命を発する貴方に絶対の忠誠を。




 闇夜に舞い散る悲鳴はどこから響くのか。燃え盛る炎が浮かび上がらせる漆黒の影は先ほどまでなごやかに語らっていたはずの人物。
 ―――今度こそ。
 今度こそ、このまま終わるのかもしれないと。
 幾度目か知れぬ任務について現地で調査をしてそうに違いあるまいと判断しても、やはり最後の決断は下せずに愚図愚図と長引かせた。付き人でもある友人はそれこそが油断、それこそが甘さ、それこそが事態を大きくしているのだと冷静に告げる。
 わかっていながら躊躇う己を己自身で本当に疎ましく思うのだ。
 逃げ惑う人々の流れに逆らい、騒動の原因である人物に刃を向ける。相手の動きが止まり、こちらを捕らえた。その瞳が悲しみに染められていると感じるのは決して気のせいなんかではない。
 ここで倒さなければ犠牲者は増える一方だ。だから、戦いや殺し自体を忌避する訳でもないのだけれど………。
 傍らに立つ友人にそっと呼びかけた。

「―――俺だけじゃ動きを止められない。頼む」
「言われずとも」

 炎に浮かび上がる友の衣もまた漆黒。
 中天に浮かぶはずの満月を望むこともいまは叶わず。




 戦こそ近くないとはいえ未だ世は戦乱、いまは隆盛を誇るものもいつ衰えるか分からぬ波乱の世相。大まかな体勢が決まったとて虎視眈々と天下を狙う人間のなんと多いことか。
 そんな時そろいもそろって特殊任務で抜け出した面子は、かなり中枢に関わっている重要人物だったりしたので果たして何用で抜け出したかと問うてみれば、

「そりゃあ俺がいるからな、代わりは利く」

 指揮を執るだけならば大差ない、何せ外見はほとんど同じなのだからと主の片割れが鼻で笑う。
 あのふたりを向かわせてどうなるのか、ふたりだけで事足りるのか、そもそも何故あのふたりで事に当たらねばならないのか。
 重ねて問い掛ければ杯を重ねる相手は珍しく話が弾む。
「ふたりがいいって訳じゃない。でも、事態を一番よく理解してるのがあいつらだからな―――上様だって、好き好んでふたりきりにしてるんじゃないんだぜ?」
 ひとしきり笑って語りだす、一昔前の出来事を。

 いまより遥かに多くの戦が各地で巻き起こり、天下の趨勢さえ定まらなかった頃の話。
 いまより遥かに―――。




 彼らが、自由に生きていられた頃の話。

 


 ――― 一義威令(前編) ―――


 

 

 冬の花は散り間もなく春が訪れる。湖面にたゆたう木々の葉は青さを湛えて照り返す空にも穏やかな気配が漂う。
 つい先日までここで血生臭い争いが行われていたなど夢にも思えぬ眺めだ。風は血臭を吹き流し、水は穢れを濯ぎ落とす。降り注ぐ日光はひたすらやわらかく道行く人々の姿を大地に刻む。
 先ごろ、この近辺は実に騒がしかった。どこから集まったとも知れぬ、あるいは東国の有名どころが一堂に会したのやも知れぬ、黒ずくめの怪しげな集団が夜道を練り歩きこれまた怪しげな僧兵どもと斬り合うこと一昼夜。長いとも短いともいえる合戦は大名同士の戦と比べるべくはないけれど手狭な湖の側では充分すぎるほどの争いだった。
 近隣の住民は争いに巻き込まれぬよう身を潜め、夜を避け、息を殺し―――おさまった頃に朝焼けの中で立ち尽くす面々と湖面で炎上した船の残骸を認めたのだ。
 ことの終わりの際にこそ協力して当たっていたらしい傍目には同種の黒ずくめ集団も、それでも派閥があったのか日を追うごとに余所余所しさを増し、三々五々もとの地に帰り、帰路はわざわざ日程をずらし道筋を違えるほどの念の入れよう。いまはまだ同盟としての最後の節義か、国に戻ればすぐにでも殺しあえる間柄か、いつどこで決めたか分からねど均等に対等に家路をたどる者たちの群れは数日でまばらになった。
 ただ未だに大将格の面子は残っているらしく、結果、強面の男ばかりが残されてしまった。
 その中に時折り不釣合いな背の低い少年が見受けられたので一概にそうとも言えないのだろうけれど。




