― 桃花の姫 ―


 

 その日、藤吉郎はやがて訪れる不幸も知らずにのんびりと町角でお茶をすすっていた。
 京から戻ってきてからこっち、彼は苦労のしっぱなしであった。突如飛び出して行ってしまったという事で周囲の目は冷たいし、いきなり同居人は増えているし、そいつがまた前触れもなく双子だったりするし、何故か首にもならず草履取りとして再就職しているし………。出戻りした人間だから同僚にどんな陰口を叩かれても文句は言えない。
 周囲との信頼を回復しようと努め、人の嫌がる仕事も進んで引き受けて、他にも色々と地道な努力を続けて漸く最近、以前と同程度まで立場を回復したのである。そうやって迎えた休日はいつにも増して晴れがましく感じられた。

「平和だなあ………」

 締まりのない顔でのんびり日向ぼっこをしているその姿はとてもじゃないが城仕えをしている人間のものとは思えない。
 本当はヒナタ(もしくはヒカゲ)も誘いたかったのだが、すれ違ってしまったらしく会えなかった。秀吉とは休みが交代制なのでもとから誘えるはずもなし、五右衛門に至っては何処にいるのかすら分かってない。よって、結局こうしてひとりでのんびりとお茶を飲んでいる。
 何にせよ藤吉郎は久しぶりに味わう平穏を噛み締めていた。目の前をよぎっていく町人の何気ないざわめきとか穏やかな日の光とか手にしたお茶の温かさとか、もうそれだけで満ち足りてしまうのだ。実に安上がりな幸福と言えよう。
 茶を飲み終え、代金を払って藤吉郎は店を出た。
 さて、これから何をしよう。もう一度ヒナタを捜しに行くか、それともひとりで働いてむすったれているだろう秀吉のために何か美味いものでも買っていくべきか………。鼻歌でも歌いたい気分で角を曲がった時のことだった。

「ちょっと、なによアンタら、どきなさい!!」
「ん?」

 突如耳に飛び込んできた幼い声に辺りを見回す。何やら騒ぎが起こっているらしく少し先で人垣ができている。皆が集まっていると何が起きているのか知りたくなるというのが人の常、藤吉郎も例に漏れず興味を惹かれてフラフラと足を運んだ。それは本当に純粋な好奇心からだったのだが―――。

 後に彼は「あの時人垣を覗きに行かなければ………」と激しく後悔したという。

 そうなるのも今は先のこと、藤吉郎は隣に立っていた人の裾をちょいと引っ張って尋ねてみた。
「すんません、何があったんですか?」
「ああ、それがな、ワシにもよう分からんのだが………」
 人の良さそうなおじさんは困ったように眉をひそめた。騒ぎの中心に目を移してみると、あまり品がいいとは言えない男たちが苛立ちも露に誰かを取り巻いている。その誰かというのはせいぜい四、五歳にしか見えない女の子だった。大人数に取り囲まれているというのに怖気づきもせず、近くに転がっていた桶の上に偉そうにふんぞり返っている。
 男の内のひとりが苛立たしげに声を上げ、何やら茶色い跡のついた服の裾を指し示す。
「おい、ガキ。ちょっとぐらい謝ってみたらどうなんだ!? 人の着物に足型をつけておいてよ!」
「やだ。あやまる理由なんてこれっぽっちもないもん」
 子供は腕を組み自身有り気に顔を上げる。
「あんた達が道をセンキョしてたからいけないの。あたし歩いてただけだもん。そっちがかってにふまれたのに言いがかりつけないでよね」
(はぁ〜………よく口の回る子供だなぁ)
 藤吉郎は素直に感心した。言い分には理が通っているし難しい言葉もよく知っている。着ている服の生地も上質だし顔立ちも整っていてかなりカワイイ。きっと十年ぐらいしたら絶世の美女になっていることだろう。しかし、カワイイだけに舌足らずの口調と相まっていっそ素晴らしい程に生意気さが増している。
 しかも。
「なめてんじゃねぇぞ、ガキが!」
 男のひとりが怒って幼女の胸倉を掴み上げる。が、即座に平手一発、振り払われた。

