙に澄み切った緑とも青ともつかない瞳が興味を引いて、からかい混じりに青年の顎に手をかけた。
 途端、腕が吹っ飛んだ。
 腕を吹っ飛ばしたのは青年ではない。何人も居た子供のうちのひとりだった。

 ―――不躾な男ですね。確かにあなたを此処に迎え入れはしました、でもそれは勝手に振る舞っていいことと同義ではない。場を弁えないならいますぐ『作り直し』ますよ。

 と、にっこり笑われると流石に面倒くさくなった。
 かつて吹っ飛ばされた腕は、現在、ものの見事に治っている。最先端の再生治療だ。きっと連中はその気になれば細胞のひとつからでも『男』を再生できる。だからあんなに躊躇いなく銃をぶっ放すし、モノの価値が分からないし、淡白な性質をしているのだ。価値あるモノを壊す愉悦を理解しないのだ。
 連中はただひとつの『核』から作られた同一存在だ。コピーだ。レプリカだ。髪の色や目の色こそ違えども基本的な考え方も行動も不気味なほどに酷似している。「劣化した」と判断したものは宙の城から捨て去って只管に「純度」を保っている。
 ならば、そんな連中がそれなり―――あくまでもそれなりだ―――とは言え気にかけているらしいこの青年は何者なのか、というと。
 個人名、もあったがやはり男はそれを覚えていない。必要を感じなかったからだ。
 連中には<イオリア・シュヘンベルグの器>―――と呼ばれていただろうか。
 器。入れ物。受け皿。よりしろ。

 ―――イオリアの思想を体現しているとか、イオリアの血を引いているとか、そういう訳じゃない。

 腕を治療している男を見舞うという人間らしい行動を示した青年は平然とした顔で応えた。

 ―――あいつらに言わせればいまの人類は須らくイオリアの劣化コピーなんだそうだ。人間のDNA、二重螺旋の組み合わせが無限に近く思えても、結局はイオリアの遺伝子配列が最高で、最上で、至高のものなんだと。
 ―――連中自身はどうだってんだ。
 ―――あいつらはイオリアの遺伝子を手本として創られているからな。考えてみれば当たり前の話さ。イオリアが確実に採取できた標本なんて自分しかいなかったんだし。
 ―――酔狂な科学者だな。はっ! くだらねぇ。
 ―――全くだ。どうも、紛争根絶を果たした暁には<器>にイオリアを『ダウンロード』してみんなを導いてもらいたいみたいなんだが、それってオレが将来イオリアみたくハゲるってことなのかね? ちょっとイヤだよな。

 イオリア・シュヘンベルグ自身は己を『完璧』な人間だとは思っていなかったに違いない。だからこそ自身を踏み台として『ニンゲンモドキ』を生み出すような振る舞いができたのだ。
 しかして彼が苦労の果てに創り上げた者たちが、創造主の復活を望む「究極の自己愛」を至上の命題と掲げる存在になったというのは全くの皮肉としか言いようがない。青年はのんびり笑っていたが、それが真実奴らの望みだとするのなら、確かに連中は「劣化」しているのだろう。
 周囲を自分と同じ存在だけで囲めばそれはそれは安心するに違いない。連中も『トリニティ』も結局はイオリア・シュヘンベルグ当人を基礎とする『同一存在』なのだから。
 そして、連中からすれば見下す対象にしかならないはずの『人類』の中で、珍しくも青年の遺伝子配列は生まれつきイオリア・シュヘンベルグのそれと酷似していた。だからこそ彼らは青年に一定の価値を見い出している。『コピー』された訳でもなしにある程度の『類似』を見せる者が貴重に感じられるのだろう。細胞のひとつからでも人間を再生できる彼らでさえ、やはり、『創造主』を創り直すのは難いという訳か。
(天然モノと養殖モノの違いってか?)
 男はクツクツと下卑た笑いを浮かべた。
 繰り返し、繰り返し、遺伝子情報を後世へとコピーしていく『人類』と『イノベイター』。
 しかし、それの意味するところすら男にとってはどうでもいいことだった。
「てめえは、こんなところで油を売ってる暇があんのか?」
「オレの出番はまだ先らしい」
「落ち着いてやがるな。てめえはどっちかっつーと地上の人間に同情的だ。きちんとやれんだろうなあ?」
 空になった酒瓶を地上へ投げ捨てた。
 青年がしくじればこちらの戦いにも影響してくる。自分たちの作戦が成功して初めて、この青年が動き出すのだと分かっても多少の疑念は付き纏っていた。
 いつの間にか光を収めていた左目をこちらに流して相手は不可思議な表情を浮かべる。
「そうだな―――例えば」
「あ?」
「例えばあんたが何かを創り上げるために、何かを創ったとして」
 笑っているようでもあり、皮肉っているようでもあり、憂えているようでもあり。
「その創った何かが、いずれあんたが創り上げたかった何かを壊して頂点に立とうとすることまで明白に過ぎたなら、あんたはそれを黙って認めるか?」
 それが、「きちんとやれるのか」という問いに対して。
 どんな回答になるのかと僅かに男は眉を顰めた。

