地を這うような機動音と共にモニターが浮かび上がる。通信状況は問題ない。個々のパソコンも正常に稼動している。薄暗い部屋の中でスクリーンだけがぼんやりと光を放ち、ほぼ全員が仮想空間にダイヴするためのゴーグルを備え付けている様を事情を知らぬ者が見たならばかなり不気味なんだろうなとニールは微かに笑った。
「きちんとログインは完了したな? 現時点でアラートが出ている奴は手を挙げろ」
 画面の状態がおかしいとか音声が聞こえないとか、幾つかの不具合を訴える新兵のもとへ赴いて調節する。
 シュミレーションを行うためのコンピュータはプトレマイオスの中央付近にあり、それを取り囲むように幾つかのレクリエーションルームが設置されている。各部屋からは真ん中に佇む塔の如きコンピュータと、他のレクリエーションルームや室内に居る者たちの姿を捉えることができる。窓に近づいて下方を覗き込めばコンピュータと直結された戦闘機のコックピットを模したシュミレーターが視界に映った。
 つい先刻、自分のクラスとグラハムのクラスで顔合わせを済ませた。こちらの代表は刹那で、向こうの代表は金髪の指揮官が告げた通りにアランという青年だった。互いに握手をかわしてからシュミレーターに乗り込む姿を少し下がったところからニールは見ていたが、刹那は未だに不機嫌なようで、模擬戦闘とはいえこれから一戦かますってのにまだ怒ってんのかとちょっとだけ困ってしまう。
 席に戻って戦闘機の配置を確認する。彼らは仮想空間に居るが、ニール自身は「現実世界」に留まったまま指示を下す。新兵たちに戦闘機の操縦に慣れてもらうことが主たる目的の訓練ではあるが、一方では指揮官の素質を見抜くために用いられることもある。軍はいつだって優秀な人材を求めているのだ。なんとなくではあるが、疾うに隊を率いているグラハムは別として、今回の訓練期間を終えたらアレルヤ辺りは指揮官に抜擢されるのではないかと踏んでいる。
 モニターで様子を確認しながら無線のスイッチを入れた。
「セイエイ、そちらの状態はどうだ」
『問題ない』
「シュミレーターが妙な動きをしたらすぐに知らせろよ。メカニックも隣室に控えているからな」
 同じくコンピュータを望むことができる一室にはイアンを始めとした専門家たちが詰めている。精密に作られたシュミレーターだからこそ何かあった時の害は想像を超えることがある。物理的な問題も、精神的な問題も、だ。
 だから実は彼らの部屋には特別なコンピュータが設置されていて、いざとなれば個別の戦闘プログラムを侵入させることも可能になっている―――なんてことを新兵たちに伝えたりはしないけれど。
 戦地は砂漠地帯で身を隠せるような場所もなければ、突風や砂嵐などのイレギュラー要素も組み込まれていない極々単純な立地設定だ。
 作戦はシンプル極まりない。刹那をトップとして幾つかの小隊を作り、敵が現れたら一機で突出することはせず、必ず複数で向かうのだ。ただし、敵を包囲するには細心の注意が必要となる。以前のシュミレーションでもあったが、下手すれば敵に攻撃を跳ね返された挙句、自軍の戦闘機を誤って攻撃してしまう可能性もあった。いつ如何なる時であっても己が一撃の行く手を考えろとは難しかろうが、敵が直線で突っ込んできてくれるとは限らないのだから仕方がない。
 スメラギやカティのような作戦を立てるのは不得手だし、グラハムのように一個小隊を率いて戦闘を行った経験がある訳でもない。「敵がグラハムである」という点は作戦の立案に有効な情報ではあったが、本来の敵は『ヴェーダ』であり、浮遊センサーであり、彼ではない。まあ、お前が勝って当たり前だろうと告げはしたものの、クラスの皆に「勝利」の感覚を味わわせてやりたいとの思いは勿論もっているが。
