双子の弟とはしょっちゅう些細な喧嘩をしていた。
 本人たちにはどうしようもない理由で「普通」とは言えない兄弟だったからこそ出来る限り「普通」の兄弟であろうとしていた。
 だが、心がければ心がけるほどに理想と現実は乖離していき、上手く行くことよりも上手く行かないことの方が遥かに多くて、しまいには自分まで何が「普通」で何が「普通じゃない」のかが分からなくなってきて。
 謝ればいいと思っていた訳じゃない。
 確かに、自分が彼の立場だったなら同じように怒ったかもしれないが、結局いつもいつも最初に謝るのは自分の方だった。
『ごめんな』
『なんで兄さんが謝るんだよ!!』
『………帰りが遅くなったからさ』
 学校帰りに友達の家に遊びに行った。大勢が集まって一緒にゲームしたり、おやつを食べたり、馬鹿なことをして騒ぐのはとても楽しかった。楽しかったけれど、兄弟揃って来られなかったのは素直に寂しかったから、家で留守番している弟のためにせめてお菓子を持ち帰ってもいいかと友人に尋ねると、ほんとお前って甘いよな! とからかわれた。が、本当のことだからあまり言い返すこともできなかった。
 そのお菓子は、いま、弟に叩き落されて床に散らばっている。
『………なんだよ』
 苛々と弟が片足で床を蹴りつける。
 生まれてきた時は同じだったはずの背丈もいまでは向こうの方が高い。年が経てば経つほどに開いていく身長と体重の差。腕力にものを言わせた喧嘩をしたならば自分に勝ち目はない。なのに、暴力に物を言わせない弟はなんだかんだ言って優しいと思う。
『なんで―――兄さんはいつもそうなんだよ!!』
『そう、って何だよ。訳わかんねえぞ』
『悪いのはオレだろ! なんで兄さんが落ち込んでんだよ!!』
『? 電話で約束した時間より帰りが遅くなったのはオレなんだから、悪いのはオレじゃないか』
『お土産を叩き落したのはオレだ!』
『それはそうだけどさ。でも、お前が怒った理由もなんとなく分かるし』
『どんな理由だよ。言ってみろよ』
『オレが約束破ったから―――』
 途端、問答無用で部屋の外に叩き出された。「兄さんなんて大嫌いだ!!」なんてとびっきりの拒絶つきで。
 反抗期、なんだろうか。
 いや、だったら自分も充分に反抗期なはずだ。同い年なんだし。
 閉ざされた扉を諦め混じりに叩いてみても予想通りに何も反応は返らない。途方に暮れて扉を見詰めていると、騒ぎを聞きつけた母親が顔を覗かせた。
『どうしたの? また、喧嘩?』
『………うん。約束破ったから』
『でも、あなたは謝ったんでしょう?』
『謝ったらますます怒られた』
 なんでだろ、と首を傾げながら母親を見上げると、綺麗な栗色の髪を揺らしながら相手は微笑んだ。
『そうなの。仲がいいのも困り者ね』
『仲、いいのかなあ。オレ、最近あいつと喧嘩しかしてない気がする』
『喧嘩しても一緒にいるじゃない。大丈夫よ』
 ゆっくりと母親に頭を撫でられて理屈ではない安堵を感じる。彼女が「もうすぐ夕食よ」とのんびり呼びかけると、応えるように扉を一度殴りつける音がした。
 果たして夕食の場に弟は出てきたけれど、あからさまに視線を合わせようとはしなかった。自分たちの喧嘩はしょっちゅうなので両親や妹の態度はいつもと変わらない。
 口を利こうともしない姿に寂しくなったが最初に約束を破ったのはこちらだから仕方があるまい。また明日、気分をあらためて謝ろう。決心を固めると少し気分が楽になった。だってオレたちは家族なんだ。どんなに喧嘩したって、嫌ったって、幸か不幸か最後の最後まで繋がりが途絶えることはない。
 寝る準備を整えて後は電気を消すだけ、という段になって微かに自室の扉が開く。
 気にせずベッドに入って毛布に包まって、
『なあ。よかったら部屋の電気消してくれないか』
 ―――呼びかけると、それを合図として扉の影から躊躇しつつも弟が顔を覗かせた。
 先ずは素直に壁のスイッチを押して電気を消して、後ろ手に扉を閉じて佇む。窓から差し込む月明かりだけでは互いの表情なんて読み取りようがない。
 しばらく待ってみても何も動きがないから、苦笑と共に上体を起こした。
『どうした。眠れないのか?』
『………ごめんな』
『急に、なんだよ』
『嘘、ついた、からさ』
 物凄く言いづらそうにしながら弟はぎゅっと手持ちの枕を抱き締める。
 兄さんには腹が立つしムカつくしどーしてこんなのと血が繋がってんだって苛々して仕方ない時の方が多いけど約束破ったのも確かにムカついたけどホントはもっと別のとこでムカついてたのに兄さん全然わかってないからやっぱり腹が立ってすっげぇ気分悪いんだけど、でも、別に、大嫌いってほどに大嫌いって訳じゃない。
