それは、いつもどおりの冬の朝だった。
 下働きの者たちはいつも通り日も昇りきらぬ内から活動を始め、炊き出しやら馬の世話やら火鉢の用意やら薪の切り出しやらに余念がない。吐く息さえも白くなる昨今は手先も冷えて擦り合わせたところで少しもあたたかくはならない。
 ―――そして。
 尾張の城内に悲鳴が響き渡ったのはそれから半刻後のことだった。

 


― なにゆえに ―


 

 ズン! ズン! ズン! と地面を叩き割らんばかりの音を立てながら歩いてくる人影。寝起き間もない長屋の住人たちは何事かと足音の主を確認し、「ああ、またか」と納得したように部屋に戻る。ある意味では日常と化した光景―――むすったれた表情で口をへの字に結んだままの人物が自宅の簾の前で仁王立ちになる姿。
 しばしの逡巡。
 ものすごく不本意そうな表情をした後にその人物はすぅっと大きく息を吸い込んで、ガバリと簾をかき開いた。
「起きろ、藤吉郎! いつまで寝てやがるんだ―――っ!!」
「ふぇぇっ!!?」
 大声と共に布団を引っぺがされて藤吉郎はすってんころりんと床に転がった。土間に頭を打ち付けた痛みに目を白黒させながら、寝ぼけ眼を瞬かせ、すぐ上にある自分と同じ顔ににへらと笑い返した。
「あれー、秀吉………? おはよ〜、今日はもう仕事あがったんだー」
「あほ抜かせ。出仕して半刻で終わる仕事があるか、ぼけ」
 未だのーみそが眠りについているらしい双子の弟(と、いうことになっている)の襟元引っ掴んで立たせながら、秀吉は適当に辺りの荷物をまとめ始めた。
「行くぞ。とっとと着替えろ」
「………俺、今日、非番じゃなかったっけ?」
「非番だけど緊急事態だ」
「??」
 ぼんやりした藤吉郎はのろのろと服を着替えている。これじゃ当分、俊敏な動きは望めそうにないなと悟った兄は、嫌々ながらにキメの一言を発した。
「殿の一大事だ。急いで城へ行くぞ」
「………!」
 殿、の言葉に途端に藤吉郎の目が冴え渡る。それまでの動きが嘘のように手早く着替え、荷物をまとめ、お愛想程度に顔を洗う。
「ごめん! あとちょっとだけ待ってて!!」
「―――先、行ってるぞ」
 わざと捨て置く態度でとっとと秀吉は外へ出る。草鞋を履くのももどかしく藤吉郎も続いてまろび出た。




 随分、久方ぶりの休暇を得た藤吉郎は偶には朝寝でもしてみるかとのんびり構えていたのだった。寝坊してもいいからと取り留めのない思索―――軍資金捻出のための節約案とか、如何に効率よく布陣を敷くかとか、合間合間にむかしの頃を思い出しつつ眠りに就いて、出掛けの秀吉の挨拶を聞いたのが記憶の最後。
 でもって、その次がいきなり秀吉の怒号だったりしたもんだからかなり吃驚した。
 城までの道のりは未だ朝もやの中に隠されている。出入り口で待ち構えていた兵士たちの間を顔パスで潜り抜け、いつになくズカズカと城中に足を踏み入れる。普段なら許されない奥の間付近まで来たとあっては流石に藤吉郎も戸惑った。
「な………なあ、秀吉。ここまで来ちゃっていいもんなのか?」
「緊急事態だっつったろ」
 むすったれた表情のまま秀吉はどんどん先を進んでいる。
 いつだったか、訪れたことのある信長の寝所の辺りに見慣れた顔がズラリと並んでいて藤吉郎は呆気に取られた。こんな面子が揃い踏みとは、ますますもって異常事態と言わざるを得ない。目が合った面々が互いに深く頷きを交わしている。
 慌てて藤吉郎も駆け寄った。
「犬千代さん!? 勝三郎様に、万千代様まで………!」
「久しぶりだな藤吉郎。元気だったか?」
 このような状況でも変わらず微笑みかけてくれるのが犬千代である。
 隣に疲れきった様子で佇んでいた一益がおもむろに眼前の障子に手をかけた。じぃっと藤吉郎に目を寄越す。
「―――いきなりですまんが、本題に入っていいか?」
「は、はいっ」
 ピシリ、と藤吉郎は居住まいを正す。
「この障子の向こうに殿がいるが………」
「はいっ!」
 と、何故かそこで、やたら長いため息を上司は漏らす。どこかうんざりしたようにも見えるのは気のせいだろうか?
「いるが―――何があっても、驚くんじゃないぞ?」
「はい!」
 緊張に頬を引き攣らせながら藤吉郎が敬礼する。
 一体、何がどうなっているのだろう。秀吉が、犬千代が、一益が、ここまで取り乱すとは。もしやなんらかの病気にかかったか、暗殺者の襲撃でも受けたのか………のんびり夢想に耽ってる場合じゃなかったと藤吉郎は臍をかむ。
「いいな?」との一益の呼びかけに応えれば、ガラッ! と勢いよく障子が引き開けられた。
 始めは向かいから差し込んできた日の光に何がどうなっているのか分からなかった。しかし、徐々に光に慣れるにつれ、眼前の光景が輪郭を顕してきて藤吉郎はパチクリと目を瞬かせる。
 ………こども。
 が、いた。
 つり目気味の瞳にへの字に引き結んだ唇、つんつんと飛び跳ねた髪を適当に結い上げて、その子の顔つきなんてもう、言うまでもなく誰かさんにそっくりで。
 なるほどまさしく緊急事態! 藤吉郎は青褪めると同時に叫ぶ。

