※何故か急に『戦国BASARA』で真田主従。

※アニメはザッピング、ゲーム未プレイ、公式ぱら読み、サーチだけ熱心。

※色々とサイト様を巡った結果として佐助は低賃金で働くおちゃらか根暗忍らしいと認識。

※色々とサイト様を巡った結果として旦那はお館さぶああ! と団子のひとらしいと認識。

※それだけの知識で創作ってぶっちゃけ二次創作どころか三次(ry

※旦那がうざったくも乙女な微妙ツンデレ風味に仕上がりました。誰よこれ。

 

 

 

 ―――旗の後ろに広がる空は薄い。青とも白ともつかぬ色合いはひどく寒々しく、舞い上がる土埃に目を細めながらも真っ直ぐに前を見詰めた。
 眼前には犇めき合う兵たちが出陣をいまかいまかと待ち構えている。開戦を間近に控えたこの時はひどい緊張と高揚に襲われ、けれどもそれが決して嫌ではない。敬愛する人物のためにも、いつか決着をつけるべき宿敵のためにも、城で帰りを待つ者たちのためにも、いつも、いつとても己は負けられぬ。
 強く両手の槍を握り締めて背後に佇む部下へと呼びかける。
「もう間も無くだな、佐助!」
「そうだね、旦那」
 いつもどおりの落ち着いた声。遠くから鴉の声が聞こえるのは、彼がそれを使って己が戦場へと赴くためだ。今日は珍しくも別々の配置を言い渡された。俺がいないからってひとりで突っ走るんじゃないよとしつこく言い聞かされ、心得ておると胸を張って宣言したが微塵も信用されてはいまい。
 だからきっと、出陣を前にしたこの時もまた、嫌味とも忠告ともつかぬ言葉が紡がれるのだと思っていた。あるいは茶化されるか脅かされるか叱咤激励されるか、いずれにせよ数々の言の葉を聞き流しつつも受け止めて、いざ出陣となるのが常であった。
 だが、何故か。
 ただ一言の返事より他に返されるものはなく。
 訝しく思い振り返れば、彼は腕を組んだまま遠くをじっと睨みつけていた。
「どうした、佐助。気に掛かることでもあるのか」
「そうじゃない。そうじゃないんだけど―――」
 ひどくもどかしそうに部下は視線を逸らす。眉根を寄せて悩んでいるような、躊躇っているような表情。彼は忍ではあるものの普段ならばもっと呆気羅漢としているのに、なにゆえに迷えているのかと。
 部下が口を開きかけた瞬間。
 大きく銅鑼が鳴り戦の始まりを告げる。途端に当然のことながら相手は口を噤み、迷いを苦笑へと切り替えて軽く首を振る。「ま、いっか」と呟いたきり踵を返して空を見上げる。何か言うことはないのか。
 ―――何か。
「そのような態度を取るとは珍しいな。気になるぞ、佐助。答えよ」
「なーんでもない。なんでもないよ。それより、旦那こそあんまり無茶はしないでよね」
 確かにいまの言葉であれば常日頃から耳が痛くなるほどに聞かされている。
 告げながらに彼は笑う、笑う、笑う。
 ………笑う。
 何も返せずに居るうちに「行くぜ、鴉」と口笛ひとつ、舞い降りた大鴉の足に掴まって移動を開始してしまった。自分とて持ち場につかなければならない。
 とは、分かっている。けれども。
 今日ばかりはこころ惹かれ、遠ざかる影に視線を追い縋らせて叫ぶ。
「佐助―――待て!」
 鳥に運ばれる影は止まることなく流れて行く。
 待て。待て。待て。
 何か言い損じてはいないか、お前だけの話ではない、俺の話でもあるのだからとにかく待て。もはや開戦の狼煙は上がるともお前ならば多少こちらに耳を傾けるぐらいできるはずなのだから。
 だから、待て。

「待てと言うのだ!!」

 ―――静まり返った室内に。
 響き渡った己が声に眠りを破られた。
 視線の先には規則正しい木目の天井と虚しく掲げられた己が右腕、障子ごしに穏やかな日の光、耳は小鳥の鳴き声と下働きの者たちの密やかなる会話を捉える。
 深く息を吐き出して、幸村は何度か瞬きを繰り返した。
「………夢か」
 これでもう何度目のことかと数えるのは、二十を過ぎた辺りで疾うにやめていた。




