「戦え! ボクらのコロクンガー!!」

99.X-day(1)

 


 地上より永久に、なんて言葉をいつか誰かが使っていただろうか? ここは確かに地表ではないが、同じ星

のうちに留められているから「永久」なんて状況からは程遠い。事故にでもあって無重力空間に放置されたな

ら望むと望まないとに関わらず永遠の宇宙遊泳を約束されるのだろうけれど。

 無事に任務を果たして基地へ帰還した秀吉は立ち眩みを感じてしばし目を閉じた。<ゲート>を使用しての

『転移』は楽だが身体への負担も大きいらしい。人質を捕らえる時、校舎へ移動する時、姿を隠す時、狙撃す

る時、そしていまの帰還。一日にこれだけやっていればいい加減疲れてくるというものだ。

 扉が開き、こちらへ向かってくる天回と心眼に目を向けた。無言のまま素っ気無く彼らに与えられた武器を

投げ返す。壁にぶつかりそうになったのを心眼が直前で受け止めた。

「………ちゃんと言われた通りにやってきたぜ。何か文句でもあるか?」

「いや」

 充分だ、と頷く天回はしかし渋面を作っている。何が気に食わないのかと秀吉は唇の端を吊り上げる。こい

つらが殺してもらいたかったのは日吉じゃない―――それは、きっと。

 いまは辞職させられた防衛隊司令官とか、実働部隊隊長とか、忍びの末裔と繋がる男とか、その辺り。

「まさか奴を殺すとは思わなかったがな」

「区別するなと言ったのはそっちだろ。………不満だと言うならいまから行ってもう2、3人殺してみせようか」

 手で差し招いて武器を渡せと挑発する。仏頂面の天回は引っかからず、いまは不要と返した。

「間もなく聞き分けのない『宇宙人』どもに粛清をくだす。行動に移すのはそれからで構わん」

「―――ふん」

 ようやく、お目通りが叶ったって訳か。

 内心で秀吉はこっそりと呟いた。

 天回たちが本来仲間であるはずの『宇宙人』に対して何らかの反逆を企てているらしいことは薄々感じてい

た。けれど、所詮は部外者である秀吉には作戦も何も知らされていなかった。意地になって探り出してはみた

ものの、彼らが真実『あれ』を実行するつもりなのかと問われれば首を傾げざるを得ない。どうしようもなく荒唐

無稽、実現した時にはあまりの短絡思考に嘆きたくなるような。

(出方を窺おう―――『いま』の俺には地上がどうなろうと知ったこっちゃないさ)

 秀吉が考えを巡らせているその裏で、密やかに天回と心眼も言葉を交わしていた。

「如何………なさいます、かな。奴はあの女を殺してしまいましたぞ」

「実妹を殺すとはな。だが全ての実験対象が消え失せた訳ではない。いざとなれば奴自身の力に」

「以前の双子をまた召喚しますか、な? ヒヒ! あのふたりなら幾度でも基地から攫えますぞ………」

「その際は貴様に命ずる。しばらくは様子見だ」

 浮かべた笑みは辺りの暗闇に紛れて見えなくなった。








 ―――バン!!

 突如室内に響いた音に危うくヒナタは本を取り落としかけた。メールの読解に難渋している司令に代わって

整理をしていたのに、逆に散らかしてしまうところだった。訝しげに振り返ると室長でもある小六が机に手を叩

き付けた体勢のまま固まっていた。

「………そうか………!」

 何やら悔しそうに歯噛みしながら、手にした紙を握り締める。そこに記されているのが最近の司令の悩みの

種である妙なメールだ。しかし、こうして悔しがっているということは―――もしかして、解読に成功したのだろ

うか?

