―――この世に、神なんていない。
それを聞いたのは本当に単なる偶然だ。いつもなら寝入っているような深夜に、何故か急に目が覚めた。繰り返される訓練に疲れきった身体が覚醒を促す。扉から漏れ出す光とささやかな声に導かれるように寝所を抜け出して。
ほんの僅か。
開いた隙間から聞こえてくる声に耳を澄ます。目を凝らす。
赤い髪の男と、奥の薄暗い画面にぼんやりと人影のようなものが浮かんでいるのが見える。
―――聞いたぜ。人革の連中が何やらドジったらしいじゃねえか。E-0057シリーズの廃棄に失敗して研究所を丸々潰されたって専らの噂だぜ。
―――相変わらず耳が早いね。それに、何だか嬉しそうだ。
―――楽しいんだよ! たった三人で研究所の人間を殺しまくりだ。いいねえ、殺戮の嵐だ! 血が騒いでたまんねぇよ。そいつら逃げ出したんだろ? オレに追撃させてみねえか。
―――その必要はない。E-0057シリーズは生きることに貪欲になる余りに自己破壊衝動も強くなる傾向がある。彼らが成人できる可能性など無きに等しいし、それに、正直いっていまは彼らが勝手にやっていた超兵の研究なんてどうでもいいんだ。
―――ああ、確か………器が見つかったとか言ってたか。なんだよ。それじゃあ、わざわざクルジスのガキを鍛えてたオレは単なる徒労ってか? やってらんねえなあ。
―――ソラン・イブラヒムは経過観察対象とする。それだけの話だよ。
薄暗い部屋の中で細々とした会話は続く。
けれど、それは、確実に。
何か『よからぬもの』を感じさせる印象で。
信じていたはずの赤い髪の男の背中が、不気味に感じられてくるようで。
記憶の始まりは赤い大地と乾いた風が吹き付ける荒野、燃え盛る炎のような髪をした男の鋭い瞳と絶え間なく流れる『ヴェーダ』を讃える声。
諸君は選ばれた。『ヴェーダ』の戦士として選ばれたのだ。死した後はあの高き空に魂が迎えられて永遠の安らぎを得ることができる。
故にこそ酌み交わそう。
互いの血を。命を。魂を。
『選別』として最初に血を抜き取られ、数名のグループに分けて行動するよう指示をくだされて、その中で男は自分に対して言った。
お前には『選ばれし者』の血が流れている。『神』に近しい血が流れている。自信を持て、と。
特別だと思われたかった。『神』に認められると共に、自分を育ててくれた人物に選ばれたのだと、そのために傍に置かれているのだと、確かに必要とされているのだと思いたかった。死ぬことがどれほどに恐ろしくともいつか喪われた時に『神』と彼が少しでも何かを感じてくれるのなら、と。
ただ只管に。
信じていた。
―――信じていたんだ。あの男を。
『助けろだあ? 冗談じゃねえ、こんな時だってのにオレがわざわざ出向く必要あんのかよ!!』
『これだからガキは面倒だってんだよ。なんだかんだと文句はつける。泣く。喚く。弱い。脆い。馬鹿で浅はかで愚かですぐに壊れる。力もないくせに権利だけ主張しやがる!』
『なんだあ、その目は。悔しかったら独りでどうにかしてみせるんだなあ、クソガキ!』
―――信じた、ところで。
神はいない。神はいない。神なんているはずもない。
嘲笑うだけ嘲笑って消えて行った赤毛の男の背中。
何も残らない誰にも必要とされない罪だけは増えていくのに。
おとなはずるいおとなはきたないおとなはみにくい。
助けなんて来ない戦うしかない引き金を引くしか生き残れる道なんてない。
仲間を守りたいのに友人を救いたいのに零れていくものばかりだ。
絶望に叫ぶ。
『この世に、神なんていない!!』
故にこそ。
『―――どうした、大丈夫か!?』
そこにいるのは、まったきヒトなのだ。
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