「またもや信長様に隠し子発覚―――っ!!?」
「誰が隠し子だボケぇぇ―――っっ!!」

 ズバギャッ! と蹴りをくらって藤吉郎は「ぎゃー!?」と叫びながら廊下の端まで吹っ飛ばされた。
 すっ飛んでいった彼を見送る周囲の視線は………何故だろう。こころなしか、なまあたたかい。
「てめぇ、言うに事欠いて隠し子だぁ!? 俺は種馬か! 遊び人か! 見境いないのか! 妾腹の子でも皆きちっと認知しとるわい!!」
「だ、だって過去の過ちが今更のように現実化したところで何の矛盾も………! って―――あれ?」
 這い蹲った廊下の先で懲りずにこどもからゲシゲシと蹴りを食らっていた藤吉郎は、妙な違和感に言葉を止めた。これまでも信長の実子には色々と目通しされてきたが、ここまで『親』そっくりな行動を取った子が果たしていただろうか。
 いや、そっくりと言うよりも、これは。
 藤吉郎はものすごーく不思議そうに目を凝らして、でも、間違いなさそうだと確信した。
 未だ怒り心頭してチマい足で藤吉郎の背中を踏んづけている相手をそっと見上げる。
「………あの」
「何だ!」
「―――殿、ですか?」
 通常、であれば。
 そのセリフは一笑に付されて終わっただろうに、生憎と今回は状況こそが『普通』ではなかった。
 何故なら、頬を赤く染めたお子様はそのままの体勢でどうどうとのたまってくれたからである。