「司令、どうかなさったんですか?」

「ああ。くそっ、悩む必要はなかったんだな。最初の直感どおりに行動して良かったのか」

 返事になっているようななっていないような………もしかしたらヒナタの声は届いていないのかもしれない。

ブツブツと呟きながら時計と睨めっこをし、次いでカレンダーに目を移した彼は更に仰天してみせた。

「いかん! いかんぞ、もう時間がない! クリスマスも間近じゃないか!!」

「………司令?」

 もうヒナタには付いていけない。

 説明してもらいたいが思考の海に沈んでいる相手を振り向かせるにはどうしたものか、と少々悩んだ時だっ

た。司令が机に手を叩きつけたのと同じぐらい派手な音を立ててドアが開く。間髪いれず飛び込んできたのは

ヒカゲだ。日頃は冷静沈着な彼女がノックもなしに入室するとは実に珍しい。「失礼致しました」と謝罪の言葉

もそこそこに話を進める。我に返った小六が視線を向ける先で双子の姉は居住まいを正した。

「ご報告に上がりました。松下加江隊員より緊急の連絡がきております」

「内容は」

「―――町内にて日野秀吉と接触。松平竹千代隊員が攫われました。交戦した加江隊員は軽症、引き続き信

長、五右衛門、日吉隊員の3名が跡を追っています。如何なさいますか?」

「秀吉だと?」

 何故、彼が。

 この上もなく不思議そうに司令は首を傾げた。現時点で秀吉が防衛隊にちょっかいを出す利が咄嗟に思い

浮かばなかったのだ。もし―――このメールについてもそうだが―――彼が、小六の考えている通りに動い

ているとしたら、ではあるが。

 何はともあれ放置しておける筈もない。即座に命を下した。

「ヒカゲ! すぐリングを使って位置を特定、出動せよ。民間人に被害が出ぬよう配慮すること。人数は必要最

低限………そうだな、お前と一益で頼む。こと秀吉に関しては出来る限り関係者を減らしておきたい」

「畏まりました」

 ―――じゃあ、わたしはどうすればいいのかしら。

 ヒナタは行動に迷ったが、すぐに司令と目があった。そのまま付いて来いと手招きされる。居場所がないの

を察してくれたのかもしれないが、一体司令は何をどうするつもりなのだろう。

 部屋の前でヒカゲと別れ、ひたすら突き進む司令の後ろに慌てて付いて行く。もはや走っているに等しい速

度の中やっとの思いで問いかけた。

「し………司令、どこへ向かってるんですか!?」

「<門番>のところだ」

 小六の答えは明快だった。

「奴は『答え』を知っている―――だから正否を確認しに行くのさ」








 仮防衛隊施設の中枢はかつてと同じく地下にある。都心にあった際は周囲を立体ホログラフで覆っていた

が、ここではそんな便利な隠蔽機能などない故にさらけ出された状態で設置されている。司令に協力すると決

めたメンバー内にも管理室の存在を知らなかった者は多く、「ここで全てを制御していたのか」と感心すること

しきりだった。

 出入り口は二重の扉。いまやシステムの『守護者』となった者の許しなしには開かれることのない砦。『彼』

は扉のセンサーだけでなく壁や天井にまで神経を張り巡らせて、不躾な侵入者を拒む。

 小六とヒナタを素通りさせた扉は背後で音もなく閉じた。薄暗い証明が照らし出すだだっぴろい部屋。かつて

はここで基地の全システムが運営されていたのだとはとても思えない閑散とした光景。そしてまた、いまは全