 今回は相手を全滅させるか、すべての機体が戦闘空域を離脱した際に戦闘機の残数が多かった方か、代表者の乗る「司令官」を倒した側が勝利となる。だが、「司令官」を倒しても自軍の残りがあまりにも少なかった場合には引き分けとされる。単純な数の勝利ではないのだ。
 グラハムに画面上で状況を問えば「OK」との通信が返る。
「全員、出撃!」
 ニールの指示を元にスクリーン内の光点が移動を開始する。青い点が自軍。赤が敵軍、もとい浮遊センサーだ。マップ上に点在する光はまさしく「駒」。普段、出撃した際の己もプトレマイオスから見れば点にしか過ぎないのだなと今更のことを考える。
 忽然と画面上に赤い点が姿を現した。
「隊長! 敵です!」
「慌てずに一機ずつ対処していけ。セイエイ、聞こえてるな? 倒すことに固執する必要はない。お前が倒せなかった分は仲間がフォローする。先ずは司令官機を探せ。外見からじゃ判断つかんだろうが、必ず、動きが違うのが一機だけいるはずだ」
『了解』
 通信機ごしに聞こえる少年の声は冷静極まりない。他の新兵たちは年齢に関わらず何処か浮き足立っているというのに、この落ち着きはなんだ。薄々感づいてはいるものの、時世柄、平穏無事な生活を送ってきた者ばかりではないと己を納得させる。
 現時点ではグラハムも隊を小分けにして各個撃破の姿勢を崩していない。理論も作戦もあったものではない、単純に正面から自軍と敵軍をぶつけるのみ。分かりやすいと言えば分かりやすいがこのまま容易く済む話でもあるまいと警戒する。
 教室内の其処彼処で機体の損傷を訴える声が上がった。何機かは撃墜される。敵も同様だ。実際の戦闘であれば焦る局面ではあったが、幸か不幸か仮想空間上の出来事だ。迎撃されて強制ログアウトとなった者たちにはモニター上で戦況を確認するよう指示しながら、どうもおかしいなと首を捻る。
 刹那だ。
 刹那の行動が妙に安定しない。
 機体に損傷が出ている訳ではないし、敵を撃墜して充分な役割を果たしている。が、先程までは「冷静」と思えていた彼の態度が実は見せ掛けだけではないのかと思い至り、青年は表情を険しくした。
「セイエイ、突出しすぎだ! ひとりで敵陣に飛び込めば狙い撃ちにされるぞ!」
『わかっている』
「だったら少し下がれ。後続との距離を確認しろ」
『駄目だ。ここで退いたら敵を倒せない。―――司令官機を確認。追跡する』
「セイエイ!」
 こちらの声を無視して更に刹那は速度を上げると、眼前で待機していた浮遊センサーを撃墜した。倒した数だけ見るなら優秀。だが、今回の戦闘データはログが取られているのだ。命令違反が重なれば庇いきれなくなる。どれほどに能力が高くとも「反抗的」と看做されれば戦闘機には乗れない。許可が下りない。喩え乗れたとしても「枷」がつけられる。
 クラスの一画から声が上がった。
「た、隊長!」
「どうした!」
「高度が危険域に達していて………! これ以上は逃げ切れな、うわ、わっ!!」
 モニター上で光が点滅して青い光がひとつ消え失せた。ロスト。
(―――なるほど)
 そういうことか、と眉間に皺を寄せる。
 グラハムは正面からぶつかって体力を削りあう一方、少しずつ自軍の高度を下げて敵の―――こちらの高度が上がるよう心がけていたのだ。戦闘機に乗る者がいついかなる時にも忘れてはならない絶対的なルールを利用して。
 成層圏離脱領域。
