窓から月明かりが差し込んでくる。室内灯をつけていようともほのかに差し込む光は確かに存在し、時にそれを目にしては気持ちを落ち着ける。 とはいえ、此度ばかりは落ち着き払っていても埒が明かぬのだろうとニールは自室の机の前で一頻り悩んでいた。目の前のモニターに並んでいるのは新人の一覧表と配属候補先、担当教官からのコメントだ。何のことはない。要するに新人のクラス分けで悩んでいるのである。 しかしこれが簡単に見えて結構厄介な代物で、多くは受け持ちが変わることがないのだが、一部に関しては本当に扱いに困ってしまう。分かりやすい問題児ならばいい。指導に慣れているベテラン教官に依頼すればまあ上手く行く。けれども、問題らしい問題行動はなく、かといって問題がないと言い切るのも微妙な訓練兵―――に関しては、果たしてこのまま自分が受け持っていていいものか他に任せるべきなのかと考え込んでしまうのである。 (さて………) 件の三人組はこの道云年のベテラン教官が引き取っていった。合同授業で顔を合わせることこそあれ、今後は厳しく指導されて奴らが泣きを見ることはほぼ確実だ。 (どうしたもんかな) 顔色の悪い如何にも挙動不審な中年男性。彼は引き続き自分が様子を見守ることにした。疑いの眼差しを向けるだけ向けて、結果を見届けないのも筋が通らない。一応は上官に報告もしているし、今頃、王留美を始めとしたエージェントが背景を探ってくれているはずだ。問題は程なく解決するだろう。 なので目下のところ一番の悩みの種は。 (預かってていい………ような悪いような) 赤茶けた瞳が印象的な少年のことである。 訓練は真面目だし小柄な割に格闘技等の成績もいい。もう少し背が伸びたなら立派なパイロット候補となれるだろう。 故に、期待を篭めてその成長を見守りたいと思う一方で、向けられる視線に秘められた意志を掴み切れず、どうにも落ち着かない気分にさせられてしまうのだ。 自分は教官としては未熟なのだから経験豊富なベテラン教官や、彼自身に確かな好意を抱いてくれている人物に託した方が良いのかもしれないと思ったりもするのだが、ならばとグラハムの組に割り振ったりしたら何だかとんでもない事態を引き起こしてくれそうでやっぱり踏み切れない。 挙句の果てには、他から「彼はうちで引き取ろう」と手を上げてくれる誰かが現れたりはしないかと他力本願な考えまで浮かんでくる始末。 でも、そうなったらそうなったで自分は相手の申し出を拒絶するのだろう。 (―――矛盾してやがる) 苦く笑った後で、青年は画面上のエントリーボタンをクリックした。 「で、―――結局、彼については組み替えしなかったんですね。そうなるとは思ってましたが」 「なんだよ。その予想通りって表情は」 表を提出した翌日、薄い雲ごしの直射日光も目映い甲板で青年はアレルヤに笑われていた。 柵にもたれかかりながら隣の人物を見上げる。 むかしは小さかった彼もここ数年で随分と背が伸びた。そろそろ追い抜かれると予感したのはいつ頃だったか。以来、意地でも彼の身長データにだけは目をやらないようにと努めているニールである。 今日の訓練は午後からの予定だ。その時に新しい組み分けも発表される。今頃新人たちは大部屋でごろ寝したりのんびりと艦内を散策したりしながら微妙に落ち着かない気分を味わっているに違いない。各人の適正にそった教官に代わるだけだと説明を受けてはいても気になるに決まっている。自分もそうだった。 そういや、オレの時は最初っから最後までセルゲイ大佐が教官だったんだよな、と思い出す。 実質セルゲイが後見人を務めてくれたようなものだし、ハロの誼でイアンとも仲良くなれたし、何と言うか、日頃から貧乏くじと評されている己もあの頃は随分と運が良かったではないかと今でも思う。 にっこりとアレルヤが笑った。 「食堂で一緒に騒いでたんでしょう? それだけ目立っちゃったのに受け持ちから外したら新人の中で彼が悪い意味で浮いてしまうだろうなと」 「なんで知ってんだよ」 「………知られてないと思う方が不思議ですよ」 なんたって、あのグラハム・エーカーと一緒にいたんだし。 真顔で告げられてしまうと頷かざるを得ない現状に溜息つきたくもなる。してみると、かの少年をグラハムの担当にしなかったのは賢明な判断だったか。 