「戦え! ボクらのコロクンガー!!」

86.guardian

 


「渡さないで済むのなら渡したくなかったんだろうと思うよ」

 五右衛門が会いに行くと、一連の騒動の被害者ともいえる人物の兄は苦笑交じりにそう告げた。秋の夕

焼け空がどこまでも赤く室内を染め上げている中、傍に置かれた延命装置の数々と患者に繋がれたコード

が痛々しく映った。あの日、旧病棟内で発見されて以来、竹中重治教授は目を覚まさない。だから、兄であ

る竹中重行博士が病室を離れることもない。

「―――渡してくれないか」

 病室を訪れるやいなやそう切り出した五右衛門に博士はしばし黙したままだった。やがてゆっくりと立ち

上がり、壁にかけておいたコートの内ポケットから黒光りするディスクを取り出した。どうやら無用心にもあ

んなところにしまっておいたらしい。そして博士は冒頭の科白を零したのだ。

「悪いが、未だ君たちを許す気にはなれない………単なる逆恨みだってわかっててもね」

 仕方のないことだと思う。防衛隊に関わらなければ教授はこんな意識不明の状態に陥らずに済んだのだ

から。しかしそれは結果論だし、防衛隊に手を貸すと決めたのも他ならぬ教授自身だ。だからといって全て

を受け入れろ―――というのは無論、身内にとっては酷な話だろう。

 博士の持ち出したディスクは2枚。眼前にそれを掲げて見せた。

「1枚は君に。もう1枚は秀吉君に。どちらも取りに現れなければ、3年の月日を置いたのちに私が使えば

いいだろうと言っていた」

「そ、か」

 自分に割り当てられたディスクを受け取る。

「このディスクを作動させるにはか幾つか制限がある。まず、バックボーンネットワークはかなりの領域を確

保していなければならない。アクセスした先で行う作業を思えば生半可な端末じゃあ対処できないからな」

「………? アクセスすりゃいいってもんじゃないのか」

「それじゃあディスクが2人分用意されている意味がない」

 誰でもアクセスできるのならば特殊な『鍵』など必要ないのだから。

「ましてや盗難の危険性を考えると―――トラップはかなり堅固だと考えてもいいだろう。そこを突破するた

めの『鍵』を得ただけじゃダメなんだ。ある程度の課題をクリアしないと個人認証の段階で撥ねられる」

「<スペルマスター>直々のトラップ、ね。………心してかからせてもらいましょ」

 口元を捻じ曲げて笑った五右衛門は、ふと、博士がこちらをマジマジと見つめているのに気付いた。ベッ

ド横の椅子に腰掛けて、窓に映る夕日をバックに、傍らに治療の機材を置いて。




「………君は、誰だ?」




 彼は口を開いた。重ねて。

「君は、誰として、『扉』を開きに行く?」

 思わぬ問いかけに五右衛門が眉根を寄せる。今更そんなことを訊かれたところで、自分は自分として情

報にアクセスしに行くしかない。己であることを偽るには無理がある世界だ。

「何度でも聞いておこう………君は、誰ならば仮想現実世界へ干渉する権利を有すると思う?」

「誰がって―――」

 戸惑う相手を前にした博士は、今日はじめての笑顔をやっと口元に刻んだ。

「小難しく考える必要はない。別に哲学や倫理や宗教を示唆している訳ではないよ。所詮は、これも『ゲー

ム』の内なんだから」

 誰がルールを決めた『ゲーム』なのか訊いてみたい気もしたが結局、問い掛けには答えないまま五右衛

門はその場を辞去した。

 あの教授の兄である博士の謎かけだ―――おそらくはそれが今回の鍵になるのだろうと、薄々勘付いて

いたから。








 ディスクを受け取った後、アングラからアクセスできないかと何度か試みたが全て徒労に終わった。どの

経路をたどってもどんな方法を使っても結局はアクセスを拒否されてしまうのだ。しまいには強制排除のコ

マンドを送付されて危うくプログラム崩壊を起こしかける始末だ。これではどうにも手の打ちようがない。憎

たらしい師匠の回線を経由するのも何となく憚られた。

 だから、司令たちを救出した後で彼が防衛隊施設に足を向けたのは当然の成り行きであった。司令の罷

免を受けてほとんどの隊員が辞めていったがらんどうに近い施設内を歩いていると、後片付けの最中のヒ

カゲと出会った。

「あら、いまから仕事なの? もうほとんどの人が例の基地に向かってしまったのに」

「俺ぁまだすることがあるんだよ」

「手助けは期待できないわよ」

「わかってらぁ」

 それよりも移転先でシステムが正常稼動するかきちっとチェックしておいてくれよ、と釘をさして。

 乗り込んだ先の室内は誰もいなくて侘しさを感じさせる。本当は、小六は、ここにいた者たちだけでなく、

地球規模で協力して一気に攻撃を仕掛けたかったはずなのだ。なのにこの状況はどうだろう。むしろ関わ

る人間が減って、力を合わせるどころか分離して、まさしく敵の思う壷。苦々しい思いを抱きながらメットを

被った。

(………いまは、前へ進まねーと)

