「戦え! ボクらのコロクンガー!!」

43.vegetative presence

 


 ―――まるで一世代前の映画だな。

 中が覗けないようにマジックミラーで保護された車に案内された重治はそう思った。おまけに車内で目隠し

までされてしまっては苦笑せざるを得ない。手錠までかけてご丁寧な事だ。ここまで畏まらずとも逃げはしない

のに。相手の視界を塞ぐ事で安心しておきたいのだろうが、それすら無意味だよな、と無言の車内でぼんやり

考える。

 

 ―――北に向かって3分、信号の感覚から考えてここは大通り………右折。都市を背後にして、郊外に向

かっているな。

 

 カード型PCは没収されてしまったが首に下げたリングはお咎めなしだった。ただの飾りに見えたのだろう。さ

り気なくスイッチはオンにしておいたから、上手くすれば防衛隊の面々が発見してくれるはずだ。油断は禁物

だが焦るのも愚か。いま両脇を抑えているふたりぐらいなら隙をついて逃げ出す事は可能だろう。しかし、一

体どんな面子が待っているのかと純粋な興味もわいた。こういった好奇心が身を滅ぼす事になると知っては

いても止められないのが学者根性である。それに、彼らが銃を隠し持っているらしい事も察せられたし。

 車を降りてから割りとすぐに自動ドアを潜り抜けて、靴音が低く反響する廊下を歩く。室内は無人なのか誰

何の声すらかけられない。正面に位置するホールでエレベーターに乗り込んだ。

(右手奥から風………かなり長い廊下だな。左手から薬品の匂い―――どこかの廃院か)

 記憶にある地図から所在地を割り出す。大まかではあるが、研究所から20分ほど離れたところにある以前

の小児病棟だろうと見当がついた。30分と答えたのはただの作戦か、彼らは無駄に車を旋回させていたので

ある。地下へ降りているのはわかったが果たして何階まで降りれば気が済むのだろう。この小児病棟は10年

前の戦いで崩壊して以来、放置されていたはずだ。その分、誰かが手を加えられる余地も残っていたわけだ

が、ここまで大規模となると裏の作為を感じずにいられないではないか。

 確実に政府内の誰かが手引きをしている。そう考えると「名のある科学者」との言にも信用が置けるかもし

れない。

 到着した先でまた何分か廊下を歩かされた。右、左、右、右、左………結局グルグル回転しているだけじゃ

ないかと舌打ちする。やがて男女がピタリと動きを止めた。

「着きましたよ、教授」

「もう目を開けてもよろしいですよ」

 見下すような笑いと共に目隠しを外される。蛍光灯の明るさにしばし目が痛んだ。眼前に現れたのは素っ気

無いすすけた白いドアで、硬く凍てついたドアノブだけが目立っていた。手錠をされたままの状態で開けろとい

うらしい。もっと捕虜は大切に扱ったらどうなんだとため息をつきながら戸を押し開ける。なんとなく気が進まな

くて立ち止まっていると急かすように背中を叩かれた。仕方なしに足を踏み込んで―――迎えた面子に眉を

ひそめる。

 

 なるほど? 確かに彼らは‘名のある’科学者だ。

 ただし、名誉とは反対の意味で。

 

「―――あなた達が招き手ですか」

「久しぶりだな、竹中教授」

 室内は予想以上に広かった。床を埋め尽くす配線コードと壁を埋め尽くす機材。作動中を示す赤や青のラン

プが明滅して暗い室内に不気味な彩を添えている。これほど大量のコンピュータを持ち込んで、彼らはここで

何をしていたのだろう。かつての大学での研究仲間を見て本当に重治は頭が痛くなった。

 そこにいた科学者は全部で5人。外国の大学で研究を共にした事がある日本人ばかりだ。確か彼らは脳波

診断における記憶の領域がどうとかに熱中していて………あまり考えがそぐわなくて、親しくなる暇もなかっ

た。もとより自分は僅か数週間で転勤してしまったし。彼らが日本のこんな地下室でコンピュータに入れあげ

ているとは思いもよらなかった。

 同じ研究室にいたより後に、彼らは禁忌をおかして学会を追放された。時空間論理との整合性を計る為に

人体実験を行ったのだ。対象にされたのは発展途上国における貧民層の男女6名。彼らはいずれも廃人とな

り、還る事がなかった。

「こんな処で何をしているのですか。地下になどこもらずに明るい場所に出ればいいものを」

 教授の至極まともな意見に嘲笑が返された。

「我々は世間に嫌われてますからなぁ」

「はは、全く全く」

「ご存知ないのかしら教授? アンダーグラウンドの方が研究はしやすくってよ。あなたもそれを知っているか

ら防衛隊なんかに加担したのでなくて?」

 

