多くの書籍が集められた部屋は密かな囁きとざわめきで満たされている。誰もが個々に割り振られたパソコン画面に注視し、文章の作成に余念がない。臨海学校の目的など要は気分転換に過ぎないとは言え、どれだけ遊び呆けてもよいとは言え、名目が「学習」にある以上、目に見える結果は提出しなければならない。

 よって、期日も間際となれば誰も彼もがレポート作成に追いやられる羽目となる。
 それはブルーも例外ではなかった。

 粗方まとめあげた己の文章をスクロールしてこっそりとブルーはため息をついた。
 施設備え付けの図書館の天井から降りかかる白昼色、整然と並べられたパソコン、所狭しと並べられた壁の本棚。どれだけ部屋自体が広くとも、周囲にいるのが同級生であろうとも、どうにも押し込まれている感が否めない。監視と補助を兼ねて教師や生徒会の面々がうろついていることがそんな印象を抱かせるのかも知れなかった。

 隣席の同級生がこっそりと声をかけてくる。

「なあ、ブルー。もうレポート終わった?」

「大体は」

「マジ!? な、ちょっと教えてくれよ! 少しでいいからさ」

「少しって言っても」

 首を傾げている間に背後や前の席の同級生までもがこちらに期待を篭めた視線を送る。

「そーだそーだ、ズルいぞひとりだけ終わろうなんて!」

「早く終わって遊ぶつもりだろっっ」

「このところ付き合い悪いし! たまには一緒に終わらせて一緒に遊ぼうぜ!」

「いや、その、僕は―――」

 参ったな、と苦笑をもらす。

 付き合いが悪いのは、考えるまでもなく『彼』に再会したからだろう。
 毎朝毎昼毎晩、暇を見つけては彼はこちらを訪れる。これでは彼自身の交友関係に支障をきたすのではないかと案じながらも尋ねてくれるのは単純に嬉しいから断ることも出来ない。

 結果、級友たちとの付き合いは疎かにならざるを得ず。

 能力を封じていても伝わってくる彼らの内には終わらないレポートへの苛つきや早々に課題をクリアしそうなブルーへのやっかみと共に、一緒に遊べないことへの不満も含まれていた。

 しかしまあ、不満は不満として、彼らのすべきことを己が代わることはない。

「駄目だよ。僕が手直ししたら僕の思考パターンが組み込まれてしまう。知ってるだろ? 僕の思考回路はちょっと変わっているらしい。先生たちの目を誤魔化せる自信がないよ」

「けどさー」

「第一、課題は自力でクリアしてこそ、だ。僕はカンニングやレポートの写しに加担するつもりはない」

 にっこりと笑顔で告げれば「相変わらずカタイ奴」とぼやかれた。
 どうとでも言え。頭がカタイのは生まれつきだ。

「じゃあ………せめて誤字・脱字のチェックとかさー」

「うん、それぐらいならいいよ」

 推論の根拠が間違っているとか、説明の前後を入れ替えた方が分かりやすいとか、それぐらいなら構わないだろう。

 ひとりに対して許可が出たことで他も我先にと手を挙げた。

「じゃあ、オレもオレも! あとちょっとで終わるからっ!!」

「ずりーよ、オレだって偶にはレポートでA評価が欲しい!」

「お前はB+が精一杯だ! 見てろよ、オレの評価なんて」

「………あの、僕が見たからって評価が上がる訳じゃないんだけど………」

 聞いてる? と尋ねるブルーを余所に周囲は『オレのレポートのが優れてる』合戦に突入している。
 こんな風に騒いでいる暇があるのなら、その分の時間を文章作成に当てればいいのにとこっそり零した刹那。




「そこ! うるさいぞ、何をしている!」




 切り裂くような叱責にピタリと静まり返った。

 やっべぇ、生徒会長だ! と誰かが囁き、そそくさと自席に戻っていく。時間の経過と共にざわつき始めていた室内までもが静けさに包まれた。こんな時ばかりは彼の影響力を思い知る。望む望まざるに関わらず周囲に影響を及ぼしてしまう存在もいるものだ。