 できる限りの情報を入手しないと。

 これ以上、知ったかぶりしたかつての友人にせせら笑いされるのはご免だ。

 VRボックスに腰掛けた五右衛門は深い瞑想状態に入った。








 深く―――深く、沈む。

 仮想現実空間に<ダイヴ>する時の己の精神世界は常に水で満たされている。底の見えない海へと呑

まれていく感覚。明かりのひとつもない場所へ吸い込まれていく僅かな恐怖と高揚。だが、以前は闇を湛え

るだけだったこの世界も少しずつ印象を変えつつある。こころなしか穏やかな青色を見せて<ガイド>へと

導いてくれるようになったのは己の如何なる心境の変化が影響したものか。

 見慣れた景色の中を潜っていけば、やがて明るく照らし出された塔の前へ行き着く。

(………………?)

 そこにいつもとは違う影を見いだして五右衛門は眉をひそめた。常ならば手を触れて開くべき扉のまん前

に、黒くわだかまる影がひとつ。じぃっと黙って五右衛門はその人物を観察した。

 <彼>は深い深い海の色よりも尚深い、黒とも紺ともつかない長衣を纏っている。頭のてっぺんから爪

先まで布に覆われて表情を窺い知る余地はない。どうにか見て取れるのは綺麗に整えられた口元の造形

と握り締められた樫の木の杖。神話に出てくる預言者というよりも、<この世界>では別の通り名でよく知

られたその姿。




「<スペルマスター>………!!」




 合点すると同時に舌打ちした。かつて仮想現実世界を粉々に吹き飛ばしてくれた人物当人が審判員とは

分が悪い。苦虫を噛み潰したような顔をして眼前に降り立てば足元で海底の砂が薄っすらと舞い上がる。

 <侵入者>を認めた裁判官は空いた左手を差し伸べた。




『―――合言葉を述べよ』




 鍵になる言葉なんて知らない、けれど。




『―――鍵を捧げよ。さすれば扉は開かれる』




「………<鍵>なら、ここに持ってるぜ」

 現実世界と同じ形で表現される黒いディスク。昔話の登場人物のような格好をした相手に手渡すにはそ

ぐわない気がしたけれど、水中をゆっくりと過ぎって、通行証となるはずの物体は門番の手に渡った。

 考えるまでもなくこの<番人>を置いたのは竹中教授だろう。外見が<スペルマスター>そっくりなのは

忙しくて細部まで作っている暇がなかった所為なのかもしれない。それでも受け答えがきちんとできる辺り

大したプログラミングだ。―――所詮は一介の人間に過ぎない存在が、広大無辺な仮想現実の世界を制

限するような監視員を置いているのは聊か気に触ったけれど。

 でもきっと、こうして立ちはだかるのは一部の人間に対してだけなのだろう。

 ディスクを受け取った相手が杖を高く掲げる。

『<鍵>は示された。門は開かれる。その前に、汝が覚悟を語るがよい』

「覚悟ぉ?」

『応える用意があるならば<扉>は開かれる。時は熟せずと見て引くならば門戸は二度とは開かれぬ』

「つまり?」

『<鍵>は壊れる』

 ………それって。

 相手にディスクを渡してしまった時点で否応なく決定している事項ではないのか? 手渡す前にルールの

確認しとけば良かったかな、間違えたって引き返せやしない。

 仏頂面にどうにか笑みを滲ませて両腕をズボンのポケットに突っ込んだ。

「―――開くチャンスは一度だけ、ってんだろ? ここで俺が拒否すればもう二度と入れない………改めて

<鍵>を用意してもらうか、秀吉に代理でアクセスしてもらわにゃいけなくなるって寸法か」

 ハッカーを阻むための防衛策。有資格者に成りすました誰かが<鍵>を持ってきたとしても、僅か一度の

アクセスで『次の機会』を拒否してしまえるように。これでもし本命たる五右衛門や秀吉までが引き下がる

道を選んでいたらどうするのだ、と思わなくもないのだが―――。

 その辺りは信用されているのだろう。

 ………………多分。

 だから頬に浮かべるのは笑みひとつ。

「今更、引かねぇよ」

『―――命を受諾する。<扉>は<鍵>を以って開かれる』

 感情も何も伺えない声で門番はディスクを高々と掲げた。持ち上げられるにつれてディスクは形状を変え