「………っ」
 格子の隙間より差し込んだ日の光に目を細める。怪我を負ってから幾日か、寝たきりだった身体が疼く。下敷きの布団や蕎麦殻の枕や整った天井の木目がやたら神経を苛立たせる。いままで経験したものといえば農家のあばら家とせせこましい寺だけだからかと秀吉は口をへの字に曲げた。
 上体を起こして左肩を抑える。痛みはない。包帯を何重にも巻いて固定して、血止め薬を塗って、ここ数日安静にしていたのだからこれぐらい回復してくれなければ困る。そうして思うことといえば。
 ―――ああ、出遅れた………。
 だったりするのだから始末に負えない。自分でも思う。こうしている間にもこの世界における自分でありおそらくは死んだはずの双子の弟であった人間は信長にこき使われているのだろう。いずれ追いついてやる、仕えるべき主に心血注ぐのはお前だけではないさ、との反発や対抗意識とは裏腹の感情もまた、ひとつ。
(なーんか………悪い予感がするんだよな)
 いい加減天回の残した薬の効き目は切れていると思うのだが。
 確かいまあいつは主君に従って比叡山に向かっているはずで―――。
 織田と武田が陣を張る微妙なこの宿場、階下の騒ぎも気になりだした秀吉は重たい身体を動かした。
 細い階段を下り、出入り口へ向かうと騒ぎの原因が目に入った。信長に負けず劣らず活動的な甲斐の当主が声高に部下を呼ばわっている。
「何をしている! 早くせんか!」
「はっ、失礼いたしました!」
「織田の小僧が何か企んでいることは確かなのだ。とっとと行方を探り出して来い!」
 ―――もっと小声で指示だしゃあいいものを。ここは武田だけの陣地じゃないんだぞ、とこめかみを押さえる。
 頭が切れているようで呆けている男、武田信玄はどっかと上がりかまちに座り込んで部下に指示を出していた。気付かれない内に裏口から抜け出そうとしたがこういう時に限って勘が鋭いのはさすがである。音もたてずに歩いたというのにしっかり秀吉が降りてきたのを察知して呼び止める。
「おい、貴様」
「はい」
 なるべく波風立たせないようにすぐに頭を下げて縮こまる。信玄が胡散臭そうに睨みつけているのが目を合わせなくてもわかった。
「貴様、確か今朝方は織田信長と………いや、違うな。別人か。双子か?」
 答える必要もないと思い無言で通す。ギシギシと床が軋み、ひれ伏した掌のすぐ近くに影が落ちる。
「そうか―――怪我をしていた方か。置いていかれたか。ふん、似ているのは顔ばかり………向けられる信頼の厚さはさすがに違うということだな」
 喧しいと叫びたくなるのをどうにか堪える。
 確かに自分はあいつと違って信長に同行させてもらえなかったし、信頼や信用もあらわにこき使われる訳じゃない。でも。
 あのふたりの行き先が分からない訳ではないのだ、生憎と。
「―――失礼いたします」
 わざと面を上げぬまま信玄の側を小走りに通り抜けた。そして直属の部下の真横をすり抜けて、ふと思い出したように懐から文を取り出す。
「………そういえば、甲斐様」
「む?」
「先ほどこのような文が落ちておりました。貴方様の大切なものかと思い預かっておりましたが、お返し致しましょう」
「文?」
 秀吉から手渡された文を見て信玄が眉をひそめる。傍らで部下がはっと顔色を変えて慌てて懐を探った。捜して見つかる訳がない―――自分が懐からくすねておいたのだから。
「おっ、おやかた様! そのような者の拾った文など無視して竈に………!!」
「ふむ、なになに? 拝啓、武田信玄殿―――」
 ばらばらと開いて読み進む内に信玄の表情が険しくなる。こうなるのがわかって部下は隠しておいたのだろうが、仕返しができてさり気なく秀吉は薄ら笑いを浮かべた。ちなみに文面はこんなものである。

『武田信玄殿。

 貴殿が甲斐を離れられてから数ヶ月、相変わらず京で賑やかに過ごしておられるようで感心する。叡山の残党狩りに精を出されるのも結構だがそろそろ影武者をしている弟君の苦労を察しては如何だろうか。
 川中島にも新緑香る季節が訪れる。張り合う相手もおらぬでは攻め入る気もおきん。この次は咲き誇る花のもとで酒と刀を交わしながらの一戦と洒落込もうではないか。

 ―――上杉謙信』

「何が洒落込もうではないかだ――――――っっ!!」
 バリッッ!!!
 あわれ文が粉々に引き裂かれた。
「貴様なんぞと花見ができるか! ええい、太刀を持て! 塩を持て! お祓いじゃあ―――っっ!!」
「ああっ、おやかた様ご乱心!?」
 文机や下駄をひっくり返しての大騒ぎを横目に見つつ、内心で舌を出しながら秀吉はそそくさと現場を抜け出した。
 やはり、武田をからかうには上杉を使うに限る。