 上田城の城主・真田幸村は先の戦で部下をなくした。
 ―――と、いうのがここ半年ほどの事情を知る者達の認識である。
 亡くしたのではない、失くしたのだ、というのが当人の主張だが周囲は信じてくれない。幸村は、あのふてぶてしい忍が訳もなく姿を消すはずがないと頑なに思い込んでいるのである。もはやそれは揺るぎようがなく、もしも尊敬する武田信玄に諭されたならちょっとは考えるかもしれなかったが、やはり最終的には「佐助は戻る!」となってしまうので、どうにも変えようのない固定観念になっていた。
 つまるところ、事の原因はすべて戦が終わっても戻ってこなかった猿飛佐助ただひとりにあった。
 彼は非常に優秀な忍であったので、常ならば単独行動に走りがちな幸村の抑えとして配置されていたのだが、何故かその折りは同じ戦場においても異なる場所へ赴くことになっていた。お陰で幸村は普段より少しだけ前に出そうになることを自重する必要が生じ、後先考えずに踏み込めないことに幾許かの不完全燃焼を覚えつつ戦自体は無事に武田軍の勝利で終わった。
 陣に引き返しお館様と殴り愛をし部下の様子を確認し己が掠り傷の手当てをし、さて、後は城に戻っての褒賞だとなったところで、いい加減、佐助の帰りが遅いことに気がついた。彼の持ち場まで迎えに行こうとしたらお願いですからやめてくださいと忍隊の面々に懇願され、わかった、とにかく早く戻れよと渋々ながらも引き下がり。
 ―――いまにして思えば、それが早計であったのやも知れぬ。
 結果が同じだったとしても、自らの目で彼がいないことを確認したならば、繰り返し彼との会話を夢に見ることもなかったのではないか。
 何の情報もなしに戻った才蔵たちに、念のためにと発した問いはひとつきり。
「才蔵。此度の配置換え、誰が申し出た」
 俺はあいつにはいつも通り背につくよう伝えたのだぞと静まり返った場で問わば、忍は「佐助です」とだけ応えた。
 よって、ならばもうよい、と幸村は判じたのである。
 佐助が自主的に戻らないのならそれだけの事情があったということだ。何ひとつ説明されていなかったことは腹立たしくもあるが、忍らしからぬ派手な風体と態度をしていても彼の本質はあくまでも闇。主にも嘘のひとつやふたつ、要不要に関わらず幾つでも吐くだろう。
 幸村が何処か達観しているのは、肝心な時には佐助は嘘が吐けないと知っているためだ。嘘の内容までは分からずとも嘘を吐いているのかどうかは分かる。あれほどに分かりやすい忍もいまい、とすら幸村は思っている。
 それに、もし佐助の身に何かあったならば自分が気付かぬはずがないと分かっていた―――他の者に言わせれば思い込んでいた―――ので、幾度か捜索部隊を編成はしたものの雪が降る頃にはやめさせた。ただ、任務で各地に赴く際には各々気を配れよと広く通達したのみである。 
 いずれにせよ佐助は秋が過ぎ、冬に入っても戻ることはなかった。年の暮れに差し掛かり、年が明け、新年の門出を祝う頃になっても戻らなかった。去年の今頃は佐助と共にお館様や各武将への新年の挨拶を行っていたのだなと考えると周囲を隙間風が通り抜けたようで、首を傾げつつ左胸に手を当てたところで寒さの原因など分かるはずもなく。
 新年の祝いの席で信玄に「変わりはないか」と普段よりも更にあたたかみを感じる声で語りかけられた。「まったく問題ございません!」と胸を張って応えると「そうか。未だ佐助は戻らぬか」と返された。ついでの如く、優しい手つきで眉間の辺りを拳で押される。気付かぬ内に皺が寄っていたらしい。なんだ、これでは小十郎殿のようではないかと、宿敵の右腕として活躍している人物を連想した。