 ―――とか何とか、ぶつぶつ小声で呟いて。
 本当にこいつはオレと違って素直で純粋だよなあと微笑ましくなってしまう。
『いいよ。気にしてない』
『気にしろよ』
 気遣う言葉をかけると反撃を食らう。
 眉間に皺を寄せて一歩詰め寄る。
『兄さんはオレに嫌われてても平気だってのかよっ』
『だってオレ、お前にどんだけ嫌われてもお前を好きでいる自信があるもん』
 堂々と胸を張ると、一瞬の沈黙ののち、なんだか酷く呆れたような溜息が零れた。
 話は終わったはずなのにモゾモゾと扉付近で居心地悪そうにしていたから、身体を一生懸命すみっこに寄せて、空いたシーツの上を片手でぽんと叩く。
 小さい頃から使っているベッドは、最近では自分ひとりでも足がはみ出しそうだけど。
『どーだ。一緒に寝るか?』
『………に、兄さんがしたいなら、そうしてやってもいい』
『うん。そうしてくれると嬉しい』
 枕を抱えてきてた時点でバレバレだっつーの、なんてことは勿論言わない。
 答えを聞いた途端にきらきらと夜目にも明らかに瞳を輝かせて弟はベッドに駆け寄る。こいつの方が図体がでかいから大変だ。もっとそっち寄れよ、これ以上は無理だ、オレに譲れ、ベッドの主はオレだぞと、ど突き合いながら寝心地のいい場所を探り当てて、その「一番いい位置」が互いの額を押し付けあう位置であることに何度やっても面映くなる。
 正面から向き合った弟がじっとこちらを見詰める。どれほどに外見が変わってしまおうとも、互いの身体を流れる時間が異なるとも、瞳の色だけはおんなじだ。
『―――ほんとはさ。わかってんだ。兄さんには兄さんの人付き合いがあるんだから仕方ないって』
『うん』
『ほんとはさ。あのお菓子だって嬉しかったんだ。拾って食べたら美味かった』
『腹こわすぞ』
『ほんとはさ。兄さんが妙におとなびてたからムカついたんだ。兄さんは確かに兄さんだけど、オレら、同い年じゃん。なのになんで保護者面されなきゃなんねーの』
『………うん。ごめん』
『だから、そこで謝るなよ。たぶん―――兄さんには一生わかんないンだろうけど、オレは兄さんに謝ってほしくなんかない』
 べたべたに甘やかされてばっかじゃ、オレ、駄目人間になっちまうだろ………。
 呟きを零しながら甘えるように頬を寄せてくるのだからコイツもよく分からない。
 別に甘やかしているつもりはないが厳しくしているつもりもないし、結局は彼の言う通りなのか。でも、例えば自分たちが「普通」の双子として成長していてもやっぱり自分は弟妹に甘かったと思われるから、こればっかりは最早どうしようもない性格なんだと諦めてもらうより他はない。風邪ひいた時もそうだったが、眠りに就く時間帯だけは素直な弟だ。 
 喧嘩した日の夜はこうやって一緒のベッドで眠って、翌日には何事もなかったように仲直りしているのがいつものことだった。今日は弟の方から来てくれたけれど、そうでない場合は自分から彼の寝室を訪れる。夜に訪れれば部屋から無碍に叩き出されることはなく、やっぱり同じように同じベッドで眠るのだから、どう考えても自分も弟に甘やかされているではないかとしみじみ思う。
 でも、いつかは来なくなる。
 黙って傍にいるだけでは許されなくなる。
 薄っすらした予感を抱きながら、だからこそより一層に、この時ばかりは遠慮なく弟の髪を撫でられることが嬉しかった。
 だって、もう、いまの身長差では彼の頭には手が届かない。
 相手が不意に、いたずらっ子のような表情で笑う。
『なあなあ。兄弟でもさ、いまどき同じベッドなんか使わねえよな。仲直りはベッドの中で―――っていうと妙にヤらしくね?』
『お前、深夜番組の見過ぎなんだよ』
『あ。んなこと言っていいのかなー。オレ、知ってるんだぜ。兄さんこないだ夜中に起き出して、』
『深夜アニメ見てたんだよ!』
『あれ、そうだっけ。もしかしてケーブルでやってるむかしのやつ? 実はオレも見たんだけど―――』
 馬鹿なことを小声で呟き合いながらゆっくりと眠りに就く。
 確かに、一緒のベッドで眠るなんてことは、「普通」の、真っ当な兄弟の仲直りの方法ではないのかもしれなかったが、夜の静寂の中で交わす言葉は不思議と素直に受け止められたから、他なんて気にしなくていいんじゃないかと思っていた。
 いまは。
 もう。
「仲直り」なんて、したくとも出来ないほどにすべてが遠く離れてしまったけれど―――………。




