「戦え! ボクらのコロクンガー!!」

79.revolve

 


 周辺道路は封鎖されて夜になっても鳴り止まないヘリの音と目映いサーチライトがグルグルと回っている。

それは10年前までは割りと頻繁に見かけた光景であり、故に付近の住民を怯えさせるには充分だった。さ

すがに完全に黙らせることもできなくて、「宇宙人の残した武器が発見されたので避難勧告を出した」と声明

を出しておけば取り敢えずのメディアは納得する。不治の病であるマナ病も原因は宇宙人のまいたウイルス

ではないかといまもって囁かれているからこそ、念には念を入れた姿勢を見せておけばむしろ彼らは安心す

る。これから、地下に眠っていた怪物を誘き出して退治しようとしているのだなどと夢にも思わないだろう。

「―――大丈夫でっしゃろな、藤子はん」

 暗い湖面が眼前に広がる。僅かな風に靡いている。

 視界を照らすのは極々最低限の灯りばかりだ。

「大丈夫です」

 黒田の問いに日吉は強く頷き返す。

 先だっての会話及び通信より仲間の位置は把握した。レーダーによる地下構造の読み取りも完了した。

バリアによる住宅街との隔絶も終わった。

 導き出された経路はひとつだけで、そこを彼らが駆け下ると明言したからには信じて待つしかない。残るは

いつ仕掛けるかのタイミングだが、万が一にも捉えそこなうような人物ではなかった。

「俺が、責任を持ちます」

 2人の脱出のタイミングは必ずや自分が見極めてみせる。

 真っ直ぐにこちらを見上げてくる相手に当面の指導者も笑みを深くした。

「そうこなくちゃ。ワテもやりがいがないですからな」

 折角のお披露目、口うるさそうな上役を出し抜いての出陣に心が躍る。

 ここで彼らを見捨てたなら自分たちは、貶していた関東の連中と同じ過ちを繰り返すのだと。

 何故援護に行かない、救いの手を差し伸べない、自分たちなら決して決してあんな振る舞いはしないのだ

と。

 決めたじゃないかと焚きつけてやれば話は早かった。

 関東でも信の置ける部類に入る忍びの末裔と、運良く遊説でこちらを訪れていたとある宗教法人の代表

と、求められる助力は充分だ。

 息を吸い込んで、叫ぶ。




「大和、出航――――――っっ!!」




 漆黒の船体を揺らして巨大戦艦が琵琶湖へユラリと抜け出した。

 名前の由来は旧世紀に流行った某アニメからなのか、更に遡って戦時の最終兵器から取られたものなの

か問い質したいところだ。まぁ体調的に如何ともし難い状態なのでツッコミなんぞ入れてる暇もないけれど。

 グラグラと波打つ視界に日吉は僅かに顔をしかめる。過去の経験ゆえか水の上は大の苦手だ。特に船上

なんて普段なら乗りたいとも思わないし考えたくもない。秀吉もきっとそうだろう。

 壁に寄りかかっているとすぐ側に五右衛門が寄り添った。

「―――だから待ってろって言ったのにさ」

「うん………ありがとう」




 でも………行けば何かが分かる気がする。

 何か、とても重要な何かが―――。




 唇を噛み締める。左隣の扉がガチャリと開いて、ふたり揃って振り向いた。突然の救援であり、おそらく借

りを作ると非常に恐ろしいであろう協力者の姿を認めてどうにか日吉は微笑んだ。少なくとも今回の作戦で

彼の助力は欠かせなかったから、それは感謝してもし足りない点である。

 ゆっくりと甲板に姿を現した男は紫色の法衣を翻すと並び立つ少年少女に目を合わせた。日吉の顔を正

面から見つめる。

「顔色が優れぬようだな。薬でも煎じて進ぜようか」

「あ、いえ………お構いなく。船酔いってワケじゃありませんから」

 どちらかといえばこれは精神的なものだ。薬を飲んで落ち着けるようなものではない。

「こうして風に当たってる方が気が紛れます。お気遣いありがとうございます、上杉会長」

「ふむ。耐え切れなくなった際はいつでも申されよ」

