051.影追いテレスコープ


 

 昼間の蒸し暑さと目映さは遠くなりいまは静かな暗闇が辺りを包んでいる。
 今日は色んなことがあり過ぎた。トリニティと一戦交えて、互いの本名と過去を知って―――急げば日の高い内に帰途に着くこともできたが、無理をするのはよくないとの結論に三人そろって達したのだ。
 たぶん、誰もが考える時間を欲していた。
 いまはそれぞれがそれぞれの場所で適宜休息を取っているに違いない。休める時に休んでおくことが鉄則と知りつつも、妙に目が冴えて眠れやしないと少年は赤味がかった瞳を瞬かせる。
 首にいつも通りの赤いターバンを巻きつけて割り当てられた部屋を出る。
 ところどころから差し込む月明かりが地面に黒々とした影を刻んでいた。何処まで行こうとも切り離すことのできない存在は、まるで自らが進んできた過去のようだ。どれほどに厭おうとも憎もうとも消え去ることはない。光の射す方角によっては後ろから追いかけ、隣に並び、導くかの如く前に在る。
 消えるのは己自身が闇に沈んだ時のみだ。
 夜闇に閉ざされた周囲に耳を澄ませて深く息を吐く。何処からか流れてくる風が僅かに前髪をくすぐって行く。
 前方の通信室の扉から光と僅かな話し声が漏れてくることに気付いて足を止めた。
 響く声の色から相手はすぐにそれと知れる。なんとはなしに扉に近寄って、本当に僅かな隙間からそっと中の様子を窺うと。
 予想に違わず、そこに居たのは最年長のガンダムマイスターだった。
 いつも一緒にいるオレンジ色のAIは、いまは何処かになりを潜めているようだ。片手にカップを握り締めたままモニター越しに誰かと話をしている。

「………そうか。そっちは何もなかったんだな」
『はい。特に問題はありませんでした』
「悪いなあ、オレたちばっかりこっちで好き勝手やっちまって」
『構いませんよ。でも、次の機会があったら少しは参加させてくださいね』

 画面の奥から響く穏やかな声は、ひとり宙に残っていた青年のものだ。
 交わす言葉はと言えば、体調はどうだとか帰還は何時ごろになりそうだとか天候はどうだとか比較的まともなものに始まって、何か必要なものはないかとか星が綺麗だとかそれはコーヒーですか紅茶ですかとか他愛もないものまで幅広い。定時連絡よりはプライヴェート通信の側面が強いように感じる。
 立ち聞きをする趣味はない。そのまま場を離れようとしたのだが、

「―――アレルヤ」
『はい』

 急に真面目な声が響いて思わず足を止めてしまった。
 けれども、呼びかけた側はその後に何を続けるでもなく沈黙を貫いている。画面の奥の青年が戸惑っているのが手に取るように分かる。

 もう一度。
 呼びかけを繰り返す。

「アレルヤ」
『はい』
「………アレルヤ」
『………はい』

 やや顔を俯けていた彼は、何を思ったか口角を上げた。

「アレルヤって、いい名前だよな」

『………はい?』
「意味もいいし、響きもいい。オレは好きだな」
『ど、どうしたんですか急に』

 前触れもなく偽名を褒められた青年の声は聞いていて憐れになるくらい動揺していた。食べ物や飲み物の嗜好に関して話したことは数あれど、名前に関して意見を述べられるなど自分たちの立場では―――ましてや好意的には―――あまりないだろう。

 だって、所詮は偽りなのだ。

 幾度かの深呼吸の後に気を取り直したのか、若干あたたかみを増したノイズ混じりの声が応える。

『僕も、あなたの名前、好きですよ。あなたの意志が篭められているんでしょう?』

 肩をすくめてカップに口をつける人物が何を考えているのかよく分からない。
 決して重苦しくはない僅かな沈黙の後に、この場で一番の年長者は、まるで実の家族を見るような色を瞳に浮かべてみせる。

