※パラレル本編より三年ほど前のお話です。

※「タクラマカンの奇跡」があったのと同じ年とお思いねぇ。

 

 

 

 やや暗めの照明のもとで流れるのは何処か郷愁を誘う音楽。何故だろうかと首を傾げれば部屋の隅に旧型の蓄音機が見えて、ああ、あれだけの年代モノを持ち出したなら嫌でもむかしが懐かしくなるはずだと納得する。
 肩を叩きあう同僚や、音楽そっちのけで歌に興じる者たち、仲間内での他愛もない会話、手元に運ばれるウイスキーやリキュールの数々が放つ香りが辺りに充満して然程飲んでいないはずなのにほろ酔い気分にさせる。
 こういう雰囲気は嫌いではない、のだが。
「なーんでユニオンの面子だけでやるかねえ………」
 ブツブツとぼやきながら『招待客』であるニールは手元のグラスを無意味に揺らした。
 ソレスタルビーイングができてもうかなりの時が経つというのに、未だ旧三国間の無意味な派閥争いは続いているらしい。同じトレミー内であっても何故か宴席は旧陣営よりのコンパートメントで行われることが多いのが現状で、どうせなら全員でやればいいのにと思う一方で、自分にも「ソレスタルビーイングの生え抜きだ」という妙な意地が存在するのだから何も言えなくなってしまう。
 しかし、そういった内輪の事情はさて置くとしても、流石にいい加減騒ぎすぎじゃないかと思う訳だ。確かにあの戦いは久しぶりに明るいニュースとはなったが、それに対する上層部からの評価ならば既に聞いたし、主だった面子との飲み会も随分と派手にやったし、もう充分だろう、と。
 隣の椅子に誰かが腰掛けた気配に俯きがちだった顔を上げた。
「何故だか気落ちしているようだね。宴においては現世の煩わしい出来事を忘れ去るのが鉄則だ。もっと大いに楽しみたまえ!」
「エーカー中尉―――あ、いえ、中佐」
「グラハムと呼んでくれて構わないよ、姫」
「オレは姫ではありませんから」
「更に言えば敬語でなくても構わない。駆けつけてくれた時のように不遜でいたまえ」
 どうにも分からんヒトだとニールは隠そうともせずに眉を顰めた。
 仲間を救うために撃って出るのだ! との演説に感心したのは事実だが、よくよく考えたらあの状況で演説ぶち撒ける人間がまともであるはずがないのだから、これぐらいの会話も至極当然と受け入れるべきなのかもしれない。かと言って男である自分が「姫」と呼ばれるなどと、どれだけ頭を捻ったところで予想外の事態であったことに間違いない。
「君はこの宴会が気に入らないのかね」
「気に入らない訳ではありませ、」
「敬語は禁止だ」
「………気に入らない訳じゃないさ。ただ、帰還した直後に一回、組織全体で一回、あんたとオレの昇進にあわせて一回。もう充分すぎると思うんだがね」
「もとより我々が『ヴェーダ』に対して勝利を誇れることなど滅多にない。二百年以上前のイオリアの反乱に始まり近くは第一次・第二次『FALLEN ANGELS』に至るまで」
 グラハムが遠くを透かし見るように視線を鋭くした。
「―――悲劇が続いたともなれば一時の喜びもいやもって貴重になるだろう」
「………祝える内に祝っておこうとの考えには賛成するよ」
 応えながらも、やはり、よく分からない奴だと眉を顰めた。しかしたぶんに眉を顰めたのは彼の言動以上に会話に出てきた単語の所為だ。