て細長い闇色の鍵となる。表面には見て取れないほど細かな情報を刻み込んで。

 背後にそびえたつ扉を刺し貫いた。

 硝子に皹が入るような音を立てながら、鍵の触れたその場所から亀裂が門を伝ってゆく。




 ギ………ィ………




 差し込む目映い光に思わず目を細める。薄暗い水が光を透過して黒から青へ、青から薄い水色へと色彩

を変化させていく。

 腕をもって光を遮ったのはほんの一瞬。数回の瞬きを繰り返せば、その場は既に先ほどまでとは様相を

違えていた。足元にはしっかりとした床の感触がある、辺り一面が白で統一された果てのない空間。地平

も水平も、ともすれば上下の感覚すら失われそうな『無』の世界。唯一その存在を主張するのは他ならぬ

己自身と、審判たる黒衣の男のみ。

 光源はどこにあるのか、なんて。考えるだけ無駄なことだろう。

 此処は仮想現実。常の現実が意味をなさない場。

 この果てはどうなっているのかとも思ったが、すぐに考えることを放棄した。黒衣を纏った人物は2メート

ルほど離れた中空にとどまり、軽く足を組んでいた。

『………汝への問いだ』

 科白から考えるに個々人で与えられる課題には違いがあるようだ。

 魔術師が杖を振るうと、五右衛門の眼前に半透明の球体が浮かび上がった。水晶のように煌きながらク

ルクルと回転している。バスケットボールぐらいの大きさのそれは審判者の眼前から、五右衛門の手前ま

で落ちてくると眼前で停止した。じっと目を凝らせば内側に黒光りする鉱石が顔を覗かせているのがわか

る。魔術師は杖を前にかざした姿勢のままで言い放った。

『その鉱石を球体から取り出してみせるがいい』

「取り出せ………って、道具も何もないじゃん。素手でやりゃーいいのか?」

『この世界に武器は必要ない。仮想現実世界における術を、お前は知っているはずだ』

 チッと舌打ちして五右衛門は両腕を前に突き出した。球体の表面で閃光がチリチリと走る。

 実際に操っているのは現実世界に残された両手であり、更にいえば10本の指で打ち込まれたコードなの

で、こうして手をかざす必要は本来であれば全くない。ないが、そこは気分というものだ。

『制限時間は10分間。時間内に球体を解体してみせるがいい』

「………オーバーしたら?」

『この場を立ち去るがいい』

 きっぱりとした返事にそういうことかい、と呟く。

 つまりはこれもセキュリティの一環だ。10分間で課題をクリアできなければ強制退去のプログラムが作動

し、おそらく、アクセス権は剥奪される。侵入者に対する用心とはいえそこまで念を入れなくてもいいではな

いかと思う―――が。かつて仮想現実界を騒がした特定のハイレベルスキルを持つ者たち、そう、例えば

<ロード・オブ・ザ・ナイツ>とかならばこの程度の解除作業など易々と行ってしまうに違いないから。

 誰に対してでもない敵対心が沸き起こった。

「―――やってやろうじゃん」

 遠く離れた場所で自らの両手が忙しなく動くのを感じる。

 精神を眼前の球体に集中する。空気がこすれるような音を立てて表面の膜が薄く壊れ、中空に破片を散

らした。細かなことを考えている暇はない。脳裏を巡るのは如何なるプログラムをもって球体の構築式を打

ち砕き「無」へ近づけるか、どのスペルが適切なのか、もっとも早く解除するためのコードは何なのか。そう

いった思いがフと意識をかすめて、微妙に頬を歪めた。

(なるほど………!)

 ただの『侵入者防止』の予防策ではない。これは本当に『課題』なのだ。

 自分が打ち込んだ数々のプログラムはすべてこの空間内に蓄積されている。正面の中空を漂う人物に

はその光跡が丸分かりになっているはずだ。そこで中身を調べ、判断し、被験者の解除能力を見極める。

 己は、現実存在ではないプログラムに<試されている>。

 なかなかに腹立たしい事実だがここで苛立ちのまま投げ捨てるのは更に腹立たしいことだった。

「文句もつけさせなきゃいいんだろうが………!」




 パキィ………ィッ!!