 一定の高度より昇れば『ヴェーダ』に撃墜される。それは、喩えスクリーン上の模擬戦であっても再現されている。モニターでは互いの姿が浮遊センサーに見えていても実際の乗り手は「ニンゲン」なものだからこんな制限が出てくる。下から敵に、上から『ヴェーダ』に挟まれた自軍は移動範囲がひどく制限されてしまった。本来なら自由に飛び回れる戦闘機においては不利な状況だ。
「全軍散開! 以前に乱気流に巻き込まれた時の対処法を話したことがあったな。そん時の要領で一旦退却しろ」
「無理ですよ、あんな難しいの!」
「攻撃も避けながらですよね!?」
「無理でも何でも、やらなきゃ撃墜されるだけだ。CチームとDチームは敵の攻撃を牽制! 行け!!」
 自分が参戦していれば少しは援護してやれたろうかと鑑みながら檄を飛ばす。何名かは操縦が上手く行かずに殆ど錐揉み落下となっていたが辛うじて体制を整えつつあった。
 小賢しい手だと笑われようと新兵たちが戦闘内容に消化不良を覚えようとも構わない。戦いは派手なものでもなければ華やかなものでもない。逃げることが結果的に勝利に繋がることもある。生きていればどうにかなる。死んではいけない。現時点で特攻ばかりが有効な策だと思われては困るのだ―――臆病者の知恵でも何でもいい。数を保ったまま逃げ延びさせてもらおう。
 こちらの考えに気付いた敵側が追撃してくるが、既に味方の何機かは戦闘空域のギリギリまで後退しており、他の仲間たちのために威嚇攻撃を繰り返す。
「セイエイ。―――セイエイ、応答しろ! 撤退だ!!」
『………倒す。敵を倒す。倒せば終わる』
「浮遊センサーは一時的に遠ざけることができてもいずれは復活する。完全に叩きのめすなら『ヴェーダ』ごとだ。だが、いまはそうじゃない。分かっているはずだ」
『倒す―――オレが、オレが倒す!』
 応えになってない応えに思わず舌打ちした。
 現実に近いシュミレーターに乗り込んだことで錯乱しつつあるのか。直前に行った検査では刹那は体力的にも精神的にもほぼ理想のパイロットに近かった。慌てず、焦らず、常に冷静に上官の指示に従う、よくできた「兵士」だと。
 だが、実際はどうだ。彼はこちらの命令など気にも留めずに敵陣に突っ込んでいく。
 モニター上で青い点と赤い点が交錯する。敵は高度差を利用した作戦に見切りをつけ、追撃を行う組と突っ込んでくる刹那を迎え撃つ組に分かれたようだった。このままでは集中砲火を浴びる。器用に旋回しながら攻撃を避けた刹那の機体は真っ直ぐに司令官機を目指していた。
「うわっ!!」
 教室の一画で悲鳴が上がって自軍の戦闘機がまたしても撃墜されたことを知らせた。こちらの予想よりも味方の減りが早い。牽制も行わずに即座に撤退しろとの指示を下せば、モニター上に残るはただひとつの青い点と複数の赤い点のみとなった。
「セイエイ! ………セイエイ! 応答しろ!!」
 反応がない。時に聞こえるのは「倒す」、「戦う」、「追い詰める」等の物騒な単語ばかり。咄嗟に強制ログアウトさせようとした指がギリギリで止まる。刹那が深く仮想空間にのめり込んでいたとしたら危険すぎやしないかと瞬間的に躊躇ったのだ。
 ふと、モニターに変化が生じる。散在していた敵軍が素早く身を翻すと共に、やたらと動きの機敏な機体が真っ直ぐ突っ込んでくる。無線機ごしに刹那の緊張が伝わった。
「くそっ!」
 手元の小型端末を立ち上げる。回線を調整して同じ画面が投影されるように設定し、無線機の機能はONにしたまま席を立った。
 離脱を終えた新兵たちが不安そうにこちらを見遣る。
「きょ、教官………?」
「様子を見てくる。しばらくここで待機しててくれ」
 レクリエーションルームから飛び出すとそのまま通路を走り出した。
