― NOISE ―


 

 掌の上に一枚の永楽銭を乗せる。それを軽く摘み上げて、上空で鈍い光を放つ月の形に重ねてみる。確かこうやることで月までの距離を測る方法があった気がするのだが思い出すのも面倒くさい。
 京に赴くまでの道中、さびれた屋敷の縁側で五右衛門は寝ずの番をしていた。夜が更けても宿が見つからず困り果てていたのだが、都合よく捨てられた空家があったのでこれ幸いと其処に泊まることになった。奥では強行軍で疲れ果てた面子が深い眠りに落ちている。
 実際慌ただしい旅立ちだったと思う。重大な事件が起きているとかで取るものも取りあえず出発した。詳しい説明も話し合いもあったもんじゃない。ただ、道中尾張と美濃を訪れることだけは決定していた。どうやらあの得体の知れない松平竹千代とかいうガキが手配したらしいが………万事行き届き過ぎていて何か怪しい。目的地につくまではコトの真偽を確かめようもないが。
 奥ではその怪しい松平のガキとか「来るな」と止めたのに結局ついてきてしまった松下加江とか、腕は立つだろうが不審さにかけては天下一品の服部半蔵などが眠りについているハズだ。服部半蔵だけはおそらく自分と同じく自主的に寝ずの番をしていることだろう。奇しくも同行する羽目になっているがお互い馴れ合うつもりはないらしい。油断も隙も見せるつもりはなかった。
 しかし、これから織田家や斎藤道三の協力を仰ごうというのに一体なんて面子なのだろうか。突然訪れて信用してもらえる顔ぶれとはとても思えない、ガキとおっさんと若造と美人の組み合わせ。悲しくなるほどに接点の欠片も無い。尤も斎藤道三はかなりの情報網を持っていると聞いているから疑われる心配はまずないだろう。本当に連絡が取れていると言うのなら国境付近ぐらいまで迎えに来ている可能性もある。
 掲げたままだった永楽銭をはじくと綺麗な弧を描いて回り、力の加減を誤ったのか少し離れた場所に硬い音を響かせて落下した。回転が止まらずそのまま流れる先を何とはなしに目で追っていると、誰かの足先にぶつかって動きを止めた。
 表情が不機嫌なものに変わる。
 そこに人がいることに今まで気付かなかった―――と言うか、あえて無視していたというか。その人物は貨幣を拾い上げると頬を歪めて笑い、五右衛門に向かって投げ返した。何だってコイツと同行しなきゃいけねぇんだと今更ではあるが苦々しくなる。思い出さないようにワザと考えないでいたのは自覚している。苦手と言うよりは―――単に、気に入らない存在。
 投げ返された銭を違うことなく受け止めて懐にしまい込むと柱に寄りかかってそっぽを向いた。
「………眠れないんなら他所へ行ってろよ、ニセザル」
「何処へ行ってりゃいいってんだ? 確かにオレ達以外は誰もいないから遠慮はいらねぇけどな」
「てめぇの面を見てる気分じゃねぇんだ」
「オレもあんたの顔なんか見てたくねーな」
 じゃあ奥へすっこんでろよ、と文句を言う前に足音が近づいて来て柱の反対側に腰を下ろした。
 ………確かに顔は見えない。職業柄後ろに誰かがいるというのは実に居心地が悪いが、此処で先に移動したりしたらこっちの負けだと変な意地が働く。柱を挟んでいるのがせめてもの救いだ。
 しかしこの状況では黙って月を見上げる心境にもなれず、瞑想にふけるには後ろの気配が邪魔で、かと言って話をしたり酒を酌み交わすのに相応しい相手でもない。やっぱりオレが立ち去るか? と考え始めた時、
「………ひとつ、聞いておこうと思ってな」
 静かに秀吉が切り出した。視線を横に少し流すが、真後ろにいる相手の顔は見えない。

