「戦え! ボクらのコロクンガー!!」

78.an incurable disease

 


 容赦ない夏の日差しがジリジリとアスファルトを焦がしている。普段は子供たちで埋まる校庭には引いた

まま消されることのない白線がその名残を留めている。聞こえてくる歓声は室内プールや体育館で練習し

ている生徒たちのものだろうか。文化祭も差し迫った8月の終わり、ごく一部の者たちにだけ休み中の使

用許可が下りていた。

 学校の門前にタクシーが停まると、料金を払い終えたらしい客がフラフラと頼りない足取りで降りてきた。

空を仰ぎ見るように手をかざし深いため息をひとつつく。

 

「………暑い……」

 

 抑揚のない声でぼんやりと呟きながら彼は校舎の受付へと向かった。

 

 

(全く、よくやるよ)

 それが秀吉の正直な感想であった。なにについてかというと、眼前で繰り広げられているいつ果てるとも

しれない争いについてである。

「だーっ! キンカン頭! 俺の邪魔をするんじゃねぇ!!」

「誰がいつ邪魔をしたというのだ! 観客に背中を見せないというのは演劇の基本中の基本だろう!」

「だからって俺の前を横切るんじゃねぇ!!」

「ふ、2人とも落ち着いてくださいよーっ!」

 争っているのは我らが防衛隊隊長こと織田信長――そして恐れ気もなく歯向かっているのが蝮学園一

の秀才と名高い明智光秀である。一生懸命ケンカを止めようとしているのは当然、秀吉の妹であるところ

の日吉だ。彼らは文化祭で発表する生徒会の出し物のためにこうして学校に訪れているのであった。しか

し、練習を全くしていない信長や日吉が一朝一夕で上手くなれるはずがない。素直に教えを請えばいいも

のを信長と光秀が犬猿の仲なのでちっとも話が進まない。既に2時間は練習しているというのに舞台内容

は5分と進行していないのだ。ある意味とても画期的といえよう。

 そもそも練習が遅れているのは信長と日吉だけなのだ。それに付き合ってくれている光秀という人物は

とてもとても親切なのかもしれないのだが………。

 

(人選、間違ってるよなあ)

 

 隊長と張り合う奴を選ばずとも、と秀吉は教室の端に寄せられた机の上でため息をついた。ちなみに彼

は単なる部外者である。妹の登校に意味もなくつきあって、練習の手伝いも邪魔もせずに教室の隅っこで

分厚い哲学書なんぞを読みふけっている。先ほどまでは五右衛門もいたのだが司令からの呼び出しを受

けて旅立ってしまった。

 練習がある程度まで行き詰まると、この学園の女帝が動き出す。

「さあ、2人ともそれぐらいにしてください。いい加減物語を進行させないとダメでしょう?」

 極上の笑みと共に背後に雷雲を控えさせているのは学園創設者の愛娘にして生徒会の副会長、斎藤

帰蝶その人である。さすがにこの人物には誰も逆らえない。なにを隠そう、あの信長とて滅多なことじゃ反

論できないのだ。

「なんだよお濃、俺が悪いってのか?」

「そうは言いませんけど時間がないのも確かですわ。今日中にノルマをクリアして頂けないのなら――」

 晴れ渡った青空のように健やかな笑顔を濃姫が披露する。

 

「独房に3日間、監禁いたしましてよ? おほほv」

 

「………」

 冗談に聞こえないのが恐ろしい。室内気温が3度は低下したようであった。

「よし! やるぞ、サル!」

「は、はいっっ!!」

 日吉も泣きながら従ったのはいうまでもない。

 

 