 画面上の展開は刻々と変化している。赤い点と青い点が互いを窺うように距離をおきながら時にすれ違い、時に片方が片方を追いかける。どちらの動きも大したものだが明らかに違うのは赤い点―――敵側の動作だ。司令官機と思われるそれは、当初はこんなに機敏な動きなどしていなかった。アランという青年が突如として能力に開花した訳ではあるまい。非常に使い慣れた、玄人の操縦に他ならない。
(割って入ったな、グラハム………!!)
 刹那の暴走は誰が見ても明らかだったはずだ。他の機体を撤退するだけ撤退させて、戦闘空域に機影が無くなれば刹那も攻撃の手を休めたろうに、何故か一機だけ残って挑発を繰り返し、結果、こうして拳を交わす羽目になっている。
 まさかとは思う。まさかとは思うが、グラハムは意外と好戦的であることを知っている。少なくとも降りかかる火の粉は掃うタイプである。ましてや彼は以前から刹那と一戦願いたいと語っていたこともあり、どうにも不安が拭い切れない。
 実際、洩れ聴こえてくる通信機の音声と言えば。
『流石だな、少年! 初めて乗った機体をそこまで使いこなすとは将来有望だ!!』
『邪魔だ、退け!!』
 ―――という非常に頭の痛くなるような会話だった。
 グラハムの搭乗機体の「設定」が弱いのか手加減しているのか楽しんでいるのかは分からない。おそらくは全てが原因だが、とにかく、初心者の刹那と比べたらグラハムの方が強いはずなのに戦闘が長引いている。遊んでないで早々にシュミレーションを切り上げろと思う一方で、刹那がやられたらやはり腹立たしくなるのだろうと考える。更に苛立ってならないことに、己が胸中に浮かぶ感情と言えばどう考えても除け者にされていることに不貞腐れた子供の思考そのものだったので、もはや舌打ちのひとつやふたつでは済まされない。
 命令違反を繰り返す刹那は論外、シュミレーションに割って入ってきたグラハムも論外、場違いな怒りを抱いている自分は輪をかけて問題外だ。
 勢いよく控え室の扉を開けると対処に困っていたらしいイアンたちと目が合った。
「おお、ニールか! 助かった、どうすればいいか迷っててな」
「強制的にログアウトさせれば済む話じゃないのか、おやっさん」
「無理に切り離したところで当事者たちが『終わった』ことに気付かないと話にならん」
 どちらかが「負け」てどちらかが「勝つ」。明確な勝敗がつかない限り本人たちが戦闘の終結を自覚することはないだろう。しかして予想外にも両者の実力は拮抗―――主にグラハム側の理由により―――しているために時間だけが無意味に過ぎていく。戦闘シュミレーションはよくできた仮想空間であるから尚更のこと、一定時間以上、ダイヴしたままでいるのは精神衛生上よくないのに。
「要するに―――ふたりとも『負け』ればいいんだな」
「ああ?」
 訝しげな表情になるエンジニアたちの視線と疑問を余所にニールは一台のコンピュータに近づいた。
 何かあった時のためにと用意された端末に近づき、素早くIDとパスワードを打ち込んだ。普段使用している教官用のものではない。いざとなれば個別の戦闘プログラム―――『ガンダム』を、登場させるためのものを。
 青年が何をしているのかに気付いたメカニックが慌てた声を出す。
「おい、何して………!」
「悪いな。借りるぜ、おやっさん」
 にんまりと笑いながらバイザーを装着すれば瞬時に世界が切り替わる。
 荒涼とした大地と抜けるような青空、至近距離には見慣れた操縦桿とハロ用の台座。相棒の姿こそないが制御ならば幾らでもできる。デュナメスの操縦で迷うことはない。