「何故―――オレを助けた?」

「………」

 助けた―――ことに、なるのだろう。やはり。
 後を追っていたら突然頭を抱えてぶっ倒れて、自分をおびき出すための芝居かとも思ったがそんな様子でもなく、更に言えば幾ら待っても敵の忍者どもは姿を見せなかった。………と、なると見捨てておくわけにもいくまい。適当にそこいらの荒れ寺に投げ込んでおいて医者を呼んでもらいに松下家まで走った。情報収集のためには此処でコイツに死なれては困るのだ。
 ただ、それだけの理由だ。
「オレはあん時完璧に意識を失ってた。とどめをさそうと思えば簡単に出来たハズだぜ? 初対面でオレは怪我させてるし………プライド高そうなあんたが仕返しせずに済ませとくなんて思えねぇけどな」
「………プライドがあるからに決まってんだろ」
 黙って無視していればいいものを何故か言葉が唇から滑り落ちる。
「オレは忍だ、仕事なら寝首もかくし手段も選ばねぇ。でもそれ以外の時にそーゆー手を使いたいとはあんま思わねぇな。特にお前みたいな奴には―――簡単にとどめ刺したんじゃ腹の虫が納まらねぇ。きちんと意識がある時に仕返ししてこそ意味があるってもんだろ」
 その返答に背後の空気が微かに震えた。『笑っている』ということが分かり五右衛門はつい体を捻って後ろを振り返る。そうしたところで表情が分かるわけではないが、その肩の震えははっきりと見て取れた。
 声に笑いを含ませたまま低く呟く。
「………それは、理由のひとつだな」
「他には何もないだろ」

「正直に言えばいいんじゃねぇの? ―――『似てたから殺せなかった』、ってさ」

 当て付けたような言い方に眉をしかめる。肯定も否定もせずに五右衛門は体勢を元に戻した。
 ………助けた理由なんかどうでもいい。そこには『助けた』という結果と事実が刻まれているに過ぎない。その時の感情の流れだとか動きだとか、後から推察したところで結局知れたものではない。自分の意識内では既にプライドの問題としてカタがついているのだ。こんな奴にどうこう言われたくない。
 固く目を瞑り腕を組んだ。
「あんたさぁ………」
 はっきり『会話を続ける気はない』という信号を送っているのに秀吉は気付きもしない。いや、気付いていながら敢えて無視しているのか。―――ムカつく。
 背中を向けたまま言葉を交わしているのに不思議と声は明確に聞こえた。

「アイツを抱きたいって思ったこと―――ないの?」

 ―――瞬間。

 五右衛門は相手の服を掴んで引きずり倒し、鳩尾に右膝を叩き込むと左足でその腕を封じた。闇の中で鋭い光が鮮やかな軌跡を描き、鋭いくないの切っ先が細い喉元に押し当てられる。
 ―――しばし、無言のまま時が流れた。どちらも何も言おうとはしない。外から流れ込む風が草木をざわめかせ急速に辺りの空気を冷やしていく。
 と、同時に思考すらも冷静になったようで改めて五右衛門は踏みつけた相手を見下ろした。物騒な刃が喉元に迫っていると言うのに、秀吉は目を逸らさず恐怖にも怯えず、ただ真っ直ぐ自らのことを見上げていた。
 その瞳に映し出された白い月と自分の姿に何故か気を削がれ、ゆっくり戒めを解くと武器を元通り懐にしまい込んだ。
 ………変なところばかり、似てやがる。
 腹を抱え、踏みつけられた右手を捻って顔をしかめているが謝ってなどやるものか。
 再び月のよく見える位置に座り直し先程と同じように柱にもたれかかる。
「―――図星、か」
 相手の呟きにも何も言わない。これ以上らしくもない行動に突っ走るのはゴメンだ。
「あんたは否定したいんだろうけど―――なぁ、本当に一度も考えたことないのか?」
 足音も無く声だけが近づいてくる。真後ろから呼びかけられるのは好きじゃない。自分自身の影のように密やかな声で囁くんじゃない、悪趣味もいいところだ。
「自分のことだけ見てほしいとか、自分のことを一番に考えてほしいとか、いつも側にいてほしいとか、さ」
「………黙れ」
 何も言わないと決めた先から否定の言葉を口にしてしまう。黙ったまま何も言い返さないでいると、勝手に『肯定』の意味に解釈されてしまう気がした。冗談じゃない。
 声の主は暗示にかけるかのような淡々とした崩れない口調で言葉を連ねる。
「隠す必要なんてないんじゃないか? オレは知ってるぜ」
「………黙れっつってんだろ」
 明確な殺意をこめた目線で淡い月光の下に佇む人影を射る。けれど相手は怯えた風もなく、ただ心底胸糞悪くなるような嘲り笑いを浮かべている。
「………そーゆーカオさぁ、アイツの前でしたことあんの? 見せてやりゃあいいじゃん、きっと驚くぜ。本来はそっちが本性なんだろ。自分を偽って手助けばっかしてるのなんて馬鹿らしくないか?」
「………」
「望みのままに生きればいい―――あんたは、そういう人種のハズだ」
 目を逸らし、心持ち顔を俯ける。立ち去ることも斬りつけることも、負けを認めることに繋がりそうだから実行しない。だが聞き流して無視することも、何も考えないでいることも出来そうにない。
 ―――どうも、ダメだ。
 何がダメなんだか分からないが―――多分、あの、声が。

 ………誰かに似てるから。

「自分のものにしたならどんな目で見てくるんだろうとか、拒否されたらどうしようかとか、されてもいいからそれでも手に入れたいとか。そしてどうしても手に入れられないって分かったならいっそのコト―――」
「………」

 ―――殺す、とか?

