※(一応)二期7話派生SSです。

※アレルヤに対してあまりあまり優しくない内容になっていますので、読む際はご注意願います。

※時系列としてはパラレル本編より四年ほど前になります。

※ちなみに、この時期の兄貴はまだハムさんと会っていません。

 

 

 

 

 


―――かみさま。
どうしてはじまりはひとつだったものをふたつにわけたりしたのですか。
ぼくは。
ぼくたちは。
ぼくたちはぼくたちをぼくと「ぼく」としてあつかってもらいたい。

けれど―――。

 


Borderline


 

 見かけたのは偶然だった。
 頭上には皓々と輝く月明かり。トレミー内の消灯時間はとっくに過ぎている。
 偶々通りかかった甲板で、ゆるゆると風に靡く白く長い髪。未だ幼い後ろ姿は歩み寄ることで相手が誰であるかを確信させた。
 のに、戸惑いを深めてしまうのは。
「よお。こんな遅くに何やってるんだ?」
「―――」
 振り向いた金の両目。年齢の割りには落ち着いた印象を与える眼差し。
 だが、普段は強く快活な意志を秘めた瞳がいまばかりは翳っているようで。
 セルゲイに連れて来られた三人のうちのひとり。当初はさすがに遠慮を見せていたが、最近はそうでもなくなっていることを知っている。なにせ、彼らの面倒を任されたのは自分だ。初対面時の苦労はいまでもイヤと言うほど思いだせる。
 だからこそ彼女―――ソーマ・ピーリス、が。
 無言を貫いていることに戸惑いを深める。普段ならば出会った時刻に関わらず「お疲れ様です、ディランディ軍曹」ぐらいは言って来るだろうに。
 しばしの沈黙の後でニールは深い溜息をついた。気にしなければいい、邪魔したなと告げて立ち去ればいい、個人の事情に首を突っ込むのも憚られる。常に彼女と行動を共にしている双子がいない時点で何かしらソーマが―――『彼女』、が。ひとりになりたいと思っていたことは確実なのだから。
 そうと理解しつつ、これも性分とばかりに片手で艦内を指差した。
「このままだと風邪ひいちまうぞ? そうだな。もし暇なら、少し付き合ってくれないか?」
「………」
 彼女は応えないままに静かな頷きを返す。
 廊下には人通りがない。なくて当たり前だ、深夜なのだから。尤も、彼女の儚げな様子では、通りすがりの誰かがこちらを見たところで「ディランディ軍曹が幽霊を連れていた」との噂しか流れはしないだろうけれど。
 途中で食堂に立ち寄って菓子と飲み物を調達し、ニールの自室に入ってからも彼女は只管に沈黙を守っていた。何処か居た堪れない表情のまま顔を俯けている。
 食堂で仕入れたクッキーを皿に出し、備え付けのコンロでもうひとつの材料をあたためる。目の前にマグカップを置くまでまったく反応はなかったが、流石に、漂う甘い香りには気付いたらしい。
「この、香り………」
「ホットチョコレート。苦手か?」
「………いえ。ありが、とう。ございます………」
 部屋が散らかっていて悪いなとか、いきなり呼びつけてごめんなとか、あんなところで何してたんだとか、問うべきことは幾らでもあった。だが、尋ねたところで彼女の助けになるとも思い難い。
(でも、なあ)
 少なくとも『これ』は確認しとかんといかんだろーよと口を開いた。
「あのさ。違ってたら悪いんだけど」
「―――はい」
 ホットチョコレートを口に含んで少しだけ嬉しそうに笑った少女は、思ったよりもあどけない表情で首を傾げた。
「『君』の名前を訊いてもいいか? 初対面だよな」
「―――っ!」
 瞬、間。
 金色の目が有り得ないぐらいに開かれて、どうしてそんな珍獣でも見たような目つきをされなきゃいけないんだとちょっとばかしズレたことを考えた。
 少女は飛び上がりかけた身体をかろうじて椅子の上に戻す。
「わっ………私は。ソーマ・ピーリスです」
「だな。ソーマには会ったことがある。アレルヤやハレルヤと一緒に紹介されたし、そうでなくともオレはあいつらの面倒みるよう命じられてたんだ。イヤでも覚えるって」
「なら―――」
「言ったろ? 違ってたら悪いけどって」
 コンロの上で沸騰しかかっていた自分のコーヒーを慌ててカップに注ぎ、小さなテーブルを挟んで椅子に腰掛けた。
「確かに君はソーマだ。でも―――うん。やっぱ。少し違うな。きちんと話をするなら名前を知らないとやりづらいだろ」