ての機能をひとつのプログラムが管理しているということも、信じがたいが動かしがたい事実なのだった。

 誰もいない空間に向かって呼びかける。

「―――総兵衛、いるんだろう、出て来い!」

 珍しくも高圧的な物言いに、瞬間、周囲の空気が揺らいだ。

『やれやれ………いきなり何だよ? 急ぎなさんなって』

 未だ重さを伴わない少年の声が室内に響き渡る。どこかから届く微かな機械の稼動音。ふたりの立ち位置

から1mほど離れた場所に光が照射され、収束していく。やがてそれは徐々に人の形となり、暗いローブをま

とった子供の姿となって『受肉』した。




『呼ばれて飛び出てジャジャジャジャ〜ン! ってな。あれ? ネタが古かったかな?』




 かなり前の世代でないと分からない科白をかましながら姿を現した。

 そう、『彼』こそが防衛隊の主要システムを預かる擬似人格プログラム、『総兵衛』である。開発者たる教授

の手を離れた後も自己増殖を続け、もはや誰にも先行きの分からない不可思議な擬似生命体として存在して

いる。

 存在は怪しくとも実力は折り紙つきだ。彼はここだけでなく世界中に張り巡らされた仮想現実世界の影の番

人まで担っているのだから。

 ご指名を受けた総兵衛は背伸びをしながらチラリとふたりを眺めやる。

『何かあったのか? ものすごーく物言いたげにしてるけど』

 主にそちらの元司令官、と断言される前に小六が口を開く。

「総兵衛、お前はこのメールの差出人を知っているな?」

『………藪から棒だなぁ。生憎だが俺は知らない』

「嘘だな。システム管理者たるお前がこんな不審なメールを見逃すはずもない。いつもなら着信より前の段階

で容赦なく撃退だ。それをしなかったということはつまり、お前がメールの差出人を知っている―――もしくは、

進んでメールを招きいれたということになる」

『そぉか?』

 あくまでも相手は空惚けるが、敢えて咎めだてするような小六でもなかった。

「差出人を追及しようって訳じゃあない。時間が惜しいしな。………それより、お前が『解答』を知っているなら

ば、答えあわせをさせてほしい。これが正解だと教える必要はない。間違っていたら否定するだけでいい」

「司令?」

 ヒナタは少し不安になって呼びかけた。無論、返事などあろうはずもないけれど。

 黙って科白を聞いていた門番は瞬きすらせずにジッと聞き入った後、実ににこやかに微笑んでみせた。

『俺は別に構わないよ。アンタの推理を聞かせてほしいな』

「そうか、ありがたい。まずはこの一節だ」

 言いながら司令は握り締めていた紙片を広げてみせる。書かれている文章をヒナタは脳裏に思い返した。




(聖者が町にやって来る、神の雷連れてやって来る、列に加わる数多の羊、下された鉄槌に消え失せる、七

つの大罪、一つの希望、生誕告げて堕ちる星、炎に灼かれる罪の都市、祝え今宵は聖なる日………)




「全体を読み通した感想だが―――これは、告発文だ。近々何かが起こるから注意を喚起せよ、というな」

『へぇ』

 どこをどう読んだらそんな結果になるんだ? と総兵衛は先を促す。

「冒頭部分はいわずとしれた歌の一節だな。『生誕』、そして最後の『聖なる日』という言葉でまずは日付が特

定される。いわずと知れた聖夜―――世間的に言うならクリスマスだ」

「!」

(だから、司令はさっきカレンダーを見てあんなに………)

