およそ遠しとされしもの
下等で奇怪
見慣れた動植物とはまるで違うとおぼしきモノ達
それら異形の一群を ヒトは古くから畏れを含み
いつしか総じて「蟲」と呼んだ
039.彼の地に眠る
蟲師というのは奇妙な職業だ。幾度も彼らの恩恵に預かっておきながら化野はそんなことを思う。 今日もまたフラリとやってきた蟲師は仕事道具の行李を開けてガタガタと今回の戦利品を並べている。こちらがこういった奇妙なものに弱いと既に知られているし、突拍子もない値段を見て実は騙されてるんじゃないかと疑ったことは数知れないが、結局手を伸ばしてしまうのは好事家の悪い癖だ。特に彼とは付き合いも長いためにこちらの好みを熟知されている節がある。コイツ相手なら売れるだろう、と足元を見られている感じがしないでもない。 「ほらよ、これ」 穏やかに、銀色の髪と緑の目をした男が笑う。 「嘘つけ、どっかの獣の爪を適当に見繕っただけだろうが。悪いが買わんぞ」 背負い込めるだけの大きさの行李には幾つも細かい仕切りが作られていて、その中に彼らは生活必需品だけでなく、旅先で捕らえた蟲や、蟲を捕らえるための蟲、蟲を倒す方法を納めた書物などを仕舞いこんでいるのだと聞いた。傍から見てる分には大した量など入りそうもないのに未だ化野はこの男が生活に難儀しているところを見たことがない。いや、そもそも彼は流離い人だから此処に来ることだって稀なのだけれど。 「しかし、ギンコ。その行李の構造は一体どうなってるんだ? どうやって蟲師同士で連絡を取ってるんだ。面白そうだな………売らんか?」 ズルズルと着物の裾を引きずって片方の拳を行李に当てる。僅かに伝わる振動はギンコが中身を探っているためだけではあるまい、確実に、何か不思議なモノ達がこの中に生息しているのだ。商売道具を売れといったのは流石に冗談だが中身に興味があるのは本当だ。専門分野には踏み込むまいと硬く決めてはいるが興味深いものは興味深い。 「………悪いが、いまのところ死ぬ予定はないんでね」 『死に掛けたことなら結構あるがな』 突如響いた声にふたり揃って動きを止める。 「―――いつの間に腹話術なんて習得したんだ」 当惑した面持ちで互いに視線を交わす。 『―――久しぶりの外だな。流石に眩しい』 化野は口をあんぐりと開けた。これでも一般人にしては蟲と関わりを持ってきた方だと自信を持っているが、言葉を喋る蟲―――瓶づめにされながら生きていられるモノが他にいるはずもない―――を、見たのは初めてのことだった。 「蟲にしちゃあ人間くさい名前だな」 ため息をついたギンコに追い討ちをかけるように<ワタヒコ>が喋る。 「丸損とは何だ」 不機嫌そうにギンコが瓶の角を指で爪弾く。中の衝撃は相当だったろうに蟲は平然と話している。 「刺された? 蟲の中にも出刃包丁もって襲い掛かってくる存在がいるのか。奇特だな」 ははは、と相手は乾いた笑いを返した。 『違うぞ。刺したのは人間だ。ヒトの理に乗っ取って蟲退治に来たこの男が邪魔だったのだ』 笑いも消して蟲師が視線をキツくする。 『刺せと命じたのは我らだがな。仕損じたのは我らではなくあの女の腕が悪かった所為だ。しくじらなければいま少しあの場に留まっていられたものを』 とうとう腹に据えかねたのかギンコが小さめに怒鳴って瓶を再び行李の奥に投げ込む。 「俺の左目はもともと虚ろだ。そこに生命の源を注ぎ込んだに過ぎない」 ニセモノのなかに<源>とやらを注ぎ込んだだけで視力が回復するなら万々歳ではないか。医家である化野の出る幕もない。<源>とやらも要は蟲の一形態で、じゃあお前ら蟲師がいれば人類は眼病とおさらばかと尋ねればあっさり否定されてしまった。 彼らに頼り切るのは良くない。 更にしばらくして、またしても彼は眼にとりつく蟲と関わりを持ったと聞いた。事の次第や成り行きはどうあれ、女性がひとり、両のまなこを完全に失ってしまったらしい。けれど今度の彼は義眼を差し出すこともなくただ彼女が暗闇の世界に留まるのを良しとしたのだ。 「心境の変化か?」 彼女は暗闇の世界に留まることを望んでいた。 ―――聞く限りではおそらく彼も悩んだのだろう。 いつだったか、ただの人間を蟲に変化させる手伝いをしてしまって、本当にあれで良かったんだろうかといまでも考える、とさり気なく打ち明けられたことがあった。考え込んだ次にとった行動は蟲に同化しようとしている少女を止めることで、そんな風に、彼は、いつだってどこかふらふらと迷いながら旅を続けているのだろう。 ある時は。 ある時は。 ある時は。 いつか来るだろう旅路の果てまでゆったりと悩み歩み続けるのだろう。 開口一番にそう言われては流石に何と答えていいのか分からなくなる。 「図星ではあっても蟲に言い当てられるのはどうも好かんな………」 瓶の中の物体は―――そう、ワタヒコ、と呼ばれていたが。 「お前は蟲なんだな?」 奴の受け売りだ、と答える。 「………で、ギンコが呼ばれた訳だ」 死にたくないとヒトの姿で頼んでみてもあっさりトドメを刺されたぞ、と語られて。 『あの男は言ったぞ。お前らは悪くないが俺らだって悪かない。ただ、お前らより俺らの方が強いからお前らは種を残せない、とな。