端末で離れた場所に居る相棒に指示を送りながら引っ掴んできたゴーグルに首を通す。深夜のプトレマイオスに人影は少ない。自らの立てる軍靴の音だけが硬質に鳴り響き、廊下の白色灯は周囲をやたら寒々しい光景と成さしめていた。手袋の具合を確かめながらメットを被る。持ち物など本当に必要最低限でしかない。傍から見れば手ぶらとも思しき格好で突き進む内、角に立っている人物が目に入った。戦闘機のある格納庫へ赴くためにはあの角を折れねばならない。知ってて止めに来たのかと柄にも無く舌打ちをした。 童話にでも出てきそうな整った顔立ちをした男がこちらを見遣る。 「こんな時間に何処へ行くのかね、姫」 「………グラハム」 苦虫を噛み潰したような顔になり、けれど、引く気はないことを示すようにニールは更に歩を進めた。黙って行き過ぎることはせずに角を折れる寸前、丁度彼の前をやや通り過ぎた辺りで立ち止まる。完全に無視することができないのは彼の美点であり欠点でもある。 相手もまた心得たかの如く視線は交錯させないままに問いを発する。 「誰かに相談はしたのかね」 「セルゲイ大佐には伝えておいた。留守中の訓練は誰かに頼まなきゃならないしな」 「止められはしなかったのかね」 「止められたさ。けどな、」 行かない訳には行かない―――………。 呟いた後に青年は振り返り、実に複雑そうな表情で疑問を口にした。 「グラハム。お前はなんか聞いてるのか?」 「いいや。何も聞いていないと他ならぬ君に誓って宣言しよう! ただ私は君の纏う空気が不穏であることを察して此処へ来たまでだ」 「………いつそんなん悟ったんだよ」 そもそもどうして都合よく格納庫前の通路で待ってんだよ、オレが別方向から来てたら空振りもいいところじゃないかと、ニールは片手で顔を覆った。 瞬間的に緩みかけた空気は、だが、すぐにまた硬質なものへと戻ってしまう。常の穏やかな雰囲気が許されないのは他ならぬ青年が緑の瞳に剣呑な色を湛えているからだ。 要するに、彼は焦っていたのだ―――この上もなく。 物理的にも。 精神的にも。 顔を俯けてぽつりと呟く。 「………悪い。そこ、退いてくれ」 行かなくちゃと零す相手にグラハムは軽快な笑みを見せた。 「君を止める心算はないさ。行きたまえ」 「―――」 「その代わり」 壁に預けていた背を起こし、すれ違い様に青年の右肩を軽く叩く。ニールが僅かに顔を俯けているために互いの視線が絡むことはない。知ってか知らずか、グラハムもまた真っ直ぐ前を見据えたままですぐ隣に居る人物の顔を覗きこむことすらしないのだ。 右肩に置いたてのひらに、ほんの一刹那、力を篭めて。 「用事が済んだら必ず『此処』へ帰って来たまえ。寄り道は厳禁だ。そして帰って来たら―――私でもセルゲイ大佐でもあの少年でも誰でもいい。必ず無事を報告することだ」 「………」 「行きたまえ。君が望んだことならば」 ふ、と顔を上げて。 漸く面を上げたニールが右手の人物に視線を投げた。受け止めた側は実に不敵な笑みを浮かべていて、ならばとばかりに青年もまた穏やかな笑みを浮かべた。 「じゃあ、行ってくるぜ」 「うむ!」 躊躇もなく離れた手を惜しむことなく、惜しまれることなく、すぐさまニールは手元の端末に意識を戻した。画面上ではハロが出立準備が整ったことを知らせている。急な要請であったにも関わらず戦闘機の準備を整えてくれた相棒には頭が下がる。離陸の連絡は管制室に伝えたばかりだ。早足。 行き先は―――AEU。 ハレルヤと、あの少年が居る処。 一方、廊下にひとり取り残されることになったグラハムは立ち止まったまましばし考え込んでいた。自らの行いに悔いはない。細かな事情など知らない。ただ本当になんとなく彼が落ち込んでいるような気がしたから本能の赴くままに部屋を出て来たまでだ。出立直前の彼に会ったことが果たして互いにとってよかったのか意味があったのか、そんなことは勿論わからないが、常に後悔しない生き方を選択していることに自信と誇りを抱いている。喩え結果的に大切な何かを喪うことがあろうとも、だ。 それでも未だ胸中に何かが燻っているのは。 「ふむ。どうやらこれは未練や強欲と呼ばれる類の感情らしいな。彼に対して欲を抱くことを悪いとは思わん、が、未だ私自身の修行が足りないことも明らかだ」 口元に手を当てたまま広い通路で堂々と呟く。 