 ―――ィィィイイ………!!

 耳を劈く轟音に『空』を見上げる。太陽を背景にふたつの機影が激しい交戦を繰り広げていた。片方の攻撃を片方が交わし、時に岩陰に隠れ、時に上空へと移動し、『ヴェーダ』の攻撃の届かぬ範疇で旋回しながら相手の隙を窺う。「異分子」である自分には彼らの姿がどちらも戦闘機であると捕らえられているが、当事者たちには、『ガンダム』も含めたすべての「敵」の姿が浮遊センサーとして認識されているはずだ。
 新たなる機体の登場に彼らは気付いていない。気付いていればあのような馬鹿げた行為などすぐにやめている。眼前の敵を倒すことに夢中になりすぎて新たな「敵」の出現に気付いていないのだ。空での戦いが初めてと思われる刹那はまだしも、グラハムに至っては何やってるんだと罵りたくなるような初歩的なミス。楽しすぎて気付いていないのか、気付いているけれども刹那との戦闘が楽しいから敢えて無視しているのか。
 いずにれにせよ通信機から聞こえてくる会話は、
『甘いな、少年! そのような攻撃で私を倒せるとでも思ったか!!』
『邪魔だあああああ!!』
 ………実は「会話」ですらなく単なる独り言の掛け合いで。
 ならばこちらも勝手にやらせてもらおうと、腹の奥が沸々とした熱で埋め尽くされる。
 わかっている。わかっているとも。
 こんなの単なる八つ当たりだ。大丈夫だと思っていたのに、割り切ったはずなのに、先日からの一件が頭の隅にこびり付いてどうしようもなく苛立たせてくれているだけなのだ。言葉での呼びかけなどしてやる余裕もないほどに。
 密やかに手元の操縦桿を調整し、鈍い音と共に照準をセットした。
 距離がある。相手の動きも素早い。敵は二体、こちらは一体。数の上でも不利だし、パイロットとしての腕前はグラハムの方が上だ。
 だが、いまのふたりに負ける気はしなかった。
「目標補足」
 鋭い眼光で遥か上空にいる二体を睨みつける。
「出力調整」
 決着を願うなら「同時」に仕留めてやればいい。簡単な話だ。
 グ、と引鉄に力を篭める。
 仮想現実の太陽を背景にふたつの機影が重なった瞬間。