 五右衛門は無意識の内に懐から先程の永楽銭を取り出し、指の上に乗せてはじいていた。落ちてきたところをタイミングよく手の甲で受け止める。
 意味があるような無いような、その行為。誰かに祈りたくなるような気分で手にした貨幣の図柄を見た。

 ―――『表』。

「………」
 信じられない思いでもう一度手元の物体を食い入るように見つめ直す。
 これは何と言うか、本当に―――。
 まさかこんな時に、本当に………。

 ―――本当に、何かあるのか? コイツには。

 知らず知らず笑いが漏れていたらしい。背後で秀吉が訝しげに眉をひそめたのがわかる。相手の気配を読み取って自分でも不思議なほど『形勢が逆転した』と確信を抱く。どんな顔をしているのか知りたくなって薄ら笑いを浮かべたまま振り向くと、予想通りの仏頂面で秀吉が突っ立っていた。その表情が可笑しいと、からかうように指差してやる。
 ………言いたいことも分からないではない。多分―――幾らかは本当だろう。自分のことを一番理解しているのが自分だとは限らない、けれど。
 ―――わかってないのだ、結局。
「………ご高説どーもありがとよ。でも自分だけが全てを理解してるなんて思うなよ? まぁ百万歩ほど譲って更に一億分の一ほどの確率でオレがそんな思いを抱いていたとしても、だ」
 自信たっぷりに断言する。

「オレはアイツに手出しなんかしねぇ―――絶対だ」

 今度は秀吉が鼻白む番だった。明らかに不愉快そうに口を引き結び苛立たしげに腕を組み直す。
「わかんねぇな。あんた、今まで欲しいモンは全部手に入れてきたクチだろ? 今度だって手を伸ばせば届くかもしれねぇのに何もせずに諦めるのか? ウカウカしてると誰かにとられるぜ?」
 瞳に鈍い光を宿したまま真っ直ぐ見返してくる。
 そう―――だからこんな処だけは似ていると思う。
 最後の一線は踏み越えさせない、強い意志を宿したその瞳だけは。
「あんたは、それで満足できるのか?」
「満足だね」
 言い切ってやると僅かに目を見開いた。相手の裏をかけたことに気分が良くなり笑みを深くする。思い通りの返事なんかしてやるものか。何処からが意地で何処からが本心か、実のところ自分でもよくわかっていないのだが………。
 でも、まぁ今は―――本心、ってコトにしておこう。
 ひらひらと軽く揶揄するように手を振って、気のない口調でゆっくりと。
「例えばそーゆー繋がりでアイツのこと手に入れて………それで全部手に入れたってコトになんの?」
 皮肉ったような笑いを浮かべて見返せば、ますます相手は無表情になっていくようで。
「まぁ何だ、損得勘定するよーな話じゃねぇけどよ………無理強いして今までの分全部ご破算ってか? それってあまりにもワリの合わない話だと思わねー?」
「………手に入るものも、多いぜ」
「無くすものも、な。悪いけどその手にはのらねぇ。オレは今の関係が気に入ってんだ」
 低い、楽しげな笑いを漏らすと呆れ返った表情をされた。
 会った当初は随分物騒な気配をした奴だと思っていたが、こうして見るとそうでもない印象を受ける。昏倒して目覚めた後色々怪しげなことを言っていたし、本当にノーミソ沸いて人格変貌したのかもしれないが。
 話はこれで終わりと言うようにあからさまに背を向けて月を見上げる。話し相手は幾度か口を開きかけたあと、踵を返し背を向けた。