 もう時間がないと騒いでいたのはその所為か。皆が浮かれはしゃぐのは主に前夜のクリスマス・イブだが、

その翌日に一体何が待っていると言うのだろう。

「以降の単語はイメージを増幅する意味合いが強いが、無意味な言葉が書き連ねられている訳でもない。聖

夜と繋がるイメージを持たなければ結果的に印象が散漫になってしまう」

『聖者の行進―――歌の中の人々は聖人の列に加えてくれと祈る。それは死者として参列することを暗喩し

ているとも言うな』

 否定とも肯定とも取れない答えを番人は返した。

 更に小六が続ける。

「羊は救世主であると同時に『神々に飼われる羊』、神を『牧羊者』とするならばヒトはみな『羊』となる。参列

の意味はお前が言った通り、死者の葬列だ。対になるのは『雷』と『鉄槌』、加えて『罪の都市』。聖書の中で

神々の怒りをかい、焼き滅ぼされた国があったな?」

『ソドムとゴモラ。とはいえ、詩を書いた者も熱心な宗教研究者ではない。あくまでも一般的な知識と印象しか

踏まえていないから神学的要素は絡まないだろうよ』

「だが想像するには容易い。要は思い浮かべてほしかっただけだろう、神の鉄槌により打ち滅ぼされる町の

様子を―――それが、再現されるのならと」

『再現? どこで再現する?』

「勿論、『罪の都市』においてだ」

 何だか自分がここに居るのが場違いなようにヒナタには感じられた。ふたりの会話に割り込む隙もなければ

割り込めるだけの題材もない。ヒカゲだったならもっと話を進展させることが出来たろうに。

 パン! と小六が紙を叩く。

「通常、罪を背負うのは大都市だ。かつて天にも届かんという塔を打ちたてようとした都市は神の怒りにあい、

砕かれた塔の下で異なる言語を与えられるに至った。では現在、『罪を抱く都市』は何処だ? それは『七つ

の大罪』を犯す国―――空に浮かぶ連中から見れば腹立たしい存在に違いない地上の中心」

『奴らの主たる敵は先進七カ国。詩に示されたのも七つ』

「そうだ。宇宙人連中は先進七カ国の首都上空に基地を備える」

 淡々と事務的に続けていた小六がきつく唇をかみ締めて、一瞬黙り込んだ。

 聞き手をも兼ねた門番の視線が突き刺さり、立ち止まっている暇はないだろうと無言の内に促される。彼は

再び口を開いた。

「最後は『一つの希望』。救いとは永遠の国への召還。犠牲に捧げられた子羊の血で購われた世界。見よう

によってはそれもまた『絶望』だ」

『そう。そして、軌道上に基地を整備されている国は先進国以外であと一つ』

 さすがにこれはヒナタにも答えがわかった。自分が青ざめた表情をしていることを感じながら、喉元から滑り

落ちる言葉を止めることも出来なかった。




「………………日本………!!」




 辺りはしばし沈黙に包まれた。

 やがて深いため息と共に司令の声が響く。

「―――残るは、時間。これに関してのヒントはあまりない。ただ、救世主の生誕を告げる星は『東方の三賢

者』を導いた。東を特徴付けるのは朝の光だとすれば明け方頃だろうと予測はつく」

『現地時間で考えろ、なんてトコまで意図しちゃいないだろうよ。差出人の国籍はアンタたちと同じだろうし、だ

から狙い目は太陽が昇る瞬間なのさ』

 それまでは大した反応を示してこなかった番人がふと挑戦的な笑みを浮かべた。手に樫の木の杖を握り締

め、相手がどうでるのかと見つめている。

『状況を整理すれば簡単なこと。敵は25日の明け方に8カ国同時攻撃を考えている。手段は不明だが天から

降り注ぐような攻撃と考えられる』

「だろうな」

『ならば、どうする』

「どう、とは?」

『アンタは失脚した実力者だ。どうやって世界に呼びかける? れっきとした司令の座についていた時ですら

各国をまとめるのは容易でなかったのに、情報の出所はこんな薄っぺらい紙切れ1枚と来た』

 ―――確かに。

 これでも司令は日本政府に追われる身である。のこのこと出て行けば主義主張を訴えるより先に法律違反

ということであっさり投獄、弁明の機会も与えられるまい。何か策でもあるのかと見つめるヒナタの前で彼は即

座に言い放った。




「隊員たちに呼びかけるしかあるまい」




『どうやって?』

「さぁな。が、唯々諾々と上の命令に従っている者たちばかりでもないだろう。俺の訴えを聞いて動くか動かな

いかは彼ら次第だ」

『無責任だな、暴動が起きたらどうする? アンタにまとめきれるのか?』

「生憎とそこまで責任を持てるほど傲慢でも自信家でも義務に忠心つくしている訳ではない。まあ、でも、何も

せんよりは遥かにマシだろう」

 ―――そりゃ、マシかもしれないですけど。

 ヒナタはため息と共にガックリと項垂れた。どんなすごい策があるのかと思えば何のことはない、言うだけ言

ってあとは運を天に任せる、そういうことだ。他国の防衛隊隊員が動かなければそれまで、人々にどんな被害

が出るかも分からない。日本には自分たちがいるからいいけれど他国の動静なんか想像もつかない。仮に彼

らが行動を起こしたとして、その後でこの話がガセだと判明したりしたら―――またしても恐怖の展開である。

今度こそ小六に逃げ場はない。

 大体、訴えるにしたってこのまんまじゃあ。

 どんな手があるのかと考え込む眼前で擬似人格プログラムは、

『―――アテにしてやがる』

 と、笑った。ひたすら楽しそうに、嬉しそうに。

『わかったよ、アンタの期待通りに動いてやる。七カ国とのホットラインを繋いで同時通訳だってしてやろう、つ

いでに音声をリークして各国防衛隊内に全会話を放送してやろうじゃないか』

「ちょっ………!!」

 ちょっと、それはマズイんではなかろうか。

 なんて頭をクラクラさせている彼女の前で非常識人たちの会話は続く。

「頼む。しかし………全国ネットで放送するのはマズかろうな」

『うーん、さすがにそこまではなぁ。一般人が聞いたら八百長と思うか信じて恐慌をきたすか、どっちかだろ?

