※以前に書いたパラレルファンタジー話の続編です。

※古今東西のファンタジー設定を拝借しまくりですが、「どうせパラレルだもんね」と

軽く読み流していただければ幸いです………。

 

 

 

 

 
突如として襲った衝撃に。

「あっ………!!?」

手が離れ、一瞬のうちに全てが白に覆われた。

 


― Knight of Light ―


 

 遠い遠い未来とも、遥か昔とも分からぬ時代。
 ヒトと精霊が入り乱れていた神話ともオーバーテクノロジーの産物とも判別できない時代。
 世界は変わらず争い、憎みあい、殺し合い、飽くことを知らない戦いの日々を繰り返していた。
 現在、世界はほぼユニオン、AEU、人革連と言う三つの大国に纏め上げられている。
 各国が領土と覇権を競い合う中、武力や軍事力、各国と契約する精霊の重要性は否応にも増して行く。諜報や暗殺といった裏の世界を闊歩する精霊たちも増え、同時に、それを「狩る」ためのハンターたちも増えるきな臭い時代。力こそが求められる時代。
 彼らは一様に、稀代の魔術師イオリア・シュヘンベルグの創り上げた『ヴェーダ』を捜し求めていた。そして、アザディスタンに隠されていた『ヴェーダ』が何者かに持ち去られたとの噂が流れたのは三ヶ月ほど前の出来事である。以来、行方は杳として知れぬ。
 ありとあらゆる事象を引き起こすことが可能とされる「武器」を求めぬ国は何処にもない。
 姿形も知れぬものを捜し求めて密やかに精霊たちが探索の手を広げて行く。
 これは、そんな時代の物語。




 夢を見ていた。
 夢を見ていると理解しながら見る夢だ。自分で自分の姿を見て、考えて、反省したり懐かしがったりする夢だ。
(ああ、あれは)
 いつの光景だろうかとぼんやり考える。
 幼い頃の自分と弟が並んで歩いている。当時はまだ人間と精霊の違いなんて然程感じていなくて、周囲の目も気にしていなくて、自由気侭に生きていた。弟のレベルもまだまだ低く、特別な能力を発揮することもなかったからかもしれない。
 ただ、その時。
 並んで川辺を歩いていた自分たちは、揃って足を滑らせて滝壺に転落したのだ。
 より正確に言うならば最初に足を滑らせたのは弟で、咄嗟に彼の手を掴んだ兄は見事に巻き込まれた。引き上げようにも力は足りず、足場は苔でぬめっていた。結果、共に激流に飲まれたものの、おとなたちに助けられて事なきを得た。勿論、風邪を引く程度のオプションはあったが。
 いまとなっては笑い話にできるような内容でもふたりにとっては重大な出来事だった。何が重大かと言うと―――双子の兄だけが風邪に加えて足を骨折する事態に陥ったからだ。打ち所が悪かったと笑っても怪我した本人に自覚はなくとも、怪我の原因が、落ちる際に兄が咄嗟に弟を庇ったからだというのは少なくとも弟の目には明らかだったらしい。
 悔しい、悔しい、悔しいと、弟は隣のベッドでぼろぼろ泣いていた。
 泣くなよと困り果てて声をかけても「うるさい」と跳ね除けられるばかりで。
(………そうだな)
 弟が明確に人間と精霊の違いを意識するようになったきっかけのひとつだったかもしれない。
 幼かった己は単純に弟は術を発動できなかった実力不足を嘆いているのだと考えていたが、いまは、もう少し違った理由もあったのかもしれないと思っている。もしかしたら彼は、術さえ使えていれば兄を巻き込まずに済んでいたと―――身内を護れなかったことをこそ悔いていたのかもしれないと。
 ならば次こそは、せめて共にいる間だけは。
 相手が聞いていれば激昂しそうなことを訥々と考えながらニールは眩い世界に手を伸ばす。
 白い。眩しい。光に染まっているようだ。
 なのに周囲から伝わってくるのは冷気で、どうなってんだと聊か混乱したままに。
(ライル………)
 弟の名を無意識に呟いた。
 ―――と。

 ガシッッ!!

