004.安眠妨害


 

「―――おりょ?」
 定春の散歩から帰ったら男が眠っていた。
 昨夜の遅くになっても帰らず、空が白んできても戻らず、結局日が昇りきってから帰宅した不良(年齢的にはギリギリ20代)青年が、布団を敷くことさえ面倒くさかったのかソファの上でだらしなく腕を伸ばしていびきをかいていた。
 いつもどおり定春が奥の部屋に引っ込んでから、神楽はどっかと容赦なくソファの背を蹴り上げる。
「おら! 不良息子、こんな時間までどこほっつき歩いてたね! 目を開けるがヨロシ!」
「んあ〜………」
 訳のわからないことを呻くばかりで相手は動こうともしない。それでも意地になって繰り返し蹴飛ばしているとようやく観念したらしくのっそりと顔を覆っていた腕を上げた。相変わらず死んだ魚のような目をした男だ。
「なんだよ神楽、邪魔すんじゃねーよ、銀さんはいま消耗した糖分を補充すべく眠りの世界に誘われてる最中なんだよ」
「糖分なら冷凍庫の中にあるネ。もっとも大半はわたしの胃袋の中ヨ」
「おいおいおいちょっと待てちょっと待てちょっと待てよ、昨日買いこんだあの大量のアイスが既に大半は腹の中って………あ〜、………もーいーわ。だりぃ………」
 甘味には人一倍うるさい彼が妙にあっさりと引き下がった。そしてまたグズグズとソファに沈み込む。
 この男が朝帰りをするのは珍しいことではなかった。ふと気づいた瞬間にいなくなっていたり、こちらが寝ている間に出て行ってたりと、フラついてばかりで不摂生なことこの上ない。だから自分はそんな家主(事務所自体が借家だが)と違って健康的に生きてやるのだと知らず知らずに決意している。
「………銀ちゃん、そう言えば」
 ポツリと呟いた。
 相手はソファに顔を埋めたまま起きる気配もない。
「前に姉御が、銀ちゃんがいない時はどこかの女と合体でもしてると思えと言ったヨ。それってどういう意味?」

 ―――あの女、ナニを教えてんだか、と。
 実に嫌そうに男は目を開けた。

 いつだって彼は神楽を子ども扱いする。今日もまた不真面目な彼らしく適当な強さでひらひらと手を振った。
「合体つーよりは搾り取られてるんだよ地獄の三丁目だよゴジラVSキングギドラの現場に居て何が楽しいってんだかもーホント頼むから巻き込まないでってのが実情に近いんじゃね? まぁ心配しなくても毎度毎度お邪魔してるワケないし、みんなの銀サンは等しくみんなの銀サンだから」
「誰がそんなこと聞いてるか天然パーマ」
「天然パーマを馬鹿にする奴は天然パーマに泣くんだぜ、神楽」
「泣かせてみせろよコノヤロー」
 更に力を込めればついに耐え切れなくなったソファは床に沈んだ。それでもしがみ付くようにして意地でも動かない男の態度はいっそ天晴れというものである。
 妙に悔しくなって神楽はうめいた。

「わたし、銀ちゃんのこと嫌いヨ」

「あ、そう」
「ときどきお酒の匂いがする。タバコの匂いがする。女のヒトの白粉の匂いがする。そんな銀ちゃんは嫌いヨ」
「ふーん………」
「でも、普段の日向くさいお菓子の香りしかしない銀ちゃんは大好きヨ」
「………」
 返事は聞こえない。たぶんまた夢の世界に舞い戻ってしまったのだろう。呆れた男だ。
 結局、神楽がどれだけ好きと言おうと嫌いと言おうとこの男は全部受け流してしまうのだ。いっそのことトコトン好きだの嫌いだの言い続けてやろうか。そしていつか、この男が自分のセリフに一喜一憂するようになればいい。
 日の光が差し込み始めた室内には男の高いびきだけが響き渡っていた。
 成す術もなく佇んだままの神楽の耳にふと戸を叩く音が割り込んでくる。