 朝の光に導かれて布団から這い出し障子を開く。ところどころに残る雪が太陽を反射する眩しさに目を細め、吐く息の白さを見詰めながら背を伸ばす。深く吸い込んだ冷気が身体の中から目覚めを促す。
 顔を洗い、衣服を整え、朝食を採る。苦菜が含まれていたことに箸が迷うが、好き嫌いをしては強くなれぬと、幼少の砌より付き従う忍に告げられたのを思い出して渋々と口に運ぶ。しばしの休憩を挟んだのちに槍の鍛錬を行い、汗を流してからは自室にて政務に取り組んだ。政はいまでも分からぬ部分が多い。父上や兄上のようには行かぬと唇をへの字に曲げながら必死に取り組む。以前は只管に放置していても本当に危うくなったら佐助が焚き付けに来た。苦手なのは知ってるけどあんた一応城主だろ、槍の腕ばかりじゃなくて頭も鍛えたらどうなんだい、そうだ、ひとつ仕事を終えたら団子をひとつあげるよ、え? もっと欲しい? 甘ったれてんじゃないよ、あんたが仕事を滞納させた分だけ他が迷惑被って、引いてはあんた自身やお館様が困ることになるって分かんないの………。
「わかっておる!」
 思わず、現実に言い返してしまう。
 まったく、実に口うるさい奴だった。思い出すだけで眉間に皺が寄る。が、佐助がいない以上、自分で注意を払っていなければ仕事が溜まりに溜まってしまう。分を弁えた他の部下たちは主を机の前に追い立てることすらできないのだから。
 墨をすり、文を認め、内容を改め、判を押す。
 お陰で最近は「幸村様が真面目になられた」と専らの噂らしい。偶に城下におりてもそうだ。大好物の団子を売っている笹屋の主人にまで言われてしまった。お久しぶりですね、とっときの団子を作ってお待ちしておりましたよ、そういやうちの次男がちぃっとばかり遠くに店を構えましてね、よろしければ顔を出してやってください、その時はおふたり一緒だといいですねと、こんな茶店の主にまで自分と佐助は対のように思われているのかと今更の事実を再確認するに至った。
(………まだ残っていたはずだな)
 出来立てが一番美味いけれど、そう何度も出かけることはできなかったし、なんとなく佐助以外の忍を使うのは気が引けた。居ないことを理解しているのに何処か受け入れていないらしい。呼べば来る距離に彼が居ないことが不思議でならないらしい。ぼんやりしていると団子が欲しいとか鍛錬に付き合ってくれとか遠乗りに行こうとかお館様に会いに行くぞとか、誰も居ない空間―――実際には佐助以外の忍が潜んでいる―――に呼びかけそうになってしまい苦労している。団子が欲しいと思った時、自然と彼の名を紡ぎそうになるのが面倒でならない。
(馬鹿奴が)
 いまは、団子が腐らぬ範疇で惜しみながら食べている。今日も、この文を書き終えたら味わいながら食べることとしよう。好きな団子を好きなだけ食べることができないとは何たる苦行。こんな苦行を強いる遠因となった忍が帰って来たらそう詰って、今度こそ腹いっぱい団子を頬張ってやろうと今から幸村は計画を立てている。
「幸村様」
「なんだ」
 天井裏から呼びかけられて筆を止める。降り立った黒い影が恭しく一通の書を差し出した。
 ご苦労であったな、下がっておれ、と告げるや否や相手の姿は掻き消える。まこと忍とは面妖な技を使うものよと感心しながら届いたばかりの書に目を落とした。見覚えのある筆跡と押印に自然と頬が綻ぶ。それは間違いなく、奥州に住まう宿敵よりの文であった。
 この時ばかりは政務も投げ出し即座に文を開く。彼は実際に相対すれば異国の言葉で挑発してくるが、蹟においては真面目な口調である。どちらも政宗殿の本質であろうと好ましく思いながら読み進めれば、曰く、年が明けて暦も春となり、奥州の雪も解け始めた。
 手合わせ願いたい―――と。
 現時点で武田と伊達は同盟関係にあり、自分が上田と奥州を行き来したところで外交上の問題はない。小十郎が春菜を摘んで待ってるぞと書かれているのを見てなんとも嬉しくなる。
 確かに、存分に槍を振るえる相手がいない状況には物足りなさを感じていた。その点、政宗ならば相手にとって不足はない。否、これ以上を望みようがないほどの好敵手だ。もっと鍛えてゆかねば政宗殿に侮られてしまうなと浮かれ気分で筆を手に取り。
 ふと。
 先刻まで読み進めていた報告書の内容が脳裏を掠めた。確かあれは―――………。
 筆を握り締めたまま動きを止めて、聊かの迷いの後に才蔵を呼び出した。
「才蔵」
「此れに」
「報告書の中に、西に不穏な動きありとの文があった。事実と思うか?」
「事実と存じます」
 即座に抑揚のない声が返った。
 事と次第を確認した幸村はすぐに部下を下がらせた。ついでに茶を持って来いと言いそうになって、それこそ小姓にでも頼めばよいのだと考え直す。忍は団子の買い出しや茶の持ち運びやくだらぬ馬鹿話の相手のために居る訳ではないのだ。
 軽くひとつだけ頭を振って新しい紙を広げる。奥州へ赴くことはできぬ旨を説明せねばならない。自分とて政宗と仕合たかった。小十郎の用意してくれた野菜に舌鼓を打ちたかった。それもこれも全部あやつがおらぬからいかんのだと内心の憤りを堪えながら筆を進める。佐助が居れば周辺各国の様子を見ながら日程を調整してくれたろうに、自分や政宗の機微を知らぬ者では、たとえ才蔵であっても上手く取り計らうことはできない。
 時候の挨拶、誘ってくれたことへの礼、ついで詫び、まで書いたところで筆は止まる。またしてもいつぞやの忍の言葉が脳裏を過ぎったのである。彼はあれでも主従の線をきっちり引いていたので、主の記した書を横から盗み読むような真似はしない。ただ、自分がぶつぶつと書き終えた文章を読み上げていたがために彼の耳に入ってしまったのだ。あの時は先の戦で負った傷が治りきっていないが故に主治医に止められたのだが。
『あんたは馬鹿ですか!』
 正面切って呆れ顔をされれば流石にむっと来る。
『馬鹿とはなんだ、馬鹿とは』
『目の前に居る真田源二郎幸村っつーお方のことだよ。まったく、戦場ではあんだけ野生の勘が働くってのに城に戻るとどうしてこうなるかね。馬鹿じゃないのにどうしてこんなに馬鹿なんだ』
『しつこいぞ、佐助! 何が言いたい!!』
『俺だってわざわざ主人に向かって馬鹿だの阿呆だの言いたかないよ。ただね、幾ら親しい仲とは言え自分が怪我してることを正直に相手に伝えるのは愚かだっつーの』
『何故だ』
『その文、誰が届けると思ってんだよ。ま、今回はうちの忍だけど。まさか俺みたく竜の旦那の寝所に忍び込んでからかってくる訳には行かないし、当人か、右目の旦那に直に渡せればいいけど上手く事が進むとは限らないからね』
『寝所になど忍び込んでいたのか。なんと迷惑な―――』
『いまはあんたの話でしょ! いつ何処で文が奪われたり摩り替えられたりするか分かんないんだから注意しろって言ってんの! 途中で刺客にやられて偽装されるとか、伊達の部下と思って手渡したら実は他国の密偵だったとか、そーゆー事態だって充分に起こり得るんだよ。物事に絶対なんてのは有り得ない。可能性は低くとも、万が一にでも文が敵兵に奪われたり、奪われなくとも読まれたとしてみなよ。虎の若子たる真田幸村が負傷? 武田の領地を狙う周辺諸国にとっちゃ実にめでたい報せだろうねえ。好機とばかりに反旗を翻す輩だって出てくるかもしれない』
 べらべらとまくし立てた佐助はちょっとだけ息を切ると、ひとよりも少し変わった色の瞳をじいっとこちらに向けた。
『旦那は―――無駄に戦を起こしたいのかい?』
 そんなことはないぞ、と。
 渋りながらも同意するより他はなかった。
 まったく、思い出しただけで腹が立ってならない。もとより弁舌は忍の方が優れているに決まっているのだから自分は圧倒的に不利なのだ。
 その後も何度か、幸村は怪我を押して出かけたり、何か起こるかもしれないから城に居た方がいいよと言われても出奔したりした。大抵の行き先は奥州であり、その殆どに佐助は黙って付き従ったが、時に才蔵と入れ替わっていることもあった。何を勝手なことをと苛立ちながら城へ戻れば、忍装束に身を包んだ佐助からは血の匂いがしたことも多々、消しきれぬほどの返り血を浴びたかと問えば「これでも洗ったんだよ」と肯定され、お前はお館様のために戦える機会を俺から奪ったのかと詰れば「いい加減にしてくれよ」と嘆息された。
「戦があると知っておれば俺とて奥州へは赴かなかった!」
「ちゃんと不穏な空気があるって説明しといたでしょ………ほんとヒトの話きいてないんだから」
 知らない、聞いていないと主張しても呆れられる一方であったけど、彼の戦場に己が居ないことはこの上もない不満であったから、やはり、簡単に許してやる訳には行かないのであった。
 おそらく彼は幸村の説得を諦めた後は、共に奥州へ行けない理由を捏造して部下を代わりにつけ、必要とあらば戦場に赴いて事を収め、何もなければそのまま城で他の物事に精を出していたのだろう。つまりは幸村に対する嘘である。引いては政宗たちへの、ともすれば武田信玄への偽りである。佐助は嘘を吐くことには慣れていると言っていたがあまり楽しそうにも見えなかった。
 あらためて視線を手元へ戻せば墨は疾うに乾いてしまっている。文も途中で止まっている。書き直さなければならないがどう書けばいいのかと迷う。もとより己は嘘を吐くことが下手だ。隠そうとしたところで文章の端々から色んなものが滲み出ていたとしたら無意味なのではないか。「やんごとない事情により、とか適当に書いておけばいいんじゃない」と平然と答えてくれた部下の頬を引っ張りたい。その「適当」ができないからこそ苦労しているのではないか。
 彼が居ないいまとなっては幸村が楽しくもない嘘を引き受けねばならぬ。高度な政治判断だの謀略だの駆け引きだのは苦手だ。考えが浅く、二手、三手先を読むのも不得手であると心得ている主に社交辞令という名の嘘を吐かせるなど、やはり、佐助はひどい部下である。
 いつもの三倍以上の時間をかけて仕上げた文は、いつもの三分の一以下の長さで終わっていた。




