生き残りたいと、本能が叫ぶ。
いつだって押し込められて生きてきた。
薄暗い研究室に。
座る場所もないほど狭い場所に。
目覚めても視界に映るのは白一色で統一された面白くもない壁と天井、白衣に身を包んだ無表情の研究者たち、白衣に身を包んだ虚ろな眼差しの子供たち。
何度繰り返しても覚めることのない悪夢のように。
―――所長! 大変です、ベータが………!!
―――馬鹿な! E-0057シリーズはすべて廃棄したはずだ!
―――な、仲間の死骸を使って生体反応を回避………うああああっ!!
研究室の狭い窓から覗く青い空に焦がれた。
偶に空を過ぎる鳥に憧れた。
あの空は誰のものだ。
連中は答えた。空は天に住まう神、『ヴェーダ』のものであると。
決めたのは誰だ。
連中は答えた。決めたのは白き絶対者、『ヴェーダ』であると。
ふ ざ け る な 。
―――アルファとイプシロンはどうした! 連れて来い!!
―――駄目です、奴らは疾うに始末………ひっ!?
―――どうした!?
―――ア、アルファとイプシロンが………こっちに、来っ………!
―――どうした、応答しろ! 応答しろ!!
生き残りたい生き延びたい生き続けたい。
本能が叫ぶ。
仲間の身体からぬくもりが失われていくのを感じながら只管に息を殺して連中が扉を開けるのを待った。意識が混濁してきたその時に、扉が開く音を聞いて思わず笑った。
殴りかかり、蹴り倒し、連中が手にしていた銃を奪い取って狙いを定める。
迷うものか嘆くものか後悔するものか。
いのちある者が生きたいと願って何が悪い。
他者の命を食い潰そうとした人間が逆に食い潰された。
ただそれだけの話。
連中は語った。
人類の中に眠る『生き残ろうとする遺伝子』は須らく愚かさの証であると。故にこそ、そのような劣った因子を廃した完全なる存在を創り上げることが必須なのだと。
連中は嘆いた。
けれども『生き残ろうとする遺伝子』を廃した者の多くは試験管の中でヒトの形を成さず、ヒトの形を成しても肉体や精神に異常を来たしてすぐに自滅した。
連中は悟った。
一から創り上げることが不可能に近いなら、既にヒトの形を成した者を後から改造すればいい。『生き残ろうとする遺伝子』すらも制御できるように脳を組み替え、『ヴェーダ』の手足として働ける強い肉体を得るためにナノマシンを埋め込もう。
連中は頷いた。
そうとも、これは人類のあるべき姿。神のために戦う超兵。死ぬことを恐れず純粋な信仰のもとに神の先兵となるべき者。故にこそ彼らに与えよう、洗礼に基づく御名を。
―――やめろ、殺すな! 殺さないでくれえええ!
―――悪かった、頼む、見逃してくれ。命じられただけなんだ、失敗作は消せと上から命じられただけなんだ!
―――悪くない悪くない悪くない私は悪くないみんなあいつらが悪いんだ命じた奴らが悪いんだ私の所為じゃない私の責任じゃない!
―――なあ頼む、お願いだ、私には家族がいるんだ。そう、キミぐらいの歳の子だよ。私が帰らなかったらあの子はひとりになってしまう。
―――だから、な? 見逃してくれないか。
―――そうだ! なんならキミらに便宜を図ってやろう。なあに、戸籍の幾つかを偽るぐらい容易いことだよ。だからそんな銃なんてそこらに放って、な………。
―――いい子だ。お前はいい子だよ。―――ハレルヤ。
白衣が血に染まった。
「………ハレルヤ」
小さな呼びかけに振り向いた。
暗い、暗い、照明の消えた研究所の中でさえ自分たちの目は周囲の惨状を明確に捉えていた。
散乱した書類、崩れ落ちた人間たち、壁と床と天井に広がる鮮血、血に塗れた白衣と銃。
沈痛な面持ちをした片割れの手には同じような銃が握られて、白衣は同じように血に塗れていた。彼の後ろからのろのろと歩いてきた少女も似た様な有り様で。
虚ろな眼差し。
何も見ていないような。
「―――ハレルヤ」
もう、一度。
片割れは呻くような声を上げた。神への祈りと感謝を表す名前がひどく滑稽だ。
自分の足元には今しがた撃ち殺したばかりの人間の死体が転がっている。命など惜しくない、死ぬことを恐れない生物を創るのだと息巻いておきながら、現実にはこれだ。何よりも誰よりも自分たちこそが『生』に執着しているくせに、自分たちが創り上げた存在には生きる意志を認めないとはどんな傲慢だ。
神を敬うと宣言しながら神をも恐れぬ行為をする。
本当に『愚か』なのは『誰』だ。
「―――アレルヤ。ソーマ」
唯一残された、血を分けた仲間の名前を呼ぶ。
「覚えておけよ」
同じように銃を握ったとしても、同じようにヒトを殺したとしても、同じように生きる本能に突き動かされたとしても。
互いに血に塗れ白衣を赤く染め上げ断末魔の悲鳴を耳にしたとしても。
扉が開くや否や跳ね起きて、飛びついて、獣のような唸りを上げて殺戮に走ったのは。
「最初に引き金を引いたのは―――オレだ」
それを忘れるんじゃねえ。
哀しげに佇むままのふたりに、誓わせるように宣言した。
引き金を引いた結果として得た罪も自由も責任も。
抱くことになった喜びも悲しみも戸惑いも。
生きる。生き延びる。生き続ける。
そのためにこそ引き金を引く。
故にこそ。
そこで得たすべてが、自分のものだ。
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