激しい胸の痛みと高鳴りに飛び起きた。

 耳に届く荒い呼吸音と自らの心臓の鼓動。ああ、動いている、動いている、生きている。




 腹が立つほどの確かさで生きている。




 壁にかけられた時計は深夜を示している。窓から差し込むのは蒼い月明かりだ。臨海学校の間に割り当てられた個人部屋はひどく殺風景で焦りを募らせる。
 白い壁と白いシーツに広がる蒼い光はイヤでも『彼』を思い起こさせる。

(ブルー………!)

 呼び掛けに応えるはずもない。だから。

 耐え切れずに部屋を抜け出した。

 


パーフェクトブラック・ブルーローズ(3)


 


 昼間は多くの生徒たちで賑わっていた宿舎を、カフェテリアを、道を駆け抜けていく。立ち並ぶ木々の影は地面の闇と混ざり合い足元を覚束なくする。
 迷うことなく走り続け、敷地内のほぼ反対側に位置する今ひとつの宿舎へと辿り着いた。どの部屋の窓も暗い。当たり前だ。夜間の外出は禁止されているし―――そもそも普通なら疾うに深い眠りに就いている時刻だ。

 それでも、会いたい。

 ひとめでもいい。

 ―――会いたい。

 物陰からひっそりと見詰めていれば、やがて応えるように最も左下の一室が窓を開いた。備え付けのバルコニーに裸足を下ろした人物はほんの僅か首を巡らせただけでこちらに気付く。やや驚いた表情は浮かべたものの、すぐに静かな声音で己を呼んだ。

「こんな時間にどうしたんだい。ジョミー」

 手招く彼に引き寄せられるように近付いて。
 今朝と同じように、それ以上の強さで抱き締めれば、流石に驚きをもって迎えられたけれど。
 けれど、受け止めてくれる両手。確かに存在している感触。泣きたくなる、じんわりと伝わってくるあたたかさと優しさが。

 嗚呼、嗚呼。

 ―――泣きたくなんてなかったのに。

「ジョミー?」




(………少しだけ)




 腕は自分を押し返すことはなく、声は自分を拒絶するものではなく、状況は危急を告げるものではなく。

 必死に涙を堪える己を慰めるかのように髪を撫でられた。
 全く、いつまで経っても自分は彼に子ども扱いされている―――残念なことに。








「ホットミルクでいいかな?」

「………ありがとうございます」

 部屋に招き入れられて待つこと僅か1分。戻ってきた彼の手にはあたたかなマグカップが握られていた。そっと握り締めた時に感じた熱さから、どうやら自分が冷え切っていたらしいと思い至る。畏れ多くも彼が眠っていたベッドに腰掛けて、少しずつ口をつければブルーが安心したように頷いた。
 室内の明かりは枕もとのランプのみ。大っぴらに電灯をつけると見つかってしまうからと彼は言う。文句などあるはずもなかった。押しかけたのは自分である。

 空になったカップを近くのテーブルに置けば。

 だぶだぶの寝巻きを着た彼が静かに隣に腰掛けた。かかる体重は僅かなものだ。

「夢、を―――」

「え?」

「夢、を、見ました」

 ぽつぽつと、零す。

 見たばかりの夢。
 苦しいばかりの夢。
 胸を締め付ける、喉が枯れる、いますぐにでも己の首を絞めたくなる後悔の念。幼い頃より繰り返し、繰り返し、繰り返し。

 ―――『あの時』を再現する。

 ぱたぱたと頬を伝うのは涙だろうか。
 隣に座る彼が惑うから、心配そうに眉を顰めるから、せめてあのまま立ち去りたかったのに。『いま』の『彼』は確かに此処にいるのだと―――確かめられたら戻ろうと思っていたのに。

