― ふみはじめ ―


 

 左に紙を、右手に筆を構える。この時代にまっさらの白い紙なんて望むべくもなくて、下働きの最中に頂いた使い切れとか包み紙とか、たまには気を利かせて奇麗な和紙なんかを用意してみるけれど文字が書き連ねられてしまえばどの道同じ運命だ。決して上手いとはいえないながらも真摯な思いを込めて言葉を紡ぐ。
(きっと、待ってるだろうな………)
 文を受け取る相手の顔を想像してニヘラ、と藤吉郎は笑った。たまの休日に青空を見上げながら文をしたためるのはなかなかに気分がいい。狭い室内は決して快適とはいえないとしても送る相手が彼ならば周囲の環境に関わらず楽しいというものである。農民出の自分は文字を書く喜びというものを知らなかった。寺で教えられたものの、あの頃はとてもじゃないが文章の内容云々に拘っていられる状況ではなかったし。新しい世界を教えてくれた相手に感謝するばかりである。
 手紙のやり取りを始めてはや数ヶ月。文章力はかなり上達したはずだ。
 墨の用意も完璧、机の上は規則正しく、途中まで記された文字がいまや遅しとつづきが書かれるのを待っている。借り物の筆を強く握り締め藤吉郎は叫んだ。
「さぁっ、やるぞおっっ!!」
「何を?」
「どわっは―――っっっ!!!?」

 バリッ!!