コツコツと靴音を奏でながらもとの道を引き返し、更に続けた。 「何をもって未練や強欲と表現したかと言うと、即ち、彼の事情を自分が知らないという事実に嫉妬したからだな。今回の件に関わっているのはハレルヤ・ハプティズムであり、事情を知る人間はスメラギ・李・ノリエガを始めとした直属の上官のみ。私は純粋に彼らが羨ましい」 カツリ、と両足の踵を揃えて立ち止まる。 「君はどうだね、少年」 「………」 大きめの観葉植物の陰から無愛想極まりない少年がのっそりと顔を出した。潜んでいたことをグラハムに気付かれたことが不服なようであり、納得しているようでもある。あくまでも予測にしか過ぎないがきっとこの少年―――刹那・F・セイエイ―――も、某か感じるところがあって自室から出て来たのだろう。 「行った先で彼が手酷い現実を目にする予感はあるのだ。無論それはこの戦乱の世においてはありふれた光景に過ぎない。ただ彼は無自覚なまでに傷つきやすいくせに進んで傷を負おうとするのだ。何かに謝罪するかのように」 「………」 「何故とめなかったのかだと? 愚問だな! ならば君は何故彼の生徒である点を盾にとって出立を思いとどまらせようとしなかったのか!」 「………」 「これから彼が背負うであろう事実を痛ましく思う。傷の原因を知っている者を羨ましく思う。けれども私は私が何の役にも立てないなどと考えたりはしない」 少年の言葉を得ないままに金髪の青年の語りは滔々と続く。彼の発言は自信の表れではあるが自らを鼓舞するために放たれていることも多い。ある種の自己暗示に等しいのだ。 少年の方を振り向いた彼は不敵な笑みを浮かべた。 「私はもう戻らなければならない。君はどうする?」 「………オレは」 少年は赤茶色の瞳に静かな気配を湛えながら呟いた。 「オレは、あいつが気付かないことに腹が立っている。こちらを見ないことに苛立っている」 「素直だな!」 「だから」 いまは、ただ、待つ。 淡々と答えた少年は即座に踵を返した。 やや呆然としながら彼の背中を見送ることになってしまったグラハムは、何度かの瞬きの後にこころおきなく爽快な笑い声を上げた。 「まったく―――君は面白い!」 それでこそ私の好敵手だ! と。 根拠のない言葉を繰り返しながら彼は未来を思い描く。 明け方間近の空は薄暗く、隙間から僅かに吹き込む冷気のお蔭で吐く息も白い。機内の温度制御をしておいたって限界はある。むしろ個人的には寒いぐらいの方が神経が冴え渡る気がして落ち着けた。指先だけは凍りつかないよう繰り返し屈伸させながらじっと前方の薄青い空を見詰める。プトレマイオスの航路がAEUに近付いていたのは幸いだった、これなら移動に然程の時間は要さない。 眼前のポケットにはまった相棒がチカチカと目を点滅させた。ただの鉄の塊であるはずのそれに「気遣い」の感情を見い出して、ニールは苦く笑う。伸ばした右腕でオレンジ色の球体の頭を撫で擦った。 「悪いな、ハロ。急な出立になっちまって」 『問題ナイ! 問題ナイ!』 耳をぱたつかせる様は本当に可愛らしくてこころが和む。その傍ら、とてもじゃないが和んでいられる状況ではないのだと密やかな溜息を零す。 随分と慌しい出発だった。ティエリアの話を聞いてすぐに部屋を飛び出して、スメラギではなくセルゲイへ戦闘機の使用許可を取りに行った。当然、最初は反対された。貴重な戦闘機を私用で使うなどもっての外である。けれども繰り返し頼み込み、許可がもらえないならば勝手に出発します、厳罰も覚悟していますと告げれば、しばしの沈黙ののちにプトレマイオスとAEU間を往復する許可が下ろされた。力ずくでの出立を半ば覚悟していた身としては拍子抜けだ。単なる予想にしか過ぎないが、もしかしたら―――ハレルヤから頼まれていたのかもしれない。ニールが使用許可を求めて来たならば許諾してほしいと。 AEUにはいい思い出もあれば悪い思い出もある。前者は主に自らの出身地であることや、カティやコーラサワーを始めとした仲間と出会えたことに起因していた。後者は主に軍の施設に関係していた。AEUの軍事基地・アポロニウスの地下には罪人収容施設がある。世界中の犯罪者が集められる場所。