自国民を護るかどうかはその国の軍部に任せればいい。連中の倫理観までこちらで管理できないよ』

「仕方ないか―――日本だけでも守れるかどうか危うい状態だ」

 ふと思い出したが、彼らはメールの差出人に言及する気はないのだろうか。先ほどから内容を踏まえた上で

の対策ばかりで、差出人の正体だとか、そもそもの内容の真偽を問うことなど考えていないようだ。自分がわ

かっていないだけで彼らには差出人の正体も思惑も明々白々なのかもしれない。なんとなく悔しくなった。

 細かな作業は総兵衛に一任し、司令はいま基地内に居る者たちに先に事情を話しておこうと身を翻す。

「ヒナタ! 話は聞いていたな?」

「え? は、はいっ」

「至急、全員を会議室に招集してくれ。外に出ている者たちも含めて、だ。急げ、時間がないぞ!」

「はいっ!!」

 司令に続いてヒナタも部屋から飛び出した。早くオペレータールームに行って全員に呼びかけなければ。ヒ

カゲたちはもう出立してしまっただろうか、嗚呼、そういえば加江が秀吉と会ったんだっけ………他の任務で

席を外している日吉たちとすぐに連絡が取れるだろうか。

 事態が動き始めた。あとは時間との勝負である。

 つい先刻まで色々と脳裏を掠めていた雑多な悩み事を一時的に追い払い、ヒナタは更に足を速めた。








 ひとり残された室内で総兵衛は佇む。

 ほっと息をついてから、身体を持たない自分が安堵の息をもらすとはと自嘲した。機械には必要ないはずの

『感情』とやらがこの身を蝕んで動きにくいったらありゃしない。製作者がモデルとはいえ、もっと傍若無人で作

戦第一な性格にしてくれれば良かったのにと思う。まあ、それでは『番人』の意味を成さないだろうけど。

『―――小六は動き出した。お前の思惑通りだ』

 思い描くのは黒衣をまとった少年の姿。こちらの頼みを聞いてもらう代わりに引き受けた、実に分かりにくい

警告メール。正体こそ告げなかったけれど小六はきっと差出人が誰なのかを理解している。たとえ、みなを収

集した現場で、彼こそが隊員のひとりを銃で撃ち抜いたのだと聞かされても。

『お前も約束を果たした。………俺の<相棒>が起きるのももうすぐだ』

 未だ病院で眠り続けているだろう半身、現在という時間においては『総兵衛』の創造主たる少年。

 僅かに、天を仰いで。

 すぐに彼の姿は光となって霧散した。

 仮想現実世界の中枢に至り、張り巡らせたネットワークを支配し、各国軍部の中枢に介入するために。

 計画に確実性を持たせるよう―――とある人物の力を借りるために。








 暮れ始めた冬の空は薄暗い灰色。間もなくクリスマスだというのにいまいち天気だけは宜しくない。当日は

曇天模様だと予報でも言っていたし、いっそ雪でも降ってくれたらいいのになと自販機の缶コーヒーを飲みな

がら竹中重行は考えた。眼前のベッドでは未だ目覚める様子のない弟が眠り込んでいる。

 我知らず、ため息。

 重治が意識を失ってから約2ヶ月が経過していた。改善の兆しの見られない現状には、さすがに、少々参っ

てくる。いまだって彼が目覚めると信じているが、信じていても………やはり、つらいものはつらいのだ。

 目を開けてほしい。声が聞きたい。答えてほしい。

 医者として医療現場に携わってはいたが、いわゆる植物人間となった患者の身内の心境を自分は本当に

理解していたのだろうかと今更ながらに思う。所詮は赤の他人、外野が騒いでいるだけだと彼らは医者を煩

わしく感じていたのではなかろうか。

 ―――しかし、と、思う。

 医者はまだ曲がりなりにも患者や身内のことを考えているのだから許しもしよう。心配してくれる見舞い客だ

って受け入れよう。だが、如何ともし難く許し難くハラワタ煮えくり返ってならないのは―――。




 目覚めないならば実験対象として扱うべし、と。

 弟がこうなる原因を作った人間どもと同じ反応を返してくれる一部の政府関係者。




 政府公認の研究施設だの何だの言われても信用など出来るものか。たとえその存在自体は真実だとしても

連中に従うのは医者の倫理や道徳、そして感情の面からも反していた。