「………」
「だから訊きたかったんだ、が―――」
 眼前の少女は凍りついたまま身動きもしない。
 違うと感じたのは、なんら根拠のない勘のようなものだ。ソーマにもこんな淑やかな面があったのだと考えることは容易いが、それにしては口調も態度も雰囲気も違いすぎる。姿は同じなのに中身が違う。どれほどに外見が似通っていても、中身が違う以上は中身にあわせて会話をするべきだと思ったのだが。
 ―――個人の事情に踏み込みすぎたのかもしれない。
 ニールが自省の念に駆られだすのを見計らったかのように、少女は、深い、深い息を吐いた。臥せっていた面は真っ直ぐこちらに向けられている。口元に浮かんだ微笑は十四歳のものとは思えぬほどにおとなびていた。
「驚きました―――ディランディ軍曹」
「呼び捨てでいいぞ。ソーマたちにもそう言ってるからな」
「はい………ありがとうございます。でも、どうして私が『ソーマ』ではないと思ったのですか?」
「勘?」
 オレにあるのはそんだけだと呆気なく言い放てば、一瞬の沈黙の後に花が咲くように微笑まれた。
 ああ、確かに『ソーマ』はこんな笑い方はしない、かな。
「本当に勘だけなんですか? 私たちの過去は知らされていませんか?」
「どっかの研究施設に捕まってたってことは聞いたよ」
「そうですか。………私は『マリー・パーファシー』。『ソーマ』の主人格―――いいえ、この『肉体』に宿るもうひとつの精神です」
 それ、は。
 有り体に言ってしまえば二重人格とか解離性人格障害とかに分類されるものだろうか。過度のストレスが人格の形成に影響を与えて云々、現実から逃げ出すためにもうひとつの人格を云々と、しかしてニールは心理学の専門家ではなかったから特別な疑問も興味も抱かなかった。
 ただ、目の前に『彼女』がいる。それがすべてだ。
「そうか。じゃあ、あらためてよろしくな。マリー」
「………あなた、やっぱり少しおかしいと思います」
「何が」
「もう少し驚いてもいいのではないでしょうか」
 握手をかわしつつ疑問を呈されて、確かにそうかもしれない、と考える。
 考えてはみた、が。
「身体がひとつだろうとふたつだろうと、違っていて尚且つ同じ人間だと思える以上は同等に扱うしかしようがないと思うがね。同じなのに違うってのが双子の最大のジレンマだよな」
「私は双子ではありませんが?」
「似たようなもんだろ」
 クスリ、とマリーが笑みを深める。
「あなたは、『ソーマ』とも握手をしてくれましたね。アレルヤとも。ハレルヤとも」
「いま、マリーとも握手したから、ようやっと一通りの自己紹介が終わったとこだな」
「………ホットチョコレートを用意してくださった理由は?」
「ソーマが好きだったろ?」
 思ったままを答えたのに何だか微妙に泣きそうな表情をされてしまった。この年齢になっても女の子ってのはよく分からない。
 そもそもこの子はあんな寒い場所にひとりで落ち込んでたんじゃないかと遅れて思い出す。
 だが、積極的に尋ねられるほど親しくはないし、胸を張って受け入れられるほど人生経験つんでる自信もない。彼女が語るに任せようかと長期戦を覚悟した途端、ぽつりと言葉が零れた。
「私―――」
「………ん?」
 先刻の明るさは鳴りを潜めて、マリーは悲しそうに眉を顰めている。
「『表』に出てくるの、久しぶりなんです」
「そうなのか?」
「以前はもっと頻繁に出ていました。私が出ないことで、『ソーマ』に負担をかけていることも分かっています。でも―――いやなんです」
「戦うことが?」
 彼女は、それには首を横に振る。
「誕生の経緯がどうであれ私は戦うために作られた超兵です。そうである以上、この力は人々のために役立てねばなりません。戦うことは私の、いいえ、私と『ソーマ』の存在意義にも等しいことです。今更引くだなんて考えたくもありません」
「なら、どうして君は出てこない」
 共に十字架を背負うと決めたなら、『ソーマ』ばかりに引鉄を引かせる訳には行かないはずだ、と。
 少々酷かもしれない言葉を口にすると、彼女は悔しそうに歯噛みした。
「………アレルヤ、が」
「アレルヤが?」
「私を、好きだと言うんです」
「………………そうか」
「でも、彼は」
 マグカップを握り締める指先が細かく震えていた。

