―――室内を満たすシンと張り詰めた空気が痛い。
 刹那が一通り話し終えてもニールは座り込んだ体勢のまま固まって碌な反応すらできずにいた。折角持ってきてもらったスープが冷めちまった勿体無い、そういやリヒティは機転を利かせて音声と映像の録音機能をOFFにしてくれただろうか、過去を詮索しないのが軍の暗黙の了解とはいえ流石に<聖典の使途>出身だと知られては今後の刹那の進路が危うくなってしまう、等と重大なようで本題ではないことを脳裏が駆け巡るのはおそらく単なる現実逃避だ。
 瞬いた少年が再び口を開いた。
「………一時間ほどしてオレたちは医療班に無事に保護された。オレは一度病院から逃げ出したが、結局は銃を手に歩いているところを保護された。幸いにしてアザディスタンの第一皇女が開く孤児院に行くことになったが、『ヴェーダ』襲来のドタバタで、同じ孤児院に一時的に保護されたはずの沙慈やルイスとはそれきり会えていない」
 オレが軍を目指したのはオレなりの償いであるかもしれないが、彼らの行方を捜すことも目的に含まれている。だからこそ、本名ではなく『刹那』として軍に入った。あいつらはオレの本名を知らない。孤児院でも調べられるだけのことを調べるうちに、宗教や権力闘争なども絡んだアザディスタンへの援助や救援を各国が渋っていたことや、どんな思惑があったにせよ、戦場に真っ先に駆けつけたのがソレスタルビーイングだったと知った。医療班に保護された時に空を飛び交っていた戦闘機の数々と各機体に彫られた翼の意匠を忘れたことはない。
 だからこそ自分たちを助けてくれたのはソレスタルビーイング所属の兵で間違いないと判断し、ユニオンでもAEUでも人革連でもない『此処』を行き先に選んだ。
「探し人は死んでいる可能性の方が高いとも思っていた。なにせそいつは、新兵のくせに危険戦闘区域に入り込んで単独行動し、貴重な食料や薬の数々を見ず知らずのこどもに分け与える愚か者だ。どれほどに銃の腕前が優れていようとも囮になることも厭わない性格では生きて行くには難い。だから、空に上がった直後の甲板でお前を見つけた時は………ほっとした」
 褒めているのか貶しているのか分からない言葉を聞きながらニールはがっくりと頭を項垂れた。
 ああ、うん、覚えている。いや、思い出したと言うべきか。
 アザディスタンの戦闘は初陣だった。初めて戦場に立つ高揚感や緊張感に煽られてかなり独断専行で動いた覚えがある。新兵としては目覚しい戦果を挙げたものの、命令違反が多かったために三日間の独房行きになったことだって。
 戦闘中、こどもたちに会った記憶とてある。不釣合いなほどでかい銃を抱えて、ぼろぼろで、幼い身で戦いを選ばざるを得ないとはどれほどにこの世は歪んでいるのかと怒りを抱いた。友人を護る姿に素直に感嘆したものの、隠れて助けを待っていろと言ったのに無茶なことをしようとするから全力で止めた覚えとてあるにはあるのだが―――それが、目の前の少年と結びついていなかった。
 はは、と乾いた笑いを浮かべる。
 敵を倒すよりも仲間を護れ、などと、どの口で。
 年端も行かぬこどもに。
 儚くも薄汚い理想論を。
(ンなこと言ったのかよ………オレは)
 ブリングの時とは違う。
 違うけれども少し。ほんの少しだけ、似ているような気もしてしまう。単なる刷り込みに過ぎないと一蹴することは簡単だとしても、例えば、自分の不用意な一言がなければ彼は軍を目指すこともなく、優しい皇女のもとで異なる未来を選んでいたのかもしれないと―――。
「勘違いするな、ニール・ディランディ」