 それからしばらくは平穏無事な時間が過ぎた。秀吉が持ってきた本の山場に差し掛かってきたとき、突

然携帯の呼び出し音が鳴った。演技指導に当たっていた濃姫が急いで鞄の中から携帯を取り出す。彼女

の着信メロディは『月光』だ。なかなかに優美である。ちなみに隊長の着信メロディは『敦盛』だ。なかなか

にキトクである。

 しばし話をした後で濃姫は信長を振り返った。

「殿、あなたと藤子さんにお客様がいらしているそうですよ?」

「ああ? 誰だ?」

「竹中さんと仰る方です。ちょうど休憩時間をとろうと思っていたところですから、こちらに来ていただくこと

にしましたわ」

「竹中……教授の方か?」

 平然と話す許婚に対し信長の表情は実に微妙なものであった。なにしろ先日‘ああいう’会い方をしたば

かりなので、その胸中もかなり複雑なのだ。しかし断る理由がない限り会うしかあるまい。下手にグズグ

ズと逃げ回るのは信長の性分ではなかった。

 教授が来ると聞いて秀吉は興味を抱いた。

 事務員らしき人に案内されて長い髪の少年が入ってくる。案内人に深くお辞儀をして、改めて室内に顔

を向けた。思っていたよりも優しくて、おだやかな瞳をしている。顔立ちは整っていて綺麗なのだが如何せ

ん線が細すぎた。病弱との噂は本当なのだろう。

 紙袋をひっさげた教授は信長と日吉の前で頭を下げた。

「どうも、お邪魔してすみません。防衛隊の方に寄ったのですが今日は学校に行っていると言われまして

……先日は本当にご面倒をおかけいたしました」

「おう」

「あ、いえ。こちらこそ……お構いなく」

 あまりに素っ気無い信長のセリフを慌てて日吉がフォローする。さして気にした素振りも見せずに教授は

紙袋からお中元の包みのようなものを取り出した。それぞれに手渡す。

「これ、兄から持っていけっていわれたんです。迷惑かけちゃいましたからねー、本当に」

「あの……教授、もう身体の方はいいんですか?」

 前触れもなく昏倒した現場を見ている日吉は包みを抱きしめながら心配そうに問い掛けた。先日同様、

今日も真夏日で日差しもかなり強い。病人がここまで来るのはキツかったのではなかろうか。

「大丈夫ですよ。ここまではタクシーを使いましたし……それにほら、傘だってちゃんと、ね?」

「教授……なんか妙に似合うからやめてください」

 袋につっこんであった日傘をパチリと開いてクルクルと回す。日光を遮るべく特殊加工をされたらしいその

傘は電灯の下でわずかに煌いて、教授の色素のない髪とマッチしていた。それが健康的に見えない辺り

に問題がありそうだった。

「てめぇ、こんなところにいていいのか?」

「はい?」

 不機嫌そうな信長の問いかけに教授が傘をとじて首を傾げた。

「仕事はどうしたんだよ? どっかに勤めることにはなったんだろ?」

「勤め先にはもう行ってきました。それに、ついて早々仕事を任じられるほどせわしない立場でもありませ

んから」

 そんなもんなのかなぁ、と日吉あたりは疑問を覚えないでもない。仕事とゆーのは優秀な人ほど多くなる

ものだという気がしていたので。最も、日本に来る前からサボリ魔として有名だった教授のことだ。雇い主

も疾うに諦めているのかもしれない。

 信長がちょっと考えてから言った。

「暇だってんなら、しばらくここで練習でも見ていったらどうだ?」

「あ、俺もそれ賛成です」

 突如として会話に割り込んだ秀吉にみなが振り向いた。机の上に腰掛けたままの体勢でいる。問いに

答える前に教授はチラリと日吉を見やった。

「……お兄さん、ですか?」

「あ、えーっと、双子の兄妹です」

「ああ……これはどうも……でも部外者なのに長居してもいいんでしょうか……」

「別にいいさ。さっきまではスッパ野郎もいたことだしな」

 信長が許す。いったい何を考えてのことなのかは知る由もないが、秀吉としてはありがたい話であった。

「そうですね……こちらとしても別に構いませんわよ? ゆっくりしていってくださいね」

 笑顔と共に告げられた濃姫の言葉が後押しとなった。

 

 