「彼は―――私の中の『ソーマ』を認めない………」

 決して激しくはないのに。
 身を切るような叫びだった。
「『ソーマ』は確かに私じゃありません。でも、私なんです。彼女が銃を手にした時、ヒトを撃った時、私も同時に罪を背負っているんです。なのに何故、私は―――私が目覚めて一番に耳にする言葉は、アレルヤが『ソーマ』を拒絶する言葉でなければならないのですか? 何故、私ひとりが罪から逃れたと喜ばれなければならないのですか………!?」
 顔を俯けて嘆く。
 だが、涙は流れない。
 助けや赦しを請うている訳ではないからだ。彼女の中に溢れているのは、『ソーマ』のために何もしてやれない自らの不甲斐なさと、そうと理解しつつも『ソーマ』にすべてを押し付けてしまっている自らのずるさを憎んでいるからだ。
 ふたりは『同じ』であると認めて欲しいのに認めてもらえない。ふたりが『違う』存在だと認めた上で『同じ』に扱って欲しいなんてのは、とんだ我侭だと分かっていても。
 しかし、俄かには信じ難い。
 あのアレルヤが、本当に、思わず『マリー』が内に篭もらざるをえないほどの強い拒絶を示したりするのだろうか?
 激情は速やかに流れ去ったのか、面を上げた時には彼女の表情は落ち着いていた。
「………取り乱してしまってすいませんでした」
「なーに。偶には愚痴を零さないとここじゃやっていけねーって」
 冷えかかったホットチョコレートをもう一回あたため直してからマグカップに注ぐ。
「なあ、マリー。オレに対してあんだけ愚痴を零せるんだから、一回、喧嘩するのも覚悟の上でアレルヤにぶちまけてみたらどうだ?」
「………無理です」
「無理ってことはないだろ、無理ってことは」
「いえ。告げたことなら何度もあるんです。ただ、彼にとって私の言葉はすべて、『ソーマ』を庇うための弁護でしかないんです」
「弁護の何が悪い。マリーが『ソーマ』を大切にしてるって証じゃないか」
「マリーは優しいから、『ソーマ』なんかのことも受け入れているんだ、ってなってしまうんです。彼の中では」
「それは―――」
 我知らず表情を曇らせた。
 本当だとしたら、かなり性質が悪い。そんな盲目的な愛情表現をするのは自分と『彼』ぐらいだと思ってたのに、身近にとんだ同類がいたものである。
「アレルヤは」
「うん」
「いつになったら―――『ソーマ』を見てくれるのでしょう………?」
 どちらも『私』なのに、と呟く少女の願いは切ないけれど。
 そのためにはアレルヤの中にある『マリー』という名の女神を壊さなければならなくて。
 幼い頃に植えつけられただろう信仰を崩すのは容易なことではなくて。
(でも、なあ。アレルヤ)
 お前―――そんな奴じゃないだろう?  そんな、先へ進もうともせずに成長を止めてしまうような、愚か者じゃないはずだろう?
 ―――『オレ』じゃあるまいし。
 僅かに肩を揺らしてマリーが扉を振り返った。
「………ふたりが来ます………!」
「アレルヤとハレルヤか? なんで分かるんだ?」
「―――わかるんです。互いの居場所が」
 ここで。と。彼女は自分の頭を指差して寂しそうに笑った。
 一応は軍人として訓練を積んでいるはずの自分にも未だ気配は感じられない。それが分かるのは、三人が同じ施設に捕まっていたからなのだろうか。
 少し間を置くことで漸くニールにも来客の気配が察せられた。
 ダン! ダン! と扉を叩く忙しない音。やれやれとぼやきながら席を立ち、鍵を開けた途端に扉が凄まじい勢いで開いた。

「マリー! ここに居たんだね!!」

 ………オレを挟みそうになったことに謝罪はないのかね、アレルヤくん。
 すんでのところでスルメになるのを逃れたニールの、引き攣った笑みに気付いたのか気付いていないのか。こちらを向いた瞳は常にはないほどの輝きに満ち満ちていた。
「ああ、ここってあなたの部屋だったんですね。夜分遅くに失礼します」
「あーのーなあ。お前、挨拶の順番が間違って―――」
「マリー、心配してたんだよ? 起きてたのにどうして教えてくれなかったんだい?」
「って、聞いてねえ!?」
 なんだかちょっとショックだ。
 近所迷惑にならないようにとハレルヤを招き入れた後で扉を閉じる。くらくら頭を回している横で、物凄く不機嫌そうな顔をしたハレルヤがぼそっと呟いた。
「いまのあいつに何いっても無駄だぜ。嫌味も何もききやしねえ」
 うん。まあ、それは。
 なんとなく分かった。
 目の前ではアレルヤがマリーにじゃれついている。しがみついたり抱きついたりしている訳ではないのだが、彼がもし犬だったなら、尻尾と耳を千切れんばかりに振っていることが確実なぐらいには懐いていた。
 マリー、マリー、マリー。
 君に会いたかった、君に会えてよかった、君に会うためにここに来たんだ。
 アレルヤが彼女に向ける感情は一見して真っ直ぐだ。マリーの告白を聞いていなければ、単純に「微笑ましい光景だなあ」と見守っていたことが予想できるほどに、ただただ只管に、何処までも純粋な『好意』でしかない。