『FALLEN ANGELS』

 忌まわしいあの事件。あの時ソレスタルビーイングが受けた被害は並大抵のものではなかった。尤も、それが無ければ擬似太陽炉の開発が進んで『ガンダム』シリーズの製造が開始されることもなく、自分が此処に来ることもなく。
 いや、それを言えばそもそもは―――。
 思考が堂々巡りになっているのを感じてニールは気を紛らすように杯を呷った。
 徐々に思考が回らなくなっていくのを実感する。虚ろな眼差しで辺りを見回して、少し、首を傾げた。
「なあ………今日ここに来てるのって第一航空部隊の面子だけだよな」
「フラッグ部隊だ」
「―――まあ、その、部隊だが。なんか、人数すくなくね? 数が足りない気がする」
 宴席だから多少の出入りはあるのだろうが、以前に面通しされた時よりも減った印象がある。
 グラハムは「流石だな、姫!」とよく分からない賞賛を贈ると自身のグラスを傾けた。
「何名かは有休をとって地上に帰っているよ。九死に一生を得たのだからな、家族や友人、恋人に無事を報告したくなったとしても不思議ではあるまい」
「あんたは帰らなくていいのか?」
「帰る必要はない。入隊した時を境に、軍隊こそが私の家だ」
 きっぱりと言い切る迷いのない口調に僅かばかり疑問を抱いた。こちらの想いを見抜いたかのように目の前の軍人はやたら爽やかに微笑むと、あっさりと口を開いた。
「私は孤児だからな。世話になった孤児院はあるが、律儀に戦勝報告に行くような間柄でもない」
「………そうなのか?」
「驚いたかね」
「ああ。少し。意外だった、かな」
 揺るがない瞳と真っ直ぐな気性をしているから、幼い頃に確かに『誰か』に愛された記憶があるのだとばかり思っていた。
 その『誰か』とは家族に違いないと根拠もなしに思い込んでいた。
 だが、違った。
 グラハムの真っ直ぐな性根は本人の気質に由来するものであり、彼の周りに家族はいなかったが、成長の過程で尊敬する人物や信じるに足る友を得ることができた。そういうことなのだろう。自分の価値観だけで判断しちゃいけないって好例だとぼんやり考えながら手元のグラスの縁に唇を添えた。
「………なんだ?」
 飲むか飲むまいか、ギリギリの角度にグラスを傾けた状態で左隣に目をやった。グラハムは何かにひどく驚いたような表情をしている。生い立ちを聞かされて戸惑うべきはこっちのはずなのになんだって立場が逆転しているんだ、ああ、吃驚しなかったことに吃驚されているのか? と遅ればせながら思い至った瞬間。
「君は驚いてくれないのか?」
 予想通りの、予想とは少し違う言葉を呟かれた。
「驚いてるだろ。意外だったよ」
「言い方を変えよう。同情してはくれないのか」
 ニールは僅かに首を傾げた。
 確かに世間一般から見れば孤児であることは充分『可哀想』であり、同情の対象に成り得るに違いない。けれども此処が軍隊で、世間から爪弾きにされた者たちも多く所属していて、もとより軍に入ろうなんて人間がまともな生活を送ってきた可能性の方が低いと考えたならば話は別だ。
「同情してほしかったとでも?」
「君から向けられる感情であれば同情ですらも貰いたい!」
「なんだそりゃ」
「好意の反対は憎悪ではなく無関心だ。同情や憐憫の情とあらば容易く好意に変わりえる感情だぞ。それを欲しがって何が悪い」
 そこまで力説されてしまうと、何だか本当に、もう。
 苦笑しながら項垂れて、悪いな、と呟いた。
「同情するより先に、別のこと考えちまったからな」
「何をだね」
「―――最初から与えられないことと、与えられた後で奪われることの、どっちが悲惨で、どっちがマシなんだろうな、ってさ」
 知らないからこそ焦がれるのか、知っているからこそ絶望するのか。
 比較するようなものではないし比較した結果だってどうでもいい。結局は個人の主観がすべてなのだから他人の解釈の入り込む余地など無い。
 それでも、偶に、考えてしまうだけだ。
 もしも自分が最初から天涯孤独の身の上だったなら、家族のぬくもりを知らなかったなら、同じ日に生を受けた存在がいなかったなら。
 果たして―――どんな道を歩んでいたのかと。
 きょとんとしていた表情を少しずつ思わせぶりなものへと変化させて、意外と思慮深い眼差しを隣人が注いでくるのを感じながらも、ニールは敢えて何も応えずにグラスを傾けた。
 酔いに気を紛らわせたって過去が変わるはずもないと自嘲しながらも。

 いまでも、思い出す。
 なんでもない、他愛無い日常のひとこまを。

 


世界を食い潰した日


 