「改めてっつーのも変な感じかもしれんがな。ま、よろしく頼むぜ。俺は日野秀吉だ」

「話は伺っています。こちらこそご迷惑をおかけしまして……」

 黒板の前に並んで腰掛けたまま2人ともに握手を交わした。「なぜ苗字が違っているのか」などと確かめ

られない辺り、一通り事情は知っているのだろう。自分が、幼少時に家族とはぐれた立場にあるということ

は。説明が省けていいぜと思いながら鞄から分厚い紙束を取り出し膝の上に置いた。教授が上ずったよう

な声をあげる。

「それは……」

「あんたの書いた論文の写しだ」

 秀吉はニンマリと人の悪そうな笑みを浮かべた。これでも苦労して入手したのだ、ちょっとは驚いてもら

わなければその甲斐がない。

「頑張って読破したんだぜ。まあ、まさか本人に会えるとは思ってなかったけどな。色々と聞きたいところも

出てきたしよ」

「それでこの機会に聞こうと思ったわけですか? 別にいいですけど……なにが聞きたい、と?」

「あんたの専門どおりさ。時間と空間の認識について。それから」

 論文の写しをまるめて、両手で握り締めながら口元を歪めた。

 

「理論の応用で――過去に遡ることは可能なのかどうかを、な」

 

 教授は目をしばたかせ、次いで困りきったように笑った。

「わたしの論文を読んでそんなことを?」

「あんたの理論はわかりやすくて読みやすいけど随分とまた思わせぶりだ。本当は何を言いたい?」

 おそらくは教授の初期の作品に相当するだろう、『時空間のテーゼとアンチテーゼ』――時空間の認識

が簡易に解説されたそれは確かに良書ではあったろう。しかし、本人が本当に言いたいことを言っていな

いような歯切れの悪さが一部に感じられるのだ。

「迂闊なことは言いたくないんですよ。この職についてると責任問題がついてまわってしまいますし……時

間旅行なんてSFの世界で充分じゃありませんか?」

「知ってらぁ。机上の空論なら幾つも読んだしな。でも、どうだ? あんたもそう思ってるのか?」

 微妙な苦笑の中に少しだけ挑戦的な笑みが浮かんだようではあった。しかし相手はそれを気取られまい

とするかのようにチョークを手に持つと、黒板に簡単な空間模式図を書きだした。

「……星の光が実は何百年、何千年も前のものであるのと同様に、我々の姿もあるいは宇宙の何処かに

刻まれているのかもしれません。単純にいえば現時点で10光年離れたところには10年前の我々の姿が

‘在る’はずです。だから過去の姿を‘見る’だけならば可能かもしれない――光の速度を追い越すことが

できたとしてですが」

 その説は秀吉も知っていた。しかし現実に光の速度を超える乗り物が存在しない以上、空しい想像でし

かない。

 未来への旅行は可能だ。出来る限り速い速度で移動すればいい。いつの実験だったか、現代の科学技

術で最大限の速度を出せる乗り物で2年間飛びつづけ、ほんの数秒だけ地球の時間から‘遅れた’――

数秒間だけ他の者よりも‘若く’なった、即ち、未来へ旅をすることができたというものがあった。2年も頑張

って数秒間しか未来へ行けないなんてワリにあわないもいいところではある。

 他の手段としては冷凍睡眠とか……とにかく未来へ行けないことはない。

 問題は過去で、しかもその過去に割り込んで自らの‘現在’を――つまりは‘未来’を変えることができる

かということなのだ。‘ブラックホールからホワイトホールを経由する’とか‘宇宙のひも理論’などはその最

たるものだろう。

 

「でもね、無理ですよ」

 

 あっさりと教授は断言する。

「現代科学は相対性理論が基本。相対性理論は‘光の速度’が基本。しかしタイムトラベルには‘光を超え

る速度’が必須。同じ法則で語りたくともかなり無理があるんですよ」

 描かれた美しい空間に速度計算が書き込まれ、不可能を表すかのように斜線で消されていく。

 

「……パラドックスの問題もあるしな」

 

 Aという人物が過去に行って、誤って自分の両親を死なせてしまったとする。その場合このAという人物

の存在はどうなるのか? 自然消滅するのだろうか。

 両親がいなければAは生まれない。しかしAは生まれている。生まれているから過去へ行って両親を死

なせてしまった。Aは生まれないことになる。しかしAが生まれていなければ両親が死ぬこともなく……。

 