「お前、成長したよな」
『そうですか?』
「お前だけじゃないけどさ、最近そう感じることが多くなってる。こんな生活だ、前から自立してるのは当たり前なんだが―――他の、面でもな。特にあいつらと来たら、こっちの気付かない内に随分と成長してて驚かされる」
『刹那とティエリアですか?』
「ったく、オレひとりが妙に拘ってたりカッコつけたり意地張ってたり、ガキっぽいことこの上ないぜ。立場ないよなぁ」

 あいつにはもう子守なんて必要ないのかもな、と呟く彼の表情は見れなかった。
 覚悟を決めているのは当然だ。
 理想を現実に変えるために、絵空事を絵空事にしないために、どれほどの悪意に晒されようとも折れることは出来ない。マイスターの名を冠された者たちがその覚悟を決めていることは、この場にいない気難しい少年だって認めているに違いない。
 だから、自分ばかりが置いて行かれていると苦笑を零す青年も、同じはずなのに。
 画面の向こうの青年が素直に言葉を返す。

『そんなことはないと思います。あなたが僕たちのリーダーであることに変わりはないですし………あなたの代わりは誰にも勤まりません。誰だってそういうものでしょう?』
「代わりならいるさ。オレが死んだらヴェーダが代わりを選ぶ。オレが消えても、誰かがオレの代わりにオレの意志を―――」
『ロックオン』

 困ったな、との空気を滲ませて言葉を遮る。

『僕にとってあなたはあなただけです。………それじゃあ、駄目ですか?』

 共に戦ってきたのも、共に過ごしてきたのも、共に語らってきたのも。
 いつ死んでもおかしくない立場にいる。死んだなら、代わりのマイスターが選出されることも分かっている。
 でも、それまでは其処に居る者だけがただひとりの存在だ。

 だから。

 穏やかに告げられた言葉を残しての、しばらくの沈黙と機械が稼動するか細い音。
 迷うように幾度か扉の向こうの青年が口を開きかけて、また、閉じる。
 ゆっくりと伸ばしたてのひらが無機質な熱をまとう画面に触れる。遠く離れた場所にいる青年もまた、同じように画面に手を伸ばしているのかもしれない。
 てのひらを重ねたところで、得られるのは紛い物の熱だけなのに。
 彼は青とも緑ともつかない瞳を揺らして、ゆっくりと、瞼を閉じる。

「―――アレルヤ」
『はい』

 オレが、帰ったら。
 もういちど名前を呼んでくれ。

「………それだけでいいんだ」

 告げる声は掠れて聞こえた。

 宙にいる青年の答えを聞く前に、今度こそ、身を翻してその場を後にする。外に出ることなく自室へ戻り、ぐしゃぐしゃに乱れたままのシーツに身を横たえる。
 何もない天井を見上げてぼんやりと考えを巡らせる。
 昼間の光景と、先程の光景と。
 ―――覚悟を、認められてはいる、のだろう。自分は。
 だが、認めることが、許すことが、受け入れることが癒しに繋がるとは限らない。
 ひとり痛みを抱え込まねばならないとして、一番に認めたくないのは醜い感情に支配された己だとして、憎みたいのに憎みきれなかったとして、それでも尚、救いを求めたいのなら。

 誰に頼る―――。
 誰に頼る?

 神も、何も、この世にいないのなら。

 宙に戻った彼は強制的に明かされた自らの名を、ただひとり知らずにいた青年に自らの意志で告げるのだろうか。
 矛盾しか生み出せない後悔に似た念を隠して自分たちの前では変わらず笑ってみせるのだろうか。
 幾度かの瞬きの後で静かに瞳を閉じる。
 瞳を閉じれば見えるのは瞼の裏の影ばかりだが。

 やはり、眠れそうになかった。

 

※Blog再録


 

とりあえず「やるなら20話の放送前だよナ!」の精神だけでUPしてみたブツ。

ティエさんとハロを登場させる暇がなかったんですぜ。

キャラ名をぼかしまくってるのは書き手の密かなる恥じらいのあらわれなんですぜ(※今更)

鬱憤晴らしの如く会社で内職しながら書いてたから意味不明になったんだよなんて言わないさ。言わないとも。

 

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