 だからこそ、余計に。

 はしゃぐアレルヤに対してマリーは静かに微笑んでいるだけだったが、確かに、このあまりにも遠慮のない感情の前では微笑むしか術がないかもしれない。自分のどんな発言も、どんな悪意も、彼を傷つける刃にはならないのだ。これは抜き身のナイフよ、危ないから近付いてはいけないのよと諭しても、子供は「そうだね」と頷いて素直にナイフをその身に受ける。流れる血にも頓着せずに「そんなことより僕の話を聞いて。あなたを賞賛させて」と迫るのだ。
(………なまじのホラーよか怖くねえか、それ)
 自分で自分の想像に眩暈がした。
 真っ直ぐな、愛情なんて。
 頑ななほどに必死な好意だなんて。
 もう二度と自分には抱けないと思うからアレルヤの感情が羨ましくもある。けれども一方で、それが続けばいつかは耐え切れなくなることを知っている。

 ―――「好き」だからどんな罪も許される。
 なんてのは。
 もう、本当にお伽の世界だけなんだよ。

 だが、他ならぬ彼の手によって同じ『お伽の世界』の住人にされてしまった人間には、今更、逆らうこともできない。
 それができるのは部外者だけだ。
 夢の世界に現実を持ち込む、嫌味で、薄汚くて、嘘つきで、愚か者の集大成のような外部の人間だけなのだ。
(………って―――)
 それが、『オレ』なのかよ、と。
 天を仰ぎたくなった。
 ただ、このままでは、いずれ『マリー』も『ソーマ』も『アレルヤ』も、『ハレルヤ』も身動き取れなくなることは確実だから。
 ニールはひとつ舌打ちをした。
「―――なあ、アレルヤ」
「なんですか?」
 先ずは彼の認識のほどを確かめておかなければならない。
 何も知らない、何も聞いていないフリを装ってニールは不思議そうに問い掛ける。
「彼女の名前はソーマだろ。どうしてマリーなんて呼ぶんだ?」
「違います。彼女はマリーです」
 嬉しそうに、誇らしげに、アレルヤは笑う。普段はおとなしくて引っ込み思案で内気で陰気と評されることの多い少年の変わりように、なんだか非常に嫌な予感がしてしまう。
「マリーってのは誰だ?」
「マリーはマリーです。優しくて、綺麗で、誰かのことを傷つけたりするなんて夢にも思えない子です」
「―――ソーマ。だろ? 彼女は」
「違います。………それ以上いったら、幾らあなたでも怒りますよ?」
 言葉の影に本気の殺意が滲んでいる。今更その程度のことで動揺するような人間ではないけれど、あまりの思い入れに溜息を零したくなってくる。
 アレルヤの影でマリーが僅かに顔を俯けた。
「じゃあ、ソーマは彼女にとっての何なんだ」
「要らないものです」
 あっさりと。
 アレルヤはそれを口にした。
 あまりにも呆気なく、悪意の欠片も窺えない口調と表情で、無邪気な笑みと共に。
「ソーマは人体実験の過程で生まれてしまった不完全な存在なんです。だからもう、研究所を脱出したマリーには必要ない人格なんですよ。マリーは優しいから、ソーマを見捨てることができないけど」
「………お前、ソーマとも一緒に戦ったりしてただろ………?」
「勿論です。ソーマの中にはマリーが居るんだから」
 それ、は。
 居なかったら一緒に行動したりしません。
 て、―――こと、なのか。アレルヤ。
 咄嗟に二の句が継げず、逃げ出したい気持ちに駆られたところで、懇願の意を篭めてマリーに見詰められた。追い討ちをかけるように背後から突き刺さる視線。これはハレルヤだ。ハレルヤしかいない。
(貧乏くじ確定かよっ………!)
 軽く首を振った後に、一先ず座れとふたりを促した。素直に従ってくれる辺りは助かるのだが、小さなテーブルを囲んで青年になりかけの青二才と、少年少女が顔をつき合わせているなんて一体どんな状況だよと嘆きたくもなる。
 少年ふたりにはミネラルウォーターを進めたものの。
「………アレルヤ。そんなに睨むな。オレは彼女がマリーだってことをちゃんと知ってる」
「え? そうなんですか?」
 だったら早くそう言ってくださいよと、途端にアレルヤはいつも通りの穏やかな表情に戻る。先刻の態度とは雲泥の差だ。それほどに彼女のことが大切なんだと理解できると同時に、この熱烈な崇拝っぷりは少しどころか、かなりヤバいと感じた。
 軍人なんて因果な商売だ。いつどんな命令を下されるか分からないってのに、彼女が『ソーマ』としてある分には支障はなくとも、『マリー』が目覚めたならば彼が命令と彼女のどちらを優先するのかなんて火を見るよりも明らかだ。
「アレルヤ。ソーマは、つまり、マリーだろ?」
「全然違います。マリーの方が綺麗だし、マリーの方が優しいし、マリーの方が―――」
「わかってる。わかってるよ、確かにふたりは別人だ。でも、肉体が同じである以上は完全に別の人間として扱うことも無理があるだろう? お前はそれを理解した上で、ソーマはマリーにとって『要らない』なんて断言できるのか」
「それ、は―――」
 先ほどの言い回しは少し棘があったかな、と。
 遅ればせながら気付いたのかアレルヤがやや困ったように眉を下げる。ちらりと左手の少女を見つめた後に、それでも、と意外と頑固な少年は口を開いた。
「僕にとっては、いてもいなくても変わらないんです」
 ―――これは。
 思ってた以上に面倒な状況だ。
 今度ばかりは誰はばかることなくガックリと項垂れて、ニールは困りきったように右手で己の頭を抱え込んだ。ちくしょう、なんだこの既視感は。この頑なさは。まったくもってやってられない。
 目の前を過ぎるのは。