 ―――あんたらの上司と小六を一緒にするなと言いたい。

 

 防衛庁の人間ふたりは重治を椅子に座らせると手錠を外した。代わりに足と肩を鉄製の器具で固定する。

ちょっと待て、これは中世の拷問の道具か? とため息。こんな薄暗いところに閉じこもっているから思考が

後ろへ後ろへと舞い戻ってしまうのだ。

 男女は研究者達を振り向いた。

「わたくし達はこれで失礼いたします。後はお好きにやってください」

「あと少しだけここを見回ったら立ち去りますので。結果はCルートから報告してくださいね」

 それだけを言い置くと意外とあっさり出て行った。彼らもこの研究者連中は苦手なのかもしれない。パタンと

軽い音が室内にこだまして、残されるのは微かな機械の駆動音のみ。チラリと皆を見渡し、教授はうんざりし

た顔で問い掛ける。

「………わたしに、何か御用ですか」

「そうだ。君に報告しておきたい事がある」

 勢いよく立ち上がったのは5人の中でも比較的若い男性だった。きっと30を幾つも越えてはいまい。

「あの頃の君は興味がないみたいだったがね、わたし達はずっとずっと研究を重ねていた。そしてついに見つ

けたんだよ。脳の生死に関わり無く知識を取り出せる方法をね!」

「―――なに?」

「素晴らしいとは思わないか? これを使えば………例えば死者を引き合いに出すとアインシュタインであれ

何であれ、脳細胞さえ残っていればその知識をあます事なく引き出す事が出来るんだ。人類にとってこれ程

の進歩はない。そうだろう?」

「死者の人権はどうなる」

 嫌悪の面持ちで教授は反論した。

「死してまで人類の役に立つ? そんな事を望んだ天才が本当にいるとは考え難いね」

「博愛主義者の竹中重治教授の言葉とは思えんな。亡くなった後も彼らの優秀な脳は世代を超えて知識を伝

えていく………この手法がある限り、何年でも、だ。そして人類は生きた辞書を手に入れられる」

「生きていてこその思考法であり理論だ。本人の意思が消え去った後の残骸に価値などあるものか」

 嘲り。相手の頬に浮かんだのはまさにそれだった。

 彼が座すのと同時に臨席の女性が立ち上がる。確か彼女は、薬品が人間に与える様々な影響を研究対象

としていた覚えがある。特に麻薬による幻覚症状に興味を抱いていたような。

「あのね、わたし達、たくさん研究したの。あれが研究に役立ったのよ。だからとっても研究がはかどったの」

 お前は幾つだとツッコミ入れたくなるような無邪気な語り口調である。

「‘あれ’とは何の事だ」

「‘あれ’は‘あれ’に決まってるわ。暗い地べたで這い蹲っててとってもキタナイの。だからね、薬を打ってあ

げたの。そしたらとっても素敵な夢を語りだすからその間だけは面白いんだけど、後はもうダメね。つまらない

わ。やっぱり凡人って100人集まってもわたしの足元にも及ばないわ」

 ―――人体、実験か………。

 悔しさに歯噛みする。自分は決して博愛主義者などではない………重治はそう思っている。だからといって

他の人間を無碍に扱おうと言う気も起きない。彼らは人間に生まれながらの上下関係が存在していると信じ

ているのか、実験対象に対して憐憫の情を覗かせる事は決してないのだ。

 彼女は立ち上がって教授の側に来ると、彼の頭部に妙な機械をかぶせた。黙って見つめる彼に対して3人

目が嬉しそうに語りかける。

「ああ、でも嬉しいなぁ。君を使って実験できるだなんて! いままで丸太どもを使って試してはいたけど、今度

は優秀な頭脳を使って試せるんだよ。本当に嬉しいね!」

「心配するな。痛くはない。ただのダイレクト・インストールだよ」

 ………ダイレクト・インストール?