「たりめーだ! 他の誰に見えるってんだ! あぁ!?」

 ―――なるほど。
 確かに、これ以上はないぐらいの緊急事態ですね………。
 藤吉郎は思う存分頬を引き攣らせてその場に凍りついたのであった。




「でもって―――結局、どうしてこうなったのかは全くわからないんですね?」
「わかってたまるか!!」
 と、叫ばれて。
 眼前でふんぞり返っている主君(ミニサイズ)を改めて藤吉郎はマジマジと見つめた。どっからどー見たって織田信長そのものである。外見が、十数年分ほど逆算されている点を除けば。
 何でも、朝、起きた際に目線がみょーに低くて疑問を抱いたまま部屋から出た信長は、警護をしていた一益に出会って事態を察したらしい。至急、緘口令を敷いて主要メンバーを集め、秀吉に命じて本日非番だった藤吉郎まで緊急招集したという訳だ。
 しかし、驚いたにしては即刻、主君と承知した一益も流石である。
「いや。少々自信がなかったから小姓の面々に鑑定を依頼したんだがな」
 気苦労の耐えない護衛役はやや遠い目をしている。急遽呼び出しを食らった犬千代たち小姓三人組もミニマムな信長を見てかなり面食らったが、外見や行動や言動から、これは間違いなく信長であると断言したらしい。
 ちなみに最初は彼らも隠し子と勘違いしかかったそーである。そりゃあそうだろう。いきなり主君が若返ったと考えるよりは隠し子の存在を疑う方がまだマトモな思考回路をしていると言えるものだ。
 布団の片付けられた寝所で主と一対一で差し向かい、周囲を何故か取り囲まれている藤吉郎。
 ―――なんだろう、この構図は。俺に何かせよと言いたいのだろうか………。
 見えない圧力を感じて背中に汗が流れる。「んなこと言われたって俺にもどうしようもないですよー!」と叫びたい。思い切り叫びたい。確かに散々信長の無茶にはつき合わされてきたが、こんな超常現象に至っては全くの門外漢である。
 手の打ちようもないので仕方なく状況確認なんぞをしてみる。
「えーっと………すいません、殿。何か思い当たる節は?」
「ない」
「じゃあ、その、疲れがたまってたなーとかちょっと風邪っぽかったかなーとかは?」
「疲れるも何も通常業務を行ってただけだ。大体なあ、風邪ひく暇があるぐらいなら俺ぁ外で鷹狩りでもしとるわい!」
 ご尤もである。
 ここしばらくすれ違ってばかりだったので直接に信長の仕事振りを拝見していた訳ではないが、伝え聞く限りでは普段どおりだったと思う。それは一益や勝三郎ら複数の人間も証言している。
 もしかしたらさり気にストレスを溜めていたのかもしれないが、偶に遠くの廊下で歩いているのを見かけるぐらいだった藤吉郎にはそれ以上察せられようはずもない。疲労度なんて自覚がなければどうしようもないジャンルである。
(濃姫さまがいればなー………)
 現在、濃姫さまは珍しくも里帰りの真っ最中である。もしや夫婦喧嘩が原因か!? と疑ってみたところで出立直前のラブラブ具合を見ていればそんな茶々を入れることも憚られる。
「仕方ないです。殿、とにかく何か解決策を捜しましょう。このままではかなりマズイです」
「それぐらい分かってんだよ、すっとこどっこい」
 ………信長は外見が幾つになろうとも常にキビしい。
「じゃあその、とりあえず薬を飲んでみるとか。一益さまとか五右衛門なら調剤もお手の物でしょうしっ」
「一益に渡された漢方だか何だかは飲んだが効かなかったぞ。大体あれは苦い。まずい。俺は飲まん」
「原因を探求すべくヒカゲに占ってもらうとか」
「オカルト娘はお呼びじゃねぇ」
「―――せ、背丈を元に戻すため両手両足を牛馬に引っ張ってもら」
「そりゃー通常の拷問だろうがっ!? お前は俺を車折の刑にする気か!!」
「だって殿が全部イヤだってゆうから―――っ!! 引っ張れば身体の厚みは薄くても身長ぐらい元通りになるかもしんないでしょっ!?」
「チョ○レート工場を実践するんじゃねぇ!!」
 ぎゃいのぎゃいのと言い合うふたりを前に、もはや他の面々も疲れきったのか止める様子すら見られない。
 ―――その時。
 どーにも収集のつかなくなった事態を収めるように、スラリ! と障子が開かれた。やたら能天気な声が響く。