 ――― 一月ののち。
 幸村は戦場に居た。
 かねてからの情報通りに地方の豪族が反乱を起こしたのだ。真田の領土近くでの動きとあらば黙って捨て置く訳にも行かぬ。早速とばかりに信玄に出兵を願い出て受理された。隊を組織し、斥候を放ち、平地においての合戦と相成った。
「うおおおお!!」
 二槍が炎を纏い敵兵を薙ぎ払う。血が飛ぶ。視界が赤く染まる。飛来する矢を打ち落とし、刀を跳ね除け、薙刀を叩き折る。主君が居らずとも主君のために。振るう槍は只管に敬愛する己が主のために。
 反乱を起こしはしたものの相手の国力は弱い。謀反の気配を察した真田忍たちが先に周辺諸国からの助力の道を断っていた。必要以上に追い詰める必要はない、懲らしめたならば後は再び味方として囲い込めばよい。正直、幸村自身は交渉ごとに向いた性格をしているとは言い難かったが、やらねばならぬとあらば逃げる心算はない。
 踏み込む、槍を突き出す、薙ぎ払う、蹴り倒す。
 槍の先端が敵軍の将を落とした。
「勝鬨をあげよ!!」
 歓声、悲鳴、怒号、法螺貝と銅鑼の轟音。
 自軍の鬨の声を背に逃げる敵兵たちの後を追おうと更なる一歩を踏み出した瞬間。

『―――危ないよ!』

「!!」
 反射的に飛び退いた。
 一瞬前まで己が居た場所に深々と矢が突き立って肝を冷やす。直後、地に落ちていた刀を引っ掴み豪腕を生かして投げつける。遠くで射手が苦悶の声をあげるのが聞こえた。
(いかん)
 気付けば付いて来ている部下も疎ら、明らかに己のみが突出し過ぎている。必要以上に追い詰めてはならぬと先の軍儀でも定めたはず。己が振る舞いを反省し、敵を追いかけるよりも近場で劣勢になっている味方を守るに努めた。持ち堪えればよい、勝敗はついた、功を焦る必要はない。予定通りの勝利を得られたとて、その折りに自らが余計な手傷を負うのは予定外の損失である。
 地に立つ無傷の敵兵は居なくなり、味方が凱歌をあげるのを聴きながら幸村は息を吐いた。
(あれは―――………)
 先刻の、あれは。
 いまとなっては懐かしさすら覚える部下の声だと思えたけれど、辺りを見回したところで姿はない。だが、確かに、彼が此処に居たならばあの瞬間に静止の声をあげたに違いなく。
 いや、すべては思い込み。ただの幻聴か。
(………なんだ)
 気付いたら急に肩から力が抜けてしまった。両の腕をだらりと下げれば槍の先端が大地を抉る。
 自分が、―――上田を留守にしている折りに。
 国を守っていたのは佐助で、地方の動きに目を配り、必要とあらば忍を率いて謀反の芽を摘んできたのも彼である。いまは逆の立場であるが、城に戻っても忍はいない。居たとしても「あんたばかり戦ってずるいよ」などと言いはしない。せいぜい「また無茶したんだろう」とか「ご苦労様」とか「少しは休んだら」とか幼い子供に対する口調で語りかけてくるのみで。
 だから、きっと。
(あの時とて)
 同じはずだったのだ、と、繰り返し思う。
 夢の中の佐助は何かを言いたそうにしているくせに結局は何も言わずに去って行く。もとより己は彼が語ろうとしていたことを知らぬ。戦闘の合間に幻聴を聞き、事あるごとに思い出し、自らの不在を埋めるように戦に参加していた彼の苦労に今更思い至ったのに、何ひとつ理解することができない。
 嗚呼、やはり、無理矢理にでも聞き出しておくべきだった。
 なんでもいいから声が聞きたい。
 やたらと痛みを訴える心の臓が煩わしく、ほんのちょっとだけ潤んだ目元を擦った。