 ―――兄さん。
 ―――兄さん。どうしてなんだ。どうして。
 ―――『オレたち』は。

(っ………!)
 ぐ、と唇を噛み締めて。
「―――アレルヤ」
「はい」
「お前、ハレルヤのことは好きか?」
 ぴくり、と。
 急に名指しされた金目の少年が眉をしかめた。
 問われた側は只管にあどけなく、不思議そうに首だけを傾げる。
「好き、ですけど」
「お前とハレルヤは双子だ。双子は、まったく同じ存在だと思うか」
「すごく近くに居ますけど―――でも、違うと思います。僕は僕だし、ハレルヤはハレルヤです」
「そうか」
 なら良かったと笑いかけると、相手もはにかんだ笑みを返した。
 ハレルヤのことを大切に思えるのなら、隣に座る彼女のことにだって思い至りそうなものだが、始めから頑なに否定して何も見えなくなっているのかもしれない。マリーの言葉もハレルヤの苦言も拒否するのなら、物凄く直接的な言葉で伝えるしか道はないのだろうか。
 確実に嫌われるし恨まれるし憎まれるよなと、苦く笑った後でニールは切り出した。
「例えば、だ」
「え?」
「オレが、お前に」
 オレ、の部分で自分を指差して、お前、の部分でアレルヤを指し示す。
「お前には水をあげたのに、ハレルヤにはやらなかったとしたら、お前はどう思う」
「………ハレルヤにもあげてくださいって思います」
 訳が分からないとアレルヤは首を捻る。
 それならと更に言葉を重ねる。
「オレが、お前を自宅に招いたけれどもハレルヤは招かないと言ったらどうする」
「………一緒じゃなきゃ行かないと答えます」
 左側に倒していた首を今後は僅かに右側に傾ける。少し、表情を曇らせて。
 先の感情を促すことなく単調に問いと答えを重ねていく。
「オレが、同じ作戦を命令された時に上官の権限を発動して、お前を安全な後方に配置して、ハレルヤだけ死ぬのが確実な前線へ送り込んだらどうする」
「―――僕も前線に行きます」
「オレが、お前には生きていてほしいけれども、ハレルヤなんて死んでも構わないと言ったら、」
「―――赦しません」
 強く、睨みつけてくる。
 真っ直ぐな銀色の瞳に射殺されそうだ。低く押し殺した声が広くも無い室内に響いて空気を凍らせる。
 いい答えだ。
 ゆっくりと笑った。
「あなたが本当にそんなことを考えているのなら、僕は―――」
「お前だよ、アレルヤ」
「………?」
 机の上で拳を握り締めていた少年は訝しげに目を細める。