 突如飛び出した場違いな言葉に眉をひそめる。5人目が黙々とコンピュータをいじる傍らで4人目が静かに

話しかける。

「さっき言っただろう? 脳細胞から情報を取り出せるようになったって。それを君で試させてもらうんだ」

「ねぇ、すごいでしょ。この方法が確立すれば黙秘なんて意味がなくなるわ。だって、直接脳髄から情報を抜き

取ればいいんだもん。くだらない虫たちの無駄な抵抗なんてなき物にできるのよ」

「これこそ科学の勝利というものだね。誰も僕達に逆らえるものはいなくなるよ」

 勝手に盛り上がる様子は低級で粗悪な学芸会のようだ。どうにか片手を動かして、胸元に下げてあったリン

グを握り締める………気付かれないように。

 低く、抑えた声で搾り出した。

 

「―――科学を過信しない方がいい。彼らは容易く人間を裏切る」

 

 彼らは苦笑とも嘲笑ともつかぬ笑みを口元に刻む。

「………失望したよ。君の存在意義はその頭脳だけだね」

「だから僕達の技術が役に立つのさ。人格関係なし! 意地も主張も関係なし! これほど素晴らしい技術

はないね」

 まさに‘いそいそ’という表現が似合いそうな足取りで彼らはそれぞれの持ち場につく。教授の頭につけた

のとほぼ同じ機械を頭部に貼り付ける。見た感じでは単なる脳波計のようだが、まさかそんな筈もあるまい。

(愚かな………わたしが‘天才’などであるものか。お前たちがそうでないのと同様に)

 呟く。

「―――5人全員でわたしの記憶を共有するつもりか」

「あなたなら下らない記憶なんて無くて助かりそうだわ。以前ね、適当な奴の情報を取り出したら覚えている

のも煩わしいような日々の記録ばかりだったのよ」

「我々は改良を重ねた。個人の情報の中でも特に重要な、思考論理法に関する部分だけを抽出できるように

なってきたからねぇ」

 個々人の記憶が‘くだらない’というのか。それぞれに篭められた思いの深さも知らぬくせに。

 手にしたリングをもう一度だけ強く握り直す。決心が揺らがないように。こんな連中であっても果たして巻き

込んでよいものかと迷う。同時に、こんな連中にいいように使われるくらいなら反撃してやりたいとも思う。

 科学は万能ではない。他人は思い通りにはならない。人が人をただの実験対象として見るなどあってはなら

ない。ヒトがヒトとして生きていく為の最低限の礼儀さえ弁えぬ奴には心底腹が立つ。

 それでも最後の希望にすがるように口を開いた。

「5人で分けてどうする。ひとりひとりに伝達される情報は少なくなるんじゃないのか。それでいいのか」

 意味深に顔を見合わせる面々。口の端に浮かぶのは薄ら笑い。

 それはね、何度も検討したんだよ、と笑う。

「でも結論が出なくてね。こんなチャンス滅多にないんだから、やっぱりみんなで体験しようという事になった

んだ」

(………………そうか)

 もう何をいっても無駄らしい。教授は軽く俯いた。

 この後に起こる惨劇が予測できるから、可能な限り被害を減らしたかったのだけれど。

 いわゆるマッド・サイエンティスト相手に悩んでいるんじゃないと兄や長政なら怒るのかもしれない。弟だって

きっと怒るだろう。でも自分はあまりあまり他人の生に関わりたくなかったから、危害を加えたりしたら、何か

反撃したならば、途端に関連が強まってしまうような気がしたから。

 

 ―――こんな連中の為に僅かばかりの良心を痛めたくなかっただけの話だ。

 