 朝も早くから借り出され、説明も何も受けずに宿場から追い出されて小半時、空には太陽が昇り地上に影を伸ばす。眠気や起こされた際に喰らった打撃の痛みやここ数日の疲労感は勿論だけど、何となく置いてきた片割れのことも気にかかっている。
「あのー………今更、比叡山に何の用が?」
「うっせー。とにかく黙って着いて来い」
 ニヤニヤと笑う信長はやたら上機嫌だ。馬の背に揺られながら『敦盛』を口ずさみ、時に早がけをさせるので藤吉郎にはたまらない。ギリギリ走って追いつける速度、下手に言葉を継ごうものなら舌をかみそうになる。
「の、信長様、でもその、まだ怪我人がですねぇ」
「ああ? やっかましーぞ、サル! 置いてかれたいのかよっ!」
 ゲシッ! と強烈な蹴りを頭に一発。よろめいて蹈鞴を踏んだ藤吉郎は更に数歩遅れる。
(………何だかなー)
 琵琶湖で起きた一時の別れも何のその、相変わらず信長様は横暴でいらっしゃる。そして、それを嬉しく感じてしまう自分自身もかなり終わっていると思う。
 一瞬とはいえ本気で別れを告げた、結局は離れずにすんだけれど、その出来事が主君に何の影も落としていないのを少しだけ寂しく思い、それ以上に安堵する。変わらずにいられた立場に心底ほっとしてしまうのだ。
 ―――しかし。
 藤吉郎が一定距離以上離れると信長は馬の歩を緩めるようになったし、彼の気付いていないところで時折り後ろを振り返る。以前も少しは振り向いていたが、あれ以来その確率が僅かながらに上昇していることに生憎と本人たちは気付いていなかった。かつてが十回に一度の割合とするならば、いまは七回に一度は振り返る。誰も意識しないような、ほんの少しだけの心境の変化。
 周囲ですら気付くかどうか微妙な関係のままに一路、叡山を目指した。
 一体叡山の何処へ向かうつもりかと構えてみれば、全く見たことのない吹き抜けの洞窟であった。信長が手を上げると洞窟の側に控えていた小六が大きく手を振り返した。
「小六さん?」
「おう、藤吉郎。お前も来たのか」
 軽く頭をはたかれてよろめく。乱れた髪を撫で付けながら藤吉郎は洞窟の中を覗き込んだ。延々と暗闇は奥まで続き、なまぬるい湿った風が届く辺り、かなり深い穴のようだ。小六以外にも犬千代や五右衛門なんかが居てまるで他国に見つからぬよう守護していたかのようだ。
 問いかけと共に仰ぎ見れば主君は少しばかり偉そうにふんぞり返った。
「あん時はあまり探ってる暇がなかったからな。天回が残してったヤツん中に使えるものがあるかもしれないだろ?」
 特にあの連続で狙撃できる銃や、爆薬の類があるのならば是非とも手に入れたい。他の同盟軍を出し抜こうと考えた信長は密かに部下に命じて抜け道を探させていたのだった。山中を数日間で探索するなど無謀極まりないが、ある程度場所に予測がつかなかった訳でもない。天回に与えられた時間が数十年ほどど想定しても大本の叡山の作りまで変えられるはずもなく、もとからあった寺院を四方へ蔓延らせるようにして基地を形作って行ったに違いないのだ。果たして探り出して三日、先に乗り込んだ地点より然程離れぬ箇所に第二の入り口を発見できたのであった。
「暗いから足元は気をつけて」
 同じく捜索隊に駆りだされていたらしい光秀が松明を掲げもち先導する。その彼は、信長を見て非常に微妙な表情を浮かべた。ここ一連の騒ぎでどうやら信長のことを天下取りにかかせない人物と判断したようだが―――納得しきれている訳でもないらしい。言葉遣いもタメ口と丁寧語が半ばしている。
「おら、とっとと行くぞ」
 ぼぉっとしていた藤吉郎は急かす言葉に慌てて従った。
 光秀を先頭に信長、小六、藤吉郎と続いて最後尾は五右衛門が勤めた。外は犬千代たちが見張りにつく。身軽に荒れた岩肌を下る五右衛門とは対照的にどうも藤吉郎の動きはぎこちない。怪我をしているということもあるだろうが、それをいったら信長だって怪我人である。どうにか着いていこうと必死になっていた。
 ひょいと五右衛門が顔を覗きこんで笑う。
「ごくろーさん。殿様の我侭に付き合わされて大変だねー、お前も」
「な、なに言ってんだよ。俺はしばらく宿場で休んでたし、五右衛門こそずっと調査に駆りだされてたんだろ?」
「まぁね。でも俺はコレが貰えればいいの、コレが♪」
 と言いながら五右衛門が指で円を形作る。相変わらず金銭に細かい男だ………その分信頼もおけるけれど。
 チラリと視線を流した彼が藤吉郎の懐を軽くはたいた。
「なんだー、お前。太刀じゃなくて短刀持ってんの? 護身用? 攻撃にゃ向かねぇよな」
「別にいいだろっ」
「―――もしかしなくても例の刀? あんまし感心しねーな」
 黒衣の忍びは実に嫌そうに眉を顰めた。<神薙>と呼ばれる刀を持つに至った経緯を知っている彼としては、小さな友人がそれを肌身離さず持っていることが気に入らないらしい。そうは言われても所詮は草履取りに過ぎない自分にとって唯一自由にできる武器でもある。五右衛門から受け取ったくないだけでは立ち向かえない敵とて出てくるだろう。だからこれは本当に、イザという時の『守り刀』だ。