「もーしもーし。誰もいねぇんですかー?」

 寝転がった男に目をやるけれども起きる気配はない。万事屋を訪れるなんて実に珍しい客は、更に珍しいことにしつこく誰かが出てくるまで粘る気でいるらしかった。立て付けの悪いドアがギシギシと軋んでも叩くことをやめようとはしない。
 神楽は渋々と足を動かす。表の声に聞き覚えがあったのも行く気になった理由のひとつだった。
「おーい、本当にいないんすかー? 仕方ないですねぃ、近所迷惑になりやすがここらで一発………」
「何やってるか、お前。公共物の破損はやめるヨロシ」
 物騒な声が聞こえる中、思い切り不機嫌な顔をして神楽は戸を引き開けた。向こう側では来訪者が丁度バズーカを肩に担ぎ上げたところで、青年と呼ぶにはまだ早い顔つきをしたその人物は少しだけ目を丸くした。
「なんでぇ、チャイナ娘。いたのか」
 嘘つけ。最初から気付いてたくせに。
 どっから取り出したんだか分からない武器で家をブチ壊そうとしていたのは真撰組の沖田総悟だった。
 神楽はなんとなくこの男が苦手である。顔を見れば突っかかってくるしゲームでは張り合うし銀時をくだらぬ事件に巻き込んでくれるしで好印象を抱いた試しがない。ましてやただでさえ機嫌の悪い今朝に至っては顔を見ただけでご機嫌バロメーターがゼロを突っ切ってマイナスに食い込むのも自然の摂理であった。
「ここはわたしの家ヨ。家に居て怒られるのは仕事のない万年ダメ親父だけヨ。ちなみにマダオはその最たるものヨ」
「そもそもてめぇは不法入国でさぁ。マダオにはマダオなりのマダオな理由ってのはあるもんでさぁ、毛嫌いしちゃいけねーや」
「わたしはこの家の工場長ある。マダオの不法侵入は断固阻止するあるよ」
 会話が成立しているのかいないのかよく分からない。
 後ろ手に戸を閉めて愛用の日傘の先をトンと床先につける。部屋の中を見られないようにしたのは今更無意味だったかもしれないが、ようやっと神楽は本来の受付としての言葉を口にした。
「何か用か、お前。言っとくけど万事屋は臨時休業中ある」
「へぇー、休みたぁ珍しい。折角儲け話もってきたんですがねぃ」
「銀ちゃんが戻ってきてないある。だから万事屋もお休みよ。儲け話ならその内メガネがやって来るから話を通しておくといいネ。わたしの時間を浪費するならきちんとマネージャーにナシつけてからアポイントを取るよろし」
「俺が用があるのは万事屋のダンナでさぁ。チャイナ、てめぇじゃねぇ」
 本当にいないんでさぁ? と無理矢理奥に押し入ろうとする相手と問答になる。傘を突っ立てて相手の腕を引っ掴んで狭い出入り口でぎゃいのぎゃいのと騒ぎあう。これでは銀時が起きてしまう―――より先に、喧しいヨ! とお登勢さんにぶちのめされるかヘドロさんにしめやかに注意されてしまうだろう。
「失礼あるヨ! いないものはいないあるヨ! 乙女の部屋に押し入るならケーサツ呼ぶあるヨ!」
「俺が警察でさぁ、ってゆーかすげぇやチャイナ、てめぇは乙女だったのか。俺ぁてっきりただの大食らいだと」
「大食らいは乙女の嗜みネ。悔しかったらお前も食らってみるヨロシ」

「―――なぁ〜にやってんの………お前ら?」

 割り込んだ声に、あ、とふたりの言葉が重なった。
 僅かに戸を開けた隙間から銀時が行儀悪く胸元をボリボリと引っ掻きながら顔を覗かせていた。
「朝から賑やかなのはいいけど騒ぐなら余所でやってくんない? ウチってばボロだから。こー見えてもボロだから。防音設備ないから」
「安心してくだせぇ、ダンナ。しっかり見なくてもこの家はボロでさあ」
 ニンマリと沖田は笑みを濃くする。
「やっぱりご在宅でしたね、万事屋のダンナ。このチャイナがいないなんていうからまだ帰ってないのかと勘繰りやしたよ」
「んー? まあ………似たような状況ではあったんじゃねぇの?」
 欠伸をかみ殺して銀時はすっかりむくれている神楽の頭の上に手を置いた。グシャグシャとかき混ぜてやれば不服そうにしながらも神楽は頬を膨らますのをやめる。沖田は黙ってそれを見つめると肩をすくめて踵を返した。
 銀時が呼び止める。
「あれ? お前、何か用があったんじゃないの?」
「いや、もうすみましたんで」
 ヒラヒラと手を振りながら沖田の背中は遠ざかっていく。
 あいつ何しに来たんだ? という銀時の疑問に、たぶん答えられるだろうと思いながらも神楽は黙っていた。
 おそらくあの男は単純に銀時がここに居るかを確認しに来たのである。儲け話があるなんてのも嘘で、本当にただ彼が居るかどうかだけを。その背景には何がしか真撰組の事情が絡んでいるのかもしれなかったが、どちらにしろ神楽が頓着する内容ではなかった。