 速度を増しつつある甲板を過ぎる風は徐々に勢いと冷たさを強めている。軽く五右衛門にも会釈をし、され

た側はやや横柄に頷き返し、横目にしつつ上杉謙信は船首の黒田のもとへ出向いていった。全く、地上でも

水上でも変わらぬ落ち着きっぷりである。

 ポツリと五右衛門が呟いた。

「どうしてあの御仁はあんなに腹黒そうに見えるかねぇ」

「言うなよ。あの人が武器の調達とかしてくれたんだろ?」

 出航時は何の準備もないに等しかったのを、宗教法人『極楽往生』の宗主がたまたま遊説でこちらに出向

いていると突き止めた黒田が即座に連絡を取り何事かの裏取引を交わしたのだ。武器調達に代わる見返り

は防衛隊の機密事項に抵触するこの船への乗船許可だったのか―――果たしてどんな武器を提供しても

らったのやら。

「ただの武器ならいっくら用意の悪い防衛隊でもどうにかできたけど、今回はコトがコトだからなぁ」

 気に入らないけど仕方がない、と忍びの後継者が不貞腐れる。

「<時震>で運ばれてきたヤツが相手だから、それ専門の武器じゃないと倒すことなんて出来ないし」

「どうやって倒すの?」

「倒すっつーよりは送り返すんだろな………俺も深くは知らない」

 教授が此処に居ればあんな部外者に立ち入らせたりしなかったのに、とひとりごちた。

 バリアの封鎖状態を確認するためのサーチライトが夜空を飛び交っていた。








 ヤツが来るであろう方角に狙いをつけて慎重に仕掛けを作り上げていく。出入り口の壁には障害物となる

棚や木箱を設置し、頭上には古今東西の武器類を吊るす。しかしそれはただの目くらまし、本題は更に先に

ある。随所に取り付けられた重火器類が追って作動するよう引き金に紐を取り付け、隠れた場所から狙い

撃ちできるよう歯車で調整し、留め金を外せば一気に迎撃できるようにしてある。簡単な仕組みとはいえ短

時間でよくこれだけの装置を作り上げたものだと内心で信長は舌を巻く。構造や原理は簡易であれど実際

に作ろうと思ったらかなり細かい作業になるのだ―――しかも秀吉はこれだけではなく、壊れかけたトロッコ

に簡易エンジンを取り付けることまで成し遂げてしまったのだ。

「ヤツのスピードを前にコロコロ転がってったんじゃ恰好の餌食ですよ。加速装置のひとつも付けといて損は

ないでしょう」

 そう言って。

 チリチリと頭上の電球が焼け焦げた音を放つ。年代ものであるフィラメントが焼き切れる寸前なのだろう。

時間が来れば此処はまた暗闇に閉ざされる………そうなったら不利になるのはこっちだ。

「その前に来るだろうけどな」

「ええ。絶対に、ヤツは、来ます」

 信長は右の壁際に、秀吉は左の壁際に身を寄せて息を詰める。互いの手には射出装置代わりの細かな

紐を携えて。

 汗が滲んで紐が滑りそうになる………奥より響く鳴き声が大きさを増すに連れて。

 一際大きな揺れが辺りを震撼させた。




「………………来た!」




 対岸で呟かれた声が低く響いた。

 直後。




 ゴォォォォォ………ッ!!




 風が唸るような声、激しく揺れる大地、眩暈を誘う震動。

 閉ざされていた鉄の扉がこじ開けられた。バン! と耳に痛い残響を従えてヤツは赤い瞳を輝かせる。

 オォォォ―――ン………!!

 高々と白狼は嘶いて前脚を振り下ろした。バリケードがいとも簡単に突き崩される。眼前でジャラジャラと

揺れる刀剣類を邪魔そうにクオヴァディスは振り払った。

「いまだ!!」

「!」

 合図は一瞬。

 信長の掛け声と共に仕掛け糸が引き千切られた。備え付けられた重火器類が銃口を対象へと向け、激し

い銃弾の嵐が獣を攻撃した。

 反響する音が飽和状態になって自らの声すらそれと聞き分けられない。白い牙が銃撃の向こうから覗い

たのに気付いたのはすぐだった。

(大して効いてねぇ!!)