 またしても球体の表面が弾け飛ぶと、黒々とした中の鉱石が輝きを増した。冷静なる裁判官の前で思考

を埋めるのは数式と術式の羅列。かつて<スペルマスター>と<ロード・オブ・ザ・ナイツ>が競うように編

み出した言の葉の数々。

(第一の面を覆っていたのは偶数を基にした数列展開―――次が1,3,5………この公式は何だ? 変

数と素数が交じり合う………)

 この世界ではヒトもモノも全てはまやかしに過ぎず、突き詰めていけば0と1の組み合わせに分解される。

基をなす数式を見い出したならば後は簡単だ、0に対しては1を、1に対しては0を割り当てて互いを『打ち

消して』いけばいい。だが時折り落とし穴のように変数が紛れ込み、つまりはそれこそが崩壊プログラムや

自爆コード、攻撃スペルの根幹を成しているのだが、そんなところまで確認していては時間が幾らあっても

足りやしない。

 だから一番最初に表出した単純なプログラミングの『穴』をついて自己崩壊を起こさせる。整った順序を

支えきれなくなった数式は勝手に崩れて消え行くのだ。

『あと、1分』

 ―――喧しい、あとひとつだ!

 内心の罵りと共に最後のプログラムを打ち込んだ。途端、球体が回転を止めて甲高い破裂音と共に細か

な銀色の破片を辺りに振りまいた。露になった黒い鉱石が仮の重力に従って落下するのを、五右衛門は

片手で受け止めた。解除された球体の表面は既に中空に溶け込み姿もない。

 手にした黒曜石の重みだけが生々しかった。

 してやったり、と上を見るよりも先に魔術師は右手の指をパチンと鳴らした。




 バシッ!!