 喧騒の中央にいたブルーと、テーブルの端に居た彼の視線が交錯する。

「………」

 一度だけ、口を開きかけて。

 すぐに彼は踵を返した。

 なんだ、つまらない。何か難癖つけてくると思っていたのに。

 多少の落胆を内に再びレポート作成に取り掛かる。が、見直したばかりの文章には訂正する箇所もほとんどない。印刷して表紙をつけてデータを保存したメディアと共に提出すれば完了だ。どうせデータを提出するのならそれだけでいいはずだ、いちいち印刷させるとは資源の無駄遣いだと思えども、教師連は頑として譲らない。
 生徒会は各部活動の予算をネチネチと削り取る前にここいらから経費削減を志すべきだと思う。

 ブルーは画面上の印刷開始のボタンをクリックして静かに席を立った。

 


パーフェクトブラック・ブルーローズ(6)


 


 プリンターは窓際の一角に設けられている。ウォームアップ中の一台を前に、窓の向こうの広場を見渡してブルーは笑みを零した。

 広場と、それに続く森の中を走り回っているのは『彼』が属する学校の面々だろう。ウチの学校の課題は地質調査なのだと昨日、言っていた。室内に篭もりきりでレポート作成するよりは性に合ってるけど、何処を調べればどんな結果が出るかも分からないのに駆けずり回るのがちょっと面倒だよねと。

 なら、あの丘の辺りを調べればいいんじゃないかなと告げたのは。

 単なる好意であってズルではない。あくまでも調べるのは『彼』自身なのだから必要以上の手助けではない。と、思う。

 ………たぶん。

 動き出したプリンターに視線を落とし、次いでプリンターの左手に視線を移し。

 知らぬ間に佇んでいた人物に、面にこそ出さないまでもちょっとだけ驚いた。
 自分が彼の気配に鈍感になったのか、彼が気配を絶つことに長けているのか。流石は生徒会長だと脈絡のない称賛を捧げつつ。

 必要を感じないから視線を交わすこともない。

 しばし、機械が紙を排出する無機質な音だけが響いた。

「―――単独行動が増えているそうだな」

 問い掛けに前触れはない上に内容も直裁だ。

 特定部分についての隠蔽は必要だが事実を隠し立てする必要はないし異論も反論もない。返すのは肯定のみ。

「そうだよ」

「集団の和を乱すことは許されない」

「臨海学校の目的を忘れていないかい? 他校生との関わりも重要な学習項目だ」

「主目的は個を抑えて団体行動を学ぶことにある」

「個々に目的は異なる。そこまで縛られる気はないよ」

 窓の外、見ようによっては走り回って遊んでいるような他校生たちを見詰める。

 あの中に『彼』が居たとして、こちらを見分ける可能性はどの程度かと考えながら。

「レポート。他へ見せたのか」

「僕の記述には一定の思考パターンがあると教えてくれたのは君だろう? レポートの第一次提出チェックをするのも君だ。君の目を通るのにそんな愚は犯さない」

 返るのは沈黙。

 けれどもそこに読み取るのは話を続けたそうな彼の微かな意志だ。話下手な彼のために他に何か? と無言で促せば、やはり視線は窓の外に注いだまま揺らがない声で囁いた。

「………教頭がお前を特待生コースに編入しようとしている。面談の通達があればそれだと思え」

「あの人もしつこいね。じゃあ、僕は『勉強すると頭が痛くなるんです』病を発症したと君の口から」

「誰が信じるんだそんな似非病。大体、それだけきっちりとレポートを仕上げておいて何を言う」

「まだ見せてない」

「プリンターから出てきている」

「目がいいね。いや、抜け目がないと言うべきかな?」

 くつくつと笑いを零せば流石に不機嫌そうな目で睨まれた。

 いけない、いけない。

 どれほどにからかいたくなろうとも相手はよきにつけあしきにつけ真面目なのだし記憶はあって無きが如しなのだし仮にもいまは『先輩』と『後輩』、生徒会長と一般生徒の間柄なのだ。それなりの敬意は表さなければ。