 チッと舌打ちして信長は即座に次の仕掛けに手を伸ばした。強く紐を引けば続いて砲弾の雨が敵を襲う。

 最初から勝ち目のない戦いだと知っている。武器は足りず、人手もなく、逃げる術さえ定かではない。なの

にここに留まることを選んだ秀吉の意志は正直、理解できない部分もある。意地や敵対心だけで立ち向かう

にはハンデがありすぎた。こんな貧弱な武器では逃亡手段のトロッコに乗る時間さえ稼げるかどうかも分か

らないのに。

 ―――いや、確かにこれは『時間稼ぎ』だ。

 しかしそれは自分たちが逃げる時間を稼ぐ為のものではない。

(迎撃の準備が整うのを待ってるんだろ………!!)

 秀吉は外部の攻撃態勢が整うのを待っている。少なくとも『仮の主人』と目されたらしい彼が地下にいる限

り、クオヴァディスが地上に向かうことは有り得ない。敵の動きもかなり制限される。そうして外部からの攻

撃準備ができさえすれば、後はもうどうでもいいと考えているはずだ。たとえ砲弾で山もろとも吹き飛ばされ

ようと、獣に四肢を引き裂かれようと。




 そうまでして守りたい対象は何なのか―――見当がついてしまった。

 だから彼も、ここに残るしか選択肢が思い浮かばなかった。




 怒涛の連続攻撃のおかげで辺りは視界が利かない。敵にどれほどの効果があったのかも不明だ。昏倒し

てくれているならさいわい、とっととトロッコに乗り込んでこの場を離れなければ。

 向かい側にいる秀吉の様子を見ようとした瞬間だった。

「―――!!」

 背筋を襲った悪寒に咄嗟に体勢を低くする。

 直後、薄汚れた獣の前脚が背後の棚を直撃した。バラバラと崩れ落ちてくる木材を避けながらどうにか信

長は前脚の直下から抜け出した。振り向いた先、獣の赤い瞳がこちらを見据えているのに気付いて低く笑

う。

「無傷………ってワケにゃあいかなかったか?」

 白い毛皮のところどころに赤い色が滲んでいる。あれだけの銃弾をくらったのだ、幾つかは体の奥底まで

食い込んで絶え間なく血を流させているのだろう。だがそれは全体から見れば本当に僅かなもので、人間に

喩えるならかすり傷程度のものなのだ。手負いの獣は尚更始末に負えなくなる。

 上空から振り下ろされる右前脚を交わし、抜き放った刀を皮に突き立てた。

 僅かに瞳を歪めたそいつが煩わしげに左足で信長を振り払う。直接触れられた訳でもないのに、攻撃の

際に生じる衝撃波だけで吹き飛ばされてしまいそうだった。

(ちっくしょ………これじゃあ………!)

