戦艦を取り囲み、飛び交うロボット兵を余所に刹那は必死で木の根を手繰っていた。目指すはロボット兵たちが飛び出してきた射出口だ。
何とか縁まで辿り着き、奥を覗き込む。先程まで途切れなくロボット兵が落ちてきていた穴もいまは沈黙を保っている。ボロボロになった靴を宙に投げ捨て、我武者羅に駆け上った。
滑り落ちそうなツルツルの穴を逆走して辿り着いたのは数多のロボット兵が膝を抱えて丸まっている―――銃に喩えるなら弾薬庫、と言った所か。辺りを見渡しても出入り口はない。が、此処に『彼ら』がいる以上は何処かから「入れた」に違いないのだ。ひょっとしたら、継ぎ目も何もない特殊細工かもしれないが。
(待っていろ………!)
アリーに飛び掛った姿を最後に映像は途切れてしまった。外で戦艦が炎と共に墜落していく。もしあの光景をロックオンもまた見ているのであれば、黙って手を拱いているはずがない。無茶であろうと無謀であろうと逆らおうとするに決まっている。
案じられるのは彼の命だ。アリーがロックオンを殺さないのは、彼の知らぬまじないを青年の一族が知っていると考えてのことだろう。逆に言うとそれさえ他で補うことが可能となれば生かしておく意味はなくなる。例えば、内容が全て記された文献が発見されるとか。
木の根と蔦が蔓延る壁を撫でさすり、弱い箇所はないか必死で探す。僅かな割れ目を発見し、意を決してバズーカを使った。
こじ開けた狭い穴を潜って薄暗い回廊に出る。
左右も分からぬまま闇雲に走り出そうとした少年の耳は、その時、銃声を捕らえた。近い。間違いなく近くにいる。
即座に目の前の壁にバズーカを放った。
至近距離での衝撃に体重の軽い刹那自身もあわせて後方に吹っ飛ぶ。幾度か咳き込んだ後で成果を見遣れば、壁に、小さな穴が空いている。だが、まだこれでは腕一本しか通らない。「ロックオン!! 何処だ!! 何処にいる!?」
かろうじてこじ開けた小さな穴の向こうに求める人物はいるのだろうか。壁の向こう側は通路なのか、あるいは他の部屋なのか、外へ繋がってしまうのか。
人間の小ささに対して城はあまりにも広大だ。
だが、奇跡的に声は届いた。
『刹那―――っ!!』
―――間違いない!
ビタリと身体を壁につけて耳を澄ます。遠くから足音が響いてくる。相手にもこちらの声が聞こえていたのか、刹那の名前を呼んでいる。
「ロックオン、オレは此処だ! 此処にいる!!」
「―――刹那っ!?」
不意に声が鮮明になった。
直径数10センチもない穴の向こう、僅かな時間しか離れていないのに、やたらと懐かしさを覚える翡翠の瞳が煌いた。
歓喜と安堵を篭めて刹那は武器を構える。
「すぐそっちに行く! 一旦離れろ!!」
「待て、刹那! それよりアリーが………急いでくれ!!」
青年が細い穴に腕を突っ込んでくる。その手に握られた、小さな『何か』。
瞬時に状況を察し、刹那も勢いよく片腕を入れた。相手の顔を見ながらでは届かない。必死に顔を壁に押し付け、ギリギリ限界まで、指先がビリビリと痺れるぐらい全身を伸ばして。
「海に………捨てるんだ………っ!!」
―――悲痛な声と、共に。
指先に触れた鉱物を、確かに刹那は掌中に包み込んだ。腕を引き、再度壁の向こうを覗き込んだ瞬間、ロックオンが誰かに肩を掴まれるのが見えた。
反射的に身体を仰け反らせる。
ゴーグルに銃弾が掠めて砕けた。
勢い余って後ろに倒れ込んだ刹那の耳に嘲るようなアリーの声が被さる。
「その石を大事に持っていろ! 野郎の命と引き換えだ!」
銃声。
あの男が、ロックオンを銃で追い詰めている。
目の前が真っ赤に染まる気がした。素早く弾丸を装填し、バズーカを構えて壁の同じ位置に一撃を叩き込む。天井からバラバラと破片が落ちた。
先程より広くなった穴に強引に頭を突っ込み、肩を潜らせ、通路へ転がり落ちる。この時ばかりは小柄な己に感謝した。
行き先を迷うことはない。足音が、銃声が、彼らの向かった道を示している。
間に合ってくれ………!
