およそ遠しとされしもの

 

下等で奇怪

見慣れた動植物とはまるで違うとおぼしきモノ達

それら異形の一群を ヒトは古くから畏れを含み

 

いつしか総じて「蟲」と呼んだ

 

 


039.彼の地に眠る


 

 蟲師というのは奇妙な職業だ。幾度も彼らの恩恵に預かっておきながら化野はそんなことを思う。
 今日もまたフラリとやってきた蟲師は仕事道具の行李を開けてガタガタと今回の戦利品を並べている。こちらがこういった奇妙なものに弱いと既に知られているし、突拍子もない値段を見て実は騙されてるんじゃないかと疑ったことは数知れないが、結局手を伸ばしてしまうのは好事家の悪い癖だ。特に彼とは付き合いも長いためにこちらの好みを熟知されている節がある。コイツ相手なら売れるだろう、と足元を見られている感じがしないでもない。

「ほらよ、これ」
「んー?」
「沖でとれた人魚の爪。煎じて飲めば惚れ薬、そのまま飲めば寿命が十年延びる」

 穏やかに、銀色の髪と緑の目をした男が笑う。
 お前の説明を鵜呑みになどしてやるものか、と眉をしかめつつ食指が動くのを止められない。

「嘘つけ、どっかの獣の爪を適当に見繕っただけだろうが。悪いが買わんぞ」
「そうか? ………まあ、他にも土産は色々とあるんだが」

 背負い込めるだけの大きさの行李には幾つも細かい仕切りが作られていて、その中に彼らは生活必需品だけでなく、旅先で捕らえた蟲や、蟲を捕らえるための蟲、蟲を倒す方法を納めた書物などを仕舞いこんでいるのだと聞いた。傍から見てる分には大した量など入りそうもないのに未だ化野はこの男が生活に難儀しているところを見たことがない。いや、そもそも彼は流離い人だから此処に来ることだって稀なのだけれど。

「しかし、ギンコ。その行李の構造は一体どうなってるんだ? どうやって蟲師同士で連絡を取ってるんだ。面白そうだな………売らんか?」
「蟲師の特権って奴でね。悪いな、先生。さすがにこればかりは売ってやれない」
「いやいや、売っていけ、売っていけ。その行李ごと置いてってくれればしばらく楽しめそうだ。そうだな、じゃあ、もしお前が死んでしまったら俺に遺して行く気はないか?」

 ズルズルと着物の裾を引きずって片方の拳を行李に当てる。僅かに伝わる振動はギンコが中身を探っているためだけではあるまい、確実に、何か不思議なモノ達がこの中に生息しているのだ。商売道具を売れといったのは流石に冗談だが中身に興味があるのは本当だ。専門分野には踏み込むまいと硬く決めてはいるが興味深いものは興味深い。
 ちらりとこちらを見やって旅人が笑う。

「………悪いが、いまのところ死ぬ予定はないんでね」

『死に掛けたことなら結構あるがな』

 突如響いた声にふたり揃って動きを止める。
 開け放った障子の向こうから流れ込んだ風が虚しく室内を駆け抜けた。
 ひとつ、咳払いをし。
 化野はモノクルをゆっくりとかけ直した。

「―――いつの間に腹話術なんて習得したんだ」
「………俺じゃない」

 当惑した面持ちで互いに視線を交わす。
 然程もしない内に原因に思い至ったのか渋い顔をしてギンコは行李の奥の方へ手を伸ばした。暗がりから引きずり出されたてのひらには透明なガラス瓶が握られていて、瓶の中では緑色の粘液上のものがへばりつくように広がっていた。ウネウネと蠢いて形を整えた粘液は人の面らしきものを浮き出させる。

『―――久しぶりの外だな。流石に眩しい』
「てめぇかよ、ワタヒコ」
「喋った!?」

 化野は口をあんぐりと開けた。これでも一般人にしては蟲と関わりを持ってきた方だと自信を持っているが、言葉を喋る蟲―――瓶づめにされながら生きていられるモノが他にいるはずもない―――を、見たのは初めてのことだった。