 事実、こうしてこっそりと教師連の動きを教えてくれる彼の行動は有り難かった。

「情報に感謝する。今更のように普通科から特待科への編入だなんて冗談じゃない。彼らが何をもって僕を祭り上げようとしているかは不明だが、目立つのは御免だよ」

「本当に心当たりはないのか」

「ないね。僕の精神は気だるい疲れた動きたくない働きたくない楽がしたい眠っていたい人生ドロップアウトした退職後のご老人なのだ。世のためヒトのために尽くすボランティア業務は君に任せた」

「最近の老人は活動的と聞くぞ。それに、安心しろ。貴様はもとから目立っている」

「目立ってない」

「目立っている」

「君ほどじゃない。そもそも―――君が僕を生徒会に引き抜こうとしたから余計な注目が集まってしまった気がするんだが?」

 その点だけは今でも多少の恨みを抱いている。

 未だ自分が名もなき一生徒であった頃、既に生徒会長候補だった彼に度々呼び止められたおかげで無意味に存在が知れ渡ってしまった。もしもその時の自分がかつてと『同じ』姿をしていたらより一層の騒ぎを招いていただろうことは想像に難くない。

 曰く、この生徒会は『顔』でメンバーを選ぶのかと。

「生徒会に居た方が周囲の動きは牽制しやすいはずだ」

「だが、一般生徒の立場から意見することは出来なくなる。僕は誰かの上に立つつもりはない」

「いつまで逃げ回るつもりだ? 貴様が心底だらしないだけの人間ならそもそも『上』は頓着しない。どちらかに組みしなければいずれは身動き取れなくなる。実際、生徒会長の権限を振るえば」

「だが、そうするほど君は愚かでもないし気配りが出来ない訳でもない。既にして君は体制の代弁者でありながら体制への反逆者でもあるのだ。手駒が足りないだなんて泣き言は聞かないし言わせない。マツカがいるのに生徒会運営に支障を来たすのなら君は歴史に誇るべき無能者だ。どこぞの先生よろしく『絶望した!』と叫んでやろう」

「奴の働きに不満はない」

「ほら見たまえ」

「強いて言えば、のらりくらりと言い逃れる貴様の存在が目障りだ」

「だから、一連の闘争に表立って関わる心算はないと―――いや、よそう。これ以上は平行線だ」

 声が大きくなっていたのに気付いて慌てて矛を収める。

 この会話も何度繰り返したのか分からない。生徒会や特待コースを始めとする学校の『顔』になることを嫌う自分と、いずれはそうならざるを得ないのだから早々に慣れておくべきだと主張する彼と。

 上に立つつもりは毛頭ない。
 自分は自分の指導力の限界を知っている。過去の記憶がある故に色々と考え込み、立ち往生してしまうだろう己を知っている。
 その点、いまの彼に必要以上の記憶はなく、知識もなく、性格や態度が酷似しているものの明らかにかつてとは異なる道を辿り始めている。

 ならば、それでいいではないかと思うのだ。

 彼がこうして関わりを許してくれる限りは『下』からの目線を伝えることも出来るのだから。

 ―――時間を稼ぎたい。

 いずれは世界を相手に行動を起こす。

 だが、それは『いま』ではなかった。

 視線は窓の外の空へ向けたまま軽く微笑みを浮かべる。

「ど素人である僕なんかの意見を求めたいと言うのならいつでも聞きにくればいい。控え目なフィシスの代わりにズケズケと遠慮なく君に意見しよう」

「何故そこで姉さんの名が出るんだ」

「臨海学校前に頼まれたんだよ。不安なんです、ブルー、あの子が無茶をしていたら一服盛ってでも止めてくださいね、と」

「何をやってるんだ、あのひとは………」

 身内の恥を晒された心境で彼がガックリと肩を落とす。

「安心したまえ。君が本当に無茶をしそうになったら僕より先にマツカが一服盛ってでも止めるだろう」

「貴様はマツカを何だと思っている」

「無論、君のために生まれた、世界一優秀な君の右腕だとも」

 笑いを零しながらプリントアウトされた紙をまとめた。

 バラけた紙を揃えた瞬間、鋭い痛みを指の付け根に感じる。

「っ………」

「どうした」

「―――切った」

 左手の薬指に薄っすらと血が滲む。紙は鋭くて切りやすいのに、油断した。

 これ見よがしにため息ついてみせた生徒会長が、面倒くさそうながらも機敏な動きでポケットから絆創膏を取り出した。
 貸せの一言もなしにブルーの左手を取り上げてクルクルと患部に巻き付ける。