 ピシリ、と。
 内心の言葉に応えるように鋼の声が響いた。
「お前が何を言おうと願おうと後悔しようと決めたのはオレ自身だ。お前の言葉が切っ掛けになったことは否めないが、こんな世の中で、他の道を選んだ可能性がどの程度あったと言うんだ。オレは戦い方を知っている。世界を変えたいとも思っている。ならば、遅かれ早かれ軍の門を叩いていただろう」
 ゆっくりとしゃがみ込み、俯きがちなニールの視線を捕まえるように覗き込む。
「自惚れるな、ニール・ディランディ。お前がどんな想いを抱いたとしても、―――選択権は常にオレにある。お前じゃない」
 自分で考え、自分で選び、自分で決めてきた。
 幾ら外的要因があったとしても、それだけで全てを済し崩しに決めてしまうような柔な精神はしていないと瞳の色が雄弁に語る。「お前」の意志の介在しない部分で、「オレ」が望んだのだと。
「オレはオレの勝手な期待のもとにお前が覚えていてくれることを願っていた。だからこそ望むような反応が得られないことに苛立ちもした。だが、間違っていた。あの時のお前はオレにとってひとつの指針となったが、オレはお前にとっての指針ではなかった。それだけのことだ。些細なことに拘って伝えたいことすら伝えられなくなるぐらいなら、意地など捨て去ってしまえばいい」
 この数十分だけで数ヶ月分に匹敵する言葉を話した少年は、貫かれそうなほどに真っ直ぐな瞳を向けた。
「ニール・ディランディ―――お前に会いたかった。礼を言いたかった。軍で生活を共にするようになってからは、何故こんなにも愚かなのかと苦言を呈したくもなった。弱い者を護ろうとする優しさはお前の美徳だが、戦場にまで優しさを持ち込むことは浅薄だ。お前はもっと、自らを優先することを覚えるべきだ」
 至近距離から向かい合い、芯からの言葉を伝えられてしまっては。
 ………参った。
 まさか、
「………勘違いするなよ、刹那・F・セイエイ」
 ―――反省するより先に、開き直らせてくれるとは。
 声には自嘲と諦観が含まれていた。膝の間に埋めていた顔を上げて明らかな苦笑を頬に刻む。
「オレが誰かを護ろうとするのは美徳でも何でもない。ただのエゴだ。戦場で彷徨ってたこどもを助けたのもただの自己満足さ。手の届く範囲で誰かの命が尽きるのを見ていられなかった。それを見ずに済むのなら食料だって医療品だって好きなだけ分けてやるし囮にだってなってやる」
 ただそれだけの思いでしか動いていないからこそ、戦いの終わった後に医療班が三人のこどもを回収したことを確認しただけで、以降は思い出しすらしなかったのだ。実に呆れた『美徳』ではないか。
 周りは時に「もっと自分を大切にしろ」と言ってくれるが、自分で自分なりに自分を甘やかした結果がこれなのだから、もう既に矯正しようのないところまで堕ちていると思う。
 いまの彼ならば振り払わないだろうと打算を篭めて両腕を刹那へ伸ばす。案の定、僅かに身体を震わせたものの彼は黙って抱擁を受け止める。愚かと言い切られることは有り難かった。なにせ己は、これから口にする言葉が少年にとってひどく痛みを伴うものだと知りつつも敢えて告げるのだから。
「自惚れんなよ? 刹那・F・セイエイ。お前が望むってんなら、………オレは、オレの行動がお前に影響与えたのかもしれないなんて悩まないようにする。オレが居ても居なくてもお前は此処に来たんだと考えることにする。―――けどな、」
 ぐ、と腕に力を篭めて抱き寄せる。細い襟首に顔を埋め、情けない顔を晒さずにいられるように強く相手の額をこちらの肩へと押し付けて。