 逃げるタイミングすら掴めない。

 此処から走ってトロッコに飛びつくまで2秒、加速装置を作動させるまで3秒、せめて5秒は欲しいところだ

が眼前の獣がそんな暇を与えてくれるとも思えない。全く音沙汰のない秀吉の安否も気がかりだった。逃げ

出す可能性だけは万に一つも有り得ないが。




 あいつはギリギリまで此処に留まる。

 地上に、次の主候補たる日吉がいる限り。




 素早い攻撃をかろうじて身体を捻ってかわす。横目でトロッコとの距離を測った。ヤツがまだ気付いてない

のは不幸中のさいわいだ、壊されてしまえばいよいよ自分たちの脱出手段は封じられてしまう。

 その時、信長に油断が生じたと言うのは酷かもしれない。

 だが、敵は僅かに気が逸れた瞬間を見逃してはくれなかった。

 気付いた時にはもう遅い。限界まで引き裂かれた口が間近に迫り、慌てて飛び退り致命的な攻撃を避け

るしか能がない。

「この!」

 突き出した刀はクオヴァディスの牙に突き当たり、そのまま奪い取られ、勢いよく天井まで跳ね上がった。

折られた破片が煌きながら散らばり落ちる。

 早く何らかの武器を手にしなければと目を走らせるがほとんどの重火器類は先の攻撃でクオヴァディスに

食い潰されるか踏み壊されるかしている。逃げ回る獲物を視界の隅に捉えた獣がクルリと身体を転じる。再

度口を開き咆哮を上げた。

 直後。

 飛来した爆発物がクオヴァディスの右目付近で炸裂する。熱さと眩しさにまた高く、吼えた。

 壊されず残っていた棚の上に陣取って秀吉が叫ぶ。




「こっちだ、クオヴァディス―――お前の主は俺だ!!」




 腕には幾つもの手榴弾が抱え込まれている。「あいつ、特攻するつもりか」と言いたくなる程の量だ。

 低く呻いて秀吉を見据えたクオヴァディスの瞳の色が微妙に変わる。信長を見たときには決して浮かぶこ

とのなかった、密かな歓喜と郷愁を溶け込ませたような―――それだけに、殊更怒りを抱え込んだような。

 オ………ォォォォォ………ッッ!!

 さして広くもない坑道内を白狼が舞った。

 着地点を狙って秀吉がもう一撃をかます。意に介さず獣は更に歩を進めた。

(どうするつもりだ!?)

 ひとりと一匹の動きに注視しながら急ぎ信長はトロッコへと駆け寄ると爆風に煽られて傾いでいた車体を

立て直す。まだ動いてくれそうだ。

 その間、また一歩近づいた獣に秀吉は抱えた手榴弾すべてを投げつけた。目映い閃光と爆音が辺りを揺

るがす。巨体は微かに揺らいだのみで勢いを弱めることはない。前脚が身体に引っかかりそうになった刹

那、秀吉は目を細めると軽く胸の前で印を組んだ。

 見覚えのある仕草に信長がハッと振り返る。

 額の第三の目が開き、組まれた指先が前方へ突き出される。




「――――――念!!」




 バシィッッ!!

 突如生じた電流が洞内を駆け巡る。かざした手の隙間から獣と対峙した秀吉の姿が垣間見える。両手を

前方に突き出したままの体勢で歯を食いしばり痛みに耐えている。目前でクオヴァディスの動きは止まって

いた―――倒した訳ではないにしても。だがその巨体を留めるのはかなりの力を浪費するのだろう、堪えき

れないように秀吉はその場に膝をついた。

 急ぎ足元に駆け寄ろうとして、相手の叫びに止められる。

「殿! いまのうちに早く装置を作動させてください!!」

「ああ!?」

「スイッチを入れても実際に動き出すまでかなり間がある………だから、早く!!」

「うるせぇ! 俺に指図すんじゃねぇ!!」

 胸糞悪い、と呟きながらトロッコの後部に取り付けた加速装置のスイッチをONにした。赤いランプがゆっく

りと点滅するのを確認した信長はすぐまた棚の上の仲間を振り仰いだ。

「早く来い! 脱出するぞ!!」

「………………先に行ってください」

 ピタリと信長の歩みが止まった。

 僅か2メートルほど後方では稼動し始めた装置が低い音を響かせている。

 すぐ前では獣が戒めから逃れようと身じろぎしていて、散々使いまくった武器のおかげで坑道内も崩れる

直前で、悠長にしている暇は微塵もないというのに。

「―――何、言ってやがる」

 妙に信長は落ち着いていた。身体のどこかが冷え切っていた。

 未だ異形の能力で敵の動きを封じている秀吉は何も気付かない。

「俺が離れたらすぐにでもコイツは動き出す………アンタがいたらその先がやりにくいんですよ」

「武器はもう残ってねぇぞ。俺がトロッコ使っちまえばテメェには脱出手段も残されねぇ。どうするつもりだ」

「どうだってしますよ。………………早く………! もう、あまり、もたない………!」

 僅かな苛立ちを覗かせて秀吉が急かした。

 同時に信長の内でも苛立ちが増していく。




 コイツ―――物分りが悪いにも程がある!