天に祈る心地で刹那は歯を食い縛り、叫んだ。
「―――ロックオン!!」
何度目かの銃弾が足下を掠め、危うく転倒しかかった。
あの男は遊んでいる。
ロックオンは唇を噛み締めた。アリーの腕ならすぐにでも頭か心臓を撃ち抜いて息の根を止めることができるはず。即死させずとも、足を撃てば途端に逃げようもなくなるのに。
それをしないのは―――辺りの薄暗さも多少は影響しているのかもしれないが―――太陽石のためだ。あの小さな石が全ての運命を握っている。
生かして、刹那を誘き寄せるための餌としてロックオンを生かしている。
角を幾つも折れた果てにとうとう行き止まりに着いてしまった。
玉座に腰掛けた巨大な石像が四方に配置された広い部屋。かつてはここで王侯貴族たちが夜な夜な酒宴を開き己らの権力に酔い痴れたのだろう。
いまは見る影もない、虚しいばかりの過去の映像。
カツン………
靴音が響いた。
ひとつしかない出入り口から悠々とアリーが入ってくる。銃を掲げ持ち、皮肉そうに頬を歪めながら。
「さあーて、鬼ごっこはここまでとしようや。終点が玉座の間とは上出来じゃねえか」
クツクツと笑みを浮かべる男に合わせるように、ロックオンもまた、ひどく冷めた笑みを閃かせた。
玉座―――玉座、か。
「ここが玉座だあ? 違うな。ここは墓だよ。オレとお前のな」
もはや逃げる必要もない。
真っ直ぐ顔を上げ、胸を張り、目を逸らさずに赤毛の男を睨みつける。反論されたことが不服だったのかアリーの顔からは笑みが消えている。
「オレやお前が王族の血を引いてるだって? くだらない。国が滅んだのに王だけ生きてるなんて滑稽だ。お前のもとに石は戻らない。お前は此処から出ることもできずに―――オレと死ぬんだ」
絢爛豪華に飾り立てられた王の座ではなく、閉じ込められ、死を待つだけの孤独な部屋だ。
外を見ることも叶わず、何も手にすることができず、空を虚しく眺め、腹立ち紛れに鳥の羽根を毟り取り、更なる寂寥を手にするだけの。
「最初は不思議だったんだ。こんなすごい科学力をもった国がどうして滅んだのか、ってな。………でも、わかったよ」
城の上層部で、穏やかな日常を営んでいたロボット兵の姿。
動植物の他、ここには誰もいない―――『ニンゲン』の姿だけが、ない。
故郷の歌は真実を伝えていた。
―――土に根を下ろし風と共に生きよう
種と共に冬を超え、鳥と共に春を歌おう
「どんなに恐ろしい武器を持とうと、多くのロボット兵を操ろうと、土から離れては生きられねぇんだよ!」
銃弾が右頬を焼いた。弾き飛ばされた髪の毛がハラハラと舞い散る。
赤毛の男が笑う。
「『ガンダム』は滅びない。何度でも甦るさ。『ガンダム』の力こそ人類の夢だからな!」
他者を支配する圧倒的な力、自然すらも凌駕する強大な能力、すべてを超越した存在。
それら全てを求めてやまないものこそが『ニンゲン』なのだと再びの銃声。
左の頬が焦げる。近距離を掠めた銃弾に頭が割れそうに痛む。それでもロックオンは視線を逸らさずにじっとアリーを睨みつけていた。
「次は耳だ。跪け! 命乞いをしろ。小僧から石を取り戻せ!」
引鉄にかかった指に力が篭もる寸前、三番目の声が割り込んだ。
「―――待て!!」
全身ボロボロの少年が飛び込む。靴もゴーグルもない、服もあちこちが破けて煤けている。
驚愕と、不安と、安堵と、恐怖と、何よりも深い歓喜で―――彼の姿を目にした青年は息を呑んだ。
赤茶色の瞳をアリーへ向けて刹那は言い放つ。
「石は隠した。ロックオンを撃ってみろ。石は戻らないぞ」
「刹那、早く逃げろ! どうせこいつはオレたちを殺す気なんだぞ!」
庇いあうセリフを口にするふたりをアリーは嘲った。
仲間や身内なんてただの足手まといでしかない。片方の命を握ればもう片方にいいように扱うのなんて簡単なことだ。
「漸く到着かよ、王子様。さあ、こいつの命と引き換えだ。今すぐ太陽石を持って来い! それとも、その大砲でオレと勝負するか?」
例え少年の手にバズーカが握られていようとも機動性でも腕力でも男が勝る。改めて指摘されずとも、ロックオンも刹那も理解していることだ。ふたりがかりでなら何とかなる―――というレベルの話ではない。
オレのことはいいから、早く、石を捨てて逃げてくれ!