「さわるな、下郎!!」

 ………やたらと気位が高い。
 その態度は一般市民相手ならば有効な手段だったかもしれないが、如何せん浪人崩れの荒くれどもでは勝手が違う。逆に怒りを買うばかりだ。
(………やばいんじゃないか?)
 凄みを増した男たちに子供は平然と歯向かっているが―――あんな育ちの良さそうな子、捕まったら最後、どんな目に遭わされるか分かったものじゃない。
 あまり使いたい手段ではないが拘っている場合ではないだろう。自分では立ち向かったところで返り討ちにされるのがオチだろうし、何よりも最優先すべきはあの子の安全なのだから。
 藤吉郎はしゃがみ込んで若干の砂を手に握り締めると意を決して呼びかけた。
「あっ………あの!!」
「ああ!?」
 途端、凄まじい目つきで睨まれる。瞬間的に引きそうになりながらもなけなしの勇気を振り絞って子供を庇うように間に割り込んだ。
「あの………俺はよく状況が飲み込めてないんですけど、こんな小さな子のしたことですし、許してやってくれませんか?」
「何だてめぇは!? 部外者はすっこんでろ!」
「そうよ、すっこんでなさいよ!!」
 庇おうとした女の子にまでそう言われてしまって立つ瀬がない。苦笑しつつ藤吉郎は一歩、前に進み出て気づかれない間に手を移動させる。
「せめてこの汚した服の代金ぐらい払ってもらわねえと納得できねぇな、ああ!?」
「そこを何とかお願いします―――よっっ!!!」
 距離を測り、間髪いれず手にしていた砂を相手の目に投げつける。
「―――っっ!!?」
 咄嗟のことに対応できなかった男たちは揃って目を押さえて蹲った。
「この野郎っっ! なんつーことを………!」
「さよなら―――っっ!!! 失礼しまーす!!」
 桶の上に突っ立っていた子供を横抱きにしてそう叫んだ。右へ左へ人波を掻き分け押し分けて必死で足を動かす。こう見えても逃げ足だけには自信があるのだ、だてに毎日信長の遠乗りに付き合わされてきたわけではない。
 町を抜け畦道を走り林の側まで駆け抜けて、ようやく藤吉郎はスピードを緩めた。後ろを見て追っ手がないのを確認してその場にへたり込む。さすがに人を抱えながら走るのはかなりきつかった。
 でも逃げ切れて良かったよね―――と女の子に笑いかけようとして、

 ドカッッ!!

 ―――腹に強烈な一撃が加えられた。
「なにしてるのよーっ、かってに現場からはなれちゃってぇ! バカバカバカァッッ!!!」
 一応恩人であるはずの藤吉郎に見事な蹴りを食らわせて子供は悔しそうに地団太を踏んだ。
「しかも何あれ、ペコペコしちゃってカッコわるい! あたしはあーゆーのがいちばんキライなのっ!」
「………あのなぁ………」
 腹を抱えたままの体勢で藤吉郎がこめかみをひくつかせた。
 確かに自分でもカッコ良かったとは思えないが―――。
 ………なんか、あの男たちが怒ってた理由が分かっちゃうかも、俺。
「あの場合仕方ないだろっ! あんな大人数にひとりで歯向かうなんて無謀にもほどがあるよ! どうして逃げなかったんだ!?」
「だってあたしまちがってないもん!」
「間違ってなくても危なくなったら逃げなきゃダメだって!」
「ヤダ! そんなのカッコわるい! 男らしくない!」
「君、女の子じゃないか―――!!!」
 と、その子は何かに気づいたらしくすっと目を細めると容赦ない鉄拳を藤吉郎の鳩尾にヒットさせた。再度腹を抱えこむ羽目になった藤吉郎を余所に、胸を張って尊大に言い放つ。
「あたしには敬語をつかいなさい、下郎!」
「げっ………下郎はないだろ、仮にも初対面の人間に向かって! 他に言うことはないのか!?」
「そんなのないもん、バーカバーカ!」
 互いに目には見えない火花を散らす。同時にフンッ!! とそっぽを向いた。
(何か………いつもと違って助けたのに損した感じ………)
 助けたこと自体は後悔していないのだが―――何処か割り切れないものを感じてしまう。
 やれやれと立ち上がって歩き始めると後ろから呼び止められた。
「待ちなさい!」
「?」
 振り向いた時の表情が無愛想だったのは大目に見てやるべきだろう。
 女の子はそこに座り込んで胡座をかいたまま偉そうにこちらを見上げている。『あたしはえらいのよ!』と全身で表現しているかのようだ。
「引きずられてるあいだに草履こわれちゃった」
 至極当然のように子供は命令する。