 後はタイミングの問題だ。彼らが意識をそらした瞬間、まさしく脳にハッキングをかけようとした瞬間に、すべ

てを逆流させる。意図して起こす事の叶わない電気信号の波を故意に発生させよう。その為の切り札、その

為の道具。5人分の過負荷を一気に反転させて己まで無事でいようとは考えていない。

 コンピュータが起動を早める。画面上に記号配列が着々と進む。

 やっぱり何処かで逃げておけばよかったのかな。でも………きっとそのうちこいつらは手出しをして来ただ

ろうし。

 少なくともこれまで歩んできた道に後悔は無い。身内を悲しませるだろう事が気に掛かるけれど、彼らとて

最後の手段を選んだ自分を許してくれるに違いないのだ。

(ごめん―――兄さん)

 無茶するなって言われてたのに、ムリだったよ。

 コードを伝って他人の意識が記憶をさらいに来る。無遠慮に踏み込んで個人の領域を荒らしていく。それに

飲まれて巻きこまれて、完全に意思を喪失する直前に。

 

「―――思い通りには、ならないさ」

 

 科学が彼らの思い通りになるとも、‘人間’はそうはいかないのだと。

 握り締めていたリングを手首に装着した。

 

 

 

「本当にここで間違いないんだろうな?」

「ああ、確かだ」

 司令の言葉に五右衛門は強く頷き返す。空港帰りの車中で突如電話が鳴ったかと思うと竹中兄にいきなり

がなり立てられて、落ち着いて事情を聞いてみれば弟が政府関係者に連行されたとか何だとか。奴らめ、つ

いにこっちまで手を伸ばしてきたかと舌打ちする。まさかいきなり中枢まで切り込んでくると思っていなかった

のは甘かっただろうか。たとえ教授が武術の使い手だとしても所詮病み上がりの身体である。銃で脅された

りすれば逃れる術はない。

 眼前に佇むのは閉鎖された医療施設。数年前までは小児病棟として運営していた記録が残っているが、も

う使われなくなって久しいはずだ。柵で覆われた正面玄関を避けて裏より侵入。間もなく竹中博士の乗った車

が到着した。

「意外と早かったですな」

「あいつはこの中ですか?」

 苛立たしげに彼は司令に問い掛ける。形振りかまっていられないという感じだ。3人揃って非常口らしきドア

を蹴破って中に侵入する。五右衛門は再度リングを見て、反応が地下から返ってきている事を確認した。か

なり深い。

「小六、どっかにエレベーターでもねぇ? なんか地下から反応返って来てるぞ」

「あそこのあれがそうじゃないか?」

「行きましょう!」

 地下へとつづく階段は土砂で埋もれていて使えなかった。非常口のランプが点いているから、まだ電気系統

は生きているに相違あるまい。逆にいうと、こんな廃院にまだ電源が残っている事が疑問なのだが………。

 B10を示すランプが順々に上がってくるのを博士が足を踏み鳴らしながら耐えて待つ。チン! と到着音が

して開いたドアの先―――。

 

 より、驚いたのはどちらだったろう。

 

「へ?」

「なっ………!」

 扉の先、スーツを着込んだ男女としばしお見合い。

 