(………ん?)
「しっかりしたまえ! 傷は浅いぞ、眠ってはいかん!!」
 燃えるように熱い何かが両手を掴み、至近距離で叫ばれた。
 あまりのけたたましさに叩き起こされた意識と視界が眼前に像を結ぶ。白い肌、金髪、青い目。
「うおわっっ!!?」
「起きたかね!!」
 数センチの距離まで近づいていた男の顔を慌てて左手で押し退けた。右手、は、ガッチリと男に握り締められているために動かすことすら侭ならない。
「なっ、なんだ、あんたは!!?」
「なんだとは随分な物言いだな、姫よ! ならば私こそ問おうか。君はこのような雪原でなにゆえに眠っていたのかと!」
「ひ………!!?」
 姫ってなんだ姫ってなんだ姫ってなんだイヤまあそれはともかく!
 隅から隅まで突っ込み返してやりたい衝動を辛うじて堪えると、改めてニールは周囲を見回して現状の理解に努めた。
 雪原? なにゆえに? 眠る??
 果てなく続く真白き雪、遥かに望む白い山々、吹き抜ける冷風、晴れ渡った青空、周りには眼前の男が歩いて来た以外の足跡も何もなく、まさしく何処かから「放り投げられた」かの如く。
 ―――それは。
「あ………」
 自分が。
「………ああ」
 ものの見事に、仲間たちと逸れたからだ―――。
 精霊の力が悉く封じられる、この、『魔力不干渉地帯』で。
 今更の事実を思い出してガックリとニールは項垂れた。手足は動くかと確認してみれば、全身すっぽりと雪に埋もれている。吹き抜ける風はきらきらと僅かな雪の結晶を纏っている。ダイアモンドダストだと認識すれば途端に強烈な寒さが襲う。堪えきれずにくしゃみを繰り返すと金髪の男が気遣わしげに顔を覗き込んできた。
「大丈夫かね、姫」
「ああ。平気だ。起こしてくれたんだな、怒鳴って悪かった………って、誰が姫だよ。いい歳した男を捕まえて姫呼ばわりたあどんな嫌味だ」
「何を言う! 美しき者が寝ていればそれは姫となるのだ!!」
「………ともかく」
 駄目だコイツ、ちょっとおかしい。
 顔はイイのに残念だとかなりシツレイなことを考えつつ、早々に説得を諦めたニールは一先ず情報を収集することに決めた。
 よっこいせと爺くさい台詞を吐きながら立ち上がり、身体に異常がないことをもう一度確認する。背負ったリュックには多少の食料や水も入っているし、肩からは使い慣れた銃も提げてある。銃弾は、先日、仲間に持たせてもらったばかりだ。一方の相手はと視線を移せば、目立った武器こそ身につけていないものの、腹に巻いたポシェットにはそこそこの小道具は入っているだろうと思われた。
 更にぐるりと辺りを見回して、仲間が近くにいない現状にやれやれと溜息をつく。
「オレは事故で仲間と逸れちまったんだが、あんたはどうして此処に? 現在地がわかったりするか?」
「それはないな! 私も迷子だ!!」
「………」
 駄目だコイツ、やっぱりおかしい。
 色々と投げ捨てたい気分に駆られたが、見渡す限りの雪原で単独行動を取るのも愚の骨頂。眉間に皺を寄せれば相手から親しげな声をかけられた。
「しかし、事故に遭ったというが此処は雪原の真っ只中だぞ。一体どのような逸れ方をしたのだね?」
「それは―――」
 此処に至るまでの経緯を思い出してニールは微かな溜息をついた。
 自分たちの目的地は刹那の故郷であるアザディスタンだ。だが、『ヴェーダ』を付け狙う輩は多い。真っ直ぐ向かおうとするから目立つのだ、迂回路を取ってみてはどうかと提案したのはひとりではない。誰もが内心で考えていたことである。