 あれは十歳ぐらいの時のことだったか。吹き付ける風を寒く感じ始める、その日の天候は雨だったかもしれない。既にこの土地では見慣れた薄暗い雲が天を覆っていて日の光が差し込まない室内にいることに疑問も抱かなかった。
 折角の休日、いつもなら傘がわりにパーカー引っ掴んで遊びに行っていたかもしれないが、今日ばかりはそんな気にはならなかった。
 買い物に出掛ける両親と妹を玄関で見送ってからもう随分と経つ。皆も分かってくれている。自分が家にいたいと思う理由を。いなければならない理由を。
 だって、こんな日は、誰だって弱くなる。
 台所で用意したレモネード入りの出納を抱えて部屋の戸を押した。ちらりとベッドの上に視線を投げ掛けて。枕元まで椅子を引き摺って腰掛けると読みかけの本に手を伸ばした。出納はベッドの脇に並べて置いておく。
 ひとの声も、車の音も、鳥の鳴き声も。
 なにひとつ聞こえない静寂の世界。
 静かに文字を目で追って行く。ここより更に北の地方に伝わる神話や伝説を集めた短編集は幼い頃から家族揃ってのお気に入りだ。隻眼の主神、隻腕の軍神、破壊の杖、蛇神、死の国を支配する女神、光の神と盲目の神。ページを繰る音だけがやたら響いて、だらしなく背もたれに身体を預けたまま何の気なしに伸びをした。
「………」
 僅かに、ベッドが軋む音。
 たどたどしく上がった手が額にかかるタオルを除くのを見るともなしに見ていたら、目覚めたばかりのぼんやりした表情と真っ向から見詰め合うこととなった。
「ニー………ル………?」
「起きたのか、ライル」
 本を閉じて右手を伸ばす。先刻まで濡れタオルが乗せられていた額は僅かに湿り、冷たいような生ぬるいような微妙な熱を伝えている。それでも、昨晩と比べたらずっと低い。
 ほっと安堵の息をつきながら相手の額に額を寄せた。
「熱、だいぶ下がったみたいだな。安心したよ」
「―――ごめん」
 弟がすまなそうに眉を寄せる。
「兄さんも、買い物、いきたかったんだろ。エイミーの………」
「父さん達に任せた。それに、家に居た方が落ち着けるし、お前が一緒じゃないとつまんないし」
「………うそつき」
 ぼそぼそと呟いて弟はシーツに顔を埋めてしまう。
 嘘をついているつもりはない。ましてやライルが負い目や引け目を感じる必要もない。家に居るのは自分自身の意志だ。彼のためだけではない。

 ―――ごくごく普通の家族だった。
 と、思う。
 金持ちではないが貧乏でもなくて、両親に怒られながらも甘やかされて、兄弟と喧嘩しながらもじゃれあって、級友と遊んで、近所の人々と一緒に騒いだりして。
 本当に、普通。だったと思う。
 ただ。
 一点だけを除いては。

「………どうしてかなあ、兄さん」
 既に慣れてしまった言葉に、ニールは何処か痛ましげな笑みを浮かべた。
 普段は気にしていないことが、割り切ったはずのことが、体調を崩すと途端に表に這い出てくる。弱気の虫が頭を擡げる。忘れてはいない、忘れられるはずもないんだと繰り返し、繰り返し、家族全員に思い出させるように。
 だから、こんな日は自分が片割れの傍に残る。
「どうして―――オレは兄さんじゃないのかな………双子なのに」
「ラーイールー。確かにオレたちは双子だけど、お前はお前で、オレはオレだろ。お前がオレになったり、オレがお前になったりするはずないんだから」
「そう、かなあ」
 未だ熱に浮かされた表情で弟は僅かに首を傾げる。
 喉が渇いていないかとレモネードを差し出せばおとなしく口をつけて飲み干す。それでも彼の話が止まることはない。
「だってきっと、オレは兄さんの『未来』で、兄さんはオレの『過去』なんだ。オレが取った行動はいずれ兄さんが辿る道で、兄さんがしていることはかつてオレが通ってきた道なんだ」
「なんだそりゃ」
「どうして誰も………オレと兄さんを一緒にしないんだろう。どうしてこんなに違っちゃったのかな」
 生まれてくる前は『同じ』だったはずなのに。
 ぼんやりとした表情と眼差しで呟かれると答えに詰まってしまう。
 理由なんてわかりきっている。ふたりが異なる存在として扱われ続けるのはひとえに自分が原因だ。どっちがどっちなのか当ててみな、なんて。双子が身内相手によくするような遊びすら冗談混じりにも言えやしない。
 包み隠さずに話してくれた両親には感謝している。受け入れてくれた妹にも。だが、時に、こうして弱みを打ち明けられると何故こんなことになってしまったんだと自分で自分を呪いたくなる。生まれる前に戻って自らの存在を抹消したくなる。
 ライルが敢えてニールを「兄さん」と呼ぶ理由。生まれてきた順番を強調するための呼び方。
 わかっている―――わかっているんだ。
 初めて会った人間が自分たちを見て「そっくりな兄弟」だと思うことはあっても、「一卵性双生児」だと信じることはない事実を。
 ライルが「兄」でニールが「弟」だと思うことはあっても、ライルが「弟」でニールが「兄」であると気付くはずもない現実を。