そこでパイロット適正があると判断された者は、特別な司法取引のもとにパイロットとなることで一定の自由を得られるのだ。基地内であれば自由行動できる。酒も飲める。他人と言葉を交わすこともできる。 ただし。 彼らの首には常に起爆装置付きの枷が取り付けられている………。 犯罪者に完全な自由を与える訳にはいかないとの説明に一定の理解を示しつつも、人間が「人間」を飼い慣らそうとするかの如き光景に、やはりニールは眉を顰めた。ましてや自分は犯罪者でありながらも非常に優秀な、同じ遠距離支援型のガンダム乗りをひとり知っている―――。 浮かんできた記憶を振り払うように軽く首を振った。運転をある程度ハロに任せて少しだけ目を閉じる。耳に届くのは低いデュナメスの起動音だ。頼むからいまだけは攻撃を仕掛けてこないでくれよと他ならぬ『ヴェーダ』に願う。連中がやって来たら当然、迎撃任務が最優先となる。流石に己が本分を見失う心算はないが、いまだけは邪魔をされたくない。軍人の風上にも置けぬ態度だなと自嘲した。 数時間の飛行ののちにデュナメスはアポロニウスへと到着した。移動距離と比較して時差はそれほどではない。管制室には通達しておいたため滑走路にも然程の混乱は見られなかった。ただ、末端の者たちはニールがやって来た理由など知らない―――上官クラスでも知っている者の方が少ない―――ために、誘導員には少々驚かれることとなった。随分と急なお越しですね、何か任務でも入ったんですかと悪気なく声をかけられると本当に自分は何をしているんだと心底呆れたくなった。 指定された格納庫へデュナメスを移動させながらハロへと伝える。 「ハロ。しばらくオレは席を外すぞ。すぐに戻ってくるからデュナメスのことは頼んだ」 『イッテラッシャイ! イッテラッシャイ!』 「よろしく。あと、それからな―――」 声を潜めてそっとハロの耳、と思しき部位に口を寄せて囁いた。 「できれば874と通信して情報交換をしておけ。たぶん『アイツ』も何度か戦闘をこなしてデータが蓄積されてるはずだからな」 相手も心得たもので、いつもの機械音声の代わりに目を瞬かせることで応えた。ハロと同タイプの独立AIは他にも何体か発見されており、874(ハナヨ)は86(ハロ)と同じく起動に至った珍しい独立AIだ。ハロを『彼』と喩えるならば874は『彼女』となるだろうか。丸っこいコロコロとした物体が並んで飛び回っているのは間違いなく心和む光景である。しかし、今日ばかりはそんな気分にもなれず唇を噛み締めたまま戦闘機のコクピットから降り立った。 空中から地上へ突貫で移動して来たためか多少の眩暈を感じる。ふたつ深呼吸することでそれを振り切って、デュナメスの移動先をしばし見送るとニールは即座に踵を返した。先刻の誘導員を最後に辺りに人影は見られない。未だ朝早い時刻であるために必要最低限の人員しか割いていないのか。いや、―――明らかな人払いだ。おそらく、セルゲイから自分の来訪を聞かされたであろう人物の計らいだ。 くだんの人物はニールの振り向いた先、アポロニウスの中枢へと至る通路の途中で待ち構えていた。壁に背中を寄りかからせて真っ直ぐにこちらをねめつけているが、怒っているようにも、不機嫌そうにも、嫌そうにも見えない。もとから彼はこうなることを予測していたように思える。結局は彼らに甘やかされているのだと痛感し、青年としては懲りずに穏やかな微笑を浮かべるより他になかった。 三歩ほど手前で立ち止まり、笑いかける。 「来たぞ。ハレルヤ」 「―――意外と遅かったじゃねえか」 「流石に後任の依頼ぐらいはしてくるさ。これでも割りと駆け足で来たんだぜ?」 お前の態度が妙だって感じた時に問い詰めときゃよかったよ、と今度は苦笑い。金目の青年はそこで漸く苦虫を噛み潰したような表情になった。彼の頬には薄くとも痣が残り、分厚い軍服のために外見からは窺えないが、腕も足も傷だらけなのだろう。 「きちんと怪我の手当てはしたのか? 超兵だからって油断してると痛い目をみるぞ」 「怪我なんてしてねーよ。なんでそう思う」 「普段のお前なら壁に寄りかかったりしないだろって点がひとつ。あとは、まあ………勘だな」 「なんだそれ」 ちっと舌打ちしてすぐにハレルヤは背を向けた。ズカズカと断りもなく歩き出した彼に黙って付き従う。 