狭く真っ直ぐな通路には冷たい空気が凝り固まり、歩く人間の精神までも追い詰めていくかのようだ。窓の外の景色を望もうにもここは宇宙。果てなく広がる暗闇を前に希望より絶望を覚える者も多いだろう。
 どこも同じようなものだ―――移動の手段以上に、戦うことを目的として作られた戦艦であるならば。
 ひとつやふたつの戦いを経験したところで<マザー>の名のもとに集められた兵士たちが揺らぐはずもない。だが、流石に先だっての戦いは別格とばかりに、艦内は不気味な静けさと高揚と畏怖に包まれていた。

 多くの仲間を失った、その怒り、痛み。
 人類の敵を撃った、その興奮、喜び。
 ひとつの星を壊した、その恐怖、動揺。

 部下たちの高揚を抑え動揺を抑え不満に耳を貸し戦果を褒め称え<マザー>への報告を終えたところで漸くキースは自室へと戻ってきた。
 ひどく、疲れている。
 いますぐにでもベッドに倒れこみたいところだったが生憎と先客がいる。
 マツカの気紛れか自分の気紛れか、記憶は曖昧だ。ただ、確かに「それ」はそこに居て、何故連れて来たんだと部下を殴ったところで今更投げ捨てることも出来なかった。
 他人にベッドを貸す羽目になるのはこれで何回目だったか。最初に拾ったのは、そう、シロエだったか―――いま眠りに就いている人物にはシロエとの共通項などなかったけれど。
 銀色の髪、閉ざされた瞼の裏の赤い瞳。
 片方の目には包帯が乱雑に巻かれている。当然だ。撃ち抜いたのは自分だ。溜息と共に枕元の床に腰を下ろす。顔を上げれば無駄に白い天井が目に痛かった。
 本来なら。
 ミュウなど上に突き出して然るべきだ。研究室に送ってDNA情報でも探ればいい。人体実験も好きなだけやるがいい。ミュウ因子を持つ者を殲滅する薬を開発したいと意気込んでいた連中だ、喜んでこの男を引き取るだろう。
 ましてや、伝説のタイプブルー・オリジンともなれば。
 自嘲の笑みを浮かべて膝の間に頭を埋める。
 己がこの男をとち狂った研究者どもに引き渡さないのは、それどころか<マザー>に報告すらしていないのは、単純な理由に過ぎない。
 額を銃で撃ち抜いて終わりにしなかったのは単なる気紛れに過ぎない。
 朽ち果てた身体にはもう寡ほどの力も残っていない。サイオンも使えない。いまはかろうじて息を繋いでいるけれど日毎に弱っていく。医者に診せたとて得られる結果は同じだ。彼の命数はとっくに尽きている。よくもまあこんな状態で特攻をかけてきたものだと呆れるほどに。
 情けをかける必要はない。ミュウは化け物だ。
 だが。
 血塗れの姿を見てしまえば、最後まで人間に抗った矜持に敬意を表するならば、いずれの対応も躊躇われた。
 躊躇ったのだ―――この自分が!
(………)
 揺れる、気配。
 マツカが傍にいる時に感じることもある。本当に微かな、やわらかい風が触れているかのような。
 こころを読むな、背後に立つな、拒絶の色を表したところで死を目前に控えた者に対しては有効な手段とは成り得ない。何故なら彼らは既にして全てを悟っているからだ。
 低く、静かな声。
(おどろいたな………)
 思えば自分はこの男の声をろくすっぽ聞いていなかった。
 会話と呼べる会話はしていない。ただ、争いの合間に意志を投げつけ合っただけの。
(きみが、ぼくを、へやにいれるとは)
 振り向いて見下ろした先、ただでさえ白い肌が青みを帯びているのを知った。いよいよ終わりが近いのだと悟ってもキースが取り乱すことはなかった。
 取り乱してどうする。
 どうせ皆、いつかは死ぬのだ。
 頬を撫ぜられるような感覚に相手が笑っていることを知る。妙に穏やかな気配が相手を包んでいて苛立った。
 ふ、と呼吸が止まり。
 また、始まって。

(きみは―――やさしいね)

 とんちんかんなことを呟かれた。
 優しい? 誰が? 誰に!
 肌身離さず持っている銃を構えた。見苦しく意地汚く足掻きながら息絶える様を見れれば一興と思っていたが、そんな様子を見せる欠片もなくて腹が立つ。余計なことしか言わないならば、此処で撃ち殺して終わりにしてやろうか。

 しゃへいが、とけかけているんだよ。

 閉じた目を開くことなく、それでも微かに笑いながら彼は言葉を紡ぐ。船の中で初めて対峙した時のような警戒心を抱いていないのは事実だ。サイオンも使えない彼はただの弱者だからだ。弱者相手に気を張り詰めたままでいる必要はないからだ。
 なのに、どうして。

(―――ありがとう)

 予想外のことばかりを告げてくるのだ。

(きみの、なかの、『地球』がみえる………)

 伝わってきた切ないまでの愛しさに知らず知らず眉間に皺を寄せた。これほどまでに純粋な感情を、何故にミュウなどという化け物が身の内に抱いているのか。この男が見た『地球』。それは。

 記憶の中に刷り込まれた青く美しい星なのか。
 化学物質に汚染されきった赤茶けた星なのか。

 どちらを見て礼を述べたのか問い質しそうになって唇を噤む。奴が何も気付いていないのだとしたら問い掛けは薮蛇になりかねない。恋い慕う『母』がいまでは死に掛けているのだと知らずにすむのならきっと、それで。
「………言い残したことがあるなら聞いてやる。貴様の仲間を殺す間際に伝えてやらんでもない」
(ひつよう、ない、よ)

 もう。
 つたえるべきことは、つたえたから。

 薄っすらと、微笑んで。
 儚く揺れる真紅の瞳がこちらを見た。焦点の定まらない瞳がぼんやりと徐々に光を失い、いよいよ最期が近付いているのだと知らせる。
 本来ならば彼は仲間に囲まれて、惜しまれながら息を引き取っていたのだろう。
 だのに、現実はこれだ。
 ここは仲間の船ではなく『地球』でもなく敵の船で、傍らにいるのは家族でも仲間でもなく憎んでも憎み足りない敵で、見詰めた先にあるのは愛しい者の姿ではなく冷たい銃口だ。
 それでも彼は、笑う。
(―――ジョミー………)

 ―――『地球』で。
 待っている………。

 突如、彼の身体が青い光に包まれた。
 キースが驚く暇もなく、炎に巻かれた蝶のように呆気なく崩れて消えてしまった。灰すらも残さず、綺麗に、跡形もなく。
 いままで彼がいたはずのシーツに手を滑らせても伝わるのは僅かなぬくもりだけだ。
(証拠を消したのか)
 自らの遺体が研究対象となることを憂えて。
 研究された結果、ミュウへの対抗策を人類が開発することを案じて。
 おそらくは最初から、生命が燃え尽きた時はかくあるべしと、たった一握りだけ残していたサイオンで。
「ソルジャー・ブルー………」
 ただの、敵だ。
 何を思う必要もないはずだ。人類とミュウは相容れない。これまでも、いまも、これからも。
 数歩ベッドから後退り、銃を構えると。

 


黒点


 

 奴が頭を預けていた枕を容赦なくぶち抜いた。

 

 


 

もはや何が何だか(苦)

 

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