 ニールの遺伝子は生まれてくる段階でライルの遺伝子の一部を『食い潰した』。
 だからニールの遺伝子は他よりほんのちょっとだけ多いし、ライルの遺伝子は他よりもほんのちょっとだけ少ない。
 そしてその、ほんの僅かな違いだけでライルの成長速度は速まり、確実にニールを置き去りにして行くのだ。頼むから生き急がないでくれとの周囲の切実な願いを知りもしないで。

 手元の本を床に投げ出して同じベッドに乗り上げた。
 早く、おとなになりたかった。
 誰が見てもニールこそが「兄」なのだと分かるように。外見から判断してもらうことは難しくとも、話すうちに、親しくなるうちに、そうと理解してもらえるように。
 だから。
 絶対に泣き言なんて言わないし弱音なんて吐かないし弱みなんて誰にも見せない。空元気でもいいから笑え辛い時ほど前を向け自分以外を励ますための言葉を紡げ。
 この日常を、守るために。
「―――ライル。お前のせいじゃないさ」
 頭を撫ぜていたら、のびてきた熱っぽい腕に抱き寄せられた。抗うことなく身を任せれば相手の胸元に耳を寄せることになって、いつもよりも速い鼓動に意味もなく切なさを覚えた。
「………兄さんの、所為でも、ないよね」
「そうだな」
 違う。
 悪いのは自分だ。自分の中にある、『生き残ろうとする』遺伝子だ。
 ライル、覚えているか。かつて出会った老人の話を。
 帽子を目深に被り、杖をついた片目の老人の話を。
 人類の遺伝子は須らく生き残ることを前提としていて、『生き残らなくてもいい』とのたまう遺伝子を食い潰してしまった。誰よりも近しい存在に対してさえ自分の中に眠る遺伝子は牙を向けた。
 嗚呼、まったく―――反吐が出る。
「………泣くなよ」
「兄さんが………バカだから………」
「バカとはなんだ、バカとは」
「だってさぁ」
 グズグズと涙を零しながら弟は兄を強く抱き締める。

 ―――きっといつか、兄さんはオレをおいてっちゃうんだ。兄さんはみんなすきだから、かってばかりして、ヒトのきもちもかんがえないで、オレのことをおいていくんだ。

「お前だって、みんなのことが好きだろ?」
「違う………違うんだ。兄さんは、………」
 熱のためなのか、それ以外の何かのためなのか。
 ぼろぼろと泣き続ける弟をどうやって慰めればいいのかわからなくて途方に暮れた。ただ、どちらかと言えばライルが自分を置いて行くに違いないと感じていたから、同意を示すこともできずにおとなしく抱き返すに留めた。
 弟が欲しいと願うならなんだって与えてやりたかった。甘やかしているだけだと、お前の愛し方はヒトを駄目にするのだと、傍から謗りを受けたとしても。
 互いの命の鼓動を確かめるように。
 服の隙間から地肌に触れてきた熱いてのひらを、振り払える理由なんて存在しなかったのだ。

 ―――誰かに。
 歪んでいると指摘されたなら否定できるはずもなかった。
 それでも大丈夫。大丈夫だったはずだ。
 ふたりを等しく扱ってくれる両親と、ふたりの違いを見分けてくれる妹がいたならば。
 多少の行き違いやすれ違いがあったところで、世間の認識と自分たちの価値観に相違が見られたところで、成長速度の違いも歳を取れば感じなくなるんだと素直に受け入れられたはずだ。
 あの日、家族が。
 <聖典の使徒>の起こした―――自爆テロに巻き込まれたりさえしなければ。