「うわっ!?」

 手にした石を弾かれて驚く。静電気のようなものが発生して五右衛門の手から黒曜石が取り上げられた

のだ。何だ何だ、と眉をひそめるところにかけられたのは

『次だ』

 という、素っ気無い言葉ひとつで。この野郎、少しは愛想ってものを持ったらどうなんだ、と毒づきながらも

五右衛門は遥か彼方のコントロールパネルに意識を集中した。弾かれた石は中空で不安定に揺れてい

る。数メートル離れた地点に門番が舞い降りた。

『その石を変換してみせるがいい。物は問わぬ』

「………今度は物質変換? いい加減にしてほしいんだよなー」

『受ける意欲がないならばこの場を立ち去れば済むことだ。目出度くお前の資格は剥奪される』

「―――ホント、ヤな奴だな、お前」

 現実世界の教授はもうちょっと可愛げがあったはずなのにとぼやきながら。

 今更引く気なんてサラサラないから改めて眼前の鉱石を睨みつけた。傍目には<黒曜石>に見えている

この物体もプログラムとして認識すればやはり0と1の数字の羅列に過ぎない。ただ、そのパターンが異な

って<石>の形を成しているだけで。

 黒を保っている数式を別の色彩に、硬さをやわらかさに、動かないものを動くものへ。

 構成する全体の情報量は変えずに実在を変化させる。現実の科学世界では有り得ない、まるで錬金術

か黒魔術、御伽噺に出てくる魔法のような能力。

 ………叶えられる者だけが仮想世界で名を馳せる。

 お前は未熟だと、力不足だと、資格がないのだと払い除けられるのは腹が立つ。

 何様のつもりか知らないがヒトを試そうだなんて不届きな野郎だ。当時、孤立していく<スペルマスター>

に手を貸そうかどうしようか悩んでいたけれども、いままた同じ状況になったならば絶対手なんか貸してや

るものかと思った。向こうだって期待しちゃいないだろうケド。

 硬質な輝きを放っていた黒曜石が輪郭をぼやけさせていく。周囲を煙らせる黒い煙は鉱石から溶け出し

た<要素>だ。宙に立ち上る黒い粉塵は幾つにも枝分かれしながらクルクルと弧を描く。最初はただの円

であったそれはやがて特定の形を紡ぎだし、恐る恐る自らの意思で動き始める。ある程度のスキルを持つ

者にとってこの世界で無機物に命を与えることはあまりにも容易い。

 そう―――今度の『課題』はスベルスキルだ。如何に素早く、的確に、オリジナルスペルを編み出せるか

の。与えられた素材を何に可変させるのかは個々人で差が出る。故に、悲しいほど明確に技術力の差も

現れるのだった。

「これで………どうだっ!」

 最後のコマンドを打ち込んだ刹那、黒く蟠っていた煙は一斉に飛び散った。

 白い空間を黒く細かい物体が埋め尽くしていく。黒い細かな身体の中に薄く青と紫の色を添えて、微かな

光を放つ鱗粉を散らしながら。




 果てのない真白な地平めがけて飛ぶ―――黒いアゲハ蝶が。




『見事』

 出題者が抑揚のない賞賛の言葉をもらした。色彩を、物質を、静と動を、変化させた五右衛門のスキルレ

ベルは彼の目に適ったのかどうか。褒め言葉を口にしたとはいえ感情まで窺い知ることは出来ぬフードの

中である。

 見えない黒衣の裏側で彼の瞳が細められたようだった。

『ならば―――最後の問いに答えるがいい』

「まだあんのかよ?」

 呆れ返った声を上げた。持てる技術は示したのだ、この上なにを望むというのか。

 文句のひとつも付けてやろうとした五右衛門の口は、しかし、相手が杖を振るった瞬間に閉ざさざるを得

なくなった。さほど力を込めたようにも見えないその一振りで宙を漂っていた蝶は動きを止め、何匹かが地

に落ちた。トン………と、杖の先が白い地を叩くとそこからジワジワと黒い闇が広がる。闇は小さな点から

こぶし大ほどの大きさを経て術師の足元を覆う影ほどになり、やがては水溜りほどの大きさへ。徐々に白い

世界を駆逐しながら表面に細長い鎌首を覗かせた。パックリと裂けた口からはみ出す二又の舌がチロチロ

と揺れる。いまや闇は地上だけでなく、天上からも広まり始めていた。そして個々の闇から生じた黒蛇の鎌

首はゆらゆらと意味なく揺れたかと思うと、突如動きを止めて。




 バシュッ………ッ




 目にも留まらぬ速さで傍らへ漂い来た蝶を『喰らった』。

「………!」

 あまり見ていて気持ちのいい光景ではない。蛇に蝶を食わせるなよ、と文句をつけてどうにかなるもので

もなし、要は相手の練り上げたスベルに己の編み出したプログラムが圧倒されているという、それだけのこ

と。さすがは<スペルマスター>、自由自在に<新世紀の言霊>を操るが故に与えられた名は伊達では

ないと認めてやる。

『―――最後の問いだ』

 今度の解答期限はこの世界が闇に侵食され尽くされるまで。しくじったならばこれまでよりも手痛いオシ

オキが待っているに違いない。

『答えられねば<インドラの矢>がお前と、お前がアクセスに使用した回線に向けて放たれる。多少のダメ

ージは覚悟してもらおう』

(冗談じゃねぇっての―――っ!)

 本気で五右衛門は頭を抱えたくなった。<インドラの矢>はとてつもなく強力なコンピュータウイルスであ

り、ネットワークに属する全てのコンピュータ機能を破壊した挙句、回線の先にいた人間にまで危害を加え

ることで有名だ。防衛隊へのハッキング後に<ロード・オブ・ザ・ナイツ>が置いていったのは記憶に新し

いし、VRボックスに接続された端子から電気信号を伝い駆け上った衝撃は地上数10メートルからの落下

にも比肩される。実際に死んだという報告例は聞かないが、仮想世界で感じた痛みは現実でも尾を引くこ

とがままあるのだ。

 相対しているのが人間であれば匙加減もわかるが、いま目の前にいるのは本当にただの『プログラム』。

やるといったらやるだろう。

 蝶を食いつくし、背景を闇に染め上げながら魔術師は問いを発した。




『………お前は誰だ』




「―――はぁ?」

 思わぬ言葉に素っ頓狂な声を出した。お前は誰なんだ、と訊かれたって。

『お前は、<誰>として<扉>を開きに来た』

「誰………って、そりゃ、俺の名前は石川五右衛門だけど?」

 素直に返してみるがどうやら正答ではなかったらしい。かといって捨て去った過去の名前を訊いているわ

けでもなさそうだ。闇は相変わらず侵攻を続けていて、天上から回った闇は背後を暗く染め上げた。相手は

無言を貫いている。五右衛門は苛立って足先で床を叩いた。

「あーっ、もう! ここまで散々スペルスキルを披露させておきながらいきなり禅問答かよ!? そんなん俺

は俺だっつー答えしか返しようがねぇっての!!」

『お前は誰だ』

「だからぁ、俺は………っ!!」

 くどいぞテメェ、と悪態つきながら再度「俺は俺だ」宣言をしようとしたところでフとした言葉が閃いた。




 ―――君は、誰だ?




 ここに来る前の現実世界において。

 ………<鍵>を預かっていた人物は五右衛門に向けて何と言っていただろう。確か似たような問いを発

して、最後に笑いながら付け足していた。




 ―――小難しく考える必要はない。別に哲学や倫理や宗教を示唆している訳ではないよ。所詮は、これ

も『ゲーム』の内なんだから。




 あれはあまりにも明確であからさまなヒントではなかったか。おそらくは弟が作り上げたプログラムの、そ

の中身すら知っていて。いきなり訊かれては返答に窮するだろうと密やかに提示して。

(哲学でも倫理でも宗教でもない………ただの『遊び』………)

