ほのかな月明かりのもとで音もなく舞う姿を、もう一度望んだところで叶わない。
 何故あんなにも恐れたのだろう。自身がそこに在るのを忘れるほど見入っていたのに。
 ほどけた髪が風に流れ、伏し目がちの瞳が哀しみを湛えてゆれる。

 ただ、美しく。憂いの色を満たすが故に尚、美しく。

 舞いを見るたびに己は、決して『これ』を手にすることはできないのだと―――。

 思い、知っていたのかも、しれない。

 


― こいやみ ―


 

 闇の中はいくら進んでも闇だ。そんな当たり前のことをこのところ頻りと感じている。
 歳を取った所為だとは思いたくないが、どうなのだろう。以前よりは若くないという事実を認めない訳にはいかない。
 なによりも、その事実を嫌というほど突きつけてくれる人物が目の前に陣取っているのだから。
「………権力者の道を登り始めるとお金も集まるもんなのね〜」
 などと言いながら様々な布や茶器、陶器類の品定めをしているのはかつて自分より年上だった男で。

 ―――いまは自分よりも年下の男。

 やーん、もしかしてこの壷ったら舶来物!? とか騒いでる背中に「欲しければ持っていけよ」と声を掛ければ、人好きのする笑みを浮かべて「やーなこった♪」と言い切った。狭い部屋の角に腰を下ろす。
「お宝は自力で手に入れてなんぼでしょ? 俺ってばそこまで落ちてはいないのよ〜、なんちって」
 ひらひらと軽く振る掌。黒い衣装を頑なに変えようとしないのは過去の繋がりを断ち切りたくないからだろうか。
 ………こいつが姿を現すようになったのはいつからだったか、と考える。
 自らの主君が亡くなって―――いや、真実は違うのだろうと察してはいるが―――先ずは明智光秀を討って仇を取った。いつか反抗するだろうと踏んでいた相手だから周囲が思うほど驚いてはいなかった。けれど………本当に、本当にやってしまったのかと。彼に対する主君の影響力を知っていただけに言葉がない。

 もしあの尊大で傲慢で気高い君主が、いま少しの情愛をかけてやっていたならば。
 他の者たちに示したような気配りをもう少しわかりやすい態度で示していたならば。

 結果は、また違っていたのかもしれない。

 ―――それこそ机上の空論だ。虚しく過去と未来を見比べたところでどうにもならない。それよりも論じるべき問題が数多く存在していたし。
 信長の仇を取ったはいいが今度は部下の間で後継者争いが起こってしまった。古参の武士たちにとって新興勢力に等しい羽柴は目障りでならないらしい。目立った武勲や武功がないではないかといわれれば争いを長引かせぬための策だったと主張する。なぜ他と協力して事をなそうとしなかったのかと咎められれば迅速を旨とするのだと力説する。素直に諾とはいわぬ、やたら口先だけ器用な連中と煙たがられていたのだろう。
 特に筆頭家老だった柴田勝家とはもともと相性がよくなかったところに加えて、仇討ちでは抜け駆けするような形になってしまい―――最早関係の修復は望めまい。信長亡き後の勢力争い、後継者選び、領地の譲り受け、全てにおいてもめた奴。内々の会議場でいまにも斬りかからんとしていた相手の目つきを思い出す。

 ―――決着はつける。いまは互いの出方を窺っているような状況だ。

 そんなところにフラリとやってきた顔馴染。

『会うつもりなんてなかったけど、取り合えず生きてるってことだけでも伝えておこうかと思って』

 そう、言われた。
 お前ってば全然背丈が伸びてねぇなとか。
 ヒゲ剃ったら昔通りなんじゃないの? とか。
 すっかりお偉いサンになっちゃって五右衛門哀しー、置いてかないでーとか。
 よく分からんふざけたことを言われたから怒りのままに部屋から叩き出してやった。するとそいつは立ち去り際に一言、
「俺ってば今、盗賊やってんの。お前も嫌んなったらこっちに来る?」
 なんて。
 出来もしないことを平然と告げてくれた。

 ―――京の町を荒らす盗賊の名を聞くようになったのはそれから間もなくのことで。

 望まぬ客人の来訪で内に篭もりがちだった気分が少しは晴れたのも事実だったので、入ってきた途端に部屋から追い出すのだけはやめてやった。何だかんだで自分も話し相手が欲しかったのかもしれない。