 我に返ったのは五右衛門が最初だった。咄嗟に眼前の男の襟首を掴み、ホールに投げ出す。女性には当

て身を食らわせて、彼女が呻き声をあげて昏倒する間に男の方に詰め寄り、鳩尾にきつい蹴りを落とした。こ

の際に上がった悲鳴は無視しておこう。

「政府関係者を名乗ったのはあんたらか? 本物か?」

 問い詰める横で手際よく司令が男女に手錠をかけていく。が、あまりに見事な五右衛門の一撃がトドメをさ

してしまったらしく、返事は一言も返ってこなかった。仕方なく小六が片手で懐から取り出した照合機で相手

の顔を照らし出す。

「………間違いなく本物だな。登録もある」

「げ。投げ飛ばしちゃまずかったかな?」

「正当防衛を主張しておけ。―――それより急ぐぞ、博士に置いてかれる」

「了解!」

 いまの騒ぎなどなかったかのようにエレベーターの扉を閉めかける竹中博士。慌てて五右衛門と小六は隙

間に身体を滑り込ませた。

 教授をさらったと思しき人物も居た以上、自分たちの推測は間違えていなかったと言う事になる。しかし、そ

れで教授の安全が保証された訳ではない………機内は不気味な沈黙に包まれていた。

 B10に着くと同時に博士が飛び出す。2度、辺りを見渡すとすぐ右手奥に向かって駆け出した。どちらから反

応が返ってきていると五右衛門が指示を出す前にである。結果、防衛隊のふたりが後を追い、部外者である

はずの博士が先頭きって走ると言う妙な状況になってしまった。

 色の剥げ落ちた片面開きのドアに彼は取り付く。

「開けろ! 此処を開けろ! いるんだろう、重治!!」

 何回も拳を殴りつけ、手がはれ上がる。

 血が滲み出す寸前で、どうにか五右衛門は博士の腕を捕らえた。

「落ち着いてくれよ、鍵なら俺が開けてやるって!」

「それじゃ遅すぎる!」

「―――ふたりとも、どいていろ」

 言い争いに発展しそうだった雰囲気を小六の冷静な声が打ち消した。一歩下がって大仰に肩を回す。

「鍵あけが手ぬるいというのなら、力技しかあるまい。そこをどけ!」

 急いでふたりがドアの前から引き下がる。直後、小六が思い切り体当たりをかました。

 扉が揺らぎ、ただでさえ壊れかけていた蝶番が大きく外れた。

 

 ピン………。

 

 軽い音色と共に金属が通路にはじけ飛ぶ。少し肩を抑えながらも小六は何事もなかったようにドアを前方に

引いた。枠から外れたドアがゆっくりと引き出されて、室内の状況が明らかになる。これで何もなければ博士

の取り越し苦労、司令の無駄働きとなったのだが―――。

「………何だ?」

 五右衛門が呟く。

 部屋からもれだす僅かな異臭、覗き込んだ先の白煙、機械がショートする音。踏み込んですぐにここが‘現

場’だと知れた。辺りは機械のディスプレイとコード類で埋め尽くされ、全てのケーブルが断線したのか黒焦げ

の断面図をさらしている。赤く明滅するランプに空気が漏れ出すような鈍い音と甲高い警告音が重なる。室内

灯まで消えた室内で倒れこむ人影を見出すのは容易ではなかった。

 ただ、設置された中央の椅子と、それを取り囲むように配置された5つの椅子だけが存在を主張して。

 こんなに暗くてはな―――と五右衛門は内心でぼやく。脇を博士がすり抜けた。

 

「重治!」

 

 ―――え? もう発見できたの?

 胸ポケットからペンライトを取り出して彼の行く先を照らす。博士は迷い無く中央の椅子に駆け寄ると、そこ

に座した人物を抱え上げた。急ぎ追いついたふたりは、予想以上の事態に息を呑む。

「………教授!」

 

 少年は、確かに、そこに居た。

 

 ―――全身血まみれの状態で。

 