 多くのモンスターが徘徊することで知られる広大な雪原を越えることは装備の面からも厳しく、何よりもそこは魔力が遮断される特殊な地域だった。が、危険地帯であればこそ追っ手も撒きやすかろうとある意味では安易に結論付けて。徒歩では時間がかかりすぎるからと全員が乗れる大型の橇(そり)を用意した。雪をアレルヤが溶かし、生じた水を刹那が操り、ティエリアが地均しを行い、ライルの風で動力を得る。精霊の力をフルに活用した橇の乗り心地は意外と快適だった。………のだ。最初のうちは。
 でもまあ、上手くは行かないもので。
 アレルヤが雪を溶かし過ぎたり、刹那が水の制御を誤ったり、ティエリアの地均しが充分でなかったり、ライルの風が気侭に過ぎたり、この面子ならそうなるよなあという制御しきれてない力が予想外の方向に働いた結果、橇は見事に当初の予定コースを外れて魔力不干渉地帯に突入した。途端に暴走した橇は凍て付く針葉樹林の森を超絶スピードで駆け抜けて、誰もが振り落とされずにいるのに精一杯で―――。
 ………最初に脱落したのが自分だった訳で。
 橇が勢いよく岩に乗り上げた段階でニールは橇とサヨナラした。そりゃもう見事な放物線を描いて投げ出された。他の皆が無事なのか気になって仕方がないが、ただびとに過ぎない己が無事なのだからきっと連中も無事に違いないと前向きに考えておくことにする。
 しかし、そんなアホな経緯を初対面の人間に語れと?
 優秀なはずの精霊たちが揃いも揃って不干渉地帯の接近に気付かなかったと?
 旅慣れているはずのハンターが方角すら読めずに道に迷ったと?
「………橇を使ってたんだけどな。色々あったんだよ」
 結局ニールは言葉を濁すことを選んだ。話し出したら長くなるし、第一、情けなさ過ぎる顛末だ。
 相手方は頓着していないらしく、「よく分からないが大変だったようだな!」と同情を示したのちに呆気羅漢と己が事情を語りだす。
「姫は地上から来たようだが、私は空から来たぞ! 地上を旅する者と空を旅する者が同じ地点で運命を共にするとは何とも面白い!」
「空から?」
「空を飛ぶ機械を友人が作ったので試運転をしていたのだよ。魔力不干渉地帯も空までは及んでいまいと想定していたのだが、予測は外れてしまったな」
 カラカラと笑っているが結構すごいことを語ってやいないだろうか。
 要はこちらと同じく、予定外の地域に踏み込んでしまったということなのだろうが―――空飛ぶ機械なんて魔道書の中でしか見聞きしたことはないし、不干渉地帯の効力が空まで続いているなどと証明した者もいなかったはず。
「姫はこれからどうするつもりかな? 私は仲間との再会を目指すが、どうせなら共にどうだね。旅は道連れ、世は情けと先人も言っている」
「頼むから姫呼びだけはやめてくれ。寒気がする」
「風邪でも引いたのかね?」
「………ニール。ニール・ディランディだ」
 会話が成り立ってるんだか成り立ってないんだか、疲労を感じながらも右手を差し出せば無邪気な笑顔と握手で出迎えられた。
「聞いたことがあるぞ! 何処の国にも属さず、『アロウズ』の堕ちた精霊のみを相手取る凄腕のハンターの名だ。このところ噂を聞かなくなっていたので何かあったかと案じていたが健在で何よりだ」
「そこまで有名人じゃねえよ」
 賞賛の言葉を苦笑で受け止めた。確かに自分は『アロウズ』―――殺しを目的とする裏ギルド―――に属する精霊ばかりを相手にしてきたが、闇に潜むべき狙撃手なのに名前が知られていたら目も当てられない。本当に腕のいいハンターは名前も存在すらも知られずに暗躍している。
 名乗って貰いながら名乗らずにいるのは無礼に当たるなと男は姿勢を正す。金髪を風に靡かせ、白い雪景色と青い空を背景に佇む姿は一幅の名画のようだ。
「私の名はグラハム・エーカー! 光の精霊だ!!」
 そんなエレメントは存在しない、と、否定するより先に。
