※一期の武力介入していた頃のお話です。
人間、予期せぬ事態に出会った時はどうするか。狼狽するか、思考停止するか、物理的に走り出すか、反射的に何らかの行動を起こすか。 取り合えず、刹那の場合は固まった。即ち「思考停止」である。 もしこれが敵兵が待ち構えていたとか眼前にフラッグが飛び出してきたとかだったら即座に迎撃体勢に移っていたことであろう。しかして此処は刹那の故郷とは裏腹に平和ボケした日本という国であり、その中でも特に安全な経済特区マンションの一室であり、更に言うならばソレスタルビーイングから仮の住まいとして提供された部屋でもあった。流石に此処に敵が潜んでいたらもはや組織自体がどうしようもない状況に来ていると判断するしかあるまい。 もう一度だけ目を閉じて、開き直す。だが、現実は変わらなかった。 目の前のソファでソレスタルビーイングの仲間ことガンダムマイスターことロックオン・ストラトスが毛布に包まって爆睡しているという事実だけは。 「………」 玄関を開けた時から妙な予感はしていた。外は震えるほどの寒さだったのにあたたかい空気が流れてきたし、刹那はきちんと暖房器具の電源を切った記憶があるからだ。 この男は二十時間ほど前まで遠く離れた小国に対して連続で武力介入を行っていたはずである。任務は完璧にこなしていた。定時にレポートが上がっていたのも確認済みだ。ならば何故、此処にいるのか。新たな任務が下されたのか、トレミーに帰還するまでの場繋ぎか、単なる気紛れか。少なくとも任務絡みならばこんなアホ面さらして眠りこけることはない。と、判じてひとり頷く。 勝手に中に入っていたことは然程疑問ではない。この男は以前に「食生活はどうなってんだ」とか「ご近所付き合いは大丈夫か」とか散々余計なお節介を焼き、扉を開けずに無視すれば懲りずに連続ピンポン三百回とかやらかしたので、最終的には根負けする形で合鍵を預けたからだ。万が一、彼が合鍵を失くしていたとしてもガンダムマイスターならば鍵開けくらいできるだろう。尤も、ひとから贈られた―――半ば強制的に「贈らせた」のだが―――ものを失くすロックオン・ストラトス、なんてのは想像の範囲外ではあるのだが。 随分長いこと佇んでいた気がしたが、壁の時計は帰宅してから未だ三分しか進んでいなかった。のんびりしている暇はない。これでもマンションの前にひとを待たせている身である。それもこれも彼が隣室の姉弟と仲良くしろとうるさい所為だと仏頂面に拍車をかける。 歩を進めても起きる気配のない相手の危機感のなさに呆れた。幾ら平和な国とは言え、刹那の住まいとは言え、いつ何時どんな状況に陥るか分からないと言うのに。 安らかな寝息を立てている青年の間近に立ったが何の反応も返らない。愈々もって呆れ返り、しゃがんで顔を覗き込んでみてもまだ起きない。優秀なガンダムマイスターだと一応認めていたが認識を改めなければならないかもしれない。 眉間に皺を寄せつつじっとロックオンの顔を睨み付けたが、健やかな眠りを得ているはずの青年の顔色が決してよくないことに気付いてほんの少しだけ視線を和らげた。 ―――疲れているのだろうか。 当たり前だ。任務明けなのだ。おまけに、任務のあった国とこの国は相当に離れている。如何にガンダムが優れた乗り物であっても乗り込んでいるのは所詮は人間だ。疲弊もするし、休みも要る。 ―――だからどうした。 少なくとも彼の体力は小柄な自分よりも数段上である。ちょっと任務が重なったぐらいで阿呆のように深く眠り込むとは愚の骨頂。苛立ちに任せて暖房を切る。何故こんな奴のために部屋をあたたかくしておく必要があるのか。寒くなったら自然と起きるだろう。起きて、すっかり寝入っていた己の至らなさに気付けばいい。 ―――だが、任務に支障が出るのは困る。 