「だから、あなたのとコーカンして」
「………はぁっ!?」

 いよいよ藤吉郎は口をあんぐりと開けてしまう。
「いいから、コーカンするってゆったらさっさとするの!」
「って、交換したら俺が裸足になるじゃないか!」
「? だからなに?」
 平然と答えるその姿に藤吉郎は実に久しぶりの怒りを覚えた。
(何なんだ、このワガママ小娘は………! 親の顔が見てみたい、見てみたいぞっっ!!)
 だが、こんな小さい子相手にムキになるわけにもいかない。仕方なしにその手を差し出した。
「………なぁに?」
「壊れたって草履、見せてみなよ」
「………?」
 疑わしそうな顔をしながらも女の子が握り締めていた草履を突き出す。受け取ったそれは持っていた手と同様にかなり小さかった。草履の具合を見て少し笑う。
「何だ、全然大したことないじゃん。これならすぐに直せるよ」
「え?」
 藤吉郎は草の上に腰を下ろすと懐紙を取り出して紙縒りを作り始めた。草履は下駄で言えば鼻緒に当たる部分が切れてしまっただけだから、繋いでやればすぐに使えるだろう。女の子がちまちまと側に寄ってきて興味深そうに手元を覗き込む。
「へぇ………キヨーね」
「やったことないのかい?」
「ないもん」
 ムッとした顔で答える女の子に藤吉郎は軽く笑い返した。確かに、こんな育ちの良さそうな子供では草履の修繕なんてやったことないだろう。ちょっと壊れただけですぐに代わりの物が与えてもらえるのだから。
「よし、できた」
 紙縒りを結わえ終えて手渡した草履を女の子はしげしげと眺めた。
「ふぅん………ま、いっか」
(言うのはそれだけか?)
 再度そう思ったが段々諦めの境地に達してきてもいた。世の中にはこういう人種もいるものだ。ワガママで自分勝手であまり他人に対して誠意や好意というものを見せなくて、ましてや誉め言葉なんて掛けることもなく礼の言葉を口にするワケでもなく―――。

 ………。
 ………何故だろう、そんな人物を他にも知っているような気がするのだが………。

 しかし藤吉郎がその疑問への回答を見つけ出す前に又しても女の子の口が開かれた。
「おなかすいた」
「………」
「ねぇ、きいてるの!?」
「そりゃ聞いてるけど、自分で何とかすればいいだろ」
「ひとっ走りしてなにか買ってきて」
「はぁっ!?」
 女の子の非常識な言葉に唖然とする。一体この子供は何を根拠に自分を部下の如く扱っているのか。
 立ち上がって強く言い捨てる。
「冗談じゃないよ、何だって俺がそんなのの面倒まで………!」
「それぐらい当たり前でしょ! さっさと行くの!」
「無理だよ、今町に戻ったらまだアイツらがたむろしてるかも知れないし………ほとぼりが冷めるまで待たないとどうしようもない」
「なによー、意気地なしっ、こんじょーなしっ。ああもう、おなかへったぁっ!!」