声なき青年の悲鳴を確かに耳にしたと少年は思った。僅かな逡巡を滲ませて、不意に口を開く。
「………ロックオンとふたりで話がしたい」
「へえ?」
辞世の句でも詠もうってのか。ま、それぐらいの酔狂なら許してやらんでもないぜ。
余裕を見せて男が右手の指を三本掲げる。
「三分間、待ってやる。せいぜい別れを惜しむんだな」
アリーが壁際に数歩下がり、悠然とふたりを見守る。
最初は男の様子を窺いながら少しずつ近付いたが、最後は堪えきれず互いに駆け寄って抱き合った。背格好の関係からどうしてもロックオンが刹那を包み込むような形になる。
青年は瞳を僅かに潤ませ、ぐしゃぐしゃになった少年の髪を撫ぜた。じっと真下から翡翠を見詰める少年は相手の頬に刻まれた銃傷に眉を顰める。
「馬鹿野郎、早く逃げろっつったのに………!」
「お前を置いていけない」
縮めようのない身長差を埋めるように腕を伸ばして、青年の頭を肩に押し付けて、少年は囁く。
殊更に声を潜め、相手の動揺を誘わぬように。
「ロックオン………『あの言葉』を教えてくれ」
青年が目を瞠る。
少年が自らの左手を青年の右手に押し付ける。おずおずと握り返したロックオンは、掌に触れたあたたかい感触に息を詰めた。
静かに、海のような色を讃える―――太陽石。
すべてはこれから始まり、そしてまた、すべてがこれで終わろうとしている。
ぎこちないながらもあたたかい笑みを少年が浮かべて。
「オレも、一緒に言う」
「刹………」
「スメラギ達の縄は、切った」
大丈夫だ。
彼らはきっと助かる。プトレマイオスの近くに居たのだ、だから、絶対。
ロックオンも微笑んだ。
微笑みながら、溢れそうになる涙を堪えながら、少年の耳に口を寄せた。
「時間だ」
アリーが冷笑と共に進み出る。銃口の狙う先には寄り添う青年と少年。
どちらを先に仕留めてやろうかと考えを巡らす彼の前で、予期せぬ行動に出た。面を上げ、片手は繋いだままに、唯一の武器であるバズーカを投げ捨てた。
赤毛の男が疑惑を確信に変える先にふたりは繋ぎ合わせた手を前へ掲げて。
解き放つ。
『力ある言葉』を。
「―――バルス!!」
青い炎が爆発した。
太陽石から吹き出した閃光が世界を劈く。
鮮烈な光に刹那とロックオンは弾き飛ばされ、短い悲鳴を残して昏倒した。真っ向から光を受け止めたアリーは己が顔を掻き毟る。
「くそっ、目が………!?」
崩壊の旋律。
荘厳な音と共に天井は崩れ、壁は倒れ、宙を舞うロボット兵は目の光を失いバラバラに壊れ去る。
突き破る。
すべての光が、城を、世界そのものを。
中枢で眠っていた巨大な太陽石が玉座の間の呼びかけに応じて暴走を始めたのだ。
「くそっ、くそっ! こんなところで―――!!」
罵りながらアリーは壁伝いに歩く。
何も見えない。ガラガラと建物が崩れ落ちる音ばかりが聴覚を刺激して周囲の様子を探ることも儘ならない。
冗談じゃない。
漸く全てを支配する力を手に入れたんだ………これからじゃねえか………! これからが一番イイトコロじゃねえか………!