「狙い撃つぜ―――っ!!」

 デュナメスの攻撃が二機を同時に貫いた。
 平衡感覚を失った影が回転しながら堕ちて行く。幾度も実際の戦場で目の当たりにした光景。現実ではないとしてもあれに乗り込んでいるのは刹那であり、グラハムだ。激しい爆破音と共に両機が地面に激突したのを悔しそうに見詰めてから、ニールは再度モニターを確認した。
 敵機なし。共にロスト。
 きつく歯を食いしばりながら仮想空間から退出する。
 現実に戻った瞬間に眼前のモニターを力任せに叩き付けた。室内に響いた鈍い音にイアンたちが驚きの色を浮かべている。でも、どうしようもない。
 黙って自らの行動を見守ってくれた彼らに謝罪や労いの言葉をかけることもなく部屋を飛び出した。
 シュミレーターのある中央の部屋に真っ直ぐに向かう。
 扉を開けた瞬間、席を譲っていたらしい困り果てた表情のアランと目が合い、ついで、頭を抑えなながらシュミレーターから出てきたグラハムと視線が交錯した。
 珍しくも「すまない、調子に乗りすぎたようだ」と反省の言葉を伝えてくる。普段ならば不機嫌な顔をしながらも素直に受け止めてやれたかもしれない。呆れつつも溜息をつくぐらいで済んだかもしれない。
 だが、いまは、駄目だ。
 目の前にちらつくのは全てを諦めきったような金色の瞳。所詮「ニンゲン」は「ニンゲン」なのだと言い切った彼の言葉、態度、絶望、それらの咎をひとりで受けきる必要はないのだと思っても、記憶の彼方に滅却するには早すぎる。
 ドン!
 強く、右の拳ですれ違い様にグラハムの胸元を叩いた。
 金髪の青年が驚愕の色を浮かべる。慌てて振り向いた彼の目に当惑と気遣いが滲んだのを敢えて無視して、いまひとつのシュミレーターへと歩み寄った。
 扉が開き、呆然とした体の刹那が姿を現した。未だ仮想空間と現実の切り替えが上手く行っていないのか、何度か頭を振る。大丈夫かと声をかけたくなるのを堪えて先ずは様子を観察する。意識はしっかりしているようだ。足元もふらついてないし、少なくとも表面上の問題は見受けられない。ぼんやりとしていた目がしっかりと自我を宿し、面を上げる。
 彼の視線がこちらに向いた瞬間に右の拳を振り上げた。
「―――!!」
 息を呑んだのは刹那か、グラハムか、アランか。
 頬に一撃くらった少年がもんどりうって倒れ込む。僅かな間を置いて上体を起こした彼の口元には血が滲んでいた。
「………どうして殴られたのか分かるか」
 落ち着きを取り戻すように握り締めていた拳を解いて軽く振る。
 蹲った体勢のまま刹那が真っ直ぐにこちらを見詰め返した。
「オレは撤退を命じたはずだ」
「遠い管制室の判断よりも現場の状況が優先される場合もある」
「それは、既に何度も戦場を経験したベテランのパイロットだけに許される特権だ。お前は違う」
「戦いなら慣れている」
「ひとりの戦いには、か?」
 断言してやれば僅かに刹那が目を瞠った。
 この場に留まるべきではないと判断したのか、グラハムがアランを伴って部屋を出て行く音がした。見送ることもせず、ニールは頑なに少年から目を逸らそうとはしなかった。
「―――確かにお前は戦場を経験してるんだろう。動きを見ていれば分かる。けどな、個々の戦闘力は勿論重視されるとしても、軍隊でより必要とされるのは統率力だ。全員が揃ってひとつの作戦を決行しようとしてるってのに単独行動を繰り返されたら困るんだよ」
「敵を倒した方が味方が攻撃されずにすむ」
「刹那!!」
 舌打ちと共に軍服の襟首を引っ掴んで刹那の身体を持ち上げた。小柄な身体は宙に浮き、爪先が辛うじて床に接する程度になる。彼の瞳は揺らがず、だからこそ余計にニールは苛立つと共に、どうしようもない切なさを感じた。
 どうしてこいつは、こんな―――子供なのに。
「何故、分からない!」
「分かっている。オレが命令に従わなかったからお前は怒っている。軍人は須らく命令に従う機械のような存在であれとお前は願っている。戦うのはニンゲンなのに」
「ああ、そうだとも。だが、それだけじゃない」
 ニンゲンを機械のように扱うつもりなんてないと建前を並べ立てることはしない。所詮は軍の狗。使い捨ての小石。代わりのきく歯車だ。分かっているし、理解しているし、その上で従軍しているのだから刹那の何処か責めるような言葉にたじろいでなんてやらない。
 我慢できないのは。
「どうして、ひとりで行こうとする………!!」
「っ………」
「単なるシュミレーションだと理解してるから無茶したんだとか言い訳すんなよ。完全に混乱してたろうが。お前はあの時、確実に『戦場』にいた。その上で撤退命令も聞かずに単独で戦い続けるのが上策か? おやっさんの言葉を忘れたとは言わせないぜ。敵は機械だ。ニンゲンは死ねば終わりだが、連中は修理さえすれば何度でも甦る。オレたちが仕掛けてるのは圧倒的に分の悪い消耗戦なんだよ」
「―――だが、」
「敵を倒せばその間に味方が逃げられる? ああ、確かにそうかもな。けどな、お前が援護に回らなかったために撃墜されちまった味方がいるってことを忘れるな!」
 ぐ、と、刹那が喉を詰まらせる。赤茶色の瞳を大きく見開いて何かを言いたそうに唇を開き、しかし結局はなにひとつ呟くこともなく。
 吊り上げていた身体を下ろし、それでも掴んだ相手の首元を解放することなくニールは叫んだ。