「―――兄さん」
「兄さん、オレ、軍隊に入るよ」
「ライル・ディランディは事故に巻き込まれて死んだことにした。戸籍もいじっといたよ。偽名さえ使えば軍なんて簡単に入れる。細かな詮索はしないのがモットーだしな」
「どうしてか、だって? 決まってるじゃないか」
「連中が憎くて憎くて仕方が無いんだろ? 何もせずに生きていることがイヤになるぐらいに、足掻きたくて堪らないぐらいに、他の何も気にせずに我武者羅に突き進みたいんだろ?」
「もし兄さんがいま、オレと同じ外見をしてたら間違いなく軍に入るよ。だからオレもそうするんだ」
「兄さんが、オレを置いていく前に」




 ―――オレが兄さんを置いていかないと。




「………ライル。オレは。オレの背がお前ぐらいになっても絶対に軍になんか入らない。だから、行くだなんて言うな」
「家族の仇が憎いのに?」
「お前には生きていてほしい」
「世界を変えたいのに?」
「オレは。お前がいればいい。ライル。お前がいればいいから、だから―――」
「嘘だね」
 妙にきっぱりと。
 弟は断言した。
 家族を奪った理不尽な暴力が、事故を事故として片付けてしまう世間の風潮が、止むことの無い暴力の連鎖が。
 こんな世の中なんてイヤだと全力で叫ばせる。
 自分よりも随分高い身長、しっかりとした骨格、髪の色と瞳の色ばかりは酷似した姿。
 ニールが数年後に辿り着くだろう容姿を眼前に晒してライルは笑った。

「嘘だね、兄さん」

 オレは兄さんが傍にいてくれるなら家族の死だって一連の世界の流れとして受け入れるよ。個人レベルでどうしようもないことを喚いたって幸せになれる訳じゃない。世界が変わるはずもない。残された唯一の肉親と傷を舐め合いながら生きていくことだって『オレ』には全然苦じゃないんだ。
 でも。
「兄さんは―――オレ以外の家族もいないと。駄目なんだろ。家族のことも、家族じゃない他人のことも、こんなどうしようもない世界のことも好きで好きで堪らないから、我慢ができないんだ」
 唯一生き残った弟を大切に思う一方で、失った家族のぬくもりを惜しんで泣いている。
 理不尽な現実を叩きつける世界を憎みながら、すべての始まりである家族を与えてくれた世界を愛している。
 捨て切れない。
 過去を過去として整理しきることが、受け入れて前に進むことができない。
 だから。

「オレは、兄さんの『未来』だから」

 兄さんがこれから取るであろう行動を、先に示してみせるだけだよ―――。




 止めることができなかった。
 もしも自分がその時に入隊可能な年齢であったなら、弟の制止を振り切って志願していたことは確かだった。取り戻したくても取り戻せない現実ばかりが明らかになっても、奇跡的に残された肉親の命をいとおしみながらも、自らの身に降りかかった現実を、これから先に不特定多数の人間に降りかかり続けるであろう不幸を、「仕方が無いことだ」と受け入れることができなかった。
 以来、偶に帰ってくる弟との会話は非常にぎこちないものになり。

 ―――あの日。
 空が赤く染まった日に。
 後に第一次『FALLEN ANGELS』と呼ばれる戦闘があったその時に。
 身を引き裂かれるような痛みと共に、唯一残されていたはずのものさえも自らの愚かさ故に失ったことを知ったのだ。