「蟲にしちゃあ人間くさい名前だな」
「違う。コイツの名前は<綿吐>だ。………ちょっとした経緯から預かることになったんだよ。どっかで眠らせようと思ってすっかり忘れてた」
「ワタヒコじゃないのか」
「ワタヒコってのは依頼人がコイツにつけてた名前だ。コイツらは生まれてくる前の赤子にとりつき、その者の姿を奪って現れる。実際、面倒な依頼だった」
『そうだ、丸損だぞ』

 ため息をついたギンコに追い討ちをかけるように<ワタヒコ>が喋る。
 しかし、瓶詰めになった人間の顔………だけ、というのはなかなかに不気味なものだ。あごの下に手を添えながら面白くなって問い掛けた。

「丸損とは何だ」
『この男がそう言ってボヤいていた。最初に聞いたときは意味がわからなかったがな、確かにコイツは丸損だったのだ。腹まで刺された上に生活の糧を失った』
「おい、ちょっと黙っとけ」

 不機嫌そうにギンコが瓶の角を指で爪弾く。中の衝撃は相当だったろうに蟲は平然と話している。
 面白いモノがいるものだ、と感心しながら化野は視線を知人の蟲師に向けた。

「刺された? 蟲の中にも出刃包丁もって襲い掛かってくる存在がいるのか。奇特だな」
「………そりゃあ本当に奇特な蟲だな。俺も見てみてぇ」

 ははは、と相手は乾いた笑いを返した。

『違うぞ。刺したのは人間だ。ヒトの理に乗っ取って蟲退治に来たこの男が邪魔だったのだ』
「おい」

 笑いも消して蟲師が視線をキツくする。

『刺せと命じたのは我らだがな。仕損じたのは我らではなくあの女の腕が悪かった所為だ。しくじらなければいま少しあの場に留まっていられたものを』
「おい、ワタヒコ」
『この男に死んでもらいたいようだが、まあ、安心しろ。旅先でこの男は何度も死に掛けている。凍死しかかったり溺死し損なったり谷へ落ちかけたり動物と間違われて狩られる寸前だったりしているからな。感謝されると同時に恨みも買っている。それでなくともこんな生業を続けていればいつか頭から蟲にすっぽりと』
「おまっ―――いい加減、もう、黙っとけっ」

 とうとう腹に据えかねたのかギンコが小さめに怒鳴って瓶を再び行李の奥に投げ込む。
 ぴしゃりと音がして箱の蓋は閉じられ、彼が何がしかの呪いを唱えるとようやっと行李は静まり返るのだった。




 ギンコという名の蟲師といつ頃知り合ったのか、思い出すにはひどく苦労する。
 ただ、蟲師にしては蟲を殺すのに積極的じゃなかったり、蟲に付き纏われる体質のため一所に留まっていられなかったり、実はこうみえて結構優秀だったりと一風変わった奴ではあると思う。いつしか付き合いも長くなり、彼は自分のもとに土産を持参するし、自分は彼を招くし、彼が自分に頼みごとをすることだって偶にはあったし、蟲関連で困ったことがあれば自分は必ず彼を呼んだ。
 知り合って結構長い筈なのだが未だに互いに知らない部分も多いと思う。
 いつだったか、久しぶりに彼に会った時、いきなり左目がなくなっていて驚いた。
 尋ねてみれば人にやったのだと言う。光を失った少女がいて、ならばと左目をくりぬいて代わりに彼女のまなこに埋めてやったのだと言う。果たしてそれで少女の目に光が戻ったのかと尋ねれば、戻ったと言うから驚きものだ。

「俺の左目はもともと虚ろだ。そこに生命の源を注ぎ込んだに過ぎない」

 ニセモノのなかに<源>とやらを注ぎ込んだだけで視力が回復するなら万々歳ではないか。医家である化野の出る幕もない。<源>とやらも要は蟲の一形態で、じゃあお前ら蟲師がいれば人類は眼病とおさらばかと尋ねればあっさり否定されてしまった。