「あんたは、あんた以上の『モノ』の存在を、その後にも許すのかって話さ」

 それは。
 つまり。
 男が口を開き掛けた時、視界の隅に明るい黄緑の髪をした少年が映った。彼は当然のように青年の傍に歩み寄って穏やかに微笑む。
「ライル。夜風は身体に障りますよ。作戦の決行も近いのですから早く休んでください」
「………わかったよ。リボンズ」
 青年は肩を竦めると諦めたように柵から身体を離した。
 瞬間的にこちらに残した視線が哂っているようでもあり困っているようでもあり、さて、そんな表情をされたところでこちらが何かをしてやる謂れもないのだが。
 丸っきりついでという態度で少年がこちらを見遣る。
「あなたも早く休んでください。いいですね?」
「へいへい」
 頼んでいるのか命令しているのか分かりづらい口調と態度と言葉ではある。しかして連中は目の前の人間が逆らおうと何をしようと基本的には気にしないのだ。仮に自分がこの少年を銃で撃ち殺したところで翌日には何食わぬ顔で『復活』しているのだろう。実に面倒くさい。だから殺す気にもならない。お互いにそれだけの話だ。
 ふたりが立ち去った後、空を見上げながら少しだけ考えた。
 あんた―――創造主、イオリア・シュヘンベルグは。
 あんた以上の『モノ』―――イノなんちゃらのことか?
 その後―――イオリアの目的は紛争の根絶とやらにあったはずだが、即ち。

 紛争の根絶を成し遂げた後で。
 連中が『人類』の上に立つことを、イオリアが許すと思うのかと。
 問い掛けたかったのだとしたら。

「………なぁーるほど………」
 にやりと男は口角を引き上げた。
 ならば考えは読みやすい。愛する『人類』のために自らを実験材料として、愛する『人類』の自覚を促すためだけの存在を創った実に献身的な科学者が、一部を除いて連中に明確な性差をつけなかったのは希望を託したからではない。天使の比喩でもない。男女の垣根をなくすためでもない。二重螺旋の交配による独自進化の可能性を防ぐための。

 ただ、『人類』の存在がなければ立ち行かないようにするための鎖。

 青年の言葉が的を射ているとするのなら、今度の戦いはどちらにとっても―――。

 


滅びの道

― side L ―


 

 だが、どうだっていいことだ自分には。創造主の傲慢も科学者のエゴも殉教者の悲鳴も、戦う場所が与えられるなら誰が死のうとどちらが生き残ろうと知ったことではない。
 イオリア・シュヘンベルグが何を思おうと、何を求めていようと、何を憂えていようと、この先に待つのが滅びであろうと何であろうと。
 そうとも。

 ―――壊すために『此処』に来たのだから。

「ははっ、面白ぇ! 面白ぇじゃねえか!!」
 頬打つ冷風がこころを波立てる。
 そうして男―――アリー・アル・サーシェスは、あらたに始まる戦乱を思って笑い声を上げた。

 

side N

 


 

本編で色々と語られてしまう前に! とばかりにネタつっこみの回。

この話の後にこの話を読むと、まあ、大体つながるかなーと。

いちおーこの話でも兄貴とライルさんは兄弟です。細部設定で迷っている部分もあるのですが、

基本的には「パラレルだもの」で突っ切りたいと思います(あのなあ)

それ以前にそこまで書くことができるのかと(ry

 

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