 ぽふぽふとやわらかいものが左の掌に触れる。
 懐かしい感触に知らず知らずのうちに頬が緩む。喧嘩をした日の夜は大抵弟と同じベッドで眠った。抱き締めあって眠るだけで本当にすべてのことが許せる気がした。
 大切で、大切で、大切な家族。
 もう、二度とは戻らない―――。
 ………ならば自分はいまいったい誰の頭を撫でているのだろうかとぼんやり考えて、ゆっくりと目を開けた。いつもは枕元に置いてあるはずの時計が見当たらない。しかし、体内時計は現在が起床時刻の間近であることを告げていた。
 胸の中には戻らない日常を嘆く想いと幸福で満たされた感情の両方が犇いている。誰かにずっと抱き締められ、慰められていたかのような情けなさと嬉しさが同居している。あらかじめ『喪う』と知っているぬくもりだ。
 未だ思考回路は闇の中。指先に触れるやわらかさは金属によるものではない。
(ああ、そういやあ―――)
 ハロはドックに預けてきたからいないんだよな、と、ニールは寝ぼけ眼で考える。
 ………あれ。
 じゃあ、いよいよもっていま現在腕に抱えている物体はなんなのか。
 ハロじゃないってことは枕かシーツか毛布か何かか。にしちゃあ手触りがなんか違う。何度か目を瞬かせて、ようやく周囲の輪郭を捉えるようになって抱き締めている対象を視認して。
 ―――石化した。
 赤銅色の瞳がじっとこちらを見詰めている。見慣れた、小柄な、少年。
 ………え゛。
 いつからだ。
 いつからオレはこの体勢ですか。
 むしろお前はいつからこの体勢のまま此処にいますか。
 混乱気味の脳みそが動揺を露にするより早く記憶が甦り、給湯室で蹲っていた刹那を適当にベッドに押し込んだのが己であったことを思い出す。よかった。流石にこの若さで呆けたくはない。しかし自分は床で寝ていたはずで、なのにいまは同じベッドに居るとはどんなカラクリだ。瞬間移動でもしたのか。つーか、まさか、あれか。寝惚けた頭が刹那を自室に連れ込んだことを忘れて「ベッドから落ちるなんてオレもあほだよなー」などと自己解決してベッドに乗り上げたのだろうか。
 瞬きを繰り返し。
 驚いてたって進展はないのだと開き直ることにした。目覚ましは未だ鳴らないけれど起床時刻は間もなくのはずなんだし。
 一先ず、にっこりと笑う。
「よ。おはよう」
「………おはよう」
「よく眠れたか? 勝手に運んじまって悪かったな。深夜だったから大部屋に戻すのを躊躇っちまった。ホントすまん。狭かったろ」
「狭いのには慣れている」
「ははっ、それもそうか! あーんなせまっ苦しい場所で寝てたんだもんな」
 全身縮めて眠ってたんじゃ伸びる背も伸びないぜと嫌味なお節介を零してニールは上体を起こした。並んで寝転んでいた少年も起き上がる。右のてのひらから不意にぬくもりが削がれて、もしかして直前まで互いの手を握り合ってたんじゃないかと危惧したが、彼に限ってそんなことはあるまいとすぐに否定した。なにせ頭を撫でようとしただけで大騒ぎするのだ。並んで眠れただけでも奇跡に等しい。
 そしてまた、直前まで左手が触れていたものの正体を思い出して実にバツの悪い気分になった。幾ら寝惚けていたとは言え接触を嫌う少年の頭を弟と勘違いして撫でまくるとは迷惑この上ない。反省代わりにとっととベッドから抜け出して床に転がっていた時計を拾い上げた。いつもの起床時刻よりも聊か早い。目覚ましが鳴らないように設定を変更してから大きく伸びをする。
 振り返り、すまなかったな、と素直に謝ると何故か首を傾げられた。
「何故、謝る」
「嫌な思いさせたかと思ってさ。お前、ひとに触られるの大嫌いだろ?」
 言いながら、あれ、何処かで聞いたような会話だな、と思い至る。
 直前まで見ていた夢の中。あの時は結局ライルの手によって部屋から叩き出されることとなったが、此処は自分の部屋なので流石にそれはあるまい。
 刹那は無表情ながらも僅かに眉間に皺を寄せた。
「嫌ではない」
「あん?」
「確かに―――この手の接触は嫌いだ。無意味な行為としか思えない」
 街に出るとひっついて歩いている男女がよく居るが、あれが嬉しいことなのか自分には分からない。同年代と思しき子供たちが身体をひっつけてじゃれあっているが、それが楽しい行為なのか自分には理解できない。幼子が親に甘えるのは必要なことなんだと思えるが、自分はそこまで幼い訳でもない。
 ―――だが。
「お前が嫌いということではない」
「………」
「少し触られたぐらいで誰かを嫌いになることはない。お前はいつもオレに触れそうになると遠慮して腕を引くがその必要はない」
「………」
「………べったりと張り付かれるのも困るが」
 予想外の言葉に青年はきょとんとした。
 要するに、彼は彼なりに気にしていたということなのだろうか。自分が訓練の時に、すれ違った折りに、思わず伸ばしてしまった腕を下ろす度に最初の接触を思い出して反省していたのだろうか。だとすれば、それは―――それは、非常に申し訳ないことだ。年端も行かぬ少年につらい思いをさせてしまった。また、同時に、ひどく喜ばしいことでもある。人付き合いが苦手と思しき彼が反省の念も手伝ったとはいえ初めて『好意』に近しい感情を覗かせてくれたのだから。
 ゆるゆると微笑んで、半信半疑でそっと手を伸ばす。宣言は守るとばかりに刹那は身動きせずに黙って頭を撫でられるに任せている。ばかりか、僅かに目を細めて擦り寄るような気配を見せられるに至ってはどうしようもない。なんだこのイキモノ。
(猫みてえ)
 態度も、性格も、髪の手触りも。
 気紛れそのもので。
 くすくす笑いながらぐしゃぐしゃと相手の髪をかき混ぜる。ニールはひどく上機嫌になった。だから、上機嫌なまま次の言葉も発した。