「やっほー♪ みなさんお元気ですかー? 真打登場! ってかぁ?」
 相変わらずのニヤニヤ笑いを頬に刻んで現れたのは忍び装束に身を包んだ五右衛門であり、
「ふふ………みんな、楽しそうで何よりだわ」
 穏やかなだけに不気味な笑みを浮かべたのはヒカゲであった。
 予期せぬ人物の登場に真っ先に抗議の声を上げたのは信長だ。
「なんでてめーらが出てくんだよ! 俺ぁ呼んでねぇぞ!!」
「なーに言ってんのよ、お殿様。こんな面白そーな事件を俺が嗅ぎ付けない訳ないじゃない?」
 にんまりとほくそ笑みながら五右衛門はつつっと信長に歩み寄り、「うわー、本当に小さくなってらぁ♪」とこれまた嬉しそうに頭をかいぐりした。信長は怒りまくっているが、如何せん、いまの身長差では対抗する術もない。おそらく、元に戻った信長が一番最初に実行に移すのは五右衛門抹殺計画であろう。
 このふたりの登場に一番安堵したのは他でもない藤吉郎だった。嬉しそうにヒカゲの肩に手をかける。
「ヒカゲ! よかった………! てっきり濃姫さまのお里帰りに随行したもんだとばっかり」
「ご一緒はしてたんだけどこっちで面白そ―――大変な出来事が起こりそうだったから、急いで戻ってきたのよ。よかったわ、間に合って」
 ふふふ、と口元に刻む笑みに微妙に不穏な色が潜んでいる。そのまま視線はちまい信長へと流れた。
 構図的にはちびっ子VS少女。
 もう少し言うならリアリストVSオカルト娘。
 例えるなら竜虎の対決、ハブとマングース、プレーリードッグと白オコジョ、生きているゴムマリVS呪いの市松人形。
 つまりは何が何だか分からないなりに宿命の対決を呈しているふたりの決闘は既に始まっていたのだった。
「信長様、お久しぶりですね。随分ちぢまれたようですけれどご健康そうで何よりです。是非とも今度あなた様の身体と脳内構造がどうなっているのか探らせてもらいたいぐらいですわ」
「そっちこそ久しぶりじゃねーか。相変わらず路地裏で怪しい三文占いだの祈祷だのに精を出してんのか? 丑の刻参りを始めたいってんなら城の裏手を高金利で貸し出ししてやらんでもないぞ」
「いやだわ、そんな恐れ多い真似など出来ません。信長様こそ暗殺集団を雇って殺したい相手が増えている頃合でしょう? いい伝手を知ってますから今度ご紹介しましょうか」
「お前に頼らにゃいかんほど知り合いには困ってねーよ。それより、てめぇこそ月のない夜には気をつけるこったな」
「相変わらず冗談がお上手ですね」
「お前ほどじゃないさ」
「ふふふ」
「ははは」
 ………何故だろう。
 ふたりとも笑顔だとゆーのに妙に背筋が寒くなるのは。
 こっそりと藤吉郎は五右衛門に耳打ちする。
「あのふたり、仲がいいのか悪いのかよくわかんないよね。ほんと不思議だよなー」
「………ここまで来て結論に悩むお前の方が俺には不思議そのもんだよ」
 あいつらはお前を挟んで恋の鞘当をしてるだけなんだよと、いい加減教えるべきか五右衛門は迷う。
 教えたところでコイツは何ひとつ理解できねーよ、てなことを脇に突っ立った秀吉は考えている。
 ―――非常に正しい(後者が)
 しかしここで嫌味合戦を演じていていも何の解決にもならないと察していたのは当事者たちも同じのようで、先ほどのような会話を延々十分ほど続けた後におもむろにヒカゲが信長の額に手を当てた。
「信長様。不本意でしょうけれども調べさせてください。このままでよいとは考えていらっしゃらないのでしょう?」
「―――まぁな」
 不承不承、信長が目を閉じる。ヒカゲの能力に信頼と期待を寄せている面々は黙ってコトの経過を見守った。
 ヒカゲも瞳を閉じて精神を集中していたのは、然程長い時間ではなかっただろう。
「………」
 ゆっくりと彼女が目を開ける。
 何故かは知らないが、その表情は微妙に呆れているようにも感じられた。チラリと視線が藤吉郎の上に流れて―――。
「―――え? な、なに? 俺、なんかしたっ?」
「………」
 慌てる藤吉郎を他所に視線をクルリと正面の信長に向けると、そのまま深いため息と共に畳の上に突っ伏した。ものすごく脱力系の事態が判明したらしい。
 駆け寄った藤吉郎が彼女を助け起こす。