アポロニウスには何回となく来ているので基地の構造は把握済みだ。ハレルヤは管制室にも、カティがいるだろう司令室にも、一般兵たちが屯しているであろうラウンジにも歩を向けなかった。只管に基地の最深部へと、最下層へと移動を続けている。ニールに否やはない。もともと非公式の―――非常識な私情による来訪である。 何も問うべきではない。 ハレルヤの目を見た瞬間に確信した。カティの求めに従いAEUへ赴き、『彼』を捕らえたのは、間違いなく彼だ。 戦いの仔細など知らない。超兵同士で何か思うところがあったのかなんて分かるはずもない。辛かったろうと、大変だったろうと、ありふれた慰めの言葉を告げることはできる。けれども、どれ程に望んだところで自分には『彼ら』を理解し切れないのだ。 と、ニールは思う。思っている。 実の弟の考えさえ読み切れなかった人間が、他者の何を理解できるのかと―――。 せめてハレルヤが早くプトレマイオスに戻って、アレルヤやソーマやセルゲイと感情を分かち合えればいいのにと願う。 願う、だけだ。叶えてやることはできなくとも。 「ハレルヤ」 「なんだよ」 「………奴にパイロット適正はなかったのか? 適正があれば司法取引で―――」 「ない。っつーか、本人が搭乗を拒否した。いざとなったら洗脳してでも働かせるえげつない方法もあるんだろうけどよ、生憎と『オレ達』にそれは効かない」 「―――そうか」 固有名詞は上げなくとも誰のことを指しているのかは明白。 仲間の返事を受けてニールは静かに目を閉じた。 ふと、カティには目通りしておくべきかと思ったが会ったところで結論は変わるまい。自分は下された決定に異論を唱えるために来たのではない。ただ、事実を受け止めるために此処へ来たのだ。 階段を使い、昇降機を使い、基地の最下層へと向かう。途中途中で見張りの兵と敬礼を交わすばかりで呟く言葉のひとつもない。地下の独房―――犯罪者収容施設。誰かが悪趣味にも「裏切り者の地獄(コキュートス)」と呼んでいたっけ。 数多の扉が狭い間隔でひしめき合う。此処に閉じ込められているのはいずれも重犯罪者。判決を待つ者と、判決を受けて刑の執行を待つ者と、司法取引により限定された自由を得た者と。立場に微妙な違いはあれども囚われの身であることに変わりはない。照明の明るさは地上と同じだというのに薄暗く思えるのは圧し掛かるような静寂のためだろう。右に五つ、左に五つ。合計十ずつを1ブロックとして合間をシャッターで隔てられている。 幾つかの角を折れたところでハレルヤが右手を挙げた。ライフルを片手に見張りについていた兵が敬礼を返す。 「ご苦労様です!」 「そっちこそご苦労さん。中の様子はどうだ?」 「問題ありません。他の収容兵と比べてもおとなしいものです」 兵の隣をすり抜けたハレルヤが徐に手袋を外す。扉の真ん中に浮き出た四角いスペースに掌を当てるとぼんやりと周辺部が光り、鍵の開く音がした。指紋認証システム。網膜認証による二重チェックがかかっていないということはつまり、壁の向こうにいる『彼』は然程危険視されていないのか。ニールの知る874のマスターなど手枷首枷に飽き足らず、指紋認証と網膜認証と三重のパスワードと物理的な閂のかけられた深い深い扉の向こうに閉じ込められていたものだが。 「行くぞ」 ハレルヤの声に頷いて、扉を潜った。 扉を抜けて直ぐに相手がいる訳ではない。更にもうひとつ奥の扉。そこを抜けたところに。 デヴァイン・ノヴァは。 ブリング・スタビティは、―――居た。 真っ白い個室の真ん中にぽつんと置かれた椅子に腰掛けている。手足は拘束されていたが所謂拘束衣は身につけていない。逆らう意志はないと判断されたのだろう。いつかと同じような、けれども遥かに暗く沈んだ金色の瞳がニールを捉える。髪、は、短くなったろうか。相手が座っているから分からないけれど背は伸びたに違いない。ハレルヤは黙って後ろに下がり、ブリングと向き合うのはニールひとりとなる。望んで会いに来た以上は逃げる訳に行かない。 記憶に残るよりも低い声で赤髪の少年、―――青年が呟く。 「何をしに来た。ニール・ディランディ」 「………覚えててくれたんだな」 すっかり忘れられてると思ってたぜ、と、その場にそぐわない穏やかな笑みを浮かべて。 「理由なら簡単さ。