 と、延々ワケのわからぬ議論を尽くす羽目になるわけだ。

 が、その辺りは疾うに出尽くした話題だ。聞きたいのはその先である。

「にも関わらず、あんたは時間旅行が可能だと思っている節がある。そのくせに全然言及しないよな。何で

だ?」

 記号と数式を書きつづけていた手を止めて教授は微笑みながらも俯いた。

「わたしに、理論を完成させることはできそうにありませんから――もし知りたいなら教えますよ。あなたは

飲み込みがよさそうですし……」

 この年齢にあまりにも似つかわしくないくすんだ言葉に秀吉の表情が険しくなる。

 

「あんたが病気だからか? そんなに厄介なものなのかよ――‘あれ’は」

 

 それはどうでしょう、とややはぐらかすように教授は視線を上向けた。

 

 

 館内に入った途端、吹き抜ける涼風に汗がひいていくのを感じる。いくら温暖化がどうだとか健康に悪い

とかいっても、所詮、冷暖房などの文明の利器からは離れられない。それが人間の性分なんだよなとちょ

っとは神妙なことを考えてみる。それでも最近は環境に関する法令によって「室内気温は28度まで」と定

められた。数年前よりはずっといい状態なのだろう。

 荒っぽくノックをして返事も待たずに部屋に押し入る。一瞬でID認識をすませてドアをすり抜ける仕草は

手慣れたものだ。正面の基準より大き目の机でデスクワークに勤しんでいた主は特に激昂することもなく

顔を上げてみせた。

「やれやれ。ノックと同時に入ってこられては返事する意味がないぞ」

「今更だろ?」

 五右衛門は薄く笑いながら近寄って小六の使っているコンピューターを覗き込んだ。

「なにやってんだぁ、これ?」

「一応トップシークレットの内容だぞ。見るんなら金を払え」

「へいへい」

 見ていたのはほんの数秒、それっきり画面を気にした様子も見せない。が、ちゃっかりものの彼はしっか

りと粗方の内容を見て取っているのである。

 いつもどおり棚に設置された様々な書類や封筒の中から自分専用のファイルを取り出す。自由時間の際

に呼び出された時の用件は大体決まっている。要求していた情報が届いた時だ。この日も届けられた調

書に素早く目を通し、特に気になっていた物件を取り出す。備え付けの高級ソファにふんぞりかえって読み

上げた。

「えーっと、なになに? 竹中重虎、13歳、県立菩提山中学校所属、剣道部の主力として――って、これ

じゃねぇし」

 更に1枚めくった。

「……竹中重行、27歳。脳外科医の専門家として若いながら既に博士号を取得。特に前頭葉の活性にお

ける知識と記憶の――」

 これはこれで面白そうだと思いながらも、やはり目的のものではない。このプリントの並べ方は間違って

いる。年齢順でもなければ名前順でもないではないか。いったい誰がやったんだか。

 独り言を呟きまくっている五右衛門に少しだけ小六が不思議そうな目を向けた。

「しかしわからんな。何故お前が教授のデータを欲しがる? 確かに信長や日吉には一般のデータしか知

らせなかったが、お前の場合探ろうと思えば自力で探れただろうに」

「確かめたいことがあったのさ」

 竹中家に関することは確かに一般のレベルではあまり知られていない。しかし、ちょっと裏に入り込みさ

えすれば情報なんぞ幾らでも集めようがあるのだ。でなければ教授の名が知れ渡って命を狙われる羽目

などに陥るはずがない。優秀だと認識されたからこそちょっかいをかけられているのだ。最も、あの食えな

い人物は情報網を逆利用して自分の所在や正体を上手くだまくらかしているようだが。

 個人レベルでは調べるのが面倒くさい。だから今回は組織の手を借りたのだ。主観に頼らない、他者の

視点で物事を見てみたかったというのもある。

「っと、調査結果はぁ……」

 好き勝手調べて判断くだして。相手の心情をまるで考えない、ある意味でばかげた行為だと。知っては

いてもそれがクセになっているし役立つならば知っておきたい。

 無知のあまり手出しできずにいるのはお断りだ。

「竹中重治、16歳……ってなんだよ、俺より年下かぁ? 6歳の時、転地療養をかねて外国へ留学……」

 五右衛門は眉をひそめた。ひょっとして、あの噂は本当に本当だったのだろうか。単なる‘病弱’などでは

なく、つまりは。

「なあ、あの噂ってマジだったのか? ……教授が難病にかかってるって話」

 束の間、仕事をする手を休めて小六は頷いた。

「本当だ。マナ病といってな――現代医学では治療不可能な不治の病だ」

 