 ―――今日も今日とて、いつも通りの朝に目が覚める。
 いよいよあたたかくなってきた空気はまどろみを誘い、偶にはいいかと久方ぶりに甘えが顔を覗かせる。もう自分は寝相の悪さゆえに障子をぶち破ることも鍛錬ついでに庭の木を薙ぎ倒すことも食べ物の好き嫌いを言うことも書の整理を嫌がることもない。他の武将たちとの交渉だってきちんとやっている。
 やっている、のに。
 これだけ頑張っているのに。
(何故だ………)
 何故、未だ彼は戻らぬのだろうかと寝惚けた頭で考える。
 もしかしたら佐助は幸村がこんなに頑張っているのを知らないのかもしれない。気付いていないのかもしれない。あるいは何処かで主君が立派になったと聞いて胸を撫で下ろし、「じゃあもうちょっと不在にしててもいいよね」とのんびり考えているのかもしれない。
 でも、それは。
(嫌だ………)
 ぐずぐずと顔を布団に押し付けながらぼんやりと思った。
 あまり意識しないようにしていたけれど、本当は本当に嫌だったのだ。彼が死んだなんてことは絶対に有り得ないといまでも信じているけれど、では、どんな理由があって戻らないのだとこころが叫び始めている。彼に限って武田を裏切ることはない。幸村を裏切ることなんて決してない。一方で、騙すことはあるかもしれない。彼は非常に嘘が得意で、小さい頃はしょっちゅう騙されては泣く羽目に陥っていた。お陰でいまでは彼が吐いた嘘の内容までは分からずとも嘘の有無は見抜けるようになった。でも、それとて実際に彼に会わなければ判じようがないことである。
 なんだか目頭が熱い。
(知らん………もう、佐助なんぞ知らん………)
 こんなに立派になったのに褒め言葉のひとつもないなんて。
 こんなに努力しているのに戻って来てくれないなんて。
 あんたがやってるのは城主として当たり前のことだよ、これまでが異常だったんだよと呆れられるのだとしても、一番に傍で認めて欲しい人物がいないのにどうして頑張り続けなければならないのか。できることなら幸村はいつだって呆れながらも苦笑を返して欲しいし、厳しい言葉を告げながらもお菓子を買って来て欲しいし、今日だけだからねと何度目になるか分からない建前を述べて頭を撫でて欲しいのだ。とにかく甘やかして欲しいと願うのだ。
 母親は疾うにいない。父や兄に頼り切るには聊か躊躇する。信玄は敬愛する主君であり、政宗はよき好敵手であり、無様な姿など見せられない。あまりにも甘えきった本性を晒して幻滅されてもよいと、幻滅しても尚、傍に居てくれると思えるのは彼ぐらいなのに。
 鼻を啜って唇をきつく噛み締めた。
 布団の中に頭を埋めていると障子の向こう側に誰かが来た。女中や小姓のそれよりも薄い気配は間違いなく忍のものだ。ここ最近とは違い幸村の起きてくるのが遅いために進んで顔を出してきたと思われるのだが、常ならば黙って潜んでいるだけの者が何用か。
「………幸村様」
「才蔵か。いま少し休ませろ」
「ご報告したき儀がございます」
「うるさい。後で聞く。俺は頭が痛いし耳鳴りもするし身体もだるいのだ。皆にもそう伝えろ」
 今日は何を言われても動かないぞとすっかり不貞腐れてより一層布団の奥底へと身体を沈める。
 障子の向こうに薄っすらとした影と気配のみを覗かせる人物は「然様でございますか」と呟き、さらりと付け足した。

「ならば、佐助の居場所をお伝えするのは後日で構いませぬな」

「………!?」
 勢いよく布団を撥ね退けて障子を開け放つ。
「さ、才蔵! いまなんと―――うおわっっ!!?」
 足が滑ってつんのめり、縁側を飛び越えて庭へと落下した。ぐきり、と鈍い音がしたがいまはそれどころではない。僅かに雪の残る地面に寝巻きはすっかり汚れてしまったが気にする余裕もない。慌てて身体を廊下へと返せば無神経な部下は幸村の突撃を避けてあっさり屋根へと避難していた。
「才蔵!!」
「お休みになられるのではなかったのですか」
「うるさい! 佐助の居場所が分かっただと!? は、早く言え! あやつめ、こんなに長い間何処へ行っていたのだ!!」
 部屋に駆け込み急いで服を着替える。ぼさぼさの頭髪もそのままに、布団や脱ぎ散らかした寝巻きは隅に追いやって、二槍を取り出す時間も惜しく、枕元にかけていた護身用の刀を代わりに手に取った。
「よし、行くぞ!! 案内せい!」
「幸村様、ご朝食は………」
「要らぬ! 至急、布令を出せ!」
 主の言を受けて何名かの忍が姿を消す。才蔵ならば既に行く手には先触れぐらいしてあるかもしれぬが、気ばかり急いて仕方がない。
 この頃になれば城の者たちも主の只ならぬ様子にざわめき始める。廊下や庭の其処彼処から様子を窺い見ているが、生憎、いちいち答えて安心させてやるだけの暇がない。みつかったと聞いた瞬間から幸村の脳裏はその一点だけに占められてしまっているのである。城主としての対面も義務も何もない。とにかく行かねばならぬ。厩へと向かう幸村の背後から忍たちが付いて来る気配がした。
「幸村様、如何なさったので―――」
「出かける! 才蔵たちが付いておるゆえ心配するな!!」
 戸惑いも深い部下たちの問いを切って捨て、厩に到着するや否や愛馬の手綱を取る。世話係の言葉など聞いているようで聞いてはいない。
 居場所を聞かされてみれば山ふたつ越えた程度の近場ではないか。半年もの間、そんな至近距離でのうのうと暮らしていたのかと憤慨する。武田を離反した訳でも、真田を裏切った訳でも、ましてや幸村を見捨てた訳でもあるまい。されども、近くに居ながらにして無事を伝える文のひとつも寄越さなかったことに腹が立つ。
 怒りに駆られるままに幸村は馬の腹を蹴る。走り出した景色。背後で城の者たちがわあわあと騒いでいたが頓着しなかった。
 部下に教えられたままに道を辿り、周辺の住人が何事かと目を瞠る中を疾走する。山を越え、谷に分け入り、幾つかの村を過ぎり、街道を飛ばす頃には部下が後に続いているのかどうかも分からなくなっていた。
 只管に駆け続けてどれほどの時間が経ったろうか。目覚めた時には低い位置にあったはずの太陽が既に中天から下りへと入り掛けている。腹が減った、喉が渇いた、馬を休ませてやりたい。が、それ以上に急ぎたい。
 やがて目の前にひとつの村がぽつんと姿を現す。顔面に喜色を浮かべた。才蔵の告げた村はあそこに違いない。
 畦道でのんびりしていた村人たちが突然の馬蹄と嘶きに驚いてこちらを見遣る。馬上の人物が武士であると見て取ったか、やや怯えたように女は子供を抱え、男たちは鋤や鍬を投げ捨てて膝をつく。
 手綱を引き、速度を緩めた幸村は焦る気持ちを押し留めて大声で呼ばわった。
「某の名は真田源ニ郎幸村! この村に我が一の部下が保護されていると聞き、参上した次第! 誰ぞ我が部下を存じ上げぬか!」
 朗々とした語りにうろたえた者たちが周囲と顔を見合わせる。
 突然の来訪に驚かせてしまったか、不信がられてしまったかと慌てるが、どうやらそうではないらしい。彼らは一様に首を傾げ、実に不思議なものを見たと言わんばかりの眼差しをこちらに向けてくるのだ。それは、幸村の感覚が確かならば「初めて見た者」に対する視線ではなく、「既知の者」に対するものであるように思われた。しかし、幸村は一度もこの村に立ち寄ったことがない。
 しばしの沈黙ののちに、村人のひとりがおずおずと手を挙げた。
「あの………武士様は、真田―――様、でございますか」
「うむ! 甲斐の虎とも呼ばれし武田信玄公! お館様のご好意により上田の城を賜っておる!!」
「でもって、その………迎えに来た。というのは誰を、でございましょうか」
「佐助と申す忍でござる!」
 幸村の答えを受けた村人は、あらためて皆と顔を見合わせると意を決したように頷いた。
 曰く。

