だから、捨てた方がいいと言ったのだ。

過去の記憶や想いに『いま』が縛られるのであれば悲しすぎる。

 


パーフェクトブラック・ブルーローズ(4)


 


 静かな部屋には静かな寝息だけが響いている。
 ようやく落ち着いたらしい。肩に額を預けられたまま眠られた時は驚いたが、どうにかこうにか彼の下から這い出してベッドに寝かしつけることに成功した。動かしても一向に起きる気配もなかったから余程疲れていたのだろう。
 安堵の息をつきながらブルーは自分のベッドを占領したかつての後継者の頭を撫でる。
 先刻まで泣き続けていた瞼が腫れて痛々しい。

(タオルでも乗せておこうか)

 どちらかと言えば看病されるばかりで看病することに慣れていない。
 たどたどしい手つきで水に浸したタオルを彼の目に預け、椅子に腰掛けてほっと息をついた。様子を窺う限り、幸いにして彼の眠りは平穏なようだ。
 せめて今度の眠りは深く、訪れる夢は安らかであれと願う。

 つらい思いを―――させている。

 かつてを、思い出してみる。

 あの頃の自分は地球へ行きたくて、でも行けなくて。
 仲間を護りきれなくなることに怯えていて。
 けれど、次代を継ぐ存在にこころから安堵して。
 だから、少しぐらい自分の手で自分の『決着』をつけに行ってもよいのではないかと。

 ―――あの兵器だけはこの手で止めねばならないと感じた。
 アルタミラの惨劇。
 救えなかった命、眼下の業火、命を投げ打つことの叶わなかった過去を、その時にとっての『過去』を、清算するために。

 崩れ落ちる街の轟音に負けじと声を張り上げ、力尽きて倒れこむ仲間たちの手を引いて、救えるだけの命を救おうとした。
 その一方で、腕を伸ばすことも声をかけることも意識を配ることすら出来ぬ間に消えた命があった。
 戻ろうとする足を止めたのは悲しいまでに切実な彼らの願いだった。

 導け、と。

 導いてくれ、と。願われた。

 戻ることは出来なかった。助けに戻れば、今度は脱出した仲間たちを見捨てることになる。
 船を乗っ取りはしたものの宇宙に飛び出すためには己のように力ある者が必要で、後の長老たちは指導力こそあったけれど、戦力を期待できるほどではなくて。
 事実、崩壊する星から脱出した直後に追撃を受けた。応戦できなければ、脱出した者たちもまた研究所に逆戻りするか、星の海に屍をさらすこととなっていただろう。

 ………何故この身は『ひとつ』なのかとあれ程嘆いたことはない。

 進むことも留まることも等しく地獄だった。
 どちらも救いたいと願うのにどちらかを選ばなければならない状況に追い込まれ、より多くの仲間が生き残る道を選択せざるを得なかった。
 例えそのこころが、燃え上がる町並みに最後まで留められていようとも。

 ―――『導く』責務を負った以上は。

 そうするしかないと信じた結果だった。

 だから、あの時は。
 ………彼が苦しむもととなった赤い星においては。

 不思議なほど落ち着いていた。焦慮も後悔も遠かった。地球へ向かいたい、地球をこの目で見たい、そんな己の願いとはまた異なる次元において。
 足止めに向かうのか仲間の救出に向かうのか。
 かつてならばいずれかを捨てるしかないギリギリの状況において、彼がいたから。

 ―――託すことが出来た。

 戦いに赴く自分を見て、彼がかつての己と同じような思いに駆られたろうことは想像に難くない。けれども最優先事項が「多くの仲間たちを救うこと」である以上、割り切ってもらうしかなかった。

 即ち、「ひとり」のミュウであるブルーと、「多く」のミュウである仲間たちと。
 あなたは「ひとり」ではなく「すべて」なのだと聞こえない声で叫ぶ、彼の言葉を断ち切って。

 見捨てたと嘆いた、何故助けに行かなかったのかと呻いた、彼の思いはアルタミラで自分が味わった苦悩と同種のものだ。

 すべてを理解しながら、尚、自分は嘆くなと告げる。

 同じ道を辿らせながら、同じ立場にいた過去の自分が深く嘆いていたことを知りながら、それでも前に進めと願った。
 後ろを振り向かず、憎しみや悲しみに囚われることなく、皆にあるべき姿を示し続けろと。

 きっとそれもまた自分の愚かな願いに過ぎなかった。

(―――すまない)

 室内においても輝きを放つ彼の金髪に指で触れる。

(………すまない)

 同じ思いを、同じ苦しみを、同じ後悔を与えたい訳じゃなかった。
 だからせめてもと、彼に言葉を伝えたのだけれど―――。

(接触テレパスの方が確実だったかな)

 僅かに苦笑した。

 ゆっくりと髪を撫でながら、果たしてあの頃の自分はこんな風に彼に触れたことがあったろうかと考えて、応えのない記憶にまた嘆息する。穏やかな交流や僅かな触れ合いさえ深い眠りに就いてしまえば何処までも遠い。

 何故、彼が自分を憎まないのか不思議なほどだ。

 ただ、―――少しばかり疑問に思うことはある。
 彼のこころと共にあったと伝えた時、彼は否定を返した。かつての彼は『存在』をきちんと認識していたはずだから、妙な違和感がある。

(記憶が、途切れているのか)

 転生時の記憶は赤い星のもとで途絶えているのかもしれない。
 苦しみのあまり、先へ踏み出せずにいるのかもしれない。

(―――揺り起こしてしまおうか)

 思い出せば、罪悪感に苦しむことはなくなる。

(………封じ込めてしまおうか)

 すべてを無くせば、過去に囚われることはなくなる。

 果たしてどちらが彼のためになるかと考えれば、一考の余地もなく後者であると思われた。
 だが、彼自身が拒否している以上、それこそブルー本人の「罪悪感」に報いるためだけに記憶を消し去るのはあまりにも勝手だ。

 第一、それでは。

 ―――自分たちの嫌った『マザー』と同じではないか?