「オレはお前だよ、アレルヤ」

 ―――もっと言わないと分からないか?
「あなたは、僕………」
 ニールが『アレルヤ』であるならば、誰がどの役に割り振られていたかなんて明確に過ぎるはずだ。例え話に例えることも躊躇いを覚えそうなほどの明示だ。
 促した後ですっかり冷え切ってしまったコーヒーに口をつける。
 少年はその場で固まっていた。
 沈黙が続く中、瞬きすらせずに動きを止めていた少年が、やがて、ゆっくりと息を吐く。恐る恐ると左手を見て、俯いたままの彼女を目の当たりにし、困ったように右手を見て、無表情で見上げてくる片割れと視線を交錯させる。
 ゆるゆると正面を見詰めた彼は、何処か震える声音で言葉を紡いだ。
「もし、………もし―――あなたに双子の兄弟がいたとして」
「―――ああ」
 仮定の話に背筋が冷えた。
 のは、穏やかに笑うことで受け流す。
「もし、あなたばかりを優遇し、片割れを冷遇するヒトがいたとしたら、あなたはどうするんですか」
「相手にもよるな。どうでもいい奴ならどうとも思わないし、むかつく奴だったらぶん殴る。好きな相手だったら困りきって途方に暮れるだろうし、それでもいつかは無理が重なって破綻するから、そーなる前に絶交するのも覚悟で相手に全部ぶちまける」
 あんまり『あいつ』をバカにすんな、ってな。
 チラリと視線を流すと、マリーが唇を強く噛み締めた。彼女には心底同情するし、言えた立場ではないと分かってもいるが、彼女自身が自覚している通り、『ソーマ』のためにアレルヤを説得しきれないのは彼女の甘えだ。
「結局、それの意味することは同じだ。オレは、そんな奴らに内心で評価を下してる」
 伸ばした指先で、テーブルの上に線を引いた。
「ああ、―――こいつは、『駄目』なんだってな」
「『駄目』?」
 境界線。
 内側と、外を別つための。
 自分たちと、そうでないものを区別するための。
「そうだ。こいつは金輪際、『オレたち』の理解者にはなりえない」
 浮かべた微笑が淋しげなものになっていないことを願う。

「お前には何も期待しない。お前には何も求めない。こちらから必要以上に関わる真似もしない。そちらがどう思おうと構やしないから、だから、この境界線から『こっち』には入ってこないでほしい」

 ―――兄さん。どうしてなんだ。

「きちんと節度を守ってくれるならとやかく言わない、笑って相手もする、場合によっては助けもする、仲間と呼んで酒だって酌み交わす。けどな」

 ―――どうして『オレたち』はこんな風になってしまったんだ。
 ―――どうして誰も『オレたち』を。
 ―――どうして。
 ―――確かに『オレ』は兄さんじゃないけれど。

「所詮その相手が『オレ』ひとりに過ぎないなら、『オレ』の半身を受け入れないなんて言う奴が相手なら、たとえそいつがどんなにいい奴でも、善人でも、人々の信望が厚くても」

 ―――それでも『オレ』は。
 ―――『オレたち』は。

「何一つ認めてやんねーよ、糞食らえ! ってな?」

 アレルヤが、息を呑んだ。
 マリーも、ハレルヤも、反応を返さない。
 そりゃそうだよなとニールは若干の諦観を抱く。五つ以上年下の連中に何を話しているのやら。彼らは自分の仲間であり、新人であり、研究所に捕らえられていたことを考えれば精神年齢なんてもっと低いはずなのに。
 銀色の眼をした少年は悲しそうに瞳を伏せて、強く、拳を握り締める。
「あなたは………僕の、こと、を」
「おいおい、誤解すんな。お前に対しての感想の訳ないだろ。大体、オレにはお前らみたく半身にあたる存在なんていないしな」
 いまは。と、胸の中でだけ付け足して。
「………お前はいい子だよ、アレルヤ。とても優しい子だ。だから、そんなお前が誰かを拒絶する言葉を吐くのは聞いてるだけでも」