「大丈夫か、ヒカゲ。何かわかったのか!?」
「ええ、大丈夫よ。まぁ分かったといえば分かったんだけど分からなくてもよかったと言うか………」
 珍しくもこの巫女さんが遠い目をしていらっしゃる。
 支えてくれている藤吉郎の手をやんわりと遠ざけて周囲の警備陣に向き直った。
「一先ず、皆さんに事の次第を説明いたします。失礼ですがこちらの隅まで―――ああ、日吉と信長様はそのままでいいから」
「俺だけ仲間はずれっ!!?」
「あーもー、とりあえずお前はそこでおとなしくしてろ」
 ガーン! とショックを受ける弟の頭を軽く叩いて秀吉が、次いで叩かれた部分をやさしく撫ぜてから五右衛門が、ヒカゲの傍に集まる。万千代たちも首を傾げながら巫女の周りで円陣を組んだ。ボソボソという話し声がやや離れた場所にいる藤吉郎のもとまで聞こえてくる。一緒に放置された信長は「けっ」と悪態をついていた。
「………………ですか?」
「マジか………んな理由で―――」
「しかし確かに―――は………」
 断片だけ聞こえたところで何の意味も成さない言葉にまんじりとしながら、藤吉郎は所在なさげに佇んでいた。
 やがて、話し声がピタリと止まり。
「………」
「―――な、なに?」
 全員揃っての妙な目線―――呆れたような、納得したような、同情したような、いい加減にしろと言いたそうな、とにかく複雑な色を含んだ瞳に射抜かれて藤吉郎がたじろぐ。オタオタし始めた彼と、不貞腐れてそっぽを向いている信長を交互に見つめた面々はまたしても深いため息を計ったかのようなタイミングでもらす。
 ものすごーく言いにくそうにしながらも犬千代が前へ一歩進み出た。
「あー………その、何だ。藤吉郎」
「はい?」
「非番のところ悪いんだが、今日は休日出勤てことでだな。その、とりあえず信長様のお相手を頼む」
「え、ええ………そりゃあいいですけど」
 もとより藤吉郎に異存はない。
 が、続いての言葉には藤吉郎どころか信長までビックリした。
「つーことで、今日は殿も一日仕事から解放だ! 解決策は俺らで探っとくから適当に外で時間を潰しててくれっ」
「へ!?」
「な―――おい、犬千代! なに考えてんだ、コラ!」
 一日でも休んだら業務が滞るだろうが! とチビ信長が地団太を踏む。確かに外回りだの武術演習だのは行えないが、デスクワークならさして問題なかろうよ、と言うのが彼の意見である。
「第一、外に出てたら解決策が分かったときすぐに実践できねぇだろうが! あほか!?」
「ですが殿、そのお体で無理は禁物ですよ」
 何故か一益までもが犬千代の援護に回る。
「それに最近の殿は少々無理をしすぎです。朝から晩まで働きずくめで―――偶の休日と思ってゆっくりされては如何ですか。デスクワークなら私が少しは処理しておきます故」
「そうですよ、殿! 演習の訓練なら俺らでも出来ますし!」
「他国との交渉ごとは俺が進めといてもいいぜ? あ、勿論ギャラはもらうけどー♪」
 勝三郎や、何故か五右衛門までもがキトクなことを言い出した。天変地異の前触れかもしれない。もしや全員で怪しい病にかかったのではないかと疑いたくなるほどである。
 だが、この場にいる者たちから口々に休め休めと言われると、最初の内は反論していた信長も徐々に面倒くさくなってきたらしい。ついに舌打ちだけ残して障子をがっさりと引きあけた。
「―――ったく、ワケわかんねぇ奴ばっかりだな! わかった! 今日一日テキトーに過ごしてればいいんだろう!? その代わり、戻ってきた時に解決策も何もわかってなかったらぶっ殺すかんな!」
 小姓たちが深く一礼をする。
 目端にその光景を留めた信長は更にもう一度だけ舌打ちして。
「おら、行くぞサル!!」
「は、はいい―――っっ!!」
 藤吉郎を引きずるようにして部屋から出て行った。
 何となく廊下に出てそれを見送った五右衛門と秀吉から交互に深いため息と愚痴が漏れる。
「………なんか納得いかねー。俺ってば完全に損な役回り?」
「それを言うな」
 俺だって文句のひとつも言いたいんだぞ、と。
 代行せねばならない仕事の量に頭を痛めながら秀吉はむすったれた表情で答えるのだった。