 ―――ぐぅ。

「………」
 うるさい口以上にお腹が盛大な声を上げてしまい、女の子はやや顔を赤らめた。お腹がすいてたまらないというのは本当らしい。
 はぁ、と露骨に溜息をつくと藤吉郎は膝をついて子供の目を真っ直ぐ覗き込んだ。
「もう少し我慢するなら何か食べさせてあげるよ。どうする?」
「おいしいの?」
「飢え死にするよりはマシだと思うけど?」
 ニンマリ笑って手を差し伸べると子供は不承不承それに掴まった。
 近くに見えた林の方に足を向けながら、そういえば一番肝心なことを聞いてなかったと思い出す。
「あのさ、君、名前は?」
「名前をきくときは自分からなのるものよ」
「………木下藤吉郎、だよ」
「『とーきちろー』? うっわー、やっだー、なんかご大層ーっ。ミョージまでついてるしぃっ!」
 握り合った手をブンブン振って女の子が不服そうにするので仕方なしに彼は譲歩した。
「………発音しにくいってんなら日吉でもいいよ。幼名だけどね」
「ふーん、ヒヨシ。ヒヨシね。ヘンなのー」
 ―――人の名前を聞いておいて『ヘン』はないだろう、『ヘン』は。
「で、君の名は?」
「『姫』」
(………名前じゃないじゃん………)
 と、思いつつも藤吉郎は子供の言う事に突っ込む気力をすっかりなくしていた。




「あ、これ、おいしい! いがいとやるのね、あんた!」
「そりゃどーも」
 先程までとは打って変わって魚にかじりつきながら無邪気に笑う子供に藤吉郎は苦笑を返した。
 林の奥の河原まで来て食事を取るのは思ったよりも骨の折れる作業だった。何しろ事あるごとにこの子供が邪魔してくれるのだ。釣り竿がなかったから手掴みしようとすると「あたしもやる!」と川に足を突っ込んで溺れかかるし、魚を捕まえたら捕まえたで「すごい、ゲンキがいい!」と掴もうとして川に逃げられ、火を起こそうとしたら火種を踏んづけて消火して………。
 どうにかこうにか数匹の魚が焼きあがるまでにかなりの時間を要していた。
(俺って面倒見よかったんだな………)
 彼を良く知る人物から見れば今更のようなことを藤吉郎はしみじみと感じていた。
「そういえば、姫はひとりで町に来てたのかい?」
 服装から見てまず有力氏族、もしくは裕福な庄屋の娘であることに違いはないが、普通これくらいの年齢ならお目付け役がついているはずだ。どうしてひとりで出歩いたりしているのだろう。
「ううん、みんなと来てたんだけどね、うっとーしいから逃げて来たの」
「逃げて来た?」
「お兄さまに会いに来たんだけど、この町はじめてだからケンブツしたいってゆったのにだれもゆるしてくれないの。だからぬけ出してきたの」
 大分打ち解けてきたのか女の子はコロコロと笑う。こうしてさえいれば本当に感じのいいお嬢ちゃんなのになあ、と内心でこっそり呟く。きっと町で会った男たちもこの外見に騙されたに違いない。大人しそうな女の子だから軽く脅せばすぐにでも謝るだろうと思ったのに、予想に反して言い返してきたりするから―――。
 藤吉郎は心底彼らに同情した。
「姫のお兄さんは近くに住んでるの?」
「うん、でもね、どこにいるのかはおしえてあげなーい♪ ………って、あ」
 急に態度を豹変させて女の子が口元をひん曲げる。
「あんた、敬語つかえってゆったでしょ? タメ口きいちゃダメなのっ」
「はいはい」
「なによ、その気のないへんじっ! ムカつく―――っっ!!」
「はいはい」
 女の子が殴ってくるに任せて黙々と魚を食べ続ける。この子が本気で怒っているのではないことぐらい、殴られてるのに全然痛くない事からも明らかだ。顔と声だけでは想像もつかないがこれで案外照れ屋のようだ。
 ………ますます誰かに似ているような気がするのだが………。
 藤吉郎は魚を刺していた小枝を投げ捨てて首を傾げた。どうも先刻から何か閃きそうで閃かない。思い出せそうで思い出せなくて実にじれったい。
 原因を究明すべく深く沈み込もうとした思考を遮り、子供の声が辺りに木魂した。
「ねぇねぇっ!! ちょっと!!!」
「………何?」
 声の元を辿ると女の子が川岸に手を触れて何かを拾い上げたところだった。小さく柔らかい手に握られた薄紅の可愛らしい花びら。駆け寄ってきて藤吉郎の眼前にそれを突き出す。
「あのね、これ。なんの花?」
「桃………かな。確か上流にあったはずだから―――流れてきたんだね」
 手渡された花びらをしげしげと眺めて藤吉郎が告げると、女の子が顔を輝かせて服の袂を引っ張った。
「みたい! ねぇみたい! 連れてって、連れてってっ」
「えー? いい加減町に帰った方が………」
「行く! 行くってゆったら行くの! あんないー、案内してよぅっ」
 そう言いながら返事も待たずに藤吉郎の体をズルズルと引きずって歩き出す。
 ―――恐るべし、子供の体力。
 それともこの場合、あっさり引きずられてしまう藤吉郎の方を問題にするべきなのだろうか。
 さすがにこのまま行くのはあんまりなので、藤吉郎は途中で体勢を立て直すと子供の手を引いて歩き始めた。
 上流にたどりついて女の子が嬉しそうな声を上げる。川からやや離れた位置に一本の桃の木がすっくと立ち上がっている。風が吹く度に数枚の花びらが枝から離れ宙を舞い、あるものは林の奥へ、あるものは地の上へ、更にあるものは水面に揺られて下流へと流されて行く。
「すごい、すごいすごい、きれい!」
 女の子がはしゃいで木に飛びつく。小さな手で幾度も幹を叩いて嬉しそうに頭上の枝葉を見つめ、さして太くもない幹の周りを回って喜んでいる姿は見ているだけで幸福な気持ちにさせてくれる。

