過去の記憶や想いに『いま』が縛られるのであれば悲しすぎる。 |
パーフェクトブラック・ブルーローズ(4)
静かな部屋には静かな寝息だけが響いている。 ようやく落ち着いたらしい。肩に額を預けられたまま眠られた時は驚いたが、どうにかこうにか彼の下から這い出してベッドに寝かしつけることに成功した。動かしても一向に起きる気配もなかったから余程疲れていたのだろう。 安堵の息をつきながらブルーは自分のベッドを占領したかつての後継者の頭を撫でる。 先刻まで泣き続けていた瞼が腫れて痛々しい。 (タオルでも乗せておこうか) どちらかと言えば看病されるばかりで看病することに慣れていない。 つらい思いを―――させている。 かつてを、思い出してみる。 あの頃の自分は地球へ行きたくて、でも行けなくて。 ―――あの兵器だけはこの手で止めねばならないと感じた。 崩れ落ちる街の轟音に負けじと声を張り上げ、力尽きて倒れこむ仲間たちの手を引いて、救えるだけの命を救おうとした。 導け、と。 導いてくれ、と。願われた。 戻ることは出来なかった。助けに戻れば、今度は脱出した仲間たちを見捨てることになる。 ………何故この身は『ひとつ』なのかとあれ程嘆いたことはない。 進むことも留まることも等しく地獄だった。 ―――『導く』責務を負った以上は。 そうするしかないと信じた結果だった。 だから、あの時は。 不思議なほど落ち着いていた。焦慮も後悔も遠かった。地球へ向かいたい、地球をこの目で見たい、そんな己の願いとはまた異なる次元において。 ―――託すことが出来た。 戦いに赴く自分を見て、彼がかつての己と同じような思いに駆られたろうことは想像に難くない。けれども最優先事項が「多くの仲間たちを救うこと」である以上、割り切ってもらうしかなかった。 即ち、「ひとり」のミュウであるブルーと、「多く」のミュウである仲間たちと。 見捨てたと嘆いた、何故助けに行かなかったのかと呻いた、彼の思いはアルタミラで自分が味わった苦悩と同種のものだ。 すべてを理解しながら、尚、自分は嘆くなと告げる。 同じ道を辿らせながら、同じ立場にいた過去の自分が深く嘆いていたことを知りながら、それでも前に進めと願った。 きっとそれもまた自分の愚かな願いに過ぎなかった。 (―――すまない) 室内においても輝きを放つ彼の金髪に指で触れる。 (………すまない) 同じ思いを、同じ苦しみを、同じ後悔を与えたい訳じゃなかった。 (接触テレパスの方が確実だったかな) 僅かに苦笑した。 ゆっくりと髪を撫でながら、果たしてあの頃の自分はこんな風に彼に触れたことがあったろうかと考えて、応えのない記憶にまた嘆息する。穏やかな交流や僅かな触れ合いさえ深い眠りに就いてしまえば何処までも遠い。 何故、彼が自分を憎まないのか不思議なほどだ。 ただ、―――少しばかり疑問に思うことはある。 (記憶が、途切れているのか) 転生時の記憶は赤い星のもとで途絶えているのかもしれない。 (―――揺り起こしてしまおうか) 思い出せば、罪悪感に苦しむことはなくなる。 (………封じ込めてしまおうか) すべてを無くせば、過去に囚われることはなくなる。 果たしてどちらが彼のためになるかと考えれば、一考の余地もなく後者であると思われた。 第一、それでは。 ―――自分たちの嫌った『マザー』と同じではないか? 背もたれに身体を預けて深いため息をついた時、控えめながらも無視できない強さで扉を叩かれた。 念のためにジョミーに布団を深めにかけてから応じる。 「こんな時刻にどうしたんだい? 朝食の時間には早すぎるだろう」 「貴様の部屋から物音がすると連絡があった。だから確認に来た」 答える声には抑揚がない。が、これでも随分まともになったのだ。 「それでこんな時刻から見回りかい? 前々から思っていたけれど君は職務に忠実すぎるね。折角の臨海学校なのだからもう少し羽根を伸ばせばいいのに」 「物音の原因は何だ」 「あたたかい飲み物が欲しくなって。その音だろう」 「点検させてもらう」 「断る。いかなる人物であろうとも個人の部屋に理由なく立ち入ることは生徒憲章第60項により禁止されている」 「ならば生徒会長がその第60項の特別規定外に定められていることも知っているな。―――退け」 扉の前に立ち塞がるブルーの肩に彼が手を置く。 「………らしくないじゃないか、生徒会長」 唇から零れ落ちるのは苦笑ばかりだ。 「部屋の物音より、いま、こうして話している僕たちの声の方が皆の安眠妨害になっているのではないかと案じるよ。あるいは僕が不純異性交遊をしているとでも?」 「―――そんな事になったらウチの教師連が卒倒するな」 連中は『お前』を偶像視しすぎなんだと『貴様』呼ばわりした口で語る。 「お前はいつも敵対的だ」 「誤解だよ。君とは常に腹の探り合いをしているようでとても楽しい」 「だから捻じ曲がっていると言っている」 「君の周りには僕よりも敵対的な人物がいるじゃないか」 生徒会選挙で争った某人物を揶揄したつもりだったのだが。 「シロエか」 相手はまったく別の人物を思い浮かべたらしい。 「あの子は君が好きだから君に構ってほしいだけだよ。かわいいよね」 「奴の態度を『かわいい』と言える猛者はお前ぐらいだ………」 今度こそぐったりと肩を落として目の前の人物はゆるく首を振る。相当に下級生の態度に振り回されているらしい。 問い詰めても無駄と察したのか生徒会長はクルリと踵を返した。 「とっとと眠れ。………今度は静かにな」 「ありがとう、生徒会長。よい夢を」 「殊勝な態度をとられるといっそ不気味だな。いつものように呼び捨てにしろ」 「一応、先輩を立てておくよ」 「―――そうか」 ほんの僅か、彼は戸惑いを深めたようだったけれど。 ましてや、ベッドで満足そうに眠るジョミーを見つけたのが『彼』ともなれば。 更には、熟睡していたはずのジョミーが目覚めて『彼』を見つけたならば。 彼の暴走、なんて。 命を賭ければその限りではないが、それでは過去生の自分たちと同じではないか。何度も生身で成層圏に昇るのは流石にお勧めできない。 だから絶対に避けなければ、と。 ―――彼らが共に記憶を捨てていたならば。 |
※WEB拍手再録
ある意味ではこれも17話補足ストーリー。
生徒会長の正体は言わずもがな。
タイトル的には「パーフェクトブラック」に当たる方(ホントか?)