「―――お前が生きている。ただ、それだけで救われる存在が居るってことを………忘れないでくれ」

「………!」
 先程より大きく刹那の身体が揺れた。
 反射的に跳ね除けようとした腕を力ずくで抑え込んで、とにかく顔を見られないように努める。細い身体だ。幼少時の生活環境だって違う、体術は心得ていても年齢からくる体格の違いは如何ともし難い。

「刹那」

 抱き締めた身体は温かい。頬を掠める黒髪がくすぐったい。

「生きてるんだ」

 細い身体も折れそうな手足も柔らかな髪も赤茶けた瞳も、全て、全て、ほんの少しの運命のかけ違いで喪われていたかもしれないもの。
 如何に周囲が願おうと祈ろうと手助けしようと、最後の最後で危機を脱するのは本人の中に眠る強さに他ならない。それと知りながらも突き放しながらも自分は懲りずに、あくまでも我侭に、護りたいモノを護るためだけに生きて行くのだ。
 だからこそ。

「お前は、此処で、生きてる―――なあ。生きてるんだ、刹那」

 あくまでも自らの意志で立ち、進み、生き抜いてくれる存在が。

「ありがとう、刹那。生きていてくれて。お前が生まれ、生きている。いまこの瞬間にオレは感謝する」

 たとえようもなくいとおしいのだと―――………。

 きつく、きつく、両腕に力を篭めた。眦に滲んだものを隠すかのように、相手の首元に顔を埋めて取り縋るように。
 やがておずおずと少年の腕が彼の背中に回り、確かな生きている鼓動を伝えてくることに。
 堪えきれず青年は熱の混じった息を吐いた。