 きっと今日もやって来るのだろう。眉間にしわを寄せた彼は飲み終えた缶コーヒーを握りつぶすと、備え付け

のゴミ箱に投げ捨てた。

 間を置かず聞こえてきた廊下を歩く足音に「噂をすれば何とやら」と渋面を形作って体勢を整える。弟のベッ

ドを一番奥に、自身と椅子と荷物を衝立代わりにドアの前に並べて待機。引いてなるものかとふんぞり返る。

やや乱暴に開かれたドアの向こうに連なる黒スーツの群れに医者は無遠慮な一瞥を投げかけた。

「………何か用ですか? ここは重病患者の部屋ですよ。用がないなら出て行ってもらいましょうか」

「相変わらずせっかちな方ですな。まだ挨拶すらしていないというのに」

 素知らぬ顔で笑ってみせる男は自称・政府公認研究施設のオエライさん。後ろに男女の秘書を従えて、みん

な黒スーツで揃えて堅苦しいったらありゃしない。ネクタイまで黒で揃えているのはいつ葬式に突入しても大丈

夫にしておくためですかと嫌味のひとつも言いたくなってくる。

 いつもならここで長々と上っ面だけのお見舞いの訓示を述べられるのだが、今日は聊か様相が異なってい

た。椅子に腰掛けることもなく男は単刀直入に言い放つ。

「ところでねぇ、竹中博士。そろそろ色よいお返事を頂けませんでしょうか? 我々としてもこれ以上の時間を

取られるのは避けたいのですよ」

「だったら話は早い。そちらが諦めれば済むことだ」

 斬って捨てる。こいつらの話は虫が好かない。本当なら問答無用で殴り飛ばした上に屋上からロープで吊る

してやりたいくらいなのだ。こちらの不機嫌を察しているだろうに相手は「しかし博士」、と繰り返した。




「―――教授は二度と目覚めない」




 ピクリ、と重行の瞼が震える。

「優秀な人間の頭脳を放置しておくことは人類にとっての損失だと思いませんか? 天才と呼ばれた発明家

や文豪の脳が研究施設に進呈されているというのに、当代きっての頭脳をただ眠らせておくのはあまりにも

惜しい」

「起きる可能性のある人間の脳を切開して取り出せと? 馬鹿馬鹿しい」

「博士、2ヶ月が経過しているのですよ。このまま延命措置を続けたところで何になります。教授とて人類の発

展に貢献できた方が嬉しく思うでしょう」

「あんたらは何もわかってない」

 舌打ちまじりに吐き捨てた。

「弟はひどく我侭でしてね。研究も開発も発明もすべては自分がやりたかったからやったに過ぎない。人類の

進歩に貢献しようだなんて、そんな殊勝な考えをこいつが抱くはずないじゃないですか」

 誰かのために動くことがあるとするならば、それは彼の身内や友人や仕事仲間のためだった。

 『協力すべき相手』ではなく『協力したい相手』にしか手を貸さない、気紛れで我侭な研究者だったのだ。

 彼らが訪れるようになってから幾度となく繰り返された会話に埒が明かないと男が首を振る。そして軽く手を

振って、後ろに立つ男を呼び寄せた。

「………こちらも上からせっつかれているのですよ。早く教授をお連れしろ、とね」

 男の手には―――黒光りする銃が握られていた。

 院内にどうやって持ち込んだんだコイツ、さては裏口の警備員を脅したか護身用と偽って来やがったな、と

分析する博士は意外と冷静である。こいつらが来るようになってから、いつかこういうコトになるのではないか

と薄々勘付いていた。引かなければ奴らは力押しで来るだろう、後で幾らでも揉み消せるからと武器を携えて

来るかもしれないと。

 だが、そうと分かっていても絶対に引く訳にはいかなかったのだ。

「あなた方はあなた方の好きなようになさればいい」

 真っ直ぐ相手を見つめたまま答える。

「けれど、私は引きませんよ」

「そうですか………残念です。あなたも優秀な方だ。願わくばご協力を仰ぎたかったのですが」

 銃の照準が博士の額へと合わせられる。やれるもんならやってみろ、決してただでは済まないぞ。せめて眼

前の男に一撃ぐらいは食らわせねば腹の虫が収まらない、と肘掛けに力を込めた。

「こちらにしてみれば、献上する脳みそが一体増えるだけですからね」

 引き金が引かれて弾丸が飛び出す。

 ―――直前。




 ゴッ!!