 規律で定められた十四歳になるのを待って軍に志願した。
 彼は自分の『未来』で自分は彼の『過去』に過ぎないのだから、現実の年齢が『未来』に追いついたならば『自分』の願った通りに行動することに否やは無い。
 軍に入ってすぐに第一次『FALLEN ANGELS』の履歴を探った。ソレスタルビーイングが壊滅寸前まで追い込まれたことに加え、軍の上層部には余程後ろめたいことでもあったのかかなりの情報改竄がなされていたものの、犠牲者のリストを見ただけでニールにはそれが『ライル』だと分かった。
 正義の審判、だなんて。
 ふざけた名前を騙るのはあいつぐらいのものだ。
 正義の審判をくだしてほしかったのは、他ならぬ自分だったから。
 過去を捨て切れない自身に、弟だけを優先することができなかった我が身に、現実を受け入れることができずに喚いてばかりの己に、相応しい罰をと望んだのは間違いなく『ニール』本人だ。
 守りたかった存在さえも失った者など抜け殻同然だ。
 ただ只管に生を紡ぐことだけが託された願いであるならば。
 彼の後を追って軍に入ることも、彼に与えられていた『ロックオン・ストラトス』のコードネームを引き継ぐことも、いつか『ヴェーダ』と相対し彼と同じ空で命を散らすことも怖くはない。
 それでも。
 いまでも、思う。
 こんな我侭勝手な人間ではなくて、生を受けた瞬間から実の弟を食い潰すような愚かな存在ではなくて、本当は、あくまでも優しい。




 ―――ライル。
 生き残るべきは、お前だったのに。




 ―――………ル。
 ―――………ール、起きたまえ。眠ってしまったのか?

 肩を揺さぶられてうっすらと目を開ける。けれども視界はくらくらとして覚束なくて、頭には霞がかかっているようだ。
 指先に触れる何か冷たいもの、は、グラス。のような、気が、するが。

 ―――大丈夫か? なんなら部屋まで送っていくが………。

 心配そうに覗き込んできた顔に見覚えがある。
 綺麗な澄み切った緑色の瞳。
 ライルの瞳はもうちょっと青っぽかった気もしたが懐かしさに駆られて思わず手を伸ばした。後頭部に手を回して引き寄せて、額に額を押し付ける。伝わる熱はおだやかなものだ。
 ほっと安堵の息をつく。
「………だ………」

 ―――え?

 相手が驚いたように目を見開いているのが面白い。やたら遠くから響いてくる声にニールはへにゃりと笑い返した。
 熱、さがったんだ、よかったな、と。

「………ライ、ル―――」

 絶え間ない波のように訪れる眠気に堪えきれずに瞼を閉じた。
 しばしの沈黙の後に、間近で聴こえたのは誰かの溜息。
 首にかけていた腕を頼りに担ぎ上げられる感触。ああ、移動するんだな、歩かなくちゃと意識の隅で思いはするけれど、結局は相手に体重をほとんど預けてしまっている。

 ―――あっれー、隊長。もう帰るんですか?
 ―――彼が眠ってしまったようなのでね。部屋まで送り届けてこよう。
 ―――気をつけてくださいよ、隊長。足元覚束ないですよ!
 ―――安心しろ、私は酔ってなどいない!
 ―――酔ってないって主張するヒトほど現実には………。

 聴こえてくる声は言葉としての意味を成さない。
 ゆっくりと運ばれていく身体に纏いつく眠気と、肩を貸してくれている誰かのぬくもりと、記憶の底に眠る懐かしい面影とが混ざり合う。
 戦い続ける日々をつらいだなんて思わないよ、と、懐かしい面影に呼びかけた。

 ―――ライル。
 オレは、生まれ落ちる前からお前という名の世界の一部を食い潰してしまったけれど。
 どれほどに悔やんだところで取り戻せるはずもないけれど。
 それでも。
 いつかは。

 ―――お前が眠る世界の果てに辿り着けるように。

 

 


 

この後ハムさんは必死こいて「ライル」のことを調べてこれに至ったと思われます。

ライルさんの性格が本編とはかなり違っちゃったけども、まあ深くは考えるまい(あのなー)

このパラレルにおける双子の関係は「ニール」になろうとしたライルと、

「ライル」になりきれなかったニール、とゆー感じ?

回想シーン内の双子の実年齢は十歳前後、ライルさんの外見は十五歳程度。入隊時の

ライルさんは二十歳前後の外見になっていたと思われます。

双子なのに成長速度が違うなんてありえるんですか? とか聞かないでね………。

 

余談ですが、マリーの予言した「彼の傍にいる赤い正義の番人」には現時点で三通りの意味があります。

関連キャラは四人いるのですが、そのうちのひとりはまだ登場すらしてません。てへ☆(………)

 

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