 燦々と降り注ぐ太陽の光の下で訓練兵たちが整列している。今日、この時をもって彼らは訓練兵の括りから外れて一般の兵士達と同じように扱われるのだ。人数は訓練開始時の半分に減っていた。更にそのうちの半分が事務方に回され、更に半分が砲撃手などの裏方に回され、更に一部の者たちはメカニックに役目を転じる。実際に戦闘機のパイロットとして選出された者はごく僅かに過ぎない。
 そんな、残された僅かな面子の中に教え子が含まれていることを素直に喜ばしく感じた。
「上機嫌だな、姫」
「まあな」
 甲板から眼下の様子を眺めながらニールはグラハムの声に気軽に答えた。
 元・新兵たちは並んでおとなしくセルゲイの訓辞を聞いているが、当然、青年の視線は一箇所に注がれたままだった。並び立つ金髪の男もまた嬉しそうに微笑んでいる。
「彼の少年がパイロットに選出されたことは行幸だ。これで再び彼と戦える」
「おいおい、頼むから場外乱闘を繰り広げるのはやめてくれよ?」
「我々が止まらなければ君が止めてくれるのだろう。問題ない」
 冗談とも本気ともつかぬ言葉に呆れながらも、本当に色んなことがあったものだとニールは改めて視線を下方へ落とした。赤茶色の瞳をした少年がじっとセルゲイの言葉に耳を傾けている様を目にして自然と頬が緩んでしまう。
 日の光にジリジリと熱を持ち始めた柵に両手を預けてのんびりと。
「―――グラハム」
「なんだね」
「言うこと聞いてくれない奴ほど付き合ってて楽しくなるってのは、かなり趣味が悪いってことだよな?」
 自覚していなかったのかねと返されても怒る気にもならず、やんわりと微笑みながら告げる声に棘はないし疎みもない。
 思い返してみれば刹那もアレルヤもハレルヤもティエリアも、言うまでもなく隣に立っている人物も、相手の話を聞いているようで全く聞いていない。優しい面を持ち合わせてはいても肝心要なところでは我の強さが覗く。理不尽だと溜息つきたくなるとも振り返るまでもなく当の自分が一番我侭なのだから文句を言えた義理ではない。ああ、よくよく考えてみればライルだってヒトの話を聞かない奴だった。
 皆、勝手に。
 互いの想いに気付きながらもひとりで歩いて行ってしまう。
 立ち止まってばかりの自分は置き去りにされる一方だが―――きっと、それでいい。せめて彼らを引き止めるのではなく、彼らが前へ進むための手助けができればよいと願ってはいるけれど。
 傍らの青年が生真面目な顔をして顎に手を当てる。
「ふむ。すると私も、君に対するアピールをいま少し控えた方が振り向いてもらえる可能性が高くなるということか」
「あんたがヒトの話聞かないのはいまに始まったことじゃないだろ」
 自覚してなかったのか? これまで通りでいいんだよ。どうせ出来やしないんだし。
 それもまた酷い評価ではないかと珍しくも口を尖らせて不満を訴える彼の背中を叩いてやる。甲板に立って久しい背中は手袋ごしでも確かなぬくもりを伝えていた。
 セルゲイの訓辞が終わって新兵たちが徐々に列を乱し始める。スケジュールに追われる生活は終わり、これからはすべての予定を自分で組み立てて行動しなければならない。上からの命令を待っているだけではすまないのが軍人としての暮らしである。
 柵にもたれかかっていた上体を起こす。
「もう、行くのかね?」
「用事があるんだ。グラハム、あんたのことも隊の皆が探してたぜ。意見を聞きたいってさ」
「そうだ! つい先程、ビリーから通信があったのだ! 今度のフラッグもすごいぞ、なんと翼の角度を僅かながら調整することで更なる高速移動を、」
「わかったから、ほら。早く行こうぜ」
 話を聞き出したら一時間や二時間では離してもらえなくなると、聊か慌てた様子でニールは相手の腕を取り上げ移動を促した。明るい屋外から暗い廊下へと扉を潜ると一気に涼しさを感じた。ほんの数度の瞬きで明暗の差に対応した瞳を今一度グラハムへと向けて。
 ぶつぶつ言っている彼の思考は既に戦闘機へと飛んでいるのだろう。故にこそ微笑ましく、好都合だと感じながら密やかに。
「グラハム」
「すると肉体にかかるGが圧倒的に強くなると言うことか。いや、あくまでも理論上は―――」
「オレは―――あんたの自由奔放で勝手気侭なところにだいぶ救われてるよ。『姫』って呼んでくる点だけはいい加減にしてくれと思うけどな」
 周囲がどうなろうと迷わずに自らの意志で行動する。最初に彼を助けに行ったのだって、きっと、そんなところに呆れながらも惹かれたからだ。眩しくてならないからだ。
 徐々に遠ざかっていく背中に届かないと知りつつも最大の感謝を篭めて更に小さな声で囁いた。
「意外とガキっぽいとこも含めてさ、………あんたが好きだよ、グラハム」
 友情とも恋情とも断言せずにこころなしか早足で階段を下りた。相手が何か叫んだ気がするが、まあ、新しい理論に行き着いたのだとでも思っておこう。万が一にでもいまの呟きが彼に聞こえていたならば明日からはますますとんでもない口説き文句の数々を披露されるに違いないが、フラッグのことで頭が一杯になっているなら問題ないはずだ。たぶん。
 ちょっとした明日への爆弾を残したままにニールは甲板へと繋がる扉を開いた。と、すぐ近くに刹那が立っていて思わず顔が綻ぶ。
「セイエ―――刹那。待ってたのか」
「髪を切ってくれるという約束だ」
 名前を呼ぼうとした瞬間に凄い眼差しで睨まれて、急いで言い直す。
 ここ数ヶ月で、ただでさえ癖が強い刹那の髪は随分と方々に伸びてしまっていた。普通は散髪くらい自分でやるか地上に降りた際に切ってくるものだったが、彼についてはこちらから立候補したのである。なにせ刹那と来たら手持ちのジャックナイフでいきなりずっぱり切ろうとしていたので。「慣れている」とか言われてもあれは実に精神衛生上よろしくない光景だった。
 ちなみに、偶々通りかかったティエリアが「こうすればいい」と突如として持ち出したバリカンで丸刈りにしようとしたり、「オレがやってやるぜえ!」とハレルヤが包丁片手に参戦したり、巻き込まれたアレルヤの前髪が一部被害を被って場に不気味な沈黙が落ちたりしたのは全くの余談である。
 手招けば素直に後から付いて来る。
 最初の出会いやら何やらを考えると随分と素直に懐いてくれたものだとむず痒いものを感じながら青年は踵を返した。