 彼らに頼り切るのは良くない。
 彼らはあくまで奇妙な隣人であり、決してヒトと相容れることはない。
 今回は偶々利害が一致したに過ぎないんだと。

 更にしばらくして、またしても彼は眼にとりつく蟲と関わりを持ったと聞いた。事の次第や成り行きはどうあれ、女性がひとり、両のまなこを完全に失ってしまったらしい。けれど今度の彼は義眼を差し出すこともなくただ彼女が暗闇の世界に留まるのを良しとしたのだ。

「心境の変化か?」
「………さぁてね」

 彼女は暗闇の世界に留まることを望んでいた。
 先の見えない世界で、光を思い出しながら生きてみたいと願っていたから。

 ―――聞く限りではおそらく彼も悩んだのだろう。

 いつだったか、ただの人間を蟲に変化させる手伝いをしてしまって、本当にあれで良かったんだろうかといまでも考える、とさり気なく打ち明けられたことがあった。考え込んだ次にとった行動は蟲に同化しようとしている少女を止めることで、そんな風に、彼は、いつだってどこかふらふらと迷いながら旅を続けているのだろう。

 ある時は。
 自らの身体を侵食し続ける蟲を、書に封じるために生きる娘のもとを訪れて。

 ある時は。
 全ての根源たる光脈筋に沿って移動する男たちに同道し。

 ある時は。
 雪深い山奥でひっそりと暮らす姉弟を訪ねながら。

 いつか来るだろう旅路の果てまでゆったりと悩み歩み続けるのだろう。


『やはりな。お前は行李を開けると読んでいたぞ』
「………」

 開口一番にそう言われては流石に何と答えていいのか分からなくなる。
 くだんの蟲師の姿もいまはなく、常ならば肌身離さず傍に置いているはずの仕事道具が客間に転がっていた。珍しくも数日間、化野の家に寝泊りしている彼はこの近辺で<何か>が来るのを待っているらしい。例に漏れずに蟲なのだろうけれど、主に彼の散策時間は夜に当てられていて、月明かりの目映い夜中に起きだしてみると布団はすっかり冷たくなってたりする訳だ。
 覗きこんだ部屋に仕事道具が放ってあれば興味を惹かれぬ筈もない。

「図星ではあっても蟲に言い当てられるのはどうも好かんな………」

 瓶の中の物体は―――そう、ワタヒコ、と呼ばれていたが。
 どう見たってネバネバのドロドロの軟体生物なのである。傍目には。

「お前は蟲なんだな?」
『そうだ』
「人型をとると聞いたがどういう生態なんだ」
『ヒトの腹の中で赤子のもととなる卵にとりつく。そこで形を得て生まれ、住みよい場所に根をつけた後に人茸を生み出す。人茸は間借りした卵の姿を借りるからヒトは誤解しやすいらしい』

 奴の受け売りだ、と答える。

「………で、ギンコが呼ばれた訳だ」
『そうだ。我々の同胞が幾人もあの男に殺された』

 死にたくないとヒトの姿で頼んでみてもあっさりトドメを刺されたぞ、と語られて。
 そりゃあまあ蟲の実態をよく知ってるあの男が躊躇うはずもあるまいよ、と考える。

『あの男は言ったぞ。お前らは悪くないが俺らだって悪かない。ただ、お前らより俺らの方が強いからお前らは種を残せない、とな。その理屈で行けば我々がいつか強くなったならば逆にヒトが種を残せなくなり、ひどく困る。違いないか?』
「―――そうだな」

 彼がどんな状況下においてこの蟲とそんな言葉を交わしたのか知る由もない。
 生命の源から離れすぎたニンゲンが、蟲と相対して生き延びようと思った時には、先手を打って相手を滅ぼしてしまうしかないのだ。その意味でギンコの取った行動は決して間違っちゃいない。
 けれど、やたらとお喋りなこの蟲が何を不思議に感じているのかも化野は分かるような気がした。