 洞窟内部では冷たい風が吹き抜けて先導する松明の火を揺らす。天然のものを上手く利用しただけなのか所々に手すりはあれど階段を整えるまでには至っていない。でこぼこした足場は動きにくいことこの上ないが、どうにか歩き続ける。やがて前方にうっすらとした明かりが見えた。穴から這い上がった藤吉郎は興味深そうに頭上を見渡す。
 巨大な空洞。そこに天回が持ち込んだらしい見慣れない代物がゴロゴロと転がっている。勿論、松明が頼りではあるけれど、それがなくても周囲を検分するには支障ないほどの明かりが保たれていることも不思議であった。これは用済みかと光秀が松明を脇に退けても調査には事足りる。貯蔵庫として使われていたのだろう、多くの木箱と共に足元に鉄の道が引かれていた。
「随分広いですね………俺たちが乗り込んだのとはまた違う場所みたいですし」
「だな。できればこの鉄の道の技術も持ってきてぇところだがさすがに難しいか?」
 軽く信長が枕木を踏みつける。すぐ隣に藤吉郎が座り込んで鉄道の継ぎ目をたどった。
「作成できるギリギリの長さだけ鉄を練って―――互いにはめ込むようにしてますね。これだけの鉄を何処から集めたんだろう………」
「大仏鋳造のためとでも言えば集められるだろうよ。叡山は都の守護、周囲は信徒の渦、ましていまは農民ですら場合によっちゃ刀を楽に入手できるからな」
 主君は笑って答えた。まさか後の『豊臣秀吉』が大仏鋳造と偽って刀狩りをしようとは知る由もない彼である。
「とーきちろーっ。面白いモンみつけたぜぇ」
「え? 何?」
 声に振り向いて空洞の隅に佇む五右衛門に目が移る。大きな木箱の中を覗き込んで忍びは何やら奇妙な物体を探り出していた。取り出したそれらをホイホイと他の面子に投げ渡す。
「よく分からん装置だけど複数ある―――番号もふってあるし、連絡にでも使ってたんかな?」
「妙な代物だ。………? 頭についてる突起は伸びるぞ………?」
「折れそうだな」
 覗き込んだ光秀と小六が揃って首を傾げる。手渡された藤吉郎や信長も首をひねるばかりだ。解体すれば少しは分かるだろうか、しかし開いたところで仕組みが不明では解しようもない。
 現在でいうところの『トランシーバー』を前に戦国時代人たちは頭を抱え込む。『電波』の概念がないこの時代では離れた場所に声を届かせる方法など思いつきもしないだろう。とはいえ電波を中継する地点も電池もない時代だ、天回も作るだけ作って使わなかったのかもしれない。
 他にも壊れた時計だとか温度計だとか羅針盤なども見つけたけれど生憎と使い勝手の良さそうなものは発見できなかった。どんなに有用なものであろうと使用方法が分からなければ宝の持ち腐れだ。取り扱い説明書なんて付いているはずがないのである。火縄銃の山と爆薬の山はまだ役に立ちそうだったけれど、さて、これを安全に持ち出そうと思うとなかなか骨が折れる仕事になるのだった。
 戦利品の数々を洞窟中央に並べて信長はあごに手を当てる。
「ふん………結局使えそうなのはほんの僅かだな。運び出すにしても人手が足りねぇ」
「小隊に分けてればよかったな」
「仕方ねーよ。武田のおっさんが睨みきかせてて今日まで身動き取れなかったんだからな」
 小六の言葉に苦虫を噛み潰したような表情になる信長だ。
 藤吉郎と五右衛門は相変わらず隅の方で掘り出し物はないか探索を続けている。ガラガラと木箱に積みあがるそれは、おそらく試験管やフラスコだ。彼らにしてみればただのガラス細工である。
「うーん………なんかあんまし使えないなぁ」
「だな。―――っと」
 ふと五右衛門が鋭く左手後方を睨んだ。しかし、そこには何もない。ただ薄暗い闇が積み上げられた材木の横に蟠るばかりである。泥まみれになった両手を着物の裾で拭いつつ、藤吉郎は不思議そうに問い掛けた。
「どうかしたのか、五右衛門?」
「ん? いや、多分………気のせい、だと―――」
 妙に歯切れの悪い言葉を呟いて忍びは不意に黙り込んだ。相手がいよいよ疑念を深くするのにも構わず、急にはっと面を上げると藤吉郎の腕を掴んで木箱から引きずり離した。危うく転びかけた方が非難の声を上げる。
「わっ!? い、いきなり何するんだよっ」
「なーんか悪い予感する。とっとと退散、こんなとこ撤退、お前の殿様にも言ってやれ」
「ええ?」
 そりゃ、言うぐらいはタダだけど………俺の意見なんか取り入れてくれるかなぁ………。
 友人が慌てる様を見ても未だ藤吉郎の思考は暢気であった。
 丁度その時、信長は小六たちから離れて反対側の壁際に最後の点検に向かっていた。戦利品が予想より少なくて何となく悔しい。何かもう少し役立ちそうなもの………火縄銃だってもっとたくさんあるに違いないのだ。それが証拠に火薬ははちきれんばかりにあったではないか。発見した品物を小六と光秀は風呂敷にまとめ、背負いやすいように組み上げながら遠目の相手に声を掛けた。
「おい信長、こっちは大体整理が終わったぞ! 藤吉郎! 五右衛門! お前らもそろそろ来い」
「言われずとも」
 とは、忍者の科白。やや腕を引かれた体勢のまま藤吉郎は何気なく視界の端に信長を捕らえた。
 ―――瞬間。