 両膝を地につけた秀吉が悲鳴に似た声を上げた。

「何こだわってるんだ、アンタは!! とっとと行けよ! 邪魔なんだよ!」

「喧しい! 命令するな!」

「放っとけばいいだろう、いまの俺はアンタの敵だ!」

「馬鹿野郎!!」

 そういうお前こそなんだ。

 敵である男を先に逃がそうと矛盾した行動を取るんじゃない、紛らわしい真似をしやがって。

 嗚呼、これ以上ムカつく相手はいない。




「俺が認めない限りテメェは俺の部下のままなんだよ!!」




 叫びと共に疾走、駆け抜ける間際に右手は壁に突き立てられた古臭い刀を抜き放つ。

 身動き取れない真紅の瞳近く、額の中央目掛けて振り下ろした。




 ………ォォォォオ―――ッッッ!!!




 滴り落ちる真紅の液体、狂乱した白狼は激しく暴れて拘束を解き放った。滅茶苦茶に振り回す前脚が正

面の棚を叩き潰つ。完全には避け切れなかった秀吉が落下するのをかろうじて信長は受け止めた。何か言

おうとするのに耳も貸さず急ぎトロッコの側まで引きずった。

 荷台に叩き込まれる直前に秀吉が抗議した。

「―――無茶しすぎだ、アンタ………! あれじゃ却って危ない………!!」

「うるさい! ヤツが暴れてる間に逃げりゃいいんだろーが、逃げりゃ!」

 振り向いた先では額を刺し貫かれた痛みにクオヴァディスがのたうち回っている。さして深くもない傷はや

がて精神を正気に立ち戻らせるだろう。その前にどれだけの距離を稼げるかが勝負の別れどころだ。

 古びた刃の切っ先につく血糊を拭う暇もなく、信長は装置を作動させた。

 ガクン! と激しい揺れひとつ、トロッコはそろそろと鉄道の上を滑り始めた。後部座席に取り付けられたレ

バーのシフトを高速用にチェンジする。ようやっとスピードに乗り始めたトロッコが順調に現場から遠ざかり

始めるのと、視界から消えかけた洞内で敵の狂乱が納まるのはほぼ同時だった。ヤツが目標を定めるのに

戸惑ったのは数瞬、すぐさまこちらを見据える。低い唸り声が怒りを表していた。

 吹き抜ける風が加速していることを示すが、このままでは逃げ切れないかもしれない。




 オオォォォォ―――ッッ………!!




 咆哮。

 震動する天井からパラパラと砂が落ちてくる。この坑道が崩れたところで図体がでかいヤツにはさしたる

影響もないだろう、が、普通の人間である自分たちは閉じ込められでもしたら一巻の終わりだ。トロッコ下部

の造りはあくまでも木製であり、ヤツが一歩を踏み出すたびに軋む音が不安を誘った。

 ドォ………ン!

 考えた先からヤツの一歩で土台が崩れる。傾ぐ視界に舌打ちし、素早く周囲に視線を走らせた。

(―――あれだ!)

 やや前方に張られた綱に目をやると同時に、

「殿! これを!!」

 荷台に埋もれていた秀吉が銃を投げ寄越す。はっしと受け取った信長は薄っすらと笑った。

「フン。俺を狙撃手にしようってのか。楽しやがって」

「的を外してもいいってんなら俺がやりましょうか」

 それには答えず、走るうちに前方から後方へと行き過ぎた的へと銃を構える。利き手を怪我してる人間に

撃てと言うほど無謀じゃない。

 ドン!