立ち去ろうとしていた動きを止めて、もう一度だけ青年の傍らに膝をついた。相変わらずよく眠っている。現実に隣に居るというのに、いつもいつも不必要なほどにうるさい彼のお節介な声が聞こえないのは不思議な気がする。微妙に落ち着かない。早くその目を開けばいい。メシは食ったのか、調子はどうだ、隣人と上手くやっているのか、何でもいい。澄み切った翡翠の瞳をあたたかく緩めて穏やかな声で語ればいい。 ―――それだけだ。 ただ、それだけだ。 だから。 上手くこころの整理がつかぬままに、そっとロックオンの頬に手を伸ばした。 「だからさ、ルイス。たぶんもうすぐ来るから―――」 「やだー! やだやだやだ! もう行きましょうよ、待ち草臥れたんだから!」 叫んだルイスはもこもこの暖かな上着に負けないぐらいに頬を膨らませてプイッと横を向いた。 駄々をこねる恋人を前に沙慈はほとほと困り果てていた。マンション前の通りで若いふたりが何をもめているのかと道行く人々の興味深げな視線が突き刺さる。 腕時計に目をやるが、まだ数分しか経っていない。沙慈は深い溜息を吐いた。 事の起こりは、偶には昼食を一緒に食べようと絹江と約束していた沙慈がマンションを出てきたところをルイスが襲撃したことにある。前日の会話でそれとなく察していたのだろう。何でも絹江が指定した店は最近密かに女子の間で注目されている店らしい。 休日なんだし一緒に過ごしてくれたっていいじゃない、文句ある? と詰め寄られていた傍を刹那が横切ったのは更なる偶然だ。ルイスに絡まれていた沙慈は助けを求める感じで彼に声をかけ、もうこの際ひとりもふたりも一緒だと試しに食事に誘ってみたのである。絹江にも「お隣さんはひとり暮らしみたいだから仲良くしてあげなさい」と言われていたことだし。 しかしまさか、僅かな逡巡を挟んだとは言え、頷き返されるとは意外だった。 少しだけ待っていろと言い置いて小柄な姿がマンションに消えた後は、もう、ルイスの機嫌は急降下なんてものじゃなかった。自分がクロスロード家の食卓に加わるのはよくとも他の人間が加わるのは気に入らないらしい。ましてや今回は沙慈が刹那に助けを求めていたように見えたのも不満を増幅させたのだろう。 この分だとまた無理なプレゼントを要求されるかもしれない―――黄昏ていた哀れな少年は、くだんの人物が玄関口に姿を現したので安堵の息を吐いた。 「ああ、来たね、って」 「なんだ」 「………その格好でいいの?」 行儀悪くも沙慈は相手を指差した。季節は冬から春に向かいつつあるがまだまだ寒い。ルイスは勿論、沙慈だって暖かな外套を着込んでいる。なのに彼ときたら薄物を一枚羽織っただけで手袋も帽子もジャケットも身に着けていない。つまりは先刻と全く同じ服装である。一旦部屋に戻ったのは上着を用意するためではなくカード等の小物類を取ってくるためだったようだ。彼らしいと言うか何と言うか。 「さーじー! もう! 先行ってるから!!」 歩き出そうとしないふたりに怒ったルイスが踵を返す。慌てて追いかけると刹那も黙々と後に続いた。いまならまだマンションにもう一度行って帰って来ることができる、と考えながら改めて声をかけた。 「本当に上着とか要らないのかい? 風邪引いちゃうよ?」 突如。 ぴたり、と刹那が歩みを止めた。 置き去りにしそうになって沙慈も足を止める。珍しくも彼は視線を俯けて迷っているようである。もしかして上着を取りに行く気になったのかな、と思いきや。 妙に真剣な表情で彼は言い放った。 「―――『バカ』は風邪を引かない」 「は………?」 ―――大爆笑された。 ………何が何だか分からない。 「………」 どーしよーもない顛末にがっくりとその場で脱力した。 |
catch a cold
―――とは思った。 |
一瞬、額に「肉」と書きたくなっただなんて言いませんよ、言いませんたら。