 ゴォ………ンッッ!!

「!?」
 皆が一斉に動きを止める。辺りを警戒し刀に手を添える。
「なんだ………いまの音は………?」
 信長が眉を顰め、頭上を見上げた。いまの振動でパラパラと上部から細かな砂が崩れ落ちてくる。

 ゴォ………ン、ゴォ……ン、ゴォ……ン!!

 音が近づくと共に地面が揺れ、降りかかる砂も多くなる。地響き、誰かが、いや、『何か』がこちらへと突進してきているような。『それ』は最初は戸惑っていたのか音の響きも曖昧だったがやがて目標を定めたか、響きは一定間隔で早くなり、ひとつの方向へと確実に近づきつつあった。
 ―――自分たちのいる、この場へと。
 信長が罵る。
「ちっ! 天回の野郎、みょーな仕掛けでも施してたってのかぁ!?」
「信長様、早くこちらへ!!」
 掴まれていた腕を振り払い藤吉郎が走り出す。
「あっ! 馬鹿、危ねぇって………!!」
 次いで五右衛門が後を追いかける。
 壁よりも少し中央に向けて信長が走り出し、そこに向かって藤吉郎が歩を進め、更に後方から五右衛門が不安げに手を伸ばす。
 ―――まさに、その瞬間だった。

 ゴォォォォ………ンンン………ッッッ!!!

 激しい地鳴りと共に鉄の道が弾けとんだ。同時に雪崩落ちてくる頭上の砂が幕のように中央と端を遮断する。
「信長! 藤吉郎! ………五右衛門!!」
 舞い上がる粉塵にむせ返りながら小六が必死に叫ぶ。咄嗟に光秀が荷物を片手にして彼を背後に強く引いた。一瞬後に直前まで小六が位置していた大地が砂礫となって崩れ落ちる。無音と無明の中へ舞い散る土と鉄道が甲高い悲鳴を上げながら崩落に巻き込まれていく。
「地盤沈下………!? くそっ、何だってこんな時に!!」
 舌打ちしても間に合うものではない。頭上からの落盤と足元の沈下で辺りは砂嵐のように視界がきかない。丁度この薄い幕の向こう側に、信長たちが居るのだ。
 崩落から逃れていればいい―――だが、もし、巻き込まれていたら………?
 逸る心を抑えて煙が落ち着くのを待った彼らは、眼前に広がる光景に望みを絶たれたことを知った。そこには丸くスッポリと抜け落ちた半径三丈にも及ぼうと言う穴が空いていたのである。当然、誰の姿もない。穴の奥は松明の光さえ届かない暗闇だ。カラカラと小石が転がり落ちていく。
 青ざめた表情でしばし佇んでいたふたりだが、我を取り戻すのは早かった。きつく唇を噛み締めて光秀が呟く。
「―――まずは地上に戻ろう。我らだけではどうしようもない」
「ああ。道具も足りないしな」
 頷きあったふたりは互いに出来る限りの速さで地上への道を駆け上がっていった。




 激しい崩落と共に視界が土砂に埋め尽くされて、求める姿を見い出すより先に腕を引かれる感触だけが鮮明に残った。そこかしこに打ち付けた手足は痛み、明かりを失った周囲は闇に程近い。かろうじて自分のてのひらが認められるぐらいの薄明かりが果たしてどこに由来するものなのか、それすらいまは分からないけれど。
 数回、咳き込んだ藤吉郎はやっとの思いで上体を起こした。
 周囲の闇と身体を襲う痛みにフと身の上を忘れるが、そういえば自分は崩落に巻き込まれたのだとようやく思い至る。慌てて首を左右に振るより先に軽く額に手を当てられた。
「よ。気が付いたか。怪我は………してねぇみたいだな」
「………五右衛門?」
「おう。―――灯り、つけたいんだけど上手く道具が取り出せないんだよなー。くそっ、これだから不測の事態ってのは困るぜ」
 ブツブツ文句をいいながら動き回る黒影ひとつ。聞きなれた友の声に藤吉郎はひどく安心した。と、同時に不吉な予感が頭をかすめて咄嗟に眼前の人物の腕を鷲掴んだ。この場に他の人の気配はない。光秀と小六は離れた場所にいたから大丈夫だったろうと推測できる。
 ―――けれど。
 ………あの人は?
 震えそうになる喉を叱咤して言葉を搾り出す。
「―――信長、様、は?」
 言いにくそうに五右衛門が顔を背けたのが分かった。
「わかんねぇ。ここにはいないから少し離れたところに落ちたんだろうな。ま、しつこい奴だから多分元気にしてるだろうけど」
「多分って、そんな!」
 腕に力が篭もる。カッとなって言い募った。
「どうして助けてくれなかったんだよ!? お前、信長様に雇われてるんだろ!? ちゃんと任務を果たせよ!」
「あのな、藤吉郎。幾ら俺でも二方向に同時に飛ぶことはできないの。しかも近いのはお前の方だったの。しっかたねーだろ」
「仕方なくなんかないよ!!」
 ため息まじりの言葉に激昂で返す。
 全く―――全く、なんてことをしてくれたんだ、この忍びは!
 一介の草履取りなんかより優先すべきものが他にあるだろうに!