 ―――つらい。

 今日だけで幾度目かの些細な沈黙の後に、少年は、静かに口を開いた。
「………マリー」
「アレル、ヤ?」
「僕は、君が好きだよ」
 告白と共に少年は淋しげに微笑む。
「でも………僕は。ソーマに嫌われてる」
「え………?」
「だって彼女は、僕を見ない。僕のことを認めない」
 ソーマは、ハレルヤのことばかり見ているんだ。
「―――はあっ!?」
 珍しくも静かにしていた双子の片割れが呆れ返った声を上げる。
「バカ言ってんじゃねーよ、アレルヤ! そんなの、一番最初にてめぇがソーマを拒否りやがったからだろ!? 自分で近付く機会があったくせにオレの責任みたいな物言いしてんじゃねぇや!!」
「そう、だね。………その通り、だ」
 年齢に似つかわしくない苦い笑みを浮かべて、彼はマリーへと向き直る。
「僕は―――君が僕を見てくれるから―――君のことが好きなのかな………」
 そんなこと、訊かれたって。
 答えに困る。
 傍から見てどう感じられたって結局は当人の問題だ。
 普通の人間が何の見返りも求めずに尽くしたり愛したりするなんてまずもって無理な話で、大抵は優しくされたり認めてくれたりしたからより一層の好意を持つに違いない。
 振り向いてくれない人間に愛情を注ぎ続けるのはつらい。
 それを『罰』と捉えるならまた話は変わって来るのだが。
「ソーマは、まだ―――僕のことを、認めてくれるかな」
「アレルヤ………」
「まだ―――拒絶、しないで、いて、………っ」
 はた、と。
 頬から伝った雫が床に落ちて滲む。
 憂いの表情を静かな微笑に切り替えて、マリーはそっと伸ばした手で少年の頬に触れた。
「アレルヤ―――きっと、誰のこころにも他者との境界線は存在しているわ」
 必要以上に傷つかないために。
 必要以上に傷つけないために。
 だからこそヒトは誰かを理解しようと努力するし、いとおしいと思うし、理解したいと望むのではないかしら。たとえ、これ見よがしに拒絶も露な線が引かれていたとしても。
 超えたい。
 と、望むなら。
 望むことこそが。
「でもね、私と『ソーマ』の間には、境界線なんて存在していないの」
 同じ身体と、同じ想いと、同じ運命を背負って生きている。
 ふたりといない。
 誰よりも近しい『私』。
 だから、あなたが『ソーマ』を弾き出したら、『私』も一緒に弾き飛ばされてしまうのよ。
「アレルヤ。『私』を拒絶しないで。『私』はあなたを理解したい。『私』はあなたを嫌ったり見捨てたりなんかしない。だから………お願い」
 本当に最初の、まだ、何も始まってすらいない段階で。
 姿を見ただけで瞳を閉じて、殊更に目の前で線を引かないで―――………。
 そう、呟いて。
 少女は一粒の涙を零した。