(………これで性格さえ良ければ………)

 またしても無意味に近い感想を藤吉郎は抱いた。
 クルリ、と振り返って女の子が木の天辺を指差す。
「ねぇ、あれほしい! 取って!」
「え………?」
「お兄さまへのおみやげにするの! 取って取って!」
 どうやら、天辺間際に咲き誇っている見事な一振りの枝が欲しいようだ。藤吉郎も根元付近まで近付いて表情を曇らせた。
「高いなあ、手が届かないと思うけど―――他のじゃダメ?」
「ダメ、あれがいいの! ………じゃあ、あたしが取るからかたぐるましてよ」
「えー?」
「してったらして!」
「………はいはい」
 やれやれと呟きながらしゃがみ込んで子供が肩の上に乗るのを待つ。平均と比べて体力的に見劣りのする藤吉郎だったが子供ひとり支えられない程ヤワではない。落ちないようにしっかり足を掴み、ゆっくりと立ち上がる。肩に座った子供が精一杯腕を伸ばしているだろうことが掴んでいる足の動きから察せられた。
「もっとみぎ、みぎ! ………ひだり! すこしさがって………ちがう、行きすぎ!」
「よ、よく見えないんだから無理言わないでくれよ」
「そこでとまって! ………もうちょい背伸びできないの? んもう、あんたチビすぎ! つかえないっ!」
「悪かったねっ」
 こっちだって好き好んでチビでいるわけじゃない。
「あたしはしょーらい六尺二寸(約205cm)の大男になるのっ。そうしたらあんたなんてつかってあげないんだから!」
(………なれないと思うけどなあ)
 との言葉は、一応彼女の感情を慮って口にしないことにした。まあ、夢見るぐらいならタダである。
 更に数回、手を伸ばして枝を掴もうと試みていたようだったが、やがてすっとその手が下ろされた。
「………もういい。おろして」
 言葉通り少し身を屈めると子供は身軽に肩から飛び降りた。
「いいのかい? 取らなくて」
「………いい」
「お土産にしたかったんだろ? 手の届く範囲のやつでも………」