「ったく、グラハムの奴もどうしてセイエイに拘るんだか」 「波長が合うんじゃないですか? きっとあの子も『ガンダム』が好きなんだ」 「否定はしないが、グラハムが熱愛してるのはフラッグだぞ」 「同じですよ。どっちも機体だもの」 確かにそうだけどな、と苦笑しながら吹き付けてきた風の方へと顔を向ける。 空は青く、空気は何処までも澄み切っている。 これだけ視界が良好ならば今日は遠くに『ヴェーダ』を望めるかもしれない。だとしたら、少し時間を作ってでも訓練兵たちに見せておくべきか。敵はいつでもこちらを迎撃できる距離にいるのだと実感することは彼らにも何がしかの覚悟を促すに違いない。 太陽の眩しさに目を細めて僅かに顔を俯ける。 「―――あ」 「どうしました?」 「ハレルヤだ」 戦闘機が飛び交う眼下の甲板をハレルヤとマネキン大佐が連れ立って歩いている。ちょっと珍しい組み合わせだ。 柵にもたれかけたままだった上体を軽く起こした。 「丁度いい。オレ、まだマネキン大佐に挨拶してなかったんだよな。ちょっと行って来る」 「え、行くって―――ニール!」 年下の同僚の声を後に残してニールは下へ降りるための階段へと向かってしまう。 伸ばした腕も虚しく、呼び止めの言葉も聞き入れられなかった気のいい青年は困ったように眉根を寄せた。 「………行かない方がいいと思うんだけどなあ」 ごめん、ハレルヤ。 ―――なんて呟きは勿論ニールの耳には届くはずもなく。 背後で同僚が嘆いていることなど露知らず、軽快な足取りで下の階に辿り着いた青年は、響く爆音に目を見開いた。 送迎用の戦闘機が移動を始めている。折りよく収納されるタラップが見えた。 そして。 「あっ………!?」 閉じていく扉の奥で敬礼しているマネキン大佐と、同じく甲板で敬礼を返しているハレルヤの姿。 急いで足を回転させたところで動き出した戦闘機を止められるはずもない。誘導員と管制塔の指示に従い滑走を始めた戦闘機は、黒光りする機体を日のもとに晒しながら轟音と爆風を残して飛び立ってしまった。 舞い上がる僅かな砂塵に目を細める。 まったく、なんて慌しい出立だ。彼女がプトレマイオスに居たのなんて本当に短期間に過ぎなかったのではあるまいか。 (新人育成に口出ししに来たのかと思ってたんだが) 目的は他にあったということか。尤も、彼女の有能さを思えば数日単位で基地間を移動していたとてなんら不思議はないのだが。 やっぱり挨拶ぐらいはしておきたかったと純粋な落胆を覚えながら、敬礼を解いたハレルヤの隣に肩を並べる。 「―――マネキン大佐。帰っちまったのか」 「AEUでゴタゴタが起きてるらしくてな、忙しいんだとよ」 彼の声にニールは微かに首を傾げた。 腕組みしたまま戦闘機の行く先を見守るハレルヤの口調は柔らかい。言葉の表面だけを捉えれば代わり映えしない内容なのに、口調というか語調というか、何かしら気遣う雰囲気が滲み出ている。スメラギやイアンには、そんなの感じ取れるのは共に過ごした時間の長いアレルヤとソーマ、セルゲイに加えて自分ぐらいのものだと言われるのだが―――アレルヤたちはともかく、自分に関しては買い被りだと思わざるを得ない。なにせ、口調が優しいということまでは理解できても何をもって彼がそんな気分になっているのかは分からないのだ。 ただ、意外と細やかなこの年下の同僚は、『ニール』に関して何か思うところがあると言葉の攻撃性が低くなるということぐらいはギリギリで気付いている。 「AEUのゴタゴタなんて聞いてないな。手伝わなくて大丈夫なのか?」 「さあな。けどまあ、それに関しては―――」 ちらりとハレルヤが視線を背後へ流す。 遅ればせながら彼の双子の兄弟が甲板に辿り着いたところだった。 「何やってんだよ、アレルヤ!」 「ごめん、ハレルヤ」 半身の舌打ちに片割れはすまなそうに眉を下げる。到着が遅れたことを怒られているのか。それならばニールとて同じであるし、何より、この場にはマネキン大佐を見送るに相応しい身分の将校は誰もいない。全員同罪ではないかと思えばますますもってアレルヤが申し訳なさそうにしている理由が分からなかった。 ちょっと困った感じでアレルヤがこちらを見る。 「あの………マネキン大佐とは話せましたか」 「いや。来る前にもう出発しちまってたからな」 ハレルヤは何か話してたのかと水を向ければ、「人材が不足してるみたいだからお呼びがかかった」と実に面倒くさそうに吐き捨てられた。 「お呼びって、出向かよ? 