 彼が掲げた右のてのひらに光る『風』のクラス・ダブルの紋章が目に入り、空を飛ぶ機械とやらはこいつの力で動かしていたのかと推察し、それ以上に素直にその「名」に驚いた。
「ユニオン直属の光の騎士、グラハム・エーカーか!? どうしてこんなところに………!」
「世界的に有名なハンターに名を知られているとは光栄だ」
 改めて手を握り返されるが、今度こそニールは不審と疑問に眉根を寄せた。
 表舞台に立つことのない「ニール」の名を知っていたのは軍に所属するゆえか。幾ら秘密裏に動いていても所詮は個人、組織だった軍事国家の諜報機関にかかればニールの存在など逆に知られていなければおかしいぐらいだ。
 一方、自分が「グラハム」の名を知っているのはなんらおかしなことではない。数年前、富にも権力にも名誉にも興味はない、ただ己が力を示せる場所があればよいと宣言し、堂々と大国との契約に名乗りを上げた変わり者の精霊。クラス『ダブル』程度で「光の騎士」を名乗れるのかとの純粋な疑問もないではないが。
 未だ手は酌み交わしたままにグラハムが不適な笑みを浮かべる。
「私を『堕ちた精霊』として始末するかね? ニール・ディランディ」
「ヘンな期待すんなよ。あんた自分で言ったじゃねえか、オレが相手にすんのは『アロウズ』だけだって」
 純粋に自らの意志を持って国に仕えている奴は対象外だと、掴まれていた手を振り解いた。
 これは本当に微妙な線引きだから、他者から見たら「どこがどう違うんだ」と首を傾げることもあるだろう。それでも自分は、どの精霊を撃つかは常に自分の意志で決めてきた。国と契約したという一点のみで「堕ちた」と判断するのは早計過ぎる。そんな基準ひとつで撃つ相手を決めていたら刹那ですらハントの対象になってしまう。
 いずれにせよ、注意しなければならない。彼は『アロウズ』ではなくとも『軍人』なのだ。
 アザディスタンに向かう道中で襲って来た面々にユニオンの兵士や精霊が加わっていた可能性とて否定できないし、「右目」が「右目」だ。魔力不干渉地帯において気付かれる可能性は低くとも注意するにこしたことはなかった。
 一歩踏み出しただけで足がざっくりと雪に沈む。
「一緒に行くのはいいけど、あんた、行き先に宛があるのか? オレと同じ迷子なんだろ」
「任せておきたまえ」
 にやりと笑ったグラハムが懐から何かを取り出した。丁度てのひらにスッポリ納まるサイズのそれは懐中時計のようにも見える。
「私の友人が開発した新製品だ。むかしの文献に載っていたものを再現してみたのだよ。確かGPSと言ったかな?」
「じーぴーえす?」
「本来は相互通信を可能にするものを空に上げておく必要があるそうだ。とはいえ、現在は精霊の力を常時駆使したとしても無理だからな。代わりに魔力を媒介としているのだよ」
 懐中時計もどきの面には方位を示す針が埋め込まれている。傍にあるツマミを押すとフタが開いて中には情報を記録しておくための鉱石が入っていた。この鉱石に個人情報を入力しておくことで相手を「発見」できるのだと彼は言う。いまは友人である「ビリー」の情報を入力してあるから、こちらから探すこともできるし、向こうも同じ機械を持っているから大丈夫だと彼は断言する。
 事実なら大した道具だが、此処は魔力不干渉地帯だ。果たして正常に動作するのだろうか。
「此処でも多少の魔力は存在できる。でなければ私のように魔力を源としている精霊は地に這い蹲ったまま動けなくなってしまうし、高位モンスターが観測されている以上、一定レベルに対してのみ制限をかけるものとも考えられる。そもそも不干渉地帯が不干渉地帯たる所以は地下に何かが埋まっているからかもしれないのだ」
「なるほどな。けど、あんた、軍人だってのにそんなにペラペラ喋っちまって問題ないのか」