「いらない。いちばんじゃなきゃ意味ないもん」

 女の子はあっさりと言い切った。本当に言葉通り、悔しそうに見えないのがとても不思議だ。まだ『子供』ではなく『幼児』と言っても差し支えなさそうな年齢なのに。

「また取りに来るから、いいの。その前に花が散っちゃったら、来年また来るからいいの」

 にっこりと微笑んでこちらを見上げ、屈託もなくその手を伸ばす。
「かえろ、ヒヨシ」
「………お付きの人たちが恋しくなった?」
「あっ、あんな人たちカンケーないもんっ、かえりたいからかえるんだもん!」
「はいはい」
 クスクスと笑いながら伸ばされた小さな手を握り返す。
 結局一日中、この子に付き合ってしまったが偶にはこんな日も悪くない。町についたらお付きの人を捜しだして、それで終わりだ。今の時刻ならまだお店だって開いているだろうから、そうしたら、何かヒナタと秀吉にお土産でも買っていこう………。
 そんなほのぼのとした気分で田んぼの畦道を歩いていた時である。

 ドドドドド………

「―――ん?」
 遥か前方から地響きが聞こえてきた。
 小さかった砂埃が徐々に大きくなり、近付いてくる。しかもどうやらそれは………正装した武士の群れ、のようだった。
「―――いぃっ!?」
 避ける暇もなく数名の武士が突っ込んでくる。

「姫をさらったという若い男は貴様か―――!?」
「この狼藉者め! 恥を知れ!!」
「って、えぇっ!? 何なんですかアンタらぁ―――っっ!!?」

 ズザ―――ッッ!! と全員そろってスライディングを仕掛けてきた一群に藤吉郎は吹っ飛ばされ女の子はあっさり彼らの腕に抱き取られた。
「姫、大丈夫ですか!?」
「うおおお何と言うことでしょう!! こんな姿になられておいたわしや―――っっ!!」
(って怪我ひとつしてないだろ―――っ!?)
 などと抗議をする暇もあらばこそ、胸倉をきつく締め上げられる。
「町人とグルになって拉致監禁を企むとは男の風上にも置けぬ破廉恥な振る舞い!」
「姫を浚ってあーんなことやこーんなこと………果てはそんなコトまで! おのれ許さん!!」
「成敗してくれる!!」
「あんたら何を想像してるんだぁぁ―――っ!!?」
 こんな子供(というよりもまだ幼児)相手に乱暴するほど自分は鬼ではない。
 ひぃーっ、離してぇーっ! と叫んでる間にも押さえつけられて腕が捻られる。
 ―――イカン、よく分からないがこのままでは確実に「拉致監禁」の現行犯として逮捕されてしまう。
 どぉして俺ってばこうなんだぁぁ―――っ!?
 藤吉郎が自身の運の悪さを呪った、その時