「俺なんかより信長様を助けろよ! 馬鹿野郎!!」

 ガンッッ!!!

 拳が、岩壁に叩きつけられて―――。
 割れた。
 叫んだ格好そのままで藤吉郎は自らの真横に叩きつけられた拳を冷や汗まじりに見つめる。正面の友は俯いて表情は窺えないけれど、殴りつけた拳が、突き出した腕が、細かく震えている。
「………ご、え………………」
 かける言葉も見つからなくて藤吉郎は絶句した。
 怒りにかられて理不尽なことを叫んでしまったと理解してももう遅い。謝ろうとか呼びかけようとかでもやっぱり助けてほしかったとか様々な考えが脳裏を巡って全然まとまらない。とりあえず自らが掴んでいた相手の腕を解いて、強張った指をほぐすようにてのひらを開閉した。

「―――任務を果たせ、か」

 やがてもれたのは、意外なほど穏やかな友人の声。相も変らぬ闇の中で感情の機微を窺うのは至難の業だけれど、言葉の中に諦観と哀愁と覚悟が入り混じっているように感じられて、こんな時にも関わらず藤吉郎は不安そうに眉を顰めた。
 岩壁にねじりこんだままだった拳を引いて、まとわりついた小石を払う。まるで何事もなかったかの如く彼はしれっとした顔で答えた。
「善処する」
 いつもの飄々とした顔と態度で言い切ると、五右衛門はあっさりと藤吉郎に手を伸ばして闇から立たせた。常の調子で懐から火打石を探し出すと手近な木材を利用して松明の代わりとする。
 何だか、呆気なさ過ぎてどうすればいいのか分からない。
 五右衛門が自分の失言を見逃してくれたのは分かったけれど、これは本当に見逃していいことだったのだろうか。もっと真剣に考える余地があったのではないだろうか。
 相手に取り合う気がないのなら、今更自分がとやかく言ったところでどうしようもないけれど………。
 彼が万能な人間のように思っていた。信長に対してもそうだが、どうも自分は少しでも尊敬できる人間は『完璧』な存在であると信じてやまないらしい。何でもできるし、何でもやれる。崩れ行く足場の中でふたりの人間を救うことぐらい彼ならば鼻歌まじりにこなしてしまいそうな幻想に囚われていた。
 本当は、それがどれだけ大変なことなのか分かっているはずなのに。
 いまを逃せば言う機会は訪れないと勇気を振り絞り、どうにか相手の服の端っこに指先を絡ませた。敏い友人がそれだけでこちらを振り向いてくれるよう願いながら、案の定、振り返った甘すぎる相手が首を傾げるのを頭上に感じつつ、絶対に伝えなければならない言葉だけを伝えた。

「………助けてくれて、ありがとう。感謝してる。それから―――言い過ぎて、ごめん………」

 息を呑む気配。彼の表情は、今度は灯った松明に遮られてやはりよく分からないけれど。
 そっと頭に手が乗せられて、許すように微笑まれたのを察した。
「―――いいって。俺がもっと頼りがいのある奴になればいいだけの話だモンな」
 それこそが一番大変だと思うのに。
 全然こっちの立つ瀬がないなぁと藤吉郎は深いため息をついた。
 まずはここに立ち尽くしている訳にも行くまいとほのかな灯りを頼りに歩を進める。上部に落下してきた穴は望めるが、登ろうにも壁はもろくとてもじゃないが辿り付けそうにない。足元には木箱や鉄材の欠片が惨憺たる有様で広がっている。八方を囲まれていたら悩んだだろうがさいわいにして道は開けていた。進むより他はない道のりである。
 手探りで進んでいた藤吉郎は何気なく触れた壁に違和感を覚えて立ち止まった。
「―――五右衛門、ちょっと待った」
「ん?」
「なんかここに変なのがある………少し止まっててくれ」
 よく見えないが、四角くて、やたら堅い物体が壁に取り付けられている。上下に細い線が続き、真ん中に怪しげな出っ張りがあった。「押してください」と言わんばかりである。「妙なモン作動させんなよー」との知人の忠告を敢えて無視してその出っ張りを押した。
 直後。