「でもお前は―――まだ此処に居るんだよな」

 ワタヒコが黙り込む。
 しばしの沈黙の後でぼそぼそと続ける。

『………眠りにつくはずがつかなかった。いままでの結果と違うとヤツはぼやいていたが、封じないのかと聞いたらまだ寿命があるから先延ばしだと言われた。よくわからん』
「だろうな」
『お前にはわかるのか』
「分かるとも分からないとも言えん。なあ、蟲よ、聞く限りじゃお前らは複数いて、複数の身体を持ちながらも意志は統一されているようだがな、生憎とニンゲンてのは意志の共有なんぞ終ぞ出来た試しがないんだよ」

 だから丸っきりの他人である彼の考えが化野に理解できる筈もない。

『―――そうか。ニンゲンとは厄介な生き物だな』
「お前らの方が厄介だろうが」
『興味深い』
「お? お前、蟲にしては意見が合いそうだな。自分と違う世界の住人にはやはり興味を惹かれるだろう?」

 淡々と月夜のもとで他愛もない言葉を交わす。
 手にした瓶の中に居るのはヒトとはあまりに違いすぎる<生き物>で。
 多分、蟲師というのは<そっち>の世界に常に片足突っ込みながら生きているような人間のことを言うのだ。おおもとが同じで、同じ光脈からイノチを授けられたが故に境界線が明確なようで曖昧に過ぎて、だから、片足どころか片目まで向こうに捧げちまうような馬鹿なモノが出来上がるのだ。

『………眠くなってきたな………そうか、これが奴の言う<封じ>か』
「どうした。蟲にも眠りがあるのか?」
『全く―――よくも考えた………』
「おーい?」

 返事が鈍くなってきたので呼びかけついでに瓶を揺すってみる。月影に透かしみても彼らの動きは明らかに鈍くなっていた。
 やがて、完全に固化する。
 本当に眠ってしまったらしい。
 今一度ガラス瓶を夜空に透かすように掲げて誘ってみる。

「―――幾らだったら売られてくれる?」

 無論返事の望めよう筈もない。
 微苦笑を浮かべてガラス瓶を行李の中に丁寧に戻しておく。このままちょろまかしたってギンコが何か言うとは思わなかったが、現時点では蟲の意見を尊重して不可解な<ニンゲン>の傍に放置しておいてやろう。
 欠伸をしながら天を見上げれば月が大分傾いでいる。
 それでも未だに客間の主は帰還せず、一体どこで何をしているんだかと暢気に化野は考えた。




 どうやら客は夜明け頃まで外で粘ってから帰宅しているらしい。朝食の時間には家に居るがやたらと眠そうで、昼間は専ら荷物の整理と睡眠に費やしている。珍しくも長期の滞在になった訳だが揃って出かけるような仲でもない。
 むしろ困るのは治療に来た村人達への説明だ。蟲師が長期間留まるのは村に何か起こる前触れのためかと問うてくる、その度に適当な説明で誤魔化してはみたものの、宿を提供している己まで何も知らないのはいい加減に過ぎたかと反省もしてみる。
 故に、寝入り端を叩き起こされた時はお前の目的は何なんだと不貞腐れたくもなった。

「―――起きてるか」
「………お前が起こしたんだろうが………」

 月を背に屈み込んだ友の表情は窺えない。普段から表情豊かな人間ではないから、尚更に。
 渋々と床から這い出て外にいざなわれてみれば、やたらと明るい月の光に驚いた。シンと静まり返った村の夜に微かな虫たちの鳴き声だけが響いている。そしてまた、傍らに佇む男の耳には他の『蟲』たちの声も聞こえてきているのだろう。

「いまは晴れているがこの分で行けば明け方には一雨くる。濡れたくなければ傘でも持って来い」
「傘、ね。………珍しいな、お前が誘うなんて。また『蟲』に関係しているんだろう?」
「―――知ってて教えなかったとなれば後から恨まれそうなんでね」