「ったく、何考えてんだかわかんねぇ奴らだな!」
「そうですね………」
 何考えてんだか全然わからないのはあなたも同じですが、と思いつつも藤吉郎は口にはしない。ここ数年で覚えた対処方法のひとつである。
 部屋を飛び出した信長はもはや周囲を気にすることを放棄したのか単に忘れているのかどうでもいいと思っているのか、堂々と辺りを歩き回って恐れる風もない。時折りすれ違う人々から奇異な眼差しを向けられているのだが、後でどういった説明をするつもりなのだろう。翌日には尾ひれと胸びれと背びれがついて出回っているだろう「隠し子説」を思って藤吉郎はこめかみを押さえた。
 文句を垂れながら信長がやって来たのは厩である。どうやら馬を調達するつもりらしい。係りの者を無視して中に入り―――藤吉郎が「すんません、すんません」と何度か頭を下げて―――愛馬の前で偉そうにふんぞり返る。
「よぉーし! 久々に遠乗りと行くか!」
「え!? ちょっ………待ってください、この状況下で遠出を企んでらっしゃるんですか!?」
「うるさい! 俺は行くと言ったら行くんだよ!」
 ふん! とそっぽを向いたまま信長は鞍に手をかけ―――。

 ベシャリ。

 と、落ちた。
 落馬というか………よーするに鐙に足が届かなかったのである。地面に顔面激突させた信長は怒りからフルフルと肩を震わせている。何だかとってもショックを受けているらしい。
「たっ………高い! 鐙ってこんなに地面から距離があったか!?」
「仕方ないですよ。いま、殿ってば身長が半減しちゃってますし」
 信長はむかしから馬に乗りなれていただろうが、急に背丈が縮んでしまっては感覚を取り戻すのも難しかろう。無論、藤吉郎が手を貸せば簡単に馬の背に乗れるのだが、果たして信長が藤吉郎の手助けを受けることを良しとするかは不明である。
「大体、いまの殿って俺よりもチビ………」
 呟きをもらしてから、藤吉郎はハッと我に返った。
 何だか、いま、とっても都合の悪いことを呟いてしまった気がする。
 冷や汗まじりに足元を見やれば、案の定、ものすごーく引き攣った笑みを浮かべる主君がそこに座していらっしゃった。ヒクヒクとこめかみに血管が浮いている。
「ほぉ〜………? つまり何か、サル。いまの俺はお前よりもチビだと言いたい訳だな………?」
「えっ! ま、まさかそんなこと俺が言うはずないじゃないですかっ!! やだなー、殿ったらっっ!!」
 ブンブンと激しく両手を振り回して否定したところで後の祭り。
 猛禽類なみの鋭さで瞳が瞬いたと思った次の瞬間、藤吉郎は頭部に食ってかかられていた。
「ならテメェが足代わりになりやがれ、サルの分際で―――っ!!」
「ぎゃーっ!!? い、痛い! 痛いっすよ、殿!!」
 絞め殺さんばかりの勢いで首に両足が回され、髪の毛が引っ張られ、耳に噛み付かれる。チビ殿は怒りまくったままボコボコと藤吉郎の頭部を殴りつける。
「おら! とっとと走らんかい! 今日一日、お前が馬がわりだ!」
「んな殺生な―――!? 今日だけでどんだけ走るつもりなんですっ!!?」
「じゃかぁしい! とにかく走れ!」
「は、はいぃ―――っ!!」
 うわぁぁぁん! と泣き叫びながら厩を飛び出していく少年と、頭にしがみついたやたら当主そっくりなお子様を見張り役の兵だけが呆然と見送っていた。
 何の状況も知らされていない彼にはホントご苦労様ですと言いたい。
 嗚呼、合掌。