「―――っ!?」

 松明など必要ない赤燈が辺りを照らす。カッ、カッ、カッ、と順に手前から奥へと続く光―――「電球」と呼ばれるものだったが、藤吉郎たちにしてみれば謎の物体でしかない。周囲が見やすくなったことに安堵するぐらいで、勝手に発光する物体に奇異の念を抱くのは当然である。
「………便利なもんだな」
 不要になった篝火を消して五右衛門が頭上を見上げる。鬼が出るか蛇が出るかと警戒していたので拍子抜けといえば拍子抜けである。ジリジリと焼け付く球体の中心には細いゼンマイのような線が巻かれていた。持って帰って調査したくもなるが外して問題ないのか判断も付きかねる。
 藤吉郎は藤吉郎で何処までこの明かりが続くのかと口元に手を当てて考え込んでいた。
「やっぱこれも天回が残していった仕掛けなのかな。便利は便利だけど………有害、じゃない、よな?」
「こんだけ広範囲に敷き詰めてんだ。危険なモンをわざわざ張り巡らせるとも思えねーけど」
「確かに。とりあえずいまは歩きやすくなったことに感謝しとくか………」
 未だ少しの怖気を隠して彼はまた一歩、足を進めた。




 打ち付けた足が痛いというか、土に埋もれた体が動かないというか、受身もろくすっぽ取れていない自分が腹立たしいというか。
 傍から見ていると丸っきり壷にはまったような格好で地面にめり込んでいる信長はひとり文句をいう訳にもいかず、仏頂面でそこにいた。あれだけ木材やら鉄材やらが降り注いだ中で無傷なのは奇跡に等しい。片手を大きく振り上げて手近な岩をひっとらえ、どうにか身体を助け起こす。周囲は頭上の明かりで僅かに視認できる程度。
「あそこから落ちてきたんだよな」、と仰ぎ見るのも忌々しい。昇れっこないからだ。
 同時にむすったれた顔で毒づく。
「―――あんにゃろう………」
 何てムカつく奴なんだ、あのスッパ。
 頭上の崩落と足元の落盤、同時に襲った出来事に慌てた瞬間、視界の隅に駆け寄ってくる小さな影を捉えた。名前を呼ばれていたのも分かる。あのまま突っ込んでいたら確実にそいつが岩に押し潰されていただろうことも、決してそうはさせないために別の人影が別方向から駆け寄っていたことも。
 瞬間、目が合った。
 そいつはフイと目を逸らすと真横に飛んで、もうひとりの腰を抱え上げて向こう側へと遠ざけた。
 ああそうか。仕事の雇い主よりも内心の主君を優先するのだなと。
 実にらしい判断だと認めつつもやはり斬り捨てられたことは我慢がならない。帰還したら絶対ぶっ飛ばす。
 でもあいつが藤吉郎を救おうとしなかったらぶっ飛ばすどころかぶっ殺していた。
 だから、あいつの選択は間違いじゃない。
 壁に手をついて立ち位置を確認し、指をなめて風の来る方向を調べる。前方から後方へと緩やかに吹き抜ける流れに迷う事無く信長は足を一歩踏み出した。差し込む光はところどころで、自然、歩調は遅くならざるを得ない。
 足先で木材をより分け崩れない地盤を確保して、突き出た材木に激突せぬよう慎重に歩み出す。いまはまだ僅かな灯りが洩れさしているものの、このまま前進を続ければ確実に周囲は闇に閉ざされるだろう。前方は更なる漆黒に包まれている。
 腰に刀があることをてのひらで確かめた時だった。

 カッ………ン

「ん?」
 何かを切り替えたような音に振り返る。そこは変わらず闇の中だったが。
「おおっ!?」
 思わず声を上げた。後方から前方へ向けて頭上に点々と明かりが灯って行く。呆気に取られている間に後ろからきた流れは信長に追いつき追い越し、更に奥まで延々と続いていく。
 丁度その時、幾分離れた場所にいる藤吉郎が電球のスイッチを入れたのだなどと、さすがの信長にも分からない。
 ただ、これによって天回の残した施設が未だ『生きている』ことを強く感じた。手を伸ばせば届く範囲にある光る球体は無害なものに見えるが何の動力源もなしに作動するものとも思えない。必ずどこかに供給源が、それを送る仕組みが、存在しているはずだ。
 その原理がこちらに分かればよし、使えるならばよし。
 使えないならば破壊するまで………もっとも、このまま地中に埋められればいずれ機能停止するだろうけれど。
 いつ明かりが消えるかも分からないので信長は心持ち足を速めた。目を配りながら進めば意外と地下道が整えられていることに気付く。細い銅線が頭上の球体に繋がり、要所に崩落を防ぐ為の柱があり、緊急用の荒縄が用意されている。
 角を折れ曲がるたびに右手に新たな部屋を確認することができた。戸板でふたをしただけのものも、堅い扉で閉ざされているものもある。幾つかを無理矢理こじあけて入れば叡山の生活を窺い知ることができた。それは食堂だったり個人の寝室だったり、ただの用具入れだったりと様々で、時間があれば細かく調べてみたい道具が突っ込まれた倉庫だってあった。
 しかしいまは脱出するのが先決である。のめり込んで調べている内に再度の崩落に巻き込まれては目も当てられない。
 果たしてそれは何番目の扉だったか、またしても力任せに蹴破った向こう側にようやく信長は当座の役に立ちそうなものを発見した。武器庫である。ザッと見渡して当たりをつける。
「ふん―――さすがに連射できるのはねぇってか」
 だが、『この時代』の銃に改良が加えられて随分軽く、扱いやすくなっている。引き金も軽そうだ。火薬だって二、三回分なら一度に入れられる。
 どうせなら二、三丁いただいていくかと手を伸ばし
「―――っ!?」
 身を翻した。鋭い、刺す様な視線に。
 しかし。
「………?」
 振り向いた先には自らの蹴破った扉があるばかり。己の勘に自信を持っている信長は訝しげに首を傾げた。