「どういう意味かね」
「空飛ぶ機械にせよGPSにしろ大した機密だ。通りすがりのハンター如きに情報漏洩していいのかい」
 ザクザクと並んで雪原を歩きながらそっと探りを入れる。吐く息が白い。
 彼の発言に裏はないようだし、嘘を吐いている気配もない。突飛に過ぎる理論や夢物語ばかりを聞かされているように思えるが、実際、自分が知らないだけでそういう技術があってもおかしくはない。
 だからこそ軍人たる彼の口が軽いことを密かに案じる。空を飛ぶ機械もGPSも、その気になれば幾らでも軍事兵器に転用可能であり、実際、グラハムは軍隊に所属しているのだ。仮に空飛ぶ機械が完成して、魔力不干渉地帯の秘密まで解明してみろ、他国が気付かぬ内に軍隊を侵攻させることも可能になる。外交の席で他国の要人の個人情報―――何が必要なのかは知らないが―――を入手してGPSにセットすれば、精霊による暗殺任務も容易になる。
 こちらの思考を理解しているのかしていないのか、グラハムは簡単に笑い飛ばした。
「話したところで技術が伴わなければ再現できまい! ましてや、このような話は我が国でも御伽噺として一蹴されがちでね。君が旅先で誰彼構わず吹聴したとて信じる者など五本の指にも満たんよ」
「………かもな」
 あっさりと、「有り得るかもしれない」と感じてしまう己が異質なのかもしれなかった。
 ふと思いついて口を開く。
「なあ、そのGPS? だったか。それって対象が普通の人間でも探せるんだよな」
「ああ」
「もし可能なら、あんたが仲間と再会できた後でいい、一回だけでいいから貸してくれないか? オレも仲間を探したい」
「貸すこと自体は吝かではないが―――登録できるのはひとり分だけだ。私の仲間を見つけることが何よりも先決となる。また、その場合は私も君が仲間と再会できるまで同行させてもらうことになるだろう。稀少品を預けたままにしていてはビリーに叱られてしまう」
 だがそれ以前に、とグラハムはこちらを見遣る。
「探すために必要なのは対象の『血』だ。君は仲間の『血』を常に持ち歩いているとでも? 情報が存在しなければただのガラクタに過ぎん」
「逸れた仲間の中に双子の弟がいる」
 この程度の情報なら漏らしても差し支えないはずだと判断して口を開く。
「双子なら血の情報は同じだし、向こうは精霊だからな。真人間を探すよりは楽にすむはずだ」
「―――理解した」
 先端についた鎖を持ってクルクルとGPSを振り子のように弄びながら彼が不敵に笑う。
「魔力不干渉地帯に居る人間であるにも関わらず、君から妙な波動を感じていた理由がわかった。精霊と血を分けているとあらば多少の魔力も有していよう」
「『成り損ない』って呼んでくれて構わないぜ」
「卑下するのはやめたまえ。人間と精霊に力や性質の違いこそあれ貴賎の差は存在せんよ」
 同情にも建前にも聞こえない相手の口調に素直に好感を抱いた。確かにグラハムは『騎士』と呼ばれるに相応しい性格をしているのだろう。少なくとも、自分は彼を『堕ちた』精霊と判断はすまい。
 同時、勘が鋭いことに多少ひやりとする。
 本来の自分には魔力の欠片も存在しない。と、なると、グラハムが感じた「妙な波動」とは、身の内に潜む『ヴェーダ』を指している可能性が高い。魔力が抑えられる場所であるからこそ正体を悟られずに済んでいるのだろうが、不干渉地帯を越えればどうなるか。道具を借り受けるより先に逃げ出す羽目になるかもしれない。それに、もし仮にニールの『血』の情報を入力したとして、更にはニールの中に『ヴェーダ』が隠れていると気付かれたなら―――。
(………まずいな)
 ニールは密やかに銃を強く握り締めた。