 

「この病の発作はかなり特殊なんです。普段は眩暈がしたり吐き気がしたり激痛に襲われたり高熱を出し

たりする程度なんですが」

(程度………ね)

 病に慣れきっている人間とはこんなもんなのか? と秀吉はややゲンナリとした。教授の口調はあまりに

も軽すぎて難病の患者と直に話しているとはとても思えない。「空気感染とか血液感染とかはしないんで

外出も許可されてるんですよー」などと気楽にのたまうてくれたものだ。

「発作を起こした途端、精神が遊離する。オカルトでいえば幽体離脱かなぁ、多分一番それに近い。感覚

はある、流れに乗って運ばれていくのがわかる、けれど自分ではその道を選びようがないんです。たまた

ま死後の世界に行き着いてしまったらその時点でゲームオーバーなんでしょうね」

「簡単に言うなよ。……ああ、でも待てよ? そんときの感覚からあんたは時空間論理のヒントを得てるの

か?」

「そうであるよーなそうでないよーな」

 言葉を濁すが大まかなところでは当たっているのだろう。‘流れ’はなにを意味しているのか、単なる比

喩か直喩か。そこで流れているものはなんなのか。単純明快に考えてしまえば‘流れ’で想像されるのは

時間や空間なのだろう。しかるに、彼が時空間論理学を専攻したのは必然だったということになる。

 その流れの中であるいは……過去や未来、を意識する瞬間ぐらいはあったかもしれない。

 チョークをもとの位置に戻して教授が続ける。

「面白い特徴かありましてね、何故か患者の出身地域はある程度まとまっていて、症例は10年より前に

遡ることはない。そして」

 素晴らしく楽しそうに語り手は笑った。

 

「――全員、オリハルコンとの感応能力を有している」

 

 秀吉が目を見開いた。その先で教授が薄っすらと笑っている。服の襟元をゴソゴソとやって、手首にはま

るぐらいの銀色の輪を取り出した。

「あるといっても闘えるわけではない……感応値が高い割に使い道が少ないんですよ、わたしたちは。た

とえばこれ、防衛隊で記念に貰ったんですけどね?」

「……って、ああっ! 隊員用のリングじゃねぇかっっ!」

 どーりで見覚えがあるはずだっ!

 部屋の隅であがった叫び声に練習中の面子が一瞬、振り向いた。が、すぐに続きをせかされて日吉たち

が会話に加わることはできなかった。

 ひとつ咳払いをし、若干、意識して声をひそめる。

「なんで貰ってんだよ? 関係者以外はやらねぇって司令は……」

「だから記念ですってば。防衛隊は勤め先でもありますし。まあ、それはともかく」

 さりげなく重要な発言をしてくれながら教授はリングをクルクルと指で回した。ゴムをとりつけたそれは首

から下げる形になっているようだ。その気になれば腕にはめることだってできるだろう。というよりも、そうし

た方が圧倒的に楽なはずだ。何故そうしないのだろう。

 秀吉の疑問を解したかのように相手はリングを片手に持ち、いたずら小僧のような顔になった。

「これを持つことは戦闘員としての有資格者であることを意味します。でも、わたしには……マナ病の患者

たちには使えない。使った瞬間、発作が起きてしまいますから」

「……本当か?」

 声を低くして尋ねると実に素直な頷きを返された。

「しかもかなり激しい発作で意識不明の状態にまで落とされます。マナ病の患者の場合、精神が帰ってこ

なければそれで終わりなんですよ。肉体的、物理的にどうであれ精神的にはそうだろうと経験から判断し

ています。わたしたちにとって心霊の世界は決して嘘八百ではないんです」

「そうか、要するにあんたは肉体と精神は別物と考えるならば、具体的に過去や未来へ物質を飛ばすこと

は不可能としても、ぶっちゃけた話オカルト方面なら方法もないではないと………?」

 合点がいってとうとうと喋っていた秀吉だったが、ふと黙り込んだ。

 リングをつけると発作を起こす? ……リングは防衛隊にしかない。

 