 背後から飛来した細長い物体が訪問者たちに激突した。顔面をひしゃげさせるほどの勢いで飛んできた凶

器に男たちが仰け反る。

 ―――って、ありゃ何だ。ああ、あれか。点滴とかを下げてガラガラ引きずる金属製の棒の………。

 聊か混乱した思考回路のまま比較的ゆっくりと博士は後ろを振り向いた。攻撃したのは自分じゃない、だか

らもう、選択肢なんてひとつしか存在してなくて。息さえ止めて目を見開いて、信じられないものを見た驚きに

動くことも出来ない。

 未だ身体は白いベッドの上。いきなりの運動に若干息を切らしつつ、腕に絡みついたままの点滴の管を勢い

よく引き抜いた。




「兄さん―――逃げるんだ!」




 嗚呼、もう、間違いない。

 耳に馴染んだ懐かしい声に涙腺が緩みそうになる。

「お………おま、お前っ、重治! どうしてこのタイミングで起きる? 狙ってただろ、お前!」

「狙わないって。それより早く行こう、兄さん」

「あーっ、その憎たらしい口調は間違いない!! 本物だ!!」

 混乱しまくっている兄は頼りにならないと諦めたのか。やせ衰えた腕と首を晒しながら裸足で床の上に彼は

立つ。驚きから立ち直りつつある来訪者たちにきつい一瞥を投げかけて、兄を窓際へと追いやった。

 久方ぶりに浮かべたのは実に腹黒い微笑。

「ご期待に沿えず申し訳ありませんが、わたしも兄も研究対象にされるつもりは更々ないのですよ。雇い主が

新鮮な頭脳を欲しているならばまずはあなた方の脳を捧げなさい」

「くっ………!」

 顔を抑えながら立ち上がった男たちの手には銃が握られている。女性秘書が扉を締め切り、退路を断った。

「おい、重治」

「分かってる。―――窓だ」

 視線を走らせた先には鍵のかけられていない窓。自分たちに残された逃げ道はそこしかないが、如何せん

ここは4階である。落ちれば大怪我は間違いない。

「運動神経よければいいって問題でもなし。俺はともかく、お前の弱った足腰じゃあ………」

「うん。でも、大丈夫」

 外界で激しいブレーキの音が鳴り響いたのが聞こえた。

 同時、弟は腰をかがめ、手近にあった椅子を投げつけた。身体に当てられてひとりがすっ飛ぶ、横から追撃

しようとする男には兄が花瓶を打ちつける。床を水と花でグチャグチャにしながら、今度は兄弟そろってベッド

の下に腕をもぐりこませる。

「せぇ―――のぉっっ!!!」

「うわっ!?」

 ひっくり返されたベッドにつられて毛布が舞い、枕が落ち、計器類が悲鳴を上げて倒される。いまが好機と窓

開け放ち、桟に足をかけて。

 教授が叫んだ。




「―――佐助!!」




 駐車禁止域に突っ込んできた運転手が、車から降りるのを見計らい。




「受け止めろ!!」




 少年は、身を躍らせた。




「げっ! あの馬鹿!!」

 慌てた兄が急ぎ窓から飛び降りる。残された面々はただ呆気に取られて見守っているしかなかった。しばし

間を置いてから我に返り、窓にしがみ付いて下を覗き込む。哀れな死体が転がっているかと思ったのだ。

 しかし、それは、なかった。

 壁と近場の木伝いにどうにか地上へ到達した重行は弟の無茶に呆れ果てていた。同時にまた、えらくナイス

なタイミングで突っ込んできた大学の後輩にも。

「何やってるんだと………聞いてもいいか?」

「………聞かないで下さい」

 後輩、もとい研究者仲間はポツリとつぶやき返した。

 助けてもらった重治は頭が痛いのかウーンと唸って瞳を強く閉じている。

 飛び降りた彼に押し潰された人物はめげずに立ち上がり、警備員に不法侵入を咎められる前にと急いで後

部座席に教授を詰め込んだ。次いで重行まで押し込めて、自分は素早く運転席のハンドルを握る。

「飛ばしますよ! しっかり掴まって!!」

「え? ―――うぉぉっ!?」

 急発進した車に体勢を崩す。窓の外を行き交う人々の顔は一様に「何の騒ぎだ」と驚いていて、そういや病

室はあのまんまだ、まずい、後で関係者に謝らなければ、と妙に暢気な心配事が博士の頭を掠める。

 病院から飛び出して高速に向かってひた走る。スピードも安定し、どうやら追跡もないようだと確認してから

ようやっと重行は安堵の息をついた。隣では患者服のままの弟が青白い表情をして窓に頭をもたせかけてい

る。色々言いたいことはあるはずなのに、上手く言葉が出てこなかった。

「お前―――重治、なあ………無茶しすぎだぞ。今回は偶々矢崎がいたから良かったものの、いなかったら