 遊びで崩壊プログラムを導入されてはたまったモンではないのだが。けれども最後の問い掛けすら、おそ

らくは侵入者を看破するための手段のはずで。

 解除技術もスペルスキルも一定レベルを持つ者ならば容易く超えられる、というのは五右衛門自身も感

じていたことだ。何らかの方法でディスクを奪った人間が外見だけは五右衛門のパーソナルデータを継承

しつつ、何気ない顔して課題を受けに来てもおかしくはなかったのだ。だから、そんな連中では答えられな

い、五右衛門しか知らない『五右衛門』の姿で、更に考慮するならば、それは本来の出題者たる竹中教授

が知っている側面で。

 ―――自分は、さっき、「再び<スペルマスター>が孤立する状況が訪れたとしても、絶対に手なんか貸

してやるものか」と思った。

 ―――当時、何気ない顔して、「どちらに味方するか」と訊いてきた奴がいた。

 メルヘンを体現した世界、タバコを吸うガラの悪いたぬき、暢気に笑っている情報通のきつね、そして。




 そして―――そこでの、己は。




「………猫」

 闇が間近まで迫っている。既に己の手足も半ばまでが侵食されていたが、不思議と痛みは感じない。

 見通すのが困難になりつつある世界の中で五右衛門はきっぱりと断言した。

「―――俺は、あの黒猫だ。あの場にいて、どちらの味方にもつかないと宣言した黒猫だ………!」




 ―――何度でも聞いておこう………君は、誰ならば、仮想現実世界へ干渉する権利を有すると思う?




 博士の言葉が背中を押した。

「俺は、お前と話す権利を持つ黒猫だ!!」

 闇の中に言葉が響き渡る。

 直後。

 凄まじい勢いで放たれた白光が闇を拭い視界を奪い去る。両の手足に纏わり付いていた闇と蛇が跡形

もなく消え去った。遠くで、扉の開く音が聞こえる。

(………あたたかい………)

 照らし出すだけの光にそんなものがあるはずもないのに、五右衛門は、確かに己の身体を包むやわらか

なぬくもりを感じていた。








 光の波濤を受けてから僅かののち、五右衛門はゆっくりと目を開いた。己の目に映し出されたのは先ほ

どまでと同じ何もない空間で、淡く光る水の中に浮かんでいるような状態だった。やはり重力設定はされて

いないのか上下の感覚がないので聊か眩暈がしそうになる。おまけに先刻まで存在した憎たらしい裁判者

の姿まで消えてしまっているので自分が合格したのかどうかすら分からない。

 大声で名前を呼ぶとしたら何て呼べばいいのかなぁ、とちょっぴり悩んだ瞬間だった。




 パ――――――ン!!




「どわっ!!?」

『お―――めでとうございま―――っす! 貴方が最初の来訪者でぇ―――っす!!』

 突如クラッカーが鳴り響き、周囲から押し寄せた花と紙吹雪が五右衛門に激突した。更に続いたのは幼

い子供のはしゃぎ声。何事かと思い慌てて花と紙を振り払う。プログラムで消去しながら正面を見れば、よ

くて10歳ぐらいの子供が上下逆さまの状態で楽しそうに笑っていた。クスクスと笑い声をこぼしながら彼は

手を差し出す。

『課題のクリア、ご苦労様でした。まずはお手を拝借、じゃなかった、えーっと、友好の証に握手でも如何で

やんしょ? ムカついてるから握手したくないってんでもいいよ、選ぶのは自由だし』

「………」

『って、何か反応が全然ないな………お祝い事はクラッカーと拍手と花束が必須だと思ったんだけど違った

かなー。まぁ、いいや。改めて歓迎の意を表しますよ、五右衛門さん。それとも黒猫さんて呼んだ方がいい

?』

「………」

 ―――確かに。

 先刻まで散々いいようにあしらってくれた<スペルマスター>に対しては腹が立っていたのだが、眼前の

子供に怒りをぶつける気にはなれそうにもなかった。ちょっと待て、と腕を前に突き出すことで相手の言葉

を遮って。

「確かに訊きたいことも言いたいことも色々ある………が、その前にひとつ確認してもいいか?」

『どーぞどーぞ、何なりと』

「お前がこの世界の番人なんだな?」

『うん』

「………どうして外見が竹中教授そっくりなんだ?」

 そう。目の前にいるのはどう見ても幼い頃の竹中教授としか思えなかったのだ。実際に教授の子供時代

を知っている訳ではないけど顔立ちや眼差しは瓜二つだし、違いといったら瞳の色ぐらいしか見つけられな

かった。五右衛門の問いに対して子供はあっさりと答える。

『そりゃあ、俺は竹中重治のパーソナルデータを基に構築されたから』

「へ?」

『あいつは自らの死を予感して、家族に何かを遺せないかと自らのパーソナルデータを移しこんだ<自己

成長プログラム>を開発してた。………でも最後までプログラミングする前にあいつ、あんなことになっちゃ

っただろ? だから俺の8割はあいつの個人情報で成り立っているけど、残り2割は自身で適当に補った

生体情報なんだ。おかげで全く違う性格になっちゃってさー、困ったモンだね』

 五右衛門は二の句が告げなかった。

(自己………成長プログラム………?)