 呼び止める、から。

 彼が。

「………ごめんなさい………っ」

 零れ落ちるのは謝罪の言葉。

「ごめ、んなさい―――ごめんなさい、ごめんな………っ、さ………!」

 目元を手で覆うことすら忘れて、膝の上で両手を握り締めて、どうしてこの涙は尽きることを知らないのかと絶望する。

「どうして―――謝る? いま、泣いていることを悪く思うなら」

 彼の言葉に首を横に振って。

 静かに重ねられた彼の手の控えめなぬくもりに新たな涙が湧き上がる。




「あなたを―――見殺しにした」




 傍らのブルーが息を呑んだ。

 彼の、赤い瞳が、僅かに見開かれるのを感じながら。




「僕は、あなたを、見殺しにした」

「助けに行けなかった………違う、行かなかった………!」

「仲間を救うだなんて、意志を継ぐだなんて、綺麗事だ」

「僕は行くべきだった。この身が千切れても、他がどうなろうとも、僕は………!!」




 これは単なる懺悔、後悔、赦しを求める行為。

 なんて情けないのだろう!

 彼の最期の叫びを知らず、彼の抱いていた想いの欠片も知らず、『導く者』の立場に縛られて何一つ彼のために成すことが出来なかった。

 全く、大した後継者だとも!

 彼こそがミュウの歴史の全てで、彼こそが『地球』へ赴くに相応しい人物で、彼こそが自分たちの護るべき総てで。

(みんなを導いて来たのは僕じゃない)

(あなただ)

(あなたが行くべきだったんだ。―――『地球』へ!!)

 夢の中の自分は彼の言葉に押されて戦線を離脱し、共に戦うこともなく、彼を残してその場を離れた。

 喩え遺されたものが彼の意志と記憶と想いを伝えてくれたとしても。

 自分のてのひらに重ねられた冷たいてのひらの上に更にもう片方の手を重ねる。

「………僕は―――どうして、………っっ!!」

 唇を噛み締めて俯いた。
 彼の顔が見れない。
 怒っているのか、呆れているのか、不機嫌そうにしているのか。拒絶や嫌悪の感情が少しでも含まれていたら間違いなくこのこころは砕け散る。

 幼い頃から繰り返し、繰り返し。

 忘れるなと、繰り返す―――決して、忘れるなと。あたたかな記憶の隙間に、初めて出会った思い出の影に、常に囁き続ける。

 忘れるな―――二度と、置いて行くな、と。

「もし、あの時」

 ブルーの声はごくごく小さなものだったのに。
 情けないほどに肩が震えた。

「君が僕を迎えに来ていたら―――僕は君を永遠に許さなかったろうね」

「ブルー………っ!」

 笑いさえ含まれた声音に弾かれるように顔を上げる。

 静かに、大声は出さないで、と。

 唇に当てられた彼の指先は記憶のものよりも更に細く、白く、頼りなくて。けれども彼の瞳ばかりはかつてと同じ強さを湛えている。

「何を悔いることがあるんだい? ジョミー。僕の気持ちは伝えておいたはずだよ。君が生きろと言ってくれたから僕は生きることが出来た。あの子達に会うことも出来た。………望外の喜びだ。僕の、あの生において」

 何処か陶然と彼は瞳を閉じる。
 右手を挟み込んでいるジョミーの両手に、更に左手を重ねて。

「君は何を悔いている? 僕ひとりを戦いに向かわせたこと? 僕の最期を看取れなかったこと? 僕の声を聞き取れなかったこと? 僕を―――『地球』へ連れて行けなかったこと?」

「―――ぜんぶです」

 震える声で応じれば。

「ありがとう。でも、それなら僕の想いはやっぱり君に届いていなかったのかな」

 やわらかな声で少しだけ淋しそうに笑われた。

「確かにあの時は何をどうする暇もなかったからね。伝え切れなかったのは………うん、僕も、伝え切れなかったことだけは残念だ。何度、頭を下げても足りないほど感謝していたのに。この上もなく嬉しかったのに」