「真田様は―――迎えにいらしたばかりじゃねえですか」

 もしかして逸れちまったんですか、と。幸村が目を丸くするようなことを告げた。
「お………俺が、迎えに、来たのか?」
「へい」
「あ、でも、衣装が違う気がします」
「そうですなあ。確かあん時の真田様は槍を持ってらして、赤い鉢巻してらして―――」
 村人たちは口々に『真田様』の特徴を並べ立てる。聞く限りでは、少なくとも出で立ちについては常の幸村であると判じて差し支えなさそうだ。
 どういうことだ、どういうことだ、ぐるぐる回る思考をどうにかせねばと額に手を当てる。まさかこころ急くあまりに己が魂のみが抜け出たなどとは言うまいな。それではいま此処に居る己は誰なのだ。やや混乱しかけたこころに浮かび上がったのは、ただ、「既に佐助は居ない」という事実。佐助を連れて行ったのが誰であれ自分であれ、「いま」の己が会えないのでは意味がない。
 瞬きひとつで迷いを振り払い、再び強く手綱を握る。
「すまぬ! そのふたりはどちらへ向かったかご存知か!」
「この街道を真っ直ぐ―――」
「かたじけない、礼を申す!!」
 武士が農民にかけるとも思われぬ言葉を残して幸村はまたしても走り出した。あの程度の休息では足りぬだろうに愛馬もよく付いて来てくれている。
 あっという間に村をすり抜けて道は平原へと至る。
 少し進むと、街道の真ん中で所在無さそうに佇む馬に行き当たった。鞍もはみもつけているからにはただの農耕馬ではなさそうだ。歩みを遅くして隣に並び立つ。綺麗な目をした馬だ。それに、よく鍛えられている。
「………少し此処で待っていてくれるか?」
 愛馬の首を叩いて問い掛ければ承知したかのような嘶きが返った。このまま走り続けさせるのは酷な気がしていたのだ。誰の馬かは分からないが恥を忍んで拝借させていただくこととしよう。愛馬の方は問題ない。きっと、間もなく追いつくであろう忍隊が保護してくれる。
 乗り換えると同時に馬の腹を蹴る。軽い嘶きと共に走り出した馬の乗り心地は急場のものとしては快適であった。じっと前を見詰めて平原を行くこと更にしばし、道の真ん中に突っ伏したものに気付いて目を見開いた。
(あれは―――………!)
 近づくほどに確信は深まる。戦でもついぞ経験したことがないほどに胸が早鐘を打つ。最早間違いようもないぐらいに至近距離まで来たところで馬の背から飛び降りた。
 叫ぶ。
「佐助!!」
 折り重なるふたつの影。
 下敷きにされた者は相手の腹に右手ごと苦無を食い込ませ、上に乗る者は相手の胸に刃をのめり込ませている。地に広がるのは両名から流れ落ちたどす黒い血だ。即座に幸村は覆い被さった人物―――疾うに事切れている―――を押し退け、横倒しになった者の顔を容赦なく叩いた。髪は漆黒。鼻や頬に戦化粧もない。
 でも、これは佐助だ。
 誰がなんと言おうとも己の部下だ。
 たかが半年如きで見誤ったりするものか!
「佐助! 目を開けるのだ佐助! しっかりしろ、俺だ! 幸村だ!!」
 胸から溢れ出す血が止まらない。まさか、まさかこのまま、と逸る呼吸を必死に堪えて傷口に近い部分を腕で押しやり、せめてもの止血になればよいと願う。もう片方の手でしきりに彼の頬を叩きながら呼びかける。
 漸く、反応のなかった男が目を開いた。
 常人には無い不可思議な色を湛えた瞳が揺らめきながらも確かにこちらを捉える。懐かしさに声もなく、幸村は己が泣きそうになっていることを自覚した。
「………た………」
「佐助、気がついたか!? 待っていろ、今すぐ手当てを―――」
「………た、まさ、か………」
「なんだ、どうした!」
 掠れていようとも、耳に馴染んだ懐かしい声だ。
 動揺を押し隠すように佐助が握り締めたままだった苦無をもぎ取りにかかる。僅かに咳き込んだ彼が更に言葉を続けようとするのを見て取って、用件を聞くのが先だと顔を近づけた。才蔵たちはまだ来ないのか、何故俺は流れる血を止めることができぬのだ、なんと不甲斐ない! 歯噛みしながらも必死に耳を傾けると。
「………ひとりで、来た、とか………言わないよね………」
「―――」
 予想外の言葉に、真顔で停止してしまった。
 答えを返せぬ合間にも忍は物凄く忌々しそうにこちらを睨んでくる。
 変わらない。
 上田の城で、戦場で、旅先で、主を主とも思わぬ態度で馬鹿だの阿呆だのと罵ってくれた時とまったく同じ。
「護衛………つけてない、つったら………怒るよ………っ!」
「お、―――お前っっ!」
 あんまりな言い分に流石に幸村も憤った。頬を怒りに染め、空いている左手で佐助の顔の傍らを撃ちつける。意識が朦朧としている忍は全く気付いていない。それがまた悔しい。
「いきなりなんだその言い草は! 俺はお前の居場所が分かったと聞いて飛び出して来たのだぞ! 元を糺せばお前が半年も!!」
「うるさい」
「―――」
 正当な反論は一言で切り捨てられてしまった。
 佐助はこちらを見ている。見ているが物凄く不機嫌そうで不満そうで、なんだってあんたが此処に居るんだと全身で訴えているかのようであった。
 だが、ふと。
 ほんの僅か………口角をあげて。
 やはり見覚えのある柔らかな苦笑を浮かべた。
「さ、佐助?」
 少しずつ瞼が下がり、やがては完全に閉じられる。彼の叱責に絶句していた幸村は此処に来てまた慌てる羽目になった。
「どうした。傷が痛むのか? もう間もなく皆が到着するゆえ―――………!」
「幸村様」
 噂をすればなんとやら、背後に降り立った見知った気配に幸村は安堵の息をつく。
「才蔵!」
 いまひとりの部下は頷きをひとつ、軽く前に進み出た。これ以上は己が如何にかできる領分ではないと、一歩さがった場所から幸村は見守った。血止めも、毒消しも、ここで施せるのは簡易的なものばかりだ。どうするつもりかと問えば、途中の村に逗留させてもらえるよう手配してきたと返される。真田の名前を借りしましたことをお詫び申し上げますと抑揚のない声で語られるのに善哉と答える他はなく。
 佐助の命に別状はなさそうだと安堵して、漸く、打ち捨てられた死体の方へと意識が向く。触れた瞬間に絶命していることが分かったからあまり気に留めていなかったのだが、相手もまた、服装を見る限りでは忍のようだ。だが、見える範囲には家紋もなければ忍の出自を示すような衣装的な特徴も見受けられなかった。
 淡々と才蔵が言葉を紡いだ。
「初めて見る顔ですが、おそらくは佐助の顔見知りでしょう」
「何故そう思うのだ」
「どうでもよい相手ならば佐助は疾うに幸村様のもとへ戻っていたはずですからな」
「………」
「佐助は何も告げぬでしょう。後生ですから、幸村様にも知らぬふりをしていただきたい」
 顔も現さず、声に感情も潜ませず、只管に一定の調子で刻まれる声に黙って頷き返した。
 何も言わないし、何も問わない。
 即ち、言われずとも、問わずとも悟れと言うことか。主を試すつもりかと激昂してもよいはずの言葉であったが幸村は静かに受け入れた。