 突如、真後ろからかけられた声に手元の紙が無惨に裂けた。
「あああっ、俺の、俺の力作(予定)がぁぁ―――っっ!?」
「なぁなぁ、だから、何やってたんだってば」
 藤吉郎の穏やかな昼下がりを破壊してくれた黒衣の忍者はあっけらかんと問い掛けた。いつ侵入したのか知らないが、平然とした顔で千切れた片側を拾い上げ日に透かす。
「ふーん、手紙書いてたのか。誰に?」
「返せよっ、五右衛門の馬鹿!」
 半泣きになりながら奪い返した。懸命に切れた個所を繋ぎ合わせようとしても無理なものは無理である。残された手段はこのまま半分だけを文として送るか、全く新しい紙に書き直すかのどちらかしかなかった。でも紙が貴重品なのは前述したとおりだし、それに。
「上手く書けてたのに………いままでで一番上手く書けてたのに………!」
 ううう、と声を洩らして泣き出した彼にさすがの五右衛門もばつの悪そうな顔をする。ガックリとひざをついて挫折している藤吉郎の肩をあやすように叩いて、慰めとも何ともつかぬ言葉を口にする。
「悪かった、悪かったよ。でもなあ藤吉郎、物ってのはいつか壊れるものなんだ。紙しかり筆しかり人しかり。人が人を壊すことも可能なんだから俺の所為でお前が紙を破っちまったからといって、そりゃー運命だと思わねぇ?」
「誰が哲学の話をしろっつったんだよっっ!!」
 藤吉郎の神経を逆撫でするに終わってしまった。蛇足だがこの時代にはまだ哲学の思想はない―――はずである(朱子学はあるケド)
「何だよ、そんなに怒らなくても………新しい紙やるって。持ち合わせがあるし、それでいいだろ?」
「紙はよくても字はどーするんだ!? 自慢じゃないけど俺、下手なんだからな! でも代筆は嫌だからな!」
「そんなん切り貼りすりゃあいーじゃん」
「………本当にそれで大丈夫なの?」
 藤吉郎の目には疑いの色が濃い。安心させるように五右衛門は目の前で軽く指を振ると懐から新たな紙と糊とを取り出して、すぐさま作業に取り掛かった。何処にそんなん仕舞ってたんだ? とかは―――企業秘密なのだろうから聞いてはいけない。
 ギザギザになっていた切れ目を整えて丁重に糊付けする。多少、元より厚みはあるものの見た目には普通の紙に戻ったように見えた。
「ほれ、直ったぞ」
「ほ、本当だ………ありがとう!」
 目を輝かせて受け取った藤吉郎は素直に礼の言葉を口に乗せた。こんなところが気に入られていて、だからこそしょっちゅう家屋に無断侵入される原因になっているのだとは―――たとえ本人が知っていても役には立たなかっただろう。
 喜び勇んで文机に向き直った背中を小突くと五右衛門は先程の問いを繰り返した。
「で? 誰宛ての文書?」
「えっ………?」
 カァッ.と音を立てて藤吉郎の頬が朱に染まった。五右衛門は、藤吉郎が文を送る相手なんてどうせヒナタかヒカゲか小六か、大穴で例のお殿さまかと踏んでいたのだが。
 クルリと五右衛門に背を向けて藤吉郎は手元の紙をギュッと胸に抱きしめる。
(べっ………別に後ろめたいわけじゃないけどっ。内部事情とか喋ってないしっっ。きっと五右衛門だって話せばわかってくれ―――って?)
「おー、あったあった。手紙の束」
「うわ―――っっ!!?」
 不穏な気配に振り返ると五右衛門が硯箱を漁っている最中であった。そこにはこれまでに取り交わされた、決して少ないとはいえない手紙の束が仕舞い込まれている。焼いて消去しろよと忠告はされただが勿体無い気がして捨てきれずにいたのだ。いまになって相手の言葉に従っておかなかったことを激しく後悔した。
 中身についてすぐさま罵声と野次が飛ばされるものと覚悟したが、どうやら五右衛門はそれ以前のところで突っかかったらしく。
 問題の個所を指し示された。
「………なに? この赤線の数々」
「だっ、だからっ………添削してもらってたんだよ! 俺の文字!!」
 赤面したまま五右衛門がひっくり返した箱の中身を大急ぎでかき集めて、順序も確かめずに文机の下に突っ込む。
「にしたってフツー文字の書き取りならいろは歌からやらねぇ? どーして平安文学なんか写してるんだよ」
 ヒラヒラと片手で吊るされた紙片を取り返す。五右衛門が呆れ返るのは勝手だが、自分にとっては大切な宝物のひとつである。取り交わした文章や返された言葉、それら全てに送ったときの緊張とか戻ってきたときの喜びとか照れが含まれているのだ。全部自分のものなんだから五右衛門にだって好きにはさせない。
「平家も枕草子も源氏もあの人の趣味だよ。俺にはこれまで文学作品に触れる機会がなかったから………この際、一緒に勉強しちゃった方がためになるんじゃないかって」
 励ますように優しく微笑まれたんだよな、と回想してまた頬が熱くなる。五右衛門がすごく不機嫌になっているのがわかったが、仕方がないじゃないか。すっごくカッコよかったんだもの。
 果てしない努力を費やしたのだろう、微妙に歪んだ笑みを五右衛門は浮かべていた。
「んで? 何方と文通なさってたんスかねぇ、藤吉郎さんわ」
「ぶっ………ぶぶぶ文通だなんてっ! やだなあ五右衛門、俺なんてそんなことゆえる立場じゃないよっ!!」
 やだーっ、馬鹿ーっ、もっといってよvv
 と、欄外に吹き出しがつきそうな勢いである。諦めの境地に達したらしい友人は深く、深くため息をついた。
「信長じゃないんだな?」

「実はね………十兵衛さまなんだ」

 えへへ♪ と笑う藤吉郎に邪気は感じられない。が、聞かされた方としては黙って無視してやるには聊か相手が悪すぎた。五右衛門が居住まいを正す。
「十兵衛って、美濃の? 明智十兵衛光秀か!? お前下手したら内通の疑いかけられんぞ」
「大丈夫だよ。ちゃんと小六さんが検閲役を買ってでてくれてるし。あ、勿論、殿には内緒だよ?」
 しぃっ、と口元に人差し指をあてる。
「美濃に行ったとき話す機会があってさー、その場の勢いで指導役をお願いしたら引き受けてくださったんだ」
 裏事情を思い出して笑いがこみ上げる。そのとき藤吉郎は斎藤道三の、光秀は織田信長の格好をして互いに碁を打っていた。勝ったのは素人の藤吉郎で。負けた悔しさをそこかしこに滲ませながら光秀が「何かひとついうことを聞いてやろう」と提案した際に、頼んでみたのが字の指導だったのだ。口に出して説明はしないけれど五右衛門だって自分たちが影武者をつとめていたことは何処かから伝え聞いているはずである。
 うっとりと藤吉郎は遠い目で上方を見上げた。
「それにさあ………俺、ちょっと憧れてたんだよねぇ………」
「何に?」
 五右衛門の声が素っ気無くなり、ついでに背後をチラチラと気にしているようなのだが藤吉郎は気が付かない。両手を組み合わせて力説する。
「カッコいい先生ってヤツ。寺じゃいじめられてばっかりだったし。みんなハゲだし(当たり前か?)それに十兵衛さまって教え方が丁寧で優しくて好感が持てるっていうか………女性に人気があるって、すごく納得できるなあ。信長さまは野性的なカッコよさだけど、十兵衛さまのは理知的なカッコよさだよね♪」
「ほー?」

 ―――ビキッ.