 なら、その‘経験者’は誰なのだ。

 

「あっ……あんた、自分でリングはめてみたのかっっ!?」

「いえその、どうなるか興味があったもんで……つい」

「‘つい’ぢゃねーだろっ、なに考えてんだよ!」

 先刻の教訓を踏まえて声は潜めながら教授の首根っこを締め上げる。つい先日信長が同様の行いをし

ていたとは秀吉も知らない。

 心行くまで締め上げてから大きな息をついた。

「天才ってのは無理してばっかなのか? 医者だっつーあんたの兄も苦労がつきねぇんじゃねぇの?」

「――そう、ですね」

 何気ない一言だったが、返された声は痛々しく胸に響いた。

 

 

「その病気って確か10年ぐらい前に有名んなったヤツだったよなぁ?」

「一時期は宇宙人連中のバラまいたウイルスが原因じゃないかとか騒がれていたけどな」

 小六は休めていた仕事を再び再開した。作成中の文章が延々とスクロールされていく。五右衛門は病

気の内容がなんだったのかを思い出すためにしばし記憶の底を探った。

 この病気が発見されたのは約10年前。司令が言ったとおり宇宙人の仕業かと考えられたこともあった

が、いまもって原因はわからず終いである。発作の症状は意識の混濁と痙攣、最終的には身体機能の著

しい低下により死に至る。その他の病気との区別も難しいが、大脳と小脳の境目に一定の揺らぎが見ら

れるのが決め手とされている。

 名称の由来は愛児――‘マナ’から。「神は愛し児をこそ早く天に召される」というどこかの言葉から来た

と聞いた。発症する者が必ず20歳以下の未成年であることと(18歳で成人とする国もあるのだが)幼少

時の致死率が極めて高いことに由来している。発症してから15歳まで生きられるのはわずかに2割、20

歳まで生きたという記録は残っていない。致死率が異常に高いのがこの病気の特徴でもある。

「……教授は最高齢の部類に属する、ってことか」

 顔と年齢に似合わず随分冷めた目つきと諦めきった言動をしていると思ったが、無理からぬことだったの

かもしれない。単純に比較できるものでもなかろうが精神的には既に老境に達しているのだから。病気仲

間が次々と倒れていくのを見れば疲れもするだろう。

「そういえば五右衛門」

「あー?」

「お前が知りたいといっていたことは分かったのか?」

 小六はどうやら文章の作成を終えたらしい。接続機器からプリントアウトしようとなにやら苦闘している。

何年経ってもこーゆーチマい作業には慣れねぇんだよなあ、と嫌みったらしくため息をつきながらコンピュー

ターとプリンターの接続設定を整えてやる。

 手の下の機械の熱さが冷房でひえきった身体にひびいた。

「あんまりはっきりとはしなかったけどな。大体は当たってた、ってところか」

「なにがだ」

「……数年前、仮想現実空間(ヴァーチャル・ネット)上ですんげぇバトルがあったの知ってるか? 『魔道

の覇者』<スペルマスター>と『騎士達の王』<ロード・オブ・ザ・ナイツ>のスキル争いでネット設定が全

て吹っ飛んだ」

「VR(ヴァーチャル・リアリティ)ボックスが全面禁止される最大の理由になった、あれか?」

 VRボックスは精神ごとダイヴして五感で仮想現実を体験できるという、近未来のゲームやネットへの理

想を凝縮したような技術だった。だが、ダイヴしたまま戻ってこれなくなる事件が相次いだため、現在では

全ての関連機器の製造・販売が禁止されている。

「それの当事者じゃねぇかと思ったんだよな、俺は。なんつーか……スキルレベルの特徴がすんげぇ似通

ってた」

 いいながら瞳の色を鋭くする。ネットの世界では姿形も年齢も性別さえもわからないが、不思議と使って

いる言葉や技術から個性がそれと知れるものだ。先日防衛隊で見た教授の手腕は既知のそれとえらく共

通していた。

「本人に確かめりゃいいんだけどよ。ま、俺の個人的疑問だし?」

「当事者2人はいまも懸賞金つきでお尋ね者扱いされている。黙っておいてやるのが吉だろうな。折角手

に入れた専門家を犯罪者として逮捕させるのは忍びない」

 プリントアウトを終えた書類をまとめながら司令はそう断言した。ホッチキスでとめようか紙縒りでとめよう