 銃が火を噴き、張り巡らされた縄の一本を断ち切った。

 ガタゴトと上部の櫓が揺らぎ、自重で解体されながらクオヴァディスへと襲い掛かる。視界を塞ぐように降り

注ぐ木材に少しばかり敵の追撃速度が緩んだ。素晴らしく安定の悪いトロッコはいまにも線路から外れて虚

空へ飛び出してしまいそうだ。必死になって縁にしがみ付きながら前を見据える。

「おい! あとどんくらいだ!?」

「あと少しです………! タイミングを見計らってここから飛び降りましょう!」

「湖に突っ込むと同時に飛び込めってことか!?」

「ええ! それが一番安全かつ確実です!!」

 湖への特攻ダイビングが安全なのかは甚だ疑問であるが、それしか手がないのも事実であった。

 迫り来る敵の牙を睨みながら背後から外の空気が雪崩れ込んでくるのを感じる。この道は途切れる、止め

るもののない車体は宙に投げ出される、追って飛び出した相手を射抜くことができるのか―――。

 全てはその瞬間にかかっていた。








 漆黒の湖畔は皓々とした明かりで照らし出され、センサーによって割り出された地中構造を元に仲間の所

在を把握する。それ以外のコースをたどらないようにさり気なく障壁を作ることで補助しつつ、戦艦『大和』の

大砲は真っ直ぐ叡山を指し示す。

 船首の縁にしがみつくようにして日吉は必死で目を凝らした。足元が覚束ない彼女の為に五右衛門が後

ろからその身体を支え、すぐ側では黒田が合図を下すタイミングを待っている。

「まだですか、藤子はん」

「もう少しです………!!」

 放つべき砲弾には時空波動の理論が組み込まれている。貼り付けられた呪符が通常の弾とは異なる作

用をもたらすのだ。計算式たる曼荼羅図を描きこんだ法衣の男は涼しげな顔で機関室に陣取っている。

 ただ只管に前を見つめる。

 自らが、判断を下す為に。








 追いかける牙が車体をかすめ、その度に古びた日本刀で刺し貫いて難を逃れて、崩れかけた土台が木屑

を撒き散らして奈落の底へと沈んでいく。

「―――まだかっ!!」

「もうすぐです!!」

 坑道内も漆黒、地上も漆黒、けれどそこには人工の光が用意されている。

 秀吉は火縄銃の最後の一発をクオヴァディスにお見舞いした。

(眠れ………!! テメェはこの世界に来るべきじゃなかったんだ………!!)

 背中から差し込む僅かな光の向かい側、白い獣の瞳は泣いた後のように濡れていた。

 思い切り息を吸い込む。




「信長様―――いまです!!」








 ザワザワと押し寄せる気配に鼓動が高鳴る。湖面を細かな波紋が伝い、山から吹き付ける風が湿った空

気を運んでくる。

「―――用意を」

 日吉の囁きは本当に小さかったにも関わらず、黒田は聞き逃すことなく砲弾の向きを整えた。

 叡山の麓で何かが光った。

 突き出した線路と、舞う小さな影と、背後から迫る白い物が。

 叫んだ。




「―――いまです!!」

「発射―――――――――っっ!!」




 黒田の命が湖面に響き渡った。

 真横の砲弾が火を噴いて緑の光線を描きながら一直線に闇を切り裂く。迫り来る凶器に気付いた白狼が

面を上げるより早く、その胸を光が打ち抜いた。




 オ………オオォォォォォ………ッッ!!




 咆哮が金切り声に聞こえる。

 白い巨体を緑の光が覆い、四方八方に広がった光線は処々で円を描き、文様を浮かべる。円と円を繋ぐ

のはただの光ではなく梵字で綴られた計算式だ。込められた時空の概念と呪術が白狼を本来あるべき世界

へ立ち返らせる。

 光は収束し、対象を取り込んだ完全な球体となり、更に内側に漆黒のウロを生じさせる。クオヴァディスの

身体はまるでブラック・ホールに引きずられるように僅かずつ暗闇の中へ閉じ込められていく。赤い瞳は輝き

を失い、宙をかく前脚は動きを止めた。




 少し―――だけ。

 天空を見上げた彼はそこに何を見たのか。




 オ………ォォ………ォォォ………ン………




 融けゆく身体を抱えながら白狼は一声、さみしく啼いた。

 胸元で金属板が音もなく揺れて、やはり暗い穴へと飲まれていく。

 光の球体が縮まるに連れてクオヴァディスの身体も圧縮されながら暗いウロへと吸い込まれていく。

 誰もが呆然としながら<時空の穴>に飲まれていく獣の姿を見つめていた。辺りに響いているはずの船や

ヘリの駆動音もこの時ばかりはやけに遠かった。

(ああ………そうだ………)