「………臆病者の結論に、乾杯」

 嘲るような言葉と共に衣擦れの音が遠ざかって行く。それを耳に受け流しながらごくごく小さな鼻歌を歌っていると、ふと足音が仕切りの付近で止まった。
 先程よりもずっと静かな、深い言葉が響いてくる。
「アイツの記憶ん中で―――あんたを、見たぜ」
「………」
「アイツはあんたの思いには全然気付いてない。でも、無意識下では勘付いてるかもしれないな」
「………お前、ホントに何しに来たんだ?」
 いい加減にしてくれよ、と多少芝居がかった深いため息をついてみせる。すっかり気分が良くなってしまったので怒りが湧いてくるというコトはないが、如何せん本当に鬱陶しい。大体明日もかなりの強行軍になるというのにこれでは寝不足になってしまう。一晩や二晩の徹夜でへこたれはしないがあまり無理するのも難だろう。
「だから、オレを助けた理由を聞きたかっただけだ。―――それともうひとつ」
 向こうも物凄く不満そうな声を出す。どうやら自分が此処に留まって話を続けなければいけないコトがとことん気に食わないようだ。おそらく助けた理由を聞きたかったなんてのは二の次で、本当の用件はもう一つの方なのだろう。去り際にようやく口にするとはそんなに言いたくない内容なのか。
 ここまでが前振りってか? ………回りくどすぎ。
「まだ薬の余韻が残ってるらしくてな………映像と音が頭ん中グルグル回ってうるさくてたまんねーんだ」
「電波か」
 からかうような口調に秀吉は口を噤む。だがやがて渋々と言葉を続けた。
「………言えない分、全部内側に閉じ込めておくタイプらしくてな。途切れなく耳元でガンガン叫ばれて眠れやしねぇ。幸い当事者のひとりも此処にいるコトだしオレの安眠のために言わせてもらうぜ。―――アイツが普段、あんたについて思ってるコト」
 何を言われても平気なハズだったのに、目に見えて体が強張った。
 ………何とか気を取り直し、平然を装って瞳を閉じる。
 これ以上ないくらい不機嫌で無愛想で、ぶっきらぼうでつっけんどんな言葉が聞こえてくる。
「月並みだけどな。『ごめん』、『ありがとう』、『すまない』、『感謝してる』、それから―――」
 そこまで言ってから何故か言い淀み、逡巡し戸惑うような気配を見せた後。
 ―――意を決したように囁いた。
 いつもより静かで控え目で優しくて、少しだけ照れたような、はにかんだような―――そんな口調で。

「『信じてるよ―――五右衛門』」




 空気が微かに流れ部屋を仕切っていた襖が開けられたことを知らせる。少しだけ床の軋む音が響き、すぐにまた襖が閉じられた。
 遠ざかる気配を感じながら五右衛門は硬直したままの姿勢で座り込んでいた。秀吉が立ち去ってから数分も経過した頃ようやく緊張が緩んできて、それと共に何か例え様もなく、堪えようも無い感情が堰を切って押し寄せてくる。
 深夜にも関わらず大声で笑い出したくなる。口を両手で塞いだがそれでも笑いが漏れてしまう。
 ―――無茶苦茶、可笑しい。何か知らないが笑いたくてたまらない。
 頭の中の映像ではしっかり自分は床に這いつくばって笑い転げているのだが、意外と肉体の方は冷静で。静かに縁側に腰掛けたまま口元に手を当てて笑いを堪えている。
 胸が痛いんだか苦しいんだか、気持ちいいんだか快いんだか分からない。けれど、とにかく。

「………『誰』の『何』を信じてんだよ―――あの野郎っ」

 悪態をついてみても笑いながらではイマイチ迫力に欠ける。
 あんな言葉ひとつで―――嘘かもしれない言葉だけで。
 伝え手はこんな冗談言ったりするタイプではないと思うから、信頼性は高いけど。
 それでも本人に面と向かって言われたわけでもないのに、間接的に伝えられた言葉だけで、どうしてこんなに―――こんなにも、自分は。

 ―――これで、いい。
 自分にはこれで充分だ、だから。

「………任せとけって」

 草木が風に揺られる中、ひとり静かに微笑んだ。

 

 


 

私は月夜が舞台の話しか書けないのでしょーか。どうにかせねば………(汗)

 『NOISE』はまんま「雑音」の意味です。ゴエにとっての秀吉の声、秀吉にとっての日吉の声。
雑音扱いかい、あんたら☆
今回の話は「日吉が出てこない小説も書いてみよう」とゆーコンセプトで作ってたんですが、
結局影の主役は日吉でした(笑)

 にしても秀吉、ホント何しに来たんでしょう。
勿論作中で語らせた通りなんですが、にしたって前振り長すぎ(苦笑)
もしかしてゴエをからかいたかっただけなのか? そうなのか!? そうだったのか(納得するなよ)

本当はもっとヤバいセリフ目白押しだったしラストのゴエもなんか報われなくて不幸でした。
セリフ運びは同じなのに書くときの気分でこれほど変わるとは………。
でも幸せになった分怪しげな人物になっちゃった気がします。一体どっちがマシだったのやら。

 

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