か思案しているらしい背中に五右衛門は呼びかける。

「――お偉いさん方がまたなんか言ってきたのか?」

「さっき盗み読んだな? まあ別にいいが」

 いいんですか司令。

「秋に予定されていた国際会議だが、ちょっともめそうだ。もしかしたら時期がズレるかもしれん。俺として

は経済大国同士の結びつきを強めてもらい、一気に宇宙人側へ勝負をかけたいんだが―――」

 普段はあまり変化のない司令の顔に不服そうな皺が刻まれた。

「どうも互いに我を張り合ってうまくいかん。この国の連中も色々と企んでいるようだしな」

「全機能はあんたの指揮下にあるんじゃないのか?」

 

「追い落としたい奴ぐらいいるだろうよ、どこの国にもな」

 

 書類を封筒にまとめ小六が部屋を出ていった。

 しばし自分用の調書を手に静止していた五右衛門だったが、前髪をかきあげて苛立ちをこらえると既に

廊下を曲がりかけている後ろ姿に大人しく従った。

 

 

「――兄には、悪いことをしたなあと思っています」

 ぼそぼそと教授が呟く。負い目を感じるというのも変なんですが、やはりそれでもね、と前置きしつつ。

「あの人は将来、弁護士になりたかったんですよ。でも丁度10年前――わたしが発症したとき兄は17歳

で、受験も間近だったのにいきなり路線変更して……医学部を目指して。両親もかなり驚いてました」

 軽く笑い、苦悩した色も悲しみの色も見られない。ただ、ひたすら淡々と言葉を続ける。

 秀吉は食い入るように黒板に書かれた図形を見つめていた。

「時間がないと……焦っているようで、見てて痛々しい。わたし自身は、まあその……いいんですが」

「いいのか?」

「………」

 教授があごに手をやってしばし考え込む。後ろからは舞台のセリフが節をつけて小気味よく流れてきて

いた。

 

『てめぇの悪事もこれまでだな。覚悟を決めて神妙に――』

『お願いだから無益な殺生だけはしないでください。敵といえどもその人は……』

 

 かなり思案深げな顔をしたあとで、彼は組んでいた足をほどいた。

「20年で残せるものなんて、たかが知れてるだろうから……望みなんてないと思ってたんですよねぇ。で

も不思議なことに、ほんの人生の何年かを過ごしただけなのに」

 ぶらぶらと揺らす足が机の角に当たって鈍い音をたてた。

 

「帰って来たかった――この国に………」

「………」

 

 もし、全てが上手くいってもあと4年の命。

 普通ならなにかを残そうと努力するところを、逆に彼は『なにも残したくなかった』のかもしれない。

 

 自らのやりたい研究に携わり未知の難題に挑むとも、その存在と同じく最後には何一つ遺さぬように。

 

「‘兄’の心情からすればなぁ――」

 思い切り不貞腐れた顔のまま秀吉が低い声で告げた。

 

「……大ばかもんだよ、あんたは」

 

 夕暮れの日差しが周辺のもの全てを真紅に染めている。この時間になってもおさまる気配のない暑さに

汗を拭った。

 

 

「なんか秀吉、随分話し込んでたよねー。楽しかった?」

「ん? ああ、まぁな」

 教授を見送るために出てきた正門のところで、日吉に笑顔で問い掛けられた。タクシーを見送った後でも

信長は「2度と来るなこのスカタンー!」と叫んでいるし側で濃姫は笑っているし光秀は呆れている。どうや

ら隊長はつい数分前まで教授の勤め先が防衛隊と知らされなかったことに、いたくご立腹らしい。

 

「そうと知ってたら見学なんか許可するんじゃなかったぜ!」

 

 実際の教授は秀吉と話し込んでばかりいてほとんど練習なぞ見ていなかったのだが……。

 そこはそれ、ここはこれである。

「なんか難しい数式書いてたよね、2人して。あれ、なんなの?」

「宇宙誕生時における熱量と重力の発生推測とそれに反する宇宙消滅時におけるエネルギーの行く先と

空間変異の想定」

 う゛、と日吉が返事につまった。文章で読めば理解できそうだが耳にした限りでは聞いた端から意味不

明の単語と化してしまう。

(ひ、秀吉って絶対俺よりも頭いいっっ!!)