 村に戻った三人は村長の家に迎え入れられた。既に布令が行き渡っていたらしく、平伏せんばかりの村長に、こちらこそ部下が世話になったと礼を述べるとますます頭を下げられてしまった。
 解毒用の薬が入用であったが、いま用意できるものには限りがある。才蔵と話し込んでいると、折りよく、村人が薬袋を携えてやって来た。聞けば佐助が居た家に置いてあったのだと言う。
「名無し………あ、いや、俺らはそう呼んでて―――その、名無しは、実に腕のいい薬師でして。餞別として置いてってくれたんだと思うんですが。使い方も書かれてたんでもしかしたらと」
 差し出された薬を受け取った才蔵は非常に珍しくも嘆息した。まさしく解毒に必要な薬である、と。ともなれば佐助は自分で自分の解毒剤を作ってから村を出たことになる。単なる偶然としては確かに呆れるしかない事実でもあった。
 城に戻る気にもならずに幸村もこの場に留まること二日。
 やっと佐助の意識が戻った。
 意気揚々と彼の寝室に赴き、未だ不機嫌そうに臥せったままの顔を見て幸村は笑う。
「………なに笑ってんの」
「嬉しいからだ!」
「俺は怒ってんだけど」
「そうか。だが、俺は嬉しい。お前が戻ってきたのだからな!」
 身動きの取れぬ佐助など恐ろしくも何ともない。いまのお前は俺に何を言われても頬を抓ることも尻を叩くことも頭を小突くこともできぬのだぞ、言葉で反論するしかなかろうが、思い知ったか。
 実に浮かれたことを脳裏で並べ立てながら現実でも取り留めのないことを喋っていると、急に相手が身体を起こしたのでひどく慌てた。痛む傷を抑えて真顔で何を言うかと思えば訳の分からぬ謝罪ばかりで幸村は不思議に思った。確かに彼の行動は褒められたものではなかったが、相争った現場を見る限りでは相手もまた忍。一筋縄では行かなかったろうことは想像に難くなく、ならば黙って受け入れてやろうと思ったまで。
 ああ、されど、あれだけは尋ねておかなければ。
「なあ、佐助」
「ん?」
「お前、結局―――先の戦の時に何を言おうとしていたのだ。妙に歯切れが悪かったではないか」
「あー………あれ、ね」
 佐助が困ったように己が頬を指先でぽりぽりと掻いた。
 視線が宙を彷徨った後に、真っ直ぐ正面へと戻される。
「………ごめん、覚えてないや。でもまあ今の状況を考えるとね、しばらく留守にするけど気にしないでほしいとか、面倒な敵が居るから困るんだよねとか、そこら辺のことでも言おうとしてたんじゃない?」
「―――本当か」
「こんなことで嘘ついてどーすんのさ」
 やや不貞腐れたように佐助が応える。
 しばし無言で睨み合い、瞳の中に「嘘」が滲んでいないのを見て幸村は溜息と共に引き下がった。
「………残念だな。この半年、お前が何を考えていたのか知りたくて堪らなかったのだが―――仕方あるまい。戻ってきてくれただけで充分だ」
「ごめんね」
 あまりにも素直な忍の謝罪になんだか胸がくすぐったくなって、幸村は膝を叩いて笑った。
「早く怪我を治して鍛錬に付き合え。戦があればお前もまた共に戦わねばならんのだからな!」
「なんだ、立派になったって聞いたのに俺はまだあんたの背中を守らなきゃなんないのか」
「勿論だ馬鹿者!」
 堪えきれない笑いを頬に浮かべながらも一度は起き上がった忍を再び布団へと押し込む。意外と主従の対面を気にする彼は自分だけが横になるのを躊躇っているのだろう。ならば自分が添い寝すればよいのかとも考えたが、ますます怒られそうな気がしたのでやめておくことにした。
 毒の抜けきっていない忍の額に手を置くと「熱いよ」と苦笑された。低いながらも奥に熱を孕む、「生きた」体温がいとおしい。
 さらり、と。
 指先で彼の前髪に触れながら。
「………佐助」
「ん?」
「早く良くなれよ」
「分かってますって」
「お前と俺とでお館様の夢を叶えるのだ。よもや鍛錬を欠かしていたなどとは申すまいな?」
「ははっ。あんたほどの訓練馬鹿じゃないけどねえ。それなりには頑張ってましたよ」
 俺様、優秀な忍だから、とにんまり笑う佐助は徐々に調子が戻ってきたようである。
「おお、そうだ、佐助。お前の飼っていた鴉はどうした。奴も一緒に居るのだろう? 奴がおれば此度も然程に苦労することはなかったろうに」
「あー………あの子は、ねえ」
 佐助は言葉を途切れさせると微かに視線を細めた。その間も動き続ける幸村の指が煩わしいのか照れ臭いのか払い除けようとしてくるのだが、逆に払い返されて所在なげに彼の右手は宙を彷徨う。
「たぶん―――もう来ないんじゃないかなあ」
「そうなのか?」
「うん。半年以上も放置しちゃってたしねー。ずーっと餌もやってないし訓練もしてないし。たぶんもう野生に戻っちゃってるよ。大鴉は里からもっかい送ってもらうことにするからさ」
「―――そうか」
「うん。そう」
 幾度かの瞬きの後に佐助は瞼を閉じる。
 言葉の響きや表情、口調の些細な変化から、幸村は、彼が(嘘を吐いているのだな)と感じた。
 繰り返し見た夢の中で彼が掴まっていた大鴉。あれがもう来ないと言うことが嘘なのか、餌も訓練もやっていないというのが偽りなのか、野生に戻っているというのが間違いなのか、あるいはもっと他の。
 佐助が自然と嘘を吐くことに微かな溜息を零しながら、黒く染まったままの前髪を引っ張った。
「佐助」
「………なーにー………」
 薬が効いて眠くなってきているのか佐助の応えは聊か虚ろであった。
「髪はもとに戻るのであろうな。黒髪のお前も珍しくて俺は好きだが、やはり、もとの色の方がよい」
「ふーん………」
「お前の髪は紅葉のようでもあるが、夕日のようでもあるな。何よりも炎に、生命に近い―――武田の色だ。真田の色だ」