 玄関口で蛇の目を片手に迷うこと数秒、結局何も持たずに彼の背中につき従った。夜の村落は昼間と異なる静寂に包まれていて全く別の場所のように感じられる。ひっそりとした闇の間をすり抜けて森の奥へと進む。遠くの鳴き声、あれは、梟かもしれない。
 村はずれのなだらかな丘でギンコは立ち止まった。やわらかく揺れる草の褥に身体を横たえて深く息を吸い込めば、こころの中まで草で埋め尽くされるかのような感覚が襲った。そうだ、今日は、村に近いこの場所の緑がやたらと濃く見える。毒々しいほどの力強さと生命の息吹に満たされている。
 すっかり全身を横たえて化野は呆けたような声で問い掛けた。

「………で? いつまで待てばいいんだ?」
「来たら起こしてやる。眠っててもいいぞ」

 何だそれは。結局来るか来ないか自信が持てないのか。
 内心に少々の不満を抱きながらも大人しく眼を閉じる。閉じてしまえば当然のことながら辺りは暗闇に包まれて、けれど、それが『真の暗闇』でない証にまぶたの裏では僅かな光が明滅している。普段は日の光を透けて映す瞼がいまは月明かりを反映しているのかもしれなかった。徐々に流れてきた雲が月影を遮る動きまでつぶさに感じられて僅かに眉根を寄せる。
 月と星が少しずつその傾斜を変えた頃だった。
 頬に当たった水滴に寝ぼけ眼で起き上がる。いつの間にやらすっかり寝込んでいたらしく辺りは闇色から明け方のほの白さに移り変わりつつある。冷え切った身体を両腕で抱え込んで身震いした。
 さて天の様子は―――と見上げれば、月が山の端に沈みかけて薄い灰色の雲がハラハラとまばらな雫を散らせている。普段と違って妙に甘ったるい匂いのする雨だった。

「ギン―――」

 隣人に呼びかけようとして押し黙る。彼は冷めた表情で前方の開けた空間を見つめていた。
 唇をかみ締め、曰く。

「来るぞ」

「―――!」

 次の瞬間。
 眼を、覆った。

 辺りを埋め尽くす白い光に眼が眩む。どうにかこうにか明るさに耐えながら見やれば実に珍しい光景が広がっていた。
 すぐ、手前の。
 ほんの数尺離れたところから。

 ………虹が、生えている。

 さすがに何も言えない。虹の根元には宝が埋まっているとか、そこを確認できたら幸福が訪れるとかむかしから諸説紛々あったけれども実際に見てしまえば何が存在している訳でもない。ただニョッキリと突如として地中から出現し天に高々と光彩を放っている。

 ―――しかし、いまは夜だ。
 雨が降ったとはいえ夜だ。
 明け方の光はあるとしても………何より、この虹は太陽を背にしているのではなかった。

 ギンコがここ数日待っていたのが『これ』だとするならば正体なんて推してはかるべきであろう。彼は片手に作業用の手袋をつけて、軽く「下がっていろ」と合図する。おずおずと化野が後退りするのとは逆に彼は眼前に出現した巨大な虹に近づいていく。
 光と彼の境界線が極めて近くなった時、大きく息を吸い込むと意を決したように腕を虹の中へと突っ込んだ。

「―――っ」

 触れた場所から虹が揺らめく。
 痛むのか気を飲まれそうなのかもしかしたら心地よいのか、どれとも判別の付かない眉間にしわ寄せた表情のまま蟲師は腕を彷徨わせる。肩口ぎりぎりまで押し込んだところで動きが止まった。よく観察していなければ分からないほど微かに笑みを浮かべる。

「見つけた………っ」

 勢いよく腕を引き抜く。手の中には虹と同様に光り輝く細長い物体が握られていた。
 引き抜いた時の勢いが良すぎて後ろへたたらを踏み、頭から倒れこみそうなところを慌ててどうにか腰をつけるに留める。はぁ、と深い息をつき、化野が佇む場所までのっそりと移動する。そんな彼が手にしているものの正体は何なのかと視線が一点に集中して離れない。

 それは―――巻物、だった。

 常にない光沢に覆われてはいるけれど、虹と同じぐらい強かった光は徐々に弱まってきていて、おそらくしばらくしない内に消え去るだろうと思われた。赤い飾り紐のついた、何も書かれていないまっさらな巻物。