全てを焼き尽くし、全てを滅ぼし、全てを壊し、そして。
―――そして。
彼の進む先に、回廊はなかった。
トレミー内で急ぎフラッグのエンジンをかけた。無事だった幾つかの機体に全員が乗り込んだのを確認してスメラギは号令をかける。
「出て!!」
グラハムがハンドルを切った。
連結されたフラッグが空に飛び出るのと、落下してきた岩石にプトレマイオスが押し潰されるのはほぼ同時だった。無事と思われる場所まで只管に飛び、漸う振り向く。
城が―――『ガンダム』が、崩れていく。
不可思議な鉱物で作られた城の「釜」が大きくたわみ、重力に負けてゴッソリ海に落ちる。
頂点に生えた木の根だけがビッシリと蔓延り、跡を残し、他は全てが瓦礫と化す。
豪華な装飾品の数々も、哀れなロボット兵達も、取り残された人間も含めた全てが―――現代の技術では発見することも復活させることも叶わない遥か深い、海の底へと。
フラッグの最後尾にしがみ付いていたビリーが呆然と声を上げる。
「何がどうなって………」
「―――滅びの言葉を使ったんだわ」
女海賊の言葉に全員が振り向く。彼女は、あの夜に聞いたふたりの会話を思い出していた。
―――滅びの呪い。
決して使ってはいけないと固く言い含められたのだと語っていた。
けれど。
「あの子たちは………『ガンダム』を護ったのよ」
彼らならば使う。
例え自分達の身が危険になろうとも、アリーを始めとしたくだらぬ人間たちに二度と手出しされぬよう、力を行使するに違いないと。
それぞれが神妙な面持ちで崩れ行く城を見詰める。
―――と、アレルヤが怪訝そうに眉を顰めた。
「ハレルヤ………あれ」
「崩れが止まった?」
伝え聞こえた会話に改めて眼前の光景を注視する。
確かに、止まっていた。上層部の城を半ば以上残したまま、海へと落ち行く瓦礫の数は明らかに減っている。
じっと目を凝らす。
城の中枢の巨木の中に―――翡翠色の、あたたかな光。
「太陽石だ! とびっきり大きいの!」
「のぼっていく………」
木、だ。
巨木が、枝と幹と根を以って全てを包み込み、暴走を続ける太陽石を内に孕んだまま………遥か上空へ、誰にも辿り着けぬ場所へのぼっていくのだ。
一言も喋らぬままに、誰もが長い間、その光景を見送っていた。
「………オン………ロックオン………」
耳元の囁き声に青年は薄っすらと目をあける。
無表情ながらも心配そうにこちらを覗き込む少年と目が合って、ああ、
(刹那だ―――)
深い安堵に微笑を浮かべれば少年も眼差しを和らげた。幾度か瞬きをする間にぼんやりとしていた意識が戻って来る。
アリーはどうなった? スメラギ達は。そもそもどうして滅びの言葉を唱えた自分達が無事なのか。
まさか此処が天国じゃないよなと戸惑う青年の肩を抱き、刹那が周辺を指し示す。至るところに伸びた木の根。
「こいつがオレたちを護ってくれた」
太陽石が暴走した際の衝撃を受け止め、崩壊する城から落ちることを妨げ、上から落ちてくる瓦礫を防いでくれた。
「………そうか」
上体を起こして、ロックオンは笑う。
それを見た刹那も、また、笑った。
例の凧も木の根に引っ掛かっていた。ワイヤーを張ればまだ使えそうだ。移動手段が残っていたことに感謝する。
ロックオンが先に乗り込み、刹那が大きく木の根を蹴って、反動で凧は空へ飛び出した。
城の近辺を流れる風に絡め取られ、ゆるやかに蛇行しながら風下へと流されていく。
ほんの一瞬だけ、倒壊を免れた城の上層部に―――ゆっくりと歩く古びた一体のロボット兵と、じゃれかかる小鳥たちと、蝶と、何処からか降り注ぐ花びらが。
神話にしか語られることのない疾うに失われた楽園の如く。
遠ざかって行く光景を、ふたりはずっと見詰めていた。
「―――これからどうすればいいっすかねえ」
「どうもこうも………帰るしかないが」