 聞き覚えある声に音を立てて凍りついた。向かい合っている五右衛門は「知らないよーん」とでもいいたげに視線を逸らして口笛を吹いている。
 ―――怖い。とてつもなく怖い。
 でも振り返らなかったらもっと怖い。
 体中から冷や汗を流しコチコチのまま後ろを振り向いた。

「なるほど? つまり、俺は粗野だ、っていいたいわけだな? ………ああ?」

 お………怒ってる………。
 確実に。絶対に。ものすごく。これ以上ないくらいに。
 表情まで固まってしまった藤吉郎の目に映ったのは紛れもなく主君、織田信長の姿であった。こめかみに血管浮き出させた来客はズカズカと土足で板の間に上がりこんだ。スッパーン! と手にしていた紙を叩き落とされる。
「何だってテメェはキンカン頭と手紙のやり取りなんざしてるんだ気色悪ぃ!! スパイ容疑でしょっぴかれたいかゴルァ!!」
「ひーっ!? なっ………ななななんで殿がこんなところにっ!? 俺、今日は非番………!」
「同盟国とはいえ美濃は他国だろうが!? そこの武将に教えなんざ請うんじゃねえ! テメェにはプライドってもんがねぇのか!」
「だっ、だって俺、出戻りだから城では立場が悪いしぃぃ――っ! 下っ端ですし!!」
 それより何だってこんなところに殿が! 護衛は、一益さまは、仕事はどうなってるんですかっっ!?
 何処で何してようと俺の勝手だ! 大体テメェはなあ、もっと休みを有意義に使えってんだ! 根暗に部屋で物書きしてんじゃねぇ!
 近所中に鳴り響くような大声を出しながら駆けずり回る二人の所為で室内はメチャクチャだ。文机は蹴飛ばされ硯はひっくり返って墨をぶちまけ、筆は彼方へ吹っ飛んだ。それでも藤吉郎はかつての手紙の束を後生大事に抱え込んで離そうとしないので、更に信長の怒りを煽る結果となってしまっている。五右衛門だけは騒ぎを避けて天井裏からニョッキリと首を突き出し見物に徹していた。
「ちゃんといえばそれぐらい面倒見てやったっつってんだよ!」
「個人を贔屓しすぎるのはよくありませんっ。やはりここは俺が独力で………!」
「だったら俺と文通すりゃいーじゃねぇか、馬鹿野郎!!!」

 ピキ―――ン………

 場の空気が停止した。蚊帳の外だった五右衛門だけが「うへ〜っ、いっちゃったよ………」と乾いた笑みを浮かべている。発言だけを見れば「何だよ痴話喧嘩かあ?」といった印象なのだが、何せいった当人が鬼の如き形相で佇んでいるし(しかも刀の切っ先を相手に突きつけている)、いわれた方はいわれた方で手紙を山と抱えて怪しげな素振りをしている(しかも背中に蹴られた跡がある)ので、とてもじゃないが甘い雰囲気にはなりそうになかった。
 数十秒間の硬直から解かれた藤吉郎は思いのほかはっきりと言葉を口にした。
「だっ………駄目です、それだけはできません!」
「なんだと!?」
「理由はどうあれ、それだけは駄目なんですっ! 文通は―――文通相手は十兵衛さまじゃなきゃ駄目なんですっっ!!」
「………」
 痛いほどの沈黙が辺りを支配した。先刻の沈黙とは違い、やたら重苦しい気配が漂っている。
 口を真一文字に引き結んで藤吉郎を凝視していた信長だったが、踵を返すと入ってきたときと同様にあっという間に立ち去ってしまった。