「それがお前の目的か?」
「ああ………まぁな」

 やれやれと蟲師は腰を下ろして再度の深いため息をもらした。

「………コイツは、虹蛇といって―――明確な意思などは持たずにただそこに存在するナガレモノの一種だ。光酒を含んだ雨と光を求めて移動し、現われ、消えていく。目的も何もない。他に影響を及ぼすばかりだ」

 気をつけろよ。
 アレに直に触れたら『憑かれる』ぞ。

 そう化野に警告する彼も今回ばかりはきつかったのかもしれない。普段から蟲と接しているとはいえ所詮は彼も人間である。絶対的なモノには抗いようがないし、一般人と比べて耐性に優れている訳でもない、だから、彼と『あちら』を隔てるのに使われた手袋は疾うにドロドロに解けて形を成さなくなっていた。地面に転がって僅かに光の粒子を周囲の草へ滴らせている。

「依頼人は光酒の中に大切なものを落としたと言っていた。そんなん、普通はとっくに溶かされてるハズなんだが―――まさかと思って捜してみれば案の定、だ」

 詳しくは語られることのない事情である。
 依頼人が誰であろうと、虹蛇が蟲の一種だろうと自然現象の仲間だろうと、巻物に何が記されていようと、その巻物が何で出来ていようと、それはあくまで『彼』が属する世界の出来事であり、真っ当な『ニンゲン』たる化野に関わる余地など初めからないのだった。この虹蛇が化野の住む村の近くに出現したのは本当に単なる偶然なのだろう。宿を借りるついでに蟲と化野を引き合わせたのは更に上を行く気紛れか。
 見上げる先、虹の果ては薄っすらとした明け方の光に飲み込まれつつある。

「………すごいな。もしかしなくてもこれがいつぞやの話にあった<源>って奴か?」
「それに近い。蟲は光酒から派生し、もとを正せば俺らニンゲンだって『そこ』に居たんだ」

 もうニンゲンには、その頃の記憶なんて微塵も残っていないのだとしても。

「蟲もニンゲンも大局的に見れば同じだって言いたいんだろ? 俄かには信じ難い話だな」
「信じる信じないは人の勝手だしな。―――でもよ、先生」

 疲れを滲ませた表情のままでギンコが笑う。


「どんなに否定したところで、人も蟲もみな、最期に眠る場所は同じなのさ」


「………ふん」

 佇んでいるのも億劫になって友人の傍に腰を下ろす。
 呆けたように虹蛇を見上げていればからかう様に問い掛けられた。

「化野。さすがにこれは買えないだろう?」
「―――馬鹿にするなよ。買っていいものといけないものの区別ぐらいちゃんとついている」

 本当かね、とギンコが口元を歪めた。
 以前、買い求めた硯に蟲が宿っていた所為で村の子供らを死なせかけた者としては立場が悪い。
 けれどもやはり己は懲りることなく不可思議なものや神秘を湛えたものや理解できないものを求めてしまうのだろう。知的好奇心が旺盛なのは悪いことじゃない、医家としてはむしろ当然さ、と嘯きながら。
 昇り始めた日の光に押されるように姿を消す虹をしっかりと目に焼き付けておいた。

 

※WEB拍手再録


 

主人公が常に持ち運んでいる道具入れの名前がわかりません(第一声)。

小物入れ? 葛篭? 薬箱? 箪笥?? ―――とりあえず「行李」にしてみましたが………謎。

 

マイナーなんだか有名なんだか分からないこの作品。秋からアニメ化とゆーことで紹介を兼ねて書いてみましたが、

世界観をかなり間違えていると思います(苦笑)。主人公も初っ端は両目ともあったんですが、いつの頃からか左目が

あるんだかないんだか分からないようになりまして………外見は『ワ○ピ』のサ○ジさんそっくりだし(禁句?)

 

「化野」は「あだしの」と読んであげてください。人名です。主人公の友人(?)ですが本編では脇役もいいところです(笑)。

 

お暇な方は一度ご拝読あれ〜。静かで淡々とした独特の雰囲気を持った作品ですよーv

 

 

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