 いわゆる肩車の状態で城を飛び出し、ほどほどに顔を覗かせ始めた太陽の下、珍妙な顔つきをした町民の方々に見送られ、更には農村に突っ込んで「かあさん、へんなのが走ってるー」と無邪気な幼子に指差されて走り続けること約一刻。
 藤吉郎は、川辺の傍で突っ伏していた。
 彼の頭部にしがみ付いたままやれ右だの左だの直進だの後退だの、いいように方向転換を命じてくださったチビ殿は冬の寒空にも関わらず川でなにやらはしゃいでいる。その顔は実に嬉しそうで、この間、彼の脳内からは自身の状態など忘れ去られているらしかった。馬代わりにされた部下は未だ撃沈中だとゆーのに暢気なものである。
(………深刻そうに悩んでる殿を見たかったわけじゃないけどさ)
 呼吸を整えた藤吉郎はようやく身体を起こし、その場に胡坐をかいた。
 空には弱めの光を投げかけてくる太陽が輝いている。風も穏やかだし、たぶん、ここ数日と比べればあたたかい日の部類に入るのだろう。
 信長は延々川で何かをやっていた。このままでは風邪をひくんじゃないかとさすがに心配になる。
「殿ー! 何してらっしゃるんですかー?」
「美味そうな魚がいるぞ、サル! 釣竿か網もってこい!」
「だって、殿! 風邪ひきますよ!?」
「ひかねぇよっ!!」
 着物の裾を捲くり上げ、岩で適当な囲いを作って、映し出されたみなもに小魚の影を追っている信長は絶好調だ。ああ、もう、知らないぞとぼやきながら、それでも「お前もやれ!」とかって巻き込まれないのは彼なりに部下のことを慮ってくれているからだろうか? 単に川遊びが面白すぎて藤吉郎の存在を忘れている可能性もあるが。
 この後に彼が行うだろうことに予測がついて、手近な木切れを集めて火を起こす事に専念する。魚が捕まっても捕まらなくても火は必需品だろう。
 火種になるようなものが見つからず四苦八苦して、どうにか細々と火がつき始めた頃に意気揚々と信長は引き上げてきた。全身濡れ鼠になりながらも戦利品を腕にごっそり抱えた彼はご機嫌である。
「よし、サル! 火ぃおこせ、火! ―――って、ん? 用意いいじゃねーか」
「もうちょっと待っててくださいよ? そしたらきっと魚だって焼けますから」
 それまでこれでもどうぞ、と自身の一張羅の上着を差し出せば不思議そうに首を傾げられた。もしかしなくても、こんな格好になってもまだ寒さを感じていないんだろうか、この人は。
「身体が冷えちゃいますよ。上着、羽織っててください」
「いらねーよ。俺がこの程度の寒さにやられると思ってんのか?」
「いや、確かに俺の上着は薄っぺらくて防寒着の意味を成しませんが―――って、とにかく! 着ててください! 寒さを侮ると痛い目みるんですからっ」
「………ふん」
 渋々といった感じで信長は濡れそぼった自身の着物をはぐと、代わりに藤吉郎の上着に包まった。いつもならつんつるてんになってしまうのだが、信長が極端に小さくなっているいまならば藤吉郎の上着も代用にはなる。放り出された着物を藤吉郎が手近な木の枝に吊るした。徐々に大きくなってきた火の影響で着物の乾きも早まることだろう。
 のんびりと焚き火に手をかざしている主君を他所に藤吉郎は準備に余念がない。魚を枝に刺して火の周りに配置し、木筒に水を汲むと懐に忍ばせていた茶葉を忍ばせて魚より遠目の火であたためる。探してきた木の実を川で一生懸命洗い、全く、その様は「かいがいしい」の一言であった。
 忙しくちょろちょろと動き回る部下の動きを信長はずっと視界の端で追っていた。
 やがて、はぁ、とため息をつく。
「………サル」
「はいっ?」
 ちょいちょい、と手招きされて藤吉郎は小首を傾げる。洗い立ての木の実を近くの岩の上に放置して、信長の傍にひざを寄せる。
「どうかなさいましたか?」
「―――お前」
 瞳は正面の焚き火に向けたまま、どことなく信長は不服そうにしている。
「なにを先刻からウロチョロしてやがるんだ? んな動き回ってねーで此処にいりゃあいいじゃねぇか」
「え? でも………」
 何か気に触ることでもしちゃったのかな、と藤吉郎は困った表情になった。
「魚が生焼けなのはちょっと―――それに、あったかいお茶とか木の実とかあった方がいいかなって」
「それを欲しがったのは俺か? お前か? ま、魚を焼けっつったのは俺だがよ」
「はい?」
「………お前が欲しいっつーんなら別にいいんだが」
 かくて主君は黙り込む。
 相手が何を言いたいのか読みきれず、藤吉郎は疑問を抱いたままもとの作業に戻ろうとした―――ところ、を。
「………だ―――っ!! あー、めんどくせぇっ!!」
 いきなり信長が叫び、立ち上がりかけた藤吉郎の手を引っ掴んでその場に座らせた。慌てて折り畳まれた標準より小さいサイズの足にぽすんと頭を乗せて、後は我関せずとばかりに瞳を閉じる。
 いわゆる、膝枕。
 巻き込まれた側はひたすらに目をしばたかせているが。
「………あの、殿?」
「何だ。うるさい。俺は寝る。お前もじっとしてろ」
「―――魚、焦げますけど」
「焦がしとけ」
「………火が広がって火事になりそうなんすけど」
「燃やしとけ」
 ちょっと待った、それはさすがにヤバイんじゃないの? と藤吉郎が内心で思ったかどうか。
 ともあれ予想していなかった展開に藤吉郎は戸惑いを深めるばかりであり、部下を混乱させたままで上司はすっかり眠る体勢に突入している。
(魚、焼けっていったのは殿なのに)
 微妙に理不尽な気がしないでもない。だが、膝に感じる確かな重みを前にすると、そんなの些細な出来事に思えてくるから不思議である。
 少し上げた視線の先、順調に焦げていく魚を見つめ、端っこで揺れている着物を眺め、それから天空を振り仰ぐ。
 うん、相変わらずの快晴だ。
 このところ忙しくて―――空を見ることさえ久しぶりだったかもしれない。ふ、と藤吉郎は微笑んだ。
「殿………起きてます?」
「ん………」
 帰ってくるのは生返事だ。半ば眠りに落ちているのかもしれない。
 聞こえてないなら聞こえてないで全然構わないと思った。
「俺たち、こうして面と向かって会うのってすごい久しぶりなんですよ? いつも遠目には拝見してましたけど、ええと、そうだな、十日ぶりぐらいかな?」
「―――半月ぶり」
 ぼそっと小声で信長が答えた。
 が、ぽへーっと空を見上げている藤吉郎は気がつかない。自身も欠伸をかみ殺しながらやわらかな笑みを浮かべている。
「忙しいのは分かってますけど、ちょっと、寂しかったです………俺の仕事は殿のためになってるんだって言い聞かせても、やっぱ、少し。殿の仕事がもうちょい少なかったらなーとか、殿がもう少し自由に動ける時分に出会えてたらもっとご一緒できたのかなー、なんて―――大それた考えですね」
「大それてなんかねぇよ」
 今度の声はさっきよりも大きく響いた。
 だから、主君が起きていると気付いてなかった藤吉郎がビクリと身体を震わせる。上空を見上げたままの体勢で、しまったーっ、聞かれてるなんて思ってなかった、どうしよーっ!? と滝のような汗を流すのも知らぬフリで、目を瞑ったままの信長が呟く。
「黄昏てたところで仕事がそんな簡単に無くなるはずもねぇ。まあ俺だって、むかしはもうちょい暇だったよなって述懐するぐらいの疲れは感じてるがな」
「………はい」
「忙しいのはお互い様だろが。会いたいんならもっと頑張ってとっとと割り当て分を終えろ。そうしたら」