「ありがとな、―――セイエイ」

 直後。
 微かに刹那は身を強張らせて。
 徐々に、徐々に、緩んでいたはずの眉間の皺が元通り強くなって、最終的にはいつも以上に不機嫌そうな顔つきとなった。こちらとしても態度の急変に吃驚だ。思わず手を退ける。
「………セイエイ?」
 何が気に触ったんだかさっぱりだ。もしかして、ちょっと許してもらえそうだからと調子に乗って髪をぐしゃぐしゃにしたのがいけなかったのだろうか。
 ベッドから飛び降りた刹那はツカツカと出入り口に近づくと幾分控えめにガチャリと戸を開ける。
 振り向いて。
「お前は分かっていない」
「は?」
「―――先に行く」
 言い捨てて出て行く。
 慌てて廊下を覗き込んだが振り向く気配すら見せずにどんどん行ってしまう。追いかけるべきか放っておくべきかと悩んで、追いかけたところで怒られた理由が分からなければ激昂されてしまうだけに違いないと思い直す。
 夢の中で部屋を追い出されたのは自分だったが、現実では刹那が部屋を出て行ってしまった。しかし、どちらもニールが何らかの理由で相手を怒らせて「見捨てられた」点では変わりない。下ろした視線の先、右手の絆創膏は既に取れかかっていた。
 なんとはなしに傷跡を左の指先で辿りながら。

(………お前らの考えなんて、いまもむかしも全然わかんねーよ)