「待ちなさい!」

 凛とした子供の声が響いた。
 ピタリ、と面白いほど直ぐに男たちの動きが止まる。潰されたままの姿勢で藤吉郎も声の主を見あげた。女の子はひとりの武士に抱えられたままこちらを睥睨している。
「その人はあたしをたすけてくれたの。無礼をはたらくことはゆるしません」
「は、しかし、姫。我々の手に入れた情報では………」
「あたしのいうことが信じられないの!?」
 キッ! と強く睨まれただけで抗議した男が引き下がる。
 あんたら、子供相手にそれはちょっと情けないんじゃないか………?
 とは思ったものの、確かにこの子供の発する迫力に幾分藤吉郎も押され気味だった。
「手をはなしなさい」
 言われたとおりに男たちが藤吉郎を戒めていた腕を放す。痛む腕をさすりながら立ち上がり服の埃を払い終えると、こちらを見ていた子供の視線とかち合った。
「世話になったわね。いちおう礼はいっておくわよ」
「………はぁ」
「ききたいコトいっぱいあるから、またこんど教えて。いい?」
「いや、まあそれはいいけど………」
(俺はよくてもお付きの人たちが許してくれないんじゃないか………?)
 女の子を取り囲むように立った武士たちは未だ不審そうな目でこちらを見ている。四六時中こんな連中に見張られているのだとしたら確かに抜け出したくなっても無理はないかもしれない。
「さ、行くわよ。みんな」
「はっ、姫さま。兄上さまも姫のご到着をそれはそれは心待ちにしておいでで………」
 女の子の命令ひとつ、武士たちは藤吉郎には目もくれずに談笑しながら町へと歩いていく。それを見送って藤吉郎はまたしても深い溜息をついた。
(………妙な一日だったなあ………)
 かなりワガママで自分勝手で礼儀知らずで躾がなってないとは言え、あの子供のことはさして嫌いじゃない。けれど、もうこんなゴタゴタに巻き込まれるのはご免だ。体力、もとい精神力が持たない。
 出来れば二度と関わらずに済みますように―――そう願う。
 そして、彼の願いがすんなり叶えられた事はこれまでにただの一度もないのであった。




 ―――翌日。
 藤吉郎は出勤してきたところを同僚に呼び止められ、そのまま信長がいる部屋まで案内された。遠乗りに行く時とか雑用をする時に呼びつけられることはままあったが、朝っぱらから呼び出されるなんてはじめてだ。何か失敗でもしただろうかと不安げな面持ちで襖を開けて頭を下げたままの姿でしばし凍りつく。
「あ、あの………何か御用でしょうか?」
 恐る恐るそう切り出してみたが眼前に座る主君は何か躊躇っているように見えた。この人物にしては珍しいことに物凄く言いにくそうに口を開く。発せられた内容も普段とはかなり異なっていた。
「おい、サル………お前、昨日何処にいた?」
「へ? 昨日ですか? ………町でのんびりしてましたけど、それが何か」
 信長が何を言わんとしているのか読み取れなくて迷う。
 もしかして昨日は出仕日だったとかそーゆーオチではあるまいな。でも、もしそうだったら即クビになってるはずだしっ。
 グルグルと悩む藤吉郎を余所に信長は淡々と話を続ける。
「実は昨日―――妹が来てな」
「………妹?」
「それまでは余所に預けてたんだが向こうでは面倒見切れんというので、急遽こっちに、な」
「は、はあ………」
 ひどく―――嫌な予感がするのは気のせいだろうか。
「誰に似たんだか知らないが、かなり無鉄砲でワガママで自分勝手だ。己の立場っていうものを分かってねぇ。昨日も供を巻いてひとりで城下に遊びに行っちまったしな」
「………」
「当然供の連中は慌てて、妹ともめたっていう男たちを探し出してふんじばって、なのにそん時は既に妹は別の男と逃げちまってたそうだ」
 何処かで聞いたことのある話というか何と言うか―――。
「それでまあ、もしかしたら誘拐じゃないかと連中は慌てたらしい。幸い、そうじゃなかったが」
「………」
 信長が神妙な面持ちで藤吉郎を見つめる。

「―――ここまで言えば予想はつくな?」

 つっ………つきたくない。
 藤吉郎は冷や汗をダラダラと流した。
「つまり、その妹ってのが………」

 スパ―――ンッッ!!!

「あたしのことよっっ!!」
「ああっ、やっぱりぃぃ―――っっ!!?」
 突如開け放たれた襖の向こう、偉そうに胸を張った小さな影を認めて藤吉郎は絶望的な叫びを上げた。言うまでもない事だがそこにいたのは当然、昨日出会ったあの子であって―――。
「なによ、あたしに会えたんだからもっとよろこびなさい!」

 ガスッ!