 背もたれに身体を預けて深いため息をついた時、控えめながらも無視できない強さで扉を叩かれた。
 やはり来たか。本当に『彼』は勘がいい。

 念のためにジョミーに布団を深めにかけてから応じる。
 廊下に出て後ろ手に戸を閉めれば明け方間近のひんやりとした空気が足元から這い上がる。それ以上に澄み切った色を湛える相手の瞳を見上げ、ブルーはわざとらしい程ににっこりと笑った。

「こんな時刻にどうしたんだい? 朝食の時間には早すぎるだろう」

「貴様の部屋から物音がすると連絡があった。だから確認に来た」

 答える声には抑揚がない。が、これでも随分まともになったのだ。

「それでこんな時刻から見回りかい? 前々から思っていたけれど君は職務に忠実すぎるね。折角の臨海学校なのだからもう少し羽根を伸ばせばいいのに」

「物音の原因は何だ」

「あたたかい飲み物が欲しくなって。その音だろう」

「点検させてもらう」

「断る。いかなる人物であろうとも個人の部屋に理由なく立ち入ることは生徒憲章第60項により禁止されている」

「ならば生徒会長がその第60項の特別規定外に定められていることも知っているな。―――退け」

 扉の前に立ち塞がるブルーの肩に彼が手を置く。
 力ずくで押し退ける気配はないけれど『彼』が本気になればいつだって自分は敵わない。力任せの野蛮な戦いにおいては勝てた験しがない。

「………らしくないじゃないか、生徒会長」

 唇から零れ落ちるのは苦笑ばかりだ。

「部屋の物音より、いま、こうして話している僕たちの声の方が皆の安眠妨害になっているのではないかと案じるよ。あるいは僕が不純異性交遊をしているとでも?」

「―――そんな事になったらウチの教師連が卒倒するな」

 連中は『お前』を偶像視しすぎなんだと『貴様』呼ばわりした口で語る。
 じゃあその立場を利用して君を非難してみようかと嘯けば、本当に性根が捻じ曲がっていると不機嫌そうな顔をされた。

「お前はいつも敵対的だ」

「誤解だよ。君とは常に腹の探り合いをしているようでとても楽しい」

「だから捻じ曲がっていると言っている」

「君の周りには僕よりも敵対的な人物がいるじゃないか」

 生徒会選挙で争った某人物を揶揄したつもりだったのだが。

「シロエか」

 相手はまったく別の人物を思い浮かべたらしい。

「あの子は君が好きだから君に構ってほしいだけだよ。かわいいよね」

「奴の態度を『かわいい』と言える猛者はお前ぐらいだ………」

 今度こそぐったりと肩を落として目の前の人物はゆるく首を振る。相当に下級生の態度に振り回されているらしい。
 いい傾向じゃないか、とブルーは笑う。
 こうして誰かに振り回されて、誰かを振り回して、少しずつでもいいから感覚と感情を己のものとして行けばいい。

 問い詰めても無駄と察したのか生徒会長はクルリと踵を返した。
 もとより彼は問い質すことの無意味さを知っていたはずだ。互いに、こうと決めたら相手が梃子でも動かないことを知っている。

「とっとと眠れ。………今度は静かにな」

「ありがとう、生徒会長。よい夢を」

「殊勝な態度をとられるといっそ不気味だな。いつものように呼び捨てにしろ」

「一応、先輩を立てておくよ」

「―――そうか」

 ほんの僅か、彼は戸惑いを深めたようだったけれど。
 すぐにそのまま歩き出す。
 彼が廊下の角を曲がるまで待ってから室内に戻った。
 気付けば、握り締めた手には薄っすらと汗が滲んでいる。大丈夫と思いつつもその実、緊張していたようだ。此処で見つかればジョミーが周囲からどう思われるか分からなかったし自分も叶う限り目立つ行動は避けたかった。

 ましてや、ベッドで満足そうに眠るジョミーを見つけたのが『彼』ともなれば。

 更には、熟睡していたはずのジョミーが目覚めて『彼』を見つけたならば。




(………サイオン・バースト。するかも)




 想像するだけで冷や汗が流れる。

 彼の暴走、なんて。
 とてもじゃないが止められない。

 命を賭ければその限りではないが、それでは過去生の自分たちと同じではないか。何度も生身で成層圏に昇るのは流石にお勧めできない。

 だから絶対に避けなければ、と。
 出会うことが必然ならば出来る限り穏やかな『再会』にせねばなるまいと。




 もしも。

 ―――彼らが共に記憶を捨てていたならば。




 神に等しき存在から見た自分たちの再会は非常に微笑ましいものであり、何の問題もなく友人になれたろうにと、幸せそうに眠る彼を見ながら微かな苦笑を零した。



 

※WEB拍手再録


 

ある意味ではこれも17話補足ストーリー。

生徒会長の正体は言わずもがな。

タイトル的には「パーフェクトブラック」に当たる方(ホントか?)

 

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