ただ会いに来ただけだ」 「二度も軍に逆らった愚か者を笑いに来たということか」 「どうして笑う。笑えるような立場じゃない。ただ―――」 いつの間にか強く握り締めていた右のてのひらを意識して開く。黒い手袋の下で指先が冷え切っていることを感じた。 ただ、思い出す。 アザディスタンの焼けるような日差しを。鉄筋の中を駆け巡った硝煙の匂いを。交わした言葉を。 「………オレも、ハレルヤも。あの場でお前を殺そうと思えば殺せたんだ。幾ら<聖典の使徒>の情報を引き出す目的があったっつってもな。でもオレたちはお前を殺さなかったし、お前だって自害しようとはしなかった。そんな奴が今更のように敢えて死にに走ったんだから結末ぐらい見届けて然るべきだろ」 「結末、か」 あまりにも杜撰な方法でソレスタルビーイングの情報を探ろうとしたのは単なるポーズに過ぎず、結局は『終わり』を求めての行為だろうと揶揄してやれば、能面のような顔をしていた青年が僅かに頬を歪めた。暗い瞳は怒りに打ち震えるでも復讐に燃えるでもなく、静かな諦観と絶望と軽蔑を湛えている。 「生殺与奪の権利を握っていたと考えていた訳だ。傲慢もいい加減にしろ、人間如きが」 「人間は誰のものでもない空を支配されることにすら怒りを覚える種族だからなあ。これほど傲慢な連中もないさ。オレも含めてな」 批判や非難や軽蔑は紛うことなき事実だと受け止めて。 人間を傲慢と言い切るお前は間違っていない、が、ならば「お前」は傲慢ではないのかと口にすることはない。しかし、場に流れる空気から言いたいことを感じ取ってはいるのだろう。赤毛の青年は相変わらず凍てついた、熱のない、何かが酷く老いてしまったような表情を覗かせている。 今一度、彼の視線が上向いてニールをはたと見据えた。 「―――かつて。お前は復讐するために名前が知りたいと言った」 「ああ」 「いまのお前はオレを殺そうとするか」 「………必要ない」 一度は遣り直すための道を与えられた。その後の家庭環境に問題が生じたとは言え、離れるでもなく態と自滅するような道を選んだ彼の気持ちは分からないでもない。たぶんにその心境は家族を喪った直後の自分と似通った部分がある。何もかもどうでもよくなる瞬間というのが確かにあるのだ―――周りを顧みることなく、結果、更なる喪失を招くことになっても。 報告書を読んだがそもそもお前は誰も殺してない。逆らったのは軍人相手にだけだ。更に言えば手傷を負わされたのはハレルヤひとりだった。なのにどうしてオレが復讐しなくちゃならないんだ、と。 至極まともな答えを返すしかなかった。 なるほど、と、囚われた犯罪者は笑う。 「オレが家族に手を出していれば、そこの男が怪我を負ったのではなく死んでいたならば、お前が銃を片手にやって来ていたということか」 「………」 「軍人が傷つくのは日常茶飯事だ。任務で誰かが怪我を負ったことを心配はしても、怒りはしても、お前は傷つけた相手を恨んだり憎んだりしない。敵が『ヴェーダ』である限りにおいて何も思わない」 身内と定めた者には例外が適応されるとしても所詮『ヴェーダ』は機械だ。憎しみの対象にはしないし、できまい、と。 呟く彼に言い返すことなく、ニールは目を細めた。 後ろに佇んでいるハレルヤの視線がなんとなく気に掛かった。同じ金色の眼が逃げることなく感情を乗せることなく冷静にこちらを捉えている。まったく、これでは。 「ニール・ディランディ。お前が憎んでいるのは『ヴェーダ』ではない。『ヴェーダ』に従う<聖典の使徒>という『ニンゲン』そのものだ」 ………どちらが裁かれているのか分かったものではない。 義理の父親は自分を恐れた。 ――― オマエ ナンカ タダ ノ タニン ナノヨ !! 「………」 ―――連中が憎くて憎くて仕方が無いんだろ? 何もせずに生きていることがイヤになるぐらいに、足掻きたくて堪らないぐらいに、他の何も気にせずに我武者羅に突き進みたいんだろ?
―――オレが兄さんを置いていかないと。
嗚呼、そうとも。 |
話が予定よりもやや違った方向に………おかしいな、兄貴が悩むのはもーちょっと
別の理由からだったはずなのに(苦)
ついでにゆーと今回はハムさんもせっちゃんも回想ライルさんも出てこないはずでした。
ホント行き当たりばったりだな☆