「―――慣れないこと、やらせんなよな」
 扉の前で並び立ったハレルヤに思わずニールは愚痴を零した。
 未だ泣き止まないアレルヤはマリーに手を引かれながらよたよたと廊下を歩いて行く。本当に困った奴だなあと苦笑してしまうが、同時に、泣けるウチはまだ大丈夫だと安堵する。素直に泣けるのは未だ彼のこころが乾いていないことの証だ。
 まあ、それはそれとして。
 ―――カンペキに嫌われてしまった。嫌われないとしても苦手意識は持たれた。明日からはアレルヤに素っ気無い態度を取られるのかと思うと、ふふ、ちょっと寂しい。
「よかったんだよ、あんたで。アレルヤのバカはマリーやソーマの言葉なんて聞きやしねぇし、オレの言葉は無視するし、セルゲイの野郎の言葉には『尊敬』フィルターがかかるから全然理解できてねぇ」
 それって、ほとんど聞いてないってことじゃないのか。
 双子の弟の容赦ない評価にニールは苦くない苦笑を浮かべた。
「―――あんたしかいなかったんだ。適度に年上で、適度に仲良くなってて、適度に関係が薄い。あいつ自身が耳を傾ける気になってたってことがポイント高いよな」
「そうか?」
「嫌われたかもしれねぇって気に病んでンなら無駄な心配だぜ。アレルヤはああ見えてもあんたのことがかなり好きだ。だったら、そうそう嫌いにはならねえよ。ま、いざとなったらオレがフォローしてやるから安心しな」
「………お前、無駄に男前だね」
 あの兄にしてこの弟ありかよと僅かに頬を引き攣らせる。
 でも、実際に不安に思っていたことではあるから。
 フォローよろしく頼むぜと笑いながら、いまは勝っている身長差を利用してガシガシと少年の髪を混ぜっ返す。
「その―――悪かったな。お前を例えに使っちまって。酷いこと言っちまったけど、アレルヤが執着してる相手なんて彼女以外じゃお前しか浮かばなくてさ、」
「ああ!? あそこでオレ以外を引き合いに出してたら、あのアホはいつまで経ってもお前の言いたいことなんて理解できねーよ!」
 だから、オレでいいんだよ!! と。
 至極当然だと受け止める、その態度が好ましい。
 クツクツと笑いながら彼を抱き寄せ、前髪をかきあげた。かつて幼い妹にしていたように。
「そうか、ありがとな。おやすみ、ハレルヤ―――いい夢を」
 額に軽く口付けた。
 途端。
 凄まじい勢いで手を叩かれて、小柄な影が数メートル先まですっ飛んだ。額を抑えてわなわなと震える少年の頬は明らかに赤い。
「っ、の、ヤロ………っ! なにして………!!」
「なにって―――いーかげん夜も更けたし、おやすみのキス?」
「お、おや、おやすっ!!」
 グ、と押し黙ったハレルヤは顔面を真っ赤にしたままクルリと踵を返す。
「おっ………覚えてろよ、こんちくしょ―――っっ!!」
「また明日なー」
 近所迷惑な叫びをあげながら走り去る後ろ姿を微笑ましく見送った。静かな廊下に彼の叫びが木霊して、明日になったら「安眠妨害すんな!」の苦情が吹き荒れるに違いないと苦笑した。自分と話していたお陰で疾うにふたりの影は見えなくなっていたが、ハレルヤの脚ならすぐに追いつけるだろう。
 部屋に戻り、ほとんど手をつけなかったクッキーを棚に戻す。食堂に戻すべきかとも考えたが、一度あけてしまった以上は戻すべきではない、と、少なくともティエリアならば言うだろう。 
 小さなシンクでマグカップやコーヒーカップを洗う。
 ―――アレルヤも、マリーも、大丈夫だ。彼らにはハレルヤがいるし、ソーマだっていざとなったら色々と意見を主張するために出てくるに違いない。
 アレルヤの足りない部分をハレルヤが補い、ハレルヤの足りない部分をアレルヤが補う。
 ああ、まったく。羨ましい。
 例え他の誰が裏切ろうとも、誰が認めてくれなくとも、彼にとって『彼』だけは常に絶対的な理解者として存在している。離れている距離も時間も割り込みようがない程に。
 あれが本当の『兄弟』だよなと自嘲気味の笑みを浮かべた。
 思い描くのは、同じ年、同じ月、同じ日、同じ時刻に生を受けた存在のこと。

 ―――兄さん。
 ―――兄さん、どうして。

 ―――どうしてオレたちは『こう』なってしまったんだろう。
 ―――どうしてこんなにも違ってしまったんだろう。
 ―――生まれてくる前は『同じ』だったはずなのに。

 お前の所為じゃないと自分より大きな背中を抱き寄せて、泣き止むまで付き合ってやるぐらいしか思いつかなかった。
 本当は、もっと。
 正面からぶつかるべきだったのに。
 いま彼に会うことができたなら、嘘なんてひとつもつかないのに。嘘をついた彼の気持ちも、少しは理解してやれるはずなのに。
「なあ………ライル」

 おまえにあいたいよ。

 叶うことのない願いだと、知ってはいるけれど。
 洗い終えたカップを脇に退けて置いておく。
 もとより水は貴重だから無駄遣いなんてできない。蛇口を捻って流れる水を止め、てのひらをタオルで拭う。
 薄っすらと冷たい水を纏った手で目元に触れたところで。

 ―――頬を伝うものがあるはずもなかった。





―――かみさま。
どうしてはじまりはひとつだったものをふたつにわけたりしたのですか。
ぼくは。
ぼくたちは。
ぼくたちはぼくたちをぼくと「ぼく」としてあつかってもらいたい。
けれど。

それいじょうにぼくたちを「ぼくたち」としてあつかってもらいたいのです。

ぼくが「ぼく」になれないというのなら、だれが「ぼく」をりかいできるというのでしょう。

 

 


 

本当は書く予定のないエピソードだったんだけど、なんか色々考えていたら何故かこんなことに(哀)

初期稿は暗すぎたので「これはいかん!」と(これでも)ガリガリと内容を削った結果、

(比較的)軽めになりましたv ふう、危うく世間様に当方の闇を披露するところでしたぜ………!

(既に披露している気もするが深くは考えるまい)

 

ディランディ兄弟に何かしらトラウマがあるっぽい描写してますが、そんなに深い意味はない

―――と、思いますです。はい。

 

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