「勝手にしろ!」

 ―――との捨て台詞を残して。




 散らかった室内を片付ける動きにも精彩がない。カサカサと手紙を束ねる後ろ姿はどんよりとした暗雲を漂わせており、いつもは元気よく跳ねている髪の毛さえも心なしかしおれて見える。適当に片付けを手伝ってやりながら、どうしたもんかねぇと五右衛門は呟いた。
「なあ、藤吉郎」
「………え?」
 泣き出す一歩手前の表情が居た堪れない。集めた紙束を渡しながら出来る限り優しい声音で呼びかけた。
「どうして信長とじゃ駄目なんだ? 光秀と信長と、両方一緒にやってやりゃあいいんだよ。少なくとも光秀は文句いわないんじゃねぇの」
「駄目だよ」
 藤吉郎は目をしばたかせた。
「最初に十兵衛さまとするって決めたのに、途中から信長さまに変えるなんて失礼だよ。俺、まだまだ教えてもらいたいことがあるし、手紙のやり取りするの楽しいし、それに―――」
 落ちていた筆を拾い上げた。

「………信長さまには、いつか、もっと字が上手くなってから送るんだ」

 それきり俯いてしまった背中を苦笑まじりに抱きしめる。腕の中でかすかに相手が身じろぎするのがわかったけれど力を緩めてやるつもりは更々ない。こんな風にひっつくのはいつものことだから避けられはしないけど、許してもらえるまでにかなりの時間を要した。
 自分でさえこんなに苦労しているというのに、なんの努力もしないで、ただ喚いているだけであの殿さまは。
 全くもって、あの殿さまは。
(………贅沢なんだよな)
 怒りにまかせて立ち去ってしまった人物にこっそり舌を出しておく。
「あんまり心配すんなって! 信長は短気で執念深いことで有名だけど何とかなる。そう思っておけ」
「う、うん」
 藤吉郎が慌てて目元を袖で拭った。
「何とかならなくても俺が何とかしてやるって………だからさあ、藤吉郎。前借りの意味も兼ねてなんかごほーび頂戴?」
 何故そこに話が飛躍するのだ。と、包み込んだ相手が動きを止めた。
「ご褒美、って………五右衛門、何かやったっけ?」
「破れた手紙を直した。騒ぎの邪魔をしなかった。部屋の片づけを手伝った」
「………」
 見せつけるように目の前で指を折りたたんでやれば不承不承といった感じで藤吉郎が頷く。そんなに大したことしてたかなあと、いいたそうにしているのが気配で分かるけど。

 ―――だって、俺だって少しぐらいはいい思いをしてみたい。

 五右衛門の内心を知るはずもなく、藤吉郎は幾度か視線を彷徨わせて。五右衛門は友人というよりはもうちょっと複雑な感情を抱いている相手の口元が、お前のワガママにはもう慣れたよ………なんて感じにゆるむのを確認して。
 相手が迷いの色を覗かせながらも振り向いたときを狙って少しだけ。
「そりゃ、少しだけなら………でも」

 ―――何を?

 そんな言葉がつづけられるより先にやわらかな唇を掠め取った。

 

 


 

いったい何をやりたかったのだ、自分よ(遠い眼差し)
あ、でも、これってひょっとしたらうちのサイトで初のキスシーンかも?(笑)

もともと某サイトさんのみつひよラブラブ小説に触発されて書き出したものなので
日吉がものすごーくみっちーに好意的です………だって日吉って絶対面食いだから(断言)
イイ男を見るとうっとりしちゃうタイプだと思われます(笑)

このままみっちーに恋文を書き綴る日吉で終わるのかと思いきや(※でも多分手紙の端にはいつも「今日も
殿は〜」と愚痴ともノロケともつかん文章が書かれている)
何故か殿が押し掛けてきて存在を主張し、ラストは潜伏していたゴエが掻っ攫っていってくれました(………)

あんたらそんなに日吉が好きか!!(書き手の力量不足ともゆう)

時期的には殿と道三の会談終了後ってところでしょうか。
実際に文通なんぞしている暇があったかはわかりません。
『枕草子』とか『源氏物語』を明智光秀が読んでいたのかも不明ですが、まあ、細かい突っ込み
はじめたら「そもそも手紙のやり取りができるわけなかろうが」ってなっちゃいますから(笑)

 

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