リヒティが嘆息し、ラッセが渋々と応える。
やるべきことはわかっている。幾ら自分達がお宝大好きな海賊で、一番の目的は太陽石だったとはいえ、あんな上空に飛び去ってしまったものを今更追いかけられようはずもない。
なのに誰もが立ち去り難く、この場に留まっているのは………。
不意にグラハムが叫んだ。
「あれを見ろ!!」
真っ直ぐに指差された空の果て。
ふらふらと頼りなく………しかし確実に、こちらへ近付いてくるひとつの凧。ふたつの人影が大きく手を振って。
「―――姫だ!」
「ロックオンだ!」
「刹那もいるぞ!」
嬉々としてアレルヤが手を伸ばし、ハレルヤと共に近付いた凧をグッとフラッグへ引き寄せる。飛び出してきたふたりと全員が手当たり次第に抱き締めあった。
コーラサワーが泣いている。
「畜生、お前ら、よく生きてやがったな………!」
「皆も無事でよかった」
刹那が胸を撫で下ろす、と、奥の方でビリーが「無事なもんか!」と絶叫した。
「僕の、僕の可愛いプトレマイオスが………あああ………」
「なに情けないこと言ってんのよ! 船なんてまた作ればいいじゃない。今度は、もっといい船をね!」
ロックオンにぎゅうとしがみ付いたスメラギがカラカラと笑った。そのまま彼女は手を己が胸元に突っ込む。
「え、ちょ、スメラギさん!?」
「―――見てよ、これ」
微妙に慌てるロックオンを余所に、胸元から取り出した掌を彼女は掲げる。
「散々苦労してこれっぱかしよ!」
大小幾つものダイヤモンド、サファイア、ルビー、エメラルド、アクアマリン。
首領の嘆きに応じて背後の面々が満面の笑みで戦利品を掲げた。王冠、宝剣、黄金の杖、数多の宝石で飾り立てられた首飾り、指輪、耳飾、豪奢な式布、華麗な壷。
たくさんの指輪をつけたコーラサワーがふんぞり返る。
「―――何しろ時間がなくてよ!」
「ふっ………」
ウィンクを送られたロックオンが、笑いを零す。
刹那も、笑う。
笑い声が一面に広がって、再びフラッグの上は歓声と抱擁の独壇場となった。
刹那の谷が見える場所まで送ってもらって、スメラギ達と別れた。
二度と会うことはないだろう―――悲しいが、彼らと違い、自分達は日常の生活に戻っていくのだから。それでも自分達は皆のことを忘れない。向こうも、こちらを忘れずに居てくれるに違いなかった。
茜色の空に映し出された大きく手を振る互いの姿と、別れの言葉を記憶に強く焼き付けて。
風を受けながらロックオンは操縦桿を握る刹那を見遣る。
制御能力を取り戻した凧は過たず少年の住まう谷へ向かっている。数日はあそこに世話になるだろう。
でも、その後は。
「刹那はこれからどうするんだ」
「また炭鉱で働く。お前はお前の谷へ帰るのだろう? ロックオン」
「………そうだな」
淡々と返されて微妙に答えに詰まった。故郷の家は確かに心配だし、ロックオンの理性もまた、谷に帰るべきだと主張している。
なのに、寂しい気持ちになるのは。
「働きながら飛行機を作る―――それが出来たら」
「うん?」
風にかき消されそうな少年の言葉を聞き逃さぬよう、青年はそっと相手に顔を寄せた。
刹那の頬が、心なしか、夕日以外の理由で赤らんで見える。
「それが出来たら………迎えに行く」
約束したはずだ。お前の生まれた古い家や、谷や、ヤクたちを見せてくれると。
赤茶色の瞳が青年を見詰めている。
肝心の相手はしばし意図が読みきれずにきょとんとしていたが、じわじわと喜びの色を深め、ぱあっと顔を輝かせ、翡翠の瞳をやわらかく細めて。
「ああ―――約束だ。約束だぞ、刹那!!」
精一杯の愛情を篭めて彼にしがみ付いた。
―――二度と天空の城に赴くことがなくとも。
かけがえのない宝を手に入れた。
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