新人の教育はどーすんだ」 「アレルヤに任せる。出発は数日後だからそれまでに引き継ぎぐらいはすませておくさ」 つまりはアレルヤが二組分を担当するということか。流石にきついんじゃないかと思ったが、苦笑した双子の兄弟は「いざとなったらセルゲイ大佐に手伝っていただけることになってますから」と穏やかな笑みを返された。 自分も貧乏くじと呼ばれるようになって久しいが、この青年もかなり損な役回りばかり押し付けられている気がする。 「でもなあ、ハレルヤ。お前の手が必要になるような事態ってなんなんだ?」 「知らねーよ。そんなんマネキンに訊けよ」 「………彼女がいないからお前に尋ねてるんだが」 「じゃあ訊かなきゃいいだろ」 駄目だ、こりゃ。 取り付く島のない態度にニールはこっそりと溜息をついた。急に呼び出されたからなのか面倒な仕事を押し付けられたからなのか、口調は穏やかであるにも関わらず、金目の青年の機嫌は下降の一途を辿っているらしい。 (まあ、大きな任務だったら後で報告書が上がるだろうし) 内容はそこで確認すればいい。ふたりが揃って沈黙を貫くならばそれが総意ということなのだろう。 たぶん。いや、確実に。 自分は彼らに甘やかされているのだと思い、ニールは複雑な表情を浮かべた。 組み分けが発表されて数日が経過した。 ハレルヤは既にアポロニウスに向けて出発している。見送りに行ったらやたら真剣な眼で見詰められたが、理由を問うても彼が応えることはきっとない。アレルヤに尋ねたところで同じように答えは得られないのだろう。 溜息をつきながら周囲をあらためて眺めてみる。同僚たちのペースはこれまでと同じ、『ヴェーダ』も最近は不気味に大人しく、新人たちも大分プトレマイオスでの暮らしに慣れてきたようで最近は方々で寛いでいる姿も見受けられるようになった。 この頃になると気の合う、合わないが明確化してくるのだろう。多くは数名のグループに自然と分かれて行動している。時に組分けを超えて親交を保っている例もあるが、共に過ごす時間が長いほど仲良くなるのはある種の真理であると思われた。 (―――に、しても) 一方ではそういった流れに乗ることなく自然と孤高を貫いてしまう存在も当然のようにいて、悪意を持って敬遠している訳でもないのに常にひとりでいる者も徐々に特定されてきていた。 (孤立しすぎだろ………) 溜息をつきながらニールは視線を下へとずらす。 いつかの如く甲板の柵にもたれた己の眼下では昼休憩に入った訓練兵たちが束の間の休息を楽しんでいる。大抵の者は雑談に興じたり復習に余念がなかったり手洗いに行ったりしているのだ、が。 問題視されている少年。 刹那・F・セイエイはドッグで整備員相手に専門的な言葉を交わすことこそあれ、他と打ち解ける気配は微塵もなかった。それとなく周囲に尋ねてみたところ声をかければ視線は向けてくるらしいから、全く興味がない訳でもないのだろうが。 (ああ、でも、そういえば) 珍しくも自分から声をかけたそうにしていた時が何度かあったんだっけな、と思い出す。 それは新たな組み分けが発表された直後であったり、例の三人組にニールが絡まれたりした時だったりした。ような、気がする。 絡まれた、というのは組み分けがあった当日の出来事である。 その日。 組み分けが発表された後の甲板は静かなざわめきに包まれていた。地上にいた頃の、ジュニア・ハイやハイ・スクールにいた頃の空気によく似ている。誰と同じクラスになったとか誰が担任になったとか。同じ敷地内に通っているにも関わらず、教室の壁ひとつを隔てただけで友人との仲を引き裂かれたように感じて哀しくなった記憶もある。 壇上のセルゲイがパン! とひとつ卓を叩いた。途端に辺りが水を打ったように静まり返るのは流石に学生時代とは違うということか。 威厳のある眼差しで辺りを睥睨した上司が重々しく口を開く。 「組み分けはいま述べた通りだ。クラスが適応されるのは明日からとなる。今日の午後は同僚たちとの親交を深める時間として使いたまえ。また、不服がある場合には異議申し立ても可能だ。その際は担当教官に直接、面談するように」 以上だ、と述べると共に敬礼が返される。「鬼教官」だの「荒熊」だのと評されはするものの、やはりセルゲイは尊敬されているのだ。オレがあの境地に至れるのはいつのことかねえ、なんて教官の列の途中に並びながら思いを馳せて。 ………一生無理な気がしてきた。 