 プトレマイオスに数ある甲板の中でも比較的手狭な一画。ほとんど誰も寄り付かないような、二、三人が寝転がったらすぐに埋まってしまうような、晴れ渡った空の下に椅子を持ち出す。刹那を椅子に座らせて髪の毛がかからないようシーツを巻きつけて。
 ―――しゃきん。
 長閑な空気の中でそれとなく呼びかけた。
「なあ、刹那。お前さんの気が向いたらでいいが、よかったら今度、アイルランドに行かないか」
「アイルランド?」
「オレの故郷だ」
 僅かに少年の肩が震えたが、気にせずに手を動かし続ける。しゃきん。しゃきん。ちょっとずつ散らばる黒髪が流れる風に飛んで行く。
 少年の頭の動き、呼吸するタイミング、瞬きする気配、何もかもが伝わる距離。おそらく彼もこちらの行動のほとんどは読めている。戦場に居た頃の記憶が彼に周囲へ注意を払うことを強制する。そんなに警戒しないで欲しいと願いはすれど、願うだけ無駄なことかもしれないと分かってもいる。鋏を握り締めた人間に背後を任せてくれるだけでも彼の出自を思えばかなりの譲歩だ。もしや下手な意地を張って無理してやしないかと気遣いながら頭を撫でれば、気持ち良さそうに目を閉じられて安堵する。
 ああ、甘やかされているのはこちらの方だ。
「………以前にティエリア・アーデが言っていたな。用事があるのか」
「偶には墓参りしないとな」
 戻れる内に戻っておかないと、次にいつ行けるか分からないだろ?
 静かに、穏やかに、言葉を続ける。少年が黙って耳を傾けてくれることを有り難く受け止める。
 家族の眠る墓は家から少し離れた小高い丘にあって、何故か、訪れる日はいつも薄曇だった。ライルが居た時からいまに至るまで彼の地の空が晴れた試しがない。もっと幼い頃―――両親や妹も健在だった頃は違ったかもしれないが、不思議と当時の記憶がない。青年の記憶は家族を喪う前と後で大きな断絶がある。ライルを喪った日に更なる大きな溝を生じて、未だ前へ進めない程に。
「まあ、でも、オレが行きたいだけだから興味がないなら、」
「行く」
「………」
「オレも、行く」
 低く、小さく、強く呟かれた言葉に微笑を浮かべ、余分に少年の頭を撫ぜてやる。髪、を、切り過ぎないようにしなければ。自分は器用な人間ではないのだから。
 青年は目を細めて遠いむかしを思い出す。
 少年の首は僅かに下を向いている。眠ってしまったのかもしれない。
「………むかしさ」
「………」
「旅先で変なじーさんに会ったことがあるんだ。モノクルつけて、杖ついて、帽子被って、一見しただけでも実に風変わりなじーさんでさ」
 双子の弟と手に手を取って歩いていた幼い思い出。
 出会ったのはいつだったか、何処だったか、何故会ったのか、呼び止められたのか、こちらから呼びかけたのか。ひどく曖昧で、ともすれば夢ではないかと思いたくなるような出来事だったが、弟も同じ内容を覚えていたから現実だと判断することができた。
「言われたんだ。利己的な遺伝子の存在を知っているか、生き残りたいと本能が叫ぶ理由を知っているか、何故、我々人類が生き残ろうと足掻いてしまうのか分かるか、ってな」
「………」
「分かる訳ねえよな。当時のオレが何歳だと思ってんだ。でも、ま、話し相手の年齢気にするようなじーさんならそもそも声かけてくるはずねえし」
「………」
「じーさん曰く、人間には『生き残ろうとする遺伝子』しか残ってないんだと。かつては『生き残らなくてもいい遺伝子』もいたんだけど、そいつらは全部食い尽くされちまった。だからオレたちは生きたいと叫ぶことしかできない。立ち止まることも、他に譲ることも、相手のためを思って自らの滅びをよしとすることも―――」
 生物の多様性や進化の過程を思えば生き残ろうとする行為自体は否定されるべきではない。何処までも前へ進もうとする意志と適応性の高さが、あらゆる環境の変化にも生物を耐え忍ばせてきた。ひとつの種が滅んでも他の種が生き延びる。長い長い星の一生からすればほんの一瞬に過ぎない盛衰を繰り返す中、我こそが生き残るのだと主張できない遺伝子が淘汰されていくのは自然なことだ。
 ただ、そうと知りつつも。