 空は何処までも青いなあ、なんて。
 あほらしい感想を抱いている場合ではないことぐらい分かっている。
 橇から放り出された時の衝撃で木の枝に引っかかっていたライルはやれやれと溜息をついた。仮にも『風』を操る精霊として実に情けない姿だが、能力が封じられてしまえば所詮はこんなものである。
 くるりと身を返して枝に引っかかっていた上着を外して飛び降りる。深い雪に足跡が刻まれた。
「みんな無事か!?」
 声をかければ方々から無事を報せる声が上がった。
「問題ない」
「まさかこんなミスを犯すとは………万死に値する!」
「世界の悪意が見えるようだよ、ハレルヤ」
 各自が足元を若干ふらつかせながらの集合とはなったが、誰も怪我ひとつない辺りは流石と言うべきか。刹那は木の根っこに突っ込み、ティエリアは雪の吹き溜まりに沈没し、アレルヤは狙い済ましたように大破した橇の真下になっていたというのに、である。
 互いの無事を確認して和やかな空気が流れるが、一瞬後には誰もが眉間に皺を寄せる。此処は魔力不干渉地帯ゆえに精霊である自分たちも能力を制限されてしまう。だからこそ注意深く切り抜けようとしていたはずなのにこんな目に遭うとは情けないにも程がある。
 だが、責任を追及するのは後回しだ。何よりも被害を被ったのは此処にいない人物であることは確かなのだから。
 刹那がこちらに視線を送る。
「ライル・ディランディ。奴の行方は?」
「すまないが、なんの反応もなしだ」
「双子の転移魔法も無理そう?」
 無理だな、完全に封じられてる、と、アレルヤの質問に答えながらライルは己が手に浮かぶ精霊の刻印を忌々しげに睨み付けた。
 ―――手が離れた時の感触を覚えている。
 橇から吹っ飛ばされる瞬間、ライルは兄を捕まえたのだ。けれども、間髪入れずに、向こうから振り払われた。ニールは自覚すらしていなかったろう。それでも実際に彼は、弟を道連れにすることを恐れて自ら救いの手を放り出したのだ。
 幼い頃の記憶が連鎖的に思い出されてますます眉間に皺が寄る。
 弟の手を離すことは拒むくせに、逆の立場になると途端に拒否するとはどういうことだ。何年経っても変わらない兄の欠点が非常に憎たらしい。
 眼鏡についた雪を拭い取り、見るからに不機嫌な態度でティエリアが告げる。
「我々は地道に歩いて彼を探し出すしかないということか。幸いにして投げ出されたであろう方角には見当がついているが」
「向こうもこっちを探してるだろうしな。夜までには見つけ出したいところだが―――」
 太陽は中天からやや西へ傾いた位置にいる。投げ出された瞬間は丁度真上に太陽が居たから、ひょっとしたら兄は行き先を定めることさえ難儀しているかもしれない。何しろ橇は見事に林の中で蛇行を繰り返して西も東も分からなくなっていた上に―――だからこそ不干渉地帯に突っ込んだのだが―――「橇でかっ飛ばし選手権」なんてものが存在していたら確実に上位入賞は狙えるほどに素晴らしい軌跡を描いて飛んでいったのだから。更に橇がしばらく暴走と蛇行を繰り返して現在に至る。
 兄は「不幸中の幸い」を体現したような人物なので怪我の心配はあまりしていないが、彼の場合、別種の問題に巻き込まれていそうな点が案じられた。何せ彼はヒト助けをしただけで『ヴェーダ』に憑かれるという望んでもなかなか得られない貧乏くじ体質なのだからして。
 大破した橇はともかく荷物はできるだけ回収しておきたい。林の奥まで飛んでいった小道具の類を探していたアレルヤがふと声を上げる。
「ねえねえ皆、なんだかヘンなものがあるよ」
「どうした」
 各自の手荷物の確認を終えた面々がアレルヤのもとへ集まる。
 片目の青年が指差した先には、雪山から二本の棒のようなものが突っ立っていた。大昔に東の島国で発表された推理小説にこんなシチュエーションで発見された被害者がいたような気もするなあと思いながらよくよく見れば棒の先端には靴がついていて靴下も履いていて―――。
「珍しいよね。何かのオブジェかな?」
「っ、んな訳ねえだろ!!!」
 暢気なアレルヤの言葉に否定を返し、慌ててライルは二本の棒、もとい、人間の両足を引っ張った。
「黙って見てないで手伝ってくれよ!」
「魔除けじゃなかったのか」
「くだらん。我々は先を急いでいるのだ」
 だからそういう問題じゃないっつってんだろ! と、年少組を怒鳴りたくなるのを堪えて「兄さんがどう思うかなー」とあからさまなぼやきを零すことで手伝わせる。嗚呼、この場に兄が居たならば慌てるのも仲間の非常識を嘆くのも彼の役目であったのに、残された面子の中では最年長たる自分が突っ込みに回らなければならない。理不尽だ。