 風に煽られて倒れそうになるのを、かろうじて仲間に支えられながら日吉は思う。

(やっぱり、変だ―――だって10年前、俺はこの湖で………)

 船ごと沈められたのに。

 確かに『彼』は一緒にいたはずなのに、どうして記憶の中に登場してこないのだろう。

(変だろう? 秀吉………………)

 握り締めた船の縁はひどく冷たく感じられた。








 薄い闇の中で響く小波は妙に心地よい。身体もだるいし、ここで眠ってしまえたらどんなにか楽だろうかと

思うけれど、このまま眠ったら確実に水死もしくは凍死してしまう。

「くそっ………二度とやるか、こんなメンドイこと」

 信長はぼやいた。

 空の端はもうすぐ白み始めるに違いない。つまりは、それだけの時間が経過しているということで。

 線路の突き当たりで宙に投げ出された勢いそのままに湖へダイブ。波打ち際に泳ぎ着く暇も与えず遠目に

見えた船から敵への容赦ない一撃。確かに「一発かませ」と言った気はするが、かなり際どかったと後で責

めてやりたい。

 隣では同じく秀吉が疲労困憊の体で寝転んでいる。

 そう、ほとんどカナヅチに近いこの男を波打ち際まで運んでやるのも随分と手間がかかったのだ。

 何となく目が合った、と思ったら笑われた。

「俺をぶっ倒すんじゃなかったんですか」

「―――気が変わったんだよ」

 言うに事欠いてそれかよ、コイツ。

 仰向けになったまま天を見上げた。行き交うサーチライトの光は間もなく自分たちの姿をも捕まえるだろう。

全く同じ姿勢のままで秀吉が呟く。

「………助けてくれたのは隊長のご先祖様かもしれませんね」

「あ?」

「防衛隊の刀は折れちゃったけど、その日本刀はやたら役立ってくれたじゃないですか」

 確かに。

 ヤツの額を貫いたのも、追われる最中にどうにか振り切ってこれたのも、偶々壁から引き抜いたこの刀の

おかげだったと言えなくもない。何だって壁に刺してあったのか聊か用途に苦しむものではあったけれど。

 しかし、どうしてこれが自分の先祖と繋がるのかと右手に握り締めたままだった刀を高く掲げる。

 気付いてないんですか? と秀吉が苦笑した。

「だって、その刀の柄」

 指摘されて初めて気付く。

 なるほど………妙な偶然もあったものだ。




「織田の家紋じゃないですか」




 刻まれた木瓜の文様に。

 何とはなしに信長も笑みがこぼれた。

 

78←    →80


すいません、かなり強引に終わらせてしまいました。 ← 懺悔

だって話が進まないんだもの………っ!!(涙)

もーすこしクオヴァディスを粘らせるべきかとも思いましたが、これ以上出張ってこられるとマヂで

本編の進み具合がヤバくなってくるので退場して頂きました〜。

 

実は今回、中途で殿が持ち出した「古ぼけた日本刀」は3周年記念小説の伏線だったりします(笑)。

一期一会の間」に置いてあるので興味ある方は確認してみてくださいませ♪

戦艦『大和』はいわずとしれた旧日本軍の最終兵器もとい某アニメのタイトルもとい原作『ジパ』からの

引用です。男なら一度は船の甲板でこう叫びたくなるもの―――らしい??

 

時空異動により転移してきた叡山の地下構造は、、当然のことながら本来「こちら側」の世界には存在

しないものです。いくら<時震>が起ころうともありえない規模の大移動です。

なのに実際に転移してきている。この所多発している<時震>の影響は勿論、そもそも

「何故<時震>が起きるのか?」といった疑問点も生じるのですが―――。

その辺りはいずれ本編にてv 覚えてればその内ネタバレしますからっっ(オイ)。

 

このシリーズのラストは次回でまとめきりたいなぁと思っています。

 

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