解散の指示を受けた訓練兵たちがバラバラと甲板上に散らばる。大体は組み分け前の面子で集まっているようだ。自然、ニールも自らの教え子たちのもとに向かいかけたのだが、 「姫! 待ちたまえ!!」 「―――なんだよ」 呼び止められて嫌々ながらも振り向いた。 背後では太陽の光を真っ向から受け止めて、艶のいい金髪に天使の輪まで描いている超絶フラッグ愛好者―――いや、既に遠回しな表現に意味はないがつまるところグラハムが―――とにかくそのグラハム・エーカーが。 これ以上は無い笑みと共に仁王立ちになっていらっしゃるのであった。 何故だろう。 『ヴェーダ』と間近で対峙した時以上にすっごく逃げ出したい。 「なんだとは随分な言葉だ。私としては君と久しぶりに会うのだから呼び止めたまでなのだが」 「久しぶりも何も、この前食堂で一緒になったばっかりじゃねーか。訓練が重なる時は同じ場所で指導してるし。あんたと会うのが久しぶりなら他基地の連中なんてどれだけぶりだよ」 「人間は苺イチエだとカタギリが言っていた」 「………一期一会か?」 「少しだけ恨むぞ、ニール。本音を語れば、私は君が彼の少年をこちらへ渡してくれはしないかと少なからず期待していたのだ。しかしてその一方で君が彼を手放したのならば何と見る目がないと多少の失望は禁じ得なかったことだろう」 「納得してるのかしてないのかはっきりしろ」 「無論、君に惚れ込んだ私の直感に間違いはないということだ!」 相変わらず会話が微妙に噛み合ってないのは気の所為か。 きょろきょろと辺りを見回したグラハムは「ところで、くだんの少年は?」と問いを発する。本題はそっちにあったろうに建前を並べなくてもなあとニールは軽く笑った。 「さあな。あいつは単独行動が多いし、オレだって向こうの居場所を常に把握してる訳じゃない」 「意外だ」 「何処がだよ。トレミーは結構広いし、カバーしきれねえよ」 「彼は常に君の傍にいるような気がしたのだ」 だから彼を捜したい時は君を捜すし、君を捜したい時は彼を捜すのだと。 真顔で告げられて微妙に返答に困ってしまった。 しかしてこちらの反応に頓着しない中佐殿はクルリと綺麗なターンを披露して、 「ふむ。ならば再びの機会に期待するとしよう! また会おう、ニール!」 勝手に結論付けると来た時と同じぐらいあっさりと立ち去ってしまった。返事をする暇もない。 彼が移動するのにあわせて『モーゼの十戒』の如く新人たちが道を開け、また、彼を慕う面々が誇らしげに後に続く様はなかなかに面白くもあり、相変わらず賑やかな奴だとの印象が強くなった。 ニール自身も残留が決定した新人の何名かと談笑したり、残念ながら別の組に引き取られた者たちと言葉を交わしている内に大分時間が経過してしまった。 (そういや―――………) 彼はどうしているか、と、甲板に溢れ返る人波に猫背の男性の姿を捜す。王留美からの連絡は未だ保留状態だ。これまでにも幾度か話しかけたことはあるが、声をかけた瞬間に青白い顔を更に青白くして全力で走り去られては事情を聞き出すどころではない。だが、最近はますます顔色が悪くなっているし、せめて医務室行きを勧めても罰は当たるまい。 未だ話し続けたそうだった面々に断りを入れて人捜しを開始する。 程なくして彼は見つかった。 甲板の隅っこの柵にもたれてぼんやりと下界を眺めている。風に煽られて舞い上がる軍服の裾がなんとも頼りない。気配が薄い。あのまま投身自殺を図ったとしても何らおかしくはない雰囲気だ。 (まずいな) 本格的に鬱状態になっている。 事と次第によっては彼の抱えている事情に関わりなく、一旦地上に降りるよう説得すべきか。 ニールが足を一歩踏み出した瞬間。 「教官」 無遠慮なまでの力で肩を掴まれて、強制的に歩みを止めざるを得なかった。 「じゃあ、遠慮なく」 「!?」 バン!! テーブルを叩き割らんばかりの音に食堂が静まり返った。 「君は! 無礼だ!!」 お前が言うか、とニールが突っ込むより先にティエリアはすっくと立ち上がる。更にはそのままの勢いで呆然とした人々の波を掻き分けて立ち去ってしまった。 |
※WEB拍手再録
日数がぽんぽん飛んでも話は遅々として進まず(哀)
ティエさんとアレっちの口調が微妙に定まらないです。特にティエさんは
一人称もずらしてるからなー。でも今更訂正するのも手間だし。
カティさんの動向は後への伏線です。たぶん(オイ)