 慣れた、手つき。

「………用意がいいね」

「ドジな下級生はよく怪我をする」

「憧れの生徒会長の前ですっ転ぶ女生徒でもいたのかい? ―――ありがとう。助かったよ」

 手当てされた指に右手で触れて相手を見上げると、妙に真面目な表情で(それでなくても彼は常に真面目だ)見詰められているのに気がついた。

 何がそんなに気になるのだろう。

「どうかしたのかい」

「―――伊達眼鏡はそのままか」

「外すつもりはないよ」

 嗚呼、これもまたいつもの会話だ。
 ちょっとだけ困ったように眉根を寄せて、軽口の類としてかわす。これを外せば見えるのは真紅。至近距離で見遣れば嫌でも自覚せざるを得ない罪の証だ。

 紛うことなき血の色、生命の色。

 性質の悪さを自覚しながら薄っすらと笑う。




「―――僕の瞳がキライなくせに」




 案の定、相手はものすごく嫌そうに頬を歪めた。
 嫌がらせの原因など『いま』の彼には微塵も関係ないのだけれど、まあ、大目に見てもらいたい。
 どこかうろたえたように、落ち込んだように、彼は言い返す。

「嫌っては、いない」

「ならば苦手と言い換えよう」

「それは否定しない」

「素直だね」

 妙なところで正直だからより一層からかいたくてならなくなる上に、時に予想外の行動をしてくれる。傍にいてこれほどに面白い人物もそうはいない。果たして彼にとっての自分も「面白い」のかと考えたこともあるけれど、所詮は他人、特に彼に関しては決して内面に踏み込むまいと固く己に禁じていた。

 彼にどう思われていても構わない。

 あまり気にならないし、たぶん―――憎まれても、いない。

「正直は美徳だ。歳を取れば取るほど素直になれなくなる。大事にしたまえ」

「貴様は本当に14歳か」

 呆れたような声音にブルーは肩をすくめることで答えとした。
 気分的にはサバよんで400歳です、などと真実に近い戯言を述べたところで彼が混乱するだけだ。

「でもね、生徒会長」

「なんだ」

「僕は、君の瞳が好きだよ」

 君が僕のことを嫌っていても、と、相手が苛立つことを承知の上で尚も微笑みながらそう告げる。

 何処までも澄み切った蒼い色。憎しみを篭めればこれ以上はないぐらいに冷徹な色となり、親しみを篭めればこれほどに大切なものが他にあるだろうかと錯覚したくなるほどの。

 焦がれて、焦がれて、焦がれて。

 いまも焦がれ続けている。




「………『地球』の色だ」




 他に惹かれる理由などあろうはずもなく、ただそれだけに過ぎないのだと心から。

 胸を締め付ける想いに誘われるように真紅の目を閉じた。








 太陽の光が降り注ぐ屋外から薄暗い室内に目を凝らす。本と机とコンピュータとプリンターが並べられた一室は課題に奔走する自分には一番遠い部屋だった。明暗の差は内部を悟らせまいとモノの輪郭を鈍らせる。

 気付こうとして気付いた訳ではなく、気付いてしまえば目の逸らしようもなく。

 かつての姿を偽る彼の傍―――幾分幼いながらもかつてと同じ姿をした人物。

 何故、あいつが。

 何故、あのひとの傍に。




「キース………アニアン?」




 ジョミーが零した呟きは、幸いにして他の誰に聞き咎められることもなかったのだった。



 

※WEB拍手再録


 

ブルーさん絶好調!!(キースいじめが)

初掲載時にはこの文章の後に質問が記されていました。質問内容は

「アニメ17話までの記憶しか持っていないジョミーは、この後どうするでしょうか?」。

その結果を反映して続きが書ければいいのですが―――どうだろうな………。

 

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