「―――敵を倒すことよりも、自分と仲間の命を守ることを優先しろ!!」

 それができないなら軍なんて辞めちまえ!!
 刹那が息を呑む。
 握り締めていた掌を離せば数歩ばかりの蹈鞴を踏む。彼にしては珍しい当惑と驚愕を瞳に滲ませたままこちらを見上げてくる。赤く腫れ上がった頬が痛々しかった。
 加害者である自分が心配するのはお門違いである。殴った拳の方が痛くとも、事これに関して謝罪するつもりなど更々ないのだから。
 幾許かの躊躇いを挟んだのちに、それでも、一言だけ呟いた。
「―――医務室でちゃんと手当てしてもらえよ」
 言い置き様に踵を返して部屋を後にした。刹那がどんな表情をしているかは分からない。きっと、理不尽な上司だと憤っているのだろう。確かに、メカニックであるイアンには「生き延びろ」と告げられはしたが、軍に所属している以上、捨て駒であることを意識して戦う局面の方が余程に多い。ともすれば敵を巻き込んでの自爆としか思えない作戦すらも決行される現場において、味方の命よりも敵の殲滅を優先されるであろう戦場において、ニールの言葉は愚かすぎるとも言えた。
 ニンゲンとしては正しいのかもしれなくとも、軍人としては間違っているであろう答え。
 扉の向こうではグラハムが腕を組んだまま壁に寄りかかっていた。目を閉ざしたまま微動だにしない彼の前を、何歩か行き過ぎたところで声を発する。
「………グラハム。悪いが、オレのクラスの皆に午後は自習にするって伝えといてくれないか」
「自習では彼らとてやる気が削がれてしまう。任せておけ。有意義、かつ有用な訓練を積んでおこう」
「頼む」
 漸く振り向いて口角を上げる。
 上手く笑えていたかは分からないそれは、案の定どこか歪んでいたのだろう。目を瞠った金髪の青年がすぐに沈痛な色を浮かべた。
「―――ニール。今回の件については私にも落ち度がある。好奇心に負けて無茶な真似をした。君が責任を問われるならば私も共に負うべきだ」
「あいつに手を上げたのはオレだけだ」
 ンなことよりもお前は教室に戻って皆を指導しといてくれよと曖昧に笑う。
「丁度いいと思うんだ。ちぃっとばかり―――苛々してて、さ。それを訓練の場にまで持ち込んじまうだなんて教官失格もいいところだ。只でさえ休みがちなのに不祥事まで起こして、申し訳ないったらありゃしねえ。クラスの連中にも顔向けできねえよ」
 ほんの少しでいいから冷静になるための時間をくれと言い残して。
 再び正面を向いて肩越しにひらひらと手を振った。背中に視線は感じるけれど、追いかけてくる声も足音もなかったことに安堵する。下手をすればグラハムにまで愚痴を零してしまいそうだった。それだけは避けたいと感じたのだ。
 プトレマイオスは幾つもの階層に分かれた深い船で、最下層には命令違反を犯した者や謂れなき暴力を振るった者などが独房に閉じ込められている。室内は狭く、白く、窓のひとつもなく、閉所恐怖症の人間ならばすぐに音を上げてしまうような場所だったが、自省を促すには適切な場所と言えよう。
 出入り口の前では今週の張り番であるリヒティがのんびりと椅子に腰掛けて寛いでいた。
「ニールじゃないっすか。どうしたんです。いま収監されてる面子に用事でもあるんすか」
「いや、そうじゃない。何処か空いてる部屋があったら教えてくれ」
「三号室なら空いてますけどね。―――何かあったんすか?」
 備え付けのファイルにさらさらと署名して手渡すと実に奇妙な表情をされた。自分で自分の収監理由を書く者などそうはいまい。
「部下に対して暴力を振るったため、って………え? ニールが?」
「始末書を書く前に自己反省させてくれ」
 苦笑いしながら出入り口を潜り、リヒティに自分専用の端末を押し付けてから三号室の扉を開ける。
 きちんと閉めてくれよと頼んで扉を内側から閉じると、僅かな躊躇いののちに施錠される音が響いた。次いで、微かに響く電子音。独房の鍵は旧式の鍵と電子ロックを併用した二重施錠となっている。これでもう中からはどんなに望んだところで開かない。
 深く溜息をついて床にへたり込むと背中を壁に預けた。
 窓もない、家具もない、音もしない、天井付近に取り付けられた照明が放つほのかな光のみがすべてを照らす狭い部屋。
 膝を抱え込むようにして顔を埋めるとどっと疲れが襲ってきた。一晩寝たことですっかり回復したつもりでいたが、本当は違ったのかもしれない。無理をせずに休めばよかったのだろうか。演習はグラハムかアレルヤに任せ、自室に篭もって思う存分後悔と反省を繰り返していればよかったのだろうか。そうすれば喩え同じような出来事が起こったとしても―――刹那を殴ったりせずにすんだのだろうか。
 右手が痛い。
 殴ったことを謝るつもりはなくとも、いざという時に拳を振るうことでしか咄嗟の感情を表現できない己を苦々しく思うのだ。もしもこれが以前に会ったアザディスタンの皇女ならば優しく言い聞かせることで刹那に大切なことを伝えられたろうに。
 痛み出した頭を抱えると本当に小さな声で「ちくしょう」と呟いた。