その理屈で行けば我々がいつか強くなったならば逆にヒトが種を残せなくなり、ひどく困る。違いないか?』 彼がどんな状況下においてこの蟲とそんな言葉を交わしたのか知る由もない。 「でもお前は―――まだ此処に居るんだよな」 ワタヒコが黙り込む。 『………眠りにつくはずがつかなかった。いままでの結果と違うとヤツはぼやいていたが、封じないのかと聞いたらまだ寿命があるから先延ばしだと言われた。よくわからん』 だから丸っきりの他人である彼の考えが化野に理解できる筈もない。 『―――そうか。ニンゲンとは厄介な生き物だな』 淡々と月夜のもとで他愛もない言葉を交わす。 『………眠くなってきたな………そうか、これが奴の言う<封じ>か』 返事が鈍くなってきたので呼びかけついでに瓶を揺すってみる。月影に透かしみても彼らの動きは明らかに鈍くなっていた。 「―――幾らだったら売られてくれる?」 無論返事の望めよう筈もない。 「―――起きてるか」 月を背に屈み込んだ友の表情は窺えない。普段から表情豊かな人間ではないから、尚更に。 「いまは晴れているがこの分で行けば明け方には一雨くる。濡れたくなければ傘でも持って来い」 玄関口で蛇の目を片手に迷うこと数秒、結局何も持たずに彼の背中につき従った。夜の村落は昼間と異なる静寂に包まれていて全く別の場所のように感じられる。ひっそりとした闇の間をすり抜けて森の奥へと進む。遠くの鳴き声、あれは、梟かもしれない。 「………で? いつまで待てばいいんだ?」 何だそれは。結局来るか来ないか自信が持てないのか。 「ギン―――」 隣人に呼びかけようとして押し黙る。彼は冷めた表情で前方の開けた空間を見つめていた。 「来るぞ」 「―――!」 次の瞬間。 辺りを埋め尽くす白い光に眼が眩む。どうにかこうにか明るさに耐えながら見やれば実に珍しい光景が広がっていた。 ………虹が、生えている。 さすがに何も言えない。虹の根元には宝が埋まっているとか、そこを確認できたら幸福が訪れるとかむかしから諸説紛々あったけれども実際に見てしまえば何が存在している訳でもない。ただニョッキリと突如として地中から出現し天に高々と光彩を放っている。 ―――しかし、いまは夜だ。 ギンコがここ数日待っていたのが『これ』だとするならば正体なんて推してはかるべきであろう。彼は片手に作業用の手袋をつけて、軽く「下がっていろ」と合図する。おずおずと化野が後退りするのとは逆に彼は眼前に出現した巨大な虹に近づいていく。 「―――っ」 触れた場所から虹が揺らめく。 「見つけた………っ」 勢いよく腕を引き抜く。手の中には虹と同様に光り輝く細長い物体が握られていた。 それは―――巻物、だった。 常にない光沢に覆われてはいるけれど、虹と同じぐらい強かった光は徐々に弱まってきていて、おそらくしばらくしない内に消え去るだろうと思われた。赤い飾り紐のついた、何も書かれていないまっさらな巻物。 「それがお前の目的か?」 やれやれと蟲師は腰を下ろして再度の深いため息をもらした。 「………コイツは、虹蛇といって―――明確な意思などは持たずにただそこに存在するナガレモノの一種だ。光酒を含んだ雨と光を求めて移動し、現われ、消えていく。目的も何もない。他に影響を及ぼすばかりだ」 気をつけろよ。 そう化野に警告する彼も今回ばかりはきつかったのかもしれない。普段から蟲と接しているとはいえ所詮は彼も人間である。絶対的なモノには抗いようがないし、一般人と比べて耐性に優れている訳でもない、だから、彼と『あちら』を隔てるのに使われた手袋は疾うにドロドロに解けて形を成さなくなっていた。地面に転がって僅かに光の粒子を周囲の草へ滴らせている。 「依頼人は光酒の中に大切なものを落としたと言っていた。そんなん、普通はとっくに溶かされてるハズなんだが―――まさかと思って捜してみれば案の定、だ」 詳しくは語られることのない事情である。 「………すごいな。もしかしなくてもこれがいつぞやの話にあった<源>って奴か?」 もうニンゲンには、その頃の記憶なんて微塵も残っていないのだとしても。 「蟲もニンゲンも大局的に見れば同じだって言いたいんだろ? 俄かには信じ難い話だな」 疲れを滲ませた表情のままでギンコが笑う。 佇んでいるのも億劫になって友人の傍に腰を下ろす。 「化野。さすがにこれは買えないだろう?」 本当かね、とギンコが口元を歪めた。 |
※WEB拍手再録
主人公が常に持ち運んでいる道具入れの名前がわかりません(第一声)。
小物入れ? 葛篭? 薬箱? 箪笥?? ―――とりあえず「行李」にしてみましたが………謎。
マイナーなんだか有名なんだか分からないこの作品。秋からアニメ化とゆーことで紹介を兼ねて書いてみましたが、
世界観をかなり間違えていると思います(苦笑)。主人公も初っ端は両目ともあったんですが、いつの頃からか左目が
あるんだかないんだか分からないようになりまして………外見は『ワ○ピ』のサ○ジさんそっくりだし(禁句?)
「化野」は「あだしの」と読んであげてください。人名です。主人公の友人(?)ですが本編では脇役もいいところです(笑)。
お暇な方は一度ご拝読あれ〜。静かで淡々とした独特の雰囲気を持った作品ですよーv