 そんなのが開発されていたなんて見たことも聞いたこともない。おそらくは教授が極秘裏に開発していた

のだろうが、いわばまだ発展途上にあるそのプログラムを仮想現実界の守護者に任命してしまうとは無責

任というか挑戦的というか深謀遠慮というか何も考えていないというか。どれだけのスペースを消費するか

もわからない以上、無限のネット界にシステムを隠匿しておくのは確かに有効かもしれないけれど。

 考え込んでしまった五右衛門に対して一介のプログラムに過ぎないはずの存在は笑いかける。

『じゃあ、改めてこちらから自己紹介と行こうか。俺の名は総兵衛。プログラム名でいえば<The soul of a

brave and eternal ideal>、直訳すれば<勇敢かつ永遠なる理想の魂>になるかな? パーソナルデータ

は竹中重治とオリジナルから構成し、ネット界における外見は<スペルマスター>を踏襲している。つまり

は2代目だぁね。―――質問は?』

「え? あー………そうだな」

 やや呆然としていた五右衛門は慌てて口を開いた。

「確認だが、俺は次にここにアクセスしようとしたらどんな手続きが必要なんだ? まさかまた例のディスク

を使って一からプログラミング技術を披露しなけりゃいけないのか?」

『ああ、それは大丈夫。アンタの個体データは俺に認識されたからアクセス権限はそのまま残ってる。<ダ

イヴ>した後に呼んでくれたら回線を開くよ』

「呼ぶだけでいいのか」

『俺の精神の及ぶ範囲なら、何処ででも』

 何処までが有効範囲内なのか訊いてみたい気もしたが、それはかなり定義が難しくなってくるだろう。

「そもそも此処へのアクセスだけどさ、何だってあんな膨大なバックボーンネットワークが必要になるんだよ

? あれじゃ自由にアクセスできねぇじゃねーか」

『巷の端末で呼び出せないこと? ………悪い、まだ色々と準備中で………下手するとこっちの構築式が

問い合わせた側に<逆流>する可能性があってさ。もしロクでもない施設の端末でんな現象が発生してみ

ろよ、機械はおろか個人の命の保障だって出来ないんだぞ?』

 整備は進めてるから多分、近日中には制限も解除されると思うけど、と総兵衛は付け足した。五右衛門

と話している間にも裏では様々な作業を行っているに違いない。

「よく言うぜ、<インドラの矢>を仕掛けようとした奴が」

『寸止めする予定だったぞ』

「んなの知る訳ねーだろっ」

 話す裏側で五右衛門はしきりと感心していた。現実世界に存在しないプログラム上の生物のくせに、<総

兵衛>との問答は妙にリアルだった。8割がたは教授のパーソナルデータを継いでいるといったが性格が

随分と違う。残り2割の個体情報をどこから持ってきたのか訊いてみたいぐらいだ。

『俺はまだまだ発展途上のプログラムなんだ。この外見だってよーやく形作れるようになったばかりでさ、こ

の前までは―――もうちょいチビ。幼稚園児くらいだったかな』

「じゃあ徐々に外見も成長すんのかよ、お前は」

『目に見えたほうがわかり易くていいだろ? でもまあ、20歳の外見に匹敵するほど個体プログラムの生

成が完了したら、その辺りで外見に費やす余分な情報収集はやめておく。目的違っちゃうもんな』

「目的?」

『仮想現実世界の守護。守るってのは、まあ、おこがましいかもしんないけどさ………自己を投影したプロ

グラムの置き場所にこの空間を選んだあいつの、せめてものお詫びだと思ってくれよ』

 個人的な目的で公共の空間に、成功するかどうかもわからないプログラムを置いている。他に与える影

響も定かでない情報を放置しておくことは、なるほど、世間に非難されるような試みだったかもしれない。

 仕切り直しとでも言うように少年が軽くてのひらを合わせた。ぼんやりと光る球体が出現し、辺りをほのか

に照らし出す。

『さあ―――話は尽きないけどアンタの目的はそれじゃないだろ? 俺に何を調べてもらいたかったのさ』

「ああ」

 本来の目的を思い出して五右衛門は渋い顔になった。鋭い視線を相手に注ぐ。




「<望まれた死>と<黒騎士の血>―――この、ふたつについて」




 どちらもかつての同僚からもたらされた言葉。防衛隊内の情報を幾ら探っても何の手がかりも得られず、

政府機関にハッキングを仕掛けても皆目検討がつけられなかった。機密中の機密として扱われているらし

く、悔しいが単独の能力では調べ上げることが不可能だったのだ。

『了解』

 総兵衛はそう言うと目を閉じ、両のてのひらを足元へと向けた。重力のない世界で、大地が存在するか