 とでも思ったのだろう、日吉が血の涙を流しつつ後ろを向く。

「あと空間と時間のベクトルがどこでどう交錯してその際に生じる重力の磁場が形成する歪みがもたらす

変化と物質の質量が……」

 からかい半分でにやつきながらズラズラと数式のモデルを言いつづけると更に日吉が落ち込んでいく。

 その背中から首に手をまわして、肩に額を押し付けた。突如加えられたぬくもりに日吉が少しだけ身体を

かたくする。

「どっ……どうしたの?」

「なんとなく」

「そう………なんだ?」

 別に首を締めたりするわけじゃないんだな、と理解したのか。日吉は緊張を緩めると代わりのように回さ

れた手に手を重ねた。さりげない行動に秀吉がほんのわずかな笑みを口元に刻む。

 

(俺だって、こいつが病気んなったら医者ぐらい目指すんだよ)

 

 どうやら‘兄’の想いというのは肝心の相手には伝わらないものらしい。まだ見ぬ竹中家の長男にひどく

同情した。

 さんざ罵りまくって満足したらしい信長がこちらを振り向いた。そこで起きていた出来事にしばし硬直し、

ついで怒りに顔を赤くする。

「こらーっ!! そこ! なにやってやがるっっ!!」

「スキンシップです」

「んなスキンシップがあるか! 人の眼前でなにさらすか! 死ね、サル2号!!」

「ぎゃ―――っっ!!? と、殿っっ! 落ち着いてくださぁぁいっっ!!」

 日吉の悲痛な叫び声が夕空に響き渡る。濃姫が側にいるのにいいんですか、と。

 

 笑いながら一足先に秀吉は自宅へと歩を向けた。

 

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今回はひたすらうんちくと暗い設定の嵐。興味のない方々すんませんでした〜(平伏)。

これでも嘘は言わないように少しは勉強したんです……ほんとーに少しだけ(笑)。

マナ病は実際に存在するのか? あるわけないじゃないっすかぁ、ダンナv

でもこの設定もいちおー後々の伏線でもあるのですっっ。他にもネット上での争いとか雲行き怪しい国際会議とか

思わせぶりな司令のセリフとかっ!

世の中はったりと勢いです。はったりと勢いで全てを乗り切るのですっっ!! ← そして撃沈する。

 

史実では半兵衛よりも秀吉の方が年上なのですが、『コロクンガー』内では逆にさせていただきました。

だって史実どおりだと彼、小学校低学年ですよ!? その年齢で悟りきってるなんてイヤだ!(笑)

あと、竹中家の三男の名前を「重虎」とさせて頂きました。実は半兵衛の別名でもあるのですが……

「重行」、「重治」ときてるのに何故3番目だけ「久作」なのだっっ! 「重」をつけろよ減るもんでもなし!

故にわたしがつけてやろう! 「重虎」と!(だからそれは半兵衛の……)

よく調べれば久作くんにも「重」のつく名前ぐらいあったかもしれませんけどネv てへv ← ごまかし

でもこれ以降出てくる予定ないしー(ひでぇ)。つか、こやつらしばらく舞台裏へ撤退。めんどいから(更にひでぇ)。

 

20年しか生きられないと知ったとき、どう行動するのかは人それぞれだと思います。

うちの重治くんはヤケになったりグレたりはせず研究に打ち込む道を選んだようですが、その成果を全て

闇に葬っておきたいと願う辺りがビミョーに科学者の独占欲ですな。

彼としては後継者を捜しているだけなんですけど……。下手に発表して悪用されても困るしね。

ってゆーかそんなヤバげな研究してたんすか、あんた(汗)。

 

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