 ―――今度の非番には、ちゃんと遠乗りに連れてってやるから。

「………」
 藤吉郎は目をまたたかせる。
 見下ろす先で主君は瞳を閉じたまま、細い寝息をたてたまま、動く気配もないけれど。
 恐る恐る乾きかけた前髪に触れて呼びかけてみる。
「―――信長様?」
 返事は、なかった。
 それは照れ隠しゆえなのか、今度こそ本当に寝入ってしまったためなのかなんて、知る術もなかったけれど。
 ゆるゆると藤吉郎の口元にあたたかな笑みが広がる。本当に嬉しくて仕方がないと―――見るものすべての気持ちをやさしくするような笑みを浮かべて。
「でも、やっぱり俺は………後ろからついてく役ですよね」
 後ろに乗せてください、なんて恐れ多くていえないから。
 せめて走って追いつけるぐらいの速度にしてくださいね、とこころの中で頼んでおいて。
 このままだと本当に魚が消し炭になっちゃって勿体無いなぁと現実的なことも考える、膝の上のあたたかくてやわらかな物体を抱え込んだ藤吉郎は、ひどくおだやかでしあわせな気分にひたっていた。




「―――つまりは、単に不足してただけなのよ」
 おだやかさともしあわせとも程遠い口調と表情でヒカゲはつっけんどんに答えた。手元の湯飲みから茶を啜りながら眼前の書類とにらめっこをしている。チラチラと視線を流して内容を確認したあと、ぺたりと許可のはんこを押した。
「不足って、何が?」
 尋ねたのは犬千代だ。
 彼の隣には勝三郎と万千代が控えていて、後ろでは一益と急遽呼び出された柴田勝家が山のように詰まれた書類と格闘していた。かくいう彼らも堆く積まれた竹簡や帳簿の類と取っ組み合っていて、要は信長の仕事部屋に持ち込まれた事務方の書類がとんでもないコトになっているのだった。朝から昼近いこの時刻まで複数名で突貫工事をしているというのに終わる気配もない。信長は普段これをすべて自分ひとりでこなしていたというのだから全く持って驚嘆に値する。
 またひとつ、書類にサインを捏造しながらヒカゲは投げやりな声を出す。
「信長様には日吉が、日吉には信長様が。ほら、このところお互いに仕事が忙しくて会う暇もなかったでしょ? フラストレーションたまってたんでしょうね」
「だからってどうして殿が幼児化するんだ?」
「さあ? そうすれば仕事から解放されるって何処かの誰かが思ったんじゃないの」
 何処の誰が、とは敢えて名指ししようとしないヒカゲである。
 いい加減、信長の署名を延々繰り返すのにも飽きてきたのかもしれない。
 部屋の隅では互いに出納長と管理表を手にした秀吉と五右衛門が愚痴を零しあっていた。
「なーんか納得いかねー。俺だって藤吉郎と遊びたいのにさー」
「文句を言わずにとっとと計算しろ、五右衛門」
「だって、俺の仕事は諜報活動であって会計監査じゃないんだもん! 大体どーして信長と藤吉郎のラブラブデートに手ぇ貸してやんなきゃなんないの! 俺だってデートしてぇよ! こりゃあ詐欺だ! 陰謀だ! 横暴だ!」
「やかまし―――っ! 俺だってこんなトコで計算に精出してたくなんかねぇんだよっ!!」
 今頃、久しぶりにこころゆくまで藤吉郎といちゃついてる信長は鬱屈から解放されているだろうが、逆に今度はこちらがブチ切れそうだ。
 あちら立てればこちらが立たず。まったくもって世の中はうまく行かない―――あるいは、実にバランスが取れていると言うべきか。
 サラサラと計算式を組み立てながら五右衛門がぼやいた。
「原因はふたりの鬱憤がたまった結果だとしても? だからってそこでどうして信長があんなカッコになれたのかは分かんねぇよな〜」
「理由がなきゃ不満かよ」
 くだらんことを、と秀吉がうんざりした表情で部屋の外を眺めた。
 どだい、あのふたりに理論や法則を求めようとするのが間違ってるんだと言いたげに、ジトッとした目線を話し相手に向けた。

「―――愛ゆえに、とでも言ってほしいのか?」

「ご冗談を………」
 逆に真実味がありすぎて笑えないからヤメてお願い、と。
 帳簿を放り出した五右衛門は乾いた笑いを浮かべながら次の書簡に取り掛かるのだった。




 ―――そして。
 夕方頃に帰還した信長は「これが秘伝の薬です!」と毒々しい笑みを浮かべたヒカゲと五右衛門にアヤシげな湯のみを差し出され、嫌々ながらも飲み干してぶっ倒れること数時間。「もしやマジにヤバイ薬だったのでは!?」と枕元に付き添った藤吉郎を散々心配させた挙句、翌朝にはすっかりもとの背格好に戻っていた。
 おかげで、飲ませた薬が前日の事務処理参加メンバー全員の手による「超適当調合薬」だったことはバレずに済んだのだが―――。
 喜ぶ藤吉郎をじいっと見つめていた信長が、彼を補佐役に取り立てると発表したのはちょっと合間を置いた一ヵ月後のことで。
 それによって、傍らにはせ参じる他の者たちの気苦労が減じたのかとゆーと。

 ―――やっぱり、効果の程はよく分からないのであった。

 

 


 

結局何がしたかったのだ、この話は………(汗)

とりあえずちみっちゃい殿と日吉を書いてみたかっただけなのです。

殿が若返ったことに深い意味はありません。

むしろ何も求めないで頂けるとありがたい(切実)

 

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