 青年は深い溜息を吐いた。




 すっきりとしない気分のまま朝食をすませ、本日分の進行を記した書類を管制室で回収する。
 若干の溜息と共に歩いていると途中でグラハムと出会った。
「おはよう、グラハム」
「おはよう、姫! 今日もまたよい天気だな!」
「空の上なんだから当たり前だろ」
 こいつは相変わらずだなと冷静な突込みを返しながらもゆるく微笑む。
 一応、デュナメスの中でプログラムの進捗状況に一通りの目を通してはおいたが実際に指揮を取っていた者の意見も聞いてみたいと考えていたので会えたのは渡りに船だ。
 口を開こうとして、ふと、相手がじっとこちらに視線を注いでいることに気付く。首を傾げることで疑問を示せば、やたらと強い頷きを返された。
「元気そうで何よりだ。昨日はよく眠れたのかね?」
「あー………、うん。だな」
 未だ彼には帰還の挨拶も何もしていなかったことを思い出して右手で頭をかく。気にかけていたのだと全身で訴えられて居心地が悪いような、照れ臭いような。
 確かに、ブリングの一件が尾を引いていると言えば引いていた。しかし、軍人たるもの、いつまでもひとつの事件に拘っていることはできない。いまは優先すべき事項が他にある。悩むならばひとりの時間に幾らでも悩めばよいのだ。私事で仕事に支障を来たすなどあってはならない。
「悪かったな、心配かけて」
「君が笑ってくれているならば私に否やはない。ところで、君は既にあの少年と話はしたのかね」
「姫じゃねーっつの。まあ、―――話すことは話したぜ」
 訳の分からんうちに怒られてそれっきりだが、なんてことを打ち明けたりはしない。並んで互いの受け持つ生徒たちのもとへと向かう。
「そうか、ならば安心だ。ところで、姫よ!」
「姫じゃねえっつの」
「とうとう君のクラスと私のクラスが戦闘シュミレーションで対峙するのだ! 本来ならば異なる対戦カードであったものを真っ向から遣りあうこととなるとは、こればかりは不謹慎と知ってはいても不幸中の幸いであると言わせてもらおう!」
「お前が戦う訳じゃないだろ。教官のくせに模擬戦闘に割り込んでくるつもりかよ」
 最近、繰り返し行っていた仮想空間を使っての模擬戦闘。今日はいよいよ本格的なシュミレーターを用いての合同訓練となる。クラスの代表者一名が戦闘機のコックピットを模したシュミレーターへと乗り込み、他の訓練兵たちはこれまで通りに個々のパソコンを使って仮想空間にログインして代表者の戦闘をサポートするのだ。彼らの目には対戦クラスの戦闘機が浮遊センサーに見えるよう細工してある。
「こちらのクラスに突出した者はいないが、皆、なかなかの腕前だと自負している。午前中の成績を加味してからの判断とはなるが、おそらく代表者はアランになるだろう。君のクラスの代表は誰かね?」
「―――刹那だな」
 隠そうかとの考えがちらりと浮かんだが、どうせ午後には判明するのだ。特にグラハムは正々堂々とした戦いを好む。代表者が刹那であれ他の誰であれ、卑怯な作戦など取ったりしない。
 名前を聞いた途端にグラハムはあからさまに喜びのオーラを放ち出す。
「願ったり叶ったりだ! 彼ならば相手にとって不足はない!!」