 こめかみから吹き出た血が頭部を越えて上半身にまで及んでいる。唇の端からもれだした細い血の糸が襟

元に染みを作る。何故かは知らない―――だが、左手首につけたリングの周りがひどく焼け焦げ、ほとんど

炭化していた。肉の焦げる臭い。これだけの手傷だ、どれ程の苦痛が彼を襲ったか分からない。

 なのにその表情は安らかなのだから泣きたくなってくる。

「重治!」

 瞳孔を調べ、脈を計り、顔をはたく。表情が歪んだ。

 いまにも叫びだしそうな唇を噛み締めて兄が弟の胸に手を当てる。2度、3度―――心臓マッサージを必死

になって繰り返す。息は戻らない。

 頼むから、と。

「………むっ、まだ、逝かないでくれ………!」

 堪えきれず涙を落としそうになりながらマッサージと人工呼吸を繰り返せども硬直した身体はピクリとも動か

ない。

 憤りの色を滲ませて司令は胸元から携帯を取り出した。

「―――五右衛門」

「ああ」

「俺はヘリを呼ぶ。加害者が転がってないか確認してくれ」

「了解」

 敢えて少ない言葉を交わす。誰かに当り散らす事など出来ないのが司令と言う立場だから。

 冷酷なようだが教授の延命は専門家に任せて、五右衛門はライトを他の椅子へと向けた。案の定、椅子に

それぞれの影が倒れ伏しているのが分かる。本当は確認などしたくないのだが………これも仕事だ。一先ず

手近なひとりの髪をつかんで引っ張り上げる。意識は完全喪失。ブラック・リストに載っている連中とすぐに知

れたので心配などしてやらない。命があっただけマシと思え。例えその結末が精神崩壊だとしても、これまで

彼らが他人にしてきた事を思えば何ほどのものか。

 改めて五右衛門は彼らの状態を確認した。コンピュータを伝うコードが頭部に突き刺さり回復不可能な損傷

を与えている。前頭葉と即頭部、後頭部、頚椎―――食い込んだコードが深く血を流させていた。特にコード

の口付近は黒く焼け爛れていた。配線を確認して眉をひそめる。

(………真ん中の椅子と連結、か?)

 竹中教授にコードを繋いで一体何を企んでいたのだろう。洗脳するだけならこんな面倒な作業は不要のは

ずだ。

 コンピュータ………コード、ケーブル………データ転送。

 連想ゲームのように思考を繋ぎ、浮かんだ発想に舌打ちした。我ながら悪趣味な事を考える。

 

 生きたまま脳から脳に<知識>を転送する―――などと。

 

 だが状況としてはその可能性が一番高いように思える。

 こう見えて芯の強い少年は当然の如く反発したのだろう。転送しかかった電気信号データを全て‘逆流’さ

せるか何かしたに違いない―――結果、己の神経まで焼き切れる可能性があったというのに。その手法まで

いまの段階では分からないが。

 上部から鈍い振動が届く。ヘリが到着したのかもしれない。

 博士は弟に呼びかけて泣きながら延命処置を続ける。未だ少年の目に光は戻らず、指先さえ動かしはしな

かった。

「………む………たの、むから………」

 陰々と声だけが室内にこだましていた。

 

 

 

 暗い部屋で。彼は薄く微笑む。

「ふん………リングを使っての強制データ排除か。捨て身の作戦の成功おめでとうってか?」

 彼はすべてを見ていた。宇宙で。基地で。こちら側が送り込んだ監視システムの映像によって、すべてを。

 今回の騒動を仕掛けたのは無論、こちらである。洗脳した政府関係者に働きかけて教授を捕らえるよう命

を下した。しかしその先の生きたままのデータ転送云々はマッド・サイエンティスト達の‘オリジナル’。事の顛

末がどうなるかと見てみれば、結局、二流は二流でしかなかった。教授が手にしていたリングが強制作動の

スイッチになると何故に察知できないのだろう。

 マナ病の患者が防衛隊のリングをつけると意識が乖離する。その衝撃を慣れぬ者が経験すれば精神崩壊

に至ってもおかしくはない。危険な行為だから進んでリングをつけようとも思わないけれど―――、と。

 夏の日のいつか、教室の片隅で話した微かな記憶。

「でも、あんまり賢くないな」

 それ程に奴らが許せなかったのか、あるいは他者を傷つける事に聊かの躊躇いが生じたのか。

 ハッキングしてきた彼らのデータをすべて叩き返せばよかったのに、一部で自己負担した。だからあんな状

態に陥ったのだ。

 

 なんにせよ今回はエイリアンのひとり勝ち。手強い敵を労さず倒せた。ただ、それだけの事。

 

(そして俺は―――………)

 半無重力の床に足をつけて眼前に聳え立つ奇妙な‘物体’を見上げた。

 仲間となってからも入れてもらえなかった場所がある。出動を命じられた機会にと思って侵入してみれば、

出迎えてくれたのはこの無愛想な漆黒の人工物だったという訳だ。

 この装置。何をするモノなのだろう?

 知らず伸ばした指先が―――微かに、触れた。

 

 ―――ッッ!!

 

「!?」

 甲高い耳鳴り。弾かれたように手を離し、衝撃に跳ね上がる心臓を抑える。

 何だいまのは、何だいまのは、何だいまのは!?