「………うれしい?」

「嬉しかったよ」

 彼は、まるで花がほころぶかのように笑った。




「僕の生は行き詰っていた。事実だろう? 僕の寿命はつきかけ、事態を打開する道も見えず、救えない命ばかりが増えていく」

「けれど、君は」

「僕達でも新しい命を紡げることを示してくれた。未来に絶望したまま生を終えようとしていた僕に希望を与えてくれた。それだけで、」

「それだけで、もう―――僕は満足だったんだ」




 重なったてのひらから伝わるのは、親愛、感謝、歓喜。
 内に宿る、救えなかった後悔を、手の届かなかった絶望をすべて塗り替えて。

「………みんながあなたを忘れても?」

「君は覚えていてくれたじゃないか。フィシスやハーレイだって」

「ひとりで戦うことになっても?」

「戦いを選んだのは僕自身だ」

「あなた自身が『地球』へ辿り着けなくても?」

「君のこころと共に居たよ」

「―――嘘だ」

「嘘じゃない。なんならこころの遮蔽を解こうか? 僕たちの力は随分と薄れてしまったけれど幾許かは感じ取れるはずだから」

 穏やかに微笑む彼の表情に憂いは見られない。嘘をついているとも思えない。
 返す言葉もなくて無言を貫いていると、今度は心配そうに彼が首を傾けた。

「………繰り返し、夢に見るのかい? あの時を」

「あの時だけじゃ―――ないですけど」

 夢に見るのは時折りだ。
 それでも内容があまりにも辛いから、自分で自分を殺したくなるから、自家中毒を起こすことまであって幼かった頃は本当に苦労した。

 ゆっくりと上体を倒していって彼の肩に額を預ける。
 極力、体重はかけないようにして。
 頭が痛いし泣き濡れた瞼は重いし心臓は苦しい。握り締めた彼のてのひらだけがその確かさで自分のこころを慰めてくれる。

 もし、再び。

 この手を喪うことがあったらなんて―――考えたくもない。

「ジョミー」

 耳元で囁かれた。
 記憶にあるよりも幾分幼く、更なるやわらかさを滲ませた音程。

「本当に苦しい記憶なら………僕は構わない。手放したまえ」

「嫌です」

 拒絶の声は室内に強く響き渡った。

「あなたを忘れる心算はありません」

「苦しんでほしい訳じゃない」

「好きで苦しんでるんです。ほっといてください」

「ジョミー、それは」

 何か変じゃないかい? と呆れられたけど。
 彼を失うに至った顛末を思い出す度に胸を掻き毟りたい衝動に駆られるけれど。




 ―――彼のすべてを忘れて生きていくなんて真っ平御免なのだ。




「記憶がなくてもともだちになれるよ」

「あなたは覚えたままなんでしょう? 嫌だ。僕は僕の記憶を持って、あの時の僕の想いや後悔も含めて、あなたに出会ったんだから………」

 瞳を閉じて思い描く。
 ありがとう、と告げられて。
 飛び去った彼の残像だけを目に焼き付けた。子供たちを捨て置ける訳もないと己に言い聞かせながら、地表に留まった仲間を助けながら、帰り着いた船に彼の姿がないと知りながら。




 追い駆けられなかった自分は―――きっと、疾うに。




「ジョミー、眠るなら自分の部屋に帰りたまえ。君だって朝食の場に顔を出さなければ色々と―――」

 呼ぶ声が段々と遠くなって行く。

 でも、大丈夫。
 いまはこうして手を繋いでいるから。

「………仕方のない子だね」

 大丈夫。
 今度は離さない。
 彼の声が聞こえているから。

 この世界では敵も仲間も味方も関係ないから。








 僕はあなただけを護り続けるよ。







 

※WEB拍手再録


 

私的17話補足ストーリー。パラレルになっちゃったのは愛嬌だ!(どんな愛嬌ですか)

彼の最期は、当人はすごく納得してそうだったけど、ブルーファンにとっては非常に微妙でした(苦笑)。

ただ、アニメ版『地球へ』は後半で補足説明が入ることが多いので、18話以降を見たらまた

感想が変わってくるかもしれないですよね??

いまはそれに期待しておきます………。

 

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