 全体重を乗せた蹴りが肩口に炸裂する。
「痛っ………あ、あのなぁっ、いきなり暴力をふるうのは良くないと………!」
「敬語つかえってゆったでしょー! ほーらヒヨシ! はしれっ、馬だ馬だ―――!!」
「重い! 乗るな! ひ―――っ! だ、誰かぁぁぁ―――っっ!?」
 背中に飛びつかれてあっさり藤吉郎が倒れ伏す。女の子の方はそんな藤吉郎にのしかかったままの体勢で大はしゃぎだ。
「よーし、ヒヨシ! いまから魚をつかまえに行くわよ! まけないからねっ!」
「ってちょっと待ったれーっ! 俺には草履取りとしての任務が! 責務が! とっ………殿も何か言ってくださいよ―――っっ!!」
 上げる叫びも虚しく藤吉郎はズルズルと首根っこを掴まれ引きずられていく。事ここに至って漸く信長は行動を起こした。

「―――待て」

 ピタッ、と女の子が動きを止める。どうやら兄の命令には素直に従うようだ。自分のことをこの子供から解放してくれるのかと期待に満ちた眼差しで見上げたが、予想に反して信長は机に向かうとサラサラと紙に何かを書き付けた。
 文を確かめ判を押し、綺麗に折り畳んですっと藤吉郎に向かって差し出す。
「これさえあれば大抵のことに融通は利く。―――頑張れよ」
「………へ?」
 手渡された書面には綺麗な楷書体でしっかりとこう記されていた。

『お市の方行状改方』


「とっ、ととととのぉぉ―――っっ!!?」
「すまん」
 信長が軽く片手を顔の前に上げる。実に珍しい行為だ―――と、驚いているバヤイではにゃく。
「すまんって―――あ、謝らなくていいですからこの現状を何とかしてくださいよ―――っ! 嫌だぁぁっ、俺は平凡な草履取りなのにぃぃ!!」
「おーじょーぎわが悪いわよ、ヒヨシ。さあついてらっしゃい!」
「いぃ―――やぁ―――だぁぁ―――っっ!!!」
 涙を誘うような悲鳴も虚しく辺りに木魂するのみ、当然誰からの助けもなく藤吉郎は哀れそのまま連れ去られてしまった。
 後に残された信長は実に珍しいことに柏手を打って藤吉郎の無事を祈ったという。
「サルの給料、三割増しにしてやるか………」
 と呟いたとも伝えられている。ただし、事実は未確認だ。




 ―――後日。
「………つまり姫は、あの桃の花を信長さまにあげたかったと………?」
「そうよ」
「………」
「なぁに、その顔は?『姫ってなにかんがえてるんだろ、あの信長さまに花なんて』と思ったでしょ!?」
「い、いえっ、思ってません、思ってませんとも!」
「うるさぁーいっ、天誅!!」

 ドガッ!!!

 ―――ま、頑張ってね☆

 

 


 

違ぁぁうっ、こんなのはお市の方ではなーい!! いくら可愛くてもこんなガキ、私なら容赦なくはっ倒します(笑)
日吉も性格悪くなってるし………。
違うよ〜、違うんじゃよ〜、彼らはこんな性格じゃないんじゃよ〜。
でも「女版信長」な(?)お市の方は書いてて楽しかったですv
殿とは13歳違いだったかな? つまりこの話の時点ではせいぜい四、五歳。―――もっと年相応に書いてあげようよ、自分(汗)
日吉とこれだけ年齢が離れていれば光源氏計画も遂行可能。でもしない(←当たり前)

信長とは兄妹だとか従兄妹だとか幾つか説のあるお市の方ですが、
絶世の美女で「四方の方さま」とも称され、薙刀の名手って辺りは変わらないみたいですね。
あと、よく聞く話には豊臣秀吉がお市の方に惚れていて、でもお市の方は秀吉を嫌ってたってのがあります。
どうも秀吉が彼女の息子を惨たらしく殺してしまったのがアカンかったようで。
つーかそんな事しちまったんなら潔く諦めろって気が………ねえ??

 

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