 ………同じ記憶を持つ相手を。

「柴田の旦那とは何処で戦うんだ?」
 胸元から取り出した永楽銭を指で弾きながら五右衛門が問い掛ける。
「さぁな」
「ケチ」
「じゃあお前も何か情報寄越せ」
「やなこった」
 宙に放り上げた貨幣が五右衛門の手の内におさまる。つづいて目の前の壷に当てて跳ね返してみたりして、そんなことしたら傷がつくかもしれないとかは全然意識していないらしい。多少、年齢の深みを感じさせるようになったとはいえ、口元に浮かべる皮肉げな笑みは変わりようがない。
「フられた腹いせにしちゃあ大々的だな。ひとりの美女を巡る大名同士の鞘当に巷は騒ぎっぱなしよ?」
 それが情報、ということか。
 いや、単なる戯言か。
「どうせ浅井が滅ぼされた時に死んでいた女だ。誰に嫁いだって、死んだ魂じゃ単なる抜け殻………飾りにしておきゃあそれでもそれなりだったろうけどよ。意地でも従いたくないってんならそれは最期の矜持だ。それぐらいは守ってやらんでもない」
「寛大だな」
「上様の妹―――そう無碍には出来んさ」
 織田信長の妹、お市の方。かつては小谷の方とも称され、いまは柴田勝家の妻となった絶世の美女。
 五右衛門に揶揄されたように憧れを抱いた時期もなかった訳ではない。その頃の自分にとって彼女というのは身分的にも外見的にも高嶺の花で、そんな思いを抱くことさえ恐れ多いような感じだった。ただ端から眺めて、いつかは俺もあんな女を手に入れられるような身分に就いてやると―――まるで呪うかのように誓ったことを覚えている。
 同時に、もうひとりの『自分』ならばこんな誓いなどたてないのだろうと苦々しく感じたりもした。
 彼女の嫁いだ浅井長政はいい男だった。外見だけでなく、武芸にも通じ貴族的嗜みも身につけていた彼は生まれながらの大名だった。実際にお市の方と並んで立っているところを目にしたことはなかったが、その様は一幅の名画のように美しかったのだろう。
 しかし戦国の世の常か、長政が倒されるに至って彼女の心は死んだ。信長の前に引き出された表情は凍てつき、かつての笑みなど面影にも浮かばない。鬼とも魔王とも恐れられる信長が唯一攻撃の手を休め、救い出そうと苦心した妹。だが妹は夫の仇と兄を睨みつけ、後に連れ合いの死骸になされた仕打ちのあまりの酷さに感情をなくした。幾ら手の内で保護されようとも彼女は最後まで『小谷の方』として行動したのだ………ただ、夫の記憶を併せ持つ者のみを友として。
 思い出した情景と重なるように浮かんできたもうひとつの記憶に今度こそ明らかな苦味を顔に登らせる。
「柴田についたってことは、よーするにお前と敵対したかったってことだろ? やっぱ息子サン殺したのがトドメだったかね」
「………だろうな」
 中空を見据えながらも浮かんでくる映像が腹立たしい。

 開け放った襖の向こう。自害したその姿と、すぐ側に跪く影。
 自らの手で介錯した首を抱え込み、声もなく泣いていた。
 返り血を浴びて汚れた着物と転がる刀に響く嗚咽。
 生きていて欲しいと願いながらも、その精神を思いやるが故に自らの手で引導を渡した者。

 ………泣いた姿を見たのは初めてだった。

『浅井長政殿―――見事な最期でございました』

 振り仰いだ視線の―――その、色が。
 濃い闇が。

「『だろうな』ってばホント、冷たい。お前友達なくすぞー?」
 知ってか知らずか放たれる言葉が結構的を射ていたりして苦笑する。向こうは何も知らないのだから、その言葉に痛みを感じるのはこちらの勝手な思い込みだ。
 ………でも。
「俺だって、友人ぐらいいたんだぜ?」
 少しだけ意外そうな顔をして、相手がこちらを振り向いた。おそらく『友人』なんて言葉を吐くのは初めてで―――少なくとも、こいつの前では。
「友人兼弟兼軍師だ。すごいだろう?」
「そこに『恋人』が加わったら完璧だな」
 まるっきり信用していない口調で五右衛門が切り返す。
「恋人になんてなるわけない。誰がどう望もうともな………」
 自覚なしに零れ落ちた言葉に黒衣の青年が実に奇妙な表情を浮かべた。
「それってば何処のどいつよ?」
「もういない」
 吐き捨てるような言い方だった。

「俺より長生きしろと言ったのに、しなかった。命令をきかん奴のことなんか忘れた」

 ………覚えてるじゃん。
 なんて、五右衛門の内心の声が聞こえてくるようだった。
「友人に『命令』はないっしょ、秀ちゃん」
「なら、『嘆願』だ」
 顔を俯けて片手で目元を覆う。
 繰り返し流れてくる映像が五月蝿くてたまらない。

 開け放った襖の向こう。自害したその姿と、すぐ側に跪く影。
 自らの手で介錯した首を抱え込み、声もなく泣いていた。
 返り血を浴びて汚れた着物と転がる刀に響く嗚咽。