 ―――どれぐらいそうしていただろうか。
 照明がつきっぱなしの独房の中では時間の経過さえも曖昧だ。これまでに培ってきた経験と体内時計の様子から二、三時間程度しか経っていないだろうと凡その判断を下す。
「つっ………」
 蹲った体勢で眠っていたために体中が痛い。軽く目頭を抑えて自らの状態を確認する。
 体調は、悪くない。腹も減っていないし喉も渇いていない。実際に外に出て誰かと話してみるまで断ずることは難しくとも、苛立ちは、たぶん、少しは収まった。誰かと話すならばスメラギかグラハムかセルゲイがいい。いずれにせよその三名とは謝罪も含めて顔合わせに行く必要を感じていた。特にグラハムには色々と迷惑をかけてしまっている。彼の言葉通り、刹那との戦闘を不必要に長引かせたのは彼の落ち度と言えなくもなかったが、だとしても、自分が刹那を殴っていい理由にはならない。あれは口頭で注意すれば済む話だった。きっと。
『………ニール。起きてますか』
 見えない場所からリヒティの声が響く。
「ああ、起きてるよ」
『食事の時間っす。これから持って行くから待っててください』
 ぶつりとマイクの切れる音。
 立ち上がる気にもならず、やや背筋を伸ばしたのみで壁に持たれたまま彼の訪れを待った。
 ガチャ………
 ゆっくりと扉が開き、食事を載せたトレイと共に来訪者が姿を現す。
 途端、青年は微妙に眉間に皺を寄せた。反応に迷うが、独房に逃げ込んだお陰で「逃げ場」がない。相手の性格を考慮すればこうなることを考えておくべきであったかもしれないと悔いた。
「食事だ」
「―――ありがとな」
 赤茶色の瞳は相変わらず揺るがない。
 少年の頬に貼られた湿布は見ているだけでも痛々しいが、ちゃんと医務室には行ったんだなと妙な安堵を覚えながら、ニールは刹那からトレイを受け取った。
 メニューはパンとスープとサラダとコーヒー。ところがこのサラダ、トマトやレタスなどは本当に少しだけで、大半はジャガイモとかフライドポテトとかマッシュポテトで占められていて、お前の頭ン中のオレはどんだけジャガイモ好きなんだよと笑いたくなってしまった。
 受け取るために浮かせていた上体を再び壁に預けて膝の上にトレイを乗せる。程よい重みが心地よい。視線をかわした相手は何か言いたそうでもあるのだ、が。
「刹那。待ってなくても大丈夫だぜ。食事が終わったらモニターごしにリヒティに合図するからさ」
「………」
「明日も訓練早いんだろ? グラハムが張り切ってプログラム組んでるだろうしなあ。あいつはあんなんでも軍のエースだから戦闘機のパイロットを志すなら習っておくにこしたことはないぞ」
「………」
「オレの進退については―――明日になったらミス・スメラギから指示があるだろうし。な?」
「オレは」
 滔々と語るニールの言葉を遮るように刹那が声を発した。
 赤茶色の瞳が揺らめきを増す。垂らした両腕は時に強く、時に緩く拳を握り締め、必死に何かの決意を促しているようにも思える。
 やがて、意を決した少年が視線を鋭くして言い放つ。
「オレは―――お前に会ったことがある。ニール・ディランディ」
「………そう、なの、か?」
 悪いと思いつつも青年は素直に驚きと共に答えを返した。
 刹那の瞳や態度に妙な既視感を覚えたことはある。だが、既視感なんてのは大抵が脳の錯覚によるものだし、単なる勘違いだろうと片付けていた。
 何度か瞬きを繰り返して、思い巡らす。
 会ったという彼の言葉が本当ならば、いつ、どこで、どんな風にあったのだろう。刹那は印象的な少年だから自分が彼を覚えているならまだしも、平凡な己が彼の記憶に残るとはどんな事態だ。この場にスメラギやアレルヤが居たならばニールも他と比べて色々と印象的なのだと呆れながらに教えてくれただろうが、生憎この場に彼らは居なかったために、その辺の事情は理解しないままに青年は首を傾げる。
「お前が思い出すのを待っていた。此処に来た日から、ずっと。お前はオレを『刹那』と呼んだ。だから、そう呼ばれるのを待っていた」
「………」
「今日のことで確信した。お前は変わっていない。変わっていないからこそオレのことを覚えていない。オレにとっては印象深くとも、お前にとっては日常茶飯事の出来事だったということだ」
 ―――徐々に罪悪感が強くなってくるが、どうしても思い当たる節がない。
 青年は何とはなしに己が頬を指でかきながら途方に暮れる。
 そもそも彼は今日の殴った、殴られたに関して話をしに来たと思っていたのだが、違うのだろうか。どうして自分と刹那の初対面がいつだったかなんて話題になっているのだろう。
 疑問は瞳に滲んでいたのか、少年が不意に視線を和らげ、遠くを見るような眼差しになる。

 お前は覚えていない。それでも構わない。
 オレが覚えている。オレは覚えている。
 忘れたりしない。忘れるはずもない。何故なら、あれは。

「オレが―――軍隊を志す全ての切っ掛けになった」

 あの、出来事は。

 

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※WEB拍手再録


 

(ある意味では)逆切れニールさん。いや、でも実際に短気だと思うのよ?(笑)

ついでに言うと刹那に突きつけた言葉の大半はいずれ自分に返(ry

今回のエピソード的にはアニメ一期の7話付近をイメージしておくんなせえ。

このシリーズは残り2話ぐらいかな………。

 

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