 俺の、色だ。

 指の間で細い髪を弄びながら呟けば、いい加減にしてよと無情にも手を振り払われた。ごろりと寝返りを打った佐助の顔を望むことはできなくとも。
「………戻るよ。少し時間はかかるけど―――もともと地毛はあっちなんだからさ」
 ぶっきら棒な答えに、ああ、『これ』は本当だなと笑った。




 ―――かくして、真田の忍は元通り幸村の城へと舞い戻った。
 のだ、が。
 それと同時に別の問題が持ち上がってしまった。
 佐助が居ない頃はしっかりしていた幸村の様子が、時が経つ毎に変わってしまったのである。
 凄まじい寝相の悪さで障子や襖を蹴破る、ぐずって起きてこない、鍛錬で庭の石灯籠を破壊する、お館様との殴り愛で城壁を破壊する、嫌いな食べ物は残す、内務を嫌がる―――。

 要するに。
 佐助が居なくなる前に戻ってしまったのである。

「あんた、俺がいない間におとなになったんじゃなかったのか………!」
 今日も今日とて嘆きながら佐助が針と糸を手繰り寄せる。目の前には立派なかぎざぎが付けられた打ち掛け。庭を走り回っていた幸村が木の枝に引っ掛けて見事に切り裂いてくれた代物である。捨てるなんて勿体ない、これ一着でどんだけすると思ってんだと幸村は説教されたのだが、いまはけろりとした顔で佐助の隣で笑っている。
「うむ! 確かに俺はおとなになったぞ!!」
「何処が!? おとなはこんな阿呆な理由で服なんか破きません! 旦那もすっかり立派になっちゃったんだなー、ってひっそり流した俺の涙と感動を返してくれ!!」
「知らぬわ、そんなもの。お前が悪いのだから」
「責任転嫁すんな――――――っっ!!」
 ばんばんと畳を叩いて忍が怒り狂う。
 上機嫌に笑いながら幸村は佐助にしがみつく。背の丈が同程度になっても、やはり、こうして甘えてみたくなるのは彼だけだ。お前がいない間は物凄く頑張ったのだ、だから褒めてくれ、甘やかしてくれ、ずっと俺から目を離さないでいてくれと笑う。日常からしてこうなのだ、ましてや戦場においてなど。
「なあ、佐助」
「なに!?」
 破れた衣服を繕いながら声を荒げる彼に笑いかける。

 


030.おのがさいわい<表>


 


「せなを預けられる相手がいる俺は幸いだな!!」

 

※WEB拍手再録


 

キャラを理解しきってないうちに書き出したらいけないよね、という好例でしたとさ。orz

 

今回のように同じ場面を別人の視点から書くとゆー試みはあまりやったことがありません。

整合性を保つのがめんどくさいから(笑)

再会後の会話中、佐助と幸村できちんとセリフになってる箇所に違いがあるのは、

そのまま各人が重要視している部分の違いになってます。

と、いいなと思います(オイ)

 

 

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