『浅井長政殿―――見事な最期でございました』

 振り仰いだ視線の―――その、色が。
 濃い闇が。

 闇を恋う、瞳が。

「他には何も願わなかった。だったら、それくらい叶えてくれたっていいはずだろう」
「生き死にばっかは本人の意思に無関係だぜ? お前の上司が進んで死を選んだって言うのかよ。生きる時は生きるし死ぬ時は死ぬんだ。なに、駄々こねてんだよ」
「じゃあ、お前も死ね」
 深いため息と共に呟く。
「京の連中がな、今度こそクソ生意気な盗賊を捕まえてやるって息巻いてやがった。………かなりの大捕り物になるだろう」
「ふーん」
「それでもお前は戻るんだろうが。死ぬに決まってるってのによ」

「―――俺の町だからな」

 彼は微笑んだ。
 見たこともないような優しい仕草で相手の肩をはたき、青年は襖を空ける。夜の闇が果てなく広がり尽きるところを知らない。
 変わらず手にしていた永楽銭に祈りを捧げるようにして。
「折角の忠告だけど、やっぱり俺は戻らにゃなんねぇ。どーしても居たいんだよ。あそこに―――」
「………迎えは来ないぞ」
 あまりにも現実的な言葉に、それでも青年は笑みを浮かべて見せた。
「よけーなお世話v」
 あんまし暗いことばっか言ってるなよ。戦の前なんだし、もうちょいやる気起こしとかないとマズいんでない? 戦場に屍をさらしたところで敵さんが喜ぶだけなんだからな。
 それこそ「余計なお世話だ」と言い返したくなるような笑い声を残して彼は消えた。
 ひとり残された部屋の片隅で俯いたまま、ぼんやりと思考を巡らせる。

『頂点に立つ者は孤独なんですよ』

 男にしては透き通った声、穏やかで柔らかな………包み込むような。
 それを思い出す。

『できれば、あなたより先には死にたくないですね』
『どうしてだ?』
『秀吉殿が優しいから―――』

 甦ってきた記憶に自嘲気味の笑みを口元に刻む。
「………『優しい』俺は、命令ひとつでお前の親友の息子を殺すのか?」
 全てを予見したような台詞を吐いていた奴。
 けれど、見抜いていた奴が長生きしなければ話にならない。
『優しいから後には残せない』とか言いながら、真っ先に消えたのは何処のどいつだ。
 その時は既に、自らの死期を悟っていたのだろうと………分かるけれど。
 額の前、重ねた掌の合間から焼け付く瞳が垣間見える。
 焦がれた想いの行く先が何処へ行こうとも何にあろうとも、それは他者には関わりのないこと。
 瞳の持ち主自身が分からぬ衝動を、誰がどうして理解できると言うのだろう。
 閉ざした瞳、静まる呼吸。
 いつ始まるとも知れない戦に対して嫌悪感を抱く事もなくなった。

 ただ、いつでも。
 求めていて。

 叶わないものが、ある。

 ついていくと誓った主君は旅立ってしまった。
 記憶を共有した『弟』は戻って来ない。
 過去を知る男は共に行く者ではありえず。

 最期まで付き合ってくれそうだった奴は疾うに冥土への橋を渡ってしまった。

 今でも記憶に確かな、濃い闇の瞳。
 濃い闇―――闇を恋う、その色が。

 罵りとも懺悔ともつかぬ言の葉の数々だけが心の端から零れ落ちた。

 ………ああ。
 頼むから。

 頼むから、誰か俺の為に生きてくれ。
 俺の為だけに生きてくれ。
 逆らったって歯向かったっていい、嫌うのも憎むのも………恨むのも。
 それすらも飲み込んで側にいてほしい。
 何ひとつ告げずに消えるとか。心は他の奴にあるだとか。
 そんな疑いの全てを根底から否定して―――それでも、心は此処じゃない何処かへと向かっていた。
 掴もうとしてもすり抜けていくなんてこと、闇夜の舞いを見た時から知っていた。
 もどかしい想いを抱えたとしても、側にいてくれるならそれだけで充分だと思うから。

 支えてほしい、何も望まないから。
 笑いかけてほしい、何も願わないから。
 ただひとりが喜んでくれるよう、生きるから。
 代わりなどいないほどに強く―――………。

 俺の側で、俺よりも長く、俺の片腕として。

 俺の。
 俺の―――………。




 ………『片割れ』として。


 

 


 

「こいやみ」=「濃い闇」=「恋い(請い)闇」。いうまでもなくこじつけだヨ、あっは!(壊)

無駄に暗い話ですが、これが『きつねつき』のラストエピソードです。
仕方ないじゃないですか、半兵衛ってば死ぬんだもの。
史実なんだもの。
だから半兵衛と秀吉の間に友情が芽生えていようとも、これがラスト。
途中どんなに笑える話があっても幸せなエピソードがあっても、これがラスト。
せめて数年間ぐらい秀吉にも友達あてがってやらんと………とゆー発想から半兵衛を登場させておきながら、
また奪うのは鬼かもしれませんが(鬼です)

作中でお市の方とか浅井長政の名前が出てくるのは『きつねつき』シリーズの重要人物だからです。
途中の会話とかシーンもこれ以降書く予定のものばっかりです。
まあ、書いてる余裕なさそうだけどねv(オイ)

 

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