のように膝をつく。すっと精神を集中すること数秒、眉を顰めたかと思うと、膝と水平になっていた両のての

ひらがぐっと持ち上がった。

 そして。

「おぉ?」

 目を見開く五右衛門の前で、総兵衛の両腕は膝をついた大地から肩の高さまで、突如出現した白い紙の

持束によって持ち上げられた。愁眉をといて総兵衛はにっこりと笑う。

『とりあえず、いま検索かけた範囲じゃこれぐらいだな。何か記録媒体は持ってるか?』

「いや。何も」

『じゃあこれは一先ず圧縮して保管しておこう。内容を確認したい時はまた此処に来ればいい』

 さすがの情報収集能力に五右衛門は舌を巻いた。瞬きするほどの間にこれだけの関連情報を集めてくる

など只者ではない―――いや、ただのプログラムではない、と言うべきか。無論、集められた情報が使える

か使えないかは置いておく。

 総兵衛が何100枚にも達するだろう白い書類の束を軽く叩き、指をひと叩きするとそれらはひとつの封

筒に納まってしまった。

『さて』

 と、彼は提案する。

『集めてきた情報の中身についてだが―――どうする?』

「どうするって何がだ」

『収集に当たっては一通り目を通してある。俺が要点を掻い摘んで説明するか、それともお前自身の目で

逐一確かめていくか、さ』

 言われて五右衛門は不機嫌そうに黙り込んだ。

「………あんな短時間でわかるのかよ?」

『なに不貞腐れてるんだ? 俺はただのプログラムだぞ。バラしていけば0と1の数列存在でしかない。そ

の存在が人間より読み取り速度が遅くてどうするんだよ』

 内心に僅かに芽生えた劣等感を揶揄するように笑う。人口知能に妬く必要もないだろう、と。

 確かにその通りなので五右衛門は言い返すつもりもない。それに、情報の確認に取られる手間を考えれ

ば下手なプライドなど捨ててかかるべきだった。

「………しゃーねぇな。解説、頼むわ」

『わかった』

 少し文章を整理するように目を閉じてから、総兵衛はゆっくりと語りだした。

『―――簡潔に言えばどちらも宇宙人相手の作戦名だ。<黒騎士の血>は<A black knight's blood>、

<望まれた死>は<Desired death>………ま、そのまんまだな』

「どんな内容だ」

『他力本願も甚だしいがある意味効率的でもある。大の虫を生かすために小の虫を殺す。そういう作戦さ』

「だから、具体的に、どんな作戦なんだよ?」

 ここで僅かに総兵衛は躊躇した。彼はプログラム上の存在に過ぎないのだから人情の機微がわかるは

ずもないのに、何を思ってか告げることを迷うのだった。けれど問われた以上は答えなければならず、まし

て相手の目的は真実を知ることにあるのだからと口を開く。

 追って告げられた言葉に五右衛門は己が目を見開いた。




 とても容認できるものではない作戦に、憎々しげな声を上げながら。

 

85←    →87


はい。と、ゆー訳で前回の後ろ姿は総兵衛くんでしたーv

いや、ホント………わかる人にはバレバレだったでしょ??(苦笑)

彼のプログラム英語名はかなり滅茶苦茶なんで信用しないでくださいねーっ! この英語名の頭文字を

取っていくと「sobei」になります。かなりコジツケだ☆ ← 開き直り

竹中教授が自らの死を見越して組んだプログラム。よくあるじゃないですか、こーゆーネタ!(そうなの?)

完全に組み上げる前に教授がご臨終してしまったので(※死んでない)本来なら未完成のプログラム

なんですが、自己成長能力を駆使した『彼』は教授とは全く違う性格を有するに至りました。

ここら辺りの経緯はまさしく『アイ・ロ○ット』。 ← 違います。

あるいは『アンド○イドは電気羊の夢を見るか』。 ← もっと違います。

 

今回は随分思わせぶりな登場でしたが、所詮は端役なのであんまし活躍しないハズです。彼をはじめとした

『きつねつき』からのゲストキャラは『コロクンガー』本編では目立った行動はしません。

もし彼らの物語を書くとしたら本編終了から3年ぐらい経ってからなんで………まだまだですね。

そもそも書くかどうかも未定なのだ(笑)。

 

五右衛門がここでよーやく秀吉の言葉が作戦名を示していたと知ります。

その詳しい作戦内容については、待て次回以降v(こればっかり)

 

 

BACK   TOP

 


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理