「あのなあ、グラハム。これはあくまでも生徒同士の戦いなんだからな。オレやお前の役割は制御室からの作戦指示だけだぞ」
「分かっているとも! 君と私のどちらが優秀な指揮官であるかが判明すると言う訳だ!!」
「本場の隊長が作戦負けしたら洒落にならんだろ………」
 溜息と共に顔を覆って項垂れる。
 グラハムがフラッグ部隊を統率しているのに対し、ニールは部下のひとりも持ったことがない。階級の問題はクリアしているのに部下がいないのは使用戦闘機が『ガンダム』であることもさることながら、特殊任務の内容も影響していた。最後の作戦で「特攻兵」として使用すべき『狙撃手』の出撃回数を少なくするための苦肉の策だ。
 強いて言うならば同じ『ガンダム』乗りであり、どのチームにも属していないティエリアが部下に相当するのかもしれなかったが、そんなことを告げたが最後、激昂した少年は「誰が部下ですか!」のセリフと共にヴァーチェごとドックに引き篭もってくれるに違いない。
 なにもかもを吹き飛ばすような強さでグラハムが笑う。
「勝負は時の運とも言うぞ! 実際、私は君に命を救われた立場だからな。戦闘中は何がどうなるか分からん。もとより、君とて新兵たちの戦闘能力すべてを把握してはいないはずだ」
「まあな」
「勝負に絶対などないのだ。ましてや今回の敵は『ヴェーダ』ではない。絶対の勝利を収めなければならぬ背水の陣など敷いてはいないのだ。死力と知力を尽くしたのちに破れるのであれば悔しさを覚えるとも後悔を覚えることはない。それとも、姫は常に負けることを想定して出撃していると言うのかね」
「バカ言え」
「うむ。互いにベストを尽くそうではないか」
 丁度、お互いの担当する教室への入り口前で足を止めて。
 グラハムが差し出してきた手をまじまじと見詰めてしまう。この場でやる意味はあるのかとか、午後の授業で顔合わせした時にやりゃあいいじゃないかとか、いちいち発言が熱血してて恥ずかしいんだよお前の精神年齢はジュニア・スクール並みかとか。
 突込みどころは数あれど、生憎、ニールはこの手の人物を好んでいた。楽しめる時に楽しめることをして、いつだって精一杯の日常を送るような。苦笑と呼ぶにはやわらかすぎる微笑を浮かべて差し出された手を握り返す。
「手加減はなしだぜ、グラハム」
「望むところだ」
 そうでなくては! と抱き寄せられて、偶にはいいかと流されそうなこころを打ち消して代わりに相手の顔面に資料の束を叩き付けた。
「いきなり何しやがる」
「隙だらけのくせに肝心なところでガードが固いとはどういうことだ、姫」
「姫じゃねえ」
「わかった。ならば私が勝利した暁には君に再びの剣を捧げると誓おう」
「………………………要らねえよ」
 もう、大丈夫だから。

 

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※WEB拍手再録


 

更に1エピソード入れると長くなっちゃいそうなので一回ここで切っときます。

急に刹那さんが不機嫌になったのはあれですよ。名前呼びがリセットされたからですよ。

乙女心は難しいのですよ(違う)

 

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