 せえの、と四人で協力して雪山から引っ張り出したのは長い髪をポニーテールにした男性だった。どうせなら女がよかった、なんてことをチラリと考えたのは秘密である。幸いにして男性も怪我はしていなかったらしく、軽く咳き込んだのみで意識を取り戻した。分厚い手袋をした手をうろうろと彷徨わせる。
「め、眼鏡、眼鏡………」
「………」
「やあ、ありがたい! 助かったよ!!」
 傍らに落ちていた眼鏡をライルから受け取った青年は、漸くクリアになったらしい視界でこちらを見回すと、困ったように首を傾げた。
「―――で? 君たちは誰なんだい?」
「そりゃこっちの台詞だ」
 雪山に埋もれてたのはあんたの方だと、進んで交渉に乗り出す気のない三人に代わってライルが口火を切る。今回は自分が一緒だったからいいものの、もしも同じような状況になった場合、彼らはどうやって他者から情報を得るつもりなのだろうとふと思う。
「ははは、それもそうだ。助けてくれて感謝するよ。僕の名前はビリーだ」
「ライルだ。………あんだけ見事に雪に埋もれるたあ、どっかから飛び降りでもしたのかい」
「いい勘してるねえ、その通りだよ」
 からかい混じりに告げた言葉は意外と真面目な表情で返された。
「僕は科学者でね。友人と一緒に空を飛ぶ乗り物を研究していたんだが、実験に失敗してご覧の有様さ」
「科学だと?」
 黙って耳を傾けていたティエリアがぴくりと眉を引き攣らせた。
「とうの昔に打ち捨てられた魔道技術をいまに甦らせようとするとはなんと愚かな!」
 少年の反応は精霊としては当然のものだった。
 はるか昔、それこそ古文書にすら記録されていないほどの昔に、人間は「科学」と言う、いまの「魔術」に相当する能力を有していたとされている。当時の人間は「科学」を駆使することで空を飛ぶことはもとより、遠くに浮かぶ星のもとまで辿りついたらしい。もはや証明しようのない夢物語だ。
 だが、だからこそ尚更に精霊は「科学」を忌避する。「科学」の代わりに生まれてきたのが「魔術」であり「精霊」であったとするならば本能的な嫌悪も宜うかな。
(けど、それは―――)
 唯一「フォース」相当の知識レベルを有するライルは憂いの表情を浮かべた。「科学」と「魔術」は切っても切り離せない関係にある。だが、それをティエリアたちが知るにはまだ早い。
 あからさまな敵意を向けられたビリーは「ひょっとして君たちは精霊なのかい?」と、服についた雪を払い落としながら尋ねてきた。
「気分を害するようなことを言ってすまなかったよ。確かに、僕の研究はなかなか認められない。だが、突き詰めれば科学だろうと魔術だろうと人間だろうと精霊だろうと使い方次第だと思うんだよ。人間は君たちの力を借りなければ碌な生活を送れやしない。けど、同じ世界に存在する者として、できるだけ頼りきることなく生きていきたいと思うのは無駄なことなのかな」
「ヒトも精霊も根が同じであるという点には同意する。だが、科学は禁じられた技術だ。精霊がそれを許すことはない」
「そうかねえ。実際、僕の友人は精霊だが、研究に協力してくれているよ?」
「なんだと!!?」
 精霊の風上にも置けない奴が! と更に興奮しかけたティエリアと青年の間に慌てて割って入る。このままじゃ話が脱線したまま戻って来れなくなりそうだ。
「まあまあ! 本題はそこじゃないだろ! で、もって―――ビリーさん、だったか。あんたは実験途中でその精霊仲間と逸れちまったんだな? 何処かで待ち合わせる約束はしてあるのか」
「その言い方からすると、もしかして君たちもヒトを探しているのかい?」
「まあね」
 どうして逸れる羽目になったのかなんて、裏の事情まで話すことはないけれど。
 今回の研究には密かに自信を持ってたんだ、それだけに取り立てて準備もしていなくてね、待ち合わせの場所や方法や日時も決めていなかった。でも問題ないと思うよ。僕と同じように彼も「これ」を持っているからね。
 言いながら上機嫌に青年が取り出した懐中時計のようなシロモノに四人揃って注目した。
「なんだ、それ」
「Global Positioning System―――略してGPSだね。遺跡に眠っていた古文書を解読して、僕が探索用にアレンジしたものだよ」
「科学の産物か! 許さんぞ、かつての失われた技術を現代に復活させるなど………!!」
「ティエリア、落ち着けって」
「そうだよ。別にあれがすぐに爆発するって訳じゃなさそうだし」
 いきり立つ少年を落ち着けるのに今回はアレルヤも協力してくれた。刹那は、じいっとGPSを見詰めたままでいて、こいつは意外と「科学」に興味があるのかもしれないとライルは感じた。
 その証拠に、珍しくも寡黙な少年が進んで口を開く。
「―――探し物が見つかるのか」
「正しくは探しビトだね。頑張れば魔道具も探せるかもしれないけれど試したことはないんだ」