 ―――しゃきん。

「………寂しいよな」

 しゃきん。

「『いま』のオレたちには、戦って相手を滅ぼす方法しか残されてないみたいで」

 しゃきん。

「戦わずに済むならそれが一番だって、誰に言われずとも、皆わかってるのにな………」

 しゃきん………。

 老人の話は単なる喩えであって、実際に理論で裏打ちされた訳ではない。それに、もし仮に遺伝子レベルで生き残らなければならないとの意志が組み込まれているとしても、より強い意志をもって本能を否定することは可能なのだから。
 否。可能であると信じていたいのだ。
 ぼやいてから、少年に零すような愚痴ではなかったとニールは反省する。どうも、先日の一件以来、気を許しすぎているようだ。二十歳を過ぎた男が少年に甘える構図など見苦しいことこの上ない。
 ふと、刹那がこちらを振り仰いでいるのに気付いた。何してんだ、危ないぞ、こっちは鋏持ってんだからなと注意するより早く。

「お前は軍に入ったことを、何かを、『消す』行為を厭うているのか」

 淡々とした声で問われて咄嗟に答えに窮した。
 対象が機械であれ何であれ「壊す」ことは命を奪う行為を連想させる。だが、『ヴェーダ』は人間ではないし、倒したところで赤い血など流れはしない。オレやグラハム・エーカーは戦闘機を生き物であるかのように語るが、お前の『それ』は違う。無機物に「完全な命」を見い出す必要はあるのか。真実何も壊さず、何も奪わずに生きて行きたいなら黙って食を断ち死を待つしかない。それこそ、『生き残らなくてもいい遺伝子』の如く。
 黙して死を選ぶことこそが「本当の幸福」に近づくための至上の行為なのだとしても、喪われた命や自らの手で護れなかったものの数々、いま共に戦う者たちの思いの全てを捨て去れるのかと問われれば首を横に振らざるを得ない。
 諦めて、受け入れろ。覚悟を決めろ。
 いつか両手が真紅に染まる時が来ようとも、せめてその瞬間までは迷うことなく余所見することなく、只管に護りたいと願う己が真実のために。

「それでも―――オレたちは『選んだ』んだ」

 ふい、と刹那の視線は再び正面の空へと戻されてしまう。
 鋏を握り締めたまま立ち竦んでいたニールは、やがて、苦笑を浮かべると宥めるように少年の髪を梳いた。はらはらと散り行く黒。密やかに認めていることを改めて眼前に突きつけられるのはつらい。逃げ道があろうとも脇目も振らずに走り続ける様は潔いとも愚かとも言えよう。だが、いずれにせよ自分は彼らのような生き方を否定することはできないし、憧れてすらいるのだ。

「………分かってるさ。刹那」

 お前の覚悟も、己が抱いた覚悟も。
 自分たちだけではない。グラハムも、アレルヤも、ハレルヤも、ティエリアも、その他多くの軍人や技術者たちも、敢えてこの道を選んだ。一心不乱に進む姿が傍からはレミングの行進の如く見えようとも、だからこそより一層に、可能な限りの最善をつくして行こうと誓う。
 喪いたくないものが増えても、喪う危険ばかりが高まれども、何かの折りにはせめて眼前に座す少年の命だけでも護れるだろうかと思いながらも。
 今更の話だ。疾うに決めていたことだ。躊躇するどころか悩む必要もなく、

 


彼は戦場に行った


 


―――始めたからには、もう、戻れない。

 

(11) ←

※WEB拍手再録


 

尻切れ蜻蛉な感じもしますが刹那とニールの馴れ初め話はこれにて終了です。

長々とお付き合いいただきありがとうございました〜っ。

 

ちなみに、「レミング」は集団自殺を連想させる行動を取る動物のことです。

研究の結果、「そう見えるだけ」って結論になってた気もするけど、どうだったっけ(調べろよ)

 

にしてもこれ、微妙にニールと刹那の会話が噛み合ってないな………頭ン中で

ぼんやり浮かんでただけの理論を言葉として組み立ててくのはやはり難しいっす。orz

 

BACK    TOP

 


女の子お絵かき掲示板ナスカiPhone修理