 少し触れただけなのに物凄い衝撃が走った。脊髄を電流が駆け上がったかのようだった。そこに飛来する

想い、記憶、自分でない‘モノ’の感情―――。

 

「………ナンだよ………」

 

 何故だ。悲しくなどないはずなのに。

 触れた刹那よりも短い瞬間が脳裏に細かな映像を焼き付けていく。知らなくて良かった事実、自覚せず所

有していた真実、今更逃げられるはずもない現状。

 

「何だよ………! これ、何なんだよ………っっ!」

 

 混乱する頭を抱える。座り込んで、上がりそうになる声を必死に堪えた。

 

 ―――死ぬほど泣きたいだなんて。

 きっと、嘘だ。

 

 

 

 白い壁で囲まれた空間は圧迫される気配。居るだけで息を潜めなければならないと実感させられる静寂の

地。病院の白い壁に寄りかかりながら、小六がソファに腰掛けているのを眺めながら、五右衛門は居心地悪

そうに腕を組んでいた。奥まった集中治療室では窓なども存在せず、仕方なく天井を見上げてもしがない蛍光

灯が明滅するばかり。

 しばしの沈黙。

 ―――のち。

 

 ウィ………ン

 

 自動扉の開く音にそろって視線を上げた。白衣に身を包んだ竹中博士が沈痛な面持ちで出てくる。

 少し唇を戦慄かせ、躊躇い、俯いて。ようやくの事で彼は重い口を開いた。

 

「………一命は、取り留めたよ」

 

 どうにかね。

 他の5人は比較的軽症で済むだろう。あくまで比較に過ぎないが、意識は回復する見込みがあるよ。自我ま

で取り戻せるかは知らないけどね。

 

 医術に携わる人間としてはあまり情感の篭もらない言葉。

 だがそれもむべなるかな。加害者の心配をするに当たって、被害者は彼の身内である。

「―――教授は」

 訊ける雰囲気でなくとも訊いておかなければならない事がある。

 司令の問い掛けに博士はゆっくりと背を壁にもたせかけた。頬には少しばかりの笑みさえ刻んで。

 

「………ダメだと言われた」

 

 半分、泣きそうに。

 怒っているように。

 

「わたしは諦めないと告げた。でもみなが無理だと言う。あれだけ、あれだけ神経系が焼ききれて、生きている

だけ奇跡と思えとっ………!」

 

 バン!!

 

 壁に叩き付けたてのひら。歯を食いしばり、もう片方のてのひらを血が滲むほどに握り締めて。

 呻く。

 あと3年、と。

 

「あと―――3年はあったはずなんだ………!!」

 

 悲痛な叫びに答えは返らない。

 返せない言葉に通路が凍りつく。

 

 敵との戦いが終わらぬ、最も重要なこの時期に。

 竹中重治は戦線を離脱した。

 

 

 回復の見込みなどない状況に追い込まれて。

 

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と言うわけで教授がご臨終(※死んでません)。

でもタイトルそのまんま『vegetative presence(植物人間)』だしな。あっは!(壊)

 

いやー、なんつーかこの人って『コロクンガー』ん中じゃ殆ど‘禁じ手’として登場したような

モンなんで、こうやって1回舞台から消えて頂くしかなかったんですよ。だって‘天才’なんつー

ご大層なヒトがバックについてたんじゃ、

「この後の宇宙人サイドの企みが全部読めなきゃ変なはずだよなぁ」

ってなっちゃうでしょ? 作者のノーミソレベルが低いとこーゆーとこで苦労するのです(苦笑)。

 

中途で登場した5人組は名前も個性も全然ナッシング。とりあえずヤな人間にしておきました。

ただこういった他者を見下す気持ち、及び優越感と劣等感とゆーのは人間だれしも持っている

ものだと思いますので、その点だけでいえば彼らは教授なんかよりよっぽど人間味に溢れてるカモ。

竹中重治(半兵衛)はなー、欲求薄いってイメージがあるからなー、決して堕落しないっていうか?

堕落しない人間はある意味おキレイすぎて周囲の人間は大変だろうなぁと思うのです。

ちなみにそんなこと考えるワタシはしっかりハッキリ性悪説v(オイ)

 

なんにせよしばらく教授は戦線離脱。植物人間状態としてしばし舞台下手に退場です。

今後復活するかどうかは―――作者の気分次第だったりして。わはは。

さーて、次回からはいよいよゴエに主役張って頂きましょうかね。ククク!(怪)

お暇な方は三大悲劇の内容をおさらいしてお待ちくださいませ〜。

 

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