どうするつもりだったんだ」

「そうですね。でも………居てくれる気がしたんですよ。何ででしょうね」

 問いに対して問いを返して弟は笑う。

 笑顔は以前どおりだが、以前より痩せているのが見て取れて目頭が熱くなった。目覚めた弟、しかし、彼の

命の刻限は相変わらず20年と区切られている。

 苦笑しながら腕を回して引き寄せれば、骨と皮ばかりの身体が感じられて痛々しくなる。深く息をついた。

「馬鹿が。心配させんな」

「うん………ごめん。ありがとう」

 ぎゅうっと強く抱きしめられて、病み上がりなんだから手加減してほしいなあと笑う弟は、あとひとつ大事なこ

とを思い出したと前方を向いた。運転席の後ろから呼びかける。

「あの………矢崎、さん」

「はい」

「助けてくれてありがとうございました。本当に。あと、その、ちょっと自信ないんですが」

 珍しくも彼が言いよどむ。目覚めたばかりの記憶と意識は曖昧だ。

「わたしは―――あなたのことを呼び捨てにしてしまいませんでしたか? だったら、謝らないと」

 年長者への礼儀を弁えていなかったことに対する謝罪。

 決して正面から向き合うことの出来ない位置関係で、こっそりと運転手は呟いた。

「むかしは、いつだって呼び捨てでしたよ」

「はい?」

 これまでの疲れが解放されたのだろう、弟にしがみ付いたまま眠ってしまった兄を支えるのに精一杯で、相

手の言葉がよく聞き取れない。

「すいません、よく聞こえなくて………」

「別に呼び捨てなどされてないですよ。大丈夫です」

「そう、でしたっけ?」

 納得できないのか不思議そうに教授は首をひねる。高速へ進路を取りながら運転手は淡々と続けた。

「あなたも眠っておいた方がいい。病み上がりなんですから」

「………………ええ」

 疲れきっているのも確かだったから重治は素直に瞳を閉じる。身体に感じる車の振動が心地よかった。幼

い子供がそうするように傍にある兄の背中を強く抱きしめ返した。

 眠りに落ちる寸前、何でもないように言葉を紡ぐ。

「このままだと―――消える人がいるんです。この世から、存在を、抹消されて………」

「………」

「本人は頓着してないみたいだけど………何とかしないと………」

 科白の途中で瞼は完全に閉じられる。残されたのはエンジン音と、ふたりのささやかな寝息と、矢崎がBGM

に設定したクラシックの音色だけ。

 車は郊外に向けてひたすら道を進んでゆく。

 

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ぎゃーっ! こっ………こここ今回だけじゃまとめきれなかったっ………!(汗)

やはり一気に話を片付けようとしたのがいけなかったのだろーか。 ← 明らかにそうです。

 

メールの解読についてはあまり細かくツッコマないで下さいね(苦笑)。所詮あれは書き手が答えを知っているから

導き出せる内容であって、何も知らない人から見ればただの変な散文です。

宗教要素を絡ませたり、神学論争かますつもりもないですが、敬虔な信者の方がいらしたら申し訳なく思います。

詳しい方から見たら「何じゃこりゃ」とツッコミたくなる内容でしょう。

安易に使っていいとは思ってないんですが―――なんとなく。ええ、なんとなく(待て)。

キリストの生誕だって本当は12月じゃなくて1月らしいし、西暦元年生まれでもないようだし、東方の三賢者が

訪れた時間だって詳しく検討すれば分かるのかもしれないし、ソドムとゴモラの落日だって滅びる描写は

より特定されてしかるべきかもしれない―――けど、解釈は色々、ということでご容赦願いたい。 ← 偉そうだナ。

 

今回、やたら登場が長引いた竹中関連の騒ぎ。とりあえずお兄さんはこの後もっかい出番があります。実は

この人が一番の出世株なのかもしんない。「医者」って特殊能力はやっぱ得だよなぁ(笑)。

教授も復活したので、いずれは防衛隊の前に現れるでしょう(この言い方だとまるでラスボスだ)。

そして矢崎さん。密かに隠していた彼のフルネームは「矢崎佐助」でした。これだけでウチのコンテンツを

全クリしてる方には人物関係の予測がついちゃったんでないかと………(苦笑)。

「かつては呼び捨て」ってのがポイントですよねぇ。クックック!!(怪しい笑い)

 

何にせよ次回。次回こそ纏め上げたいです………ううう(涙)。

 

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