 刹那の発言と青年の回答に誰もが同じことを思う。アレルヤがそっとこちらを伺い、ティエリアが睨みつけてくる。刹那は眼前の小さな機械を見据えたままではあるが、考えていることは同じだろう。
 周囲の空気が変化したのを感じ取ったのか幾分不安そうに長髪の青年が頬を引き攣らせた。
「えーっと………どうか、したのかな」
「―――なあ」
 どこまで打ち明けていいものかと言葉を選びながら。
「物凄く自分勝手な希望だってことは分かってる。けど、そいつを貸してもらうことはできないか?」
「君たちの仲間を捜すのに使いたいってことかい? 難しいんじゃないかなあ。捜す対象の『血』を入れておかないと反応しない仕組みなんだよ。結局は魔力頼りだからね」
「双子でも駄目か」
 オレの血を使っても、と、続ければ相手は顎に手を当てて考え込んだ。
 ティエリアの言ではないが、本来であれば胡散臭い科学の産物になど頼らずに済ますのが一番だ。だが、こんな広い雪原で宛てもなく歩き回るなど自殺行為に等しかったし、日が暮れれば兄の安否はますます気遣われるし、何よりもいまは純粋に時間が惜しかった。幾らニールが自分たちと契約することで身体への負担を軽減しているとは言え、全てが解決された訳ではないのだから。
 ビリーが唸りながらこちらを見遣る。
「一応は助けられた身ではあるし、協力したいのは山々なんだが………双子ってことは、向こうも精霊なのかい」
「オレは精霊だがあっちは人間だ。―――無理か?」
「正直、やってみないと分からないね。それ以前にこれにはひとり分のデータしか登録できない。流石に僕も自分が仲間と再会しない内から君らに道具を貸してあげるほどお人好しにはなれないよ」
「わかってるさ」
 あんたが使い終えてからでいい、可能性が少しでもあるなら頼んでみたいだけだ。そいつを使ってあんたの仲間が見つかったならGPSの精度を証明することになる。見つからなくても、強力なモンスターも潜んでいるとされる地帯だ、大勢で行動するに越したことはないさ。
 言葉を重ねれば多少の迷いは覗かせながらもビリーがゆっくりとうなずきを返した。
「そう、だね。僕としても出来るだけサンプルデータが欲しい。あくまでも僕が仲間を見つけてからにはなるが、良ければ君たちにGPSを貸すよ」
「ありがたい」
 笑って右手を差し出せば、向こうも笑って握り返してきた。この兄ちゃんがお人好しでよかった。手持ちの道具の胡散臭さや、人間の身でありながら空を飛ぼうとしている辺りが怪しすぎるとはしても、多分にそれは触れてはならない領域だった。
 ―――「ただの人間」が空を飛ぶ機械の開発など進めるものか。あくまでも個人的趣味なのだとしても、失われた「科学」を復活させるための研究費や開発費は果たして誰が出しているのか。個人レベルの資産家では到底補えない。故にこそ、ビリー本人がどれほどに善人だとしても裏の存在を疑ってしまうのだ。
 何か言いたげなティエリアには我慢してもらうこととして、早々に出発する。
 ビリーが先頭に立って手の中のGPSを掲げた。魔力を封じられる地帯であるにも関わらず、それは仄かな光を放ち、内部の方角を示す鉱石上に羅針盤のように針が行き先を示すのだ。
「期待させておいて難だけど、まだまだ開発段階であまり精度がいいとは言えないんだよ。相手だって移動しているだろうしなかなか思う通りにはいかない」
「いいさ。こっちは贅沢言えた立場じゃない。………近づいたら何か画面表示が変わるのか?」
「接近すると内部回路が魔力を感知して光が強くなるんだ。しかし、これがいけない。近くにいることが分かると、今度はどちらに向かえばいいのかという方角の精度が下がってしまうんだ。………彼女が居てくれればもっと楽だったろうに」
「あんた彼女持ちだったのか?」
 揃って研究職に就いているなんて羨ましいねえとからかえば、「ち、違うよ!」と慌ててビリーが否定した。雪を踏みつける歩の速度を速め、頬を赤らめながらも彼は複雑そうに眉根を寄せる。
「同じ教授のもとで勉強してた同僚がいるんだよ。僕よりずっと優秀で、将来を嘱望されていたんだ。彼女が実験に協力してくれてたなら今頃は―――………どうしてるのかな、クジョウは………」
 クジョウという女性のことは勿論知らないけれど、もし彼女が彼の言う通りに優秀な「科学者」だったなら、姿を消してくれて幸いだったとライルは思う。
 誰が何と言おうとも「科学」は失われるべくして失われたものなのだ。
 目の前の青年には悪いが、過去の遺産など下手に掘り返す必要はなかった。

 

→ (後編)

※WEB拍手再録


 

 

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