 お前ら本当に仲いいねぇなんて呟いてる男には、きっと、一生わからない。

 事のついでというように室内に戻った男は床に突っ伏していたソファを立て直すと、はぁ、と深い息をついてまたそこに倒れこんだ。「そういや今朝は新八が来んの遅いなぁ」なんてぼやきながら。
 どうせ誰が来たって眠り続けるくせにと内心で毒づいて神楽はガラガラと押入れの戸を開ける。この際だ、自分も寝てやる。今日はもう開店休業だ。いつだって閑古鳥の鳴いている事務所ではあるが今日は進んで自主閉業だ。儲け話がそっぽむいて逃げてったって知ったことか。
 布団にくるまり不貞寝する直前に、

「―――神楽」

 ぼそりと声が聞こえて自然と身体が動きを止めた。
 ………いつから自分はこうなってしまったんだろう。悔しいから思い切り顔をひしゃげながら相手を見下ろしてやった。
「何か用アルか。乙女の眠りを妨げる奴は馬に蹴られて地獄行きヨ」
「ばーか、そりゃあアレだよ、ほら、ヒトの弔辞を邪魔する奴ぁって、あれ、何か違う? 何か違うよな?」
「鬱陶しいネ、用事があるならとっとと済ませるがいいネ」
 どげしゃ! と蹴りを食らって復活しかかったソファがまたひしゃげる。ツッコミ役がいなければどこまでもとことんボケた会話が繰り広げられるしかないのだ。
 しかし、次の瞬間。

「………銀ちゃん」
「あー?」
「何してるアルか」
「んー?」

 いつの間にやらしっかり相手の腕に掴まって、神楽は抱き枕にされていた。
 酒の匂いも、タバコの匂いも、白粉の匂いもキライだと言ったのに果たしてこの男は人の話を聞いていたのだろうか。鼻先に当たる彼の胸元からはしっかりそれらの匂いがして何だか泣きたくなってくる。むずがる子供と同じようにしきりと首を振った。
「苦しいあるヨ、銀ちゃん。離して」
「………」
「聞いてるか? 起きてよ、銀ちゃん。わたし自分の布団で寝るヨ」
 揺すっても叩いても反応しなかった男はそこでようやっと薄目を開けた。どこを見ているんだか分からない死んだ魚のような目。でも、太陽の光を受けて透き通る色合いは―――たぶん、キライじゃない。
 ニンマリと性質の悪い笑みを彼は浮かべた。

「―――安眠妨害」

「………え?」

「お前、すぐ安眠妨害してくれっからな。こーしてりゃ動きようもなくて妨害しようがねーだろが」

 それはもしかしなくても先ほどまでのソファふっ飛ばしとか玄関先のやり取りとかを言っているのだろうか。冗談ではない。少なくとも、来訪者との騒ぎは神楽だけの責任ではない。
 反論したかったのに相手はまたすぐに瞳を閉じて寝息を立て始めてしまった。本当に昨夜はどこで何をしていたというのだろう、普段から気だるげな男が今日は目の下にクマまでこさえている。ブン殴ることも出来たのに何故か気が削がれて神楽はおとなしく彼の腕におさまってみた。
 懲りずに呼びかける。

「ぎーんちゃん」
「………」
「銀ちゃんてば」
「………」
「銀ちゃんの―――天パ。プー太郎。甘党。役立たず。ごく潰し。家賃滞納。人間失格」

 思いつく限りの悪口雑言を並べたててみて改めて驚いた。なんて欠点が多い男だろう。
 なのに、さして気にしてるワケでもない自分に尚更驚いた。

 そっとため息をついて改めて彼の胸元に顔を埋める。先ほどまでは嫌で嫌でならなかった酒やタバコの匂いも時間と共に大分薄まってきていて、これぐらいなら耐えられないこともない、と神楽は考えた。

「―――匂いが消えるまでは、とことん安眠妨害するアルよ」

 つられるように瞼を閉じたのは数秒後。
 ふたつの寝息が響き始めたのは数分後のことだった。




 ―――そして。
 朝っぱらから妙と近藤の争いに巻き込まれて珍しくも遅刻した新八が、ソファで仲良く抱き合いながら眠るふたりを有り難くないことに見つけてしまって。

 「これっていわゆる親子愛なのかなぁ」、と。

 普段より随分やわらかなツッコミを入れるのは更に半刻ほども経過してからのことであった。

 

※WEB拍手再録


 

珍しく主人公と(一応)ヒロインの絡み。このふたりのどっちつかずの関係が好きだったりします(笑)。

そしてこちらも原作を持ってない段階での見切り発車なのでした………。 ← いい加減にしろヨ。

 

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