 誰かがこちらを睨んでいた―――それは確実だ。
 かなりの殺気が込められていた―――絶対的事実だ。

(長居はするなって警告か………?)
 もしやいまの視線は『あの』崩落時に感じた危機感と同じものなのではないかと。
 推測を確信に変えながら手元に銃を引き寄せた。
 とっととここを出よう。
 ………サルとスッパを、回収し終えたら。




 悪い予感がしたので駆けつけてみたら案の定というか何と言うか。そこにあるべき主君の姿も片割れの姿もなく、ただひたすら慌てふためく部下どもとやたら土まみれになった光秀と小六がいるばかり。泥だらけのふたりが指示を出しているところからして坑道で何か起こったのは明白だ。ただの土掘りであそこまで衣服を汚すほど酔狂でもあるまい。おそらくははぐれたか事故でも起きたか。
(後者だな)
 秀吉は断定した。
 彼の存在に気付いた小六が驚いた表情を浮かべる。「お前、宿場で休んでるんじゃなかったのか」と言いたげだが余計なお世話である。新参者らしく周囲の取り巻きに深く頭を下げ、
「大丈夫です。ご心配かけました」
 なんて殊勝に答えを返しておく。探るような目線を光秀に向けた。
「ちょっと藤吉郎に伝えたいことがあったんで来たんですが………何かあったんですか?」
「―――まぁな」
 さて何処まで話したものかと一応の司令官は瞬間的に迷ったらしい。けれどすぐに協力を求めるべきかと考えを改めて状況を語り始める。
 まさか地下坑道に入って探索していたところで予期せぬ地盤沈下、次いで崩落、とは。本当に織田信長は問題事を起こすのが上手い人間だと感心した。そして道連れにされるのはいつもどおり藤吉郎と五右衛門だ。いまは宿場で怪我人の世話に当たっているが、下手したらヒナタたちも巻き込まれていたかもしれない。
 心配性で突撃系のヒナタに『ヒヨシ』の窮状を知られる前に三人を助け出さないとどうなることやら。
「人手を借りに出てきたはいいんだがな、今度は出入り口が潰れた。いまから当たりをつけて新しい入り口を捜そうにも………」
 光秀が唇を噛み締める。他の面々も途方に暮れていた。早く無事を確認したい、しかし坑道に続く入り口がない、捜すには人手が足りない。三重苦だ。
 いよいよ自分の果たすべき役割が定められて秀吉は諦め半分のため息をついた。
 これは悪い予感というよりは―――都合のいい『呼び出し』か?
 あの『地図』を覚えている味方は藤吉郎だけで、更にうろ覚えに覚えているのは記憶を共有した己のみである。
 探索経路はひとつではない。
「―――宛てがない、訳でもない、です。よ」
 その言葉に全員が振り向いた。苦笑まじりに肩を竦めて適当な理由を拵える。
「一時期ここに潜伏してましたんでね。地下の構造も多少は覚えています。こっから西方にもうひとつ緊急の出入り口があったはずです。ちょっと遠いですが急ぎましょう」
 本当は叡山に篭もっていたのなんてほんの一時で、しかも最深部には入らせてもらえなかったのだけど。
 体のいい道具だったんですと告白した上に記憶の共有が云々と怪しげなことを語るよりは嘘で塗り固めておいた方がまだマシだ。その中で光秀は疑問も露に腕を組みなおす。
「本当に………わかるのか?」
「この状況で皆さんを騙すほど俺も馬鹿じゃありませんよ。タコ殴りにされたくはありませんし? ………信長様が心配なのは本当です」
「そう―――そう、だな」
 すまない、と明るい髪をした青年は軽く謝罪した。
 まるでそれを見なかったことにするかのように素早く秀吉は視線を逸らすと、身体を西方へと向け直した。
「こちらです」
 右手を挙げて行く先を示す。
 心の中では幾分、主君以外の者たちへの心配も滲ませながら。

 

→ 後編


 

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